小熊研究会1レポート

総合政策学部3年 学籍番号70101626 大賀 智洋

はじめに

本レポートでは、日本の沖縄に対する「植民地支配」や第2次大戦後のポストコロニアリズムについて、野村浩也、冨山一郎、島袋まりあの著書、論考を参照し、考察していく。まず、植民地支配における植民者と被植民者の共犯関係について野村の論文『植民地主義と共犯化−沖縄から考えるポストコロニアリズム−』を元にまとめる。次に、冨山一郎の著書『暴力の予感』から、戦前の沖縄知識人である伊波普猷の「日琉同祖論」をとりあげて、日本への「暴力的」同化に対する伊波の危機感について考察する。そして同じく冨山の『戦場の記憶』の中で、第2次大戦前に沖縄から流出した移民について概観し、どのように日本人への同化が進んだのかを論じていく。最後に島袋まりあの論文『雑種性の政治と混血児』『沖縄の「混血児」とその母親を語る政治性』より、米軍兵士と沖縄女性の間に生まれた混血児について、それをめぐる言説や混血児の位置付けなどから第2次大戦後の沖縄のポストコロニアリズムをみていく。

もくじ

1:植民者と被植民者との共犯関係について−野村浩也の論文より−

A:「日本人のなり損ない」の沖縄人

明治時代以降に日本に武力で併合された沖縄は、まさに日本の植民地主義のたまものであった。そのために、「琉球のひとびとが日本人であることなど自明であるはずがない。」のであり、「沖縄人も併合当初から「後進性」「未開」「二級の国民」といったレッテルをはられ差別された。」のである。(野村 []24頁)つまり、沖縄の人々は「日本人のなり損ない」であって、差別される存在だったのだ。だが、差別一方では被植民者の不満はたまるばかりなので、いわゆる「アメ」が必要だった。それは「日本人になること」であり、たとえ「「日本人のなり損ない」でも日本人になれるのだよと被植民者に幻想させる」(野村[1]26頁)ことの必要性である。野村によれば、このような日本人への同化は、あらかじめ沖縄の文化を排除しつつ同化をせまる、つまり同化という言葉の中に差別が必要であり内包されているという。一方、日本国家側からの視点でみると、この同化は植民者のナショナリズムの実践であるとしている。つまり、植民地主義とナショナリズムは一体化しているのと野村は論じている。ここでまとめておくと、差別をすることで「ムチ」をふるい、「アメ」である「日本人になること」に理想がふくらむようにしておく、というメカニズムが働いていることがわかる。このメカニズムの中で、「被植民者に植民者側のナショナリズムを実践させる」(野村 [1]25頁)ことになり、ひいては被植民者が自らを侮蔑し、植民者になろうと努力することとなる。被植民者を植民者との共犯関係に仕立て上げる第一歩なのだ。

 

B:精神の植民地化

同化とは前節で述べたとおり、そこに差別意識が含まれている。つまり、「同化は、同化を要求する側/される側という非対称な権力関係において生じているのである。」(野村[1]28頁)「同化される側」は多大なコストや犠牲を払わねばならない一方、「同化する側」は相対的に特権を持っており、自らは何もせずに、意のままに同化を強要することが可能なのだ。野村は吉野作造のことばを用いて、「植民者が被植民者に要求する同化とは、結局のところ、植民者のいいなりになる人間をつくることにほかならないのだ。」(野村[1]28頁)と論じている。被植民者は植民者とは対等ではなく、客体に過ぎない。したがって被植民者とは植民者のあやつり人形であり、「自己の精神を他者にあけわたすということ、いいかえれば、精神の植民地化である。」(野村[1]29頁)と述べている。だからこそ、植民者の差別意識が被植民者に内在化され、それが「真理」として捉えられ、自己差別がおこるのだ。精神の植民地化をもって、共犯関係が成立していくのである。さらに、同化するということは植民者=被植民者という関係にはならないのだから、日本人マジョリティと沖縄の人々が同じ意識をもつことはない。自己差別の意識、「自己の内部に自己自身を「植民地的他者」として差別的にみいだすもうひとつの自己を構成するということ」(野村[1]30頁)が発生する。このような状況で沖縄の人々は「二重の意識」をもつようになったと野村は考察する。自己を差別的にみる植民者の意識と、被植民者であることの不安や恐怖が一人間の中に包摂されているというのだ。精神の植民地化で共犯関係が進展し、植民者の意識を取り入れようと努力し、欲望を満たそうとすればするほど、自己自身を差別的にみる考えと、それによって生じる(ますます高まる)自身の中の被植民者意識が並存していくことになる。これが次章以下でみていく沖縄人内部での排除や抑圧につながっていくのだと考えることができるだろう。

2:日本人への「同化」の暴力−冨山一郎の著書より−

A:伊波普猷の日本人に対する「身構え」

第2次大戦以前の沖縄知識人である伊波普猷は、1911年の著書『古琉球』の中で、「廃藩置県は進化の途」と述べ、さらにその後、「廃藩置県は奴隷解放なり」という談話を発表する。冨山は伊波の一連の主張について、「「進化」や「同化」は、過去の「蘇生」なのであり、それは開化の歴史であると同時に、「琉球民族」の復権でもあった。」(冨山[2]121頁)と論じている。また、奴隷解放という表現に関しても「開化が単なる同化、すなわち伊波のいい方を借りれば「形式上の同化」である限りは、開化からは疎外されつづけるという論点を、ただちに引き出すことができるだろう。」(冨山[2]121頁)と考察を加えている。この時点で、前章で述べたような同化のメカニズムのうち、被植民者の「あやつり人形化」=単なる客体となることを伊波が恐れていたといえるだろう。またさらに、『古琉球』の中の文章である「何人も大勢に抗することは出来ぬ。自滅を欲しない人は之に従わねばならぬ。・・・」からは、「このような言語行為は、すぐ横で暴力が既に行使されていることを、常に暗示している。」(冨山[2]122頁)という考察を導き出すことができる。つまり、暴力的な同化=共犯関係の成立ひいては精神の植民地化を恐れる伊波の姿勢を改めて見て取ることができる。

他方、伊波は鳥居龍蔵という人種調査者のインフォーマント的な役割を果たし、それに基づいた鳥居の報告を伊波が琉球人を表象する際に参照している。そして日本人をベースにした琉球人の特徴を見出すだけでなく、その逆の琉球人と日本人の同一性を示すものを探索した。このような観察行為の逆転が、伊波が「「琉球人」は「日本人」であるというのではなく、両者は「同祖」であると主張する」(冨山[2]137頁)ゆえんである。伊波は琉球人の「個性」を主張したのであるが、その「個性」は主体性をもち、ただ「観察されるだけ」ではないことは明白だ。前述した伊波の同化に対する考えともマッチし、そこから琉球人の「個性」は改良可能だという論まで出した。つまり、アイヌや台湾の生蕃などとは違うのだとしてこれらを排除している。この点、伊波の主張も共犯関係を成しているといえるのではないだろうか。なぜなら、「われわれの個性は主体的で、日本人と琉球人は同祖である」「アイヌや台湾人とは違う」という考えそのものが植民者の言説を内在化しており、常に「暴力への恐怖」とも隣り合わせ=被植民者特有の「二重の意識」を具えているからである。ただ、伊波の場合にはこのような同化を避けたいという「身構え」から「「個性」の蘇生という歴史としての「琉球史」に賭けるのである。」(冨山[2]139頁)

B:沖縄からの移民

第1章で述べたとおり、明治時代初期の沖縄併合直後から、「野蛮」「二級の国民」といった形で沖縄差別が存在した。それに伴って、そのような「異質化」された文化を改善していこうとする運動はその頃から発生していたが、冨山は著書『戦場の記憶』において、そのような運動が日常生活のレベルにまで浸透した理由は、1930年代に沖縄で発生した「ソテツ地獄」(注@)以降の労働力流出、日本本土やサイパン、テニアンといった南洋群島への沖縄出身移民の増加を掘り下げることで明らかになるのではないかと論じている。この時期から、「異質な」「遅れた」沖縄文化をもつものに対する取締り=犯罪者とみなす傾向、つまり共犯関係の中で支配者の言説がますます内面化されていったのだが、冨山はこのような運動強化が「上からの指導・強制というだけでなく、あるべき生活が生活道徳として受容された」(冨山[3]31頁)と述べている。このような道徳は、それに含まれる排除や恐怖からくる生活の規律化と、道徳によって自己を主体的に形成していくよろこびがあって日常生活の中に浸透していく。

さて、冨山が沖縄から流出した移民にここで注目しているのは、流出先での差別を克服し、「よりよい生活」=支配者の生活様式を実現させる必要に迫られたからである。例えば、沖縄から大阪など日本本土に流出していった場合、そこでの労働の勤勉性や能力の判定基準は支配者である日本人であるか否かであった。沖縄や朝鮮の人々は「沖縄人」「朝鮮人」であること自体能力が劣っているのだというレッテルをはられてしまう。結局ここでは、「沖縄語をはじめ生活改善が唱えられていた項目が「沖縄文化」というカテゴリーを構成し、それが日本に比べて「低位」のそして「遅れた」、したがって払拭すべき負の価値をもつものとして設定され、まためざすべき正の価値として「日本」または「日本人」が設定される」(冨山[3]36頁)のだ。ここでも、あらかじめ差別を設定し、また一方では日本人への同化を「よりよい生活」と幻想させ、同化を半ば強制する、支配者の言説を支配者の意のままにのみこんでゆく被支配者がおり、共犯関係が成り立っているのである。南洋に出て行った移民については、また別の状況があるといえる。賃金の序列などの面ではやはり南洋でも日本人が最上位に設定され、沖縄の人々は日本人からは排除されている。重要なのは沖縄の人々と現地にすむいわゆる原住民との関係である。たとえば先ほどの賃金面では、沖縄人は日本人よりは下位に位置付けられたが、原住民よりは上であった。ここで、沖縄の人々は原住民からも蔑視されるようになる。原住民たちから、「日本語もうまく話せないし文化的にも島民のほうが勝っているのに、沖縄や朝鮮の人々は日本人なみの(われわれより高い)賃金をもらい、日本人であるかのようなそぶりをしている」と思われていたからだ。また、日本の知識人らも、沖縄の人々は原住民レベルであると認めざるを得ない、文化水準も低いのだから、原住民に対する蔑称をもじった「ジャパン・カナカ」という位置付けがなされるのも仕方の無いことだとしていた。つまり、南洋では原住民や朝鮮人などとの比較が行われ、その中で日本人を志向し、さらに遅れている人々の指導者たらんとする動きが出てくるのである。そこでは、「「沖縄人」と南洋群島の「土人」との同一性を意味する「ジャパン・カナカ」からの脱却が主張され」、「遅れた「沖縄文化」をはやく払拭しないと、さらに遅れた台湾や南洋と同じになってしまうという認識がある。」(冨山[3]36頁)南洋群島では、日本本土においての「払拭されるべき負の価値」が、台湾や南洋に転嫁されているのだ。沖縄の人々は自らを差別し、自らを抹殺していこうとするのと同時に、そこで内面化される支配者の言説によって「日本人意識」が芽生え、さらに「遅れている」とされている人々を排除していく。また排除する過程には被支配者であることの恐怖感が作用しているということもわかるだろう。南洋での状況は、比較される対象がいて、自分たちもそのような「低い地位」に落ちてしまうという恐れから、沖縄の人々が支配者の言説を完全にのみこんでいる。共犯関係はさらに深化しているといえる。

3:第2次大戦後沖縄の混血児問題

A:沖縄の混血児

話は第2次大戦後に移るが、最後に沖縄の混血児についてとりあげておく。沖縄における混血児とは、第2次大戦後から駐留を続けている米軍兵士と、沖縄の女性の間に生まれた子供のことである。そして、「このような二重性は、近年、「ハイブリッド」や「混血」ということで礼賛される傾向にある」(野村[1]31頁)のだが、「二重の意識や「混血」を生みだす植民地主義的暴力の存在を隠蔽したり否定したりはできないはずなのだ。」(野村[1]31頁)島袋まりあは、上記のような植民地主義的暴力=植民者と被植民者との非対称的な関係(植民者は全能で被植民者はただのあやつり人形という関係)から「混血」「ハイブリッド」が成立するという過程を無視してこれらを礼賛することが新たな支配構造に貢献してしまう問題があると論文『雑種性の政治と混血児』の中で述べている。植民地主義の産物である混血児を手放しで評価していくことは、植民地支配の容認につながっていくというのである。次節以下では混血児をめぐる言論状況などを通じて、このような植民地主義について考察していく。

B:混血児をめぐる言論の状況@雑種性をめぐって

混血児は沖縄の代表的な雑種性のひとつである。そして、多くの論者が混血児について論じているが、「それらの論者の関心の中心は、混血児の境遇自体というよりも、米国/日本と沖縄の「雑種化」という事態にある。」(島袋[4]27頁)島袋は、この中で主に2つのタイプの言説が注目に値するといい、「第一に混血児を「植民地的な強姦の傷跡=基地の落とし子」とみなす言説、第二に新たなグローバル化時代を先導する「架け橋」と位置づける言説である。」(島袋[4]27頁)と述べている。米軍支配による半強制的な「雑種化」に反旗を翻したのが第一の言説、近年一躍「売れっ子」となった安室奈美恵など混血の芸能人を文化の「架け橋」とし、また、「アメラジアン」という言葉が表象するように、アメリカとアジア双方の文化や言語を持つ権利、混血児に対する差別をなくそうとする動きにも「架け橋」の言説が用いられている。

島袋は、第一の言説の代表的なものとして、東恩納寛惇のテキストを紹介している。米軍の支配から逃れようとして、日本の戦時中の責任や植民地主義的暴力を忘却するほど東恩納は「日本人になること」に執着していたという。その東恩納にしてみれば「抹殺したい」文化をもった沖縄の女性と「忌むべき、非対称な雑種化を強要する支配者」である米軍兵士の間に生まれた子は「汚辱の結晶」であり「両親の低劣な遺伝子を受けた戦災のヒキツリ」なのであった。結局東恩納は、混血児から米軍による「雑種化」と、日本の同化政策による「雑種化」を汲み取ったのであり、そこから東恩納自身の「雑種化」が恐れられていったと島袋は論じている。つまり、支配者/被支配者の枠におさまらない混血児は、共犯関係を結んで日本人になることを邪魔する存在だったのである。自らが「日本人になりたい」と望み、支配者の言説を内面化させ、それでもなお日本人にはなれない自分を憎んで、支配者権力への欲望を沖縄の混血児に向けていくのだ。

次に、このような「雑種性」を「架け橋」とする言説について考察する。これは、様々な事例があるが、まず1990年代から広まった「アメ(じょ)」言説を紹介したい。この言葉のもともとの意味は「「アメリカー」と沖縄口(うちなーぐち)の「ジョーグー」の合成した言葉である。「ジョーグー」とは、沖縄口で「好き」という意味の侮蔑的な表現である。」(島袋[5]90頁)

ただし島袋によれば、「アメ女」は、日本やアメリカのメディアによって「米兵を欲する沖縄女性」を指すようになっていった。そして、日本から沖縄に「移住した」つまり自ら望んで「アメ女」になった小林千花などは、自らの生活に米兵が関与してくることを避けられない沖縄女性の立場を区分することなく「アメ女」の自由を礼賛しているのである。単純にアメリカ文化との「雑種化」(ちゃんぷるー文化)が解放につながるとすることによって、支配者・被支配者の間の非対称的な権力関係を一切無視し、その中に含まれる暴力を顧みることなく「「米兵を欲望する沖縄女性」を米軍と能動的に共犯する者として仕立てることによって、米軍を押し付けている日本の責任問題は都合よく忘れることができるのだ。」(島袋[5]91頁)こういったことがひいては「新たな支配関係の構築」「植民地主義の温存」につながっていくのではなかろうか。

C:混血児をめぐる言論の状況A高良倉吉の言説

島袋は、高良倉吉が他の沖縄論者と違う点として、米軍基地を押し付けられることの責任を日本人やアメリカ人に追及するのではなく、それを沖縄の責任において「強み」に変えていこうと主張している点であるとしている。そして、第2次大戦前の同化政策や虐殺に米軍基地を結びつけて考えることは、ネガティブな歴史像に拘束されていると高良は論じている。つまり「高良は、責任主体をはっきり認めることなく、傷を治す責任が傷を負った側にあると見なしている。」(島袋[4]34頁)のだ。日本の要求を沖縄の責任で「何とかしていこう」とすればするほど植民者の立場である日本は都合よく「支配」ができる。沖縄人自身が日本の植民地主義に手を貸して、無批判で受け入れていくことになるからである。さらに、基地が引き起こす女性への暴力を無視するということは、沖縄男性と日本男性の共犯であるとも島袋は述べている。男性中心主義的な考え方が、米軍が存在することによって脅かされている女性を排除する論理が成り立っているというのだ。そして高良は、いわゆる「基地の産物」である混血児やその母親、売春婦らを「麹菌・発光体」と規定する。それは、こうした人々の間から基地や支配者であるアメリカに対する理解が生まれ、「架け橋」になるのだと高良は論じている。基地のある日常を美化し、そのような「雑種」が生まれるまでの過程や成立の背景を無視していくことは、植民者にとっては自らの支配を正当化することができ、彼らの思うような要求を被植民者に突きつけることができる。そうした意味からも、被植民者の「精神の植民地化」は続いているといえるし、植民者との共犯関係によって弱い立場の人々(女性や混血児など)が普遍的なものとして美化されてしまう。高良倉吉に関して島袋は上記のような考察を加えている。

おわりに−まとめにかえて−

本レポートでは主に、支配者と被支配者の関係を中心にみてきた。そのために各々の論者の意見、主義主張をすべて把握できなかったのは残念なところである。明治時代の琉球併合から現在にいたるまで、沖縄は日本本土からみて常に「他者」「異質」なものとして捉えられ、暴力を伴う同化政策が進められた。その結果、沖縄には支配者の言説が内面化され、一方ではいくら努力しても「大多数日本人」にはなれないジレンマや支配されることの恐怖感を並行して感じ取っていった。その結果第2次大戦が終わってコロニアリズムに「ポスト」という接頭辞がつくようになってもなお、沖縄内部での異質化が存在し、沖縄の人々自らがもつ植民者的言説と「他者になりたくない」という不安から、その感情が内部でさらに下位に位置するものへと転嫁されるのである。そして内部で「もめて」いるうちは、「もめる」原因となっている植民地的暴力は看過され、植民者=日本人にとって沖縄は「扱いやすい植民地」となる。このような「悪循環」は果たして解消されるのだろうか。米軍基地が相変わらず沖縄に集中し、当人の真意はともかくとして、高良のような「基地は是」とする言説が当然のように語られている現状では、解消はまだまだ難しいのではないかというのが私の率直な意見である。

     参考文献

[1]野村浩也「植民地主義と共犯化」『解放社会学研究14』(日本解放社会学会、2000)

[2]冨山一郎『暴力の予感』(岩波書店、2002)

[3]冨山一郎『戦場の記憶』(日本経済評論社、1995)

[4]島袋まりあ「雑種性の政治と混血児」『解放社会学研究16』(日本解放社会学会、2002

[5]島袋まりあ「沖縄の「混血児」とその母親を語る政治性」『アジア新世紀3 アイデンティティ』(岩波書店、2002)