沖縄から見たサミット 中

「平和か経済か」の限界

禍根を残す近視眼的な判断 民意を自由に表せる環境を



 いわゆる「本土」側の人間が、中央のメディアで沖縄を論ずるのはむずかしい。なぜなら沖縄の近代史は、本土側のご都合主義や「指導」によって沖縄側が振りまわされ、傷ついてきた歴史といってよいからである。ここでは最低限のことをいくつか述べたい。
 
 ■二者択一では計れぬ
 何よりも重要なのは、沖縄の民意を尊重することである。何を当然のことをといわれるかも知れない。沖縄の民意は世論調査や選挙で示されており、先の県知事選などで表されるように、沖縄の多数派は基地を容認したのだ、という見方もあるだろう。
 しかし、民意とは、それほど単純なものではない。選挙が民意をどれだけ反映できるのかという点はひとまず措くとしても、人間の意思は基地に「反対」か「容認」かという二者択一の表現で計れるものではないからである。

 おそらく沖縄の大多数の人々は、経済的・政治的に可能であれば基地撤廃を支持するだろう。たまたま現状では、基地容認と経済復興が不可分のように見せかけられているため、やむをえず容認の姿勢を示しているにすぎまい。

 これは日本との関係でも同じであって、経済的に可能ならば、独立を支持するかという世論調査では、約6割が賛成したという。しかしおそらく、「経済的に可能なら」という一句を設問から除いて調査すれば、独立支持は数字上では大きく減るだろう。
 
 ■「発展が第一」で一貫
 こうした事情があるため、沖縄の世論は、ときに「わかりにくい」ものと映る。一例をあげれば、復帰以前の世論調査では本土復帰に期待する意見が多数派だったのに、復帰直後ではこれが逆転し、1980年代にはふたたび復帰容認が盛り返した。これは数字上からみれば世論の変化にみえるが、実際としては、沖縄の人々は沖縄の発展w第一に考えているという事実を示しているにすぎないと思う。

 そこで一貫しているのは、沖縄の発展に日本所属が有利か否かという状況判断である。近年の沖縄では、基地を当面は実質的に容認しつつ「日本の一員」として生きるという提言を打ち出した知識人グループが注目されているが、その提言にも、沖縄にとって有利であれば日本内部の役割も容認しようという思考が読み取れる。こうした提言が現状では本土の保守勢力を利するものでしかないことは事実としても、将来の状況次第では、この提言者たちが強硬な基地反対論に転じても、何ら不思議ではないと思う。

 このように考えた場合、日本政府がサミットなどで、沖縄ではすでに基地は容認されたという前提で外交を行うことは、将来に禍根を残すことになると思う。

 なぜなら現在の基地容認論は、10年間で1000億円という振興策の存在抜きには考えられないからである。しかし沖縄に限らず、公共投資ばらまき体制は、財政事情や世論の批判で遠からず立ちゆかなくなるだろう。沖縄新興費が、計画より削減されることは、十分に考えられることだ。

 そのとき、現在の容認派も含めて、沖縄世論が大きく基地反対に傾く可能性がある。そうした可能性を考えれば、現在の近視眼的な情勢判断から、政府がアメリカ側に基地問題に関して安易な公約を行えば、将来苦しい事態を自ら招くことになるだろう。

 当然の話だが、銃を突き付けられながらサインした契約書が「自由意思」とは言えないように、選択の範囲を限定されて示されたものは、安定した民意ではない。そのような形式的な「民意」に依拠した政策は、将来の日本政府が公共投資という「銃」を失ったとき、代価を支払わされることになるだろう。

 そうした事態を避けるために政府が行えることは、沖縄側の選択肢を広げ、民意の表現を自由にする環境を整えることである。一見理想論のようでも、「平和か経済か」の二者択一を迫るかのような現在の姿勢よりも、沖縄側がより自由で納得のゆく自己決定が行える余地を外交交渉などによって整備した方が、後日になって「沖縄問題」を複雑化させるより、長期的に見て賢明なことではなかろうか。

 また本土側の革新派は、そうした環境整備への働きかけを重視すべきではあっても、「沖縄は振興策を拒否して基地反対を貫くべきだ」といった「指導」は控えるべきだと思う。これもまた、「平和か経済か」という二者択一を沖縄に迫ることになるからである。何より沖縄の人々は、日本の平和運動や反体制運動の砦となるために生活しているわけではない。
 
 ■削減ありうる振興費
 歴史的に、沖縄には本土の保守・革新の対立が持ち込まれ、沖縄人どうしが対立し傷つけあうことが繰り返されてきた。しかし沖縄の人びとは、沖縄外の勢力によって自分たちの運命が左右されることにうんざりしているだろう。

 最後に沖縄側にアドバイスすれば、基地を容認すれば公共投資がやってくるという体制は、財政事情その他からいって長続きしないという認識が必要だと思う。また政府の公共投資は反基地感情への対策なのだから、反対が弱まり基地容認の言質をとれば、もはや削減可能と判断される可能性も無視できない。

 復帰直前にも、即時復帰すれば沖縄は経済的に破綻するという言説が保守勢力からばらまかれ、選挙などで「復帰か経済か」という二者択一を迫ったことがあった。この設定が虚構だったことは、今となってはいうまでもない。経済振興のみが幸福かといった議論はここでは措くとして、現在の沖縄においても、「平和か経済か」といった二者択一の設定を疑うところから、未来を考えてよいはずだ。
 
(朝日新聞、2000年7月18日)