1999.12.20.        小熊研究会

総合政策学部3年 79710449 渡辺大輔(s97045dw

 

研究計画書

1.研究テーマ

  「戦後日本のメリトクラシーにおける短期大学の位置付けについて」

 

2.問題意識

近代における大きな問題の一つに、階級の消滅によって他者と自分自身の位置づけをどのようにはかるのかという問題が存在する。この観点から戦後日本を俯瞰したときに指摘されるポイントの一つに、「学歴社会」ないしは「学歴偏重主義」という言説がある。特に1960〜1970年代は「教育爆発の時代」と呼ばれ、後期中等教育機関(高校)や高等教育機関(大学、短大、高等専門学校)への進学率が飛躍的に上昇していった。この傾向を簡単に言ってしまえば、周りの人間が皆これまでと比して「高い学歴」を持つようになったといえるだろう。

しかし、多くの人間が高い学歴をもつから「学歴社会」というわけではない。同時に、多くの人間が「高い学歴」を持つといっても、その「高い」という言葉の中にどのような階層付けがなされているのかを考察しなければ、それは無意味であろう。

本研究では、この「高い学歴」の中のある意味で下層に位置する短期大学に注目し、短期大学にどのような役割が期待されてきたのか、また短大は女子向きという言説とその位置づけは関わりはあるのか、その変遷を概観することで日本の現代教育について考察していきたい。

 

3.研究対象・研究手法

研究対象は、戦後日本の教育政策とその担い手となっている文部省、各種審議会を主軸にメリトクラシーの短期大学における階層化をとりまく様々な要因(学生自身の意識、経済団体、メディアなど)とし、これらがどのような意識を持って短期大学という制度を認識し、また期待してきたか考えてゆく。

また、研究対象を考察するための理論的枠組みとしてはM.ヤングの提唱した「メリトクラシー Meritocracy」をどのように説明するのかという点で、これまでの様々なアプローチを用いていきたい。またゴフマンの冷却論、さらにそれを発展させたホッパーの再加熱論を用いて現状を理論的に考察したい。なお、これらの理論的枠組みのほぼ全般を「日本のメリトクラシー」(竹内洋著)に依拠していることをはじめにお断りしたい。


中間発表

1.      メリトクラシー

<メリトクラシーとは何か?>

 イギリスの社会学者M.ヤングが提唱。

 邦訳例としては教育制度として「英才教育制度、成績第一主義」、社会形態として「能力(実力)主義社会、効率主義社会、エリート社会」、政治形態として「エリート階級による支配、エリート政治」、主義・原理として「効率主義、能力主義、エリート支配原理」などがある。(M・ヤング「メリトクラシー」あとがきP250より)

 

本研究でのメリトクラシーの定義

「過去ないしは現在の学歴・業績・資格による評価基準を支配的に扱う主義」

 

<メリトクラシーの理論的説明の変遷>

機能理論 (R・コリンズ、T・パーソンズなど)

  近代化による大きな技術変化によって、職業上の必要技能条件が上昇する

    → 世襲制では複雑化した職務や人員配置に不適当

    → 職業上の技術や技能あるいは一般的能力は学校で教える

    → 教育資格がもっとも優れた技能・能力指標となる

    → 近代社会において学校教育によって技能を修得したものが上昇移動する

       (競争移動的)

 

葛藤理論 (R・コリンズなど)

  社会は様々な階級や身分を持った集団の利害闘争によって構成されている

    → (表):人々の格差を学歴という「普遍モデル」を使って納得させる

      (裏):支配集団が自分達に有利な「普遍モデル」を作って自らの便宜を図る

    → 試験や資格は支配階級の排除戦略と非支配階級の奪取戦略との対立からの

      妥協の産物 (属性主義)

 

このような伝統理論的説明はメリトクラシーの一面を捉えている。しかしながら能力主義や業績主義が不平等の「正統化」機能に成功していることを前提としている

   → 正統化される人間(勝者)は極一部、多数は敗者となるゲーム

                      (メリトクラシーのディレンマ)

2つの疑問

A:選抜は何回もある。その関係はどうなっているのか

B:抵抗も不満も究極的な爆発にはほとんどいたらない

増幅効果論 (J・ローゼンバウムなど)

  メリトクラシー社会の階層移動は競争的であるが、同時にトーナメント式である

 なぜなら、メリトクラティックな選抜によって社会化効果(初期選抜に選ばれたもの

 は学習機会が得られ、意欲が増すが、逆に初期選抜に選ばれなかったものは学習機会

 が剥奪され、意欲も減退してしまう)が起きるからである

 

冷却・再加熱論 (E・ゴッフマン、E・ホッパーなど)

  加熱 → 選抜 → 冷却 → 再加熱 することで社会を維持する(破綻を防ぐ)

  【加熱】ある一元的価値観(学歴・業績)を求めての競争

  【冷却】@:代替的達成       縮小

      A:漸次的離脱        cool-down

      B:客観的拒否

      C:慰撫のエージェント   冷却 cool-out

      D:基準の回避

  【再加熱】@:再加熱

       A:代替的加熱

 

<メリトクラシーの特徴>

メリトクラシー社会は確かに学歴や業績(単純に「能力」ではない)によって判断される社会である。

ここで注意しなければならないことは、その「判断」は葛藤理論が暴いたように支配者側が設定した基準によって判断される。またその判断によって選別され敗者となったものは、増幅効果論が示したように再び上昇することは難しい、ということであろう。そして、

上昇が難しい人は冷却−再加熱のアプローチによって、現状の不満を爆発させないような社会構造が出来上がっている。

 

 この「メリトクラシー社会」が「実在する/しない」という議論もあるが、何を持って実在する/しないとするかは非常に難しく、一義的な答えを出すことはできない。ただ、このメリトクラシーのイデオロギー的な傾向を近代社会は持っているということは言えるのではないか。

 

 

2.短期大学史

<制度関係>

  1947 学校教育法に基づく新学制が発足

     大学設置委員会発足、設置審査開始

        →新制大学への移管が困難な学校の存在

1949              学校教育法を修正し、短期大学の設置を認可

         →新学制の完成を図るための「暫定制度」として

      短期大学設置基準を作成

  1950  186校が設置申請、149校に認可……短期大学の誕生

  1955  中央教育審議会へ短期大学制度の改善を求めて諮問

  1956  中央教育審議会、短期大学制度の改善を求めて、の答申

1964              学校教育法改正

       →短大の制度的恒久化

 

<年代ごとの変化>

1950年代:短大の状況は、私立短大数の急増に比べ、国公立短大にはあまり変化は見ら

     れない

        →1954年に女性の方が男性より多くなる、以降差は開くばかり

1960年代:私立短大が爆発的に急増(ほぼ倍)、その50%以上が家政科

1970年代:私立短大の増加傾向は変わらないが、伸びは緩やか

     後半には徐々に家政科の改科がはじまる

1980年代:家政科の学科改科(主として生活系の学科へ)が急速に進む

     同時に、実学色の強い職業教育(例えば、資格の習得、留学制度等)へ

         →就職に備えての資格職業志向

 1990年代:私立女子短大において4年制への改組、ないしは共学化の傾向

         →18歳人口の急減期による「冬の時代」の到来

         →1995年に女性の4大進学率が短大を超す

 

<補足:産業教育に関して>

1950年代後半に産業界の要望で「専科大学」案が存在、廃案

その後、1961年に高等専門学校が第3の高等教育機関として設置される

 

<参考:外国の短期(二、三年制)大学制度について>

欧米先進諸国は、「公共部門に中堅技術者養成のための授業料の安い短期制カレッジを設置する」(松井真知子『短大はどこへ行く』P4,5)かたちで存在。

たとえば、アメリカのコミュニティ・カレッジ(二年制の大学、日本の短期大学のお手本となったもの)は95%が公立。

 

 

 

3.メリトクラシーと短大

短期大学のメリトクラシー的位置付けについて1章で紹介した理論から考える

 <葛藤理論>

   階級・身分はこの場合、男性/女性というジェンダーによって位置づけられる。

   支配者層である男性は、自らが主となる産業(工業、経済)を重視

   対立弱者として規定されている女性は、その補助として位置づけられる

 

  <増幅効果論>

    4年制の大学を出る/出ないことによって、社会的上達は水路分けされる

    特に、短大志向の強かった1970年代までは女性は補助的役割以上の社会的上達

    は見込めなかった

 

<冷却・再加熱論>

   この場合の加熱からの冷却は、「四年制大学へ入れなかったため社会的上昇のレ

   ールから外れた」ことに対する冷却となる

   冷却は縮小傾向が強い。類別する(CとDはあてはまらない)と

   @ 代替的達成:四年制大学を拒否され短大へ、結婚市場へ

   A 漸次的離脱:社会的上昇から、男性の補助へ

   B 客観的拒否:専門学校ないしは、高卒を学歴とする

   また再加熱に関しては、

   @ 再加熱:四年制大学への編入、専攻科への進学

    A 代替的加熱:各種資格の習得、海外留学

 

 以上のことから短期大学の特徴は、階層的に位置づけられた男性/女性の葛藤による産物であるといえる。

戦後日本のメリトクラシーにおいて、短期大学は当初は四年制大学への移行のための暫定的措置として存在していたが、費用面などの問題から次第に「女性のための大学」化し、

四年制大学となるのではなく、「女性のための」短期大学として存在する道を選択することとなった。

 

 

4.さいごに

短期大学は女子高等教育の拡充の功労者であるという議論がある。それは確かに一理ある。しかし、短期大学は「女性のための大学」であるというよりは、男性側(支配者側)が女性を社会的上昇路線から隔離するために作った「中途半端な学歴」ということもできる。そして最終的には女性は家庭に入ってもらい、男性(仕事人間)の再生産労働を担ってもらおうという意図が見え隠れしているともいえる。これをより敷延していうのであれば、「家庭人としての女性」の完成機関としての短期大学とも位置づけられる。また、この意図の背後には、経済成長をとげる産業界があるといえよう。

 戦後50年ほどの間、たしかに短期大学はその役割を持っていた。しかし、男性/女性の葛藤という図式は女性の権力の増大によって薄れてきた。また、冷却されても再加熱(編入制度の整備、海外への留学が安易に)されやすい環境が整ってきている。このような現状において短期大学は従来の形で存続することはないだろう。それがいかなる形を取るのかは興味深い問題ではあるが、ここで議論することではないだろう。

 

 

5.参考文献 (引用資料のみ、あいうえお順)

 

一番ヶ瀬康子・奥山えみ子編 『教育改革シリーズY 婦人解放と女子教育』

                                勁草書房 1975

海後宗臣・寺崎昌男 『大学教育《戦後日本の教育改革 第九巻》』 

                         東京大学出版会 1969

・竹内洋 『日本のメリトクラシー 構造と心性』 東京大学出版会 1995

M・ヤング 窪田鎮夫・山元卯一訳 『メリトクラシー』 至誠堂選書 1982

羽仁説子・小川利夫編 『現代婦人問題講座5 婦人の学習・教育』 亜紀書房 1970

P・ブルデュー 石井洋二郎訳 『ディスタンクシオンT』 藤原書店 1989

松井真知子 『短大はどこへ行く ジェンダーと教育』 勁草書房

・利谷信義他編 『高学歴時代の女性』 有斐閣選書 1996


資料

 

@<学歴社会>

 「社会の成員の評価・選抜・配分の基準として学歴を重視する学歴主義の成立と発展は、官庁、企業、学校などの近代組織、及びそこで雇用されて働く俸給生活者(職員)に代表される近代職業の出現・成長と深く関わっている。近代的な職業と組織の急速な発展を特徴とする産業社会は、その意味で、学歴社会化すべく宿命づけられているといってよい」

                          〜天野郁夫「新社会学辞典」

 

A「教育は特定集団への帰属(恐らくそれが決定的な特徴となることが多かろう)を証明するためのしるしみたいなもので、技術的技能とか業績を示すものではない。ある職業にどれだけの学歴水準を要求するかは、それを設定できるだけの権力を持った集団の利害関係が反映している」

                       〜R・コリンズ『資格社会』P109

 

B「旧システムは明確に区切られた社会的アイデンティティをつくりだそうとし、社会的夢想にはほとんど余地を残してくれなかったけれども、そうしたアイデンティティを持つために受け入れざるを得なかった断念がどうにも抗しがたいものであったがゆえに、それだけ心地よく安心できるものであった。ところがこれにたいして、新システムにみられる社会的アイデンティティとそこに当然の権利として含まれている様々な希望の表象の構造的不安定性とでもいったものは、なんら個人に帰せられるべきところのない運動によって、行為者達を社会的危機と批判の場へと送り返そうとするのである」

                 〜P・ブルデュー『ディスタンクシオンT』P224

 

C「われわれの選抜システムは何回もの選抜が行われていることに注目するならば、棄却物(排除された者)をさらに精練(再加熱)し熱源にする再循環構造に着目すべきである」

                      〜竹内洋『日本のメリトクラシー』P75

 

D山崎匡輔(副委員長)「二年で完成の教育をするという原則でありますから、四年制の新制大学の三年以上に編入するということは両立しないことではないかと思います。(中略)二年で完成教育の原則とするということになれば、その次の四年制大学の三年以上に編入するということになると、これは行政の上から学制を乱すのではないか」

 

菊池龍道「やはり二年生の大学を作るとなると、名は大学であっても、質は今日の専門学校と内容はあまり違わないものであるということになってしまいますから、やはりそこは過渡期の取扱いをして、そして将来において落ち着かせるという考え方の方がむしろ素直ではないかとこう思います」

山崎匡輔(副委員長)「実際問題として中学校を延長したような専攻科を作って特殊技能を与えるということになりますと、機械をやるとか、電気工学をやるとかということは到底できない。やはり人としての教養だけの学科で行くより途がない」

 

 河井道「私は女の立場からでございますが、女子教職(ママ)は将来のことはともかく、只今のところはどうしても女子というものは別な意味において考えなければならんと存じます。(中略)どうしても日本の女子教育のレベルを上げなければ駄目だと思います。しかしこの専門学校がそれをジニア・カレンジ(ママ)するということは可能性があると思います。それで暫定的に四年の新制大学の代わりに二年で完成できるところのものを欲しいと思います。そうすれば大勢の女子がそれで完成された教育を受けられるだろうと思います」

              〜『教育刷新委員会第十五特別委員会第一回議事録』

 

E森戸辰男「ことに女子の一般教養並びに家政科等では四年は長すぎるということだから、二年制度あるいは三年制度の大学が当分ということではなく必要なのではないだろうか」

 

 =女子教育のための短期大学の意義について=

森戸辰男「私の二、三聞いたところによりますと、ことに女子の家政学科等では、四年の過程では長過ぎるというようなことが父兄たちにもあり、費用の関係等もありまして、四年では大学に行こうというものも行けないような事情があって、かえってこの制度のために向学心を持っておる者の大学への入学を困難にしておるという事情もあるのではないかと心配いたすものであります」

                     〜『第5回衆議院文部委員会議録』

 

F「短期大学は、高等学校の教育の基礎の上に二年(又は三年)の実際的な専門職業に重きを置く大学教育を施し、よき社会人を育成することを目的とする。短期大学は、一般教養との密接な関連において、職業に必須な専門教育を授ける完成教育機関であり、同時に大学教育の普及と成人教育の充実を目指す新しい使命を持つものであるが、他面四年制大学との連けいの役割をも果たすことができる」

                       〜『短期大学設置基準』「趣旨」

「ここにいう実際的な専門職業とは、いわゆるセミプロフェッショナルの職業をさすのであり、広く社会に有用の職業を三つの段階に分類するならば、たとえば医師、弁護士、高級技術者等のような大学において教授することを必要とする専門職業と、高等学校において教育される程度の農業、工業、商業等に関する職業との中間程度にある専門職業をいうのである」

                     〜『短期大学設置基準』「解説」

G「短期大学制度は昨年新制大学になれなかった学校に救済のように考えられているが、事実は速成の中間職業人の社会的要求に基づくものなのである。四年制になれなかったから短期大学になるのだというのではなく、短期大学には短期大学としての必要があって生まれたのである。とくに女子にとっては四年制よりも二年生で職業を身につけられる方が、どれだけ喜ばれるか分からない」

             〜『日本教育新聞社説』「短期大学の使命」1950年3月18日

 

H「講和日本の姿を、短期大学を通じて眺めるとき、わたくしたちは隔世の感のある女子教育の発展と、家政科の充実普及に大きな喜びを感ずる。しかしながら、それは大学の数と学生の数が増加したという喜びばかりではなく、短期大学においてはその特徴たる半職業教育的特性により、卒業生には中高の教員資格や、栄養士その他の資格が何れも無試験で与えられる制度が確立したがために、女子の社会的立場が強化された喜びでもある」

       〜森本武也「女子教育と短期大学」日本私立大学協会『会報』第一号

 

I「短期大学は、暫定的な制度であるが、これを改めて恒久的な制度とし、高等学校教育の基礎の上に、主として職業または実際生活についての専門の学芸を教授研究する機関とする。 なお、この教育機関は、土地の状況、男女の性別、専門の分野等を考慮して、画一的ではなく、それぞれ特色を持たせるようにする」

          〜第十三回中教育審議会「短期大学制度の改善についての答申」

 

J「現在短大の制度はこれをいかに扱うべきかについて解決を迫られているが、花嫁大学の如き特殊な目的を持った者を除き、苟も産業界に卒業生を送らんとする限り現在の短大ではいかにも中途半端の感なきを得ない」

  〜日本経営者団体連盟教育委員会

    『新時代の要請に対応する技術教育に関する意見(附)補足説明及び参考資料』

    (海後宗臣「短期大学」『大学教育《戦後日本の教育改革 第9集》』P236より)

 

K「女子短大自身も、その教育目標として、「女性として、主婦として、妻として、母として絶対不可欠な教養を身につけること」を主張し、むしろ積極的に花嫁教養方教育を看板にしているところが少なくない」

〜藤井治枝「戦後婦人教育の展開と課題」『現代婦人問題講座5 婦人の学習・教育』P333

 

L「この家政科に職業コースが敷設されていることが短大職業教育の性格を曖昧なものにしている。しかも短大が資格習得をセールスポイントとするあまり、家政科に在学して教職科目をとれば栄養士と教職の二つの免許が同時に取れるところもある。(中略)そこで職業教育として、いずれも中途半端に終わらざるを得なくなる。この結果、たとえ採用試験に合格しても、四年制卒業者の教員就職者ほど就職できないのが、短大卒業者の現実だし、教職員格付けかの中で、短大卒業者が差別的扱いを受ける可能性も出ている。また栄養士にしても、有資格者の三人に一人しか就業していないという現実は無視できない」

        〜藤井治枝「女子高等教育の現状と問題点」『婦人解放と女子教育』P107

 

M「家政学部を選択する際に重視したことを選んでもらうと、

   第1位 その学部の研究内容に興味があるから

   第2位 入試難易度が自分の学力にあっているから

   第3位 希望する免許・資格を得たいから

   第4位 なんとなくイメージで決めた

   第5位 今の教科学力の得意不得意科目から考えて自分に適性があると思うから

となっている」

                            〜1993年度河合塾

 

N「第2章 家庭人として 2 家庭をいこいの場とすること

(中略)今日のあわただしい社会生活の中において、健全な喜びを与え、清らかないこいの場所となるところは、わけても家庭であろう。大衆社会、大衆文化のうちにおいて、自分自身を取りもどし、いわば人間性を回復できる場所も家庭であろう。そしてそのためには、家庭は清らかないこいの場所とならなければならない。(中略)

第3章           社会人として 1 仕事に打ち込むこと

 社会は生産の場であり、種々の仕事との関連において社会は成立している。われわれは社会の生産力を高めなければならない。それによってわれわれは、自己を幸福にし、他人を幸福にすることができるのである」

            〜第二十回中央教育審議会答申・別記「期待される人間像」

 

O「短大はもともと、『こういう人材を養成する教育機関だ』という独自の理念があって発足したわけじゃない。文部省も経営者も、将来の女性の変化を見通せず、そのとき儲かればいい、と安易に居直って短大を固定化した。二年、というのは教育の面でも不十分で中途半端。一方、実技の点では、専門学校との勝負はついている。この期に及んで短大の発展の可能性はない。消えるのが歴史の必然です」

       〜佐藤秀雄・国立教育研究所教育情報・資料センター長

                 『AERA No.18』1991年4月23日号P33記事中から