『単一民族神話の起源』が売り上げ第9位を記録。(三省堂書店神田本店、人文書、1999年8月30日〜9月5日)

小熊英二


『単一民族神話の起源』

書誌データ:小熊英二 『単一民族神話の起源:<日本人>の自画像の系譜』、新曜社、1995年、3914円。



自著を語る

『単一民族神話の起源』−−<日本人>の自画像の系譜

 著者というものはだれでもそうだろうが、表現したいと思った内容を盛り込むのに必要だからこそ、数百ページの著作をなす。それを数ページで語るのは、ずいぶん苦しいものだ。しかもこの小文を読むのは本書をまだ読んでいない人が大部分だろうから、「自著を語る」以前に、内容紹介もせずばなるまい。

 さて、本書の表のテーマ、つまり正面に掲げてある大筋からいこう。それは一言でいえば、「日本は単一民族国家である」という神話は戦後のものだ、という主張である。

 本書は、いわゆる単一民族神話がいつどのように発生し定着したかを内村鑑三を始めとしたキリスト者、穂積八束などの国体論者、鳥居龍三ほか人類学者、北一輝や大川周明など右翼系論者、佐野学など左翼系論者、そのほか喜田貞吉や高群逸枝、柳田国男、津田左右吉、和辻哲郎、さらには朝鮮総督府や文部省、厚生省、優勢学系勢力などの論調を題材として追跡している。こんにちでは忘れられがちなことだが、戦前の日本は朝鮮・台湾などを含む多民族帝国であり、国定教科書にも「国民」の三割が非日系であることが明記されていた。しかも日本民族も、朝鮮系・アイヌ系・南方系などの混合民族とされ、日本と朝鮮は人種的・文化的類似点が多いばかりか、天皇家にも朝鮮系の血統が流入していると強調しつつ、だからこそ朝鮮・台湾は日本に融合同化できると主張されていたのである。列島には古代いらい純粋な日本民族だけがいたとか、日本には日本民族しかいないといった論調は、論壇上でみるかぎり、朝鮮・台湾を喪失した戦後になって定着したものなのだ。

 こうした内容は、人によっては意外な印象を与えるらしい。実際に私自身、単一民族神話は日本の国民国家形成と天皇制を支える重要な柱であったにちがいないから、おそらく明治初期にその原型がつくられ、植民地支配と十五年戦争にともなって強化されたのだろうという思い込みを研究前にもっていた。ところが上記のような研究結果が出てしまうと、今度はなぜ自分がそのような思い込みをもっていたのかの方が不思議になってくる。

 その理由はいくつか考えられる。まず第一に、大日本帝国=ファシズム=ナチス=純血民族主義、という図式にとらわれすぎていたことである。本書中でも述べたことだが、こんにち人種差別の典型例として挙がることの多いナチスのユダヤ人政策や南アのアパルトヘイトなどは、いずれも人種間の差異を強調・維持する隔離型のものであり、民族間の差異を抹殺しようとした同化政策とは性質を異にしている。日本の対朝鮮人政策は、ドイツのユダヤ人政策に比較例をもとめるとしても、ナチス時代より、むしろ改宗による同化を中心とした、十九世紀のそれに近い。ところがナチスのユダヤ人政策の印象があまりにも強かったため、その他の差別は、ナチスとどれだけ似ているかで悪の程度が計られるかのような固定観念をもっていた。それゆえ、「大日本帝国はナチスとちがう」という言葉が、あたかも大日本帝国擁護のように聞こえてしまうあいだは、ナチスと別種の現象として研究するなどということはできなかった。

 第二に、大日本帝国の支配的イデオロギーを、現在の保守思想と同一視していたことが挙げられる。その結果、現在の保守系の人々が単一民族神話を掲げているのだから、大日本帝国もそうだったにちがいない、と思い込んでいた。しかしこれも本書で述べたことだが、戦後の単一民族神話は津田や和辻の思想に典型的にみられるように象徴天皇制構想とペアになって広まったが、これは多民族帝国を統べるストロングマンという戦前の天皇像とはいささか異なっている。象徴天皇は日本民族だけの天皇として構想されたがゆえに、閉鎖的かつ排外的ではあっても、異民族の上に君臨していくものとは考えられていなかった。むしろ騎馬民族渡来説のように、武力によって先住民族を征服してゆく天皇像のほうが大日本帝国には好都合だったのであり、騎馬民族渡来説は戦前の公認考古学説の直系にあたるといってよい。

 あたりまえのことだが、現実の差別や抑圧の形態は多様である。にもかかわらず、しかも大日本帝国のことをじつはそれほど理解していたわけでもないのに、ナチスや現在の保守思想と同じだとみなしていたのは、なぜだったのか。うまく表現できないが、その前提にあったのは、「悪はみな同じである」という発想だったように思う。

 戦後の日本が進むべき方向を定めてきたさい、指標のひとつは、大日本帝国のようになってはならないということだった。その時々において危険と思われる現象は、しばしば日本帝国主義の復活といわれたり、ファシズム時代前夜に似ているとされてきた。しかしいつのまにか、人々のあいだに、自分が信じる善のネガにあわせて大日本帝国の像を描くという傾向があらわれているように思う。だからこそ、小沢一郎氏のように、大日本帝国は欧米に協調しなかったのがいけなかったのであり、それを反省して国際貢献で自衛隊を海外派遣するのだ、などという主張が出たりする。きっと彼なら、ナチス・ドイツもPKO反対論者も、欧米に協調しないという点から大日本帝国と同じだというだろう。

 また本書では、敗戦直後の左翼系の人々のなかで、「多民族国家」という言葉が、植民地領有国家や帝国主義国家の同義語とされていたことを挙げてある。そこでは大日本帝国は「多民族国家」と表現され、その反対概念として単一民族国家のほうがのぞましいものとされていた。当時の民族問題に関する最高の回答は、複数民族の共存ではなく、民族自決と植民地独立闘争で各地の民族が(単一民族の)国民国家をつくることだった。ところが外国人労働者や在日韓国朝鮮人の問題が注目されてくるにつれて、今度は多民族国家のほうがのぞましいもので、大日本帝国は単一民族神話に支配されていたという見解が流布していったのである。

 しばしば指摘されるように、過去にかんする歴史なり記憶は、現在の世界観や自己同一性を保障するものとして、現在においてつくられる。そしてじつはこれが、単一民族神話の時代的起源の探求という表のテーマに対して、本書の裏のメインテーマでもある。本書では、様々な論者たちについて、その思想と民族論の関係を検討してあるが、その一つひとつが、過去(この場合は民族の歴史)の創造のケース・スタディとなっている。たとえばアナーキストが、マルクス主義者が、国体論者が、女性運動家が、民俗学者が、優勢学系論者が、総督府官僚が、自分の思想と世界観を保つためにどんな古代像を必要としたかを、上記した人々を題材に論じた。ただし創造の事実より、創造のしかたのバリエーションや相互対立に重点をおいて記述してある。

 そのそれぞれの内容は、表のテーマとちがってここでは語りきれないので、読んでもらうしかない。さらに、民族アイデンティティというかたちをとったときの普遍と特殊の対立、そして自己と相手の同一性を抱き合わせで溶解してゆくような日本の同化イデオロギーのありかたなどが第三のテーマとして盛り込んであるのだが、これもお読みいただくしかないだろう。本書は、そうした裏のテーマをあつかった章を二十ほどつなぎあわせて表のテーマを描くという手法をとっている。極端にいうと、単一民族論の変遷史などは、書いた側にとってはネックレスの紐か団子の串のようなもので、なくては困る大筋ではあるけれど、それ自体にあまり思い入れはない。だから本書のことを、近代日本の民族思想の系譜学だろうとか、日本の外国人排斥思想の根源を探ったものでしょうとか、民族問題や植民地支配の研究書ですねとか言われると、それらも兼ねて書いたのではあるけれど、いささか違和感をもってしまう。すくなくとも、たんに日本民族論の概史を書くつもりだけだったなら、論者の検討に紙数を割いたり多くの引用をやったりして、大部の(五百項近い)本にしてしまう必要はなかった。というわけで、もしお読みになる機会があれば、あまり急がずに一章ずつを読んでいただきたい。著者としては、柳田、津田、和辻、高群などをとりあげた各章が、気に入っている。

 ようやく「自著を語る」らしくなったところで、紙数も尽きた。本書は、こんにち単一民族神話への批判が強まっているのは、経済大国に膨張した現在の日本がもはや良くも悪くも「一国平和主義」の戦後体制に適合しなくなってきたからであり、梅原猛や石原慎太郎など保守系の論者からも単一民族論批判が出はじめていることを指摘して終わっている。日本がふたたび多民族国家になるということが、しばしば理想化して語られるような多文化の共存への道なのか、それとも国際国家という名の大国化なのか、それはいまのところわからない。いずれにせよ、日本があたらしい自画像を、自国の歴史を、もとめはじめようとしていることは確なようだ。

(小熊英二、情況、1995年10月号)


書評1

刺激的な主題を 客観性貫いて追求

 いくさの中に青春埋もれ加害者と知れるさみしさ韓国に来て 上野喜子(朝日歌壇7月16日)

 1910年8月、日韓併合を祝して新聞雑誌は一斉に特集を組み、古代日本は混合民族で、朝鮮民族と血縁が深く、併合は復古であるとし、両民族の同化を提唱する大隈重信、海老名弾正、内藤湖南らの論を掲載した。家族国家論や、かつて内地雑居に反対した井上哲次郎ら純血論者は沈黙を余儀なくされる。混合民族論は公認学説となり、両民族の「同祖論」は朝鮮総督府の同化政策を支える理論的支柱となった。家族国家論者も、台湾人や朝鮮人を家族国家の「養子」と性格づけて、純血政策から転向した。

 ところが大正中期より逆流が始まる。柳田国男は、ジュネーブでの孤独体験から、日本を「常民」の住む危うい孤島と感じ、土着文化防衛に使命感をもつ。津田左右吉は、記紀の記述を単なる物語とし、民族対立や大陸人渡来の史実性ないし重要性を否定した。和辻哲郎も、善悪の彼岸の「自然的生」という日本的特性の起源を、日本的風土の産物として有史以前に遡及(そきゅう)させ、渡来文化の過大評価を批判する。

 この潮流を側面から支持したのが、骨格の形質測定から石器時代人を日本人の直接的祖先とした清野謙次で、彼の「同祖論」の否定は、厚生省内で支配的な、民族の遺伝的形質の改良を説くナチかぶれの優生学論者たちの混血反対論と結びつく。ここに民族間結婚「奨励策」をとる朝鮮総督府との対立が生じた。

 植民地を失った戦後、混合民族論は政治的存在理由を失い、津田・和辻らの平和的古代像が象徴天皇制の論拠となり、原始共産制の内部解体から歴史を説明するマルクス史観とあいまって、単一民族論が有力となる。しかし国力回復・国際化とともに、騎馬民族説など、混合民族説が復活の兆しを見せている、という。

 刺激的な主題を学問的客観性を貫きつつ追求した傑作で、日本知識人の独善的世界像を分析する辛辣(しんらつ)な筆致は「戯画化された日本帝国主義論史」という印象を与える。筆者は日本を多国籍国家として構想すべきだとするが、それならば比較対象として、英仏の植民地問題とともに、一民族が優越的地位を占めるロシアや中国の少数民族問題も重要であろう。

(長尾龍一、朝日新聞、1995年8月20日)


書評2


  (、図書新聞、1995年9月30日)


書評3

”神話”はいかにしてつくり上げられたか

 近年、世界的に民族紛争が問題となってきているが、日本もまた国際化の進展の中、民族にかかわる新しい問題局面をむかえている。本書は、日本人の自画像を民族論の観点から、混合民族論と単一民族論の対抗とその変遷の角度から検討したもので、450ページにもわたる大著である。扱っている対象は、明治初期のモースや田口卯吉、井上哲次郎をはじめ、穂積八束、加藤弘之、坪井椄五郎、久米邦武、喜田貞吉、鳥居龍蔵、高群れ逸枝、さらには柳田國男、津田左右吉、和辻哲郎、また時々の新聞雑誌など膨大なものである。

 主張のアウトラインは、戦前においては植民地をかかえる国家的構成となったことを背景に混合民族論が主流となり、戦後植民地を失って後は単一民族論が一般的となったが、80年代以降ふたたび新たな混合民族論が台頭してきている、また単一民族論はすでに柳田や津田、和辻などによって用意されてきていた、というものである。
 
 そして著者の立場は、「民族の起源とされる数千年、数万年前と、現在の政治や社会の間に、何の関係があるというのだろう」。混合民族論であろうが、単一民族論であろうが、一元的に決定されうるものではなく、その意味ではともに神話にすぎない。今後の日本が多民族国家となるのは必然であるが「異なる者と共存するのに、神話は必要ない」、というものである。

 ナショナルな結合
 後略

(川田稔・日本福祉大学教授、エコノミスト、1995年12月5日号)


書評4

「日本社会は単一民族社会である」という神話は、どこからきたのだろうか。著者は、この神話は意外にも戦後生まれだという。

 本著は、この国が近代に開国して以来、自らをどのような民族として自己規定してきたかを、古代史学、人類学、民俗学などの碩学たちの学説を始め、国体論者やキリスト者たちの言説、ジャーナリズムの論調など、さまざまな言説の分析を手がかりに、その形成と変遷を明らかにしている。

 分析は多岐にわたるが、重要と思われるのは、日本が周辺諸国を植民地化しつつあった戦前期には、日本民族=混合民族論が支配的であったのに対し、敗戦後、領土が縮小し、周辺アジアを覆う冷戦の緊張から「一国平和主義」的に距離を置こうとする戦後期に入って、むしろ単一民族論が主流になったという指摘だ。戦後の単一民族論とは、日本は古来から単一民族の社会で民族間抗争の経験がない平和な稲作社会だったという主張である。

 著者はこのような日本人の民族に関する自己規定の変遷を「国際関係における他者との関係が変化するたびに、自画像たる日本民族論がゆれ動く」のであり、「日本民族の歴史と言いつつ、じつは自分の世界観や潜在意識の投影」に過ぎないと言い切る。

 とすれば、この単一民族神話が批判の矢面に立っている昨今の情勢はどう理解すればよいのか。それは、異文化が共生する多元主義社会へと日本をいざなう胎動なのか、それとも、「国際国家」という名の大国主義への露払いなのか。いずれにせよ、日本は再び新しい自己の民族像を求めようとしているらしい。

 ただ、一つの民族のアイデンティティとは自己と他者の二つのまなざしの交点に像を結ぶものである。とするなら、他者とくに周辺のアジア諸民族が日本をどのような民族として規定し、また、してきたかを覚知することが必要だ。本著では取り上げられなかったこの課題に著者の次なる挑戦を望みたい。

(山中速人・東京経済大学教授、産経新聞、1995年7月25日)


書評5


(ポスト・コロニアルな分析から言えば、小熊の議論も不徹底なものである。彼は「民族」と「国家」の概念を所与のものとすることで、「多民族国家」を「解」とする現状追随主義に陥っている。(上野千鶴子))  (冨山一郎、日本史研究、413号、1997年)


書評6

日本人の自画像覆す痛快さ

 「日本は単一民族だから」

 カナダやアメリカとの違いを説明するとき、しばしば出てくる主張だ。在日韓国・朝鮮人、アイヌなどもいるし、同じ「日本人」の間にもお互いに通じない方言もあったりするのだから、かなり雑な論法と言わざるをえない。

 日本に定住する外国人が増え、芥川賞候補になったり、帰化して選挙に出馬したりする今、この「単一民族神話」をそろそろ克服しないといけないだろう。

 しかし、根が深い。明治時代以来、日本人は「単一民族」という自画像をずっと保ち続けてきたのだからと漠然と信じてきた私は、この本に出合ってから目からうろこが落ちる思いだった。定説を覆してくれる本ほど痛快な読み物はない。

 戦前の大日本帝国は、台湾と朝鮮を併合して多くの非日系人をかかえ、紛れもない多民族帝国だったのだ。

 そして、著者が多くの思想家を取り上げ、豊富な資料をひもとき、歴史学、社会学両面から鮮やかに論証するように、多民族帝国にふさわしいイデオロギーが定着していた。日本人は混合民族で、それゆえ異民族を同化する能力に優れている。日本を家族国家ととらえながらも、帝国に取り込まれた異民族を「養子」と位置づける。

 単一民族神話はむしろ、戦後、日本が台湾・朝鮮半島を手放して国内の少数民族が激減してから一般化したのだ。

 一見不変なものでありそうな民族のアイデンティティーは、実は歴史の転換期を迎え、意外と流動的になる。

 今日、日本は再び岐路に立たされている。これを機に、他者を排除する、または他者に対する優位性を正当化するあらゆる「民族神話」を乗り越え、日本人が、そとの者を自然体で受け入れる寛容な民主的社会を築いていければと、本書を読んでつくづく思った。

(イアン・アーシー、産経新聞、1997年2月3日)


書評?

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【4】村上龍と風俗嬢の交換メール 13th Round  From 村上龍 to 藤木りえ
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※村上龍と風俗嬢の交換メールは不定期連載です。
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リエへ

今、全仏オープンでグラフが勝ったところ。
テニスの試合をじっくりフルセット見たのは久しぶりだった。
ものすごいゲームだった。
まだ興奮が冷めていません。
グラフを応援してたけど、
ヒンギスがあんなに強い選手だとは知らなかった。
これまでヒンギスの試合をじっくり見たことがなかった。

テレビで見るローランギャロスは懐かしかったな。
全仏オープンには86年と87年に行った。
ボージョレのワインメーカーがスポンサーについていて、
プレスルームではボージョレワインが好きなだけ飲めた。
軽く酔っぱらって、いいお天気のクレーコートで
テニスを眺めるのは楽しかった。

最近はテニスはほとんどやらない。
犬と散歩するくらいです。
あとはたまに泳ぐくらいかな。
リエは何かスポーツをやってるの?

今、非常に面白い本を読んでいます。
『単一民族神話の起源 ・<日本人>の自画像の系譜』
(小熊英二著:新曜社)という本です。
ひと頃話題になったから、読んでいる人も多いと思うんだけど、
こんなに面白い本に出会ったのは本当に久しぶりだ。
「日本人はどこから来たのか?」
「日本人のルーツは?」
「日本人は単一民族か混合民族か?」
みたいなことが、よく言われるけど、
この本はそういった言説がどのようにして生まれ、
どのようにして世論・一般論として形成され、
どのようにして定着し、どのように歴史に影響したかを
膨大な資料から検証するというものです。
たとえば柳田国男に関する章で、
著者は次のように書いています。
「・・・<われわれ>の描き方は<彼ら>との関係で決まる。
ゲルマンやラテン、カトリックやプロテスタントといった
自画像しかなかった人々が、アフリカやアジアとであって
『ヨーロッパ』や『白人』という自己を発見したように、
薩摩人や水戸人も、黒船の衝撃で『日本人』を発見した。
柳田もまた、ヨーロッパとの対決によって、
『日本人』を単一の存在として描く視点を体得したのである」
(第12章 「島国民族学の誕生」より)

80年代の終わりにテニス見物に行っている頃、
ぼくはただのツーリストだった。
ツーリストとしてヨーロッパを体験するのは辛いところがある。
何て言うか、歴史の重みと彼らの自信に押しつぶされそうになる。
1980年代でも辛いのだから、
明治の開国時代に欧州に視察に行ったエリートたちのショックは
すごいものがあっただろう。
彼らは日本のアイデンティティを必死になって探り始めるのだが、
その様子はビッグバンを迎える現代にも通じるものがある。
つまり現代に絶望した人間は、
過去に目を向けるようになるというようなことなんだけど、
今度会ったときに詳しく話します。

でも欧州コンプレックスは厳然として残っているよね。
フランスでもイタリアでもドイツでも、
地方都市やリゾートに日本料理屋なんかないでしょう?
でも、鎌倉とか伊豆とか、その他のちょっとした地方都市とかにも
なぜかイタリアンやフレンチがあるんだよ。
料理というのは素材や水や調味料・香辛料が重要だから、
基本的にローカルなものなのに、
日本の地方都市にひどくまずいフレンチやイタリアンがあるのは
かなり不思議なことなんだけど、
もっと不思議なのは誰もそれを不自然に思わないってことです。

じゃあ、また。
来週グランダムのロゼを飲もうか・・・。

柳田国男や中原中也は当時のヨーロッパで
グランダムやドンぺリのロゼとか、
クリュグとか、飲んだのかな?
いや、別にグランダムのロゼを飲んだからって
どうということもないんだけどさ
村上龍

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JMM [Japan Mail Media]                      No.013
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(村上龍、Japan Mail Media、1999年6月7日)