小熊研究会1  最終レポート  2003年 春学期

総合政策学部 4年 70001539 宇佐美 智也

日本社会における「在日」

 

1、はじめに

アメリカ社会には黒人、ヒスパニック、アジア系移民、ネイティブ・アメリカなどさまざまなマイノリティにおける他文化教育が実践されている。アメリカではマイノリティの教科書にはこうした人たちが中心となって登場している。アメリカはこうした他文化を息づかせていくことがアメリカ流の考え方である。

これに対して日本はどうであろうか。日本国内では南米やアジアの諸国からの労働者も増加している傾向が見られる。法務省の調べでは在日外国人は96年の時点で140万人を超えたと言われる。その中でも在日コリアンは65万7000人にも及ぶ。その大多数は日本語が上手でなおかつ、たいていは日本名を名乗っている。そのため在日コリアンの存在は不透明になっている。この不透明な在日コリアンの日本社会における偏見や差別をみていく。そこには日本社会への「同化」と「分離」という大きな問題点があり、その中でも在日の女性においては複合的な差別も存在する。こうした問題に一番大きく関わってくることは在日というものの日本社会における歴史的な背景がある。戦後の在日1世から在日の変遷を見ていきながら在日の日本社会での生き方をみていく。

 

 

2、在日にとっての社会運動

 ここでは在日の社会運動の様子をみていく。

もともと植民地時代より在日コリアンは社会のピラミッドの最底辺に位置されていた。現在においても日本人とはコミュニケーションできないものとして在日は、就職や教育などさまざまな面で差別され偏見の目で見られている。さらに韓国や北朝鮮のイメージが付加され在日のイメージの再構築が起きる。こうした差別と偏見に対する社会運動が起こる。

こうした差別撤廃への社会運動がはっきりと起こるのは1970年代から80年代の在日2世、3世の世代に起こる。特にこの在日の社会運動の中で最も顕著な事例が諮問押捺問題である。外国人登録法によって1年以上日本に在留する16歳以上の外国人は、外国人登録にあたって指紋をとることを義務としていた。こうした諮問押捺に対して1980年ごろから反発の声があがり始めた。日本人には犯罪者にだけ強制されるような諮問押捺を全ての在日外国人に強制することは民族差別であり人権侵害にあたると考えたのであった。こうした拒否者は1980年から5年間で100人を超えるようになってきた。こうした状況の中で諮問押捺は外国人に対して人権侵害にあたるという世論が広がった。こうした運動の結果、1999年3月の外国人登録法の改正によって全面的に廃止された。こうしたことが差異と平等との試みを行ったことの一つであった。

その他にも日立就職差別問題などもあげられる。いったん日立という日本の中での大企業に就職の内定を受けながら、国籍が日本でないというそれだけの理由で内定が一方的に取り消されたケースがあげられる。この裁判は4年間にわたって続けられ日本企業の民族差別の意識が明らかになった。また司法修習所への入所拒否の場合である。日本の司法修習所入所のためには日本人でなくてはならなかった。そのため日本人への帰化を強制させられたのであった。これに対して裁判が行われた。最高裁の最終判断は修習生の欠格理由「日本国籍を有しないもの(最高裁判所が相当と認めた場合を除く)」にあてはめられることとなった。この場合は「最高裁判所が相当と認めた場合を除く」という例外事項が簡単に加わった。他にも公共住宅の入居資格を求めたものや児童手当の支給を求めたものがあった。

だがこうした運動が全ての在日コリアンや民族団体から理解され支持されたわけではなかった。こうした運動には在日韓国・朝鮮人の団体からは大きな批判の声があがり既存の民族団体からは強い警戒論が叫ばれたのであった。その大半は「こうした社会運動が在日の日本社会への『同化』につながるのではないか」というものであった。在日コリアンの2世、3世が日本人社会への同化をしてしまうことを危惧することで在日コリアンとしての将来を危惧するものであった。

ここに見られるのは在日2世、3世が日本人との平等性を求めるあまり、日本人との差異を欠落させ日本人化してしまうことの在日1世の根強い警戒心である。1世にはかつて植民地化時代において創氏改名に応じて皇国国民化していくということで日本人と同じ権利を獲得したという苦い過去があった。ここに差異と同化という複雑な関係が存在するのである。

「差別を克服し、民族や国籍をこえた平等な社会を実現すること」と「在日コリアンとしての民族的異質性を維持して、民族的に生きていくこと」という二つの命題に答えていかなくてはいけないのであった。

 

 

 

3、1世、2世の在日のアイデンティティ

在日1世のコリアンは、祖国から移民としてやってきた彼らは、「ディアスポラ」として日本で差別と迫害を受けることで、祖国への思いを強め、コリアンとしての集合的アイデンティティを形成していった。つまり日本社会において分離した存在を目指そうとしていた。在日2世のコリアンは朝鮮総連という組織の中で自己のアイデンティティを政治的な位置におかれる。その結果として1世と同様の集団的アイデンティティのなかにとらわれるようになった。

朝鮮総連などが危惧していた在日外国人に対する参政権を付与させようという問題の本質は、この1世の在日としてのアイデンティティに共通する部分がある。つまり参政権を得ることのなかに祖国から離れて日本社会で権利を得ようとするところにその本質が存在する。日本での参政権の獲得は在日コリアンの同化さらに民族性の喪失をもたらすものであるとされる。

 こうした1世、2世のアイデンティティの志向は、共生志向や祖国志向をもっている。共生志向の在日コリアンは、日本社会への愛着度高くて、抑圧された朝鮮民族の歴史に強い興味を示す傾向が強い。日本社会での就職や教育の面、さらには政治的な面での差別などを無くしつつ、日本人と在日との境界線の明確となった社会の実現を目指している。基本的には日本社会と共に生きるということを目標としている。その結果として在日としてのアイデンティティの確立を目指しているのである。それに対して祖国志向の在日コリアンは、日本社会への愛着度は低いが、抑圧された朝鮮民族の歴史に関しては強い興味を示す傾向にある。朝鮮半島の発展と統一に対し貢献することを課題としている人が多く、朝鮮総連系の民族学校に通ってその子は、祖国の歴史・言語・文化を学ぶ。その結果として朝鮮民族としてのアイデンティティが確立を目指している。こうした志向をもった人たちは、日本人との交流はほとんどもとうとしない。

 

 

4、3世、4世の在日のアイデンティティ

今の若い世代の在日コリアンの行き方は、非常に複雑になっている。彼らのなかには民族名を名乗って民族的に生きていくことを選択していくものもいれば、日本人と結婚して出来た子供に対して二つのルーツを大切にしてダブルネームをつけるものもいる一方、日本社会の中での同化に向かう傾向を受けながら、何らかのエスニックシンボルにこだわる人もいる。次の表は名前に関しての統計である。

 

 

在日コリアン日本名と民族名どちらを名乗るか

 

29歳以下

30

40

50

60歳以上

いつも民族名を名乗る

7.0%

5.5%

5.4%

4.7%

13.2%

大体は民族名を名乗る

14.0%

10.9%

1.8%

2.3%

19.1%

ときに民族名を名乗る

23.3%

18.2%

30.4%

46.5%

20.6%

いつも日本名を名乗る

55.8%

63.6%

60.7%

44.2%

44.1%

無回答

-

1.8%

1.8%

2.3%

2.9%

「<在日>という生き方」朴一  P23の表より。

 

上の表を見ても分かるように20代、30代の3世、4世の在日が民族名を名乗らなくなったともいえない。国籍は日本でも名前は民族名である者や、名前は日本名であったとしても、言葉や文化は民族を志向する者も少なくはない。

実際に彼らの生き方は上記のような共生志向と祖国志向だけでなく個人志向と帰化志向も存在する。帰化志向の強い在日コリアンは、日本社会への愛着がとても強い。上の表でも日本名を名乗っているパターンである。過去における朝鮮民族の歴史に関する興味もそれほど持ち合わせない人々が多い。帰化することによって、差別を味わうこともなく生活できると信じている。自分の国は朝鮮半島ではなく日本であると考えている場合が多い。朝鮮に関する歴史の認識も日本人に近く一番日本人に近いタイプの在日であるといえる。それに対して

個人志向の強い在日コリアンは、日本社会への愛着も弱い。また過去における朝鮮民族の歴史に関する興味もそれほど持ち合わせていない。彼らの本質は、自己の確立、個人的成功を目標である。自分たちの能力に自信を持っており、海外経験や、日本での上昇移動によって自分たちを取り巻く環境を変化させようとしており完全な個人主義の立場をとるタイプの在日である。

 こうした在日コリアンの新しい世代は、同化と異化あるいは在日と祖国という間で揺れ動く可変性のあるものの中で存在しているとみなすことができるだろう。こうした日本文化にも朝鮮文化にも属さない国境を越えたディアスポラというべき可変性の中に独自のエスニック・グループとしての新しい生き方をみていくことができる。

 

 

 

5、在日女性にとっての結婚

1世、2世の時代の在日女性にとって結婚は民族性の継承としての側面が強かった。娘を朝鮮人と結婚させることが母親の役割であるとする傾向もみられた。マイノリティである在日がいかにして個として社会で生き残るためには在日どうしの結婚が基本であるとされていた。ここに日本社会への同化への抵抗が見られた。また同時に家族を唯一で無二の絶対的な共同体とみなす傾向も強かった。そのため無批判で朝鮮文化や伝統を継承しようとする。なぜなら自分達が在日で差別されてきた事により一層、自己の民族性アイデンティティを認識し重んじようとした。民族の継承という意味では結婚の相手は日本人よりは在日のコリアンの方が適当であるとされた。

実際に選択肢がマジョリティに比べて、少ししか与えられていないのがマイノリティ女性には与えられていない。そこで感じる孤立感や疎外感が、マイノリティ女性たちをマジョリティ女性たち以上にロマンティック・ラブ・イデオロギー≠ノ駆り立てる。結婚願望が強くなってしまう。ここで結婚に追い込む文化と結婚願望が強くなる。

また在日女性にとって結婚は生活婚という意味合いも含んでいる。家族、夫婦というものを近代家族の基礎単位にしているため結婚していない人たちにとって不利な社会が形成されてしまう。要因は日本社会の家族構造にも起因する。家庭において男女というものが補い合って生きていかなくてはならないと教え込まれる。結果として結婚の必然化、誰もが結婚しなければいけないと思い込む。在日女性の結婚の根本にあるのは生存の戦略であるといえる。

在日女性にとって結婚することは当然のことであるとされた。結婚に関してはこうした外圧的要因もみられる。在日女性に強力にのしかかるフツーという圧力。ここに女は結婚して子供を産んで家族の世話をすることが絶対的な価値観である。よって未婚の女、非婚を貫く女、離婚をした女、結婚をしないで子供を産んだ女、レズビアンの女は制裁を受ける。日本社会の在日への排除への論理には強く異議申し立てをしながら自らは内面化された排除の装置に対して知らぬ存ぜぬを決め込んでいる欺瞞が見受けられる。

 こうした結婚の傾向は以下の表をみると在日女性の結婚というものがどのようなものかわかる。

 

 

在日コリアンの世代別婚姻傾向

 

29歳以下

30代

40代

50代

60歳以上

未婚

57.0%

16.4%

17.9%

2.3%

5.9%

同族結婚

11.6%

25.5%

28.6%

60.5%

66.2%

日本人と結婚

27.9%

58.2%

44.6%

25.6%

8.8%

その他

3.5%

-

7.1%

7.0%

17.6%

無回答

-

-

1.8%

4.7%

1.5%

「<在日>という生き方」朴一  P22の表より。

 

在日の結婚状況

 

婚姻件数

同胞間婚姻

外国人との婚姻

日本人との婚姻

その他の  

外国人

婚姻数

構成

合計

1955

1102

737

66.9%

33.1%

22.0%

8.5%

30.5%

2.6%

1965

5693

3681

64.7%

35.3%

19.4%

14.8%

34.6%

0.7%

1975

7249

3618

49.4%

50.1%

21.4%

27.5%

48.9%

1.2%

1985

8588

2404

28.0%

72.0%

29.4%

42.5%

71.6%

0.4%

1987

9088

2270

25.0%

75.0%

26.0%

48.5%

74.5%

0.5%

1990

13934

2195

15.8%

84.2%

19.5%

64.2%

83.7%

0.5%

1991

11697

1961

16.8%

83.2%

22.8%

59.7%

82.5%

0.7%

1992

10242

1805

17.6%

82.4%

27.4%

54.1%

81.5%

0.9%

1993

9700

1781

18.4%

81.6%

28.5%

52.2%

80.7%

0.9%

1994

9228

1616

17.5%

82.5%

29.1%

52.6%

81.7%

0.8%

1995

8953

1485

16.6%

83.4%

31.7%

50.5%

82.2%

1.2%

1996

8804

1438

16.3%

83.7%

31.8%

50.7%

82.5%

1.2%

1997

8504

1269

14.9%

85.1%

31.3%

52.7%

84.0%

1.1%

1998

9172

1279

13.9%

86.1%

28.7%

56.1%

84.8%

1.3%

1999

9573

1220

12.7%

87.3%

26.1%

60.1%

86.2%

1.1%

 

在日本大韓民国民団 http://www.mindan.org/ より引用。

 

 

6、在日社会における家族というもの

在日文学と言うもののなかには「荒れるアボジ」と「耐えるオモニ」をモチーフにしているものが多く見られる。在日の封建的家父長制家族が多く男の視点から描かれている。「在日」社会の内部では負の文化も含めて自らが保持してきたものを一層守り固めることでアイデンティティを獲得してきたといえる。在日韓国・朝鮮人社会では、朝鮮半島の伝統文化を維持することによって、同族の絆を強め、アイデンティティを確立させてきた。しかしそれは同時に、女性にとって抑圧的な儒教的要素の色濃く残る家父長制的慣習をも引き継ぐことであった。「荒れるアボジ()」と「耐えるオモニ()」が絶対化された在日家族の原風景として語り継がれてきた。在日韓国・朝鮮人女性は同族社会の外からも、そして内からも受ける差別に耐えなければならなかった。

そもそも日本の排外主義のために家族というものを互助機能として生きていくしかなかった。つまり日本社会の差別構造が在日を家族制度のしがらみの中においやった。結果として在日は家族を神聖化、ロマン化、絶対化しやすい環境にある。日本社会との同化する圧力と対抗するために朝鮮文化・伝統・習慣を無批判で踏襲するしかない。マジョリティはマイノリティに対してアイデンティティを問いつづけてきた。結果として自分の属している共同体の文化、慣習、伝統といったものに目を向けなくてはいけなくなる。こうした日常的な在日に対しての日本人によるまなざしによって自分と日本人との間にある線引きを内面化していく。日本社会の排外主義ゆえに、「在日」は家族を互助機能として生きてこざるをえなかった。家族を神聖化、ロマン化、絶対化しやすい環境にあり、封建的家父長制家族がそこにあった。性差別的な朝鮮文化を無批判に継承させてしまうような力学が日本社会のなかにある。この結果、本来なすべき家族の相対化というものが非常に困難なものになる。

前近代的な家族制度が在日1世の女性には重くのしかかっていた。女に対してあからさまに暴力をふるい、女を子産みの道具とみなし、社会的な無権利状態にして家事や育児を家族に押し付けるようとした。ここには朝鮮の儒教的側面も見られる。外(日本社会)で受けた差別の屈辱をそのまま内(家庭)で弱者(女子ども)に向けて吐き出す夫あるいは父と呼ばれるものたち。在日社会の「女」と「男」の原型がこうした封建的な家父長制家族に源泉を持ち内面化してしまっている。なぜなら稼ぎ手である男は日本社会の差別を真正面から受け、唯一男として覇権をふるえる家族の上に君臨する。結婚以外の生き方の選択肢は無きに等しい時代には、女にとって結婚は「宿命」であったし、その破綻を意味する離婚がタブーであったことは容易に想像がつく。

また日本社会というものが家族を単位にして出来上がっていることもこうしたことの要因にもなっている。行政、立法、企業活動、人々の意識など。具体的には税制、社会保障制度、戸籍制度などに家族がワンセットとして考えられている。すべてにおいて家族単位でなされている。

 それに対して2世、3世の女性ではどうであるか。1世は日本社会の底辺に位置しており親族共同体の互助機能をしていかなくてはならなかった。そこには性差別が存在していても必要悪としてとらえられていた。2世・3世の世代になってただ生き延びるだけではない以上のことが問題となってきた。教育を受けてからこれまでと違った視点で物事を考えるようになり自分の位置を相対化できるようになった。「生きる」という視点から「質」という視点に変化した。

結果として日本社会だけでなく、共同体の男性に対する怒り、母親に対する憤りが生まれてきた。高い離婚率へとつながっていく。

 

 

7、在日女性にとっての離婚

在日二世、三世の時代になってやっと離婚が一般化する。最近においてさらに在日同士の離婚の増加。女観と男観を不問に付した関係性というものが破綻をきたし始めた。現在の3世、4世の時代になって一方が忍従する事で耐えてきていたものが関係性の破綻という事で顕在化することができるようになった。ここでは離婚という発想が生まれてきた事が進歩であると言える。

在日社会での離婚で記すべき点はその離婚率にある。日本人男性と在日女性 は6割強にも及ぶ。日本人女性と在日男性では3割強にもなる。それに対して

在日同士の婚姻1269件に対して離婚は938件。およそ75%が離婚してしまう。離婚するとたいていは母子家族に陥る。結果として民族、国籍と女性という二重の差別を受ける。失業の増加、自殺は日本人の1、5倍にもなる。

ただし離婚したからといって解決されない。経済的に自立できないがゆえに結婚した女たちが離婚しても一人では生活できないという根本的な問題を解決できない。離婚の調査では女性は生活水準が7割ダウン、男性は4割アップすると言われている。この結果、女性の貧困化はますます進行していく。日本社会の中で男の賃金100円に対して女の賃金は60円である。これは正社員で在日はほとんど正社員にはなれない。パートやアルバイト女性は平均50円になる。在日女性の場合であるとそれ以下。この金では生活できない。生活できないことは自立できない、もしくは男にすがって生きていくしかない。よって自己の意思表明ができなくなる。介護問題も付与されている。誰が介護するのかが問題となる。離婚した女性に対して保護する制度が存在しない。なぜなら日本国民でないところから制度的保護の枠から外れている。結果として家族と言う共同体から外れた在日の女性たちは二重、三重の困難にぶつかることになる。よって離婚は在日女性の解放につながるとは言えない。

在日朝鮮人の職業状況

 

就業者

医療保険技術者

4380

2521

1859

販売従事者

33562

25652

7910

技術者

2469

2298

171

農林漁業

785

615

170

教員

2382

1412

970

漁業

106

74

32

芸術家・芸能

1302

639

663

採鉱・採石

97

94

3

文芸家

200

143

57

運輸

8726

8585

141

記者

178

146

32

技能工

31101

28831

2270

科学研究者

476

406

70

一般労働者

2882

2458

424

宗教家

1002

661

341

サービス業

11605

7305

4300

その他の専門家技術

1979

1259

720

有職者合計

173008

136127

36881

管理適職業種

17770

15259

2511

無職

462611

168594

294017

事務従事者

51592

37423

14169

不詳

929

711

218

貿易従事者

414

346

68

総数

636548

305432

331116

在日本大韓民国民団 http://www.mindan.org/ より引用。

 

以上の表を見るといかに在日女性が生きていくことが二世、三世の時代になるとただ生き延びるだけではダメであるということがわかってきた。精神的なサポートは整備されつつある。離婚というものの世間的な風当たりが昔よりずっとよくなった。だが資本主義国家で生きるためにはハード面でのバックアップが必要不可欠になってくる。それがなければ家庭の中の主婦としてずっと生きてきた在日女性にとって困難なものとなる。

 

 

在日コリアンの婚姻と離婚の傾向

 

婚姻数

離婚数

離婚数÷婚姻数

総数(括弧内は日本人国籍者とのもの)

9830

8665

8817

3836

89.69%

夫婦とも韓国朝鮮籍

1019

1067

95.50%

一方が韓国朝鮮籍

8811

8865

3875

3836

43.98%

夫が韓国朝鮮籍

2555

2477

1207

1184

47.24%

妻が韓国朝鮮籍

6256

6188

2668

2652

42.65%

在日本韓国YMCAcut and mix通信 第5号』(統計は2001年のもの)

鄭暎恵「ニューカマーのコリアン女性たち」資料

http://www.ymcajapan.org/ayc/jp/cutandmix/Cut_and_Mix_Report05.htm

 

8、まとめ

1世のころは、日本社会というものに対して融合することなく民族としてのアイデンティティをもちつづけようとしていた。その結果、前近代的な家父長制といったものが生まれた。女性は家族というもののカテゴリーのなかで冷遇されたりした。しかし3世、4世になると価値観が多様化して、さまざまな志向もった在日が誕生した。アイデンティティそのものに関しても多様化しているといえる。ここに過去におけるさまざまな問題で取り上げられた「同化」と「分離」というものではくくることができないと言えるだろう。

しかしながら実際に在日に対して差別や偏見が歴然と現在にも存在しておりそれは上の表などを見ると明らかだろう。ここにはマジョリティである日本社会がいくらか変容する必要性を感じる。

 日本社会は教育現場においてこれまで一貫して在日の子供を同化する方向性を示していた。だが外国人労働者の増加によるニューカマーの時代を迎えて異文化を日本の側から理解しようとする姿勢も必要であると思う。その最も身近な存在が在日コリアンであると言えるだろう。

 

【参考文献・URL】

 

反差別国際運動日本委員会「マイノリティ女性が世界を変える!」

                        2001 解放出版社

ほるもん文化編集委員会「『在日』が差別する時される時」2000  新幹社

在日朝鮮人研究会「コリアン・マイノリティ研究 第2号」1999 新幹社

在日朝鮮人研究会「コリアン・マイノリティ研究 第4号」2000 新幹社

朴一「<在日>という生き方」1999 講談社選書メチエ

原尻英樹「日本定住コリアンの日常と生活」1997 明石書店

原尻英樹「コリアタウンの民族誌」2000 ちくま新書

田中宏「在日外国人」1991 岩波新書

姜信子「日韓音楽ノート」1998 岩波新書

上野千鶴子「近代家族の成立と終焉」1994 岩波書店

上野千鶴子「ナショナリズムとジェンダー」1998 青土社

ヴィジョンと社会システム(20021111日)シラバス

福岡安則「在日韓国・朝鮮人」1993中公新書

 

反差別国際運動日本委員会http://www.imadr.org/japan/

日本におけるマイノリティ女性の複合差別(IMADRJC

http://www.imadr.org/japan/jc/MDreport.aug.2001.doc

在日本大韓民国民団 http://www.mindan.org/

在日本韓国YMCA http://www.ymcajapan.org/ayc/jp/

朝鮮新報 http://www.korea-np.co.jp/

まるごと韓国特集 http://www.alc.co.jp/ad/kj/index.html

北朝鮮体制とソビエト連邦・冬季アジア大会・朝鮮民族の女性

http://homepage3.nifty.com/senshowun/page087.html