小熊研究会T 最終レポート

〜『敗戦後論』と『戦後責任論』を読んで〜

総合政策学部3年  70108602  松本 純平

 

1、はじめに

 私は、この研究会Tの最終レポートにおいて、学期中に研究会の中で発表をした、加藤典洋氏と高橋哲哉氏による「歴史主体論争」を取り上げてみたい。このレポートにおいて、まず加藤典洋氏の『敗戦後論』における主張の論点を、次に高橋氏の『戦後責任論』における主張の論点をまとめ、その後、論争部分の検証と、歴史認識問題そのものについて考えていきたい。

 

2、加藤氏の主張

 まず、加藤典洋氏の主張の論点の整理をしたい。加藤氏によると、戦後において、日本社会は人格的に紳士的で、温和なジキル氏と、怖い殺人鬼のようなハイド氏に分裂してしまった。日本の社会の中で改憲派と護憲派、保守と革新という対立をささえてきたのは、ジキル氏とハイド氏であり、細川内閣時に、「日本は間違っていた」という細川発言と、それに逆行する「日本は正しい」という元中西防衛長官や、元長野法相の発言が生じたのであるが、これは、「ねじれ」を意識下に押し込め、見えなくした、深い自己欺瞞のためである。この「ねじれ」とは、大きく分けて2つあり、1つは憲法における「ねじれ」であり、もう1つは、死者との関係における「ねじれ」である。

前者は、現在の平和憲法は連合国軍総司令部の発意によって作られ、押し付けられ、また、憲法には「武力による威嚇又は武力の行使」をどのようなことがあっても認められない、とあるものの、それはアメリカを代表とする連合国による、原子爆弾という「武力による威嚇」によって押し付けられたものであるという、「ねじれ」である。この憲法における「ねじれ」を克服するためには、国民投票によって憲法を選び直すべきであり、その結果、たとえ戦争放棄条項が廃棄されたとしても、そのことによって憲法が、「われわれの」憲法になるのであるので、それは望ましいことである。

後者の死者との関係における「ねじれ」とは、第二次大戦以前まで、私たちは戦争の死者を厚く弔ってきたが、この大戦中の戦死者は、外向きの正史の中で確たる位置を与えられていない。なぜなら、侵略された国の人にとって、これらの人たちは、侵略者にすぎないので、この正史は見殺しにした。ジキル氏の頭には、この侵略者である死者を引き取り、その死者とともに侵略者の烙印を国際社会の中で受けるという、侵略戦争の担い手たる責任を引き受けることができなかったのである。この「ねじれ」を克服するためには、自国の3百万の無意味な死者を無意味ゆえに深く哀悼することが必要であり、このことがそのまま2千万のアジアの他者たる死者への哀悼につながる。

また、日本が謝罪できるようになるためには、ジキル氏とハイド氏による人格分裂の克服以外にない。分裂した主体のままでは、謝罪することができない。そのために、保守派、革新派ともに、対立者を含む形で、自分たちを代表しようという発想をもつべきである。このことはまた、国民の共同的主体としての「われわれ」の立ち上げ、ということも意味する。これに対する批判として、戦前型の共同性への復帰に道を開くのでないか、というものがあるが、私たちは、最低、謝罪主体を構築する義務があり、万が一、そこに単一性への傾斜があるとしても、その危険は、その構築を通じ、私たちの責任で、除去していくしかない。そして、新しい死者の弔い方を編み出すことの必要、汚れこそ原点にするような重層的な認識主体の形成、憲法の改正条規を国民投票による現憲法の選びなおしをしていくべきである、と加藤氏は主張している。 

 

3、高橋氏の主張

次に、高橋氏の主張についてまとめていきたい。高橋氏は著作の中で、様々な用語を使い、それに説明をする形で、歴史認識問題に対する自身の考えを述べている。最初に『応答可能性、(レスポンシビリティ)としての責任』をあげたい。英語のresponsibilityは、他者からの呼ぶかけ、訴え、アピールがあったときに、それに応答する態度にあることを意味するが、私たちの身の回りには、例えば、選挙ポスターや、広告だけでなく日常会話などの、他者からの呼びかけであふれていて、その中で私たちは無数の言葉による呼びかけを受けとりながら生活している。あらゆる社会、人間関係において、人と人とが共存していくための最低限の信頼関係として、呼びかけを聞いたら応答をするという「約束」があり、私たちが、他者と共に社会で生きていく場合に、私たちはこの「約束」に拘束される。もしこの呼びかけに応答しないならば、人は社会に生きることをやめざるを得ない。また、日本語で「責任」というと、何か重たく、マイナスのイメージがあるが、他者の呼びかけに応答することは、プラスイメージで、新しい人間関係を作り出したり、他者との基本的な信頼関係を確認したりする行為で、他者とのコミュニケーションそのものであり、応答可能性としての責任とは、自分だけの孤独の世界、絶対的な孤立から脱して、他者との関係に入っていく唯一のあり方であるとし、戦後生まれの日本人にとって、戦争責任とは、罪責としての責任ではなく、レスポンシビリティとしての責任であるとしている。

次に、『記憶・亡霊・アナクロニズム』といった用語をあげたい。高橋氏は、ユダヤ人へのホロコーストに関わった人たちへのインタビューを収録した、ドキュメンタリー映画『ショアー』において、シモン・スレブニクという登場人物は、かつてゾンダーコマンド(ユダヤ人を殺害する作業に強制的に協力させられ、一定期間後に処刑される運命にあった人たち)であったのだが、こめかみに銃弾を打ち込まれて、奇跡的に生き残った。その人物が、30年ぶりに大量虐殺の現場に戻ってきた。このような「そこにいるはずのないこと」を「亡霊的」としている。このように戦争の記憶は「亡霊的な特徴」をもっている。つまり、「亡霊」として戻ってくる記憶が、「戦争」の記憶にとって重要であり、「戦争の記憶」を左右する「亡霊」は、人々が忘れたころに戻ってくるのである。

また、フロイト『悲哀とフランコリー』におけるトラウアーとメランコリーを取り上げ、

愛の対象の喪失の後に生じる感情であり、人間はこの喪失を現実として受け入れるために必ず一定の精神的な作業(=「喪の作業」)をしなければならない。その「喪の作業」がうまくいけば、トラウアーは終わるのであるが、メランコリーはそれがうまくいかない状態(憂鬱症)である。いずれにしても、他者の死をどのように受け入れるか、喪失をどう受け止めるか、これは人間にとって大きな問題であるとしている。

時間の論理性、時間の合理的秩序といった、「クロノジー」といった観点から考えると、

「喪の作業、悲しみの作業」を急がせ、過去を忘れて、現在から未来に生きることを重視するが、クロノジーの混乱、クロノジーの転倒、クロノジーへの反逆を、「アナクロニズム」とすると、「戦争の記憶」を左右する「亡霊」は、アナクロニックである。つまり、人々が忘れたころに、忘却が支配しようとしている時に戻ってくるのである。過去を克服しようとするならば、「喪の作業」つまり、「苦痛に満ちた想起の作業」がどうしても必要なのである。

 3番目に、記憶の継承についてであるが、証人は、人間として死すべき運命なので、その証人の証言を引き継いで証言する新たな証人がいなければ、記憶は断絶してしまう。また、その場合においても、決して完全に同一のものの反復ではないので、差異や忘却を含んだ反復でしかない。しかし、「戦争の記憶」は、民族や国家を超えることができるのである、としている。

4番目にジャッジメントの問題がある。高橋氏は、ハンナ=アーレントを例に出し、「責任者処罰」の必要性を説いている。これにはまず、「正義」が要請される。といのも、裁きがなければ、人間社会の条件をなす最も基礎的な正義感が損なわれるからである。次に、過去との和解が要請される。つまり、正義の要請に応えることを通じて、私たちの社会に傷を残している過去との 可能な限りの和解を目指すのであり、できれば見たくない、触れたくない、抑圧してしまいたい過去もしっかり直視して、それにジャッジメントを下すのでなければ、過去は「克服されざる」ままで、いつまでも残り続けるのである。また、これには「復讐」の応酬を打ち切る「赦しの代替物」の側面がある。つまり処罰は、私たちを束縛し続ける負の遺産の作用から自らを解放し、再び他者と共に活動し始めるための積極的行為(「許しの代替物」)であり、いっさいの赦しを欠く処罰は、純粋な復讐の論理に近づいてしまうのである。

5番目に日本のネオナショナリズムについての高橋氏の考察がある。自由主義史観の最大の問題点の一つは、日本人の「誇り」を回復するためと称して、否定論に突き進んでいる。また、否定論者はたいてい、「でっち上げ」の背後に普遍的な「陰謀」の存在を想定している。例えば、藤岡氏は、元「慰安婦」の証言を、証言内容に「事実の食い違い」があることや、日本軍の強制連行の命令書が発見されていないことを理由として、「包括否定」している。これらに対して、「日本人」が被害者の告発を受けとめ、最も基本的な「歴史認識」の共有に応じることが必要なのである。

 

4、具体的な論争部分

 

1)、高橋氏の加藤氏批判

 ここでは、高橋氏側からの加藤氏批判について列挙したい。

@ 日本社会の精神分裂への批判

  ・ 本質的な矛盾や、対立を考えておらず、国民的一体性を想定している

 A 憲法論への批判

     現在まで平和憲法が果たしてきた役割を過小評価しすぎており、「押し付け」を意識しすぎている。

     加藤氏の唱える「ゼロからの選び直し」論は、「国民主体」の起源から他者の痕跡を消そうとする一種の「純粋主体性の哲学」である。

 B 昭和天皇の戦争責任についての批判

  ・ 加藤氏は、昭和天皇の責任を「臣民に対する責任」、とくに「その名のもとに死んだ自国の兵士たちに対する責任」に限定している。

C       戦死者の哀悼への批判

     保守修正主義者たちの、「歴史の偽造」を含む「失言」・「妄言」を革新派のアジアに対する謝罪の論理への反動と解するのは無理がある。

     革新派が自国の死者を顧みずに、アジアの死者しか考えてこなかったとは考えられない。(革新派のアジアに対する加害責任の意識は、1960年代後半のベトナム反戦運動の渦中で芽生えるも、具体的な運動になったのは、80年代から90年代前半の、アジア各地の被害者が戦後補償裁判を起こしていく過程でのことだった。)

     加藤氏は、日本の戦争が「義のない戦争」という前提に立って議論しているのであるが、保守派にとってそれは受け入れがたいものであり、加藤氏の議論には有効性がない。

D       加藤氏の中心思想への批判

  ・ 自国の死者への閉じられた哀悼共同体、自国の兵士の死者への閉じられた感謝の共同体として日本の「国民主体」を作り出し、結局は日本の戦争責任を曖昧にすることにつながる。

 

高橋氏は、以上の@〜Dから、汚唇の記憶を保持し、それに恥じ入り続けることが必要であると主張した。

 

2)、加藤氏の高橋氏批判

 

・ 高橋氏の主張するように、たしかに「汚辱の記憶」を記憶され続けなければならないが、この主張では、「そんなこと知らない」という後続世代の声(「ノン・モラル」の問題)に対応することができない。

 

・ 高橋氏は、まずアジアの死者に向き合わなければ、「われわれ日本人」を立ち上げることができない、と述べているように、自己を作るのは他者、と考えているが、自己がないと他者に出会うことはできない。

 

・ 高橋氏が、ユダヤ人問題に言及する形で、『イェルサレムのアイヒマン』をめぐるアーレントと、ゲルショム・シューレムの論争を取り上げ、ジャッジメントをめぐり、アーレントの見解を引用しているのであるが、アーレントの当事者性の重層性を見ておらず、第三者的な観点である。この場合、共同性と公共性の視点で考えるべきである。この共同性と公共性について、加藤氏は本の中で、共同性を「同一性を基礎とした集合性」、公共性を「互いに異なる個別性と差異性を基礎にした集合性」と定義している。共同性については、精神分裂が解決されていない状態を、公共性については、精神分裂が克服された状態を示すのにも使われている。つまり、先の高橋氏の「汚辱の記憶に恥じ入り続けることが必要」との高橋氏の語り口は、公共性に達しておらず、共同的である。共同的な語り口で、公共的なことを主張するのは間違っており、日本が抱える精神分析の解決になっていない。

 

5、論争に対する感想と、歴史認識問題

 

 この論争に対する、私個人の意見は、やはり加藤氏の意見には少し無理があり、高橋氏の方が理論的であり、納得しやすいものであった。たしかに加藤氏の意見は、考え方としては、他の論者とは異なる奇抜で、面白い考えではあるが、高橋氏からの批判に対して、高橋氏の立場それ自体が、間違っているという「語り口」の問題を持ち出したことは、理解しがたい。議論が一人よがりになってしまっている。では、なぜ加藤氏はこのように考えるようになったのであろうか。

 加藤氏は、1948年生まれで、全教徒世代であり、ちょうど彼が大学生の頃、世間では学生運動が盛んであった。加藤氏は、その時の学生運動の悪夢から、自身の議論を進めている。その時代において、例えば喫茶店でコーヒーを飲んでいたならば、同世代から、「君はどうして運動に参加せずに、喫茶店で何をしているのだ。そもそもコーヒーは、中南米の人たちが一生懸命働いたものを搾取したものだぞ。」という議論がなされた時代であった。このような経験から、加藤氏は自分が納得して、内面化することを第一に考え、まわりからとやかく言われることを、とにかく嫌っている。

 次に、このことは歴史認識問題を扱っている、すべての論者に当てはまることなのであるが、それぞれの論者の興味のある、得意な分野から議論がされている。例えば、高橋氏は自身の専門分野である、デリダから、上野千鶴子氏は、フェミニズムとの関連から、といったように考察されている。このように、各々意見が異なっているが、これは全く仕方のないことである。

 最後に、この歴史認識問題はこれからもずっとでてくる問題であろう。というのも、歴史認識問題は、私たちが何であり、これからどのようになっていくのであろうか、と同じなのである。グローバル化のさらなる進行と共に、日本とは何か、という疑問はますます問われるようになるであろう。その際において、実質現在の日本ができたのは、大戦後であった。つまり、グローバル化の進行における、「日本人」としてのアイデンティティの揺らぎがあった場合、今まで以上に私たちは何か、私たちはどのような歴史をたどってきたか、ということが問われるようになるであろう。

 

参考文献

・ 加藤典洋 『敗戦後論』(講談社 1997)

・ 加藤典洋 『戦後的思考』(講談社 1999)

・ 加藤典洋 『可能性としての戦後以後』(岩波書店 1999)

・ 高橋哲哉 『戦後責任論』(講談社、1997)

・ 高橋哲哉編 『ナショナル・ヒストリーを超えて』(東京大学出版会 1998)

・ 高橋哲哉編 『〈歴史認識〉論争』(作品社、2002)

・ 小熊英二・上野陽子 『〈癒し〉のナショナリズム』(慶應義塾大学出版会、2003)