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☆            ディベート入門講座                ☆
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                   第4号  2000年4月22日


 さて、そろそろ新入社員・新入生も定着し始めるころだと思われます。この
時期になると「何のために(このような形式の)ディベートというものを
やるのだろうか」と疑問を持つ人が出てきます。2週間から1ヶ月くらい経ち、
ディベートの試合も何回か経験して、少し分かったような気がしてくるために
起こります。前回のクイズは、これに対応するためのものです。


(1) 確証バイアス

クイズ
以下の数字の列はある法則にのっとったものです。

2 4 6

1 3 5


さらに、以下のものも上の2つと同じ法則にのっとっています。

1 3 9

2 3 7


では、すべてに共通する法則は何でしょうか


 皆さんは答えがわかりましたか?答えは、たんに「左から右に大きくなる
数字の列」です。「何だそれだけ」と思われる方が多いと思います。最初の2つが
2ずつ大きくなるのを見、次の2つがそれに合わないため、もっと複雑な法則を
予想したのではないでしょうか?そのため、思考が固定してしまい、より簡単な
ものに戻れなくなったのです。

 この、1度何らかの仮説を設定するとそれを補強するような材料を探して
しまうことを、「確証バイアス」と呼びます。つまり、自分の考えを根本から疑う
ことができなくなるのです。

 ここからディベートの話題に入りますが、これをなくすことがディベートを
やる目的の1つです。よく「ディベートでは物事を2つの側面からしか見ない」
という理由でやめていく人が(特にこの時期)いますが、「2つしか」ではなく
「2つもある」のです。(その2つも多様な視点から戦略的に選ばれたものです。)
こういう物言いをする人自身たいてい、多角的にものを見ることなどできて
いないものです。ぜひあのクイズを解かせてみてください。正解率は1〜2割
だそうです。内容自体はどの入門書にも書いてあることですが、クイズがある
ことと「確証バイアス」という用語があることで説得力が違ってきます。

 また、このことは経験者にも言えます。ごくたまに、自分が正しいことを相手
(例えば上司)に納得させるためにディベートをやっている人がいます。しかし
その前に、本当に自分が正しいのか、それはどのような基準から考えて正しい
と言っているのかを確認する必要があります。ディベートをやることによって、
自分の視野の狭さを克服しなければならないでしょう。

 詳しくは印南一路『すぐれた意思決定』(中央公論新社)を参照してください。



(2) 事実と意見

クイズ
下の5つを事実と意見に分けなさい
1 私たちアメリカ人は他の国の人より機敏です。
2 このお話によると、ジョゼフは小屋に住んでいました。
3 私たちが読んだのはすばらしいお話でした。
4 この島の土着民は争いを好まぬおとなしい人たちでした。
5 彼らの国の言葉はおかしな言葉です。

同様に、次のものは事実でしょうか、意見でしょうか
「スミスの犬は羊を殺す」


 こちらのクイズはいかがでしたか?正解は、事実は2のみ。1・3・4・5は
意見。その下のものも意見です。上の5つは小学校の教科書レベルですので
(アメリカの)、大体の方はできたのではないでしょうか。下のは半数以上の方が
間違えたかもしれません。

 ディベートをやって身につく事の1つに「事実と意見」をしっかり区分け
できるようになることがあります。新聞にしても、会社の会議にしても自分の
意見(信念)は述べていても、その根拠となる事実を示さない人がかなりいます。
信念では説得的ではありません。どのような理由からそう考えるのかを論証
しなければ、何も考えていない同調者以外は味方してくれないでしょう。

 さて、初心者の場合の注意点ですが、2つあります。

1 形容詞等は意見である
2 統計は意見としてしか使用できない

「あれは美しい」と言われた場合には、「その人はそう考えるのか」という
ぐらいに聞くことができるはずです。しかし例えば「これこれは多い」も、
意見なのです。あるデータが30%という値を示していた場合、それは多い
のでしょうか少ないのでしょうか?「何についてか分からないから答えようが
ない」とみなさん考えるでしょう。それで正解です。つまり、どのような基準に
則すかによって、30という数字が多いか少ないのかの判断は変わるのです。

  このことは統計についても言えます。そして、調査手法に問題がないもの
であっても、それだけでは何の役にも立ちません。全てのデータについて
言えることですが、解釈を経てはじめてデータは利用可能になるのです。
逆にいえば、いかに「客観的」なデータを使っても、議論の余地は残る
ということです。

 詳しくは木下是雄『理科系の作文技術』(中公新書)をご覧ください。




  次回は、ディベートで学んだことをいかに現実の仕事・生活に役立てるかを
ベストセラーとなっているエッセイ、
遥洋子『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』(筑摩書房)
をもとに考えていきます。

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