小熊英二研究会Tレポート

総合政策学部4年 伊藤雄介

学籍番号     70001071

 

 私は今学期の研究会における発表において「歴史認識」を担当した。特に上野千鶴子氏『ナショナリズムとジェンダー』をもとに、歴史実証主義批判・文書史料至上主義批判、及びそれに対する応答を中心として発表した。

 もともと今回の研究会を履修する以前から、個人的に「記憶」ということにも興味があり、以前から「社会的記憶」「個人的記憶」に関わる文献を読み、またそれに関わる講義を履修してきた。「記憶」に関してはたとえばアルバックスの集合的記憶論やシュッツの現象学的社会学などに興味を持っていた。またベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』に出てくる無名戦士の墓が、被葬者である兵士の匿名性ゆえにネイション全体を象徴するといったような、記憶(ここでは創造されるといった意味合いもある社会的記憶)とナショナリズムといった関係性についても興味を持っていた。このような記憶というテーマの中で、日本の戦後責任問題についても記憶をめぐる問題として私は個人的に興味を持っていた。そのため上野氏『ナショナリズムとジェンダー』高橋哲哉氏『戦後責任論』鵜飼哲氏『償いのアルケオロジー』吉見義明氏『従軍慰安婦』などは以前にも一度読んでいた。

 今回の研究会で幾つかの文献にあたり、また小熊先生に解説していただくことにより、自分にとって幾つか抜けていた視点を明確に意識することができた。まず歴史認識における国際情勢的な視点をより理解できたことがある。歴史認識はある意味で現在の政治情勢が呼び起こすもの、ということである。そして最も重要な点は、記憶の当事者性の問題、さらに突き詰めて言うならば、ポジショナリティーの問題とリプレゼンテーションの問題ということになるだろう。特にその意味合いにおいては『ナヌムの家のハルモニたち』は私の「歴史認識」に対する認識をより深化させてくれた一冊だったように感じる。慧眞氏が仏教に至りそしてハルモニたちに出会うまでの個人的背景などは、その当時の社会情勢・国際情勢がいかなるものであったかを考えさせられるものであったように思う。

  今回の研究会においては何度もポジショナリティーの問題が出た。日本の戦争責任資料センター編『ナショナリズムと「慰安婦」問題』における上野氏と吉見氏とのあいだにおけるやりとりにある違和感を覚えたのだが、これはポジショナリティーといった点から説明できることなのだろうと考えた。歴史実証主義批判や厳密な史料分析を試みる2人の良心的で能力のある学者がなぜ論争するのか、一見するとあまり生産的ではないように見える論争(あっくまで不勉強な一学生の視点から見て、という意味合いにおいて)をするのか疑問に感じた。しかしながら、結局のところその疑問は、良心的な学者が自身の立っている位置から(上野氏であればフェミニズムとい)の発話をするということ、つまりポジショナリティの問題ゆえであるのではなかろうか、と理解することができた。