小熊英二研究会プロジェクトB(1)「社会理論を学ぶ」

 

発表者:総合政策学部3年 武田真太朗

アリエス『<子供>の誕生‐アンシャンレジーム期の子供と家族』

 

発表の流れ

1.       著者:アリエスについて

2.       調査手法

3.       本の内容

<子供>という立場の変化

       教育制度の変化

       家族の変化

4.アリエスへの批判

5.まとめ

 

 

1.著者:アリエスについて

     Philippe Aries(1914-1984)

     それ以前に存在した政治権力の歴史を重視する歴史学とは違い、一般大衆の生活や心情に着目し研究するマンタリテ[mentalite]の歴史学(=「新しい歴史学」)の流れを代表する歴史学者のひとり。

     『<子供>の誕生』とその次の『死を前にした人間』によって歴史学者として認められるまで、専門の歴史学者ではなく「日曜歴史家」だった。

 

 

2.調査手法

     アナール学派の調査手法を踏襲。

     特徴は、人間の意識・感情(=マンタリテ)に注目すること。

    例)教会での宗教画から当時の風俗を研究。

→ 本書ではアリエスは、4世紀にわたる図像記述や墓碑銘・日誌・書簡など用いた。

 

 

3.本の内容

全編を通じ、<子供>の話を中心におきながら、その周辺の考え方も含めて

中世と近代以降でどう変わったかという比較を行っている。

<子供>という立場の変化

〜 中世の「小さな大人」から近代の<子供>へ 〜

この社会ははっきりと「子供」をはっきりと表象していないし、少年に関してはなおのことそうであると、私は論じた。子供期に相当する期間は、「小さな大人」がひとりで自分の用を足すにはいたらない時間、最もか弱い状態で過ごす時間に切りつめられていた。だから身体的に大人に見做されるとすぐに、できるだけ早い時期から子供は大人たちと一緒にされ、仕事や遊びを共にしたのである。(1頁下段)

 

●中世

子供=「小さな大人」

→ 子供は家族の数に入らない(死亡率が高いため)

→ 死亡率が高い時期を過ぎると、徒弟や奉公になり大人と同じ扱いを受ける。

⇒ 子供と大人が分離していない。

        例)子供と大人で同じ服装

          子供と大人で同じ遊び

          子供の性に関しての配慮なし

 

●近代

子供に特有、かつ本質的に大人と区別される特殊性への意識の発生

→ 子供期への二つのまなざし

@       子供の「愛らしさ」からくる可愛がりの意識

・家庭環境の中や幼児たちを相手にするさいに出現。

A       子供を文明的で理性的な人間へと育てる配慮の意識

・家庭の外部、文明的で理性的な習俗を待ち望むモラリスト達に源を発する。

 → この二つの意識が、衛生と身体的健康への配慮に結び付けられる形で

   18世紀に家庭の中にみとめられる。

 ⇒ 子供と大人が分離していく。

⇒ 保護され、愛され、教育される対象としての<子供>の誕生

 

 

教育制度の変化

〜 中世の学校・徒弟修業から近代の「学校」へ 〜

●中世

 中世の学校

     聖職者、宗教関係者のためのもの。

→ 通っている人はごく一部。

     段階化されたプログラムの欠如。

     難易性の異なる学問の同時教育。

     年齢の無視と学生の放任。

⇒ 学校に入ったそのときから子供は直ちに大人の世界に入る。

徒弟修業

     当時の主流。

     7歳になった子供を徒弟として他家へ送りこみ、一方で他人の子供を受け入れる。

 → 親子での家族意識を培うことができない。

子供は見習い修行での生活を通して知識と実務経験を得る。

⇒ 子供と大人の不分離

価値と知識の伝達、より一般的にいって子供の社会化は、家族によって保証されていたのでも、監督されていたのでもなかった。子供たちはすぐに両親から引き離され、数世紀間にわたって教育はそのおかげで子供ないし若い大人が大人たちと混在すると徒弟修業によって保証されていたといえるのである。子供は大人たちの行うことを手伝いながら、知るべきことを学んでいた。(1頁下段)

 

●近代

「学校」

     中産階級を中心に学校へ通わせる人が増加。

 → 徒弟修業に出す必要がなくなる。

     「生徒と教師」という構図。

→ 教えられる対象としての生徒→子供 教える立場である教師→大人

 ⇒ 子供と大人が明確に区別される。

 ⇒ 子供と親との家族意識の接近。

 

家族の変化

〜 中世の「開かれた」家族から近代の「閉じた」家族へ 〜

●中世

「開かれた」家族

     家族は共同体に対して「開けている」。

     社交生活、職業生活、私生活の間に区別がない。

     血縁関係にないものも住んでいる人数の多い大所帯。

⇒ 家族意識が形成されにくい

この家族は感情教育の機能はもたなかった。といってもそれは愛情が存在していなかったというのではない。(中略)夫婦の間、親子の間での感情は、家族の生活にとっても、その均衡のためにも、必要なものとされていたのではなかった。(中略)感情の交流や社会的なコミュニケーションは家庭の外にあって、隣人、友人、親方や奉公人、子供と老人、女性や男性から構成されているきわめて濃密かつ熱い「環境」によって保証されていたのであり、そこで愛情関係をもつことはたいした拘束もされていなかったのである。(2頁下段)

 

●近代

「閉じた」家族

     家族は共同体に対して閉じた存在になる。

     社交生活、職業生活、私生活がそれぞれ分離するようになる。

     家屋は親子のみに縮小された家族に占められることになる。

⇒ 家族という意識の発達

⇒ 近代の家族では、<子供>は以前と比べてはるかに重要な登場人物となり、

親の関心が子供へと向かうようになる。

家庭は、子供をめぐって組織され、子供たちを以前に置かれていた匿名の状態からぬけ出させ重要なものとし始める。(3頁下段)

 

 

.本書への批判

・ 中世と近代の家族形態について説明されているものの、中産階級から生じたモデルについてばかり述べられている。

 ⇒ 同時代のそれ以外の階層は?またそれ以外の階層との差異は??

※他にも「一般庶民に焦点をあてていない」「国家の存在を無視している」など。

 

 

5.まとめ

しかし、『<子供>の誕生』は家族史および社会史の古典としての影響は絶大。

批判するにせよ、そうでないにせよ、『<子供>の誕生』は近代家族論を考える上で

 欠かせないものである。

 

 

参考文献

<子供>の誕生‐アンシャンレジーム期の子供と家族』アリエス著 杉田光信・杉田恵美子訳

みすず書房1980

『21世紀家族へ(新版)』落合恵美子 有斐閣 1997

『近代家族の成立と終焉』上野千鶴子 岩波書店1994

http://ja.wikipedia.org/wiki/