2000年秋学期 小熊研究会T 最終レポート

 

(1)「自分を例題にして近代的自我を論じる」を選択

 

私の時間意識にみる近代的自我

 

総合政策学部一年 大熊 猫吉

ログイン名:s00230mo

学籍番号:70002308

1.はじめに

 今期「近代的自我の形成」というテーマで半年間、様々な社会学の名著と呼ばれるものを読みつつ学んできたわけだが、私的に一番印象に残ったのは見田宗介の『時間の比較社会学』だった。以前に自分自身「時間のニヒリズム」とそれに伴う「生の虚無」感に苛まされていたこともあって、本当に考えさせられるところのおおい内容であった。今回は私の理解不足のため失敗に終ったプレゼンテーションの反省を兼ねて、もう一度「時間の比較社会学」の内容を私の個人的な体験の中から捉えなおしてみたい。様々な体験の裏に見え隠れする自分自身の時間意識への考察を通じて、近代的自我がもつ時間意識の性質について理解を深めていけたらと思う。

 今回取り上げるのはブラジル滞在中から帰国に至るまでの私の時間意識の変化が読み取れる3つのエピソードである。一番目のエピソードでは「現在」手段化し続ける近代人の時間意識をとりあげる。二番目のエピソードは抽象化され物象化された(計量化された)時間の析出と近代社会の関係についての考察を行い、三番目のエピソードは近代的時間意識への回帰について考えたい。

 

2.<エピソード1:列に並ぶ日本人とアメリカ人>

 数年前、高校を卒業したばかりの私は父のいるブラジルのサンパウロへと向かった。父の紹介で現地の水産養殖関係の会社に就職することになっていた私は数週間のサンパウロでの研修を終え、そこから任地のマッドグロス・ド・スール州のカンポグランジに向かうことになった。その出発の日、私がサンパウロ空港の出発ロビーに着いたのは、搭乗開始の30分前だった。出発までまだ時間があったので近くの売店でも覗こうかとも思ったが、手持ちの荷物が多く持ち歩くのが億劫だったため、結局搭乗口の一番手前で並んで本を読みながら待っていることにした。私が搭乗口のまん前に並んだのを見て、四、五人のアメリカ人らしき一団(アメリカなまりの英語をしゃべっていた)がその後ろに並び始めた。他の乗客(大半はブラジル人)はというと、イスに座って談笑するなり、本を読むなりしていて一向に列に並ぼうとする気配がない。そして待つこと約50分(いわゆる「ブラジル時間」の30分)、ようやく搭乗開始を告げるアナウンスが流れると、私とアメリカ人らしき集団の間に通勤時間の電車のドアが開くときのような一種の緊張感が流れた。ところがなんと、さっきまでイスに座って談笑していたブラジル人数名が急に我々の列の前に並んだのである。しかも、何ら悪びれた感じもなく談笑を続けている。一瞬、何が起こったのか全く理解できなかったが、数秒してから怒りが湧いてきた。どうやら私の後ろに並んでいたアメリカ人らしき集団も同感だったらしく、怒り心頭といったご様子だった。出来ることならそのブラジル人たちを怒鳴りつけてやりたかったが、頭に血が上っているときにすらすらと相手を罵倒する文句が出てくるほどポルトガル語が堪能ではなかったので、私はものすごい形相で楽しげに談笑を続ける一団をにらんでいた。後続集団の異様な雰囲気にようやく気づいた先頭のブラジル人たちは「こいつら一体どうしたんだろう」といった感じを見せるだけで、まったく悪びれたところがない。よく周りを観察してみるとどうやら他のブラジル人乗客も「こいつらはなぜそんなことで怒るのか」といったようすでこちらをみている。どうやら、ここでは「我々」はマジョリティではないらしい。これから先、こんなところでうまくやっていけるのかどうか疑問に思いつつも私は飛行機に乗った。

 

ここで考えてみたいのは「列を割り込まれて何故私は怒ったか?」という問題である。逆に「なぜブラジル人は平気で列に割り込むのか?」という問題に関して後で聞いたところによるとこれには彼らなりの論理があったらしい。「我々の方が先にその場所に来て座って待っていたのだから、一番最初に入るのは当然」なのだそうである。彼らに言わせると「列を並んで待っている」なんてことは「時間の無駄」であり、待っている間に座ってゆっくりと家族と楽しく談笑するほうがよっぽど時間を「有効に」すごしたことになるらしい。よく考えると一理あるわけである。私自身、ブラジル滞在の時間が長くなるにつれこのとき何故自分が「怒った」のか、何故私は「列に並んだ」のかが曖昧になっていった。

 しかし、その時に私が何故「列に割り込まれて怒った」のかというと、それは私が自分の時間を30分(実際は50分)ほど「費やして」列に並ぶことによって一番乗りというサービスを享受しようとしていたからである。ようするに私にとって「時間」はただの「費用(コスト)」でしかなかったのである。また、「時間」はただ座っていて「浪費」されるべきものではなく、次の瞬間の為に「有効に活用」されるべき「資源」でもある。これは幸か不幸か私だけの時間意識ではないことは私の後ろにいち早く並んだアメリカ人らしき集団からも分かる。日本では学校の先生は列に並べと生徒に言うだろうが、列に割り込めとは教えないだろう。朝のラッシュ時の新宿駅でこんなことをやったら袋叩きにあうかもしれない。徹夜してゲームソフトを買うために並ぶ日本人の立場は一体どうなるのだろうか。このときの私の「怒り」は私自身の怒りだけではなく、社会全体の「怒り」でありかつて北米大陸からこの「野蛮人」の絶滅を願ったベンジャミン・フランクリンの「怒り」であったに違いない。その「怒り」は以下の彼の有名な文句から簡単に察しがつく。

「時は金(かね)であることを忘れるな。勤労によって1日10シリングを稼ぐ人が、戸外を散歩したり、室内で無為に過ごして半日を費やすとすれば、たとえ気晴らしと安逸とのためにわずかに6ペンスを散じたとしても、それだけを消費したと考えるべきではない。そのほかにも5シリングを、出費したというより、むしろ投げ捨ててしまったと考えねばならぬ」。

「毎日の自分の時間のなかから1グロート銀貨に相当するだけの時間を無為に過ごすものは、これを合計すれば1ヶ年には100ポンドを使う利権を失うのである」。(M.Weber 阿部行蔵訳『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』、河出書房『世界大思想全集』第21巻、231233p ここでは真木悠介『旅のノートから』岩波書店、187188pを転用)

ベンジャミン・フランクリンはこのような時間意識において、典型的に「資本主義の精神」と名づけられている。このような精神を「列を並ぶ」ということによって象徴的に「体現化」した私とアメリカ人と、そうでないブラジル人。前者を生んだ日本とアメリカという国家は経済超大国であり、ブラジルは俗に言う第三世界であることはこのことと無縁ではない。この自然に「列に並ぶ」、もしくは「並ぶことができる」ということの裏にある精神(「時は金なり」)は今日の巨大な産業の協働連関に必要不可欠なものであるからだ。数量化が可能な貨幣というメディアは身分や人種、文化などのあらゆる社会的背景を越え、身分制を解体し、社会的な分業形態を生み出して生産性を向上させた。そして<生きられる共時性>(ミンコフスキー曰く「周囲の生成に浸透され、それと一体をなすと感じながら、それとともに調和をもって前進する能力」)が否定された「時間」も様々な共同態の協働連関を可能にするメディアであることから分かるように「時間」は「貨幣」と同様に「近代市民社会の存立それ自体の影」なのである。また逆に、現在の限りなく拡大された集合態的な協働連関によってはじめて獲得されうるような物質的な生活水準の高さを我々が肯定する限り、こうした時間意識というものは不可欠なものとなる。そのために学校では先生が、家では親とテレビが子を「列に並ばせる」のである。そのため、私やそのアメリカ人達は誰もが「列に並ぶ」ものとア・プリオリに考えていたのだが、その期待は見事に裏切られた。「一瞬何が起こったのか全く理解できなかった」のはそれが我々の生きる近代資本制社会では「あってはならないこと」であったからである。しかし、現在のブラジルのような第三世界ではそれはア・プリオリなものではなかった。それは近代化以前の日本においても同様であったということを見田宗介は『時間の比較社会学』のなかで富岡製糸場を例にとって以下のように述べている。

「富岡製糸をはじめ日本の近代化の初期の工場労働のおいて、労働者が時間どおりに出勤し時間に従って操業するという習慣が形成されるだけのためにも、十年から十五年を要したという。女工たちは「仕事中に仲間と話をしない」という就業規則に何年間もなれることができず、このことを要求する外人監督官をただ「いばっている」としか理解しなかった。前近代の共同体においては、仕事中に仲間と話をしないことの方が、よほど不自然な態度であったはずである。」(真木悠介『時間の比較社会学』同時代ライブラリー、276p)

こうした事例は我々近代社会の人間の目には、ほとんど「文化人類学的」興味の対象としてうつるか、このケースのように行き場のない怒りの対象としてとしかうつらない。しかし、見田宗介はマルクスの『資本論』の本源的蓄積の章を引用して以下のように続ける。

「「・・・こうして彼らは、奇怪な恐ろしい法律によって、賃労働の制度に必要な訓練を受けるためにむち打たれ、焼き印を押され、拷問されたのである。一方の極に労働条件が資本として現われ、他方の極に自分の労働力のほかには売るものがないという人間が現れることだけでは、まだ十分ではない。このような人間が自発的に自分を売らざるをえないようにすることだけでも、まだ十分ではない。資本主義的生産が進むにつれて、教育や伝統や慣習によってこの生産様式の諸要求を自明な自然法則として認める労働者階級が発展してくる。」

このことは逆に、ぼくたちの近代世界で空気のように自明な時間感覚が、まさしく文化人類学的にきわめて特殊な感覚であるかもしれないことを示唆する。」(前出『旅のノートから』184p)

このように現在(今並ぶこと)を未来(一番乗り)のために限りなく手段化していくような我々近代人は物質的豊かさを享受してはいるが、つねに虚無にむかって現在を手段化している以上「死のニヒリズム」を避けることもできない。一方待ち時間を家族と談笑することで「無駄に浪費」している人々は決して豊かではないかもしれないが(サンパウロ空港で飛行機を待っているという状況から察して、決して貧しくはないとはおもうが)現在を現在として存在させ、その時間を充実させながら生きているのかもしれない。「今」という時間が「リアル」でないとしたら、一体いつが「リアル」なのであろうか。その果てにあるのはただ<死の恐怖>と<生の虚無>でしかありえない。

 

3.<エピソード2:時計が要らない町>

 私の任地のマッドグロス・ド・スール州はブラジル、ボリビア、パラグアイの三国の国境にまたがる州で一般にパンタナールと呼ばれる大湿地帯があることで有名なところだった。カンポグランジはその中心都市ということになってはいるが、日本の都市を見慣れた目にはどうみても薄汚れた田舎町にしか見えかった。最初の数ヶ月は会社の現地事務所で雑用まがいのことをやっていたが、すぐに飽きてしまい転属願いを出したところ、フォートオリンポというパラグアイ国境(にあたる河)が目の前にある町(?)で魚とダチョウ(性格にはエマという小型のダチョウ)の養殖をすることになった。そこは見事なまでに魚とダチョウ以外何もないところで、月に数度カンポグランジから会社の人間が物資を運びに来る以外はまったく人の往来がないというまさに陸の孤島であった。素人の私に出来る仕事といえば毎日数回(「食い」がいいときと悪いときで変える)ダチョウと魚に餌をやって敷地内を見回ることだけで、あとは日がな一日近くの河で釣り糸を垂らすといういい加減な生活を送っていた。朝は遅すぎず、はや過ぎない時間に起きて餌をやり、そこらをぶらぶらうろついて人手が足りないところがあったら手伝い、何か食べたくなったら寮(らしきもの)に帰って何か食べる。また餌をやったりやらなかったりしていると、そのうちにものすごく気温が高くなってくるので、仕事はお休みして(会社公認)近くの河に釣りに出かけるか、そこらの野原で同僚(ダチョウを含む)とサッカーをする。そしてまたまた何か食べたくなったら帰って何か食べて寝る。そんな自堕落ではあるが妙に充実した生活を続けていたある日、私の愛用腕時計のバッテリーがきれて針が止まってしまった。バッテリーの交換をするにも時計屋なんてカンポグランジまで行かないとない(行ってもまともな時計屋がある保障はない)のでしかたがなく腕時計なしですごす事になった。しかし、その後カンポグランジから会社の人間が来ても修理を依頼することはなく、結局日本に帰るまで壊れた愛用の腕時計はそのままだった。時計を必要としないことに気づいたのである。

 

 ここでは「何故時計が必要なくなったのか」ということについて考えてみたい。それはそこでの生活では「時間を計る」必要がなかったからであろう。町の外とは月数回の人の往来を除けば(それすら私にはほとんど関係のないことだった)隔離された環境だったため、外界との「接触」がなく、その媒体としての「時間」を必要としなかったのである。様々な共同態間の協働連関があまり必要とされない場合や、職務上の時間の切迫性があまりない先に述べたような状況下では「時間」はあくまで出来事とともに数えられるものであって「客観的に」今何時であるかということを知る必要性は生まれてこないのだ。この時間の質の相違を見田宗介は以下のように述べている。

「生活の基本的なサイクルを異にしている共同体との交渉が日常化するときにはじめて、あるいは共同体自体が風化して、生活のサイクルを異にしている諸集団や諸個人の対峙しているシステムとなったときにはじめて、狩猟や雨季や収穫といった具象的な事物や活動から「時間」が剥離して抽象化される。すなわち「時間」が、具体的な事象にたいして外在する客観的な尺度として物象化される。異質の生活世界の間の共通の照合点として、時間の「数字的な日付け」ははじめて要請される。」(前出『時間の比較社会学』83p)

 こうした抽象化され物象化、対象化された時間の観念は先に取り上げた貨幣同様に、『まず共同体の果てるところに、間・共同態関係の媒体として発生し、やがて共同態自体の内部に、これを風化し集合態化する力として逆流』(前出『時間の〜』270p)した。こうした抽象的に物象化された時間は貨幣同様に<媒介された共同性>として近代市民社会の再・共同化の媒体となるのである。こうした「時間」の析出なくしては工場や官庁のような近代の巨大化し精緻化したシステムが破綻なく機能することは出来ない。そうした複雑なシステムの中で人々が出勤、業務の開始、休憩、会議、待ち合わせなどを行うためには、こうした共通に軽量化された時間の中でそうした行為を整理する必要がある。

『複雑精緻な対位法のシステムとしての近代市民社会のメカニズムの一切は、計量化され一次元化された時間の支配の下ではじめて可能になった』(前出『時間の〜』267p)

こうした計量化された時間の析出によってわれわれの社会は数々の高度なサービスを行うことが出来るようになりはしたが、その結果として我々は<生きられる共時性>を喪失し、社会生活の隅々までが「時間」によって計時的に編成しつくされ、時間強迫の観念によって我々の人生をも加速させつづける。その結果生まれたのが飛行機の出発30分前に「列を並ぶ」人々であり、エスカレーターを急いで下る人であり、浪人を恐れる受験生など近代的時間感覚を持った人々である。

私が「時計を必要としなくなった」環境では幸か不幸か「生活の基本的なサイクルを異にしている共同体との交渉が日常化」しておらず、「具体的な事物や活動から「時間」が剥離する」ことがなかったのである。大切なのは「今はダチョウの餌の時間なのか、自分の昼飯の時間なのか」の区別だけであって、客観的な「何時何分」とか「何月何日」という「数字的な日付」は問題にならなかったのである。

 

4.<エピソード3:「時間」への回帰−まとめ>

 ブラジルに来てから約一年たったころ、私は激しいホームシックに襲われていた。要するにそこはあまりにも退屈だったのである。「ブラジルに骨を埋める」と豪語して日本を飛び立った私ではあったが、結局環境と自分自身に負けたのである。しかし、激しいホームシックに襲われながらも日本に帰ることをどこかで躊躇させていたのは、同世代の人間に対して「出遅れた」という劣等感とそこからくる恐怖であった。自分がブラジルの奥地でダチョウを相手に「今」を生きていたのに対し、東京の同世代の人間はその間の「過去」と「現在」を一体いつやってくるか分からない「リアル」な瞬間のために「有効に活用」しているはずなのである。自分がその環境に帰るということは、その間の自分の行為、「時間」を忘れて充足した「今」を生きることを「時間の浪費」であったと認め、その間の自分がベンジャミン・フランクリンのいう「野蛮人」であったことを認めてしまうことになる気がしたのである。結局、近代社会の時間意識にドップリつかっていた私は自分の負けを認め、東京に帰って受験勉強という「列並び」行為を再開することになる。

 

以上見てきたように計量化された時間は貨幣と同様に近代市民社会の存立それ自体の影であった。それゆえそこに生きる我々の近代的精神、近代的自我というものもそうしたものの影響を色濃くうけている。いつ来るか分からない「リアル」な瞬間のために「現在」を手段化し続ける我々は、それゆえに<時間のニヒリズム>からくる死の恐怖と生の虚無に「永遠に」苛まされる。だからといって、「時間」を忘れ「今」という「リアル」な瞬間を生きることは、この社会の時間意識に漬かりきってしまった我々には困難である。しかし、こうした我々の意識の限界を相対化し対自化することによって、それを乗り越える自己解放の道を照らし出すことはできるかもしれない。

 

*参考文献・引用文献リスト

真木悠介『時間の比較社会学』(97 岩波書店 同時代ライブラリー)

真木悠介『旅のノートから』(94 岩波書店)

M.Weber 阿部行蔵訳『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』)

(河出書房『世界大思想全集』第21巻)

 

 

<おまけ:レポートへのコメント>

 

大熊様

 

 貴方のレポートに、簡単ながらコメントいたします。

 まず、『時間の比較社会学』の内容を自分なりによく咀嚼し、応用した点は評価できます。それとエピソードの選び方や文章が、よくまとまって「うまさ」を感じさせます。これは「素質あり」と感じさせるものがありました。

 副次的なことでいえば、ダチョウ牧場の様子は、単純に興味がわきました。日系移民や韓国系移民のあいだでダチョウ飼育がさかんになってきているという話は聞いたことがありますが、イメージがわきました。ダチョウがサッカーに参加している場面は想像するだけで楽しい。

 しかし反面、あなたのレポートの弱い点は、共同性の視点が欠けているところではないかと思われます。見田さんの本の眼目は、個人の時間感覚の変容もさることながら、共同体の崩壊とそこから切断された人間の世界への実感の喪失にあります。これはマルクスの資本主義・市民社会観をうけついだ視点でもあり、個人の変容は社会体制と社会関係(生産関係)の変容と不可分のものと考えられているわけです。

 それを考えた場合、あなたがブラジルの牧場で時間感覚が日本在住時と異なっていたさい、どのような共同性のなかにいたのかが、描かれていないように思います。単に「時間を忘れてのんびり」していた、一人で釣をしていたというだけでは、資本主義の生産関係と時間感覚から一時的に逃れていたというだけで、別の社会関係や共同性に加入してリアルな時間感覚のなかに参加していたということになっていなかったのではないか、だからこそ最後には退屈と不安にまきこまれてしまったのではないか、という邪推がわきます。もう一点つけくわえれば、日本に戻ってきたときに時間感覚の「回復」がどのように行なわれたのかも書かれていれば、もっと面白いものになったでしょう。

 以上がコメントです。それでは、今後のあなたの進展を期待します。

 

 小熊英二