小熊研究会 月曜6限 国民国家論  (517日)   総合政策学部2年 上野陽子

『「国語」という思想』―近代日本の言語認識―  イ・ヨンスク

『国語』(NationalLanguage

実際に見た事もない、話した事もない人同士を結び付けるツール。

           (想像受胎)           

     Nation(国家)        ひとつの言語                 

                              

          National Language       

             国語  

Nation:イメージとして心に描かれた想像の政治共同体。

(=言語そのものの同一性・言語共同体の同一性)――by B.アンダーソン

In France,

 1539年ヴィレール・コトレの勅令「王の言語のみが国家の言語である。」

 アカデミー・フランセーズの存在

→フランス語そのものの同一性が既に意識されていた→『国語』の誕生。

In Japan,

 国語→日本語の同一性を慌てて確立

言語の同一性とは果して自明の前提なのか。

日本の言語的近代には「日本語」という言語的統一体が本当に存在するのか。

 

『国語』以前の日本語(森有礼・馬場辰猪の日本語論)

 森                       馬場                          

日本の話し言葉は貧弱         『日本語文典』を記して否定。

                  

書きことば=象形文字(漢字)     馬場自身が漢学の素養がなく、森の英語

書きことば・話しことばの絶望的な   採用論批判を、英語で書く。(矛盾)

隔たり(例:二葉亭四迷の逆翻訳)

                

「日本言語」に統一性を持たせる為  強圧による外国語導入は言葉の壁によって

の簡易英語・商業英語の提案      隔てられた社会階級の分裂が生じる!

                   →(反対!!)

 

*「森は英語の採用による国際的な利用を優先させ、馬場は国内的な影響を憂慮した。しかし「英語採用論」の可否という問題をめぐって交わされたこの2人の議論がはしなくも露呈したのは、日本の近代化に対する2つの道、つまり後年藩閥政府と自由民権運動によって国権と民権のいずれを優先すべきかという形で激しく争われた論点ではなかろうか。」―――by萩原延寿  

『国字問題』と『言文一致』 

なぜ、国字問題は人々の注目をあつめるか。

「書くこと」「言語を文字で表象すること」→言語の「全体」を表象する。規範を作る。

                    (言語を書かれたものの姿で認知。)

前島密の漢字廃止論(明治初年代)

@真の知識はコトバではなくモノの中にある。(文字は音声に忠実に対応すべき)

 A中国文明からの離脱の意志と西洋文明への志向

   音声文字(西洋) vs 形象文字(東洋)

*「羅馬字会」と「かなのくわい」(明治10年代)

   「清仏戦争が論より証拠、漢字を多く知ったとて、其れで戦は出来ぬなり。(中略)

   我らが漢字を学ぶ間に彼は電気を使ふなり、我が手習するひまに、彼は船をば堅くする」

  「漢字を廃する事は国会開設よりも宗教改良よりも急務」――by外山正一

→実践したローマ字文は依然として漢文訓読体。

  「かなもじにて、ふみ、かかむには、ひとの、みみに、いりやすくして、むげに、いやし    

  からぬ、ことばを、えらび、なるべく、かんごを、もちひぬことを、こころがくるこそ、   

 かんえうならめ。」――by藤野永昌

→「なりけり式」の擬古文調。

 

文字の改良は言語文章の改良の一部であり、最終的な目標とすべきは「言文一致」。

                     末松謙澄『日本文章論』(明治19年)

言文一致

・ことばづかいによって身分や社会的地位が特定できてしまう(社会的下位体系に分科)→「地理的階層的な言語変異に全く汚染されていない言語規範」をつくる。

    →「国語」理念の核。→理念の現実的な支えとして誕生した言語形式

    →「言文一致」

・「東京語」=「標準語」(東京語が全国に普及する。広く通用する。)

・「凡そ国語の独立普及発達は国家の統一を固くして国勢の伸長を助け国連の進歩を速 

 やかにする第一の方法であって、それには言語と文章を一致させねばならぬこと

 と信じます。」――帝国教育会内言文一致会「言文一致の実行に就いての請願」1901

 年;国家の言語政策としての言文一致(帝国意識)

 

『国語』理念の形成と変遷 

明治初期:「国語」をlanguageの訳語として認識するのは英学者経由。不十分。

明治10年代:自由民権運動と欧化主義の時代。

明治20年代:官民一体による統一的「国民」の創出と「国家意識」の高揚の時代。     

       帝国大学における「文学科」が「文学科」へ。(明治22年)

       関根正直「国語ノ本体ナラビニ其価値」(明治21年)

 

上田万年の言語思想 

言語=一人の口より発し、他人の耳に聞かるる音の一体。(音声としての言語)

 =各自の思想伝達の為に特定社会の符牒として用いられる。(社会と不可分の関係)

  「言語学の科学的原理によってこそ、この国語に対し、真正の方向を立てて、よく開拓し、

  善をとり、悪を去り、不便を棄て、便利を求め、さうして後秩序井然たる大日本帝国の国  

  語を造りだすことが可能になる。」by 上田万年

1894年 ヨーロッパ留学を終え帰国。帝国大学教授に任命。/日清戦争

→「国語と国家と」の公演。国語論の前に国家論を始めなければならない、と説く。

国家を構成する要素

@土地

A人種(現在で言うところの民族)

B結合一致−【歴史及び慣習、政治上の主義、宗教、言語、教育】

C法律

(@〜Cが揃っているほど、「理想国家」となる。)

・上田が重要視したのは「人種・歴史・言語」―「日本は国家の理想像を体現している」

国語と何か。

〈国体〉意識の創出→母のイメージを利用して〈国体〉の内面化をおこなう

「日本語は日本人の精神的血液なり…日本の国体はこの精神的血液にて主として維持せられ

 日本の人種はこの最もつよき最も永く保存せらるべき鎖の為に散乱せざるなり。」

 「其の言語は単に国体の標識となる者のみにあらず。又同時に一種の教育者、所謂情け深き

 母にてもあるなり。(中略)独逸にこれをムッタースプラッハ、母の言葉の義なり。」

 「嗚呼、世間全ての人は、華族を見て帝室の藩屏たることを知る。しかも日本語が帝室の

 忠臣、国民の慈母たる事に至りては知る者却りて稀なり。」

 

標準語と言文一致

1900年「内地雑居後における語学問題」(条約改正をうけて)

  「殊に条約改正も出来上がりて、内地雑居も近づく事であるに、我が国人は果

  たして我が国語をその西洋人に話させるだけの勇気がありますか。(中略)一日

  も早く東京語を標準語とし、此言語を厳格なる意味にていふ国語とし(中略)

  而して一度之を模範語として後に、保護せよ、彫琢せよ、国民はこれをして国

  民の思ふままに発達せしむべきなり。」

(東京語を模範語とした後で、保護し、彫琢する。言文一致=標準語制定)

*教育される「国語」

 ・日清戦争前後:「国粋意識」の高揚→漢文の書取と作文の削除、読解重視。

 ・1900年:読書・作文・習字の3教科が「国語科」に統一。(小学校令改正)

 

・小学校令施行細則:「読本ノ文章ハ平易ニシテ国語ノ模範トナリ且児童ノ心情ヲ快活

         純正ナラシムルモノナルヲ要シ」

・「国文読本」から「国語読本」へ

国定教科書『尋常小学校読本』による標準語教育−綿密な発音矯正

国家の言語政策の中に「国語」はしかるべき地位をあてがわれる事となった。

 

*〈国語〉から〈帝国語〉へ

国語教育による民族同化政策−国語の対外進出

 「この国語問題は自国の国民を養成するためばかりでなく、一歩進んでは日本の言 

 葉を亜細亜大陸に弘めて行く上に多いに関聊(関連)して居る。」1902年「国語と国語教育」

―標準語制定(国内問題)→→国語の対外進出(国外問題)

〈国語〉による〈国民〉の同質化・画一化が近代国家の存立にとって不可欠な課題→文字伝統を支えとした言語意識では全く想像がつかない「対外進出」の道を切り開く。

 

植民地における言語政策

韓国併合(1910/明治43年)→「皇民化教育」

*保科孝一による言語政策提案(ドイツ領ポーランドでの経験をもとに)

 「例へば、朝鮮の普通学校における国語読本にも…(中略)朝鮮が支那のために虐

  待されたこと、統治の制度不完全であったために常に苛政に苦しんだこと等を記

  し、今や日本に合併してから国内に善政を布かれ、人民初めて自由になり…

 (中略)これによって盛んに直観教授をすすめるやうにしたならば、彼等の思想を

  日本化せしめ、漸次悦服して反日の感を懐くことがなくなるであらうと思ふ。」

               ―――『国語教育及教授の新潮』(1914/大正3年)

 植民地支配体制を安定させるための「強力な言語体制」のもとで一貫した政策をおこな 

 うことを主張。→自動的に「同化」は進むと考えた。

*実際の植民地における言語状況

内地人:「国語ヲ常用スル者」  

朝鮮人:「国語ヲ常用セサル者」(朝鮮人が国民となるには「国語」の存在が必要。)

1921年(大正10年)『国語普及の状況』朝鮮総督府学務局

 “朝鮮人の国語を解する者の人口に対する割合表”

      【普通会話ニ差支ナキ者】男 0.596

                  女 0.049

      【しょう解シ得ル者】  男 1.200

                  女 0.185

      【解セサル者】     男 98.204

                  女 99.766

・「朝鮮人」を「国語ヲ常用セサル者」した理由

 →前記の調査で分かったように、「国語」の普及度の低さにおそれを抱いた当局が

 「国語」を通じた同化教育によりいっそうの力を注ごうとしたことのあらわれ

 →朝鮮人は「朝鮮人」ではなく、「同化」を待つ「国語ヲ常用セサル者」でしかない。

 

まとめ【キーワード】

「日本」−近代国民国家に必要な「国語」への道

 明治維新(身分制度崩壊、言語規範の喪失)

 日本語自体の同一性への疑念(書き言葉と話し言葉の隔絶、身分制の名残、漢字   

               交じりの書き言葉etc…

 国字問題(音韻文字か、形象文字か。)

 日清戦争(戦勝による国家意識の高揚と、「国語」への関心Up

 言文一致(言と文の格差をなくす。「国語」理念の核。国家の統一性を高める)

 東京語=標準語(言文一致の必須事項。最も通じやすい方言をチョイス。)

「国家」と「国語」(国語は国家の重要な構成要素−by上田万年)

「国語」から「国家語」「帝国語」へ(帝国主義。外部への日本語の「国語」化)

 植民地における言語政策を担う「国語」(同化政策として用いられた「国語」。)

 

参考文献

『「国語」という思想』―近代日本の言語認識―  イ・ヨンスク 岩波書店 1996

『ことばと国家』    田中克彦  岩波書店      1981

『多言語主義とは何か』 三浦信孝 編    藤原書店  1997

『近代日本と国語ナショナリズム』 長 志珠絵  吉川弘文館 1998

『海を渡った日本語』−植民地の「国語」の時間− 川村湊 青土社 1994