Eiji Kokuma 1997 Spring P17
「日本人」の自画像の系譜
(Reviewing the Lineage of Self-Images of the Modern Japanese)
担当 小熊英二(総合政策学部)
1. 主題と目標
本研究会があつかう主題は、ふだんわれわれが当然のように使っている、
「日本人」という概念のあり方の再検討である。
「日本人」とは、何をさす言葉だろうか。もし「日本人」が、「日本国に
住む人々」だとするならば、あるいは「日本国籍をもつ人々」だとするならば、
それは決して純血の一民族ではありえない。現在でもアイヌ系の「日本人」、
朝鮮系の「日本人」は数多くこの国に住んでいる。そして戦前の大日本帝国に
おいては、近代以降に「日本」に編入された沖縄・アイヌ・朝鮮・台湾の人々が
日本国籍をもっていた。太平洋戦争のさなかには「進め一億火の玉」という
スローガンがうたわれたが、当時の日本国全人口である「一億」の「日本人」
のうち、三千万ちかくは朝鮮人と台湾人だったのである。
「日本人」とは、太古から実在している実体ではない。「日本」という国名が
できたのは7世紀ごろであり、縄文時代人や弥生時代人はもちろん、聖徳太子
も「日本人」ではない。旧石器時代にこの藤沢に人間が住んでいたとしても、
当時は大陸と地続きで、「日本列島」は存在しなかった。そして、江戸時代までは
それぞれの「藩」の人間、ないし「村」の人間という意識しかなかった人々が、
明治以降の歴史教育によって、自分たちが太古いらい続いてきた「日本人」の
一部だと自覚するようになり、それまで敵どうしだった「薩摩人」や「会津人」が
「同じ日本人」になる反面、「欧米人」や「アジア人」が敵として認識されてゆく。
このように「日本人」という概念は、国民国家の形成とともに近代になって造られた
概念という側面を強く持っている。それは、国際関係における他者(欧米やアジア人
など)と出会ったさいに、その反応として形成され変遷する集団的な自画像
(セルフ・イメージ)であるのだ。
本研究会では、「日本人」概念と密接な関係を持つ「日本民族」論が、そして
古代史学や考古学が、明治以降の「日本」国の領土変動とともにどのように変遷
していったかをみてゆく。基本的には、この問題をあつかった拙著『単一民族
神話の起源』(新陽社、1995年)を基本テキストとして、毎回一章ずつ
報告と討論を行う。台湾や朝鮮が「日本」の一部として編入され、あるいは戦後に
それら地域が失われたときに、「日本人」たちの自画像たる「日本民族」像の
描かれ方はどのように変わっていったのか。そのさい、編入された「新日本人」
たちはどのように位置付けられていったのか。そうした経緯を歴史的事実から
検証することを通じて、国際化の時代における「日本人」のアイデンティティを
考えなおすことが本研究会のねらいである。
2. 研究スケジュール(春学期)
- 1回目:オリエンテーション
- 2回目:大森貝塚発掘と日本考古学の欧米に対する反応
- 3回目:外国人雑居許可をめぐる「日本民族」論争
- 4回目:キリスト教徒と国体論の「日本民族」論
- 5回目:アイヌ慈善運動と「日本民族」論
- 6回目:明治の天皇家朝鮮渡来説とその機能
- 7回目:韓国併合と「日本民族」論
- 8回目:被差別部落論と「日本民族」論
- 9回目:国体論における朝鮮・台湾の位置付け
- 10回目:朝鮮独立運動と「日本民族」論
- 11回目:日本民族ユダヤ起源説/ギリシア起源説ほか
- 12回目:フェミニズムと「日本民族」論
- 13回目:まとめの討論
秋学期以降は、「民族学と『日本民族』論」「優生学と『日本民族』論」
「古代史学と『日本民族』論」「戦争と『日本民族』論」「平和主義と『日本民族』
論」などを予定。
3. 受講者への期待
基本的には、好奇心と積極性のある人ならば、予備知識の多少は問わない。ただし、
報告書以外でも可能な限り発言することが望ましい。たんなる歴史の問題として
ではなく、現在の「日本」そのものを問うてください。
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