小熊英二研究会1 2005年12月2日
人物紹介:ミシェル・フーコー
総合政策学部2年 70402147 s04214kk 神谷 健
発表の流れ
1.フーコー概略
2.幼年時代
3.高等師範学校―アルチュセールとの出会い、葛藤と自殺未遂
4.マルクス、現代音楽、バシュラールの影響
5.『狂気の歴史』とカンギレム
6.ドュフェールとの同居
7.実存主義と構造主義
8.政治・社会運動へ
9.「知」と「イデオロギー」
10.フーコーへの批判
11.朋友愛
1.フーコー概略
・元のフルネーム:ポール=ミシェル・フーコー(長男、祖父以来の「ポール」)
・20世紀最大の思想家・哲学家の一人
・1926年フランスのポワティエに生まれ、1984年58歳でエイズで亡くなる
・言説理論、系譜学、考古学、権力と知の関係、主体の問題など多岐にわたるテーマ
・広範な影響:フェミニズム、ジェンダー、クイア理論、カルチュラル・スタディーズ、ポスト・コロニアルをはじめとする広範な影響
・EX:エドワード・サイード『オリエンタリズム』
アントニオ・ネグリ、マイケル・ハート『<帝国>』
2.幼年時代
【家庭環境】
・1歳上の姉:フランシーヌと7際下の弟:ドゥニ
・家は裕福(白い邸宅、別荘持ち、不自由なし)
・父は医者で町の名士、母親は父のマネージャーで使用人も管理
・宗教は名目上はカトリックだが実際は慣習程度、フーコーも自然と離れていく
・第三共和制(「弁護士と医者の共和制」)の側、家族は教育の非宗教化を支持
【迫り来る戦争】
・1934年7月25日(7歳の時)のナチスによるオーストリア首相ドールフスの暗殺事件で大きな恐怖を感じた、と言う(後のオーストリア併合へ繋がる)
・スペイン内戦から逃れてきた避難民がポワティエに
・迫り来る戦争とドイツによる占領・抑圧、フランス人も加担したジプシーやユダヤ人の迫害
・サン・スタニスラスでの厳しい規律での苦痛の記憶
3.高等師範学校―アルチュセールとの出会い、葛藤と自殺未遂
・1946年、高等師範学校に晴れて入学(公務員試補手当をもらえる準公務員)
・秘密結社のような高等師範学校の雰囲気に参るフーコー
・友人のモーリス・パンゲに「耐えがたい」
・入学後2年経った1948年、自殺未遂
・1950年6月17日にも自殺未遂
→ゲイであることによる悩み?(1949年公の場で男性同士ダンスすることを禁止するパリの条例)
→自殺の観念への関心
・自殺や同性愛を禁じるキリスト教倫理への反発と同倫理の相対化
・もっとも個人的・私的な瞬間に対する自由
「死は権力の限界であり、権力の手には捉えられぬ時点である。死は人間存在の最も秘密な点、最も私的な点である。自殺が―かつては罪であった、というのも、地上世界の君主であれ彼岸の君主であれ、君主だけが行使する権利のあった死に対する権利を、まさに彼から不当に奪う一つのやり方であったからだが―十九世紀に、社会学的分析の場に入った最初の行動の一つであったというのは驚くに当たらない。それは、生に対し行使される権力の境界にあって、その間隙、死ぬことに対する個人的で私的な権利を出現させたのだ。」(『性の歴史T 知への意志』pp.175−176)
・聴講・読書がフロイト→メルロ=ポンティ→ハイデガー→ニーチェへ
・高等師範でのルイ・アルチュセール(ノルマリアンの導師的存在)との出会い
4.マルクス、現代音楽、バシュラールの影響
・1950年 フランス共産党に入党(本人によると1948年に入党したアルチュセールの影響も)
・当時はレジスタンス神話で大きな勢力を誇り、高等師範学校の生徒も多くは党員だった
・同年7月、大学教員資格試験に失敗(共産党入党のため?)
・翌年の6月、同試験合格、1952年10月より北部の都市リールで心理学の助手として働くことになる(一緒に勉強してジャン・ポール・アロンと仲良くなる)
・1954年か1955年に反ユダヤ的性格と思われる陰謀事件で党に不信を抱き脱党、アルチュセールとの仲は特に変わらず
54年版「精神疾患と人格」:aliénation mentale(精神上の自己疎外)
62年版「精神疾患と心理学」:folie(狂気)
・初期マルクス的な疎外論からニーチェ・ハイデガーへの拠り所の変化
・ニーチェ以外に最も影響を受けたというジャン・バラケ(一時期親密な関係だった)やピエール・ブーレーズなどのセリー音楽(要注)や十二音技法の音楽
「[私にとって]現代音楽は、ニーチェの読書と同じくらい非常に重要なものだったのです。」(p.71)
20世紀前半の芸術活動:絶対的なものの崩壊・中心の喪失と、人工的で自立的な世界の構築;すべての物事を相互の関係性から捉えようとする姿勢
・ガストン・バシュラール:ノルマリアン・フーコーに多大な影響
バシュラールの既存の価値付けを無視した分析→フーコーのアルシーヴ(資料集成)
認識論的障害:科学的認識を阻む固定観念やイデオロギー(大事であるものとそうでないものの区別など)
認識論的切断:認識論的障害を乗り越え新しい認識が生まれる状態
→非連続的な科学観=その後の科学哲学・科学史・思想史の軸の一つに
・スウェーデン・ウプサラ大学:「ある種の自由は、<・・・>直接的に制限された社会と同じような制限の効果をもちうるのだということを発見」(pp.89-90)
狂気の歴史に関する博士論文を書き始める
・ポーランド・ワルシャワ大学:共産党による抑圧を体験
・ドイツ・ハンブルクのフランス学院:『狂気の歴史』となる論文を完成させる
・ジャン・イポリットに博士論文について相談、科学史家ジョルジュ・カンギレムを紹介される。カンギレムは指導教官は引き受けるが、ほとんど関わらない
5.『狂気の歴史』とカンギレム
・カンギレムとフーコーの論の接点:「心理学とは何か?」(1956年のカンギレム講義)
・精神の物理学としての心理学は機械的な計算で人間を説明するために道具・装置としての人間という人間像をつくり上げ、心理学者をこれを管理・運営する優越者としてしまった。→フーコーの『臨床医学の誕生』に影響?
フーコーのカンギレム評価:
・哲学者はほぼ全て影響を受けている
・カンギレム抜きではアルチュセール・アルチュセール学派・フランスのマルクス主義者・ブルデュー・ラカン派の精神分析のどれも理解できない
カンギレムの仕事のポイント:
・科学史は真実の歴史ではない。どのようにして真実とされるものが作られたかが問題である。
・生物学においては対象の設定と概念の形成過程が問題である→?p.101
・問題は誰が発見発明をしたかではなく、それを可能にした「概念の歴史」である
→フーコーに影響:『狂気の歴史』=「理性」に対する「非理性」や「狂気」という概念がどのように形成されたかの歴史
6.ドュフェールとの同居
前年の父の死による遺産で1960年にパリにアパートを買う
ダニエル・ドゥフェールと関係を持ち(彼は10代からゲイであることをオープンにしていた)、同居をはじめる(以後後半生を共にする)。同居は周知の事実となっていた。
アルジェリア戦争反対運動で活発に活動するドゥフェールに影響受ける
大学アカデミズムを含むフランス社会ではゲイは否定的に見られ、法律にもホモセクシュアルに対する闘いが謳われていた。フーコー自身、彼を国民教育相高等教育局の次長とする計画がそれを理由につぶされた。一方、高等行政学院(ENA)の卒業審査委員、大学改革のための委員会委員なども務めていた。
7.実存主義と構造主義
【『言葉と物』のヒット】
売れまくった『言葉と物』(1966年4月出版)→書評も出ないうちに3度も増刷
フーコー、一躍時の人へ、「『人間』の終焉」のテーゼを中心に世界的有名人に
背景に、60年代の構造主義の潮流(1962年レヴィ・ストロース『野生の思考』、1965年アルチュセール『マルクスのために』、1965年アルチュセール、バリバール、ランシエール『資本論を読む』、1966年ジャック・ラカン『エクリ』)
マルクス主義やサルトルへの批判から、左翼に敵対すると捉えられた
理解されなかった問題意識、実践の問題が欠如しているというサルトルの批判:
「ブルジョワジーが、マルクスに対抗して作りうる最後の柵」(p.176)
1964年9月より同棲相手ダニエル・ドゥフェールがチュニジアでの教育奉仕へ、度々訪問
1966年9月、騒々しいフランスを離れチュニス大学で教えるためにチュニジアへ
【実存主義と構造主義の対立】
60年代フランスの最大の思想的問題:
実存主義的マルクス主義のサルトル陣営vs.レヴィ=ストロースらの構造主義
自律して動く主体としての人間vs.社会の関係性の中で形成され、規定される人間
フーコーの構造主義の説明
方法としての構造主義:何かの起源ではなくむしろそれを成り立たせている諸関係に注目
一般化された構造主義:文化や科学などが何に結びついているかを探求
構造主義=現状肯定のイデオロギーという批判
構造に規定されているからと言って構造を変えられないわけではない(フーコーの応答)
構造主義の革命:近代的主体概念の崩壊
8.政治・社会運動へ
【チュニジアの体験と5月革命】
・チュニジア滞在中の体験
・5月革命とのかかわり
【GIP(刑務所情報集団)】
・1971年2月 フーコーを中心にスタート、70年代前半を通して活動に打ち込む
・刑務所の状況を調査・公開
・時代背景:新左翼運動などの活動家が多く拘禁されていた時代
・→GIPは狂気の歴史の「異常者の隔離・監禁」への関心の実践
・匿名、規則なし、リーダーなし、組織なしの新しい社会運動の形態
・抽象的な理念、全体化よりも現実の具体的な行動
・サルトル型(知識人が大衆を指導する)の否定、「1人のメンバー」
・「普遍的な知識人」に対して「特定分野の知識人」
【ホモセクシュアル解放運動とのかかわり】
・1971年「ホモセクシュアル革命的行動戦線」(FHAR)のギィ・オッティンガム
・公然とホモセクシュアルであることを言おうという運動
・オッティンガムはフーコーとの対談で自分たちが「狂人」の位置を継承した主張
・フーコーは好意的だったが直接はかかわらず
・編集代表フェリックス・ガタリの雑誌『ルシェルシュ』に掲載された特集「三十億人の倒錯者 同性愛の大百科」に名前を出してかかわる
・1974年の雑誌『コンバ』に裁判を批判した「性と政治」という小論を書く
同性愛の表現の自由
性的行為の要求が政治的運動たりえるか
の二つを真の問題点と主張
9.「知」と「イデオロギー」
【『監獄の誕生』とアルチュセール】
1970年12月 コレージュ・ド・フランス教授就任演説
「真理への意志(volonté de vérité)」 :なにが正当な言葉かを規定するシステム(教育、出版、図書館、研究所など)。言論に圧力をかけ、拘束する。
・ルイ・アルチュセールの論文
「イデオロギーと国家のイデオロギー装置―探求のためのノート」
国家装置(AE、軍隊や警察など)と区別される、国家のイデオロギー装置(AIE、家族制度、学校、マスコミ、政治組織、司法制度、組合、宗教組織など)の概念を提案
・イデオロギーを刷り込み自発的服従を起こすための装置、という基本構図は共通
・「真理への意志」≒「国家のイデオロギー装置」?
・フーコーの用語法から「言説」が減り「知(savoir)」(≒イデオロギー?)が増える
・学問体系の系譜という観点から、権力の問題の観点へのシフト
10.フーコーへの批判
【フーコーへの批判】
・ジャック・レオナール、ミシェール・ペロなどの批判者
・歴史的事実が正確ではない
・図式が単純化しすぎている
・フーコー自身の仕事も普遍的でない
・作品によって立場が変わっている
・フーコーの作品に貫かれているリベラルな価値観は批判されている近代理性的なものである
・反乱するべき、戦うべき主体とは誰なのか?
・イラン革命やポーランドの反体制運動への共感
→新しい抵抗の形態を発見?
『知への意志』以降のフーコーの方向性
・既存の支配の形態を明らかにすることで闘うべき対象がわかる
・近代以前の主体概念がどのようなものであったかを探ることで抵抗の指針を得る
→2点目が「性の歴史」の古代の性や倫理のあり方を描いた続刊の背景
11.朋友愛
【新天地カリフォルニア】
ニューヨーク・クリストファー・ストリート界隈、サンフランシスコ・カストロ・ストリート界隈などのゲイ・バーやゲイの浴場に通う
→浴場が性も含めた社交の場であり、性が大きな問題ではなかったというギリシャ・ローマの性についてのフーコーの考察と関係?
自由な人間同士の関係:同性愛の認知だけでなく、むしろ異性愛の解放へ
朋友愛の問題へと収斂→近代的主体やそれを管理する装置が崩壊したとき、人はどのように他者と結びつくことができるのか
「哲学、ここで私は哲学という活動のことをいっているのだが、もし、それが、思考自身についての思考を批判する仕事ではないのだとしたら、今日、哲学とは何だろうか?もし、哲学が、すでに知っていることを正当として認めさせるかわりに、今とは違ったやり方で考えることが、どのように、どこまで可能なのか知ろうと企てないのなら、哲学とは何だろうか?」(pp.284-285、もとは『性の歴史U 快楽の活用』の序文)
(書名がないページ数は全て 桜井 哲夫著 『フーコー 知と権力』より引用)
■参考文献
Ø ミシェル・フーコー著 『知の考古学』河出書房新社 1981年
Ø
Foucault,
Michel著 『L’Archeologie du savoir』Editions Gallimard 1969年
Ø ミシェル・フーコー著 『監獄の誕生 −監視と処罰−』新潮社 1977年
Ø Said, Edward W. 『Orientalism』Vintage Books 1979年
Ø 大城 信哉著 『図解雑学 構造主義』小野 功生監修 ナツメ社 2004年
Ø 中山 元著 『フーコー入門』 ちくま新書 1996年
Ø 桜井 哲夫著 『フーコー 知と権力』講談社 2003年
Ø 内田 樹著 『寝ながら学べる構造主義』文春新書 2002年
Ø 小阪 修平著 『そうだったのか現代思想 ニーチェからフーコーまで』講談社+α文庫 2002年
Ø ジル・ドゥルーズ著 『フーコー』 河出書房新社 1986年
Ø ミシェル・フーコー『性の歴史T 知への意志』新潮社 1986年
Ø ルイ・アルチュセール『再生産について』平凡社 2005年