「同一性を脱与件化したコミュニケーション−ある掲示板サイトの分析と考察」
丹羽 大介(環境情報学部3年 79857267)
1 はじめに−問題設定
この論文の表のテーマはある掲示板サイトの調査および分析であるが、社会学的な問題関心は「同一性を相当程度剥奪された人間たちがあつまって仮想のコミュニティをつくるとき、そこにはどのような秩序・規範がうまれるのだろうか。そしてそれは”現実の”我々の社会のそれとどのように異なるのだろうか」ということである。
近代において人間は前近代の社会的な拘束から「自由」になったとよくいわれるが、実際には我々はさまざまな形でアイデンティティーを持ち、当人が意識的であろうと無意識的であろうと自分に与えられた役割を果たすよう志向している。例えば私は日本人で大学生で男性であるが、このアイデンティティーをもつものが果たすであろうと期待されている役割とあまりに違う行動(例えば学校に全くいかない、女装をするなど)をすると、さまざまな社会的制裁を受ける。前近代社会においてアイデンティティーは「身分」という形で一生涯同じであったのに比べ、近代社会においてはそれが何らかのきっかけで変化することはあるが、しかしある程度の一貫性をもっていることには変わりがない。しかしこれは必ずしもネガティブなことではない。仮に人々がこのような同一性というものを全く持ち合わせていなかったら彼等は自分が何をもとめて、どのように行動すればよいのかがまったくわからなくなってしまうだろう。またアイデンティティーを持つことは他者とのコミュニケーションをも容易にする。なぜなら人々はコミュニケーションをするときに、その相手は役割からまったく外れた行動はとらないだろうと予想することができるからである。
しかし私がこれから調査・分析の対象にしようとしている「2ちゃんねる」(http://www.2ch.net)という掲示板サイトでは、この同一性という近代社会に生きる人々が自明の理として受け入れている前提が、成立しない。そこでは発言の多くは全くの匿名のもとでおこなわれ、人々は発言した内容そのものでしか、自らを、あるいは他者を、アイデンティファイできない。つまり書かれたテクストがコミュニケーションのすべてなのである。
こういった状況で、人々はどのようにしてコミュニケーションをおこなうのだろうか。当然の話であるが、人間は全くのカオスの中では生きていけない。人間は何らかのかたちで圧倒的に複雑なこの世界を類型化し、秩序だてていく必要がある。そして、人々がおたがいにコミュニケーションをするためには、それぞれがその類型化・秩序化のパターンをある程度共有する必要が−あるいは共有していると思い込む必要が−ある。我々はその類型化・秩序化のパターンが構成員によって共有された集団を「社会」と呼ぶことが出来るだろう。そこで、我々は2ちゃんねるのような極端に同一性の薄いコミュニティであっても、それが「仮想社会」であるならば、やはり類型化・秩序化が何らかのかたちでおこなわれ、共有されているはずであると予想することができる。私が今回調査・分析の目標としたいのは、そのパターンを言語化することである。そしてそこにおける類型化・秩序化を考察することは、近代社会において我々が所与のものとして考えているアイデンティティー=同一性を逆照射して問題化することが出来るだろうと考えている。
2 調査対象
本論に入る前に、調査対象について触れる。今回は掲示板コミュニティ「2ちゃんねる(http://www.2ch.net)を対象とする。このサイトはさまざまなカテゴリーの掲示板があつまった、いわば「掲示板コミュニティ」である。カテゴリは実に多岐にわたり、学問や政治問題などの「固い」ものから、スポーツやアイドルなどのどちらかというとやわらかいもの、またコンピュータのような技術系のものもある。そのなかにサブカテゴリがいくつか設けられる。たとえば「学問・文系」では、「文学・社会学・言語学」などのサブカテゴリが有る。さらにそれらのサブカテゴリの中に、「スレッド」というものがたてられる。これは要するにひとつのトピックであり、「社会学」においては「宮台を相対化する」「慶応の社会学科ってどうですか」などのスレッドがたてられている(カテゴリ、サブカテゴリは管理者が設定したものだが、スレッドはだれでも自由に立てることができる)。そして利用者はさまざまなスレッドを閲覧し、興味のあるものには書き込みをする。その書き込みは、アクセスの古い順番に掲示板に並べられる(要するに「非同期」型のコミュニケーションである)。2ちゃんねるは非常に巨大な掲示板サイトで、一日のアクセス数は実に100万を超える。もちろん同じ人がなんどもアクセスしているのでアクセス人数そのものはもっと少ないが、それでも数万人規模のコミュニティと言うことになる。
次に、今回の問題設定の点から、重要であると思われるこのコミュニティの特徴をいくつか具体的に挙げていくことにしよう。第一に、匿名性がある。ここでいう匿名性とは、要するに行為主体がコミュニケーションをするときに、彼または彼女は必ずしも自分の社会的属性−氏名、性別や職業、外見的な容姿などを明らかにする必要がないということである。第二に、そしてこれは第一の点よりもよりこのコミュニティの特徴をよくあらわしていると思われることなのであるが、行為主体の同一性が期待できないということである。どういうことか詳しく説明したい。通常バーチャルコミュニティにおいては、参加者はIDを与えられる。これはこれまで私が調査して来たYahooでも同じであり、どのIDにもパスワードがある。例えばNiwaというIDがあったとして、そのIDでコミュニティに入る−ログインすることが出来る人間はそのパスワードを知っているもののみである。もちろん、パスワードが洩れてしまったとか、他人に教えたという場合はこの限りではないが、ID Niwaの発言は、基本的に一人の人間によってなされていると想定される。もちろんNiwaはネット上で、自分の好きなキャラクターでいることはできるわけだが、それでもIDがある以上「Niwaである」という同一性は保たれている。しかし2ちゃんねるではこのようなID制をとっていない。「名前」の欄になんらかの名前を書き込むことはできるが、パスワードはないので、誰もがどんな名前でも名乗ることが出来る。当然これは名前にたいする信頼性の低下を招く。つまり同じスレッドで例えば1月にNiwaという名前で書き込みをした人と、2月にNiwaで書き込みをした人が同じであるとは想定できないのである。これが、2ちゃんねるが他のコミュニティと異なっている一つの大きな点である。
第三に、コミュニケーションの形態として、文字しか使えないということがある。最近は特にウェブなどを中心に、文字以外のコミュニケーションも目立つようになっている。画像を貼り付ける、音楽を流すなどがそれである。しかし2ちゃんねるにおいてはそのようなオプションは行為主体に与えられていない。最後に、既述したが非同期のコミュニケーションであるということが挙げられる。チャットが同期型のコミュニケーションであり、会話のようなものであるとするなら、非同期のコミュニケーションは不特定多数が手紙のやりとりをするようなものだといえる。
3 方法の問題
次に、調査方法について述べたい。前章で2ちゃんねるというコミュニティの特徴について説明したが、これらと、ここで成り立っている秩序の因果関係−あるいは調査を続けるうちにあらたな特徴を「発見」するかもしれないが−を説明するためには、どのような方法をとればよいだろうか。実際にはこれは非常に難しい作業である。というのは、筆者もまたこのコミュニティでコミュニケーションをする行為主体の一人であり、従って当然なんらかの予見をこのコミュニティに対して持っている。そこで、それを正当化するための材料だけを取り上げ、それをもって「因果関係を説明した」という根本的な矛盾に陥る危険性は十分あるからだ。それを避けるために、まず「秩序」という言葉をもっと明確に定義し、またそれをコミュニティの特徴と結びつけるブリッジを発案する必要がある。
そこで筆者は、まず「秩序」を二つにわけ、それぞれにアプローチをしようと思う。第一に、管理者が設定した「明文化されたルール」を分析すること(これはガイドラインという形でホームページに載せられている)。もちろんそれが書き込みをする人々にどの程度受け入れられているのか、ということは別問題であるが、管理者は不適当と感じた発言を削除する権限を持っている以上、なんらかの影響はあるといえるだろう。第二に、内面化された秩序を言語化するために、このコミュニティ特有の隠語−スラングに注目すること。これに関しては説明を要するだろうと思うので、以下に詳しく述べたい。もともとインターネットのコミュニケーションにおいては、独特の言葉づかいが多くなされている。その中にはコンピュータやネットワークに関わる技術的な言葉や、顔文字のようにコミュニケーションのチャンネルを増やそうとするものもあるが、今回の問題設定から注目すべきは、インターネットにおける特定のカテゴリに属する人々や振る舞いを指し示す言葉−例えば「ネカマ」「荒らし」などである。「ネカマ」はネット上で女性の振りをする男性のことを、荒らしはチャットサイトや掲示板サイトで暴言を吐いたり、意味のないメッセージを大量に書き込んでコミュニケーションを妨げたりするひとを指すが、これらはいずれもこれまでの対面コミュニケーションの社会ではありえなかった存在である。しかしいったん言語によって表象されると、それは「目に見える」ものとなり、インターネット上のコミュニケーションにおいて排除や忌避の対象となる。そしてその排除や忌避が当該集団の構成員に内面化されるとき、それは秩序になるといえるのである。もちろん、何をもって「ネカマ」とするか、何をもって「荒らし」とするかは、人によって、あるいはそれぞれの場合によって異なる。その意味で人々にはある程度恣意的にインターネットにおけるコミュニケーションのありかたを組み立てることができるのであるが(だからこそなにがネチケットにかなった行為かという議論も起こる)、しかし同じ言葉を使っている時点で枠組みを共有していることは間違いない。その枠組みを、この論文の中では「内面化された秩序」と定義したい。そして2ちゃんねるにおけるスラングを分析することで、その秩序−なにが排除されるのか、なにが守られるべきなのか、等−を明らかにすることができると考える。
以上おおまかな調査方針について述べてきたが、一方で管理者の定めた「明文化されたルール」を調査し、もう一方で掲示板をおとずれ、書き込む人々に内面化された秩序を言語化することで2ちゃんねるの「秩序」をよりダイナミックに分析することができると思う。
4 管理者の定めた「ルール」の分析
それでは本論に入りたい。まず前章で述べた通り、管理者の定めた「明文化された」ルールを見てみることにしよう。2ちゃんねるの管理者は西村博之という人で、彼は「ルールをきめて押し付けるようなことはしたくない」といいつつも次のようなものを決めている。
「1 他人に迷惑をかけるのはやめましょう。芸能人や公人ではない一般人の誹謗中傷、プライバシー暴露は禁止してます。
2 注意事項 必要以上の馴れ合いは慎しんでください。暴言や第3者を不快にさせるような発言はやめましょう。悪質な削除要請や自己中心的な発言はひかえましょう。人間的モラルやルール・ネットマナーに反した発言はやめましょう。
3 他人が見て面白いことを書こう 大勢の読者がいることを意識しましょう。
4 同じ内容のものがないか調べよう 質問する前に同じ内容のスレッドがないかどうか調べてみましょう。[i]」
これらが2ちゃんねるに書き込みをするひとが「最低限守るべきこと」であるというのだが、その趣旨はいかにもあいまいである。1の「プライバシー暴露」は確かにはっきりしたラインがあるかもしれないが(例えば電話番号や住所の書き込みはすぐわかるだろう)、必要以上の馴れ合いは「なにが必要以上なのか」といえば人によってそのラインは異なるであろうし、暴言や第三者を不快にさせるような発言というのもわかりにくい。例えば実社会の対面コミュニケーションにおいて、我々は場を盛り上げるためにわざと嘘をついたり、偽悪的になって心にもない悪口をいったりする。それらは場の文脈を無視して言葉の内容だけをとってみれば確かに「暴言」であったり、「不快」なものであったりするかもしれないが、しかしその場にいてそれを楽しんでいる人々が同じように受け取るかということは、別問題であろう。2ちゃんねるという掲示板サイトは確かに1日に100万を超えるアクセスがある「大コミュニティ」であるが、そこに書き込みをする人々が万単位の聴衆に訴えるつもりでそれをしているとは考えにくい。むしろ日ごろ言えない上司や教師の悪口とか、一般にタブーとされる話題(セックスや犯罪、「危険」思想など)に関する書き込みのほうが多いのではないかというのが、筆者の率直な実感である。しかも、管理者自身が「アダルト」とか「裏社会(この中には「交通違反の消し方」のようなサブカテゴリもある)」といったカテゴリをつくっているのであるから、なおさらこの文章の持つ意味はあいまいになってしまう。逆に言うと(ある人から見て)「暴言」を吐いたり「不快」な発言をした人が、これまで述べてきたようなことを逆手にとって自己防衛することも可能であろう。その意味でこのコミュニティの「明文化されたルール」はきわめて薄弱なものだと言わなくてはならない。
次に、「このようなことをしたら削除される」という「削除ガイドライン」なるものもある。これはかなり細かく量も多いので、どれくらいの人が目を通しているのか不明だが、引用しておく。ちなみに、これは前述の「削除人」向けという体裁で書かれている。
「1 個人情報の取り扱い(公人を除く) 住所、電話番号、銀行等の口座番号、この3つに関しては即効削除です。あらゆる例外は認められません。悪意善意ではなく、ルールであることをご理解下さい。 また、メールアドレス欄に騙りで入れている可能性の場合も削除します。その可能性 の判断は文意によります。 2 個人情報の取り扱い(公人の場合)
1)政治家・芸能人の個人情報は一切削除しません。結果としてクレームが先方から 来た場合は公的機関にその判断を委ねます。 2)インターネットで露出している情報、マスコミ電話帳で得られる情報、その他隠 されていない著名人の情報は一切削除しません。クレームが来た場合、話し合い の上お互いに納得出来ない場合は公的機関にその判断を委ねます。 (中略) 5 固定(個人)たたきの取り扱い誹謗板以外ではすべて移動・削除します。2ちゃんねるは個人を語る場所ではありま
せん。 (中略) 7 差別発言の取り扱い 地域名は、その真偽を問わず削除します。また、差別的意図を持った名字の書き込み
も削除します。また、不必要な煽り荒らしは削除対象とします。現状では、それ以外 の書き込みに関しては、議論となることを前提に静観します。 8 荒らし依頼
荒らしや迷惑をかけることだけを目的としているURL表記、メールアドレス等は削除です。 以上の8点に関しては、依頼が無くても削除人の独自判断に基づき削除します。 (略) 10 エロ・グロ系のスレッドの取り扱い 2ちゃんねるでは、特定の板を除いてエロ・下品ネタは原則禁止です。厨房板、お下 品板、えっちねた板以外では一律削除します。スレッド、発言とも、目に余る場合は 予告なく削除しても構いません。 11 板と主旨が違うスレッド・発言の取り扱い。 単なる煽り、荒らしスレッドの場合は削除です。議論を妨げる煽り、荒らしの発言も削除します。 12 特定の個人攻撃と特定できるスレッド・発言
一律削除します。削除に対する反論が出た場合は管理人に判断を委ねます。 13 誹謗中傷の取り扱い 憶測、ソース不明な個人攻撃、企業攻撃は、その依頼があってから判断します。が、 その判断は管理人が行います。 以上の5点に関しては、原則として削除依頼があった場合に行動します。ただし、これら13点はいずれも義務ではありません。「消さなければならないもの」「消しても構わないもの」「消してはいけないもの」を、削除人一人一人が冷静に判断しなければなりません。ただひたすらに消すのは言論封殺です(下線引用者による)。削除人は削除という手法で、ほんの少しだけ板の方向性を指し示す、そんなお仕事なのです。板の住民と一緒にいてこその削除人であるということを忘れないようにしましょう。
これから削除人になる皆さんへ。ガイドラインを参照にしてもまだグレーゾーンは数多くありますし、削除すべきか悩む部分も多くあるでしょう。申し訳ないですが、今はまだそういった悩む削除は我慢して下さい。ガイドラインは決してこれで固定されたものでなく、今度共に詰め、完成に近づけていきたいと考えています。また削除する際、各板の先頭に書いてある場合は、その板ごとのルールに従いましょう。 削除人の小さな心得 (ディスプレイに穴が開くまで読みましょう) 1.削除人は恣意的な削除をやってはいけません。あくまでルールに乗っ取った 公平な削除のみ、です。2.削除人はそのスレッドを読むに際し、客観的な視点を持って下さい。 「うざい」とあなたが思うのではなく、そこに参加している人がどう思っているかが 重要なポイントです。しかし勘違いしてはいけません。板住民の総意としても 「うざい」は削除基準には成り得ません。あくまでルールに乗っ取って、です。 つまり削除人は、個人の嗜好を捨てる必要があります。 まず最初は、個人情報、電話番号、コピペ、荒らし、差別を助長する地名・人名書き 込み等からが対象となります。3.削除人は、自分に対する叩き煽りには冷静になって下さい(下線引用者による)。 反応してはいけないとは言いませんが、削除人の発言、書き込みはそれなりの 影響力を持っています。(略)6.削除人は、何の責任も負う必要はありません。2ちゃんねるの全責任は管理人たる 西村博之が負います。ですが、だからといって無責任な行動は慎んで下さい。 削除人は2ちゃんねるの顔の一つです。7.削除人は自分の行動に自信を持って下さい。 逆に言えば、自信の持てる削除行動以外はしてはいけません。 悩みながらの削除は禁止です。消して良いか判らない場合は行動しないで下さい(下線引用者による)。(略)11. 削除人は削除対象を敢えて探すような行動をする必要はありません。探すのが仕事 ではなく、削除するのが仕事です。[ii]」 ごらんの通り、先ほどの一般利用者向けの注意事項と比べるとかなり具体的である。しかし逆にいうと、具体的であるからこそよけい矛盾が目立ってしまうともいえる。一方で、「削除人一人一人が冷静に判断しろ」といい、他方で「客観的な視点を持て」という。しかし、3で削除人自身が「叩きや煽り」を受ける可能性を認めていることからもわかるとおり、だれもが納得するような客観的な基準などあり得ない。「煽りや荒らしは削除、しかし言論封殺はだめ」−この根本的な矛盾は、7の「消してよいかわからない場合は行動するな」というルールとあいまって、削除人の行動をかなり規制していることは間違いない。その結果、削除人が手を下さず、一部のカテゴリではほとんど口論や誹謗中傷合戦が展開されていることは紛れもない事実である。ここから、「ネットの掲示板なんてしょせんなんのルールもない何でもありの空間」という結論を引き出すのはたやすいだろう。筑紫哲也氏は「便所の落書きのようなもの」と評したという。 しかし、それでは振り返ってみて実社会はどうか。確かにこの2ちゃんねるのガイドラインに比べればはるかに細かく、思慮を重ねた結果であろう法律が存在してはいる、しかし我々にとってそれだけが秩序ではない。第1章でも述べたが、実際には我々は無数の明文化されていないルールを内面化し、その場その場に応じてどれに従うかを意識的、無意識的にかかわらず決定している。異文化コミュニケーションの研究は、もし我々がそのようなルールを共有しないでコミュニケーションをするとどのようなことが起こるかを教えてくれるだろう。しかし一日に100万アクセスがある掲示板において、そのようなルールが共有されていると期待することができるだろうか。しかも、より重要なことには、近代社会における我々のコミュニケーションを志向付けていた「自己同一性」がそこでは存在しないのである。筆者の結論を先に言ってしまうと、そこには何らかの内面化された秩序は存在する。それは確かに実社会のものとはかなり異なっているかもしれないが、しかしそれでも書き込む人の発想を何らかの形で規定していることは間違いない。そこで、次章において前章で述べたもう一つのアプローチ−隠語の分析−を通して、それを言語化していきたいと思う。
5 2ちゃんねるにおける隠語の数々と考察
ここでは、2ちゃんねるにおける隠語を分析する。まず、多少煩雑になるが2ちゃんねるにおける掲示板のカテゴリをすべて列挙する。
“案内” “馴れ合い” “社会” “会社・職業” “裏社会” “文化” “学問・理系” “学問・文系” “家電製品” “政治経済” “食文化” “生活” “ネタ雑談” “カテゴリ雑談” “受験・学校” “趣味” “スポーツ” “旅行・外出” “テレビなど” “ギャンブル” “ゲーム” “漫画・小説など” “音楽” “心と身体” “PC等” “ネット関係” “まちBBS” “雑談系2” “大人の時間(アダルト)”
それぞれに3〜10のサブカテゴリがあるが、とても書ききれないので詳しくはwww.2ch.netを参照していただきたい。本来ならこれらすべてのカテゴリを調査するべきであるが、中には専門知識を要求されるものも多く、筆者が理解できないと思われるカテゴリに関しては調査をしなかった。主に見たのは、“案内”、“馴れ合い”、“裏社会”、“文化”“学問・文系”、“政治経済”、“カテゴリ雑談”、“受験・学校”、“ゲーム”、“音楽”、“PCなど”、“ネット関係”である。次に、引用する書き込みについては、特定の隠語の指し示す対象が明示されているものをとった。それによって書き込んだ人がその隠語をどのような意味で使っているかがはっきりするからである。それでは順に分析していこう。
(1) 厨房
はじめに、厨房という言葉から取り上げよう。2ちゃんねるにはご丁寧にも「用語集」なるページがあり(members.fortunecity.com/juicynet/bible.html)、それによると厨房の語源は「中坊」で、中学生のことである。もちろんこれは中学生そのもののことをさすわけではなく、要するに子供っぽい人、精神年齢が低い人という意味なのであるが、なにが子供っぽいとされるのかは恣意的に決まるというのは前述した通りである。具体的に書き込みのログを見てみよう。
87 名前: 名無し 投稿日: 2001/02/26(月) 05:50
社会システム理論をひとことで言ってみると、システム工学のふりをして、
科学者気分で自分勝手な意見を述べる文芸評論。
88 名前: 名無し 投稿日: 2001/02/26(月) 23:19
>>87
厨房発見!!!
これは「学問・文系−社会学」のカテゴリにおける「社会システム論」というスレッドのなかのやりとりである。ちなみに書き込み者の名前は「名無し」になっているが、これは名前欄に名前を何も書き込まないとこのように表示されるということであり、87と88は同一人物ではない。88は87を指してただ「厨房」といっているだけであるが、87の書き込みを読めば88がなにを厨房といっているかがわかるだろう。87はいかにも難しそうな述語を並べてシステム論を語っているが、実際はまったく的外れである。それがいかにも「子供っぽい」ということが88によって指摘されているわけである。別の例を見てみよう。
237 名前:ななし 投稿日:2001/03/23(金) 12:53
農家はいらない。農産物は輸入すれば良い。日本の農産物が高いのは百姓が存在するから。それから、外貨を稼いだ百姓もいない。
これは「社会−ニュース議論」における「百姓なんていらん」というスレッドの書き込みである。スレッド名こそ挑発的だが237の書き込みがあるまでは日本の農業に関するかなり真面目な議論が展開されていた。例えば次のような書き込みがそうだ。
223 名前:公務員で兼業農家 投稿日:2001/03/22(木) 19:58
完全離農させてしまうと、都市圏に
人口が集中してしまうという問題点もある。だから、昔から
農業に関して、活かさず殺さずの政策が執られてきたんだよ。
こうした構図は封建時代でも近代でも同じことだね。で、
殺さずにおく余裕も無くなったのが今の日本かな?
しかし237の書き込みは根拠がなく、また明らかに議論を混乱したものにしてしまう。事実この書き込みのあと237に対するレスポンスがしばらく続き、議論はかなり横道にそれてしまった。そこで、別の人が次のようなフォローをすることになる。
260 名前:名無しさん@お腹いっぱい。投稿日:2001/03/23(金) 21:14
煽りにレスしたくなる気持ちは痛い程分かるが、出来るだけ厨房を無視しよう。
厨房にかまっていると全く話しにならない。
ここで260は“煽り”という言葉をつかっているが、これも典型的な2ちゃんねるの用語の一つである。これについては後述する。さて、これまでの引用で掲示板における子供っぽさを紹介してきたが、これが嘲笑される存在であると同時に、ときにはスレッドごと巻き込んだ口論をうみだしてしまう可能性もあるということがわかると思う。
(2)基地外
次に「基地外」という言葉について述べる。これは気違いのことであるが、昔いくつかの掲示板サイトでこの言葉がNGワードに指定されていたため、このように書き換えていたという事情がある。簡単にいえば頭がおかしい人、ということであるが、やはり何がおかしいとされるのかをログを参照しつつ見ていこう。
9 名前:日本人 投稿日:2001/02/26(月) 15:48
部落民は外に出るな!
差別反対と唱えながら韓国人・中国人を差別しているのは部落民だ。
小林よしのり達似非右翼と組んで、国際社会から非難されるのも
おまえら部落民が自分より立場の弱いものを差別したいからだ!
>6の言うように部落民には汚い血が流れているんだ!
これは「雑談系2−人権問題」の「長野の部落って?」というスレッドにおける書き込みである。この書き込みは一応の論理展開はあるが非常な偏見に満ちており、なにより攻撃的である。この9の書き込みはのちに「基地外の発想だ」といわれている。もっともこのような書き込みがすべて「基地外」といわれるかというとそういうことはない。「社会−少年犯罪」のカテゴリには「ネオ麦茶をたたえるスレッド」というものがあるが(注−ネオ麦茶は西鉄バスジャック事件の犯人である17歳の少年で、もともと2ちゃんねるの常連だった)、そこでは誰かが「基地外」と名指されるようなことはなかった。一方この長野の部落のスレッドは部落問題をめぐって激しい議論−というより口論が続いていたことを指摘しておきたい。
(3)ドキュン
次に「ドキュン」という言葉を取り上げる。これはもともと「目撃ドキュン」という番組からでたもので、高卒の人を指し、転じて教養や知能が極めて低い人の意味である。その意味では先に取り上げた厨房と似ており、実際同じような意味で使われることも多いが、厨房がどちらかというと自己顕示欲が強く、知識をひけらかしたりえらそうな意見をいうのに対し、ドキュンのほうは単純に頭が悪いやつ、という意味合いが強い。
20 名前:名無しさん 投稿日:2001/03/23(金) 03:31
森首相は低学歴だから気にするな。
22 名前:森良朗 投稿日:2001/03/23(金) 03:21
悪かったな
24 名前:名無しさんの主張 投稿日:2001/03/23(金) 12:27
ドキュソのお手本のような方ですね。>>22
これは「社会−世評」のスレッド、「学歴なんて関係ない」からの引用である。この掲示板ではこれまで早稲田大学の話がでていたのだが、20の森首相なんて早稲田しか出てない低学歴だ、という書き込みに対し、22の人は冗談のつもりで書き込み者を森にし、悪かったな、と反応している。ところが森の名前を誤って「良朗」にしてしまい、それを24にドキュンだ、といわれているのである。このようにドキュンは人の揚げ足を取るときにも多く使われる。
(4)煽り
次は、「煽り」について。この論文の中ですでに何度もこの言葉は出てきたが、要するにスレッドを混乱させる人、ということである。その意味では「荒らし」と似ているのだが、荒らしが非常に下品なことを書き込んだり、意味のないメッセージを何度も入れたりするのに対し、煽りはそのスレッドの雰囲気や論調と露骨に対立することを書き込んで混乱を誘うことが多い。たとえばあるアイドルサイトのファンが集まっているスレッドに、「○○○はぜんぜんだめだ」というような書き込みをし、それに怒ったファンが反論するとまた煽り、それを繰り返すことでスレッド自体をだめにしてしまうのである。前述のように厨房、基地外などが結果として煽ることはあるが、多くの場合最初からスレッドを混乱させようという意図を持っている人が煽りと呼ばれる。具体例については(1)厨房の項を参照していただきたい。
(5)マターリ
マターリは特定の人や行為ではなく、雰囲気を指す言葉である。もとの言葉は「マッタリ」で、つまりその場の人たちがなれあっている状態のことである。これは、場の雰囲気がとげとげしくなっているときに使われることが多い。
487 名前:
のほほん名無しさん 投稿日: 2001/03/04(日) 12:33
基本料金内に無料通話が1200円分ついたコース使ってたんですけど、
彼氏と電話すると1200円なんてあっという間だから、一月に2500円分の
無料通話のついたコースに変更したんですね。通話料も少し安くなるし。
で、二月から適用だったんですけど、その二月アタマから彼氏と疎遠に
なっちゃって・・・遂に別れました(汗)
変更無駄になったよー。また元のコースに変えよっと・・・。
これは「カテゴリ雑談−のほほんだめ」の「鳴らずの携帯自慢」というスレッドである。ここでは、携帯電話を買ったもののぜんぜんかけてくれる人がいなくてさびしい、というような書き込みが相次ぎ、傷の舐めあいというか、ある意味和気藹々とした雰囲気になっていたのだが、この487の書き込みが「結局彼氏がいたことを自慢していただけだろう」とか「ここでそんな話するなよ」のように反発を買い、その結果次のようなフォローが入った。
501 名前: のほほん名無しさん 投稿日: 2001/03/05(月) 20:11
なんだか荒れてるな・・。
マターリいきましょう〜や。
このように場が一時的に荒れたときにこの言葉が使われることが多い。しかし、対立が起こったときにすべての掲示板でこの言葉が使われることはなく、また使われても無視されることがある。一般に議論が目的のスレッドではとくにそうなることが多いようである。
ここまで2ちゃんねるの用語を見てきたが、その中には相手を嘲笑したり罵倒したりするものがある一方で、「マターリ」のように場の雰囲気を和ませようとするものもある。これらの言葉はその意味はそれぞれで異なっているが、しかし共通点もあると筆者は考える。それは次章の結論で明らかにしたいと思う。
6 結論
ここまで、掲示板コミュニティ「2ちゃんねる」の明文化されたルールと、隠語として人々に内面化された秩序を見てきた。前半部の、管理者による明文化されたルールの分析からは、結局何が暴言や不快な発言かはあいまいなままであるという結論を導いた。削除のガイドラインにおける矛盾も指摘した。実際、あるスレッドが非常に紛糾し、殺伐とした雰囲気になっているとき、その「元」がどこにあるのかを見極めるのは非常に難しく、どうしても主観的な判断によらざるを得ない。しかしそれで削除をすると、「言論封殺だ」といわれてしまうのでは、削除人たちはよほどのことがない限り動かないという事態になるのもまた自然だろう。そしてこの状況はガイドラインがあいまいだからということに必ずしも起因するのではなく、我々が実社会においてコミュニケーションのよりどころとしているアイデンティティーがないからではないか、というのも、第4章で述べたとおりである。
しかしそうはいっても、現実にコミュニケーションはおこなわれている。それはどのようにして成り立っているのか。我々は第5章で挙げたいくつかの隠語から、なにを読み取ることができるだろうか。筆者は、このコミュニケーションの特徴を一言でいうなら、それは「かわす」ことだと考える。つまり、実社会において我々はお互いある程度のアイデンティティーを保持しているので、その行動や発言をある程度予想することができる。そして、コミュニケーションのなかに潜む「他者性」を排除する−あるいは排除しようとするのである。しかし何度も繰り返すが2ちゃんねるにおいては、そのような同一性というのは成立しない。ある発言を書き込んだ人間がどんな性格の持ち主で、何を考えながらそれをしたのかはわからない。今は和気藹々とした会話が、あるいは有益な議論が展開されて盛り上がっているかもしれないが、いつ誰がそれを壊すかも予想できない。発言を削除する権限のある人は限られているし、頼んでも動いてくれるかどうかわからない。2ちゃんねるのコミュニケーションは、そのような極めて不安定な土台の上に成り立っているのである。
そのような中で、人は自分が歓迎しない状況に直面したとき、どのように対処するか。例えばあるスレッドが荒らされたり、自分の予期しない方向に話題がいってしまったとき、正面から「やめてくれ」と立ち向かうことはもちろんできる。しかし、いかにその意見が正しく見えても、結局それは闘争への参加である。それはあらたなる暴力を生み、余計にスレッドを混乱させるだけであることが多い。そこで、前述の「かわす」戦略がとられることになる。筆者は第5章で厨房、基地外、ドキュンなどを「特定の人々を指す言葉」として紹介した。しかし、半端な知識でいきがっている人、頭がおかしい人、知能が極端に低い人というのは人によってさまざまな定義が可能であり、おおよそどんなときにも使うことができる。むしろ注目すべきなのは、人々が前述のような事態に直面したとき、そのような言葉を使って対処しようとすることである。つまり正面から戦っては自分も巻き込まれてしまうので、それを避けるために相手を一段下げ、罵倒・嘲笑するという戦略がとられることになるのである。
一方「マターリ」という言葉は、ずいぶん平和的に見えるが、しかし煽りにあったときにそれを相手にせず、のんびりやろうという意味合いを持っている以上、やはり「かわす」戦略のひとつといってよいと思う。これらの言葉は人々がアイデンティティーに頼れないときに、つまり第一章で述べたような「学生は勉強するものだ」とか「男は男らしい格好をするものだ」というような正当性を持ち出せないときに、開発されるものではないかと筆者は考える。そして、その「かわす」という戦略こそが、人々に内面化された発想形態−秩序であろう。
しかし、これで万事解決というわけではない。つまりお互いがお互いをこのような言葉を使って罵倒しあうということがありうるからであり、実際多くおこっているからである。
「おまえこんなことも知らないのかこの厨房が」「おまえこそ頭悪いんだよドキュン野郎」というような応酬は、2ちゃんねるを観察していると日常的に見ることができる。しかし、このような内面化が行われている時点で、このコミュニティがなんの秩序もないまったくのカオスではないということは言えるのではないかと思う。