2003年春学期 小熊研究会T発表

『論争・中流崩壊』

総合政策学部3

学籍番号70102110

ログイン名s01211yo

小谷吉範

 

T.導入「中流崩壊論争」とは?

 1998年『日本の経済格差』(橘木俊詔)に端を発する日本におけるいわゆる「中流」層の変容を廻る論争。高度成長期に「一億総中流」(村上泰亮の「新中間大衆論」)といわれ「みんなが中流階級(ミドルクラス)」と信じられてきた状況が、80年代以降には失われて日本社会の不平等化が進んだと主張する立場と、不平等化を否定する立場の論争。しかし、同じ不平等化が進んでいるとする立場の中でも、その状況を是正するべしとする論者がいたり、新たな階層社会を認め各階層の責任を求める論者がいたりと論争は一つの論点では語りきれない複雑さを持っている。

 以上のことを踏まえ、本発表においては論争の中で主要な論点と思われるものをいくつか取り出し、それを軸に論争を整理し、理解することを目的とする。

 

U.本論

A.まず各論者を

     日本は不平等化しているかどうか(経済学的現状分析)

     不平等化による階層分化を認めるか(モラル論)

の二つの軸で大まかに分類して論争を概観する。→別紙・「論争のマッピング」

 

B.次に、分類からさらに踏み込んだ各論者の意見・立場を整理する

1.経済学的現状認識から:

「日本社会は、不平等化しているのか?」に対する現状認識の違い。論争の中では、単に個人間所得の格差問題だけでなく親から受け継ぐ資産の格差、グループ間の格差などさまざまな格差が指摘され問題とされた。

 

     所得の格差:所得分配の不平等度をめぐるジニ係数をめぐる分析

「アメリカは機会の平等・結果の不平等、北欧は機会の平等・結果の平等、イギリス・フランスは機会の不平等・結果の不平等」(橘木)

日本はかつて70〜80年代、北欧並みの平等度といわれた(OECD調査をもと)が現在ではアメリカのレベルまで不平等になった。(橘木)←反論:高齢化、女性の社会進出が大きな原因、確かにジニ係数を見ても不平等化はしているが北欧並がアメリカ並になっただけであくまで「先進国の中で普通」であり「崩壊」を危機に感じるような深刻な問題ではない←一定の不平等化は認めている。捉え方の違い

・世代間の格差:

   年金受給に関する団塊の世代とそれ以降の世代との格差

・職業の格差:

SSM調査、オッズ比を使った職業再生産の説明(佐藤)

父親がホワイトカラー被雇用者上級職(W雇上)である人が同じW雇上になる率(オッズ比、010で数字が高いほど率が高い)は1955年頃にはほぼ10だったが高度成長期の75年以降には四倍もその率が下がっている。つまり、父親の職業に頼らずにW雇上という所得もステータスも高い層に入れる可能性が社会に開かれていたのである。佐藤はこの「誰でもがんばればW雇上になれる」という可能性が共有された状態を「中流神話」としている。その上で、80年以降団塊の世代からそのオッズ比が反転して再び10に近づいており「中流神話」は崩壊したとしている。→がんばる基盤の崩壊

・資産の格差:親の資産という個人の努力ではどうにもならない格差、親の教育への意欲と教育投資額によっても格差は生まれる。

「相続税率を100%に」(野口)

←反論:バブル期の土地長者、最近のIT長者など格差を生む要因は不確定であり不安定

 

・意欲、興味、関心形成の格差:

「結果の平等」のみを問う社会から「機会の平等」へという教育改革への批判。「強い個人」を仮定した自由競争を提唱する自由主義論者への批判。(刈谷)

「結果の平等」とは?:公民権法成立をうけたジョンソン大統領の演説で登場。「グループ間の不平等」が解消できないとして、実体としての平等を保障しようとした考え方。日本では、誤用され教育上でもただ全ての個人を同じ処遇に扱うことで平等が達成されていると錯覚してきた。

2.モラル論

不平等化が事実進んでいるかという現状認識が同じでも、不平等化による社会の階層化を社会の「危機」として是正しようとする論者がいる一方で、階層化の現実を受け入れた上でそこに必要なモラルについて論じる論者もいる。階層化の是非をめぐる論点を整理する

 

(a)不平等化を問題とする立場と根拠:

・働く「意欲」をそいで「社会の活力が失われる」(野口・和田)

 

(b)階層化を容認する立場と根拠:

「階級社会」擁護(櫻田):「がんばってナントかなった」後、どう振舞うべきか、というモラルが今の日本にはない。戦前の華族制度とバブル長者の金の使い方

社会の各階層にそれぞれの役割・責任(モラル)を持たせた上での格差を容認すべき。

エリートの責任(御厨):「エリートという言葉が正面から使えない社会は何かおかしい」

小集団の中での幸せ(山崎):所得の高さではなく、自分の身近にある小集団の中で「承認」されることによる幸福という新たな価値→競争とは違う

 

V.結論・感想

 程度の差とそれに対する評価はばらばらであるが、どの論者も70年代から日本の格差が広まりつつあることは一致しているようだ。それは、かつて「一億総中流」といわれ社会全体が「平等」であることに価値をおいていた状況の変化とも捉えられる。将来に向かってはは、大まかには機会の平等とセーフティーネットの整備による自由競争に進むか、「平等」に変わる新たな価値を生み出していくか、という二つに分けられるのではないか。

また、感想として中流崩壊論争には、社会運動もその主体となる人もいないと感じた。論者はみなホワイトカラー上層の人たち、つまり社会的に高い地位についた人である。では、失業問題における運動とはどこにあるのか?という疑問が残った。

 

参考文献:『論争・中流崩壊』(「中央公論」編集部編、中央公論社、2001325日)

     『不平等社会日本』(佐藤俊樹、中央公論新社、2000615日)

     『日本の経済格差』(橘木俊詔、岩波新書、1999年)

     『だめ連宣言!』(だめ連、株式会社作品社、1999225日)

     『仕事のなかの曖昧な不安』(玄田有、中央公論新社、2001年12月10日)