慶応藤沢 「小熊研究会1(2) 国民国家、ポストコロニアル論」 第9回  1999・6・14
総合政策学部3年 石野純也
    「総力戦と現代化」


1. 総力戦体制と経済
I. 経済思想
   戦中の大塚の思想
   マックスヴェーバーの理論に依拠
   「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」
   カルヴィニズムの現世内的禁欲精神→エートス(資本主義の精神)→資本主義
   日本の資本主義にかけているのはこのエートス(資本主義の精神)の部分である→職業倫理に媒介された資本主義
   の精神の「内面的作用」→客観的には営利活動 主観的には全体(社会・国家・世界)のための貢献 「倒錯した倫理観」
   →「新経済倫理」
   戦後の大塚の思想
   「初期のヴェーバーに対する補足的説明を越え、イデオロギーにおける主体形成を強調するようになった」(ヴィ
   クター・コシュマン「規律的規範としての資本主義の精神」『総力戦と現代化』P.127)
   「民衆の中の決定的部分がそうした近代的人間類型に打ち出されたばあい、そこから近代的な生産力と経営建設
    の展望が生まれてくるであろうし、またきわめて自生的に民主的なレジームがうちたてられることとなるであろ
    う。」
   日本国民の間に希求されている物は良心の自由と利己的欲望の圧殺に基づいた個人による、自律的な(世俗化した)
   カルヴァン派のエートス
   まとめ
   全体主義と自由主義との間に共謀関係が隠されている→自由主義的なものであろうと権威主義的なものであろう
   と、近代的な主体とは自己管理の形態をとり、それは民衆が国家権威の監視を内面化したときに生じる
   主体性・自主性は戦争経済の動員にとって欠くべからざる心的要因

   内田義彦の思想形成
   「生産力理論」 生産力を増強させる努力が生産関係を修正することになるという理論→戦争によって労働力の価値
   通りの交換→近代的熟練労働者→戦争冒険に進む体制や勢力に対する批判的勢力
   「市民社会」 各々の国ごとに資本主義の経済構造の成立事情はちがい、封建的な諸関係の残存のていども異なる。
              それに応じて「市民社会」の思想的表現も異なってくる
   所有としての資本→総力戦体制→運動しかつ機能する資本→構想力の競争→「集中の法則が競争と信用を媒介とし
   て働く」→大資本の勝利→「そのばあいの勝利は、機能する資本の勝利になるはずで、それは合理的経営を生み出
   す。ひいては社会的規模において、自然の合理的支配をもたらす。そして、合理的経営は資本家の存在そのもの
   を不必要としてしまう」
     合理的経営 人間と自然の物質代謝の過程←超歴史的な観点

II. 経済―政治体制
   戦前
   審議会は資本市場―政府の間で必要な情報を媒介
   内部資本市場(財閥)を含む広い意味での資本市場が資金フローの主要なチャンネル
   戦時
   統制会に傘下企業の情報が集中、計画の作成と実施に利用
   日本銀行を中心とした全国金融統制会が結成→その斡旋によって銀行間の協調融資が推進
   戦後復興期
   統制会ないしこれを継承した業界団体が戦時期とほぼ同様に計画の作成、実施の両面で政府に協力
   資金計画 産業資金の割り当て 補完 日銀の融資斡旋

III. 経済体制(労使関係)
   あるべき労使関係制度
   官僚 何らかの形で双方を拘束するような労使懇談制度 労働懇談制度=単位産報
   経営者側  意思疎通の必要は認めつつもインフォーマルで
                       ↓
   両者の対立の結果無内容なものになってしまった
   戦争の長期化→新たな労使関係の形成
   「勤労」イデオロギー 「勤労」=「栄誉」 「労働者」=勤労をなす主体 → 平等化 生産過程においては「創意性」「自発
   性」を発揮する能動的主体→生活給原則
   総力戦体制への労働者の自発的協力を調達するために「勤労」イデオロギーは必要だった
   大日本産業報告国会 単位産報を包括
   部隊組織 労働者に対する指揮統括強化

IV.  主体の行動
   五人組 労使関係を生身の人と人の関係に還元しつつ国家目的と関連付ける→リアリティーがない
   賃金統制・家族手当→国家のために生産能力を発揮するには生活の安定が必要→次第に諸主体に受け入れれらてい
   く

2. 総力戦体制と組織統合
I. コミュニティー
  1920年代から30年代初頭
@ 各人の社会的政治的利害の存在と平等な参加を前提として、各構成員が自らの討議、決定、活動でそれを運営す
   る地域コミュニティー  ex. 奥野田村青年団第二支部
A 自らの階層的、職業的利益を公然と組織し、運動する社会集団の存在  ex. 各集団の多数の小作組合
B それを政治的に表現する諸政党、それらを反映する政治、行政機構  ex. 峡東立憲青年党 憲政会と合流
   第一の強制的均質化(国家による強制的均質化)
   大恐慌→資本主義の合理化、高度化 市場を巡る列強との激しい対立→生産、流通、消費の変化 大量生産のための
  「合理的」労働力の組織化→国家権力から自立した集団の解体
  地域の中間層は積極的に戦時体制に参加→社会的経済的平等化
  「上流階級」の地位の相対的下降→全体として社会の下降的均質化

II. 教育思想(阿部重孝)
基本スタンス 観念的教育学を脱して科学的な教育学を打ち立てる
@ 社会的事実(制度)として教育を捉える→「教育を社会システムの中での一機能として位置づける」
A 科学的志向と教育学の独立→諸学問の寄せ集めではない教育学の確立
B 近代性 教育の権利 教育の機会均等 教育における男女平等 を主張
阿部の政策・運動
師範教育調査委員会(1928) 女子中等教育調査委員会(1929) 内閣調調査局専門委員会(1935) 実業教育振興委員会
(1936) 教育審議会委員会、大学制度審査準備委員会(1937) → 文部行政の中では精神主義的な超国家主義勢力と
合理的勢力が葛藤を起こしながら共存していた
教育科学の普及活動→雑誌『教育』 教育科学研究会
政府の合理勢力と結びつくことによって拡大→総力戦体制が社会体制の近代化・合理化を必要としていた

III. 教育制度
戦時体制の教育改革→戦後の教育改革
義務教育国庫負担法(1940)→個別補助金制度本来の性質を獲得 強制的均質化のため(国民生活 国民負担)
国庫の定額負担方式→給与実績の二分の一負担の定率法式 国からの安定した教育費供給
教育の普遍化→中学校を中心とした中等教育のエリート的構造を批判→実業補習学校と青年訓練所を統合した青
年学校を中等教育機関に格上げ→6・3・3制の準備
「近代的戦争に不可欠な兵員の知的能力や軍事技術向上の必要から高まった軍の教育要求と教育の機会均等の観点
から中等教育の普遍化を目指す阿部重孝をはじめとした教育科学の改革グループの主張が結びつく形で、青年学校
の義務化は実現したのでである。」

IV. 戦時体制と思想戦
     思想戦を繰り広げる前提の日本精神論
     「真の日本精神のみが世界における唯一の具体的なる宇宙真理の民族精神化である」
     「ナチズムは我が国体を模範として」、、、、、
     軍人の技術論
     「直接間接の平時における武力戦」
     「国家総力戦的戦争」において「思想も経済も政治も武力も其の他宗教・教育等々凡百の文化事業・万般の社会現象は
     悉く相互関連性をもち、有機的・不可分なる一体性を持つ」→きわめて近代的なシステム論
     内務官僚の監視権力論
     変革志向の運動→事前察知→政治の上に活用
     「日本独自の愛の精神に立脚した真に日本的な法律」「思想犯保護観察法」→「日本精神の涵養」による「思想上の
     善導」であり、非転向者を「新日本建設に役立ちその基礎たらむとする強き自覚」に立たせる      
     メディア関係者の「自主性」論
     娯楽特有の効果を強調して映画演劇の統制に反対、製作者の競争の必要性を訴える
     「別に政府の強制を俟って然るのではなく、新聞自体が自発的に、極めて闊達な気持ちで活動を致して居るので
     ありまして、此の形に於きまする思想戦は事変の終わりまするまで、事変が終わりましても何処までも遂行して
     いかなければならぬものであると考えて居ります」
     社会教育、国民統合の「心的結合機能と指導機能」をもつメディアとしての新聞
     これらの情報統制体制はほとんど無傷で占領体制に組み込まれた

3. 総力戦体制と家族(女性)
I. 女性思想(分離型)
   1920年代の奥
   「働く」「婦人」の立場からの発言 ジェンダー、母性を受容→その上で@消費という行為を価値化 A消費組合運動 
   B消費を社会化すると共に消費を通じた共同体を作り上げる  ex. 婦人セツルメント 働く婦人の家
   1930年代の奥
   消費の転換 私的なもの→公的なもの
   @「家庭生活」のアイデンティティ A家事労働の合理化 B共同性と共に平等性を主張
   @ 女性―家庭―国家のワンセットにアイデンティティを求めている
   A 戦時の増収 「生活工夫」「節約」による貯蓄 「粗食」の転換 → 生活の共同化
   B 強制的均質化 「働かない婦人」→「働く婦人」
   戦後の奥
   女性を「台所を動かす主婦の手は国家を動かしている」という政治―生活な観点から主体化→節約と合理化を説く
   主婦連合会 @未組織の女性たちをA消費面からB主婦の名の元に組織化する団体
   「働く」「婦人」から「働く」を捨象→「主婦」

II. 主体としての女性
   「「国家総動員体制」にあたって最後まで日本が「ジェンダー分離」体制を崩さなかったこと、かつ女性の中から「参
   加型」の要求が生まれなかったことはまことに驚くべきことに思える。」(上野千鶴子、『国民国家とジェンダー』
   P.35)
   1932年(満州事変の翌年)  大日本国防婦人会  1937年 国民精神総動員実施要綱→市川房枝 吉岡弥生が委員に
   就任  1940年 大政翼賛会→中央協力会議(国民家族会議)  1942年 愛国婦人会+大日本国防婦人会+大日本聯合
   婦人会=大日本婦人会 「20歳以上の未婚女性を除くすべての日本婦人」
   「靖国の母」となる道→従軍看護婦

4. 総力戦体制の国際比較
I. ナチズム問題
ナチズムに関する四つの議論
   @ 「ヤヌスの顔」をもつ近代化の事例としてのナチズム
   A ナチ期におけるドイツ社会の「相対的」近代性という問題
   「1933年から1938年までの時代[つまり、ナチ政権の初期の時代―訳者]はもう一つの戦争の準備局面を表す
   ものではなく、ワイマール時代末期の同様の後に現れた急速な経済復興の時期なのであり、「常態」の時期を表す」
   (同上P.63−64)
   ex. 外国訪問者の数の急増 イギリスの大学へのドイツ人留学生 ウォルト・ディズニー コカ・コーラIBM等々
   B 動員力と能動的参加の問題としてのナチズム
   「なにがナチズムをして驚くべき示唆に富む動員の可能性を得させたのか」→「社会的動機づけ」問題
   自らを伝統的社会構造の犠牲者→カリスマ的支配の効果に間接的に起因する昇進 政治的恐怖
   C 「ヒトラーの社会革命」とナチズムの近代化機能
   1933年以前のドイツ社会は他のヨーロッパ諸国とことなり、根強く伝統的でかつ非自由主義的な要素を含んでい
   る→これらがナチズムの台頭に貢献した→「強制的均質化」の過程→近代的要素と保守的要素の混合→ナチズム自
   体はドイツの近代化に重要

II. 総力戦と日米比較
   大戦を通じて日本、アメリカ両国が如何に産業−国家の関係を形成していったか
  「専制」 市民を支配する権力
  「インフラストラクチャー的力量」 さまざまな経済的行為者を組織し整序する制度化された経済プロセス
   日本     「専制」的な権力は強かったが「インフラストラクチャー的力量」は弱かった
   アメリカ 「専制」的な権力は弱かったが「インフラストラクチャー的力量」は強かった
 アルミ産業
 日本     国内資源が乏しかった→国外にその資源を求めた
          国家がアルミニウム産業を強制的に吸収してしまうことはできなかった
 アメリカ 国内資源を活用するために採掘や精練事業を拡大するための投資を行った 
          国家は戦争終了時には資産の大半を所有していたが大企業の利益も膨大であった→「交渉による包摂」
 航空機生産
 日本     国家は生産能力の拡大を財閥系列企業に任せた→財閥企業がインフラストラクチャー的権力を有して
          いた
 アメリカ 国家が支配力を有していた 企業は国家に大幅に依存していた→国家がインフラストラクチャー的権力
          を有していた
                               ↓
 日本     行政官僚と企業経営者との結びつきが強化される
 アメリカ 「分離の壁」→政府融資に頼る企業 例外的な介入が行われる産業

5. 総力戦体制の一般化(山之内テーゼと西川テーゼ)
  旧来の総力戦及び現代化の一般的見解
  日本史的
   「ファシズム時代の日本の歴史は近代社会が歩むべき本来の成熟過程から外れた非正常なコースをたどった。大正
    期(1912−26)に進展した民主化の傾向はファシズムの時代にいたって頓挫したのであり、それに替わって非合
    理的な超国家主義をイデオロギー的支柱とする強権的体制が国民を逸脱した総動員の軌道へと強制的に引き出し
    ていった。1945年の敗戦とともに始まった戦後改革は日本の歴史を大正デモクラシーの路線へと復帰させること
    となった。1945年以後今日にいたる日本の歴史は、この戦後改革を起点としている。」(『総力戦と現代化』P.9)
  世界史的
    「第二次世界大戦の構図を非合理で専制的なファシズム型の体制(ここにはドイツ、イタリア、日本が含まれる)と、
     合理的で民主的なニューディール体制(ここにはアメリカ合衆国、イギリス、フランスが含まれる)の対決として
     描き出す」(同上P.9)
  
  山之内氏の見解
     「強制的均質化」 一方では排除、排斥、しかしその内部では社会的身分制度の撤廃=平等化の実現
    「社会に内在する紛争や葛藤を強く意識しつつ、こうした対立・排除の諸モーメントを社会制度内に積極的に組み
     入れること、そうした改革によってこれらのモーメントを社会的統合に貢献する機能の担い手へと位置づけなお
     すこと」(同上P.9傍線 発表者)
     よって「階級社会からシステム社会への移行」となる
   
  国民国家を超える可能性 
    「不可避的に排除と差別を構造的に制度化してゆく」社会運動からフォイエルバッハ型(受苦者の連帯という観点に
     立つ)「新しい社会運動」
   
  システム社会とは?(ヘーゲルからタルコット・パーソンズにいたるシステム論の考察)
     システム論  いかにして社会秩序は可能か?=社会の秩序が保たれているということを前提としない
     「ヘーゲル」 フランス革命に出会ったヘーゲルは近代社会に対し懐疑的であった→社会秩序の形成に対する関心
                  家族・市民社会・国家 
                  家族−自然的倫理 市民社会−倫理的精神の分裂状態 国家−高次な理性的位置
                  家族→市民社会→国家という垂直的なシステム移行
                  最終的に功利主義的社会理論に引き寄せられていってしまった 市民社会に自己調整的機能を想定
    「パーソンズ」  「資本主義の一般的危機」に直面した→社会秩序の形成に対する関心
                  価値体系が内面化・制度化、そしてそれが統合の機能を果たす
                  政治・経済・家族・組織の下位体系四領域  AGIL図式
                  ヘーゲルと違い上記の図式は水平的関係を保っており、社会的交換の機能を果たす=四領域は等価
                 「権力」もここでは諸個人に内面化された自己規律(フーコーの権力概念に酷似)権威と同質化
                 「[権力]はパーソンズにおいて今や社会メンバー全員によってその機能的意味が支持される一般作
                  用」(同上P.30)
                  ここにおいて個人はシステムの有機体的運行に貢献する
     システム論的観点からの総力戦 「権力の社会的制度化を全社会的規模へと拡張させる」
     システム論的観点からの国民国家を乗り越える可能性 システムに対して外部から揺さ振りをかける

西川氏の見解
   「これまで述べてきたことからおわかりいただけるように、私は国民国家のシステムは総力戦体制によって根本的
   に変化したのではなく、むしろ総力戦体制によって国民国家の本来の特徴がより明確にされたと考えたい。」
                                        ↓
   つまり国民国家は総力戦体制というものの可能性を内在しており、総力戦は国民国家の必然であるという観点

「階級社会からシステム社会」というテーゼに対する批判(上野千鶴子)
   「わたしは山之内説のこの部分(「階級社会からシステム社会」という説)は採用しない。その理由は第一に「システ
   ムはシステム理論の用語としてはどのような組織系にも適用可能なジェネリックな概念であり、ある社会体制を
   「システム社会」と呼ぶのは無定義概念に近い、ということと、第二に、「システム社会」の含意には「中心を欠いた
   相互依存系」としての「主体なき無責任体制」―戦後日本人論のクリシェであるーという含みがあり、それ自体は新
   しい用語を用意しなければならないような固有の概念とはいいがたいこと、第三に、もし「システム社会」の含
   意に官僚主導型の「中心なき無責任体制」があるとしたら、それはシステムに擬人的なエイジェンシーを与えるこ
   とで現状維持的な政治的保守主義とつながるからである。」 (上野千鶴子、同上、P.21)



参考資料

「たとえば、従来一モルゲン[エイカー]の刈り入れにつき一マルクの報酬で日々二・五モルゲンを刈り入れて、一日に
つき二・五マルクの報酬を得ていた労働者が、出来高賃金率が一モルゲンにつき二十五プフェニヒ引き上げられたのに
応じて、報酬の引き上げによって期待されていたように、たとえば三モルゲンを刈り入れて三・七五マルクの報酬を手
に入れることをしないでーそうした場合ももちろんあっただろうがー一日にわずか二モルゲンを刈り入れるに止まり、
従来と同じく一日二・五マルクの報酬を得ることで(聖書の言葉を使えば)、「足れり」とした。報酬の多いことよりも、
労働の少ないことの方が彼を動かす刺激だったのだ。」 (マックス・ヴェーバー 大塚久雄訳 『プロテスタンティズム
の倫理と資本主義の精神』P.64−65)

「これ[阿部重孝達のファシズムに対する見解]は、そのまま当時の日本ファシズム教育政策への批判になったといえる。
しかしこれは日本の教師全体はむろんのこと、『教育』の読者されには編集担当者たちの共通の認識にはなっていかな
かった。」 (山住正己 『日本教育小史 −近・現代―』P.126  []中の文章、発表者)

「支配地域の拡大とともに多くの他者に直面すればするほど、日本語の同一性はなしくずしのうちに崩壊していったの
である。(…)一九四六年、政府は歴史的仮名遣いに代わる「現代仮名遣い」を発表した。その「現代仮名遣い」は、朝鮮
などの初等教育で使用されていた「折衷的仮名遣い」と基本的に同一であった。」 (小熊英二 「崩壊する日本語」 『世紀
末転換期の国際秩序と国民文化の形成』 P.279)

「[しかし、合理化では]例えばナチの長官たちが資格を有する武器製造労働者を求めて占領地をくまなく必死で探す一
方で、なぜ四万人ものユダヤ人金属労働者がガス室へ送られたのか、これでは説明できない。加えて、この種の議論は、
なぜ資本主義的な利潤思考がドイツにおいてのみこのような結果を招いたか、ということについて何の説明ともならな
い。」(ミヒャエル・プリンツ 「ナチズムと近代化」 『総力戦と現代化』 P.63)

「功利主義というのは、通常はヒュームによって先鞭をつけられ、ベンサムとミル父子によって形成され、新古典派経
済学に流れこんでいった、人間行為の動機を快楽(満足、幸福)の最大化と苦痛(不満、不幸)の最小化に求める思想をさ
す。ところがパーソンズは功利主義をもっと広く解し、原子論(個人主義)、行為の合理性(目的に対する手段選択の適合
性)、経験主義(具体的に経験され得る実在と科学的命題との直接的対応関係)、目的のランダム性(目的―手段関係につ
いてだけ考えて目的自体は単にランダムとしか考えない)、という四つの条件によってこれを定義する。そしてこの意
味の功利主義の最も純粋なケースを、ホッブスの社会理論に求める。」 (富永健一 『行為と社会システムの理論』 P.57
−58)

「社会システム 一般的に、諸個人の相互行為により形成されるシステムをさす。しかし、これは名辞的な定義にすぎず、
システム概念に必要な「要素の集合」とそれらの間の「関係」を特定化しなければならない。社会学における最も重要な要
素(概念)は役割と地位であるから、社会システムは役割と地位を要素とする社会関係の集合と定義できる。役割と地位
は社会システムの構造と機能を把握するうえでの鍵概念であり、機能主義的なシステム観では、これらは社会的価値や
規範や制度などの構造特性、あるいはシステムが存続・発展していくために充足しなければならない機能的要件などと
かかわっている。」(濱嶋朗 竹内郁郎 石川晃弘 編 『社会学小辞典』 P.254)

参考文献
山之内靖 ヴィクター・コンシュマン 成田龍一 編 『パルマケイア叢書4 総力戦と現代化』 (柏書房、1995)
西川長夫 渡辺公三 編  『世紀末転換期の国際秩序と国民文化の形成』 (柏書房、1999)
富永健一  『行為と社会システムの理論』 (東京大学出版会、1995)
上野千鶴子 『国民国家とジェンダー』 (青土社、1998)
山住正己 『日本教育小史 −近・現代―』 (岩波新書、1987)
マックス・ヴェーバー 著  大塚久雄 訳 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』 (岩波文庫、1989)
濱嶋朗 竹内郁郎 石川晃弘 編 『新版 社会学小辞典』 (有斐閣、1997)