小熊英二研究会T 最終レポート
同性愛の分析理論
伊藤 尭
総合政策学部3年
70100935
0.はじめに
このレポートは、筆者が2003年春学期に小熊英二研究会Tで行った発表のまとめである。ゲイ・ムーヴメントを学ぶにあたって、これまで同性愛が種々の学説によっていかに把握されてきたかを知ることが、意義深い行いであることは論をまたない。本文では、フロイト、ラカンによる精神分析の理論や、フーコー、バトラー、セジウィックといった思想家の手による理論など、この分野において頻繁に言及される学説をなるたけ網羅的に概説してある。もちろん筆者の勉強不足もあり、細部まで十分に論じ切られたとは言い難いが、個々の理論への導入や全体を概観することを目的とした場合、それなりに役に立つものになったのではないかと自負している。
同性愛の分析理論というと、今まさにある同性愛という現象を分析する、ただそれだけの理論のように思われてしまうかもしれない。だがフーコーのように、同性愛が問題化される歴史を探ることや、セジウィックのように、近代社会の特性として同性愛嫌悪を論究することなど、柔軟で幅広いアプローチは、単に世間で流布する現象ないしは社会問題というものを盲目的に受け入れて、それを解明する所作に留まっていない。理論を学ぶことによって、変革すべき現状の認識や問題意識そのものが変わってくるのである。具体的にいえば、どの理論を選択するかによって、運動の手段や目的が変化することになるだろう。このレポートで扱っているのはそのような理論である。
第3節の後半で扱ったバトラーとラカン派との対立は、研究会での発表時には時間の都合と議論の難解さから、やむなく省略させていただいた部分である。したがって、この場ではじめて論述したことになるのだが、他と比べてゲイ・ムーヴメントとの関連性は薄く、なおかつ多少の前提知識が必要とされていることを断っておかねばなるまい。
結論部は設けなかったため、ここでレポート全体の感想を書かせていただく。『ジェンダー・トラブル』と『クローゼットの認識論』の邦訳が発刊されたのが99年。いまだ定着した読みが確立されていない文献を扱うのには、とにかく大変な緊張を強いられた。これほど長大なレポートを書いたのも初めてである。
1.同性愛の歴史
プラトンの対話篇『饗宴』には、ソクラテスをはじめとする論客が、自由きままにエロスについて思うところを披露しあう場面が描かれているのだが、その中でファイドロスは次のようにいう。
もっとも古いこの神は、またわれわれにとって最大福祉の源泉でもある。実際私は、早くも少年に当って立派な愛者を持つこと、また愛者にとっては愛する少年を持つこと以上に大なる好事が在るとは主張し得ぬのである。(『饗宴』p57)
ここにある愛者とは、少年が愛する年上の男性のことを指す。古代ギリシアのアテナイにおいて、年齢の差をもとにした男性間の性愛が、まったく合法的かつ一般的に行われていたことは、現代の視点から見てもいささか驚かされる事実である。
我々はここから、同性愛が抑圧されるいかなる本質的要因もないことを学ぶことができよう。いうまでもなく、同性愛が置かれる立場は歴史のそれぞれの局面において異なるのであり、またそうして得られる様々な史実から、幾つかの理論が組み立てられているのである。ゆえに大雑把であれ歴史を学ぶことは、理論を知るためには必要不可欠な行いなのだ。
ここでは古代から中世、近代へと移る過程で、同性愛についての考え方が人々の間でどのように変遷していったのかを素描していきたい。
さきほど古代ギリシアでは同性間の性的接触が合法的だった、と書いた。これに付け加えるべき点があるとするなら、当時ではあまりに同性愛が合法的だったがゆえに、特別問題とされなかったことである。同性愛が一つの問題として俎上に載せられるには、近代を待たねばならない。古代はそれでいいとして、ならば中世ではどうであったか。西欧の中世社会は、何といってもキリスト教の影響が色濃いのであり、それは同性愛に関しても例外ではない。
キリスト教は、同性愛を反キリスト的行為として禁止した。同性愛は罪深いものであるというこの考え方が、同性愛の抑圧につながったのは明らかだが、しかし事はそれほど簡単ではない。当時は、同性愛と他の禁じられたセクシュアリティとの間に区別がなされていなかったし、しかも人々が、神によって創られたこの秩序ある世界に、反キリスト的行為である同性愛が身近に行われているなどとは想像すらできなかったため、逆にホモフォビア(同性愛嫌悪)が弱かったのではないか、という説も唱えられている(*1)。
さらに――これは後のフーコーの論点ともつながるのだが――18世紀以前は、同性愛者という主体が存在しなかったことも特徴の一つに数えられる。人類学者ゲイル・ルービンが、「性を考える」という論文の中で興味深い事例を引っ張ってきているので、それを紹介することにしよう(*2)。
17世紀にあるイギリスの伯爵が、男色のかどで裁判を受けた時、「伯爵が自分自身でも、ほかの誰かにも、特殊な性的個人であると理解されなかった」という。彼は純粋に、国法に反する行為を働いたために裁かれたに過ぎないのであり、そこには彼が同性愛者であるからとか、彼の性欲がどうであったからというような議論は、一切無関係であったというのだ。同性愛が異常な性欲であると見なされ、同性愛者が主体あるいは集団として誕生するのは後のことである。
そこで18世紀以降に視点を移し変えたいのだが、18世紀に至ると、ようやくセクシュアリティが、医学、教育、犯罪、人口などの観点から問題にされるようになった。そうしてセクシュアリティが集団ごとに分節化される過程は、ミシェル・フーコーが『性の歴史T 知への意志』で論じたことであまりにも有名である。ソドミー法に代表されるセクシュアリティに基づいた法整備が始まったのも、近代社会においてのことである。
このような背景によって、周縁化されたセクシュアリティが、「悪習」として禁じられる風習が生まれた。とりわけそのような意識が、アメリカやイギリスにおいて最も高まったのが19世紀後半のことであり、その時は特にマスターベーションが槍玉に挙げられていた。この事実は、後に紹介するフロイトの去勢不安というアイデアの下地にもなっているので、覚えておいて損はないだろう。
そこから同性愛に矛先が移るのは、驚くことなかれ、ごく最近のことである。先にも紹介したゲイル・ルービンの論文によると、同性愛が世間から批判の的とされるようになったのは、アメリカでは1950年代のことであったという。この時期に、世間の注目が同性愛に集中したのだ。それにより、人々の持つホモフォビアが強化されて、同性愛者は警察や各種メディアによって始終監視されるようになった。若者が同性愛者をバッシングするようになったのも近年の傾向である。
さて一方の当事者たちは、その間に何をしていたのだろうか。フーコーによれば、「同性愛者」が主体化されたのは19世紀のことであったという。それまで同性愛は犯罪的行為に過ぎず、けっして「同性愛者」という人格や集団が文字通りに存在したわけではない。しかし皮肉な話だが、このように性科学者によって同性愛者が誕生させられることが、これ以後の、同性愛者たちによる自覚的なコミュニティの形成につながった。19世紀に大都市を中心として同性愛者がパートナーを探すための地域が生まれ始め、20世紀初頭には、同じく大都市にゲイバーが現れるようになる。
同性愛者がこの時期に集団化した要因としては、これ以外にも、資本主義の浸透が関わっているとする説もある。もちろんこれはマルクス主義の理論を用いた解釈である。例えばジョン・デミリオは、自由労働システムが発達し、家族の成員がもはや経済的連帯を必要としなくなり、家族から離れて都市に暮らす労働者が増えることが、結果的にゲイコミュニティの創造をもたらしたのだという(*3)。特に第二次世界大戦の混乱期に、多くの若者が家庭から引き離されたことは、後のゲイ・ムーヴメントの主柱となる世代を育てることにつながったのだ、と彼は主張する。
この仮説の当否はともかくとして、結束する場としてのコミュニティが生まれると、次第に同性愛者というアイデンティティが確固たるものとなっていくことは容易に推測される。これは外部から強制的に付与されるアイデンティティだけでなく、内側から生まれるアイデンティティをも含んでいる。ゲイ・ムーヴメントの始まりとして名高いのが、1969年に起こったストーンウォール事件であるが、この頃に「同性愛者」というラベリングに抗い自らを「ゲイ」と名付ける解放運動がはじまったのも、このような歴史的経緯を見れば頷けよう。
2.精神分析/構造主義
20世紀初頭に生まれた精神分析を、同性愛の分析理論として評価しようとすると、まさしくアンビヴァレントにならざるを得ない。精神分析の開祖たるジクムント・フロイトの研究の中で、この分野と最も関連の深い論文が「性理論三篇」であるが、この論文から肯定的に評価されるべき箇所を抜き出してみよう。
性欲動は最初は、性対象と独立したものではないだろうか。性欲動は、性対象の刺激によって発生したのではないかもしれないのである。(『エロス論集』p48)
それまで性欲は、自然に備わった生殖の本能と見なされていた。しかしフロイトは、そのように人間の性欲を動物の自然な性欲と同一視する考え方を否定する。性欲は生殖と必然的に結びついた自然のものではなく、成長過程において様々な経験を積む中で、はじめて実体的な性器へ向かうようになる、と考えたのだ。フロイトにいわせれば、幼児期には誰しもが多形倒錯的な欲望を持っていたのであり、その意味では、全ての人間があらゆる異常な性欲を潜在的に秘めていたのだということになる。
フロイトのこの考えは、同性愛者を自然というイデオロギーが生み出す「異常者」というカテゴリーから解放することにつながるものだ。これだけならばよかったのだが、フロイトはそこで満足しない。さらにフロイトは、自然から切り離した性欲を、今度は代わりに神話へと結びつけるのである。
口唇期、肛門期、男根期という言葉を聞いたことはないだろうか。フロイトは、幼児は発達段階によって性的快感を得る対象を次々と移し変えていく、と考えたのだが、これらはそのそれぞれの段階を示す名称である。口唇、肛門、男根の順に幼児は発達していくのであるが、異性愛か同性愛かの決定にあたっては、最後の男根期が特に重要である。かの有名なエディプス・コンプレックスは、この男根期において成立するのだ。
エディプス・コンプレックスとは、幼児が異性の親と性的な結びつきを願うようになり、他方で同性の親に敵愾心を燃やしつつも、去勢される不安に怯えることである。少々厄介な概念なので、長くなるが細かく見ていくことにしよう。
この図式には、男女で異なる部分と同じ部分があるのだが、幼児の最初の愛が母親に注がれていたとする点は男女共通である。というよりも、その時点ではまだ自己認識の上での性差というものがなく、ペニスや両親との関係から性差ははじめて生み出されるとされている。
男児から母親に注がれていた愛情は、父親によって妨げられる。エディプス・コンプレックスの「エディプス」の語源は、ソフォクレスの『オイディプス王』である。フロイトによれば、やがて男児は『オイディプス王』の主人公のように、父親を殺害して母親と結びつきたいと願うようになるというのだ。これをエディプス期と呼ぶのだが、しかし男児は、いつしかこの願望をおのずから断念することになる。
そのきっかけとなるのが、男児が持つ去勢不安である。去勢不安とは、母親を奪おうとしたことで父親の怒りを買い、罰として父親によって自分のペニスが切り取られてしまうのではないか、という恐怖である。(ここで第一節で紹介した、マスターベーションを「悪習」とみなす風潮が当時存在していたことを思い出そう。)さらに男児は、女性にペニスがないことを知ると、それがまさしく父親に去勢されてしまった結果だと考える。そうして「自分はそうなりたくない」というナルシシズム的な関心が飛躍的に高まり、ついには父の威圧に屈してしまうのである。
エディプス・コンプレックスを解消した男児は、父親を自らの内に取り込む。この内なる父は、良心や道徳という形で以後の男児の行動に、何かと禁止を命ずるようになる。この内なる父のことを超自我という。超自我は、母親との近親相姦を断念した結果生まれたものであるから、近親相姦の禁止という原則を必然的に伴う。超自我や近親相姦の禁止については、後に再び取り上げることになるだろう。
とはいえ、全ての男児がこのような形でエディプス・コンプレックスを解消するわけではない。実は、エディプス・コンプレックスには陽性のケースと陰性のケースとがあるのだ。上述したのは陽性のエディプス・コンプレックスであり、これは結果的に異性愛者を生む仕組みになっている。だがそれとは異なり、陰性のエディプス・コンプレックスでは、同性愛者を生む仕組みになっているのである。
陰性のエディプス・コンプレックスでは、男児が母親ではなく父親へ愛を注ぐようになる。言い換えれば、男児は母親になろうとするのであり、それによって当の母親が邪魔者になる。両親に対する関係が、陽性の場合とちょうど反転していることが分かるだろう。陰性の場合でもさきほどと同じように、女性にペニスがないことを知り、ナルシシズム的な関心を持つことで、自分が母親になることを断念する。ペニスを保持するために女性になることを諦めるのだ。そうして男児はエディプス・コンプレックスを解消するのだが、それ以後の展開は陽性の場合と同じである。
では男児はそれでいいとして、女児の場合はどうなのだろうか。女児は、男児をあれほど怯えさせた去勢を、まずもって自覚するところからはじまる。そして潔くその致命的な事実を認めてからは、ペニスを羨望するようになるというのだ。同時に、「自分に男の子のような性器をつけて生んでくれなかった、すなわち女性として生んだことで、少女は母親を非難するようになる」(*4)という。これがきっかけとなり、女児は母親から父親へと愛情の対象を移し変えるのである。
父親を愛することは、男児のように父親と同一化することとは異なる。男児と違い、エディプス・コンプレックスを劇的に破砕する契機を欠く女児は、これを徐々に解消していくしか術がない。その結果、「女性の超自我は、男性で想定されるものほど厳格なものでも」(*5)なくなるとフロイトはいう。
さて、このような考え方のどこに問題があるのか。たしかに陽性/陰性という語を見た場合、陰性negativeという語に、文字通り否定的なニュアンスが込められているのは明らかだが、はたしてそれだけのことに過ぎないのだろうか。
ここで一つ指摘しておきたいのは、自然から解き放った同性愛が、人間の成長の神話に根拠付けられることで、かえって同性愛者が治療の対象とされるかもしれないことである。「誰しも同性愛者になったかもしれないが、だからこそ同性愛者を異性愛者に矯正することもまた可能なのだ」という危険な考えを、ここから容易に導き出すことができる。ゲイ・スタディーズの立場から、フロイトのいうエディプス・コンプレックスが否定的に捉えられがちなのは、こういった事情とも無関係ではないだろう。
フロイトの精神分析理論との関わりは、以上の点をおさえておけばよいだろう。次にフランスの精神分析医、ジャック・ラカンの理論に移らせていただきたい。ラカンはおそらく、精神分析の系譜の中でも、最も特異的な位置を占める理論家である。
というのも、ラカン本人はフロイトの真の継承者を自称してはいるものの、理論面ではフロイトよりはるかに抽象度が高く、かつ難解であるからだ。ラカンの理論を叩き台にして同性愛を論じることは難しい。なぜならこの理論に言及すると、どうしても「人間とは何か」というような、哲学的な命題ばかりが先行してしまうからである。そのような事情を理解していただいた上で、以下の議論に立ち入っていこう。
ラカンの精神分析理論がフロイトのそれと異なるのは、一つには構造主義言語学の知見が導入されていることである。
想像界、象徴界、現実界という三界の区分は、ラカンが提示した概念の中でも最も有名なものの一つだが、これらはフロイトの自我、超自我、エスという概念におおむね相当するとされている。先に登場した超自我にあたるのは象徴界であるが、ここではこれを中心に説明していきたい。
象徴界とは言語の――特にシニフィアン――によって示される領域である。シニフィアンとは意味するもの、つまりそれ自体は意味のない形式的な記号表現のことである。象徴界はそれと同時に、超自我のごとく禁止を命ずる「父の法」でもあるのだが、これらを重ね合わせると、全体としてどのような性質を持つか。
言語という人間にとって欠くべからざるものを司り、意味の次元になく、さらに近親相姦に代表される禁止を命ずる法といえば、だいたいレヴィ=ストロースのいう構造と似通った概念であると見てよい。実際、ラカンを構造主義者の一人として捉えるのは珍しいことではない。ここではラカンの理論の読解に主眼を置いているわけではないので、その程度の理解で十分だろう。
構造というと、何かその上で人々が動かされているかのような基盤的なイメージがある。一方、超自我というと、良心の呵責といったような形で、行動を束縛するようなイメージがある。ならば両者の特徴をあわせ持つ象徴界には、どうしても抑圧的な――この抑圧は精神分析的な意味での抑圧ではない――イメージがつきまとうことになる。
ラカンの仕事でもう一点だけ言及しておかねばならないことがある。それはラカンが、フロイトのエディプス・コンプレックスの図式を改変したことだ。大きな変更点を一つだけ記しておくとするなら、去勢を実際の男女に分け隔てなく起こるものとしたことで、日常的な性的差異はより狭まったことである。これは翻ってみれば、理念的な男女の性的差異がより広まったことでもある。以後、理念的な意味での女性を≪女性≫と記すことにする。
先のフロイトの図式では、去勢に怯えるのが男性、去勢を認めて羨望するのが女性というように、ペニスの有無が男女差を生んでいた。もしこの区別がなくなったらどうなるだろうか。
そう、男女の違いは消滅することになる。実際ラカンは「女は存在しない」とまで言い切る。フロイトの図式において、エディプス・コンプレックスを解消してはじめて生まれるのが超自我であった。さらに男児には強い超自我が生まれ、女児には弱い超自我しか生まれないのであった。
この超自我を、ラカン流に象徴界という語に置き換えると、ここに言語という観点が加わることになる。言語とは、構造主義においてはこの世界に存在するための絶対条件であった。であるならば、ここから次のような考え方を導き出すことが可能だろう。象徴界に登録されるか排除されるかは、単に道徳を身に付けるかどうかという問題ではなく、存在できるかどうかを決定付けるものである、と。ここでは象徴界に参入することの意義が圧倒的に高まっているのだ。
実のところ去勢とは、まさにその象徴界に参入する儀式のことを指すのだが、ならば去勢されていない≪女性≫はどうなるのか。(勘違いしないでいただきたい。女性は当然去勢されている。)ラカンの理論では、象徴界に参入してはじめて言語化される――つまり、真の意味で存在することができる。逆にいえば、そこから排除されるものは存在できないことになる。「≪女≫は存在しない」とは、このような意味である。
去勢を終えた主体は、象徴的ファルスをもつことになる。このファルスとは、本来はペニスの意味であるが、ラカンの理論においては特権的なシニフィアンのことを指す。去勢されてからもつペニスとは、定義からして矛盾していると思われるかもしれない。象徴的ファルスとは、絶対に得ることのできない失われてしまった万能感の象徴なのである。この意味においてファルスをもつことは、男であることというよりも人間として存在することを証明している、といえるだろう。
ご覧の通り、非常にラディカルなラカンの理論は、一部の例外をのぞけば多くのフェミニストから悪評を買うことになった。後述するジュディス・バトラーも、ある程度はその延長線上に位置付けられるだろう。
次節では、ここで学んだ精神分析や構造主義が、フーコーやバトラーによってどのように批判されていったのかを見ていこう。
3.フーコー、バトラー
社会学における同性愛研究の古くは、逸脱を個人や集団の状態や行動に内在する性質と捉える研究が主流であった。しかし、六〇年代に登場するレイベリング理論により、逸脱的アイデンティティのラベルを付与される側から、付与する側へと研究の焦点の移行が行われ、今日の構築主義的研究の基礎を築いた。(「構築されるセクシュアリティ」『構築主義とは何か』p192)
前節では一貫して、精神分析を通して同性愛とはどういうものかを論じてきた。だが伊野真一がこう述べる通り、そろそろ私たちも、同性愛がいつ何により集団とされたのか、なぜ同性愛が問題とされるのかを問うべきではないだろうか。
このような視座を獲得するにあたっては、ミシェル・フーコーの功績を抜きにしては語れない。第1節で述べた通りフーコーは、行為から主体へと、同性愛者が19世紀に種族として生み出されていったのだと考えた。ところでこのような主体化はいったい何の為に行われたのであろうか。
一見すると、これは特殊なセクシュアリティを排除することを目的としているように思われる。だがフーコーは、それとは正反対の意見を述べているのである。むしろこれは、セクシュアリティを確固たるものとして存在させるために行われている、というのだ。この論調からも明らかなように、フーコーはセクシュアリティそのものに疑いをかけている。
フーコーの確信は、権力とセクシュアリティとが、いわば共犯関係を結んでいることにあった。
権力と欲望は、絶えず下から立ち昇ってくる野性的で自然的かつ活き活きとしたエネルギーと、上からそれを阻もうとする秩序との間のこのゲームよりは、遥かに複雑で遥かに原初的な仕方によって結びついていると想定する。[・・・]権力の関係は、欲望のある所にすでに存在するはずだ。従って、後から行使される抑圧の中に権力を告発するのは、幻想にすぎない。(『性の歴史T 知への意志』p106-107)
性的欲望は人間に備わった根源的な活力であり、権力はそれを弾圧しているのだ。だから性的欲望は、普段は権力によって秘密にされてしまうが、本当は真実が隠されているかもしれない。我々はえてしてこのような考え方をしてしまいがちである。だが、フーコーによればそれこそが罠なのだ。彼はそのような古い権力像を、「能力において貧しく」、「ほとんどただ「否」と言う力しかもたない」で、「何かを作り出すことは全くできず」に、「本質的に反‐エネルギー」であり、「ただ法の発言と禁忌の機能のみ」(*6)の限定されたものだ、と主張する。一言でいえば、権力を過小評価しているというのだ。
フーコーはその代わりに、性的欲望について語ることを人々に促すような――あるいは語ることそれ自体が権力を発生させていると見なすような――新たな権力像を提示したのだが、その詳細はこのレポートでは触れないでおく。ここで注目すべき点は他にある。
先述した古い権力像は、第2節で紹介した超自我や象徴界といった概念と酷似していないだろうか。超自我とは、自我に禁止を命ずる内面化した父の法であった。この権力は禁止を命じて人間を束縛し、それについて語ることができない状態にする。この権力を打ち砕くには、抑圧された物事を言葉によって思い出せばよい。(つまり語ればよい。)超自我は、まさしくここで言われているような古い権力像と合致するではないか。
これだけでなく、『性の歴史』第一巻には、あちらこちらに精神分析への批判が直接的あるいは間接的になされている。たとえば精神分析の汎性欲主義について、19世紀に女性のヒステリーが大量発生したことについて、エディプス・コンプレックスと婚姻の装置について・・・・・・。順を追って説明していこう。
一般に精神分析は、「何でも性で説明するな」という批判を浴びることが多く、それらを汎性欲主義批判と呼ぶ。しかしフーコーの行った汎性欲主義批判は、それとは大きく論旨が異なる。
フーコーにいわせれば、精神分析は18世紀以来の性を特権化する権力の戦略に見事なまでにはまっているのであり、精神分析の汎性欲説は一面では正しかったが、それは権力の生み出した性的欲望の装置に忠実である限りにおいてである。性を特権化すること自体が権力の術中にはまっている。これがフーコーの行った汎性欲主義批判だ。
だが精神分析の理論は、そもそも神経症の治療を目的としたものであり、臨床経験を通して構築されているのではなかったか。そうだとすれば、なぜ医療技術がセクシュアリティの言説をなぞってしまったのだろうか。
これに答えるために、すこしだけ歴史を振り返っておこう。精神分析のルーツは、19世紀末に行われたフロイトとブロイアーによる「ヒステリー研究」であった。精神分析の原点には、当時多かったとされる女性のヒステリーがあるのだ。フーコーは、この女性のヒステリーこそが18世紀以降、セクシュアリティが特権化されることにより生じた結果なのだという。このような着眼は、精神分析の土台を掘り崩すようなものであるといえよう。
さらに前節で紹介した通り、精神分析はエディプス・コンプレックスを人間の論理的起源に置き、近親相姦の禁止を人間の普遍的原理としたのであるが、フーコーはこのような考え方にも批判を加える。たとえば次の一文の見られる通り。「近親相姦の禁止は、婚姻のシステムと性的欲望の体制とを同時に思考することを可能にするような、そのような絶対的に普遍的な原理として立てられている。」(*7)
同時に思考することを可能にするとは、本来別々に存在していたものを無理やり観念的に結びつけることである。つまりここでフーコーがいわんとしているのは、近親相姦の禁止が近代社会において果たす役割は、婚姻のシステムと性的欲望の間に必然的な関係がさもあるかのように錯覚させることであった、ということである。とするならば、エディプス・コンプレックスとはまさにその論拠として提供された概念であった、といえないだろうか。フーコーの言葉を借りれば、「精神分析は、[・・・]性的欲望を婚姻のシステムの上に重ねて留めるメカニズムである」(*8)と。
このようなフーコーの手法を受け継いだ学者としては、現代ではジュディス・バトラーの名前が筆頭にあげられる。今度は彼女の議論を見ていこう。
バトラーは主著『ジェンダー・トラブル』の中で、レヴィ=ストロースやラカンといった構造主義者に辛辣な批判を加えている。フーコーとさほど変わらない論法を用いていることもあるが、多くの場合、彼女はより内在的に、相手の論理に踏み込んでその内部崩壊を試みている。これらはおそらくジャック・デリダから学んだ手法だろう。
ラカンの理論の中では、第2節で説明した象徴界やファルスといった概念に批判が集中している。
≪象徴界≫の秩序は、≪ファルス≫を「もつ」立場(男の立場)と、≪ファルス≫で「ある」立場(逆説的だが、女の立場)という、相互に排他的な二つの立場によって、文化的な理解可能性を作り出す。(『ジェンダー・トラブル』p92)
ファルスとは、人間として存在するための特権的なシニフィアンであり、象徴界とは、禁止を命ずる言語的秩序であった。さらにファルスをもつ男は存在し、もたない≪女≫は存在しないのであった。だが注意しなくてはならない。ここでの女性の立場とは、レヴィ=ストロースの「女性の交換」を例にとれば分かる通り、象徴界を支えているがゆえに――つまり象徴界にとって重要であるがゆえに――排除されてしまうというものであって、単に必要ないというものではないのである。このような象徴界を批判するには、このような構造的次元は幻想に過ぎない、と主張すれば事足りるのだろうか。
≪象徴界≫はすべからく幻だと措定することによって、この「すべからく」がいつも間にか「不可避に」という意味になってしまい、結果的に文化の安定化に力を貸すようなセクシュアリティの記述を産出してしまう[・・・]。(前掲書p110)
そうではない、というのがバトラーの主張である。それだけでは不十分なのだ。ラカンの理論のもつ普遍的見解は、そのような安易な批判を丸呑みしてしまう力を持っている。ここに見られるような、極限まで突き詰められた男女の性的差異を解体するには、何か別のロジックが必要なのだ。そこでバトラーは、有名なジェンダーのパフォーマティヴィティというアイデアを提示する。
次の一文などが、ジェンダーのパフォーマティヴィティを最も端的に表現している。「ジェンダーとは、身体をくりかえし様式化していくことであり、きわめて厳密な規制的枠組みのなかでくりかえされる一連の行為であって、その行為は、長い年月のあいだに凝固して、実体とか自然な存在という見せかけを生み出していく。」(*9)
なるほど、我々は、日々ジェンダーを再確認しながら生活している。ということは、裏を返せば、ジェンダーは絶対的に固定されているわけではない。例えば自らを「男性」と思い込んでいる男性は、青色のプレートのついたトイレに入ることで自らの男性化を繰り返しているのであり、彼が男性である普遍的証拠があるわけでもないのだ。ジェンダーとは、精神分析が考えているようにペニス――それが実体的なものか象徴的なものかは問わない――の有無という具体的契機を境にして、一生いずれかに決定されてしまうというようなものではない。むしろ単なる行為の反復の積み重ねを、普遍的事実と錯覚してしまっているのであり、そのような見方からすれば、ジェンダーは常に変更可能なのだ。
これがいわゆるジェンダーのパフォーマティヴィティであるが、バトラーは同じ批判を構造的次元にも向ける。
主体は、主体を産出する規則によって決定されるのではない。なぜなら、意味づけは基盤を確立する行為ではなく、反復という規則化されたプロセスであるからだ。(前掲書p255)
象徴界のごとく、けっして姿を表さないが、しかし普遍的に秩序を生み出すとされている基盤も、ジェンダー同様に規則化されたプロセスによって日々確認されているものに過ぎない。それはつねにすでにあるのではなく、反復されることによってあるような気がしているだけだ。たとえそれが言い間違いによってしか顕れる事のない、直接アクセス不可能の領域であったとしても。そのような基盤は、存在感を匂わすことはあっても、いつまでたってもその存在が確証されることはないのである。
これは象徴界の定義そのままであるが、だからこそこの批判は意味をもつ。ラカンの理論に何一つ変更を加えず、意味づけの遂行性を強調することで、象徴界の圧制――そんなものがもしあれば、であるが――から逃れることができるのだ。
このようにして、バトラーは構造主義の乗り越えをはかる。しかしながらこれがきっかけとなって、ラカン派との対立を招くことになる。『偶発性・ヘゲモニー・普遍性』において、バトラーはラカン派であるスラヴォイ・ジジェクと直接論争をしているのだが、ここでは補足説明として、若干であるがその内容を見ていくことにしよう(*10)。
バトラーからジジェクへは、上に見たような、男と≪女≫の性的差異に関するラカン理論への批判がなされた。ラカン派のジジェクは、これに対して真正面からの論駁を試みる。
ジジェクの論旨は明快である。ラカンの理論において性的差異が現実的な対立であるというのは、言語レベルでの静態的な対立ではなく、むしろ言語レベルにけっして解消されない不可能性を含むという意味合いなのだ。だから性的差異は、超越的に固定されているのではなく、絶対に固定されることがない(だからこそ解釈の闘争の地平が開かれるのだ)、という風に読まなければならない(*11)。これがジジェクからバトラーへの反論だ。
確かにこれまで我々は、ラカンの理論における性的差異が、象徴界の中で特権的に固定されているかのように書いてきた。だがジジェクにいわせれば、むしろそれは正反対であり、ラカンの理論における性的差異は、象徴的ではなく現実的な――この現実とは「現実界」の現実のことで、これはカントの物自体のような到達不可能な現実を指す――対立であるという。繰り返しになるが、ジジェクによれば、ラカンは性的差異を固定されたものではなく、永久に固定されない空虚のように捉えていたのである。
しかしここで新たな疑問が浮上する。このような空虚をなぜ性的差異と名付けなくてはならないのか。また、ラカンのいう性的差異は空虚な形式だから(したがって日常で構築されるジェンダーとは無関係だから)永久に無害である、と断定してしまってよいのだろうか。そうではないはずだ。
これについて、バトラーはヘーゲルに言及しつつ次のように述べる。「それが空虚で形式的な構造であるなら、その理由は、それが完全に内容を形式にまで純化することができないからである」(*12)。彼女のいうように、性的差異の現実的な対立もまた、なんらかの内容の残余を残しているとは考えられないだろうか。たとえば権力が生み出した婚姻の装置の名残を・・・・・・。
いずれにしても、性は言説の外部にはないとするフーコーの思想を受け継いだバトラーは、この論争に以下のように結論付けるのである。
見せかけの空虚さのなかにこの起源の前‐社会的な性的差異があるという形質的特質は、ある種の理念化された必然的な二分法を打ちたてる物象化をつうじて、まさに作り上げられていくのである。(前掲書p196)
もちろんこれだけでは、この論争について十分に語り尽くしたとは言い難い。上の結論に対してラカン派は、先程とまったく同じ論理を用いて、そのような「形式的特質の物象化」を行うような基盤が必要になるはずであり、その空虚な基盤のことを現実界と呼んでいるのだ、と反論をすることだって可能である (*13)。事態はもはや水掛け論の様相を呈してきているのだが、無論、筆者の興味は別のところにある。
このような議論はまったく思弁的なものだろうか。思想界の内部で閉ざされていて、けっして生活の場に影響をもたらすことはないのだろうか。筆者が問題視しているのはそこである。バトラーは上記の引用のすぐ後に、この問題に関する興味深い事例をあげている。以下にそれを要約していこう。
フランスでは、ゲイを含む非婚カップルに法的保護を与えようとする施策が出ていたのだが、これに反発する政治主張を唱える集団がいた。彼らの言い分はこうである。「あらゆる文化は性的差異を(その基盤や条件や契機として)前提にしているので、[・・・]もしその法案を通せば、文化そのものの基本的前提と齟齬をきたすことになる。」(*14)
彼らが己の主張を正当化するために持ち出してきたのが、レヴィ=ストロースの文化人類学であったという。さらに悪いことには、現在のラカン派を取りしきるジャック=アラン・ミレールも、この主張に賛同していたという。
バトラーの言によれば、「実際このような主張は成功をおさめ、その結果、フランスの国民議会が最終的にこの法案を通したとき、ゲイやレズビアンの養子縁組の権利ははっきりと否定され」(*15)るという、最悪の結末をむかえることになったそうだ。
さて今一度問いたい。性的差異は現実的な対立というが、そこには本当に内容的次元の残余を残していないのか。どのような変化もその基盤を想定することなしには起こりえないかもしれないが、しかしそれをわざわざ性的差異だと決定することは、セクシュアル・マイノリティの抑圧につながらないのか。思想は思弁的な閉鎖空間の内部に固定されていて、いかなる時でも具体的な社会問題と同一視されない、というなにか根拠でもあるのか。これらの問いの答えが否であれば、先の論争は具体的な意味をもつのである。
いささか私見を述べ過ぎてしまった。事はそれほど簡単ではなく、実のところゲイの結婚承認をめぐっては、両者はより複雑な議論を展開している。たとえばジジェクもこの問題をまったく無視しているわけではないし(*16)、バトラーも承認すべきであると頑なに主張しているわけではない。
フーコーによれば、婚姻制度とは実体化された権力の代表格であった。これをゲイ・ムーヴメントの目標に設定し、権力を巨大化させることで大団円をむかえていいはずがない。かといって結婚することで得られる法的権利は、各国においてたしかに存在するのだ。ここにこの問題の困難さがある。
そこでバトラーは、結婚と法的権利の結びつきを断ち切ることを提案する。「結婚という支配用語を解体して、文化や市民社会レベルでの複合形態の可能性の方を広げるような、国家中心的ではない連帯形態に戻していく」(*17)ことで、このジレンマを解消することができるのではないか、というのである。
ここで発生している問題は、いわゆる構築主義か戦略的本質主義かというこの分野でよく持ち出される対立のヴァリアントでもある。この対立については、次節の最後で再び取り上げることになるだろう。
4.セジウィック――ホモフォビックな近代社会
長くなったが、この第4節が最後である。ここではイヴ・コゾフスキー・セジウィックの理論を、その基本概念を通して紹介していくことにしたい。順にホモソーシャル、ホモセクシュアル・パニック、マイノリティ化/普遍化となっている。
まずはホモソーシャルという概念の解説からはじめよう。これは元々は同性間の社会的絆――特に男性間の絆――を意味する言葉であった。セジウィックはこの言葉を、ホモフォビア(同性愛嫌悪)とミソジニー(女性嫌悪)が近代社会において同時に構造化されていることを暴き出す概念にまで昇華させた。その行為遂行的な効果としては、ゲイとフェミニストとの連帯を促進させることが考えられる。この概念が希少的だったのは、これまで多くの議論が、「男性の同性愛的欲望が根本的もしくは必然的に女性嫌悪と結びつく」(*18)という考えに短絡しがちであったからだ。セジウィックはこの俗説を否定し、正反対の理論を構築するのである。
彼女はゲイル・ルービンやリュス・イリガライを通じて、レヴィ=ストロースの「女性の交換」を批判的に継承した。「女性の交換」とは、男性から男性へと女性が交換されることによって、社会構造が維持されるというものである。セジウィックによれば、ここから二つの価値観が発生する。
一つ目の価値観はホモフォビアである。「女性の交換」により生まれた関係性とは、何よりも女性を介在させた男同士の絆である。そこでこの関係を維持するためには、女性を介在させない男同士の関係が邪魔になってくる。これにより男性同性愛が抑圧され、人々のホモフォビアが生まれたというのである。これがホモフォビアの理論的な起源である。
二つ目の価値観はミソジニーである。「女性の交換」により生まれる社会構造は、必然的に家父長制の存続につながる。なぜなら「女性の交換」という図式では、女性は男性間のジョイントになる。女性をジョイントとしての役割に貶めることで、男性は家父長制を維持しているのである。これがミソジニーの理論的な起源である。
したがって我々の暮らす社会は、ホモフォビアとミソジニーを共有することで成り立っているのだ、とセジウィックは結論づける。ところで、この価値観とホモソーシャルとはどういう関係にあるのだろうか。
先に記した通り、ホモソーシャルとは同性間の絆一般を意味するのである。よってそこには性的な絆も非性的な絆も含まれている。このことに注意しつつ、以下のことを考えてみよう。
近代社会において、男性と女性、どちらがよりホモソーシャルとホモセクシュアルの対立が激しいのか。もう少し具体的にいうなら、同性同士で仲良くしているとき、それがホモセクシュアルだと指摘されて嫌な顔をするのは、男性と女性どちらだろうか。セジウィックによれば、答えは男性である。「私たちの社会では、女性のホモソーシャルな欲望は比較的なめらかな連続体をなしているのに対して、男性の場合、性的絆は非性的絆から完全に断ち切られている」(*19)からである。とはいえこれを実証するには、残念ながら各自の実感に頼るしかないため、深く立ち入るのはやめておこう。ここで指摘したかったのは以下のことである。
もしこの仮説が正しければ、まさしくそれは「女性の交換」によりホモフォビアが形成されたからではないだろうか。言い換えれば近代社会において、男性におけるホモソーシャルとホモセクシュアルの対立と、ホモフォビアが社会的に広く共有されていることは、同根の原因をもつのではないだろうか。おそらくセジウィックは、そのように考えているのである。
ひとつ断っておくが、これらは何も共時的なシステムではなく、18世紀以降に生まれた特定の時代における社会的感情に過ぎない。第1節で扱った『饗宴』の内容を思い起こせばそのことが納得できよう。当時はむしろ、男性のホモソーシャルとホモセクシュアルが積極的に結びついており、まさにそのことによって家父長制が維持されていたのである。簡単にいえば、古代ギリシアにおいては、ホモフォビアはなかったがミソジニーはあったということだ。ホモソーシャリティの在りようが時代によって異なることは、ここからも明らかだろう。
それでは次に、ホモセクシュアル・パニックという用語の説明に移りたい。とはいっても、いきなり全く別の議論をするわけではない。実はこれまで説明してきた近代におけるホモソーシャルな結束と、このホモセクシュアル・パニックという現象は深く関係しているのである。
まずは語源を明らかにしておこう。これは元々、ゲイをバッシングした人物を弁護するために用いられる一種の方便であった。ある人物が、ゲイに暴力をふるった罪で裁判にかけられたとする。そのとき弁護側が、「彼は突然ゲイに性的に接近されたことで、一時的な心神喪失に陥ったのであり、責任能力がなかったのだ」と主張するのが、一つの紋切り型として定着していた。(しかもそれは、医学用語として扱われていた。)ホモセクシュアル・パニックとはこの紋切り型であり、ゲイ・バッシングの正当化に用いられる弁護戦略だったのである。
セジウィックは、この弁護戦略から一つの前提を引き出した。ゲイをバッシングする人物が、かくも容易に心神喪失に陥るということは、その人物の性的アイデンティティが不確かであったことを示している、というのである。実際、仮に性的に言い寄られたのが事実だったとしても、もし彼がみずからを完璧な異性愛者であると位置付けていたなら、パニックなど起こらなかったはずではないか。
ここからさらに敷衍してみよう。同性愛者か異性愛者かの境界はいかにして画定されるのだろうか。答えはこうだ。いかなる要因によっても画定されていない。同性愛者か異性愛者かを示す、目に見える烙印は存在しない。結局のところ、同性愛者と異性愛者を隔てる本質的区分などないのである。加えてここで、ホモフォビアとミソジニーに特徴付けられる近代社会では、異性愛男性のみが優位に立つ権利を有していることを思い出そう。とするならば、以下のようなことが考えられる。
近代社会においては、ゲイと自認した男性を除けば、あらゆる男性がみずからを「同性愛者ではない」と位置付けて、異性愛者だと承認されるために、強迫的なまでの努力を続けることになる。大半の男性にとっての近代社会とは、周囲に異性愛者と認められるための闘争の場に他ならない。
ひとたびこの仮説を受け入れたならば、先に登場した、ゲイに暴力をふるった人物の心境も理解しやすくなる。彼は自分がゲイだと見なされることを怖れるあまり、暴力をふるってしまったのではあるまいか。ゲイだと見なされて、異性愛男性としての特権を喪失することを怖れるあまりに・・・・・・。
まとめよう。ホモセクシュアル・パニックとは、ホモフォビアが構造化された近代の男性に特徴的な現象であり、男性が、同性愛者と見なされるかもしれないと不安になることを指す。これは男性のホモソーシャルな関係が生んだ、ひとつの悲劇的な現象であるといえるだろう。
セジウィックによれば、ホモセクシュアル・パニックは19世紀初頭のロマン主義以降の現象であるという。先にホモフォビアが構造化されたのは18世紀からだと述べたが、それより1世紀ほど遅れていることを不思議に思うかもしれない。これはセジウィックが、西欧の文学作品の分析を通じて立てた指標である。
このような現象を知ることで、我々は次の段階に進むことができる。具体的には、このような問いをたてることができるだろう。現代人がすでに同性愛を幻想として共有しているのならば、ゲイ・ムーヴメントがこれまでとってきたカミング・アウトの戦略は、はたして本当に効果的だったのだろうか。
セジウィックは、『クローゼットの認識論』のなかでこの問題を精緻に分析している。すでに明らかになったことをもう一度確認しておこう。近代の家父長的社会に巣食っているのは、同性愛者と見なされるかもしれないという不安である。しかし中世においては、これは問題にならなかった。なにより同性愛者という主体が存在していなかったからである。ならば近代においてホモセクシュアル・パニックが起こるのは、意地悪くいえば、同性愛者の存在が幻想として広がっていることに起因している、といえないだろうか。
公然の秘密という言葉がある。これは秘密が秘密のまま、人々の間で知れ渡っていくことで、周知の事実であるにもかかわらず、それが公的な場面ではあたかも知られていないかのように振舞われることを意味する。
ゲイ・ムーヴメントにおけるカミング・アウトの効果とは、同性愛が公的には存在しないとされ、異性愛が偏重されている社会空間に対して、存在そのものを公言することで異議申し立てすることである。セジウィックの言葉を借りれば、「それは権力を伴う無知を、無知として暴くことができる」(*20)のである。
しかし、もし同性愛者の存在が、公然の秘密として扱われているとしたらどうであろうか。言い換えるなら、同性愛者はクローゼットに押し込められており、公にはされないがきっといるはずだ、という幻想を過剰なまでに人々が抱いているとしたらどうであろうか。セジウィックは、カミング・アウトのもつある程度の効果を認めつつも、その実践力には難色を示している。「すでに制度化された無知を劇的に表示することには、いかなる変換の可能性も見出し得ないのである。」(*21)
同性愛を問題化するだけでは何の意味もない。なぜならすでに問題となり、パニックすら巻き起こしているからである。セジウィックは、この問題に関して以下のように結論付けている。
近代のクローゼットの制度を構成し、制度に構成されるようなクローゼットの一つひとつの中に一人のホモセクシュアルな男性が隠れていると仮定すべきではないことを、私たちはもう知っていてもいいはずだ。[・・・]ホモセクシュアルの問題(という設定の仕方)こそが、クローゼットを構成しまたそれを食い物にするエネルギーを画定し続けるものなのである。(『クローゼットの認識論』p354)
このように、カミング・アウトのもつ絶対的な効果を否定するならば、他にどのような戦略が考えられるのだろうか。最後のテーマは戦略である。先に打ち明けてしまうと、セジウィックは、この運動における決定的な戦略というものを提示していない。むしろそのような決定的な戦略がないことを明らかにしている、といった方が正解だろう。
ここで取り上げるマイノリティ化/普遍化という言葉は、彼女の造語である。これはこの分野で用いられる様々な概念を、実践での使いやすさを見越して、大きく二つの傾向にまとめるために提出された言葉だ。ひとまずここで本質主義/構築主義、ジェンダー/セクシュアリティといった用語の持つ意味をおさらいしてみよう。
本質主義とは、あるカテゴリーが自然的普遍的に存在すると見なす考え方であり、構築主義とは、あらゆるカテゴリーが歴史的に社会的に生み出されたものに過ぎないと見なす考え方である。このように一言でまとめても、なんだか分かり難いものになってしまう。ならば、カテゴリーの部分を同性愛者という言葉で置き換えてみれば、多少は理解しやすくなるだろうか。
同性愛者が自然的普遍的に存在すると見なすのが本質主義であり、構築主義は、こういったカテゴリーが全て歴史的に生み出されたものに過ぎないと見なす考え方である。一例をあげるなら、同性愛者は19世紀に誕生したとするフーコーは、構築主義に属することになる。
ジェンダー/セクシュアリティについては説明するまでもないだろう。ジェンダーとは生物学的な性差とは異なり、社会的ないし文化的な性差を表す。一方のセクシュアリティとは、性をそのような固定された性差から見るのでなく、行為や性欲に関する現象として見る概念である。
ジェンダーは、その概念自体は歴史的に仮講されたものだとしても、実質上は生まれた時から各主体に強制的に割り当てられており、ほとんど不変であるといってよい。一方のセクシュアリティは、どの行為が性的であるかの判別の難しさから、より可変的であり、さらには行為という観点からみれば、昨日まで異性としかセックスをしたことがない人も明日には同性とセックスするかもしれないのだから、固定されたアイデンティティが生まれ難い。
本質主義/構築主義、ジェンダー/セクシュアリティといった用語については、以上のようにおおよそまとめられるだろう。
ではマイノリティ化/普遍化とは何であるか。先述した通り、それはまさに、これらの対立を一挙にまとめあげるために生まれた言葉である。今挙げた概念でいえば、マイノリティ化に本質主義とジェンダーが包含され、普遍化に構築主義とセクシュアリティが包含される。
マイノリティ化とは、ある集団が本当に実在すると見なすことにより、集団ごとの分離を推し進めることである。他方の普遍化とは、ある集団の実在を疑うことで、別の集団との統合を推し進めることである。具体例を挙げよう。
HIVをさもゲイ特有の病気であるかのように伝える言説に対しては、どちらの見解がより有効だろうか。ゲイという集団が最も感染率が高いのだから、ゲイというリスク・グループを隔離すればその他の集団は安心である、とする言説に対して、どう反論すべきなのだろうか。
この場合は、普遍化の見解の方が都合がよさそうだ。HIVは行為によって感染するのだから、行為という観点から規制がなされなければならない。また行為をおこなうという意味では、同性愛者も異性愛者も違いはない。であるから、コンドームの使用というセーファー・セックスを広めることが第一であろう。普遍化の見解を用いれば、このように反駁することができる。
しかし普遍化の見解が万能かといえば、そうではない。次にキリスト教や衛生学に対抗する場合を考えてみよう。
ゲイまたはゲイになりそうな子供がいたとする。彼らは「同性愛者など存在すべきでない」だとか、「同性愛者は劣等種であり、治療すべきである」という言説を日々浴びせられている。この場合は、残念ながら普遍化の見解を用いても効果は低く、逆にマイノリティ化の見解の方が有効なのである。彼らに向けて、「ゲイという集団が確固として存在し、独立したアイデンティティがあるのだ」と主張することは、強い支えになるであろう。
以上に見られる通り、普遍化/マイノリティ化とは、二つのまったく異なった考え方であり、そのどちらも万能ではない。運動というレベルでいうなら、普遍化はゲイ/レズビアンその他の集団の統合を推進するし、マイノリティ化はそれらの分離を推進することになる。この点では、エスニック・スタディーズでいうところの同化/分離に近いといえるだろう。
ここで一つの疑問が生じる。なぜこのように矛盾した見解が野放しになっているのか。セジウィックは、これについて明確な答えを述べているわけではないが、次のようなことを言いかけている。実は、近代とはこのように一貫していない互いに矛盾した言説が構造化されている社会なのであり、そのような矛盾を巧みに利用することで秩序は形成されているのである、と(*22)。
この答えが正しいならば、ゲイ・ムーヴメントがとるべき戦略も、当然一貫性のない、ケース・バイ・ケースのものになっていくしかないだろう。元々そのような矛盾を抱えて抑圧的な制度が生み出されている以上は。
普遍化/マイノリティ化という概念は、このような結論を導くものであったと筆者は考えている。もしセジウィックのいうように、構築主義もまた万能ではないとするなら、我々はもはや戦略的本質主義のみならず、戦略的構築主義も打ち出さねばならない段階にきているのかもしれない。
●注釈
(*1)これについては、『クローゼットの認識論』p267でセジウィックがアラン・ブレイの研究に言及しつつ論じている。
(*2)ゲイル・ルービン「性を考える」『現代思想』p112参照
(*3)ジョン・デミリオ「資本主義とゲイ・アイデンティティ」『現代思想』参照
(*4)『エロス論集』p345
(*5)前掲書p326
(*6)前掲書p111
(*7)前掲書p164、ただし傍点は筆者による
(*8)前掲書p165-166
(*9)前掲書p72
(*10)同書はジュディス・バトラー、エルネスト・ラクラウ、スラヴォイ・ジジェクの共著であり、各々が三回ずつ論文を書いて、互いに批判をぶつけあう形になっている。ここで取り上げたのは、ジジェクの一回目とバトラーの二回目である。
(*11)たとえば前掲書p149の次の部分。「ラカンにとって性的差異とは、象徴記号の「静態的な」対立と包摂/排除(異性愛規範が同性愛その他の「倒錯」と二次的な役割へと貶める)のかっちりとした組み合わせではない。[・・・]性的差異を記号の対立に翻訳しようとしてもけっしてうまくはいかず、「性的差異」がなにを意味するかをめぐるヘゲモニー闘争の地平を開くのは、まさにこの「不可能性」である。」
(*12)前掲書p195
(*13)実際のジジェクの再反論については、前掲書p407以降を参照
(*14)前掲書p197
(*15)前掲書p197-198
(*16)この問題に関するジジェクの見解については、同書のp411以降を参照
(*17)前掲書p238
(*18)『男同士の絆』p30
(*19)前掲書p35
(*20)『クローゼットの認識論』p110
(*21)前掲書p110
(*22)前掲書p121,127参照
●参考文献
イヴ・K・セジウィック『男同士の絆』(名古屋大学出版会、2001)
イヴ・K・セジウィック『クローゼットの認識論』(青土社、1999)
伊野真一「構築されるセクシュアリティ ――クィア理論と構築主義」『構築主義とは何か』(勁草書房、2001)
キース・ヴィンセント、風間孝、河口和也『ゲイ・スタディーズ』(青土社、1997)
ゲイル・ルービン「性を考える」『現代思想』(青土社、1997)
ジークムント・フロイト『エロス論集』(筑摩書房、1997)
ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル』(青土社、1999)
ジュディス・バトラー、エルネスト・ラクラウ、スラヴォイ・ジジェク『偶発性・ヘゲモニー・普遍性』(青土社、2002)
ジョン・デミリオ「資本主義とゲイ・アイデンティティ」『現代思想』(青土社、1997)
田崎秀明「セックスの何が問題なのか」『現代思想』(青土社、1997)
テレサ・デ・ローレティス「フロイト、セクシュアリティ、倒錯」『現代思想』(青土社、1997)
原和之『ラカン哲学空間のエクソダス』(講談社、2002)
福原泰平『ラカン 鏡像段階』(講談社、1998)
プラトン『饗宴』(岩波書店、1952)
ミシェル・フーコー『性の歴史T 知への意志』
(新潮社、1986)