<国民の歴史>の制度疲労

「面白い話」に共鳴した教員たち
歴史教育論争の心象風景<中>

 藤岡信勝氏の自由主義史観をめぐっての論争が、注目を集めている。私は藤岡氏には賛同できない者だが、ここでは、この論争に書けていると思う論点だけを指摘する。

 この論争が、かつての教科書問題などと異なる点の1つは、藤岡氏が多くの教員の支持を得ていることにある。では、教員たちはなぜ藤岡氏を支持したのだろうか。

 私は、その最大の理由は、教育現場の困難な現状ではないかと考える。生徒が授業を聞いてくれない。私語が多く、注意は無視され、宿題もやってこない。校則でしめつけてみても、生徒との溝が深まるばかり。こうした状況にあって、教員たちが何をどう教えたらよいか迷い、これまでとはちがった教育方法を探し求めるのは当然である。まして歴史教育の場合、理科や数学などと異なり、冷戦の終結によって従来の価値観が大きくゆらいだことも作用しただろう。そうしたとき、「新しい歴史観、新しい方法による授業改革」を掲げる運動が表れたら、一定の支持を集めるのは無理もない。運動に参加した教員方には失礼な言い方になるが、これまでとは違うものを提起してくれるという期待がかけられる運動ならば、藤岡氏のそれでなくとも火がつくだけの土壌があったのではないかと思う。

 多くの反論者は、藤岡氏の歴史観には少なからぬ誤りがあると指摘する。しかし、藤岡氏に共鳴した教員たちが求めているのは、「学術的に間違いのない歴史観」ではなく、「生徒に面白く聞いてもらえる歴史観」なのではないか。その意味で、藤岡氏が賞賛するのが学者ではなく小説家の司馬遼太郎氏であり、またベストセラー『教科書が教えない歴史』がエピソード形式をとっていることは興味深い。一分の隙もない歴史学の学術書よりも、たとえ独断や間違いが入っていても、歴史小説のほうが面白いことはありがちだ。そして『教科書が教えない歴史』に収録されているエピソードは、教員が授業ですぐ使えるような「おもしろい話」ばかりである。

 歴史はエピソード混じりで、物語として教えた方が面白く聞いてもらえる。そして物語ならば、自分の国が主人公になって、困難な状況をのりこえ活躍する明るく楽しい筋書きのほうが評判がよいかもしれない。藤岡氏に共鳴した教員たちは、そう感じているのではないだろうか。同時に彼らは「おもしろく聞いてもらえる歴史観」だけでなく、「生徒が活発に発言してくれる授業方法」も求めているであろうから、ディベートという手法も試してみようという気になるだろう。上記はあくまで私の推測だが、もし彼らがそうした心理にあるのなら、それに対しどれほど細かい事実の誤りを指摘し、ディベートが学術的真理の探求には不適当であることを説いても、およそ議論はすれちがいになるだろうし、彼らの不安や焦燥感を解決する役には立つまい。

 私自身は、藤岡氏の運動自体については、長く支持を得るか否かは疑問だと思っている。藤岡氏が論争の過程でしだいに旧来の保守的論調に近づいており、「新しい歴史観」の提起者という期待を集めうる存在ではなくなりつつあるからである。思想的には寄合所帯としか思えない「新しい歴史教科書をつくる会」は、おそらく天皇観1つとっても呼かけ人や賛同者のあいだで議論をしたらまとまらないだろうし、統一した歴史教科書を作れるのかも不明である。たとえ作れたとしても、それが教室で「おもしろく聞いてもらえる歴史観」ではなかったと判明したときには、教員の支持は衰えるだろう。しかし、前述したような土壌が存在し続けるなら、たとえ藤岡氏が支持を失っても、また別の運動が発生する可能性は高いのではないか。

 私は、藤岡氏の運動の出現が示したことは、近代国民国家の成立とともに出発した歴史教育の制度疲労であると思っている。義務教育(現在では高校も事実上入る)と教科書をつうじて、全国民に共通の歴史観を教えるという制度は、複雑化と多様化が進むばかりの現代社会においてもなお可能なのか。戦後に改編されたとはいえ、百年以上前にその時代の必要性から生まれた制度を、現代において維持しなければならない責任を負っている現場教員のストレスは想像するに余りある。そうした問題の構造を意識しないまま、いかに重要とはいえ、教える歴史観の内容のちがいのみをめぐって議論しても、問題の根本的解決には不十分ではないだろうか。

(毎日新聞、1997年4月15日)