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\title{小熊研究会(1)最終レポート\\-様々な性の形について}
\author{総合政策学部3年 79601244 岩田直子}
\date{1998年7月6日}
\begin{document}
\maketitle
\section{性の2分化への疑問}

最近様々な性の新しい形が明らかになりつつある。今まで男性/女性という2
つの性しかないと考えられていた時代は過ぎ去り、自分は男性でも女性でもな
いと考える人が出現してくるなど、自らの性を問う時代が来ている。ここでは、
そういった様々な性の形を見ていくことを通して、2分化された性の概念を疑っ
てみたい。

まず30年程前から問題化してきた、性同一性障害が挙げられる。これは言う
までもなく、自らの生物学的性別と心理的な性別が異なるという状況である。
この問題を抱える人はトランスセクシュアルと呼ばれ、治療方法も様々である。
日本でも性転換手術が認可される状況が出来上がってきているが、外性器を変
形させないと精神的に落着かない、という人もいれば、性ホルモンを打つだけ
で落ち着くという人もいる。

また2分された性という固定された概念を覆すものとして、インターセクシュ
アルと呼ばれる人々がカミングアウトし始めた。文字どおり半陰陽者のことで、
社会的な性別、ジェンダーが問題となる。私たちの社会における性は生まれ落
ちたその瞬間に、赤ん坊を取り上げた医師によって外性器によって決められる。
これが戸籍の性別となる。しかしこれが問題である。人間の性別を決めるのに
は外性器以外にも、性染色体の構成、内性器、二次性徴の性などがあり、戸籍
上の性と自分を認識していたにもかかわらず、二次性徴が来ないなどによって
自分の性別について悩んでしまうことになる。そういった子供はインターセッ
クスチルドレンと呼ばれ、上記の判断基準などを基にして考えていくわけだが、
大切なことは自分の性別を自分で認識することである。例えば社会的な性別
(戸籍上の性別)に無理矢理身体を合わせようとして性ホルモンを投下してし
まうなど言語道断で、その個人が性自認をしなくてはならない。たとえそれが
戸籍上の性別と異なることがあったとしても、である。また自分の性が男か女
かで悩むだけでなく、性的志向、セクシュアルオリエンテーションも自分で考
えていかなくてはならない問題である。

インターセックスチルドレンの問題はそれだけに留まらない。性的自認がスムー
ズに行われ、そのための納得できる治療が得られればよいが、常にそうとは限
らない。インターセックスとはつまり中間性のことであり、男性とも女性とも
判断できない性別である。様々な症例があるが、外性器の性別に来るべき二次
性徴が来ない、とか生まれたときから男女両方の内性器を保持していて、結果
的にどちらも機能しないなどである。

もともと人間の性というのは、性染色体によって男性か女性としての機能を果
たすように分化されていくものである。心理学的には、これは「元々人間は男
性型と女性型の両方をもち備えている」ということになる。しかしインターセ
クシュアルの側面から見ると、人間の基は「男でも女でもないもの」と考える
のが性分化していくと考えると、男性・女性・中間性に分化していくと考える
のも理解しやすいだろう。

ここで考えたいのは、トランスセクシュアルはあくまで性自認の問題であって、
生物学的性と心理的性の違和感でそれなりの対処法がとれるわけだが、インター
セクシュアルの場合は、まず性自認がはっきりしない。二次性徴が来ないなど
に気づいたある時期において、それまでの性自認が危機に陥ることになる。そ
の時に、無理矢理戸籍上の性に合わせようとするのではなく、つまり性別とい
うのは2つだけではなく、もっと多様な性の形を認識していこうというのがイ
ンターセクシュアルについての議論である。

\section{性自認における性的指向の問題}

自分の性を疑ったことのない人々の「2つの性別」信仰は根強いものがあり、
こういった人々のカミングアウトによって意識を改めていかなくてはならない
のは当然のことながら、上記のようなインターセクシュアルの人たちの性自認
はどのように行われていくのだろうか。自分は男なのか?女なのか?この問題
は非常に難しく、簡単に答えを導き出すことはできない。しかし性自認を男女
に限定していること自体、男女の性別しか認識していない証拠になる。自分自
身を男または女として認識しょうとする強固な信念こそが、インターセクシュ
アルの人たちをアイデンティティの危機にさらすものである。

これこそがトランスセクシュアルとインターセクシュアルの大きな相違点であっ
て、トランスセクシュアルや同性愛者の人々は自らの性を男もしくは女とはっ
きり認識していて、かつ自分の性的志向もはっきりと認識している。よって性
転換手術などの具体的な処置がとれ、主義主張もはっきりしている。つまりト
ランスセクシュアルの人々は性別は男女の2種類と考えているのに対し、イン
ターセクシュアルの人々は性別は2つに分けることはできないと主張している
のである。インターセクシュアルが重要視するのは「自分らしさ」「人間らし
さ」である。

私はインターセクシュアルの主要な意見と思われるこの主張にまさしく賛同す
る。なぜなら私自身「男らしさ」「女らしさ」というステレオタイプ的視点に
疑問を感じており、一方で自分の中に深く浸透している「女らしさ」などの固
定観念に日々驚きつつ脅かされているからである。自分自身、100%女性で
あると断言することは難しく、何をもって自分は女性と認識するのか根拠が見
つけられない。以下では性自認はいかにして可能なのか、考えてみたい。

\section{リプロダクションへの欲求}

性自認は大変難しい問題ではあるが、1つ1つの構成要素を取り出して、私た
ちの中に深く浸透している固定観念や時代性も併せて、いかにして性自認が可
能なのか、考えていきたい。

性自認に大きくかかわると思われる要素は、まず性的志向である。自らの性に
意識的にならざるを得ないインターセクシュアルの人々を例に考えてみる。今
まで自認してきた性でないかもしれない、という危機に襲われたとき、それで
は自分は男性なのか?女性なのか?と考える。そのまで、自分は一般的大多数
と同じヘテロセクシュアル(異性愛)であると思っていたならば、そのままの
性としての機能が保持できるように、何らかの治療を施すことができるだろう。
しかし、自分の性的志向が大勢の他人と違うのではないか?自分はホモセクシュ
アルもしくはバイセクシュアルのようだ、という自己認識があった場合、(イ
ンターセクシュアルの人にとってよくあるパターンらしいが)、果たして戸籍
上の性を保持し続けようとするのは正解だろうか。個人個人の育ってきた環境
や、嗜好趣味などいろいろな要素が組み合わされて、性的嗜好も決められるの
で正答を出そうとするのは無理があるが、種としての人間という側面から考え
てみる。「自分はホモセクシュアルかもしれない」と思ったときの大きな衝撃
は、世間体や他人との関係などいろいろな問題が思い浮かぶが、最も大きなショッ
クは自分の子孫を残せないということであろう。

(インターセクシュアルにも様々な症例があって、どちらの性としての機能も
果たせない場合がある。ここでは性的指向と種の保存の関連性を考えてみたい
ので、その場合を例外と扱って取り除いて考えたい。)

生まれ出でたからにはこの世に何かを残してから死にたい、と考えるのが生物
であって、それは人間も同じである。そういった深層にある欲望が、男役の女
性と女役の男性カップルを造るのではないか。本来人間1人1人異なるもので
あり、それが全員男女の対になるという考え自体がおかしいのであり、男女以
外のペアの形があっても全くおかしくない。ただそこで問題化してくるのが、
子孫を残す営みができないということである。

近年科学の発達と共に、性科学の分野においても顕著な発達が見られる。最近
も夫婦以外の卵子を使った受精によって子供が生まれたが、倫理的に問題があ
るとして、実行した医師が医師学会から除名されるという事件が起こった。私
は「誰の子供かわからないから問題」だとして、発達した科学技術を隠蔽しよ
うとするのは全く無意味なことであると考える。実際にこのような需要があり、
子供のなかなかできない夫婦が血縁関係のある親族の精子や卵子を使って子供
を作り、自分たちの子供として育てたい、と思うのも問題ないと思う。

最も小さな血縁社会としての家族が崩壊しつつある今日において、家庭という
のは全くの自然現象であって存在して当然、という考えは誤りである。構成員
である家族が様々な努力そして大きな犠牲を払わなくては、もはや家庭は維持
できない。正当な血縁関係にある家族より、母子/父子家庭や、養子のいる家
庭などの方が余程家族の絆が厚かったりする。

よっていろいろな種の保存方法を隠蔽しようとするのではなく、しっかりと成
文化、立法化して、その親子が血縁関係であることを認める。全ての人々に平
等なチャンスが得られるようにセッティングするのが政府の役割であろう。そ
していろいろな家族形態を可能にするために、これ以上の科学技術の発展を望
みたいと思う。アメリカでは精子バンクで優秀な種を買うことが大々的に行わ
れているが、多くの選択肢のうちの1つの選択肢として存在するという点にお
いて、意味があると思う。

\section{弱者の隠蔽された性}

ただその場合に、種の優劣という問題を忘れてはならない。例えば障害者の種
の保存問題がある。日本では、1996年にやっと優生保護法の改訂が行われ
たが、障害者の性を否定する優生思想は未だになくなっていない。古代におい
ては、障害者はコミュニティーの中である役割をもって生きることができたと
言われている。しかし近代になり、富国強兵策により五体満足の子供が常識化
されたと言える。

障害者のセクシャリティ問題は強固なものであり、早急な解決が必要な問題の
1つである。社会において、一般的な女性は男性より不利な立場にあって、差
別されているというのは常識的な事柄だが、障害者の女性は一般的な女性と同
じ立場にも立つことができない。人間として生れてきたにもかかわらず、彼女
たちの性はタブー視され続けてきた。障害者の結婚率を男性と女性で比べてみ
ても、女性の方が圧倒的に低いという。その理由は女性の「産む体」と大きく
関係しているだろう。特に遺伝的疾患を保持している女性は、障害者の子供を
産んでしまうのではないか、という疑いで非常に禁欲的にならざるをえない。

遺伝子工学の発達に伴い、優秀な種を残すという目的で巨大なプロジェクトが
進行しており、クローン技術を利用した様々な実験が成功しつつある。とうと
う日本でも牛のクローン作成が成功したが、その理由がまさに「牛乳をよく出
す牛のクローンを作る」ことである。まさに優秀な種のみ残し、劣性な種を排
除していく近代合理主義に他ならない。その技術は最終的に人間に適用される
ことは間違いない。例えば、お腹の子供が障害者の疑いがかかったとき、中絶
することは問題がないのか、など議論すべき問題は山積みである。簡単には回
答できない、困難を極める問題である。

そしてさらに、障害の重度の女性は、性的いやがらせや虐待に遭いやすく、子
宮摘出手術を受けさせられてきたことが、近年明らかになりつつある。しかし一
番最初に障害者の受ける性的いやがらせは、「性的身体ではない」という他人
の視線である。性的でありたいのに社会によって、それが不可能であるという
のは社会からの攻撃に他ならない。

また障害者のみならず、一般的に考えても多くのリスクを背負ってまで子供を
持ちたいと考えるのは、自らの老後への不安のせいであろう。元々の障害に加
えた、老いに伴う様々な障害への不安は言いようも無い。経済発展の手助けし
かしてこなかった日本政府には、より一層福祉政策を充実したものにしてもら
いたい。

\section{これからの課題}

ここまで様々な性の形を考えてきた。大多数のポジションを一般的なものとし
て当然視するのではなく、様々な性の形に向き合っていかなくてはならないと
思う。ここに挙げた問題はほんの一部に過ぎないが、いずれも男性/女性とい
う2分化を否定するものである。まだまだ様々な考えなくてはならない問題は
存在していて、男女の境界線があるとしたら一体何なのか。またステレオタイ
プ的な男性らしさ、女性らしさの1つ1つについても考えていきたいと思って
いる。私自身も、自分の性を疑うことなど今までほとんどなかったが、誰しも
意識的にならなくてはならない重要な問題だと思う。これからも様々な問題に
意識的に捕らえようと努力していきたい。

\section{参考文献}


・「日本のフェミニズム(6)セクシャリティ」井上輝子ほか(編)岩波書店、1995\\
・「マイノリティとしての女性史」奥田暁子(編)三一書房、1997\\
・「インターセクシュアルの叫び」小田切明徳ほか(著)かもがわ出版、1997\\
・「私の居場所はどこにあるの?」藤本由香里(著)学陽書房、1998\\


\end{document}