2006年度春学期研究会
近代日本を分析する
(Analyzing Modern Japan)
担当者 小熊英二(総合政策学部) B型
1、主題と目標
近年の日本近代史の研究は、大きく変化している。一言でいえば、歴史学が社会学の影響を受けて、「日本の歴史を研究する」という考え方から、「日本という地域を題材に近代社会のあり方を研究する」というパラダイムの転換したといってよい。また社会学においても、近代日本を研究対象とするものが増えてきた。
その結果として近年、社会学と歴史学の境目は、はっきりしなくなってきている。九〇年代以降、ポストコロニアル論や国民国家論、ナショナルズム研究やアイデンティティ研究など、社会学の成果が歴史学に導入されていった。その結果、これまでの歴史研究にはなかった視点から、日本という地域を分析する研究が、数多く現れている。
その特徴は、人間のアイデンティティとその構築の問題、つまり「自分は××である」という意識がどのように構築されてきたのかという視点から近代日本の政治や文化を研究するという点にある。すなわち、ナショナル・アイデンティティ研究やジェンダー論研究の影響を受けて、「〈日本人〉という意識はどのように構築されたのか」「〈女〉という意識はどのように構築されたのか」という、近代日本社会を見直してみるということが、アプローチの基本になっているものが少なくない。もともとこうした問題意識は、従来の経済史や政治史を中核とした歴史に対するアプローチが、とりこぼしてきたものであった。
研究会では、このような近年の日本近代史研究の成果を紹介しながら、その基盤となっている社会学の理論にも言及してゆく。理論の勉強だけでは抽象的にみえるものも、このように具体例に応用してみると、現実の分析のために使える道具であることがわかる。またそれは、ナショナリズムやジェンダー、文化などに関する、社会学の理論の学習にも役立つだろう。
2、研究会スケジュール
1〜2回のオリエンテーションと講義を経て、下記に挙げる課題図書を、一週に一冊ずつ読んでゆく。そのさい、学生に報告発表をしてもらい、それを担当者の講義で理論的背景などを補う形式をとる。報告者は、課題図書をたんにまとめるだけでなく、その著者の紹介や、可能ならば理論的背景についても言及することが望ましい。理論的背景などがわからないときは、担当者にメールや相談などで質問してくれれば答えるので、早めに相談すること。
2、参加資格
下記に挙げる課題図書を読んで、まとめを提出すること(提出方法などは末尾参照)。担当者の研究会を始めて履修する者は、二年生以上の場合は「ヴィジョンと社会システム」を履修ないし聴講していることを条件とする。履修人数は三五名以内としたい。希望者は二〇〇六年三月末までにoguma@sfc.keio.ac.jp まで、下記の履修課題を添付して参加希望を申し込むこと。
3、テキスト
現在のところ、以下の書籍が候補予定(変更可能性あり。1月〜3月もときどきホームページをチェックしておくこと)。できるだけ買いやすい新書や文庫などを優先して選び、かつ理論的背景があるものを選択した。
高価な本については履修者に抜粋のコピーを配布するつもりだが、新書や文庫、NHKブックスなどは自分で購入すること。参加する者は、下記の本をできるだけ読んでおくこと。そうでないと、参加しても身につかない。予備知識がないとまったく読めないほど難しい本は、今回は選んでいない。
以下は、課題図書である。
@ 竹内洋「教養主義の没落」(中公新書)
教育社会学者が、近代日本における階層文化としての「教養」の成立と崩壊過程を描いたもの。ブルデューの階層社会分析が応用されている研究の一例。
A芹沢一也「狂気と犯罪」(講談社+α新書)
近代日本における「狂気と犯罪の歴史」。フーコーの「狂気の歴史」の日本への応用として成功している事例。
B吉見俊哉「博覧会の政治学」(中公新書)
社会学者による、日本における博覧会の歴史。博覧会がどのように近代国家形成や植民地支配にかかわっていたかにも言及される。フーコーの「まなざし」の概念の応用もみられる。
Cタカシ・フジタニ「天皇のページェント」(NHKブックス)
人類学やメディア・イベント研究を応用した近代天皇制の分析。天皇家のメディア戦略を考察した多木浩二「天皇の肖像」(岩波書店)および若桑みどり「皇后の肖像」(筑摩書房)は問題意識が近いが、理論的背景はクリフォード・ギアツなど。
D牟田和恵「戦略としての家族」(新曜社)
いわゆる「近代家族」論の日本近代史への応用。落合恵美子「二〇世紀家族へ」(NHKブックス)と併読するとわかりやすい。
E赤川学「セクシュアリティの歴史社会学」(勁草書房)
フーコーの「性の歴史」の近代日本への応用版。オナニー有害説の言説の歴史をあつかう。学問的方法論を述べた部分が充実しているので、自分も研究してみたいというひとには参考になるかもしれない。
F橋本毅彦・栗山茂久編「遅刻の誕生」(三元社)
近代日本における時間意識の変化を、学校・鉄道・時計といった制度や技術の変化から追跡した論文集。興味深い事例が多い。
G品田悦一「万葉集の発明」(新曜社)
近代日本における「伝統の発明」のケース・スタディ。万葉集がどのように「国民的」な古典になったかを検証。木博志「近代天皇制の文化史的研究」(校倉書房)やホブズボーム編「つくられた伝統」(紀伊国屋出版)などと併読するとよい。
Hイ・ヨンスク「『国語』という思想」(岩波書店)
「国語」という概念が日本に定着した過程、およびそれが植民地支配でどのように働いたかを検証したもの。田中克彦「ことばと国家」(岩波新書)と併読するとよい。
I木村直恵「<青年>の誕生」(新曜社)
明治二十年代における政治意識の変化と「青年」概念の誕生を、ブルデューの「ハビトゥス」概念も応用しつつ検証したもの。アリエス「<子供>の誕生」(みすず書房)、ロジェ・シャルチエ「書物の秩序」(ちくま学芸文庫)を併読するとよい。
J柄谷行人「日本近代文学の起源」(講談社学術文庫)
近代日本における「文学」概念の成立を、フランス現代思想の応用から読み解いたもの。今回取り上げた本のなかでは、読むのに若干の予備知識が必要なものの一つ。
*履修課題について
研究会に入るに当たっては、3月中に上記のメールアドレスに申告する。そのさい、上記の課題図書のうち3冊を読み、まとめを添付して提出すること。分量の目安は、一冊あたりA4一〜二枚程度でよいが、長くてもよい。履修希望者が35名を超えた場合は、課題を提出しなかった者、課題内容が簡略すぎる者から制限する。履修希望が多数で選抜から洩れた者に対しては、四月初めまでにメールにて連絡する。
研究会を履修した者は、上記課題図書の発表を担当するか、あるいは期末に5冊分(研究会入会時とは別個の本)のまとめを提出すること。さらに、研究会期末にはおよそ5000字を目安にレポートを提出すること。
春休み中に、できるだけ図書は読んでおくこと。開講してからでは大変である。
本については、@慶應の図書館で探す、A早稲田の図書館で探す(慶應と相互貸借協定がある)、B公立図書館で探す(カウンターで申し出て県内で取り寄せてもらえば、大部分の本は集まる)、などの方法をとれば集められる。買うときには、神保町の三省堂書店か、東京大学の駒場か本郷の書籍部に行くのがよい。半端な本屋に行っても、無駄足になることが多い。最近ではアマゾンなど通信販売がもっとも簡単。通販古本も安い。
読みなれない難しい本は、あまり時間をかけずに、まずは全体をざっと読む。「とりあえずどういう本か」を把握することが大切。あとは、実際に研究会で解説を聞いてから、もう一度読んでみればよい。慣れれば、そんなに恐くない。