慶応義塾大学湘南藤沢キャンパス

 

               授業概要(シラバス)

 

              2006年度 春学期

               科目名:近代史

月曜4限 科目コード:20150 担当者氏名:小熊英二

 

 ・主題と目標

 この講義の主題は、19世紀から20世紀の近代日本を事例として、「日本における近代国家のつくられ方」とそこから派生する問題を検討することにある。

 われわれが現在暮らしている社会のありようは、どのような経緯を経て造られてきたのか。どのような選択枝を採り、どのような選択枝を放棄して形成されてきたのか。それを振りかえることは、現在の社会の構造を理解するうえでも、また未来の選択枝を考えるうえでも役に立つ。と同時に、日本というひとつの地域が近代国民国家に変貌してゆく過程の検証は、総合的な政策科学のケース・スタディとしても興味深いものがある。その知識は、アジアをはじめ他の諸地域の近代化を観察するうえでも、参考になるだろう。

 この講義では、上記の目的のために、年代ごとに歴史的出来事をならべてゆくという形式をとらず、たとえば教育、公用語、ナショナリズム、産業開発など、近代国民国家にとって重要と思われるさまざまな要素の近代日本における展開を、一回の講義ごとにとりあげる。また後半では、そうした近代国家形成によって発生した問題、たとえば福祉や差別、家族の変化、そして現在の日本の原型をつくった戦後体制などをとりあげる。そのさい、結果としてたどった歴史だけでなく、可能性が検討されながら消えていった選択枝などにも言及してゆきたい。このような手法により、たんなる年号や事件の羅列としての「日本史」ではなく、近代国家成立の仕組みを総合的に把握し、現実政治を分析する視点を養う場としての「近代史」を学ぶことが目標である。

 

 ・教材

 教科書はとくに指定しない。授業ではレジュメを配付し、必要な範囲で参考図書を示す。各回の講義で質問・感想用紙を配付するので、質問などはそこに書けば、次回講義のとき可能なかぎり回答する。

 

 ・提出課題、試験、成績評価について

 基本的には最終試験で成績を判定する。感想用紙の提出数は、成績評価において一定の考慮の材料にする。ただし、白紙提出や代理提出など「義務的」な提出はやめてもらいたい。そのような場合は、マイナス評価を加える場合もありうる。

 なお、講義の内容をきちんと復習しておかないと、最終試験でD判定になる可能性が大きいので、その点は留意しておくように。

 

 ・履修上の注意ほか

 履修希望者が400名を超えた場合には、選抜で制限を行なう。初回に履修希望理由を用紙に書いてもらうので、それを拝見して判断する。

 

 ・授業計画

 各回では以下の内容を講義する予定。ただし、絶対に変更がないとはいえない。

 

 第1回(4月10日)

 手始めとして、「近代とは何か」についてこの講義で必要な範囲において話す。人間が身分や慣習から自由になりながら、同時に戦争と環境破壊が絶えない「近代」とは何なのか。「近代」とはたんなる年号の区切りではなく、一定の特徴を備えた社会のかたちであることを理解してもらいたい。

 

 第2回(4月17日)

 この回では、「学校」について講義する。読み書きソロバンといった「実学」を自発的に学ぶための場だった江戸時代の寺小屋にたいして、近代国家の学校の特徴の一つは、「生活の役に立たないことを、強制的に教える」という点にある。近代国家が、いったい何のために多額の予算を投じてまで、学校をつくったのかを考える。

 

 第3回(4月24日)

 この回では、「開発」について講義する。発展途上国が上からの産業開発を行なう場合、資本の不足や技術の立ち後れなど多くの困難が発生する。明治の日本がなぜそうした困難をクリアできたのか、それはどんな問題点を残したのかを話し、現在の発展途上国の問題への示唆を学ぶ。

 

 第4回(5月1日)

 この回では、「国語」について講義する。国民統合が進んでいない第三世界国家では、公用語が複数だったり、英語やフランス語が公用語である(つまり「国語」と「公用語」がちがう)ケースは珍しくない。日本でも英語公用語案や漢字全廃論などの議論を経ながら、単一の「標準語」が成立していった。一つの国家に所属する人間が、全員同じ言語を話すという異常な事態は、どのように可能になったのかを学ぶ。

 

 第5回(5月8日)

 この回では、「ナショナリズム」について講義する。明治初期においては、薩摩人と会津人は自分たちが「同じ日本人」とは思っていなかった。天皇への民衆の関心はうすく、幕末の内戦では日の丸は旧幕軍側の旗だった。そうした人間集団が、いかなる方法で天皇と日の丸をいただく「日本人」として形成されていったかを考え直す。

 

 第6回(5月15日)

 この回では、「国境」について講義する。近代国家の特徴のひとつは、国境線を明確に引くことにあり、そのために前近代から近代への移行にあたって国境紛争が発生する。明治初期の日本にとっての最大の国境紛争だった沖縄問題を中心に、欧米や中国との外交経過とともに、ひとつの地域が「日本」に編入されてゆく経緯を学ぶ。

 

 第7回(5月22日)

 この回では、「性と家族」について講義する。性に関する観念は近代以前と近代以後では大きく異なるが、一般に誤解されているのとちがい、「封建的」と呼ばれる貞操感は明治以後に流布したものである。身分制度に基づく社会から国民国家に変貌する過程で、人々の性意識や家族形態がどのように変わったかを検証する。

 

 第8回(5月29日)

 この回では、「教育」について講義する。身分秩序を破壊し、一元的な価値観のもとに自由競争による社会上昇を可能にした近代教育は、やがて心理的・社会的・経済的にさまざまな問題を引き起こす。近代教育の試行錯誤の歴史をふりかえると同時に、多様性と平等、自由と安定のジレンマというすぐれて「現代」的な問題と特徴をとらえる。

 

 第9回(6月5日)

 この回では、「福祉」について講義する。共同体の解体と競争の拡大は、必然的に競争の敗者に貧困をもたらす。その対応として、共同体の代用となる労働運動や福祉政策が生まれるが、それはやがてコーポラティズムと国家の肥大をも招いてゆく。貧困とその対応をとおして、現代国家の特性を考える。

 

 第10回(6月12日)

 この回では、「差別」について講義する。近代社会は、自由で自立した近代人を人間の典型として描くが、女性・障害者・老人・異民族など、その基準から外れた者が差別の対象となる。差別は近代化が進むことによって解消するのか、それともより悪化してゆくのかという問題を考察する。

 

 第11回(6月19日)

 この回では、「戦後体制」について講義する。現在の日本のあり方は、第二次世界大戦直後の占領改革や新憲法の制定、そして一九五〇年前後の国際情勢などによって決定された部分が大きい。そうしたなかで、国内の改革やアメリカとの関係がどのように構築されていき、現在にまで影響を及ぼしているかを考える。

 

 第12回(6月26日)

 この回では、「戦後補償」について講義する。戦後補償問題は、「南京大虐殺」や「従軍慰安婦」といった特定のトピックに議論が集中し、ナショナリズムに関する議論もからんでやや錯綜している。補償問題の全体像を把握し、現在の日本の国際的位置にこの問題が与えた経緯や影響などを整理して解説する。

 

 第13回(7月3日)

 この回では、「外国人」について講義する。現代における国民国家の成熟は、国内の国民に権利を拡張してゆく過程であると同時に、外国人との権利の差が拡大してゆく過程でもある。日本にとっての最多数の外国人である在日韓国・朝鮮人を中心に、「日本人」と外国人の境界の問題を考える。