小熊研究会U 総合政策学部3年 貴戸理恵 (s97330rk)
「ナショナリズムとジェンダー Engendering Nationalism」 上野千鶴子
T.国民国家とジェンダー 歴史とは「現在における過去の絶えざる再構築」である。
・戦後史のパラダイムチェンジ:「国民国家」を変数に、産業革命→市民革命→国家化という流れで歴史を見直していく。
⇒これに更にジェンダーという変数を加えるとどうなるか?
・女性史のパラダイムチェンジ:被害者としての女性から近代総力戦による「加害者」としての女性へ。「反省的女性史」
・総動員体制下における女性の国民化のディレンマ:「ジェンダー分離」か「国民総動員」か? 分離or参加
メタヒストリーで追うフェミニストの反応
*明治初期の男性思想家たちによる一夫一婦論から「女性の地位向上」という考え方が始まり、明治中期以降は女性
たち自身の考えに発展。大正デモクラシーを背景に女性論が花開いた時代。
・市川房枝(1893−1981) 婦人参政論者、「参加」型 「翼賛協力」→戦後公職追放
“女性の公的活動への参加を一貫して指示したが、その公的活動の内容を問わなかった点で誤っていた。”/鈴木裕子
強制ではない自由意志において、に加担したから誤りなのか?戦争の善悪?普遍の正義?
*母性保護論争:1918年「婦人公論」において平塚らいてうと与謝野晶子が母性保護と女性の経済的自立をめぐって論
議を戦わせ、その後他のフェミニストたちを巻き込んで加熱していった論争。
・平塚らいてう(1886−1971) 母性主義者、「分離」型 雑誌「青踏」を創刊
「女性は母性を通じて国家に貢献するので国家から保障を受ける権利がある」→優生思想、国家主義
・与謝野晶子(1878−1942) 歌人、文学者 「女性の経済的自立」「婦人参政権」「女子の高等教育」
「結婚して母となった女性も働いて経済的自立を果たすべきである」
母性保護論争の解釈 /鈴木裕子、米田佐代子、三宅義子
平塚らいてう |
母性主義 |
反近代 |
エレン・ケイ(北欧、福祉国家)の影響 |
与謝野晶子 |
個人主義 |
近代 |
パーキンス・ギルマン(アングロサクソン系個人主義)の影響 |
「母性」は近代の産物→平塚=近代的、与謝野=前近代的家族主義?
・高村逸枝(1894−1964) 「母系制の研究」著、近代個人主義を超えた「母性我」の強調と超国家主義の推進
“弁護の余地なし”→男性によって書かれた歴史の中で女性の解放を助け、女性を励ました。
・山川菊栄(1890−1980)「女性解放は社会主義革命によって達成される」としつつ社会主義婦人団体「赤 会」結成。
女性社会主義者か社会主義フェミニストか? (参考:マルクス主義フェミニズム)
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資本制capitalism |
家父長制patriarchy |
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社会関係 |
生産関係 |
再生産関係 |
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支配形態 |
階級支配 |
性支配 |
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支配現場 |
市場 |
家族・家庭 |
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社会理論 |
マルクス理論 |
フロイト理論 |
*反省的女性史の目:フェミニストの限界=歴史の限界。歴史を超越した目など誰も持ち得なかった。
総力戦下のジェンダー戦略のパラドクス (参加型―イギリス・アメリカ、分離型―日本、イタリア、ドイツ)
総力戦→女性の国民化=国民国家に「女性」として参加すること。兵士=男=国民 =?女=聖母
*戦勝国の「自由と民主主義を守る」女性の国民化は肯定されるのか?分離型より参加型の方がより開放的と言えるか?
「女性の国民化」そのものを否定するなら単なる一国平和主義⇒フェミニズムは国家を越えなくてはならない。
U.「従軍慰安婦」問題をめぐって
1991.12 金学順をはじめとする元「慰安婦」の韓国女性3人が日本政府に対し謝罪と個人補償を求める訴訟を提訴。
よく知られていた事実の問題化・犯罪化 「三重の犯罪」―――戦時強姦の罪、忘却の罪、否認の罪
日本のフェミニズムの人種差別性を浮き彫りにした。
*家父長制パラダイム:「女性のセクシュアリティは男性の最も基本的な権利と財産」日本・韓国に共通の意識
日本政府…「戦後補償は1965年の日韓条約で決着済み。個人補償は認めない」
韓国政府…「個人補償は認めない」点に合意。(民間男性−朝鮮婦人の「純潔」?←家父長制的側面を見ようとしない)
★被害女性の告発=性的被害の自己認知=セクシュアリティの自己決定者としての女性のアイデンティティの確立。
→戦う相手は日韓両国の家父長制
*戦時強姦パラダイム:「隔離された男性社会の兵士の性欲→戦時強姦→しょうがない」
★戦時強姦は性欲のみによるものではない。男性の権力支配の誇示、弱者への攻撃を通じた連帯感の確立(輪姦)。
非組織的・偶発的ではなく、組織的・継続的
*「売春」パラダイム:「慰安婦」は「自由意志」によるものと正当化。(日本の保守派、自由主義史観)
「本人が悪い」→「醜業」意識→性の二重規範 「聖母」母・妻・娘⇔「娼婦」公娼・「慰安婦」(家父長制の変形)
★連行のきっかけはさまざまでも「監禁下の強制労働の継続」というだけで「慰安婦」の強制性ははっきりしている。
*「性奴隷制」パラダイム:「慰安婦」の任意性を否定。「女性の人権」と「性的自己決定権」の侵害と見なす。
★しかし・「人権」概念は超歴史的普遍性を持たないのでは?
・「自己決定」によるものならかまわないのか?→「モデル被害者」の創造。
*民族言説―――自民族中心主義、韓国の反日ナショナリズムに利用されやすい。
日本女性 |
自由意志 |
公娼制の下の売春婦 |
不貞節 |
⇒大嘘 |
韓国女性 |
強制連行 |
軍隊の性奴隷 |
純潔 |
★「民族問題」に還元されることで「女性」の問題が不可視になる。「国民」vs「国民」――模範型は男性
まとめ:「慰安婦」問題は「民族」→「階級」→「性」によって語られる。
「真実」(唯一の正史)を求めてはいけない。様々な当事者によって経験された多元的なリアリティを認めよ。
V.記憶の政治学
「慰安婦問題」という挑戦をジェンダー史の立場で考え、「慰安婦」を否定する人々もジェンダー史への挑戦と見なす。
*「自由主義史観」の立場から、「新しい歴史教科書をつくる会」
・「慰安婦」強制連行を裏付ける実証資料がない。(→文書資料至上主義、日本政府が不利な資料を廃棄した可能性)
・被害者の証言は疑わしい。(→「慰安婦」の存在は誰もが知っており、被害者の沈黙によって隠蔽されていただけ)
・国民的プライドの回復「誇りの持てる歴史」(→ナショナリズムに満ちた「大国日本」としての「正史」か?)
*学問の「客観性・中立性」の立場から、「実証史学」の歴史学者
「事実(正史)を歪めるな」という発想は「一つの事実が存在する」という基盤を「自由主義史観」と共有している?
「証言」の証拠能力を積極的に認めるべき。被害者による「立証」から、加害者による「反証」へ。
歴史化:「当時の出来事は当時の歴史的文脈の中で」理解するべき。
非歴史化:今日の人権論で公娼制も「慰安婦」も断罪するべき。
⇒どちらにも限界が。「歴史は書き換えられる」という視点が重要。 Ex.)アメリカ史における奴隷制・原住民虐殺
*オーラルヒストリーをめぐって:実証史学の限界→女性史の方法論の転換
公文書=男性の歴史、オーラルヒストリー=女性の歴史 問題点:「忘却・記憶違い」「非一貫性」「選択性」は共通
「ジェンダー史は偏っている。が、すべての正史(=男性史)も同じくらい偏っている。」
*反省史をめぐって―――誰が、誰に対して何を反省するのか?
「責任responsibilityとは応答response可能性のこと。被害者がそう求める限り、我々は日本人として責任をとる必
要がある。」/高橋哲哉
「加害者である日本人のひとりとして」「国民的なプライドの回復を」→集団的アイデンティティへの誘惑
★集団を「ひとつ」としてくくり上げてしまうと「外部との対立を先鋭にする代わりに内部の最を隠蔽する」。
Ex.)被抑圧民族の独立運動ナショナリズム、第3世界のフェミニズム→「民族」「女性」の枠に多様性を閉じ込める。
*フェミニズムはナショナリズムを越えられるか。
フェミニズム=近代の産物 今までは「国民国家」の枠の中で分配平等を求めてきた→分離or参加という限界
「歴史にジェンダーという変数を持ち込んだのは、そのもとで階級・人種・民族・国籍の差異を隠蔽するためではなく、今まで意識すらされなかった最終的かつ決定的な差異を付け加えるため」
「従軍慰安婦」問題は国家を越えている→フェミニズムは国境を越えるべきだし、そうする必要がある。
参考文献:「ナショナリズムとジェンダー」上野千鶴子 青土社 1998
「近代日本女性論の系譜」金子幸子 不二出版 1998
「シンポジウム ナショナリズムと『慰安婦』問題」日本の戦争責任資料センター[編] 1998
「家父長制と資本制」上野千鶴子