まとめ――課題と展望



学童保育の公立公営化に伴って、学校の中の学童保育は、全国的にも年々増えてきている。これまで公の手による保障をひたすら求め続けてきた学童保育は、それが達成されつつあるいま、父母会が不活発になったための親同士の育児ネットワークの希薄化や、指導員の公務員化による解雇・非常勤化など、新たな問題に直面している。
私たちは、もう「行政の援助を勝ち取ればすべての問題が解決する」という運動の神話を信じることはできない。と同時に、今の私たちは、保育料のない託児所的な施設に子どもを預けて仕事をするというだけでは、満足しない。私たちが求めるのは、働くことと、豊かに子育てをすることの両方であり、託児所的施設が完備されて、子どもの存在が働くことと抵触しなくなったとしても、「多様な価値観の中で、人々と連帯しながら、自分の手で子育てしていく」という類ない快楽を手放すつもりはない。
労働と子育ては、必然的には抵触しない。学童保育は、子育ての場への多様な価値観の介入と、親同士の育児ネットワークの形成によって、「働いていても、豊かな子育て」ではなく、「働いているからこそ、より豊かな子育て」という発想を可能にする場である。行政の学童保育への援助は、「市民に子育てをする権利を保障する」ことでなくてはならず、「市民に代わって子育てを囲い込む」こととは違っている。よって、遊びや子育てを行政が管理する“はまっ子”的なものへの、学童保育の内容変革を、私たちは拒否する。
“はまっ子”問題は、横浜市という限定を超えて、すべての学童保育に対して「行政の援助」という言葉によって求めているものの再考を迫った。それは「行政の手に委ねることを拒否すべき私的領域」および「学校の手に委ねることを拒否すべき生活領域」の発見を伴い、学童保育運動の転向の可能性が試される結果になった。
“はまっ子”が市内全小学校に設置される2002年まではもう少ししかない。もしも横浜の学童保育運動が、開設場所や指導員の待遇は行政が保障し、親たちが自由に運営に関わることができるような、「公立公営」でも「委託」でもない学童保育づくりに成功したら、それは全国的に新しいモデルと展望を提示することになるだろう。
また、“はまっ子”問題に対する学童保育の取り組みは、現在の文部省が掲げる「ゆとり教育」の矛盾を告発するまでの射程を持っている。立ち上がりから約30年を迎えるいま、学童保育運動は創立者たちの意図を超えて、子どもたちの幸福をトータルに考えていく手段として、再編成されようとしているのではないだろうか。

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