テクニカルライティング 最終課題

教育行政における、理想的『日本人』像の変遷

〜『学習指導要領』の文言とその解釈による〜

総合政策学部三年

学籍番号:70000443

飯島要介

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

T 要約

戦後日本における「学校教育」の規範であり続けた、「学習指導要領」の文言には実は理想的「日本人」像が示されており、その指標が学校・教師⇒文部省⇒生徒へと変遷していったのではないか。

この仮説に基づき、「学習指導要領」及びその周辺の答申ないし発言録を研究対象として言説分析を行なった。分析の結果浮き彫りになったことは、仮説の通り「学習指導要領」には理想的「日本人」像の変遷が存在していたことである。

そして、その変遷は、「民主的国家」の理念体現を学校・教師に託した前期、「経済成長中心主義」という「国是」に適った教育を文部省のトップダウンによって実現しようとした中期、そして「地域」「生徒」すら「教育」の「主体」となり得るようになり、「地域に関わる全員」が「学校化社会」の一員となることが理想であるとされるようになった後期に分かれていることが判明した。

 

【キーワード】

学習指導要領 言説分析 戦後教育史 教育行政 理想的「日本人」像 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

U 目次

T 要約··· 2

U 目次··· 3

V 序論··· 4

V−@ 主題··· 4

V−A 研究対象及び研究方法··· 4

V−B 仮説提示··· 5

V−C 先行研究··· 5

V−D 本研究の意義··· 6

V−E 本論構成··· 6

W 本論··· 6

W−@ 「学習指導要領」の制度的位置付け··· 6

W−A 「崇高なる」理想 〜「下から」の教育と「民主的実践人」〜··· 7

W−A−@ 「民主教育」の出発··· 7

W−A−A 「地域」「児童」の「特性」「事情」への重視··· 8

W−A−B 「画一的」から「創意工夫」へ··· 9

W−A−C 「自発性」「個性」の重視··· 9

W−B 「国是」の確定 〜国の「基準」設定と「経済成長中心主義」〜··· 11

W−B−@ 高度経済成長期の「学校教育」· 11

W−B−A 「基準教育課程」化··· 12

W−B−B 「道徳教育」の実践··· 13

W−B−C 「能力」「適性」に応じた教育··· 15

W−C 「学校化社会」への道筋 〜「コミュニティ」としての学校と「個」足る生徒〜··· 16

W−C−@ 転機に立たされた「学校」· 16

W−C−A 「家庭」「地域」との連携··· 17

W−C−B 「協力者」としての「指導」· 19

W−C−C 「主体的に対応できる能力」の育成··· 20

X 結論··· 21

Y 文献表··· 23

 

 

 

 

V 序論

V−@ 主題

戦後、文部省(現文部科学省)によって書かれ、教育課程の基準となっている「学習指導要領」は、「日本人」に対する「学校教育」に関する至る部分にその影響力を与えてきた。文部省(現文部科学省)から都道府県教育委員会、都道府県教育委員会から市区町村教育委員会、そして市区町村教育委員会から各学校へと、「学校教育」課程における基準の制定・指示・指導助言が行なわれ、各学校における「学習指導要領」を踏まえた「学校教育」課程の作成が徹底されている。この事実だけを踏まえても、「学習指導要領」が戦後日本における「学校教育」内容の規範であると言っても決して過言ではないだろう。

水原克敏は、「学習指導要領」が「学校教育に留まらず、国民形成を展望しつつ形成されて」いると指摘している。[1]この点は、「学校教育」が近代の産物であり、国民国家において均一な国民を育成する手段として機能しているという国民国家論における議論からも妥当性を持つだろう。すなわち、「学習指導要領」によって文部省(現文部科学省)は理想的「日本人」像を、「学校教育」のアプローチから提示してきたのである。

しかし、だからと言って「学習指導要領」によって提示された理想的「日本人」像が、各学校の実践において何ら批判なしに体現されてきたと言うわけではない。「学校教育」における理想的「日本人」像は、その時代々々において様々な議論を呼び、対立を生んできた。

理想的「日本人」像が「教育言説」―「教育に関する一定のまとまりをもった論述で、聖性が付与されて人々を幻惑させる力をもち、教育に関する認識や価値判断の基本枠組みとなり、実践の動機づけや指針として機能するもの」[2]―となり得るには、理想的「日本人」像に関する「教育論調」同士のせめぎ合いを必要とするということは明らかである。「学習指導要領」も言わば一つの「教育論調」であったと言わざるを得ない。

にもかかわらず、「学習指導要領」を理想的「日本人」像の変遷分析の対象として取り上げたのは、戦後日本における教育というものが「学校教育」を中心としており、「学校教育」に対する批判的な論調も、「学校教育」課程を示した「学習指導要領」を基準に形成されているからである。

「学習指導要領」の文言及びその解釈を分析することによって、教育行政における理想的「日本人」像の変遷を明らかにすること、これが今回の研究の問題意識であり、目的である。

 

V−A 研究対象及び研究方法

次に、本研究における対象及び方法について述べる。

本研究の対象は、原則として、『学習指導要領 一般編(試案)』に始まる「学習指導要領」の本文とする。しかしながら、「学習指導要領」は行政文章であり、必ずしも明示的に理想的「日本人」像が文言に書かれているとは限らない。そこで、「学習指導要領」本文に加え、「学習指導要領」に関わる文部省(現文部科学省)サイドの行政文章・発言録、或いは教育課程に関わる文部省(現文部科学省)官僚の国会答弁録なども研究対象として加えることにした。

本研究の方法は、言説分析を採る。先述したように、「学習指導要領」はあくまで一つの「教育論調」に過ぎないが、教育行政における理想的「日本人」像の変遷を知ることは、「学校教育」における理想的「日本人」像をめぐる論調の基準を知ることであり、「教育言説」を知る手掛かりになると言う意味で本研究の方法は意義があると私は考える。理想的「日本人」像をめぐる「教育言説」そのものの分析は、本研究を発展させた形で今後行なっていきたい。

 

V−B 仮説提示

以上を踏まえ、本研究において立証したい仮説は下記の通りである。戦後、「学習指導要領」は一貫して「教育基本法」に書かれた理念に基づいたものであったが、「教育基本法」に書かれた理念に関する実現度の中心的な指標が、学校・教師⇒文部省⇒生徒と変容していき、その変容に基づいて理想的「日本人」像が描かれていったのではないか。

 

V−C 先行研究

では、次に本研究を論じていくに当たって参考になった先行研究について述べる。本研究の研究対象・研究方法を共に同じくする先行研究は調査の範囲では見当たらなかった。しかし、研究方法、研究対象それぞれにおける先行研究は数点あったので、ここで紹介する。

まず、研究方法における先行研究は二点ある。一点目は、今津孝次郎・樋田大二郎編『教育言説をどう読むか 教育を語ることばのしくみとはたらき』(新曜社 1997)である。「教育言説」分析という研究アプローチが、「学習指導要領」が理想的「日本人」像をどのように語っているのかを分析する上で有効であることを知る契機となった書である。

二点目は、広田照幸著『教育言説の歴史社会学』(名古屋大学出版会 2001)である。教育に関する言説分析における「現在性と歴史性との両者を組み込んだ問い」が、安易な「『教育の近代性』を問い直」す批判に陥ることなく、ある教育に関する事象が「多くの事象や細かな段階性や重要性を伴って、複雑な変容を遂げてきた」[3]ことを明らかにする意味で有意義であることを知る契機となった書である。

次に、研究対象における先行研究は一点ある。それは、水原克敏著『現代日本の教育課程改革 ―学習指導要領と国民の資質形成―』(風間書房 1992)である。「学習指導要領」と「国民の資質」の関連性が時系列で述べられている。ただし、歴史分析が、「戦後民主主義教育史観」[4]を軸としているため、水原の分析・議論をそのまま適用するのは疑問がある。あくまで事実関係の把握や引用資料の利用を行なうにとどめることにする。

 

V−D 本研究の意義

では、次に本研究の意義を述べる。本研究は、「言説分析」アプローチにより、「学習指導要領」という行政文章から教育行政の示した理想的「日本人」像を読み取ることを試みている点がユニークである。水原克敏『現代日本の教育課程改革 ―学習指導要領と国民の資質形成―』は、研究対象に関しては同じであるが、「言説分析」を明確に研究方法としては提示していない。本研究は「学校教育」における理想的「日本人」像の言説そのものを明らかにするための一段階として理解していただきたい。

 

V−E 本論構成

最後に本論の構成に関して述べる。本論の章立ては以上で述べた仮説の立証に反映している。全ての「学習指導要領」を、時系列かつ要素別に大きく3期に区分し、各章に分け、さらに各章においては、始めに各章の時期における「学校教育」の全般的な背景を簡潔に述べた後、対象別に学校・教師・生徒の理想像が理想的「日本人」像に関連して、それぞれどのように語られているのかについて、各節に分けて論じていくことにする。

 

W 本論

W−@ 「学習指導要領」の制度的位置付け

まず、本論に入る前提として、「学習指導要領」が教育行政の制度においてどのような位置付けを与えられているかについて言及する。以下は『新学校教育全集30 学校と教育行政』による定義である。[5]

以下の定義に基づくシステムは、文部省が都道府県教育委員会に対して、都道府県教育委員会が市区町村教育委員会に対して、そして市区町村教育委員会が各学校に対して実行される、教育課程上における強制力の程度の変遷はあったにせよ、戦後を通じて一貫して機能してきたシステムである。

 

「(小・中学校、高校における教育は)教育基本法や学校教育法に示されている教育の目的や目標の達成を目指して行なわれるものである。国や地方公共団体には、学校で編成し実施する教育課程に関し、基準を設定したり、指導・助言を行なったりする権限が与えられている。

すなわち、文部大臣は、公教育の普遍性を確保し、全国的な教育水準の維持向上を図るために、学校教育法の委任を受けて、同法施行規則および学習指導要領において教育課程のいわば国家基準を定めている。また、都道府県教育委員会は、都道府県内の公立学校の教育水準を維持するために統一的に処理する必要のある事項について法令等の範囲内において教育課程のいわば地方基準を定めることができることになっている。(中略)

教育課程に関する指導・助言は、文部大臣が都道府県や市区町村に対し、また、都道府県教育委員会は市区町村に対して、学校で編成し実施する教育課程に関する専門的、技術的なことについて行うこととされている。

なお、市区町村教育委員会は、所管する学校に対して、その設置者として教育課程に関し、必要な指示や指導・助言することができる。」

 

以下、「学習指導要領」の文言が実際にどのように各学校へ影響力をもたらしていったかについては、以上のシステムに原則的に従っているものと理解していただきたい。

W−A 「崇高なる」理想 〜「下から」の教育と「民主的実践人」〜

W−A−@ 「民主教育」の出発

ここでは、1947年に作成された、『学習指導要領 一般編(試案)』及び、1951年に作成された、『学習指導要領 一般編(試案) 昭和26年(1951)改訂版』に関して分析を行なっていく。

では、この2つの「学習指導要領」が作成された時期における時代背景を簡潔に述べる。

1945年8月15日、天皇が戦争終結の詔書を放送し、日本の無条件降伏が確定した。8月28日には連合国軍総司令部GHQはひとまず横浜に本部を設置し、日本統治を開始した。

この支配の下、文部省が出した最初の施策は、同年9月15日の「新日本建設ノ教育方針」であった。これを受けて、同年10月15日と16日の両日に渡って新教育方針中央講習会が行なわれた。さらに11月20日には「画一教育改革要綱」がまとめられた。

この時期の特徴としては、「天皇制・国体護持と民主主義は、矛盾しないという認識を前提としていたことと、画一主義教育は軍国主義の温床であると言う観点から、個人の自由と自発性の育成を打ち出した」[6]ことが挙げられる。

しかし、GHQの日本管理政策はこのような国体護持の方針とは異なっていた。1945年10月から12月にかけて、いわゆる教育改革に関する「四大指令」が発せられた。第一指令では、軍国主義と極端な国家主義を教育から徹底的に排除するために教育内容、教育関係者などを点検され、教科書など教材の調査・取り締まりが行なわれた。第二指令では、教職追放が行なわれた。第三指令では、神道に関わる教育、行事の保全・支援が厳禁された。第四指令では、修身、日本歴史、地理の三教科の授業中止などが指示された。

それから1946年5月1日より、文部省は『新教育指針』の配布を開始した。これは戦後文教政策の基本が示されているが、CIE(民間情報教育局)の強引な指導の下に作られたものであると言える。その内容は「四大指令」の「民主主義教育」を更に踏み込んだものであるとされる。

一方で、1946年8月に教育刷新委員会が内閣に設置された。この委員会が文部省に設置されずに内閣に置かれたことについては、「新しい制度を作り出すうえで、行政内部に審議会を置くのでは不十分だと考えたことのほかに、戦後の文部省の動向およびその伝統的体質に対して、抜きがたい不信感を持っていたこと」[7]が背景にある。

そして、戦後「学校教育」の機軸となる法律が「教育基本法」として1947年3月に公布された。教育基本法において示されている国民は「社会を形成する主体であり、政治教育の必要な『良識ある公民』として位置づけられた」。これに基づき、文部省は「社会の進歩・改造への役割を積極的に果たす公民形成の理念を掲げ、そのための政治教育を課題として、三点の教育内容にまとめている。第一点は、民主政治・憲法・地方自治制度機構に関する知識の教育、第二点は、現実に動いている政治を理解し、批判する力の養成、そして第三点は、その基盤となる政治的モラルと信念の形成という課題である」[8]

このような精神の下で、関連する法律が次々と制定された。学校教育法(1947年3月)、教育委員会法(1948年7月)、文部省設置法(1949年5月)などが主な法律である。

しかし、戦後教育改革によって敷かれた教育課程は戦争によって荒廃した、現実の教育現場の環境を全く無視したものであり、『山びこ学校』などの極一部の例を除き、GHQないしCIEの思惑の通りには実践されていかなかった。また、教師の多くは戦前教育課程の基準として用いられた「教師用書」とは全く異なる教育方法に基づく新教育課程に馴染むことができず、指導にも苦悩を抱えていた。まさに、この時期の「学校教育」のあり方は「崇高なる」理想であったのである。

それでは、以上の背景の下、1947年に作成された、『学習指導要領 一般編(試案)』及び、1951年に作成された、『学習指導要領 一般編(試案) 昭和26年(1951)改訂版』がどのような理想的「日本人」像を掲げているかについて述べていく。

 

W−A−A 「地域」「児童」の「特性」「事情」への重視

始めに、二つの「学習指導要領」が学校に対して求めている特徴から述べていく。主な特徴としては、「地域」「児童」の「特性」「事情」を重視せよということが挙げられる。それは「学習指導要領」の文言の各所に述べられている。以下、「学習指導要領」の文言より抜粋して紹介する。

 

骨組みに従いながらも、その地域の社会の特性や、学校の施設の実情や、さらに児童の特性に應じて、それぞれの現場でそれらの事情にぴったりした内容を考え、その方法を工夫してこそよく行くのであって、ただあてがわれた型のとおりにやるのでは、かえって目的を達するに遠くなるのである。[9]

(「序論 一 なぜこの書はつくられたか」)

 

わが國の一般社会、ならびにその学校のある地域の社会の特性を知り、その要求に耳を傾けなくてはならない。

児童の生活は地域地域によって多かれ少なかれ違つたものを持つている。だから教師各位は、これにとらわれることなく、その地域の児童の生活の実情について、これをつかまえることに努力してもらいたい。[10](「序論 二 どんな研究の問題があるか」)

 

各学校は、その地域の事情や、児童生徒の興味や能力や必要に応じて、それぞれの学校に最も適した学習指導の計画をもつべきである。

教師は、学習指導要領を手引きとしながら、地域社会のいろいろな事情、その地域の児童や生徒の生活、あるいは学校の設備の状況などに照して、それらに応じてどうしたら最も適切な教育を進めていくことができるかについて、創意を生かし、工夫を重ねることがたいせつである。[11]

(「序論 冒頭部」)

 

地域社会の殊特(ママ)事情、児童や生徒の特殊な必要を加味して、自分の学校の教育目標をつくる

都市・農村・山村・漁村の学校、あるいは、工業地帯・商業地帯・住宅街などにある学校は、それぞれの地域の事情に応ずるように学習内容の選択がなされることが望ましい[12]

(「序論 2.学習指導要領の使い方」)

*傍点は筆者

以上より、この二つの「学習指導要領」においては、学校に対して、「地域」「生徒」の状況に応じた独自の運営を求めていることが分かる。

 

W−A−B 「画一的」から「創意工夫」へ

では次に、二つの「学習指導要領」が教師に対して求めている特徴を述べていく。主な特徴としては、教師の現場での創意工夫ある指導が期待されていることが挙げられる。では、「学習指導要領」の文言にどのように述べられているかを、抜粋して紹介する。なお、『学習指導要領 一般編(試案) 昭和26年(1951)改訂版』からの抜粋がないが、理由としては、この書が『学習指導要領 一般編(試案)』と「根本的な考え方については変わっていない」[13]と言及されており、また、「きわめて簡単にした」[14]部分があるという言及から、下記の抜粋内容も踏襲しているだろうと判断したためである。

 

どこまでもそのとおりに実行するといった画一的な傾きのあつたのが、こんどはむしろ下の方からみんなの力でいろいろと、作り上げて行くようになって来たということである。

これまでの教育では、その内容を中央で決めると、それをどんなところでも、どんな児童にも一様にあてはめて行こうとした。だからどうしてもいわゆる画一的になって、教育の実際の場での創意や工夫がなされる余地がなかった。このようなことは、教育の実際にいろいろな不合理をもたらし、教育の生気をそぐようなことになつた。(中略)

(画一的な)やり方は、教育の現場で指導に当たる教師の立場を、機械的なものにしてしまって、自分の創意や工夫の力を失わせ、ために教育に生き生きした動きを少なくするようなことになり、時には教師の考えを、あてがわれたことを型どおりにおしえておけばよい、といった気持におとしいれ、ほんとうに生きた指導をしようとする心持を失わせるようなこともあつたのである。(中略)

新しく児童の要求と社会の要求とに應じて生まれた教科過程をどんなふうにして生かして行くかを教師自身が自分で研究して行く手引きとして書かれたものである。[15]

(「序論 一 なぜこの書はつくられたか」)

 

「画一的」「機械的」ではなく、「下の方からみんなの力で…作り上げていく」「教育の実際の場での創意や工夫」「教科課程をどんなふうにして生かして行くかを教師自身が自分で研究して行く」といった表現に、教師に対して、与えられた「画一的」な指導内容ではなく、独自の指導を求めることで、教師自身の「生きた」指導を期待していることが窺える。

 

W−A−C 「自発性」「個性」の重視

では最後に、二つの「学習指導要領」が生徒に対して求めている特徴を述べていく。主な特徴としては、「民主的生活」の価値や方法の理解が求められていることが挙げられる。では、「学習指導要領」の文言にどのように述べられているかを、抜粋して紹介する。

 

 

 

教科の学習は、いずれも児童の自発的な活動を誘って、これによって学習がすゝめられるようにして行くことを求めている。

(自由研究について)児童の個性の赴く所に従って、それを伸ばして行くことに、この時間を用いて行きたいのである。[16](「第三章 教科過程 一 教科過程はどうしてきめるか」)

 

指導の方法を考える場合には、興味の問題、ひいては自発性の問題が極めて重要であるということを考えておきたいのである。[17]

(「第四章 学習指導法の一般 二 学習指導法を考えるにどんな問題があるか」)

 

民主的社会における経済の機構および生産・流通・消費の過程における相互依存の理解、職業生活を営むにあたって、能率をあげるために必要なさまざまな能力などを、児童・生徒は身につける必要がある。特に、勤労愛好の精神をもって、仕事に身を打ち込んで働く態度がたいせつである。勤労愛好の精神なくして、わが国の再建は不可能である。[18]

(「T 教育の目標 2.教育の一般目標」)

 

もともと集団生活を営んでいる個人は、すべて他人をもって代えることのできない個性の持ち主であって、この意味で、個人は、自分の特性に誇りを持ち、自分の個性を最高度に発揮するように努力すべきである。しかし、また同時に他人の個性をも尊重して。お互に協力しあって家庭や社会の健全な発展に努力すべきである。また集団生活においては、その成員の成員のすべてが、責任ある言動をなし、民主的な行動の基準を守ることによって、その秩序が保持され、その社会の発展も約束される。[19](「T 教育の目標 2.教育の一般目標」)

 

『学習指導要領 一般編(試案)』では、「自発性」「個性」という言葉のみで生徒への指導のあり方が示されているが、『学習指導要領 一般編(試案) 昭和26年(1951)改訂版』では、さらに踏み込んで「民主的社会」における個人としてのあるべき理想像が描かれている。しかし、後述するW−C−Cの特徴と異なる点は、それが生徒自身に委ねられてはおらず、あくまで教師による指導によって行なわれるべきであるという文脈になっている点である。

W−A−Bにおいて触れた、教師に対して求められている特徴を踏まえると、「教育基本法」に照らした「学校教育」における「民主主義」の実践はあくまで学校・教師に委ねられており、「民主的」か否かの指標は学校・教師が地域の「特性」や生徒の「特性」「個性」[20]に照らした、独自の学校運営を行なっているか否かにあったと言えるのではないだろうか。即ち、当時「学校教育」における理想的「日本人」像は学校・教師の姿勢に求められていたと言える。

 

 

 

 

W−B 「国是」の確定 〜国の「基準」設定と「経済成長中心主義」〜

W−B−@ 高度経済成長期の「学校教育」                  

ここでは、昭和33・35年改訂版・昭和43〜45年改訂版・昭和52・53年改訂版に関して分析を行なっていく。

では、この三つの「学習指導要領」が作成された時期における時代背景を簡潔に述べる。

1951年の連合国軍司令官リッジウェイによって「占領統制緩和」声明が発表され、日本が「完全自治」に移行することを許可された。

これを受けて、同年5月1日、吉田茂首相は、私的諮問機関として政令改正諮問委員会を設置し、行政機構・教育制度・独占禁止法・事業者団体法・労働関係法令・警察制度など占領下の諸法令の見直しを開始した。

この委員会が提出した「教育制度の改革に関する答申」の中で、戦後教育改革に関して、「過去の教育制度の欠陥を是正し、民主的な教育制度の確立に資するところが少くなかった」と評価される一方、「国情を異にする外国の諸制度を範とし、徒らに理想を追うに急で、わが国の実情に即しないと思われるものも少なくなかった」[21]と批判された。

さらに、吉田内閣において社会科改訂(地理・歴史・道徳に三分割する)、「偏向教育」キャンペーン、および教育の中立性の確保・教員の政治活動の禁止を内容とした「教育二法案」の検討などが行なわれた。1954年に成立した鳩山一郎内閣においても、1955年に「うれうべき教科書の問題」という「偏向教育」批判、および「偏向教育」の是正が行なわれた。翌年1956年には保守合同した後成立した自由民主党の手で、「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」(地方教育行政法)が成立するに至った。

1960年代に入ると、「高度経済成長」のための政治的基盤が確立した。その後は、「経済成長中心主義」の政策がなされることになる。政府は経済界の意向を反映した教育政策を実施することになる。その内容は主に、科学・技術教育の振興、職業教育の充実、あるいは学校体系の柔構造化、ことに後期中等教育の多様化であった。

このために採られた政策が「人的能力政策」であったと言える。1963年1月の経済審議会では、「『社会全体が能力を尊重する気風なり、制度なりをもたなければならない』『諸条件の歴史的変化は、新しい基準による人の評価・活用のシステムを要請している。端的にいえば、教育においても、社会においても、能力主義を徹底するということである』」[22]と述べられている。

このような背景の下、「1960年代、70年代は『教育爆発の時代』だといわれ」[23]、「学歴と職業選択、産業部門職種と学歴、さらに経済的処置と学歴などの指標において、格差が明確」[24]になっていった。そして、「日本型雇用秩序といわれる人事における年度初め一括採用、年功序列・終身雇用、家族賃金制の確立が1970年代から1980年代に不動のものとして定着」[25]していった。

以上のような教育政策がなされていったことを踏まえると、この時期「経済成長中心主義」は日本の「国是」であったと言える。この時期の教育政策は戦後教育改革期と比べ、国際政治・国内政治の状況や経済の実態を踏まえた、教育政策が政府・文部省によって施行されていったと言える。それが、教育現場において大きな影響をもたらしたのだが、この点は「学習指導要領」の分析で述べることにする。

それでは、以上の背景の下、「学習指導要領」昭和33・35年改訂版、昭和43〜45年改訂版、そして昭和52・53年改訂版がどのような理想的「日本人」像を掲げているかについて述べていく。

 

W−B−A 「基準教育課程」化

始めに、三つの「学習指導要領」が学校に対して求めている特徴から述べていく。主な特徴としては、「基準教育課程」化ということが挙げられる。「基準教育課程」化は、文部省の権限強化の流れで用いられたものである。以下、この特徴を「学習指導要領」の文言より抜粋して紹介する。

 

各教科、道徳、特別教育活動および学校行事等の年間の総授業時間数ならびに各教科および道徳のそれぞれの年間の最高授業時間数は定められていないが、これらの授業時数を定めたり、配当したりするにあたっては、児童の負荷過重にならないように考慮すること。[26]

(「小学校学習指導要領 第1章 総則 第1 教育課程の編成 2 授業時数の配当」)

 

第2章以下に示す国語、社会、算数、理科、音楽、図画工作、家庭および体育の各教科(以下「各教科」という。)、道徳ならびに特別活動の内容に関する事項は、特に示す場合を除き、いずれの学校においても取り扱わなければならない。

学校において特に必要がある場合には、第2章以下に示していない内容を加えてもさしつかえないが、その場合には、第2章以下に示している各教科の各学年の目標ならびに道徳および特別活動の目標やこれらの内容の主旨を逸脱したり、児童の負荷過重になることのないようにしなければならない。[27](「小学校学習指導要領 第1章 総則 第1 教育課程一般 2」)

 

学校においては、第2章以下に示していない事項を加えて指導することも差し支えないが、その場合には、第2章以下に示している教科及び科目又は特別活動の目標や内容の主旨を逸脱したり、生徒の負担過重になることのないようにするものとする。[28]

(「高等学校学習指導要領 第7款 指導計画の作成などに当たって配慮すべき事項 2」)

 

各教科および道徳の授業の1単位時間は、45分とすることが望ましいこと。[29]

(「小学校学習指導要領 第1章 総則 第1 教育課程の編成 2 授業時数の配当」)

 

各教科および道徳のそれぞれの授業の1単位時間は、45分を常例とするが、40分とすることも考慮し、学校や児童の実態に即して適切に定めること。[30]

(「小学校学習指導要領 第1章 総則 第1 教育課程一般 6 (4)」

 

 

単位については、1単位時間を50分とし、1個学年35単位時間の授業を1単位として計算するものとする。[31](「高等学校学習指導要領 第1章 総則 第2款 各教科・科目の標準単位等 備考 1」

 

まず、授業内容について述べていく。抜粋した言及に加え、『学習指導要領 一般編(試案) 昭和26年(1951)改訂版』までには設けられていた「自由科目」の時間配分が削除され、その分が「国語」「算数(数学)」の時間に加えられている(中学校・高等学校の場合は「特別活動」の時間が配分されているが、週あたり1単位時間と「自由科目(週あたり3単位時間)」に比べるとはるかに配分が少ない)。そして、「各教科の各学年の目標ならびに道徳および特別活動の目標やこれらの内容の主旨を逸脱したり、児童の負荷過重になることのないようにしなければならない」と言及されていることからも、学校の独自裁量による「教育課程」の決定はかなり制限が加わったと解釈できるだろう。

次に、授業単位時間数について述べていく。その決定的な特徴は時間数が固定的に設定されていることである。『学習指導要領 一般編(試案) 昭和26年(1951)改訂版』までにおいては、最終的には「教師や学校長の判断に(ママ)せたい」[32]とあった。しかし、これらの三つの学習指導要領においてはその言及がなされていない。これは、授業単位時間数における文部省の権限ないし規制が強まったと解釈して問題ないだろう。

そして、「基準教育課程」化を何よりも象徴することは、「学習指導要領」のタイトルから「(試案)」の文字が削除されていることである。それまでの「学習指導要領」において、「(試案)」と書かれていたのは、あくまでそれぞれの学校が「教育課程」を作成する手引きとして「学習指導要領」を位置付けていたからである。それが削除されたと言うことは、やはり「学習指導要領」を「基準教育課程」として位置付けたかったと言う文部省の思惑が窺える。

以上から、この時期の「学習指導要領」は学校の独自の裁量権が大きく狭められたことが分かる。

 

W−B−B 「道徳教育」の実践

次に、三つの「学習指導要領」が教師に対して求めている特徴を述べていく。主な特徴としては、「道徳教育」の実践ということが挙げられる。「道徳教育」の実施に関しては、1951年の教育課程審議会による「道徳教育振興に関する答申」で提案されている。

そして、昭和33年・35年改訂の「学習指導要領」から「道徳教育」が盛り込まれることとなった。これは、「従来の道徳教育は、社会科をはじめ学校教育全体で行うことになっていたが、『所期の効果をあげているとはいえない』という『現状を反省し、その欠陥を是正し、すすんでその徹底強化をはかる』」[33]ということが理由として挙げられている。

では、以下三つの学習指導要領における「道徳教育」の言及を抜粋する。

 

 

 

道徳教育の目標は、教育基本法および学校教育法に定められた教育の根本精神に基く。すなわち、人間尊重の精神を一貫して失わず、この精神を、家庭、学校、その他各自がその一員であるそれぞれの社会の具体的な生活の中に生かし、個性豊かな文化の創造と民主的な国家および社会の発展に努め、進んで平和的な国際社会に貢献できる日本人を育成することを目標とする。[34]

(「小学校学習指導要領 総則 第3 道徳教育」)

 

道徳教育の目標は、教育基本法および学校教育法に定められた教育の根本精神に基づく。すなわち、道徳教育は、人間尊重の精神を家庭、学校、その他社会における具体的な生活の中に生かし、個性豊かな文化の創造と民主的な社会および国家の発展に努め、進んで平和的な国際社会に貢献できる日本人を育成するため、その基盤としての道徳性を養うことを目標とする。

その際、生徒の心身の発達に即応して、特に、自立の精神や社会連帯の精神および責任を重んずる態度や差別のないよりよい社会を実現しようとする態度を養うための指導が適切に行なわれるようにしなければならない。[35][36]

(「高等学校学習指導要領 総則 第2節 全日制および定時制の課程における教育課程 第3款 道徳教育」)

 

道徳教育の目標は、教育基本法及び学校教育法に定められた教育の根本精神に基づく。すなわち、道徳教育は、人間尊重の精神を家庭、学校、その他社会における具体的な生活の中に生かし、 個性豊かな文化の創造と民主的な社会及び国家の発展に努め、進んで平和的な国際社会に貢献できる日本人を育成するため、その基盤としての道徳性を養うことを目標とする。

その際、特に道徳的実践力を高めるとともに、生徒の心身の発達に即応して自律の精神や社会連帯の精神及び責任を重んずる態度や差別のないよりよい社会を実現しようとする態度を養うための指導が適切に行なわれるよう配慮しなければならない。[37]

(「高等学校学習指導要領 第1章 総則 第1款 教育課程編成の一般方針等 2」)

 

まず、道徳教育においては、一方的に教師に対して指導が求められている。これは、文部省によって教育内容が明示的な形で教師に対して指示されていることを意味する。昭和33年・35年改訂版においては、あくまで「教育基本法」の理念に照らしたフレームワークを提示しているのに過ぎないが、その後の二つの「学習指導要領」においては、さらに踏み込んで、「自立の精神」「社会連帯の精神」「責任を重んずる態度」「道徳的実践力」などの目標が設定され、より明確な文部省からの「要求」という形になっている。

昭和52・53年改訂版に関しては、カリキュラムの削減など、若干W−Cに相応しい言及もなされているが、「道徳教育」が、総則のトップにおいて言及されている点を考慮して、この「学習指導要領」における文部省側のイニシアティブの強さを考慮し、本節に盛り込むことにした。

 

 

 

 

 

W−B−C 「能力」「適性」に応じた教育

最後に、三つの「学習指導要領」が生徒に対して求めている特徴を述べていく。主な特徴としては、「能力」「適性」に応じた教育を受けることが求められている。これは、W−B−@で言及した「人的能力政策」の文脈において打ち出されたものに他ならなく、「国是」である「経済発展中心主義」に適った文言である。

以下、三つの「学習指導要領」において「能力」「適性」に応じた教育に関わる文言を抜粋する。

 

生徒の能力適性、進路等に応じてそれぞれ適切な教育をほどこすため、上記(1)[38]の学年の後においては、原則として、教育課程の類型を設け、そのいずれかの類型を選択して履修させるようにすること。

この際、その類型において履修させることになっている教科・科目以外の教科・科目を履修させたり、生徒が自由に選択履修することのできる教科・科目をも設けるよう配慮すること。[39]

 (「高等学校学習指導要領 第1章 総則 第2節 全日制の課程および定時制の課程における教育課程 第5款 教育課程編成上の留意事項 2 (2)」)

 

個々の生徒の能力適性等の的確な把握に努め、その伸長を図り、生徒に適切な各教科・科目や類型を選択させるように指導するとともに、進路指導を適切に行なうこと。[40]

(「高等学校学習指導要領 第1章 総則 第2節 全日制および定時制の課程における教育課程 第2款 指導計画の作成などに当たって配慮すべき事項 6 (1)」)

 

学校の教育活動全体を通じて、個々の生徒の能力適性等の的確な把握に努め、その伸長を図り、生徒に適切な各教科・科目や類型を選択させるように指導するとともに、計画的、組織的に進路指導を行うようにすること。[41]

(「高等学校学習指導要領 第1章 総則 第7款 指導計画の作成などに当たって配慮すべき事項 6 (2)」

*傍点は筆者

 

上記のように、生徒の「能力」「適性」に注目していることが明らかである。また、各「学習指導要領」において、「生徒の興味や関心」に基づいた、「自主的、自発的な学習」を促す文言があるが、これも「人的能力政策」に適った形で行なわれることを意図しているものであると解釈できるだろう。

では、最後にW−B−AおよびW−B−Bの分析と合わせて、この時期における理想的「日本人」像を考察する。この時期における「学習指導要領」は、学校に対しては教育課程の独自裁量権を縮小し、教師に対しては「道徳教育」という形で生徒にあるべき「日本人」にする指導を要求し、生徒に対しては「能力」「適性」に応じた進路選択を促している。そのどれもが文部省のイニシアティブの下に教育実践が行なわれていくべきものとされている。

これらは、「経済成長中心主義」という確固たる「国是」がある中で、日本政府ないし文部省がその「国是」に適った教育政策を実施し、それに対して「学校教育」の「現場」は「客体的」に従うことが理想とされていたことを意味するに他ならない。文部省に対して「客体的」であるべきこと、これがまさにこの時期において教育行政が掲げていた理想的「日本人」像に他ならない。

 

W−C 「学校化社会」への道筋 〜「コミュニティ」としての学校と「個」足る生徒〜

W−C−@ 転機に立たされた「学校」

ここでは、平成元年改訂版・平成10・11年改訂版に関して分析を行なっていく。

では、この二つの「学習指導要領」が作成された時期における時代背景を簡潔に述べる。

1977年、「ゆとり」志向の学習指導要領改訂を行ない、学校教育の人間化を進めた[42]のにも関わらず、1982年から1983年にかけて校内暴力と塾通いが急増化し、重大な社会問題となった。これに対して、文部省は1987年に学校による「補修」を行なう旨の通知を出すことで「塾通い」の抑制を図ったが、学校の「予備校化」に繋がるとして批判を受けることになった。

「学校教育」をめぐる問題はこの問題だけにとどまらず、非行・校内暴力・体罰・いじめ・自殺など幅広い分野に及び、これを「教育荒廃」の進行であると判断した中曽根首相は、教育改革を重点課題として打ち出し、臨時教育審議会(臨教審)を設置するに至った。

臨教審は三年の活動の中で四度に渡る答申を打ち出し、解散した。これ以後今日に至るまで、「中教育審議会、教育課程審議会、大学審議会、生涯学習審議会などの各種の中央審議機関、その他中央・地方に無数に設置された教育改革のための審議会、委員会、調査会議、さらには民間機関の意見表明、調査結果の報告など、多くの機関・組織で教育改革が提案され、実施されるようになった」[43]

臨教審は、「『明治以降今日までの我が国は』と、日本の近代教育の組織原理をまとめ、この教育を『記憶力中心で、自ら考え判断する能力や想像力の伸張が妨げられ個性のない同じような型の人間を作りすぎている』と、切り捨てた。そして今日の『教育荒廃といわれる現象』や『極めて憂慮すべき事態』を『制度やその運用の画一性、硬直性』がもたらしたものだと主張した。さらに、そのような一三〇余年にわたる教育のありかたを、原理のところから改革していかなければならないと、自由化(個性尊重)、多様化、国際化、情報化、などのキーワードを提供した」。[44]

1990年代に入り、バブル崩壊が起こり、日本の経済が傾き始めると、教育分野にとどまらず、日本国のシステム全体における「改革」の必要性が生じてきた。日本は再び「国是」を喪失したと言えよう。

日本政府は再び経済的繁栄を取り戻すべく、日本市場の不透明性・競争阻害体質を否定し、「新自由主義」的な経済システムを志向するようになった。1990年代後半において日本政府によって採られた政策は、民間企業・会社のシステム改革、すなわち「ネットワーク」型の組織埋没システムから「市場」型システムに移行させようとする意図が存在する。

一方、教育政策は、経済政策とは異なる「国是」の追求を行なう方向性をもって行なわれる。それが、平成元年改訂版・平成10・11年改訂版「学習指導要領」であると言えよう。それでは、以上の背景の下、「学習指導要領」平成元年改訂版、平成10・11年改訂版がどのような理想的「日本人」像を掲げているかについて述べていく。

 

W−C−A 「家庭」「地域」との連携

始めに、二つの「学習指導要領」が学校に対して求めている特徴から述べていく。主な特徴としては、「家庭」「地域」との連携が主張されていることが挙げられる。

では、二つの「学習指導要領」において「家庭」「地域」との連携が掲げられている文言を抜粋する。

 

家族や地域社会との連携を図り、日常生活における基本的な生活習慣や望ましい人間関係の育成などにかかわる道徳的実践が促されるよう配慮しなければならない。[45]

(「小学校学習指導要領 第1章 総則 第1 教育課程編成の一般方針 2」)

 

地域や学校の実態等に応じ、家庭や地域社会との連携を深めるとともに、学校相互の連携や交流を図ることにも努めること。[46]

(「小学校学習指導要領 第1章 総則 第4 指導計画の作成等に当たって配慮すべき事項 2 (10)」)

 

道徳教育を進めるに当たっては、(中略)家庭や地域社会との連携を図りながら、ボランティア活動や自然体験活動などの豊かな体験を通して児童の内面に根ざした道徳性の育成が図られるよう配慮しなければならない。[47]

(「小学校学習指導要領 第1章 総則 第1 教育課程編成の一般方針 2」)

 

学校における体育・健康に関する指導は、学校の教育活動全体を通じて適切に行うものとする。(中略)また、それらの指導を通して、家庭や地域社会との連携を図りながら、日常生活において適切な体育・健康に関する活動の実践を促し、生涯を通じて健康・安全で活力ある生活を送るための基礎が培われるよう配慮しなければならない。[48]

(「小学校学習指導要領 第1章 総則 第1 教育課程編成の一般方針 3」)

 

グループ学習や異年齢集団による学習などの多様な学習形態、地域の人々の協力も得つつ全教師が一体となって指導に当たるなどの指導体制、地域の教材や学習環境の積極的な活用などについて工夫すること。[49]

(「小学校学習指導要領 第1章 総則 第3 総合的な学習の時間の取扱い 5 (2)」)

 

 

 

 

 

 

開かれた学校づくりを進めるため、地域や学校の実態などに応じ、家庭や地域の人々の協力を得るなど家庭や地域社会との連携を深めること。また、小学校間や幼稚園、中学校、盲学校、聾学校及び養護学校などとの間の連携や交流を図るとともに、障害のある幼児児童生徒や高齢者などとの交流の機会を設けること。[50]

(「小学校学習指導要領 第1章 総則 第5 指導計画の作成等に当たって考慮すべき事項 2 (11)」)

*傍点は筆者

 

「家庭」「地域」との連携という方針はそれまでの「学習指導要領」においては見られなかった要素である。これはどのような時代背景の下現われてきたのだろうか。

広田照幸によれば、戦後から1970年代頃までは、「学校は子供の『よりよい生活』を保証してくれる『ありがたい場所』であ」[51]るという意識が民衆にはあったという。それは、「『学歴』の重要性をあらゆる社会層まで広げ、家庭・地位での伝統的なしつけや技能伝達を無意味にしていっ」[52]た。この時期においては、学校は地域の親や子供に対して文化的優位性をイデオロギー的にも実態的にも有していた。

しかし、1980年前後の頃までには、「学校を見る世間の視線は、一〇年前とは明らかに異なる位相へと変容」[53]していた。それは、「学校教育」における病理を学校内部に求めるようになったことである。

その背景としては、「『豊かな社会』の到来による人々の生活水準や教養水準の上昇が、(中略)地域の親や子供に対する文化的優位性をイデオロギー的にも実態的にも掘り崩すことになった」[54]ということ、「人々の経済水準の上昇が、子供に注ぐ時間的・経済的余裕をより増加させ、学校内部の出来事に知識と関心を持つ親を増やしてい」くことによって、そうした親たちが「学校に多様な(しばしば矛盾した)要求をつきつけるようになった」[55]ということが考え得ると広田は指摘する。

「地域」との連携とはこのような社会背景から出てきたものであると私は考える。つまり、それまでは学校が文化的に優位にあったため、地域に「教えを請う」などということは想定すらできなかった。しかし、現代においては、「地域」が場合によっては「学校」より文化的に優位な場面が生じるようになった。それ故に、「学校」は場所を提供する換わりに「地域」に「教えを請う」といった状況が生じ得るようになったということである。

つまり、「学校」が「地域」との連携を志向すること、それは「学校教育」が「学校」の専有物ではなくなったということを意味するのではないか。

 

 

 

 

 

W−C−B 「協力者」としての「指導」

次に、二つの「学習指導要領」が教師に対して求めている特徴を述べていく。主な特徴としては、「協力者」としての「指導」が求められていることが挙げられる。「協力者」という言葉は、W−C−Cで触れる生徒の位置付けに対応して私が用いた言葉である。教育現場における「主体者」であるはずの教師がこの二つの「学習指導要領」においては「主体性」を欠き、サポートに徹すべき存在として掲げられている。それは「指導」という意味の変容を意味しているとも言える。

では、二つの「学習指導要領」において教師が「協力者」としての「指導」を行なうことが掲げられている文言を抜粋する。

 

学校の教育活動を進めるに当たっては、自ら学ぶ意欲と社会の変化に主体的に対応できる能力の育成を図るとともに、基礎的・基本的な内容の指導を徹底し、個性を生かす教育の充実に努めなければならない。[56](「小学校学習指導要領 第1章 総則 第1 教育課程編成の一般方針 1」)

 

 児童の興味や関心を生かし、自主的、自発的な学習が促されるよう工夫すること。[57]

 (「小学校学習指導要領 第1章 総則 第4 指導計画の作成等に当たって配慮すべき事項 2 (2)」)

 

生徒が自らの生き方を考え主体的に進路を選択することができるよう、学校の教育活動全体を通じ、計画的、組織的な進路指導を行うこと。[58]

(「中学校学習指導要領 第1章 総則 第6 指導計画の作成等に当たって配慮すべき事項 2 (4)」)

 

学校の教育活動を進めるに当たっては、各学校において、児童に生きる力をはぐくむことを目指し、創意工夫を生かし特色ある教育活動を展開する中で、自ら学び自ら考える力の育成を図るとともに、基礎的・基本的な内容の確実な定着を図り、個性を生かす教育の充実に努めなければならない。[59]

(「小学校学習指導要領 第1章 総則 第1 教育課程編成の一般方針 1」)

 

自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する資質や能力を育てること。[60](「小学校学習指導要領 第1章 総則 第3 総合的な学習の時間の取扱い 2 (1)」)

 

学び方やものの考え方を身に付け、問題の解決や探究活動に主体的、創造的に取り組む態度を育て、自己の生き方を考えることができるようにすること。[61]

(「小学校学習指導要領 第1章 総則 第3 総合的な学習の時間の取扱い 2 (2)」)

 

各教科の指導に当たっては、体験的な学習や問題解決的な学習を重視するとともに、児童の興味・関心を生かし、自主的、自発的な学習が促されるよう工夫すること。[62]

(「小学校学習指導要領 第1章 総則 第5 指導計画の作成等に当たって配慮すべき事項 2 (2)」)

 

各教科等の指導に当たっては、児童が学習課題や活動を選択したり、自らの将来について考えたりする機会を設けるなど工夫すること。[63]

(「小学校学習指導要領 第1章 総則 第5 指導計画の作成等に当たって配慮すべき事項 2 (4)」)

生徒が学校や学級での生活によりよく適応するとともに、現在及び将来の生き方を考え行動する態度や能力を育成することができるよう、学校の教育活動全体を通じ、ガイダンスの機能の充実を図ること。

(「中学校学習指導要領 第1章 総則 第6 指導計画の作成等に当たって配慮すべき事項 2 (5)」

 

抜粋した文言を見るに、教師の指導は、生徒の「自主的、自発的な学習」を促すためであったり、「主体的、創造的に取り組む態度」を養うためであったりと、教師自身に対して何かしらの規範が求められているというよりは、生徒自身の活動に「協力」することで生徒自身の能力や意識の向上を図るといった姿勢が求められている。この点は、W−C−Cと比較するとさらに分かるだろう。

 

W−C−C 「主体的に対応できる能力」の育成

最後に、二つの「学習指導要領」が生徒に対して求めている特徴を述べていく。主な特徴としては、「主体的に対応できる能力」の育成が求められている。従前の「学習指導要領」においては、教育後における生徒のあるべき姿というのは「教育基本法」の理念であったり、「道徳教育」の項で書かれていたりしていた。しかし、生徒の未来のみならず現在の学校生活におけるあるべき姿勢が明示的に触れられているこれら二つの「学習指導要領」は今までにないユニークな特徴を持っていると言えよう。

では、二つの「学習指導要領」において教師が「協力者」としての「指導」を行なうことが掲げられている文言を抜粋する。

では、二つの「学習指導要領」において生徒の「主体的に対応できる能力の育成」が掲げられている文言を抜粋する。下記の文言に加え、W−C−Bにおいて触れた文言も参考にしていただきたい。

 

学校における道徳教育は、生徒が自己探求と自己実現に努め国家・社会の一員としての自覚に基づき行為しうる発達段階にあることを考慮し人間としての在り方生き方に関する教育を学校の教育活動全体を通じて行なうことにより、その充実を図るものとし、(中略)

道徳教育の目標は、教育基本法及び学校教育法に定められた教育の根本精神に基づき、人間尊重の精神と生命に対する畏敬の念を家庭、学校、その他社会における具体的な生活の中に生かし、個性豊かな文化の創造と民主的な社会及び国家の発展に努め、進んで平和的な国際社会に貢献できる主体性のある日本人を育成するため、その基盤としての道徳性を養うこととする。[64]

(「高等学校学習指導要領 第1章 総則 第1款 教育課程編成の一般方針 2」)

 

学校における道徳教育は、生徒が自己探求と自己実現に努め国家・社会の一員としての自覚に基づき行為しうる発達段階にあることを考慮し人間としての在り方生き方に関する教育を学校の教育活動全体を通じて行うことにより、その充実を図るものとし、(中略)

道徳教育は、教育基本法及び学校教育法に定められた教育の根本精神に基づき、人間尊重の精神と生命に対する畏敬の念を家庭、学校、その他社会における具体的な生活の中に生かし、豊かな心をもち、個性豊かな文化の創造と民主的な社会及び国家の発展に努め、進んで平和的な国際社会に貢献し未来を拓く主体性のある日本人を育成するため、その基盤としての道徳性を養うことを目標とする。[65](「高等学校学習指導要領 第1章 総則 第1款 教育課程編成の一般方針 2」)

 

 

二つの「学習指導要領」が共に「道徳教育」の項において、生徒のあるべき、そしてなるべき「日本人」像が明確に示されている。ここで書かれている「日本人」像はW−B−Bで触れた「道徳教育」の内容と大きく方向性が異なることが分かるだろう。前者が、積極的に「国家の発展」「国際社会の平和」に努める「日本人」像を描いているのに対して、後者は、積極的か否かは問わず、あるべき素養を養って「国家」や「国際社会」に貢献しようとする「日本人」像を描いている。後者が「主体性ある」という言葉を用いていることがこの差異を決定付けているだろう。

つまり、この時期の「学習指導要領」が求めている生徒は「教育」を受ける「客体」でありながら、教師の「協力」としての「指導」を受けながらも、「主体性」をもって取り組んでいくべき存在でなければならないのである。

では、最後にW−C−AおよびW−C−Bの分析と合わせて、この時期の教育行政における理想的「日本人」像を考察する。地域の「学校」へのコミットが推奨され、生徒は「主体性」ある「個人」として学校生活を送ることを期待され、教師は生徒を「協力」的に指導する。これらから浮かび上がってくるのは、もはや学校は学校と言う建造物にとどまることなく、学校的なシステムは地域の至る所に分散していく。

そして、教育の主体−客体の関係も必ずしも教師−生徒ではなく、場合によっては生徒が教育の主体にもなり得る。誰もが教育の主体者になり得る社会、それはまさしく「学校化社会」ではないだろうか。

そして、「学校化社会」の一員たり得ること、これが全ての「日本人」に求められた姿勢であると言えるのではないだろうか。

 

X 結論

本研究は、戦後発行された全ての「学習指導要領」を読み解いていくことで、そこに見られる「学校教育」における理想的「日本人」像を明らかにしてきた。

まず、仮説の検証を行なう。仮説においては、「『教育基本法』に書かれた理念に関する実現度の中心的な指標が、学校・教師⇒文部省⇒生徒と変容していき、その変容に基づいて理想的『日本人』像が描かれていったのではないか」と述べたが、本研究を通して判明したことは、W−Cにおいて分析した結果を踏まえると、最後の「生徒」は誤りで、むしろ「地域に関わる全ての人間」と表わすのが適当であろう。それ以前の流れは仮説と変わらない結果を本研究は与えたと私は考える。

本研究によって判明した、教育行政における理想的「日本人」像の変遷をまとめると、以下のようになるだろう。戦後、民主的国家を築くために学校・教師に対して民主的指導者になることを期待するが、現場の実態にそぐわず頓挫した。その後、文部省によるトップ・ダウンによる「国民教育」に転換する。その内に高度経済成長が始まり、「経済成長中心主義」という「国是」が確定し、この「国是」に適った「日本人」像が理想とされる。しかし、「経済成長」が低迷し、再び「国是」を喪失すると、文部省は地域を「学校化」することによって「主体的」な「国民」を教育実践の中で作り出し、新たな「国是」の確定を期待するようになった。

しかしながら、本研究は分析において、甚だ不十分な点が多い。本論中の「学習指導要領」の文言抜粋が適当に行なわれているかと言えば疑わしい部分もあるし、本論各章の時代背景は殆ど二次資料をもとに展開しているので、事実関係を正確に捉えているかということについて問題がある。さらに、「学習指導要領」周辺の答申や発言録についても、資料の読み込みが足らず、本論では殆ど触れることができなかった。以上を踏まえると、本研究は洗練の余地が充分にあると考えられる。

最後に、今後の研究計画について述べる。まずは、本研究の洗練が最重要課題である。先述した問題を解決し、本研究が説得力を持ち得るまで分析を続けていく。その研究が完成の見通しが立った時点で、続いて「学校教育」における理想的「日本人」像の言説そのものを明らかにする研究に取り掛かることにする。この研究は対象を教育行政側のみならず、対抗論調であると考えられる日教組の文章・発言録や各メディアにおける教育に関わる言及など幅広く設定する必要がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Y 文献表

熱海則夫/長岡順編 『新学校教育全集30 学校と教育行政』 ぎょうせい 1995

今津孝次郎/樋田大二郎編 『教育言説をどう読むか 教育を語ることばのしくみとはたらき』 新曜社 1997

尾崎ムゲン 『日本の教育改革』 中公新書 1999

柴田義松 『教育課程論』 学文社 2001

柴田義松 『教育課程―カリキュラム入門』 有斐閣 2000

「戦後日本教育資料集成」編集委員会 『戦後日本教育資料集成』(全12巻) 三一書房 1983

永岡順編 『シリーズ・教育の間(あいだ) 第4巻/教育課程と学習指導要領の間―新しい時代の教育課程』 ぎょうせい 1990

広田照幸 『教育言説の歴史社会学』 名古屋大学出版会 2001

水原克敏 『現代日本の教育課程改革 ―学習指導要領と国民の資質形成―』 風間書房 1992

文部省 『学習指導要領 一般編(試案)』 日本書籍 1947

文部省 『学習指導要領 一般編(試案) 昭和26年(1951)改訂版』 明治図書 1951

文部省 『小学校 学習指導要領(文部省告示)』 大蔵省印刷局 1958

文部省 『中学校 学習指導要領(文部省告示)』 大蔵省印刷局 1958

文部省 『高等学校 学習指導要領(文部省告示)』 大蔵省印刷局 1960

文部省 『小学校 学習指導要領』 大蔵省印刷局 1968

文部省 『中学校 学習指導要領』 大蔵省印刷局 1969

文部省 『高等学校 学習指導要領』 大蔵省印刷局 1970

文部省 『文部省発表 高等学校学習指導要領 昭和53年(1978)改訂版』 明治図書 1978

文部省 『小学校 学習指導要領』 大蔵省印刷局 1988

文部省 『中学校 学習指導要領』 大蔵省印刷局 1988

文部省 『高等学校 学習指導要領』 大蔵省印刷局 1988

文部省 『小学校学習指導要領解説 総則編』 東京書籍 1999

文部省 『中学校学習指導要領解説 総則編』 東京書籍 1999

文部省 『高等学校学習指導要領解説 総則編』 東山書房 1999



[1] 水原克敏 『現代日本の教育課程改革 ―学習指導要領と国民の資質形成―』 1992 序p3

[2] 今津孝次郎/樋田大二郎編 『教育言説をどう読むか 教育を語ることばのしくみとはたらき』 1997 p12

[3] 広田照幸 『教育言説の歴史社会学』 名古屋大学出版会 2001 p8

[4] この場合の「戦後民主主義教育史観」の意味は、「『日本国憲法』と『教育基本法』の精神を教育の理想とし、教育実践における至る場面において、この精神の体現に努めることを『善』とみなす歴史観」である。

[5] 熱海則夫/長岡順編 『新学校教育全集30 学校と教育行政』 ぎょうせい 1995 p178

[6] 前掲 『現代日本の教育課程改革 ―学習指導要領と国民の資質形成―』 p5

[7] 尾崎ムゲン 『日本の教育改革』 中公新書 1999 p161

[8] 前掲 『現代日本の教育課程改革 ―学習指導要領と国民の資質形成―』 p67

[9] 文部省 『学習指導要領 一般編(試案)』 日本書籍 1947 p1−2

[10] 同上書 p2−3

[11] 文部省 『学習指導要領 一般編(試案) 昭和26年(1951)改訂版』 明治図書 1951 p1

[12] 同上書 p2−3

[13] 同上書 まえがき p1

[14] 同上書 まえがき p1

[15] 前掲 『学習指導要領 一般編(試案)』 p1−2

[16] 同上書 p13

[17] 同上書 p22

[18] 前掲 『学習指導要領 一般編(試案) 昭和26年(1951)改訂版』 p9−10

[19] 同上書 p9

[20] 生徒の要素として、「特性」と「個性」の二つが使い分けられているが、文脈上、前者は「地域性」に根ざした気候・文化などの要素、「個性」は児童の適性や能力を指していると考えられる。しかし、あくまで推測の域を出ず、別途研究における検証が求められる。

[21]  前掲 『現代日本の教育課程改革 ―学習指導要領と国民の資質形成―』 p294

[22]  前掲 『日本の教育改革』 p196

[23]  同上書 p206

[24]  同上書 p207

[25]  同上書 p209

[26]  文部省 『小学校 学習指導要領(文部省告示)』 大蔵省印刷局 1958 p2

[27]  文部省 『小学校 学習指導要領』 大蔵省印刷局 1968 p1

[28]  文部省 『文部省発表 高等学校学習指導要領 昭和53年(1978)改訂版』 明治図書 1978 p11

[29]  前掲 『小学校 学習指導要領(文部省告示)』 p2

[30]  前掲 『小学校 学習指導要領』 1968 p2

[31]  前掲 『文部省発表 高等学校学習指導要領 昭和53年(1978)改訂版』 p6

[32]  前掲 『学習指導要領 一般編(試案)』 p14

[33]  前掲 『現代日本の教育課程改革 ―学習指導要領と国民の資質形成―』 p346

[34] 前掲 『小学校 学習指導要領(文部省告示)』 p5

[35] 文部省 『高等学校 学習指導要領』 大蔵省印刷局 1970 p15

[36] 「その際、生徒の心身の…」以降の部分は、同改訂版小学校学習指導要領・中学校学習指導要領には記載されていない。その理由は不明である。この高等学校版が最も遅く出版されていることを踏まえると、後に加筆された部分であるという可能性はある。

[37] 前掲 『文部省発表 高等学校学習指導要領 昭和53年(1978)改訂版』 p5

[38] (1)の内容は、「全日制の課程においては第1学年、定時制の課程においては第1学年または第1学年および第2学年において履修させる教科・科目およびその単位数は、原則として、これを共通にするようにすること。」とある。

[39] 文部省 『高等学校 学習指導要領(文部省告示)』 大蔵省印刷局 1960 p12

[40] 前掲 『高等学校 学習指導要領』 1970 p14

[41] 前掲 『文部省発表 高等学校学習指導要領 昭和53年(1978)改訂版』 p12

[42] 1977・78年改訂版については「学校教育」の「人間化」を志向し、カリキュラムの削減を行なった「ゆとり」志向の「学習指導要領」であるという意味で、W−Cにこの「学習指導要領」を盛り込むべきであるという意見は想定できる。しかし、その内容が文部省主導であるという要素において従前の二つの「学習指導要領」と性質を同じくしているため、私は敢えてW−Bにこの「学習指導要領」を盛り込むことにした。

[43] 前掲 『日本の教育改革』 p223−224

[44] 同上書 p225

[45] 文部省 『小学校 学習指導要領』 大蔵省印刷局 1988 p1

[46] 同上書 p4

[47] 文部省 『小学校学習指導要領解説 総則編』 東京書籍 1999 p122

[48] 同上書 p122

[49] 同上書 p124

[50] 同上書 p127

[51] 前掲 『教育言説の歴史社会学』 p274

[52] 同上書 p274

[53] 同上書 p284

[54] 同上書 p285

[55] 同上書 p288

[56] 前掲 『小学校 学習指導要領』 1988 p1

[57] 同上書 p3

[58] 文部省 『中学校 学習指導要領』 大蔵省印刷局 1988 p5

[59] 前掲 『小学校学習指導要領解説 総則編』 p121

[60] 同上書 p123

[61] 同上書 p123

[62] 同上書 p126

[63] 同上書 p126

[64] 文部省 『高等学校 学習指導要領』 大蔵省印刷局 1988 p1

[65] 文部省 『高等学校学習指導要領解説 総則編』 東山書房 1999 p256−257