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\begin{document}
\begin{flushleft}
{\Large 第15章 「教育」 (1998/6/8)}\\
{\Large 環境情報学部3年 宮原明子 79658886}
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1.人間形成と教育\\
1.1.人間とはなにか\\
$\spadesuit$ポルトマン(Portmann,A.)−スイスの動物学者\\
・「人間は動物であって動物ではない、質的に違ったものである」\\
・本能体制は弱体化$\rightarrow$他の中枢的な動機体系が高揚されていること
で補/人間特有の「意志」に注目\\
・「自然」$\leftrightarrow$「文化」人間が自然のなかに創り出した特別な世界\\
・「環境に制約された」動物の本能に支配された行動$\leftrightarrow$「世界
に開かれた」人間の創造的な行動/「偉大な能力」であり「宝」である\\
$\spadesuit$カッシーラー(Cassirar,E.)−ドイツの哲学者\\
・人間の本性または本質=「実体的なものではなく機能的なものである」\\
・人間独特の性質=「人間の仕事であり、人間活動の組織である」

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\noindent1.2.教育思想のあゆみ\\
1.2.1.近代教育思想の先駆者\\
$\spadesuit$コメニウス(Comenius,J.A.,1592-1670)\\
・近代学校の基本理念とそのための教育内容・方法を構想\\
・30年戦争をきっかけに、全人類の平和の実現の可能性を未来を切り開く子ども
たちの教育に求めた(『大教授学』)\\
・近代市民階級の台頭と初期資本主義経済に相応する生産力の向上という観点\\
・「人間として生まれたものは誰でも人間として行為することを学ぶことによっ
て全精神を全面的に陶治することが必要である」\\
・単線型の学校系統:母親学校(6歳まで)、母国語学校(6歳から12歳)、ギム
ナジウム(12歳から18歳)、アカデミア(18歳から24歳)

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1.2.2.市民革命期の教育思想\\
$\spadesuit$ロック(Locke,J.,1632-1704)−イギリス名誉革命の理論的指導者\\
・ロックの教育思想(『教育に関する若干の考察』):イギリスのブルジョワジー
の教育観を代表する「若い紳士」を育てる原則を展開/人間は「白紙」(タブ
ラ・ラサ)の状態で生をうける$\rightarrow$経験を通して観念が書き込まれ
ていく(経験主義)$\rightarrow$身分制社会における素質決定論を打ち破る
画期的なもの\\
・家庭教育を重んじ、知育、徳育、体育に重点/幼児期からの厳格な身体的訓練
と習慣と性格の形成の訓練\\
$\spadesuit$ルソー(Rousseau,J.J.,1712-1778)−仏の思想家/自然主義教育の唱道者\\
・ロックの「教育論」を念頭において『エミール』を著した(1762)\\
・同年に『社会契約論』も出版$\rightarrow$ヨーロッパ思想界の寵児\\
・教育の理想:人間本来の自然性を完全に発達させること「合自然」「人々よ
人間らしくあれ」$\rightarrow$教育における「人間形成」の側面を主張した
代表的な教育論\\
・子どもが弱いものとして生まれることに教育の可能性を洞察/教育を受ける
ことが子どもたちにとって人間となるための権利である\\
・三つの教育:「自然」「人間」「事物」\\
・ルソーの探求の根底にある二律背反:人間をつくるのか、市民をつくるのか\\
・自己のために自然に生きる「人間」をつくること(私教育)/全体のために
生きる市民をつくること(公教育)$\rightarrow$ルソーの課題:これらが両
立しうるような社会的条件と人間的条件を明らかにすること

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1.2.3.教育とその探求\\ 
$\spadesuit$ペスタロッチ(Pestalozzi,J.H.,1746-1827)\\
・ルソーの影響を強く受け、貧民学校を開くなど教育実践に取り組み、実践のな
かで独自の教育方法を開発\\
・『ゲルトルート児童教育法』\\
・自己活動による教育、直観教授、労働と教育の結合

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$\spadesuit$ヘルバルト(Herbart,J.F.,1776-1841)\\
・ペスタロッチの教育方法論を受け継ぎながら、倫理学と心理学を基礎とした教
育学の体系を構築しようとした\\
・著作『世界の美的表現』『一般教育学』

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$\spadesuit$フレーベル(Frobel,F.,1782-1852)\\
・ブランケンブルクで幼児教育施設を経営しながら、教育遊具(恩物)を考案\\
・この施設と付設された保育者養育施設は幼稚園(Kindergarten)となった

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\noindent
$\spadesuit$デューイ(Dewey,J.,1859-1952)米の新教育運動の第一人者\\
・プラグマティズムを基礎に『学校と社会』などで、子どもの経験の改造を援助
することを目的とする学校教育のあり方を示した\\
・学校の果たすべき三つの役割\\
(1)発展しようとする「心的傾向」の要因となる事物を単純化しかつ秩序立てる
こと\\
(2)現在の社会習慣を純化し理想化すること\\
(3)子どもに必然的に感化を与えるところの現在彼らのおかれている環境よりも、
いっそう広く、よく、かつ調和的な環境を創造すること\\
・「しかし、学校は現実社会を離れた抽象的なものとして存在するのではない。
学校がそれをとりまく環境の諸様相−家庭、社会、自然など−とどのような関
係にあるかということが重要な意味をもってくる。」(篠田,1985)

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1.2.4.資本主義の矛盾に立ち向かう教育思想\\ 
$\spadesuit$オーエン(Owen,R.,1771-1858)\\
・イギリス産業革命の進行$\rightarrow$労働者の貧困と労働条件の劣悪化/無
知と不道徳と非衛生という非人間的状況\\
・「性格形成学院」を創設し、労働者とその子どもたちの教育に取り組む\\
・著作『自叙伝』:人間の性格は環境によって形成されるという教育思想/す
べての人が合理的な存在となることによって恒久的幸福への道がきりひらかれ
る\\
・新しい教育概念:「集団」\\
集団教育論$\rightarrow$「集団主義教育」論(マカレンコやクルプスカヤな
どソビエトの教育理論家に継承される)\\

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\noindent
2.教育の目的\\
・人間形成という個人的側面(ルソーの思想)\\
・文化を伝授し社会を維持・発展させるという社会的側面\\
・教育は「諸刃の剣」$\rightarrow$保守的側面「文化遺産の伝達は、現状の
社会の肯定につながる」/進歩的側面「教育により知識・技術などを得ること
は、現状の社会の諸矛盾を知り、社会を改革する能力を与えることとなる」

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$\spadesuit$デュルケム(Durkheim,E.,1858-1917)\\
・フランスの社会学者/現代フランス社会学の基礎を築いた\\
・『道徳教育論』:教育は社会的事実、「教育の科学」を唱える\\
・教育は社会がその固有のあり方を更新するための手段\\
・教育のもつ社会的側面を明示

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$\spadesuit$ゴスリン(Goslin,D.A.,1969)\\
・「社会化」socializationの体系的研究は、心理学、人類学、社会学の3領域
に根ざしている/それぞれ個人的特性の発達、社会化経験の範囲を決定する文
化の型、および社会化が生起する集団的状況に注目\\
・「人間がいかに効果的に社会的相互作用へ参加するようになるか」

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\noindent
*「社会化」:ある個人が、集団の容認する社会的行動様式を獲得することによっ
て、その集団に適応することを学ぶ過程\\
社会学においては、個人のパーソナリティと社会構造とを結び付ける役割とい
う概念が成熟するにつれて、社会化を役割学習role-learningの過程とみなす
考え方が一般的になった

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\noindent
3.学校教育論\\ 
$\spadesuit$バーンスタイン(Bernstein,1975)−「言語コード」\\
・制限されたコード:労働者階級の子どもの用いる話し言葉(話し手が、相手
は承知していると思い、明言しない数多くの前提から構成される言語使用の様
式)\\
・精密なコード:中流階級の子どもの言語発達において獲得が必要とされる話
し方(言葉の意味を特定の状況の要求に適合するように「個別的に明示」でき
る話し方)

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\noindent
$\spadesuit$ボウルズとギンタス(Bowles\&Gintis,1976)−「学校と工業資本主
義」\\
・近現代の教育は工業資本主義の経済的要求への対応として理解する必要があ
る\\
・近現代の学校は、多くの生徒がそれぞれどこか他で経験している無力感を再
生産していく\\
・現行制度のもとで、学校は「不平等を正当化し、人格の発達を専断的権威へ
の服従と両立できるかたちにのみ制限し、若者がみずからの定めを甘受してい
く過程の支援を運命づけられている」

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$\spadesuit$イリイチ(Illich,1973)−「隠れたカリュキュラム」\\
・近代の経済発達を批判\\
・義務制の学校教育という観念そのものを疑問視すべきであると主張\\
・教育の発達と経済が、規律やヒエラルキーを要求することとの関連性を強調\\
・「受動的消費」=既存の社会秩序の無批判的受容\\
・「隠れたカリキュラム」=学校での諸手続きや学校組織のなかに暗に示され
ている

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\noindent
*「文化的再生産」:学校が、他の社会制度とともに、世代を超えて社会的、
経済的不平等の永続化を助長していく状態\\

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4.学校管理教育\\
・生徒は他の組織体でいうところの「顧客」\\
・生徒<教員<校長<国(文部省)\\
・規模の一定性・全国一律の法律や基準/同じ年数、同じ教科内容、同じ授業
時数/教師は全国どこにも通用する免許状をもつ\\
・学校は画一化、平準化、規格化し、「学校間格差」はなくなるが、学校の自
由選択権、個性は失われ、「学校内格差」が増大

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\noindent
*「なぜ、近現代は管理教育にならざるをえなかったのか」\\
・国が提供するサービスとして不公平、不平等があってはならないので、画一化、
平準化、規格化するしかなかった\\
・莫大な数である全国民に教育を受けさせるためには、上からの管理の元で一
斉授業方式を取らざるをえなかった\\
・隠れたカリュキュラム:均質な知識、近現代人としての前提となる知識を、
学校という組織を媒体としてマスで伝達する必要性があったからではないか\\

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\noindent
5.まとめ\\
・現行の学校制度:管理教育$\rightarrow$「近現代人」をつくるための教育\\
・人間にとって適しているのは、管理社会か?自然状態か?\\
・ルソーの思想は現実を修正する際の「鏡」になる反事実的理念\\
・「人民の、人民による、人民のための社会を創造するには、各人がまず共通の
原理に照らして自分自身の生き方を規定し、次いで同じ原理を共有する他者と
協力する、という形における個人と個人との協力による以外、おそらく方法は
ないだろう。」(ライマー『学校は死んでいる』)\\

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参考文献\\
篠田弘・編「教育学入門」(福村出版,1985)\\
篠田弘・編「新訂 資料でみる教育学」(福村出版,1997)\\
柴野昌山/麻生誠/池田秀男・編「リーディングス 日本の社会学 16 教育」
(東京大学出版会,1986)\\
新堀道也・著「教育管理職講座5 学校管理の基本問題」(ぎょうせい,昭和58
年)\\
エヴァレット・ライマー・著/松居弘道・訳「学校は死んでいる」(晶文社,
1985)\\

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\noindent
{\Large 資料}\\
(1)「動物では、あらゆる本質的な行動様式が、あの「本能」とよばれる生物学的
な前提から規定されているのに、人間の場合では、もっとも本能的といわれる
行動の部分、たとえば性(セックス)の領域においてさえ、個人的な決定とい
う、はるかに自由な選択にまかされている。こういった高度に本能的な領域で
さえも、個人によって、また時によって極端にちがった行動様式があり、その
あいだに鋭い葛藤さえおこる可能性がある。これほど直接に種の保存に関係の
ないほかの生活領域では、この自由な決断という可能性はさらにいっそう大き
い」(アドルフ・ポルトマン、高木正孝訳『人間はどこまで動物か』1971)\\
(2)「我々は人間の形而上学的本質を構成する内在的原理によって定義することは
できぬし、経験的観察によって確かめ得るような先天的能力または本能によっ
て定義することもできぬ。人間の顕著な特性、人間独特の性質は、人間の形而
上学的または自然的性質ではなくて、人間の仕事である。「人類」の範囲を定
義し、決定するのは、実にこの仕事であり、人間活動の組織である。言語、神
話、宗教、芸術、科学、歴史は、この範囲を構成するものであり、その様々の
部分である」(カッシーラー、宮城音弥訳『人間』1958)\\
(3)「万物をつくる者の手をはなれるときすべてはよいものであるが、人間の手に
うつるとすべてが悪くなる。・・・\\
 自然の秩序のもとでは、人間はみな平等であって、その共通の天職は人間で
あることだ。だから、そのために十分に教育された人間は、人間に関係のある
ことならできないはずはない。・・・両親の身分にふさわしいことをするまえ
に、人間としての生活をするように自然は命じている。生きること、それがわ
たしの生徒に教えたいと思っている職業だ。・・・\\
 一人の人間をつくることをあえてくわだてるには、その人自身が人間として
完成していなければならない、ということを忘れないでいただきたい」
(ルソー、今野一雄訳『エミール・上』)\\
(4)「ところで、この三とおりの教育のなかで、自然の教育はわたしたちの力では
どうすることもできない。事物の教育はある点においてだけわたしたちの自由
になる。人間の教育だけがほんとうにわたしたちの手ににぎられているのだが、
それも、ある仮定のうえに立ってのことだ。子どものまわりにいるすべての人
のことばや行動を完全に指導することをだれに期待できよう。\\
 だから、教育はひとつの技術であるとしても、その成功はほとんど望みない
と言っていい。そのために必要な協力はだれの自由にもならないからだ。慎重
に考えてやってみてようやくできることは、いくらかでも目標に近づくことだ。
目標に到達するには幸運に恵まれなければならない。\\
 この目標とはなにか。それは自然の目標そのものだ。これはすでに証明ずみ
のことだ。完全な教育には三つの教育の一致が必要なのだから、わたしたちの
力でどうすることもできないものにほかの二つを一致させなければならない。」
(『前掲書』)\\
(5)「教育は、個人およびその利益をもって、唯一もしくは主要な目的として
いるのではまったくなくて、それは何よりもまず、社会が、固有の存在条件を
不断に更新するための手段なのである。社会は、その成員間に充分な同質性が
あって、はじめてよく存続することができる。そして教育は、集合生活が予想
する基本的類似性を子どもの心にあらかじめ定着せしめることによって、この
同質性を永続的かつ強固なものにするのである。しかしながら、他方において
は、ある程度の多様性がなくては、協同はすべて不可能であろう。そこでまた、
教育は、自己を多様化し特殊化することによって、この必要な多様性の永続を
確保する。それゆえ、教育とは、このいずれの面においても、若い世代を組織
的に社会化することなのである。」(デュルケム、麻生誠・山村健訳『道徳教
育論1』,1964)

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