「起源」と歴史---戦後55年と社会の変動

世代交代で「記憶」風化
新たな体制・国家を模索

 近現代史研究者で『<日本人>の境界』の著者、小熊英二・慶応義塾大学助教授の講演(主催・季刊誌『EDGE』)が五日午後、那覇市内のホテルであった。<「起源」と歴史---戦後五十五年と社会の変動>と題した講演で小熊氏は、第二次大戦に起源を持つ「現代の体制」が、世代交代と近代化によって揺らぎや崩壊が起きており、国際秩序や国内秩序の再編の中で「国家の記憶」の正統性を探り、未来を模索する動きが世界的に起きている、と指摘。学校教育に反発して、台頭してきた自由主義史観や県平和資料館の展示変更問題を取り上げるなど、今日の社会の在り方を論じた。講演要旨を紹介する。

 国家的なまとまりを自らのよりどころとするナショナルアイデンティティーは、「基準となる他者」によって確定される。戦前の日本が欧米を優位にある他者として、アジアを劣位にある他者として認識することにより、国家的な位置づけを再確認したように、「われわれ意識」は、われわれではない他の集団の存在によって「境目」が設定される。「境目」は、沖縄では、 離島であったり、奄美であったり、日本であったりする。

 第二次大戦以降、大規模な国際秩序の変更によって成立した現在の国家群は、互いを他者と意識することによって相関的に自らを成立させてきた。それら国家群のナショナルアイデンティティーを長期にわたって下支えしてきた大きな要因が、第二次大戦以降の国家の記憶としての「戦争の歴史」だった。

 なぜ、歴史が人々のナショナルアイデンティティーを規定する重要な要因になるのか。それはこれまで歩んできた歴史をいかに描くのかが、現在の国家の置かれた場所を再確認し、ひいてはこれから歩む未来を見定めようとする行為と密接にかかわっているからである。

 現代の体制・国際秩序は、第二次世界大戦の一九四四年から四五年にかけてつくられた。沖縄戦が戦後沖縄の基点であるように、中国や韓国も抗日戦争を重視するなど、いまの集団・国ができた根拠を一番大切にしてい る。このように戦争やホロコーストをどのような意味をもった過去として現在に接続するかは、その国家に生きる人々がこれからどのように志向するか、という未来への意識の表れでもある。人々をひとつの国家的なまとまりとして線引きしてきた「建国前の暗黒時代、闘争(戦争)を経て栄光を獲得した」というパターンは、第二次大戦を体験した世代によって、その絶対性が保障され、近年まで世界各地で強固にナショナルアイデンティティーを下支えする役割を果たしてきた。

 しかし、国家の「歴史の記憶」を担ってきた戦争体験者が高齢化あるいは世代交代し、歴史の記憶の風化が進んでいる。記憶の喪失は、戦争世代によって規定されてきたナショナルアイデンティティーが、揺らぎはじめていることをも意味している。実際、冷戦終結後、これまでの国家の枠組みは世界各地で大きく書き換えられてきた。戦争世代の生きた証言がなくなりつつある今日、切実なのはその歴史をいかに記憶するか、いかに継承するかということであり、それはまた今日まで人々を規定してきた国家の枠組みをどのように問い直すのかという課題とも深くかかわっている。戦後五十五年を経た現在、それぞれの国家が揺らぐなかで、どこもかしこもその国の起源の記述の正統性を探り、未来の方向と新たな体制を模索し始めている。

 国家群の崩壊と揺らぎは、急速な近代化の影響もある。従来の共同体が崩れ、「個 人」が出てくると、アイデンティティーの模索が始まり、メディアによる「想像の共同体」、国民化が進む。それに伴い文化も変容してくる。

 このように「戦争の記憶の受け継ぎ」は限界がある。例えば、現実の複雑さを単純化しようとするとどうしても物語化したり伝統化する。そうすると、陳腐化し、学校教育など権力を使えば、反発される。「右」からの正統歴史観の見直しという自由主義史観は、学校教育への反発から生まれた。同様にこれまで正統視されていた沖縄史の再検討は、大田県政への反発という側面もあった。冷戦以降の国際秩序、国内秩序の再編という大きな流れのなかで「アメリカ」「ヤマト」「沖縄」の三者構成がこれからどのように変動するのか。いまだ不透明な部分は多いが、自明視されてきた「基準」や「他者」の在り方を見直すことによって、歴史の描かれ方はさまざまな角度から模索され、検討されなければならない。

 平和資料館の展示内容についての議論は社会の在り方をあらためて問い直し、これからの方向性を見定める重要な契機となった。だが、祖父母の代の戦争記憶の受け継ぎには限界がある。むしろ復帰運動、復帰以後という父母の代に目を向け、戦後史を学ぶことで、過去を定め、未来を模索することができる。

 よりよい未来を構築する上で、これまでの、またこれからの歴史叙述の在り方を一人ひとりが主体的に吟味してゆくことは、価値観の多様化する社会のなかでますます切実な課題となるだろう。

(2000年4月11日、沖縄タイムス)