小熊英二研究会T 2003・6・16

         

在日外国人の論点

―『在日外国人』(田中宏)を中心に―

           総合政策学部4年 s01010ta   70130104    芦田拓真

・筆者紹介

田中宏

 1937年東京都生まれ

 1963年一橋大学大学院経済学研究課修士課程終了

現在、愛知県立大学外国語学部教授

著書に『アジア留学生との出会い』『アジア人との出会い』など

 

1.いつから在日韓国・朝鮮人は<外国人>になったのか

そもそも在日韓国・朝鮮人問題の発生は1910年(明治43年)の韓国併合に始まる

 

 いつから外国人になったのか?

→1952年平和条約発効による在日外国人の「日本国籍の剥奪」である。

併合するときは「帝国臣民(日本人)」であるとして強制併合した。

しかし自己の意思とは関係なく「外国人」となった。(歴史の抹消)

それ以降日本国籍取得は日本への「帰化」という形によって対応

 

そしていったん「外国人」であるとしてしまえば、日本国民でないという理由のもと、国外追放も差別も排除も国籍を持ち出すことで可能となる。

→国籍を理由に差別を正当化する論理

 

しかし、そもそも在日韓国朝鮮人が差別されるのは日本国籍を有しないからではない。

→日本の植民地支配が誤りであったせいで、在日韓国朝鮮人が発生した事実を考慮せず、日本人が所有する権利・法的地位を在日韓国朝鮮人に与えようとしなかった日本の立法政策の誤りであることがわかる。

 

2.日本の在日外国人に対する対応

2−1.外国人に対しての配慮が欠けている日本の対応。

・日本人にとって何気ない「伊藤博文の千円札」もアジア人にとっては過去の記憶とともに不気味な物に感じられる。  →歴史認識の違い

・また外国人留学生に対しては、奨学金の突然の打ち切り通告、強制退去命令

 →田中宏らの努力により回避

 

・ベトナム戦争を背景に69年入管法案成立(89年改正)

→「入管体制」といった、外国人を差別・排除する論理が存在している。

 

・外国人に対する2つの法律―登録法、入管法

日本に在留する外国人は「外国人登録法」により外国人登録が義務付けられている。この外国人登録法は居住といった静態(現在数)を把握するものである。

 

「出入国管理および難民認定法」(入管法)は外国人の出入国・在留管理といった動態を把握するものである。そして外国人登録はこれまでの在日朝鮮人よりも中国人やフィリピン人の増加が顕著である。また「不法残留者」の数もだんだん増えている。

 

2−2.指紋の押捺(おうなつ)という問題

 1.で平和条約の発行とともに国籍が剥奪され、同時に「外国人登録令」に変わって「外国人登録法」が成立した。

そして1年以上日本に在留する16歳以上(1982年改正前は14歳以上)の外国人は、外国人登録にあたって指紋をとることを義務としていた。

 

82年改正前は3年ごと、改正後は5年ごと、87年改正で初回のみ指紋押捺

→もし指紋押捺に応じない時は、「1年以上の懲役もしくは禁固、または20万円(82年改正前は3万円)以下の罰金」

 

そもそもこの指紋押捺問題は朝鮮戦争下の治安強化(日本共産党指導下の在日朝鮮人運動の取り締まり)と警察力強化のための国民指紋法構想に端を発している。しかし法的拘束力を持たずにこの国民指紋法構想は徐々に消えていった。

→外国人に対してのみ、構想が残った。これは外国人と日本人を分断し、差別のもととなった(自国民にも外国人にも指紋を押捺させる国はある。外国人のみ押捺させるのは日本だけ)

→外国人に対する指紋義務は90年4月廃止されたが、それ以上に問題なのは国民の間に「外国人の指紋義務拒否」を善しとしない根っ子(指紋義務拒否に対するいやがらせ、脅迫)が残っていることである。

 

 

 

2−3.日本の戦後保障―援護から除かれた戦争犠牲者

「遺族援護法」は指紋と同じく占領が解かれる日の直後に生まれた。この法律の目的は「国家補償の精神に基づき、軍人軍属であった者またはこれらの者の遺族を援護する」(第1条)ことである。

 

しかし、遺族援護法はきめ細かい援護を記してはいるものの、「日本国籍をうしなったときは、その権利は消滅する」となっている。つまり、国籍を消した場合には保証は出来ないということである。

 

ただ、「戸籍条項」により帰化すれば同法は適用される。

65年以降「日韓請求権および経済協力協定(日韓協定)」ができるとそれも無理になった。

 

こうした一連の対応は、国籍を消すことで、在日朝鮮韓国人(当時帝国臣民)を戦後保障の対象外にした。その一方、罪は残ることを考えると、日本国は二重基準を採用していると言わざるをえない。

→「日系人のうち、少なくとも「日本国民」に関しては補償問題は解決済み」

 

☆以上から分かるように日本の基本的な立場は表面的な「同化」のもと、実際は「排除」や「管理」の論理が存在した。法的には在日をある種の実験台にしたといえよう

 

 

3.在日の立場改善へ

3−1.在日が受けた差別とその差別撤廃への運動

 在日外国人がぶつかる様々な差別について述べる。

まずは就職差別である。いったんは就職内定を受けながら、国籍が日本でないというそれだけの理由で内定が一方的に取り消されたケース

 

次に司法修習所への入所拒否のケース

司法修習所入所のためには日本人でなくてはならない

→日本人への帰化を強制 (しかし弁護士法では外国人は排除されていない)

最高裁の最終判断は

修習生の欠格理由「日本国籍を有しないもの(最高裁判所が相当と認めた場合を除く)」

となった。「最高裁判所が相当と認めた場合を除く」という例外事項が簡単に加わった

 

 

3−2.インドシナ難民と在日に対する対応の変化

 1975年4月30日、南北ベトナムは統一。しかし大量の難民が生まれた。

→日本も細々ながら戦争難民を受け入れざるを得なくなった。しかも、一時滞在でなく「定住許可」を与えた。=日本の難民政策に手直し。

 

難民は外国人として生活。扶養補助などは日本国民に限られており受けられず。

 

難民条約批准(1951年、国連採決)にあたって、国籍条項の撤廃、出入国管理令の退去強制事由の一部削除が行なわれ、これは制度的な外国人差別に一撃をあたえることとなった。

 

また社会保障でも例えば国民年金法は対象を「日本国民」から「日本住民」へと変化させた。つまり昔は在外邦人の社会保障は相手国に、在日外国人の保障はその本国にやってもらうものだったが、在日外国人も日本社会の仲間として扱うことになった

 

もう一つ一撃を与えたのは国籍法の改正と戸籍法の改正である。

日本は1985年女子差別撤廃条約に加入。あわせて「男女雇用機会均等法」制定と「国籍法」の改正に踏みきる。

「父が外国人で母が日本人」の子は日本国籍が得られなかった

→「父または母が日本国民」の子は、日本国民となれるようになったのである。

→在日韓国・朝鮮人の人口動態に変化をもたらした

 

そして戸籍法の改正は外国性を名乗ることを可能にした。

→外国性を持つ日本国民が市民権をえる可能性がでてきた。

→名前だけでは日本人かどうかわからなくなる=それが正常である(名前と国籍が一致したのは日本だけの現象)。

 

3−3.外国人労働者と日本

・就労者の状況

90年前あたりから、不法就労の摘発数は漸増。国籍も多様化。

日本国内の正規就労者は5万人に対し、家族を含めた在外邦人は22万人

 

・日本の移民

日本から20世紀初頭アメリカへの出稼ぎ労働の経験をもっている。この出稼ぎはやがて日米移民摩擦となる。その結果アメリカ移民の道は閉ざされ、行き先がアメリカから中南米に変わった。

また日本は移動労働者受け入れの経験もある。「国家総動員法」が制定(1938年)されると、朝鮮人・中国人に対する「強制連行」という手段による労働力の獲得である。

 

そして今日本はかつてアメリカで差別されたように、外国人労働者を差別している。

⇔アメリカへの移民が差別された時日本は人種差別撤廃をアメリカに主張した

 

・89年入管法が改正[i]され、90年施行された

雇用主処罰規定の新設により、雇用主は外国人の採決に、より消極的的になるだろう

→在日韓国朝鮮人の就職差別を助長する可能性は否定できない

 

⇒「かつて多くの移民を送り出した国際社会に人種差別撤廃を訴えた自らを想起し、いま増加しつつある外国人労働者を、かつて受け入れた朝鮮人の子孫と重ね合わせながら、日本社会を“ともに生きる”社会に変革することを、現実はすでに迫っている。」

 

在日の立場改善には、在日側の運動、難民受け入れと条約批准、外国人労働者の増加が挙げられる。

 

 

4.国民国家のかけ声と実際

大学受験では外国からの留学生は入学資格を有するが、日本国内の外国人学校出身者(例えば朝鮮高級学校)には入学資格が与えられない[ii]

 

そういった状況に対して83年「留学生10万人計画」が持ち上がる。

あわせて「留学生のアルバイト解禁」[iii]を決定。

→日本語学校等の「就学生」問題が生まれた。つまり受け入れの準備がままならない中で、入国手続きの簡略化の結果就学生が増加したのである。この就学生問題は借金で来日できなくなった青年のみならず日本国内に学ぶ学生にも不利益を与えた。

 

また、この就学生問題は外国人労働者問題と相まって、「豊かな日本人、かわいそうなアジア人留学生」という構図を生み出した。

 

国際国家の掛け声のもと、「臨時教育審議会」が設置されたが有益な議論は出ず。

重要なことは、国際国家のかけ声よりも、現実をしっかり見つめ、対等に1人の人間同士としてつきあうという考え方を根付かせることである。

 

 

5.最後に

・従来においては、一般原則は「外国人はダメ」、例外として「門戸開放」を図るというものだった。

→基本原則が「平等」であり、合理的な理由が存在し立法手続きを踏んでいる場合に限って外国人を排除する、という方針にかえるべき。

 

・自治体のとりくみ

最終的には地方参政権。

在外邦人は国民であり国政の選挙権を持っている。住民でないから地方参政権はない[iv]

論理的に、在日外国人は国民でないから国政の選挙権はないが、住民であるから地方参政権はあっていいのでは?

 

・日本は歴史認識をただすとともに、外国人の権利の不可侵性を自覚し、「ともに生きる社会」を目指すため、大胆な発想の転換を図らねばならない時代を迎えている。

 

・そして年月を刻むことで在日のなかでも、裕福な者とそうでない者、男女差別など在日内部の差別が発生した。また在日2世3世と続くにつれ、異なるアイデンティティ形成が見られる。そうした問題は<民族>のもとで覆い隠されてきたのである。

→宇佐美さん、宮内さんのプレゼンへ続く。

 

参考文献

姜在彦(1996)『「在日」からの視座』新幹社

―――・金東勲(1989)『在日韓国。朝鮮人歴史と展望』労働経済社

姜在彦ほか(1996)『「在日」はいま、』青丘文化社

田中宏(1991)『在日外国人』岩波書店

ほるもん文化編集委員会(2000)「在日が差別する時される時」『ほるもん文化9』新幹社

森田芳夫(1996)『数字が語る在日韓国・朝鮮人の歴史』明石書店



[i] 主な改正点は@在留資格を二八種に拡充し、より広く外国人を受け入れることにするが、「非熟練労働」については従来どおりとする、A雇用主罰則(三年以下の懲役または200万円以下の罰金)の新設(第七三条の二)、就労できる外国人には「就労資格証明書」を交付できることとし(第十九条の二)、外国人および雇用主の利便を図る、というものである。

[ii] 文部省は「朝鮮人のみを収容する教育施設の取り扱いについて」(1965年)で述べたのは、「(1)朝鮮人学校については、学校教育法第1条に規定する学校の目的にかんがみ、これを同法第1条の学校として認知すべきでないこと、(2)朝鮮人としての民族性または国民性を涵養することを目的とする朝鮮人学校は、わが国の社会にとって、民族学校の地位を与える積極的意義を有するものとは認められないのでこれを各種学校ととして認可すべきでないこと」ということだ。

[iii] 留学生のアルバイトについては、学業を妨げない一定範囲のものは、その都度の資格外活動許可を要しないこととし、さらにその範囲を超える場合も、許可手続きを簡略化することとされた。

[iv] 在外国民に選挙権を与えるための公職選挙法改正案(1984年)による。