2000年度卒業論文 2000年度卒業制作

2000年度卒業制作

 

 

 

 

横浜の学童保育のゆくえ

 

家庭でも学校でもない、子どもの居場所として

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

貴戸 理恵 

慶應大学総合政策学部4B社会経営コース

所属:小熊英二ゼミ、上野千鶴子ゼミ

No.79703302 Logins97330rk

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もくじ

 

 

1.学童保育の現状と課題

  11.「子どもの育ち」に関わる方法としての学童保育

  12.留守家庭児童対策を超えて

  13.「住民参加型地域福祉」としての学童保育

2.先行研究の批判的検討

 21.学童保育の語られ方

 22.批判的検討――「学童保育の福祉問題」「シリーズ学童保育」について

3.対象

  31.学童保育の歴史

  32.対象の設定

  33A-aA-b横浜の学童保育の施設間格差について――横浜市の問題点の指摘

  34AF横浜の学童保育とその周辺施設について――オプションの検討

  35G横浜市学童保育連絡協議会、H行政について――運動方針の提案と政策提言

 4.方法

 5.横浜の学童保育――「横浜市めだか学童クラブ」を通して

  51.めだか学童クラブの背景

  52.「いい学童保育」とは何か

                   521.子どもにとっての学童保育

                   ・めだか学童クラブの場所

                             ・子どもたちの学童での生活

                             ・保育方針にみる子どもと指導員の関係

                             ・虹クラブとの比較において

522.親にとっての学童保育

・親たちのニーズ5類型

                             ・父母会組織の役割

                             ・働きながらの子育てでつながる親同士のネットワーク

                             ・「集団保育」の負担

                             ・指導員への信頼

                   523.指導員にとっての学童保育

                             ・指導員の“質”とは何か

                             ・労働環境としてのめだかクラブ

                             ・労働者としての指導員

                             ・指導員と父母会の関係

  53.地域の中のめだか学童クラブ

  54.まとめ――「いい学童保育」の条件

 6.学童保育とその周辺施設

   61.はまっ子ふれあいスクール

                   611.はまっ子ふれあいスクールとは

                   612.今川小学校はまっ子ふれあいスクールの実施状況

                   613.「専門性」が重視されないパートナー

                   614.「学校的空間」としての“はまっ子”

退職校長という問題

学校施設の脱学校化に向けて

                   615.“はまっ子”から見た学童保育、学童保育から見た“はまっ子”

                   616.まとめ――「学校ではない子どもの居場所」として

  62.学校の中の学童保育

                   621.田淵小学校内学童クラブの実施状況

                   622.学校施設のメリット、

623.学校施設のデメリット

                   624.まとめ――学校施設利用は最後の手段

  63.公設公営の学童保育

                   631.東京都品川区の学童保育について

                   632.品川区みなと学童クラブの実施状況

                   633.行政の介入と指導員の葛藤

                   634.専門性の制度化が行われるとき

公務員としての指導員

常勤になれなかった指導員

「資格」か「経験」か――専門性のディレンマ

                   635.まとめ――「公設公営」を超えて

「夢みたいな話」?

21世紀における地方分権の必要性

住民参加の実践としての学童保育

  64.世田谷新BOP

                   641.新BOPとは

                   642.世田谷区滝谷小学校内新BOPの実施状況

                   643.学童保育の機能とは何か

「カーテンで仕切っておやつ」

「学童保育の機能を守る」と「子どもの分断反対」が抵触する

そして子どもたちは

644.指導員の負担

645.留守家庭児童でなくても集団保育は必要

                   646.まとめ――全児童対策としての学童保育を

7.横浜の学童保育運動――“はまっ子”をめぐる連協の運動論理分析

  71.市連協と学童保育運動

  72.“はまっ子”の動きと市連協の運動論理の推移

                    721.“はまっ子”対策理論の発起

                   722.“はまっ子”対策理論に内在する矛盾

723.「一本化提言」対策

                   724.「拡充案」対策と連協の内部対立

                   725.“はまっ子”と学童保育の違い

  73.「学校ではない子どもの居場所」として――「ゆとり教育」への告発

  74.「家庭ではない子どもの居場所」として――市連協の限界を超えて

  75.行政の意図

8.結論――横浜市への政策提言

  81.学童保育の望ましい運営制度

                   811.長期的展望――『公設民間委託運営』

                   812.短期的展望――運営委員会委託制度の改良

  82.横浜市の現状と課題

9.これからの学童保育

  91.本研究の意義と限界

  92.「留守家庭児童対策」を超えて

 

参考文献および参照資料

 

謝辞

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1.学童保育の現状と課題

11.「子どもの育ち」に関わる方法としての学童保育

 本研究の主題は、横浜市の学童保育のより望ましい状態とはどのようなものか、またその実現のためにはどうしたらよいかを、探ることである。

学童保育とは、横浜市学童保育連絡協議会の定義によれば、「共働き、母子、父子家庭の小学生の子どもたちの放課後および春、夏、冬休みなどの学校休業時の生活を保障することを通して、働く親の生活と権利を守る」集団保育の場としての児童福祉施設である[横浜市連協:2000]。親が働いていて昼間家にいない子どもたちは、学校から帰ってきても「おかえり」と迎えてくれる人がいない。その代わり、子どもたちは学童保育に行くのだ。そこでは2050人くらいの仲間の子どもたちと、25人の指導員が待っている。

本研究は神奈川県横浜市の学童保育に注目し、その現状と課題を探ろうと試みる。研究の前半では、学童保育の直接的な当事者である子ども・親・指導員にとって、望ましい学童保育とはどのようなものかを明らかにする。また後半では、「ではどのような制度の下でなら、それが実現可能なのか」「そのために今、学童保育運動はどうしたらよいのか」という問いに迫り、横浜市に対する政策提言と、横浜市学童保育連絡協議会に対する運動方針の提案を目的とする。

  本研究を始めるに当たっての私の関心は、「大人として、子どもの育ちにいかに関わっていくか」という点にあった。「子どもの育ち」が、育てる方にとっても育つ方にとっても、これほど困難を極めている時代はほかにないように思える。少年犯罪をはじめ学級崩壊、不登校、家庭内暴力、引きこもりなど、現代は子どもにまつわる深刻な現実に直面している。一方で親たちは児童虐待、育児ノイローゼといった問題を抱えており、凶悪な少年犯罪を目の当たりにしても「うちの子だけは」「うちの子に限って」とはもはや思えない状況にある。そこにあるのは「うちの子も、もしかしたら」という不安と不信だ。豊かな育ちを保障できない親も、保障されない子どもも、すでに特殊な存在ではない。親族ネットワーク、近隣ネットワークといった育児ネットワークの消滅と、「母親の愛情で子育て」という母性神話の崩壊を経験して、私たちはそれらに代わる新たな育児の方向性を展望できないままである。問題なのは、「少年犯罪」や「児童虐待」といった象徴的な出来事だけではない。もっと一般的な、大人−子ども関係における「関わり・関わられる」育ちの過程において、「放っておいても子どもは育つ」という楽観的な態度が通用しなくなってきたこと自体に目を向けていかなくてはならない。「厳格な父」「愛情深い母」「規律正しい学校」といった「子育てにふさわしい行為者・場」が、もはやどこにも存在しないという厳然とした現実の前で、なおその子の価値に見合うだけの「豊かな育ち」をからだいっぱいに要求してくる子どもたちに対して、私たちはどのように向き合えばいいのだろうか。少なくとも、「家族の愛情」や「学校の権威」という内実の伴わない影に頼ることでその要求を回避しないとすれば、いま私たちがするべきなのは「いかに子どもの育ちに関わっていくか」というその方法を学ぶことだろう。

子どもの育ちに対する大人たちのより深い、より多様なコミットメントが、いま切実に求められている。そしてそれは「自然に達成される」ものではなく、「意識的に成し遂げられる」ものである。都市化は子どもたちから遊び場を奪い、塾通いや習い事は遊ぶ時間を奪い、少子化は遊び友達を奪った。ボール遊びを禁じられた児童公園で、英会話と公文とスイミングとダンスの狭間に、子どもがたったひとりで、どういきいきと遊べるだろう。子どもの育ちの豊かさは、いまではより純化したかたちで、周囲の大人のあり方に関係している。そのために子どもは、はかりしれない時間と労力と精神の投入を大人に対して要求するのであり、それが結果的に「子育ては大変」となるのだろう。しかしそんなことは当たりまえのことではないか。大人の姿勢が子育てへのコミットメントを惜しむものであるとき、自らを大切に扱われるべき存在だと知っている子どもは、あらゆるかたちでそれを告発し続けるだろう。

「子どもの育ち」に関わる手段のひとつとして、私は学童保育に注目した。学童保育では、異年齢の子ども集団による遊びや生活が成立しており、親たちは父母会や様々な行事を通して育児ネットワークを築いている。そこにおける「子ども」とは具体的には「共働き・母子・父子家庭の小学生」たちであり、「大人」とは「親・指導員・行政」を指す。私の問題意識の中心は、「働きながら人々と連帯し、多様な価値観の中で、自分の手で子育てしていく」親たちの育児実践の場として、また、子どもたちが評価や管理のまなざしから解放され、安心して過ごせる居場所のひとつとして、学童保育の果たす機能を評価し、守っていきたいというものだ。

 

12.「全児童対策」としての学童保育

学童保育はしばしば「働く母親」にとっての必要性が強調される。家庭と仕事を両立するための、「託児所の小学生版」というわけだ。

しかし本研究が強調したいのは、「留守家庭にとってもその他の家庭にとっても学童保育は必要だ」という点である。「学童保育=留守家庭児童対策」と限定することは、二つの問題を含んでいる。一つには、学童保育の機能が託児所に還元されている点である。学童保育は親にとって「仕事をしている間子どもを預かる場」であるのみならず、「他の子どもの姿を見ることによって我が子を相対化しつつ、指導員および他の親と育児ネットワークを作る場」でもある。親たちは仲間の親・指導員と話し合うことによって、より豊かな子育てを行うことができる。特に産業社会で働く父親たちにとっては、学童保育は子育てに関わる機会を得るきっかけとなる。これらは、母親が外に仕事を持っていようがいまいが、子育てをしていく上で必要であることに変わりない。また二つ目は、「働く母親」「専業主婦」という女性の分断を招くことである。学童保育が「働く母親にとって必要」であり「専業主婦にとって無用」であるならば、そこには「一般家庭=満足な保育環境、留守家庭=『保育に欠ける[1]』環境」とする「母性神話」に基づいた分断の発想が生まれてはいないだろうか。

横浜には、全児童を対象とし「遊びの充実」を目的とした児童福祉施策として、「はまっ子ふれあいスクール」(以下、“はまっ子”)事業がある。小学校の空き教室を利用して放課後の小学生を遊ばせるこの事業は、2002年までに市内の全小学校に設置される予定である。類似事業の出現は、学童保育に「両事業の一本化」という新たな危惧を投げかけている。学童保育運動を担う運動体「横浜学童保育連絡協議会」(以下、市連協)は、「学童保育の固有のニーズ」を分かりやすく打ち出す必要があったため、“はまっ子”との違いについて「学童保育=留守家庭児童対策」「“はまっ子”=全児童対策」とする対象児童の差異を強調している。しかし、「留守家庭=保育に欠ける」とする考えには「母性神話」の内面化という限界がある。

本研究はこうした方向性に再考を促し、「全児童対策としての学童保育」という将来的な代替案を提供したい。もちろんこれは“はまっ子”との安直な統合を意図するものではない。全児童対策と学童保育の一本化に見られる行政の意図は、「児童福祉の予算削減」という子どもの育ちに対するコミットメントを惜しむものであり、それには十分な警戒が要される。しかし、だからといって学童保育を「留守家庭児童対策」の枠に限定することは、学童保育の持つ可能性を大きく狭めてしまう。集団保育と育児ネットワークという学童保育の優れた機能は、これまでの「学童保育=留守家庭児童対策」の範疇には収まりきらない、新しい保育の実現を提示することができるのである。

 

13.「住民参加型地域福祉」としての学童保育

学童保育はバラエティーに富んでいる。利用者ニーズに地域ごとの差があり、自治体によって運営形態が異なっているためである。親が働いている子どものための福祉は、親の就労形態や親族ネットワークの有無、地域ネットワークの有無といった地域差の大きい要因によって、実現される形態が変化する。また、運営形態の多様さは、指導員の待遇の差、親たちの負担の差、自治体の出資額の差となって、施設のあり方そのものに大きな影響を与える。長年の運動の成果あって、学童保育は98年に児童福祉法に盛り込まれたが、この法制化はそれぞれの学童保育の抱える具体的で個別の問題に解決の糸口を与えることはなかった。

横浜の学童保育は現在、自治体から委託金を受けて実際には親たちが運営する運営委員会委託制度を採っている。この制度は、親たちの負担過多、指導員の待遇の悪さといった問題を抱えているため、横浜の学童保育はより大きな行政の援助を勝ち取ることを目標に、公設公営化に向けて運動を展開してきた。公設公営とは自治体の直営で、開設場所と指導員の身分は公に保障される。しかし、法制化以来全国的に公設公営が増えた結果、これまで不可視であった問題点が明らかになり、もうこの運営形態が無条件に一番いいとはいえなくなってきている。新たに公設公営化された学童保育では、「既存の指導員が非常勤化もしくは解雇された」「父母会活動が不活発になった」などの問題が起こっている。[全国連協:1999]

本研究では、フィールドワークを通して、現場では、今まで考えられてきたいくつかの方向性に代わる制度が求められていることが明らかになった。すなわち「開設場所、運営費、指導員の身分などの最低基準は行政が保障し、且つ運営方針の決定権や人事権は現場の当事者である子ども・親・指導員に帰属する」学童保育の新しいかたちである。「そりゃあそうなったらいいけど、そんな虫のいい話があるかしら」というのは私がインタビューしたベテラン指導員の言葉である。学童保育関係者は長いあいだ「カネは出ないが自由にやれる」か、「カネをもらって口を出される」か、という究極の選択を迫られてきた。しかも、横浜市のように単純な公設公営さえままならない現状を考えれば、このような「カネをもらって自由に」という制度が非現実的に見えるのも無理はないのかもしれない。しかしそれ以外にどんな道があるだろうか。

少子高齢社会においてニーズが肥大化する社会福祉は、住民と第3セクターの参加なくしては成り立たないといわれている。そのためには、地方分権と現場への権利委譲が必要である[宮本:1998]。中央主導の福祉政策から、市町村が主体となる自治体レベルの福祉政策へ。さらに、財政的責任は自治体が負った上で、市民の望む福祉ニーズを市民の手によって供給する、住民参加型地域福祉の成立へ。「公設民営」ともいうべき福祉施設の新しい運営制度は、市民サイドにはもちろん、行政サイドにとっても最終的には望ましい結果をもたらすものであり、少子高齢化という人口動態の引き起こす社会の変化に適うものであるだろう。学童保育問題は、日本の官僚主義的中央集権制を告発するまでの射程を持っている。

更に、宮本は政策の作成過程を以下のような9段階で論じている。@問題設定、A実態調査(統計作成、フィールドワーク、ニーズのくみあげ、共同学習)、B素案作成(目的、手段、主体、政策決定過程を示し、複数案を示す)、C社会的総合評価(環境影響評価、社会・経済評価、美学・文化評価)、D情報公開・討議、E政策決定、F実施、G事後評価、H修正または完了、である。これらは不断に循環し、見直しの結果再びスタートの問題設定に戻るとされる[宮本:1998]。これに従えば、本研究がカバーするのは、@問題設定、A実態調査、B素案作成までである。

政策は住民のニーズをできる限り忠実に把握し、その実現を目指すものでなくてはならない。本研究はフィールドワークを行い、人々の要求に基づいて政策を提言し、運動によってそれを達成していくという住民参加型地方行政の実現に向けての、ひとつの試みでもある。

 

2.先行研究の批判的検討

21.学童保育の語られ方

学童保育の認知度は、高まりつつあるとはいえ、一般的にはまだ低く、保育園問題などに比べて関連書も少ない。学童保育を取り上げた関連書は、内容の着目点から以下の3つに分類できる。@学童保育における日々の生活実践の記録を通してより広く認知されることを目指す実践報告的アプローチ、A学童保育の課題と行政の問題を訴える運動史的アプローチ、B子どもの権利や集団遊びに着目した児童福祉的アプローチである。

 @実践報告的アプローチは、主に現場の親・指導員によるもので、働く親たちが学童保育のネットワークで子育ての悩みを解決していくエピソードや、遊び、行事、けんかなど学童保育での子どもたちの様子、子どもや親と葛藤しながら指導方針を模索する指導員の実践などを、日誌風に綴ったものである。「親は子育てでそだつ――子育て・愛と希望」[全国連協:1988]は親たちの視点から、「ぶつかりながら大きくなあれ」[片山:1993]は指導員の視点から、それぞれ子どもたちとのふれあいが生き生きと描かれている。これらは、学童保育を充実させていくうえで、他の親・指導員らと連帯するための「ウチはこうやってます」という「報告」の意味を持つとともに、「学童保育ってナニ?」という認知度の低い一般に対してそのすばらしさを訴えた「紹介」の意味合いも濃い。他にも「心を抱く」[森崎・近藤:1998]「ぼくらは放課後に育った」[安藤:1998]「ぼくらのオアシス学童保育」[東京都連協:1999]「ともだちいっぱい学童保育」[泊:1996]「学童保育のハンドブック」[全国連協:1998]「明日をひらく保育 学童保育」[全国連協:1989]などがあり、学童保育へのアプローチとしてはもっとも一般的なかたちである。また、共働き家庭の育児に関する情報を集めた「共働き子育て」[加藤:1991]、共同保育、児童館、保育園、子ども劇場などネットワーク子育てのあり方を考察した「子育て新時代の地域ネットワーク」[増山:1992]では、それぞれの視点から部分的に学童保育の実践を取り上げている。

A運動史的アプローチは、学童保育連絡協議会(以下、連協)によるもので、学童保育がどんなに必要とされているか、どんなに厳しい状況にあるかを訴えている。代表的なものは大阪連協がまとめた学童保育の運動史である。「ランドセルゆれて・大阪の学童保育20年」[大阪連協:1990]は大阪連協20周年を期にそれまでの運動の動向をまとめたものである。創成期の学童保育を担った親・指導員が「運動」を軸に行政の無理解や子育ての大変さを描いており、「“編み物おばさん[2]”からの脱出」など学童保育のせっぱ詰まった実態がリアルに浮かび上がる。大阪は、6070年代の保育運動に対する関心が高く、学童保育運動もその一環として位置づけられてきた。「子育ての大地を耕す」[横川:1984]およびその続編「子育ての輪をひろげる・証言で綴る大阪保育運動の歴史2[大阪保育研究所:1986]は、大阪の保育運動を「働く母親」の視点から綴った運動史である。母性神話と戦いながら保育所づくり、学童保育づくり、連協づくりと奮闘する女性たちの様子が描かれる。このアプローチは、学童保育の改善を広く訴えるとともに、学童保育に現役で関わる親・指導員らに対して運動体としての自覚を促し、行政に対する不断の働きかけの必要性を再認識させる意味合いを持っているようだ。

なお、@、Aは障害児受け入れの問題において互いに結びつく。「学校五日制と障害児の発達」[藤本・三島:1992]「学童保育と障害児」[茂木・田中島:1989]などは、学童保育における障害児保育実践と制度改善を求める運動をまとめたものである。障害児の受け入れが父母会や指導員の過剰な努力によって支えられていることを示し、行政に働きかける運動の経過を伝えている。学童保育における障害児をめぐる実践を、子ども・親・指導員の努力の結果と評価するに止まらず、行政の怠慢を告発し、明確な要求を掲げて運動を展開するに至ったこれらの視座は重要であろう。

B児童福祉的アプローチとしては、「子どもに子ども時代を――遊びで育てる学童保育」[吉廣:1992]「学童保育の福祉問題」[佐藤・田中・須之内:1993]「私の学童保育論」[村山:1998]などを挙げておこう。「私の学童保育論」において村山は、学童保育を子どもたちが集団保育を通じて生活を学ぶ「生活学校」と位置づけて論じている。教育学者であり学童保育の父親でもあった著者が、長年の公演活動や連協の発行する学童保育の月刊誌である「日本の学童ほいく」に記載してきた原稿などを編纂したものである。「子どもに子ども時代を――遊びで育てる学童保育」「学童保育の福祉問題」は、ともに日本女子大の実験的施設「M(みどり)クラブ」においてフィールドワークを含めた観察、分析を試みたものである。ただし、前者が著者と子どもたちの交流を通して学童保育の特性を描くという「紹介」の形を取るのに対し、後者は研究チームを組織し本格的な定性調査を行っている。佐藤・田中・須之内の研究では、「指導員の専門性」や子どもたちの「グループプロセスにおける個人の成長」などが、対象施設の指導員としての3年間に及ぶ実践を通して細かく明らかにされている。

以上@〜Bを広くカバーするものに「シリーズ学童保育15[『学童保育』編集委員会:1999]がある。学童保育のシステム、実態、利用法、運動の歴史などを、現状分析と課題の提示を含めて紹介している。学童保育に関する問題を広範にわたって細部まで取りこぼしなくまとめた点は大きな意義であろう。それまでの関連書の著者が、親、指導員、連協役員など学童保育関係者に偏っていたのに対し、「シリーズ学童保育」は専門家の視座を加えたことによって、「指導員の仕事の経験主義/教条主義化」などといった当事者の陥りがちな問題点を指摘することが可能になっている。

 

22.批判的検討

これら関連書のうち、本研究に特に多くの示唆を与えたのは「学童保育の福祉問題」と「シリーズ学童保育」であった。以下では、これらに依拠しつつそれを乗り越えるため、敢えて批判的に検討してみよう。

第一に、佐藤らの「学童保育の福祉問題」については、まずこのフィールドワークが行われたのが昭和50年代であったことを考慮しなくてはならない。そこには、現代に通じる問題は見とめられるものの、子ども・親を囲む状況が変わってしまっているため、安直に現代に当てはめることはできない。更に、佐藤らの研究は、手法・内容の点からも2つの限界が指摘できる。第1は、「学童保育の直接利用者は子ども」であることを強調する余り、親たちを間接利用者と位置づけ、学童保育における親同士のネットワーク作りや父母会運営などを割愛してしまっていることである。その分指導員と子ども集団との関係性については深い考察がなされているが、学童保育の抱える問題点を指摘するには、直接利用者としての親及び労働者としての指導員にも言及することが不可欠であろう。第2は、対象施設の相対化が行われていないことである。佐藤らの研究は、対象となる「Mクラブ」を絶対的な「望ましい=いい学童保育」として提示しており、それを成立させている諸要因については沈黙している。学童保育数の全国的な増加とともに、施設のあり方が多様化し、個々の施設の質的差異が注目されてきている今、施設間格差は抜き難い問題である。もっともこれは、現代において可視的になった問題を30年前に指摘できるはずもないという時代の限界でもあるだろう。学童保育の関係者は、子ども、親、指導員をはじめ、地域、行政、学校、連絡協議会など様々なものが考えられる。しかし、関与の深さ・需要の度合いから、学童保育は第1に子どもの生活の場であり、第2に親の子育ての場であり、第3に指導員の職場であるということができるだろう。本研究の第5章において、私は以上の点を踏まえ、「子ども」「親」「指導員」という学童保育における主要な3当事者のパースペクティヴを明らかにした上で、様々な施設の中で特に「いい」とされる施設が、他施設とどう異なっているかを示す。

第二に、「シリーズ学童保育」については、運動の有効性の観点から、この本の取る視点を批判しておく。この本は、学童保育の守るべき保育実践と制度的に厳しい現状、運動の必要性を前提とするあまり、学童保育を「冷淡な行政」に対比させる構図に陥り、行政との連帯を困難にしている。不充分な保育行政は当然批判に値するが、行政にとってもそれなりに望ましい展望を描かない限り、運動は「行政にねじ伏せられる」ことを暗黙の前提にした非現実的なものになってしまうだろう。本研究は、行政の公的補助金に基づいて個々の施設が自主的に運営を行う「公設民営」という運営形態を提案し、これが少子・高齢社会にとって望ましいものであり、児童福祉、高齢者福祉、障害者福祉といった諸分野に応用可能であることを示すことによって、行政との連帯と運動の現実化を計る視点を提供する。

本研究は、「実践報告的アプローチ」「運動史的アプローチ」「児童福祉的アプローチ」という3つのパースペクティヴでしか語られてこなかった学童保育を、それらの視点を総合的に取り入れた上で、理論的に分析することを目指す。

 

3.対象

31.学童保育の歴史

 学童保育は、戦後まもなく働く親の手によって自然発生的に立ち上がり、1960年代に全国的に普及した。学童保育運動が全国的に盛んになった60年代は、高度成長期のもとで女性が一斉に主婦化していった時代であり、運動の担い手となった「共働き・母子・父子家庭」の親たちは、「サラリーマンと専業主婦と12人の子ども」という近代家族の規範型から漏れた人々だった。当時の一般的な行政の見解は、「カギッ子には一定の処置が必要であるとは考えているが、母親が働くことに対しては異論がある。ゆえに、行政が保育場所を整えることは逆に、安心して働く母親を助長することにつながらないかと不安である」というものであった[連協:1977]。「子育ては母親の役目」とする母性神話の流布するもとで、保育運動、学童保育運動を担った働く親たちの厳しい状況は、「ランドセルゆれて・大阪の学童保育20年」[大阪連協:1990]「子育ての大地を耕す」[横川:1984]「子育ての輪をひろげる・証言で綴る大阪保育運動の歴史2[大阪保育研究所:1986]などにくわしい。

 横浜でも、こうした逆境の中で援助を求めて強く行政に働きかけていくため、市内の施設が結集し、1971年「横浜学童保育連絡協議会」(市連協)が誕生した。市連協の規約によれば、「横浜学童保育連絡協議会」とは、「横浜市内の学童保育指導員および父母等の連絡を密にし、学童保育設備、制度の改善、保育内容の向上をすすめること」を目的とした運動組織である[市連協:2000]。市連協の発会に際して、行政に宛てた初めての公開質問状の中で、親たちは次のように訴えている。

 

「『母親が働くと子どもが非行化する』『母親が、子どもを学童保育へあずけて働くことは、子どもを教育する義務を果たしていない』また、『学童保育を設置することは、母親が安心して外に出るので無責任な母親を増加させ、家庭教育不在につながることになる』これらの言葉は、私たち市民が学童保育増設で陳情に行った時、必ず聞かされた言葉です。けれども、働く母親にはそれぞれの立場があります。働く権利は勿論のこと、家庭経済を支えるために働くことを余儀なくされている家庭もたくさんあります。学童保育を必要とする児童は、両親共働き(外勤)家庭だけでなく、母子、父子家庭、パートタイマー、自営業家庭などいろいろあります。」[連協:1977]

 

市連協はこうして生まれ、強い運動意識を持って現状改善を主張し続けてきたのである。この意識は、現在も市連協の常任役員たちに受け継がれている。

一方、女性の就労率が高まり、働きながらの子育てが一般化するにつれて、学童保育の利用者は増加し続けていった。近年でも、少子化に伴い児童館、保育園、幼稚園などの利用児童数が低下しつつあるにも関わらず、学童保育の入所児童数は毎年増加の一途を辿っている。20005月現在、施設数は全国で10,976ヶ所、指導員は約3万人[全国連協:2000]985月の推計によれば入所児童は334千人である。

現在の学童保育の親たちは、もはや「働きながら子どもを育てる」ということが、殊更に運動して勝ち取っていかなければならない「特別なもの」だという意識を持っていない。時代の変化と学童保育運動の結果、学童保育の利用者が社会的少数の人々からより広範な人々に広がったのである。長い間の運動の目的であった「法制化」が達成されたことによって、学童保育の存在は広く認識され、マイノリティでなくなる分岐点になったと考えられる。1998年の児童福祉法改正とともに、学童保育は「放課後児童健全育成事業」として正式に法制化され、自治体に事業の推進義務ができたのである。法制化は、学童保育の存在が公式に認められ、その必要性が明らかになった点では大きな前進であった。しかし、それは同時に、多様化する学童保育に明確な基準を設けていないという点において、はなはだ不充分なものでもあった。

 広く一般化するとともに、「指導員の解雇・非常勤化」「全児童対策との一本化」など新たな問題を抱えるようになった学童保育はいま、自らの機能と方向性を見つめなおす大きな転機を迎えている。

 

32.対象の設定

中心となる対象は、横浜市の地域運営委員会運営委託下の学童保育である。横浜市は、学童保育事業に関する条例を持たないため、保育料、指導員資格、開設場所などの規定がなく、未だ運動の過渡期にある。

第一に、「何が問題なのか」を明確にするため、横浜市の学童保育の中で「いい学童保育」と呼ばれる施設に焦点を当て、他施設と比較対照しながらその特性を明らかにする。第二に、「何が解決なのか」を探るため、周辺の児童福祉施設を幅広く観察し、より望ましい制度を模索する。第三に、「そのためにどうしたらよいか」を示すため、運動体と行政の現状と課題を分析する。

本研究の対象となったのは、以下である。

 

Aa横浜市の地域運営委員会運営委託の学童保育で、「いい学童保育」と呼ばれている施設

  b同市同制度下の学童保育で、aと比較対象する施設

B横浜市の学校施設を利用した学童保育

C横浜市の学校施設を利用した全児童対策である「はまっ子ふれあいスクール」

D東京都の公設公営の学童保育

E東京都の学校施設を利用した全児童対策「BOP」と学童保育が統合された形である「新BOP

F運動体である横浜市学童保育連絡協議会

G行政

 

33A-aA-b横浜の学童保育の施設間格差について――横浜市の問題点の指摘

本研究の主な対象は横浜市の学童保育である。横浜市の抱える問題点を明らかにするために、同市同制度下の学童保育における施設間格差の問題を取り上げる。

横浜市が採用している運営形態は、委託による地域運営委員会運営である。この制度の下では、地元の運営委員会が横浜市から委託料を受けて事業を委託され、実質的には利用者である親たちが運営を担うという形になる。

横浜市の中にも、指導員と親との間に信頼関係が成立していて子どもたちがのびのびしている施設もあれば、指導員同士のパートナーシップがうまくいっていなかったり、父母会と指導員の間にコミュニケーションの断絶があったり、地域から迷惑視されていたりして、子どもたちが萎縮している施設もある。学童保育関係者によって日常的に言われる「いい学童保育」とはどのような施設なのだろうか。また、「いい学童保育」とそうでない学童保育との差異は何によって作られるのだろうか。

私はここで「いい学童保育」と呼ばれる施設が、いかに危うい条件の下で成立しているかを明らかにすることを通して、制度上の問題点を指摘する。「いい学童保育」を支えているのは、高額な保育料と多くの事務的負担に耐える親であり、ボランティア精神と閉鎖的な女子労働市場の狭間で矛盾を抱え込む指導員であった。その上、親と指導員は直接の雇用・被雇用の関係にあり、連帯することが難しい立場に立たされている。これらの背景には、保育料、開設場所、指導員の賃金・雇用を公的に保障しない地域運営委員会委託という制度の限界がある。

 本研究の中心となる対象は、「望ましい学童保育」といわれている、横浜市M区にある「横浜市めだか学童クラブ」(仮名:以下、めだかクラブ)である。「望ましい学童保育」の当面の定義は「親と指導員の間に信頼関係が成立しており、子どもがのびのびしている学童保育」とする。比較対象サンプルとしては、同区内から「横浜市虹学童クラブ」(仮名:以下、虹クラブ)を取り上げる。

 以上2施設の分析を通じて、本当に望ましい学童保育のかたちは現在の横浜市の制度のもとでは実現されないことが示される。それに伴って、以下の対象群が必要になってくるのである。

 

34AE横浜の学童保育とその周辺施設について――オプションの検討

横浜市の学童保育にとってより望ましい制度を模索するために、周辺の類似施設を取り上げる。

AFでは、「運営委員会委託or公設公営」という「運営形態」及び、「留守家庭児童対策(学童保育)or全児童対策」という「事業目的」、また「開設場所」の3つの変数を採用した。これらに従ってAFを整理したのが〈表1〉である。

 

〈表1(“留守対策”:留守家庭児童対策、“全対策”:全児童対策)

 

A横浜の

 学童保育

B学校内

 学童保育

Cはまっ子

ふれあいスクール

D東京の

 学童保育

EBOP

運営形態

委託

委託

委託

公営

公営

事業目的

留守対策

留守対策

全対策

留守対策

全児童対策

開設場所

民間アパート

学校施設

学校施設

独立公共施設

学校施設

 

第一の変数である「運営形態」は、それぞれの制度の持つ利点と問題点を比較・検討し、より望ましい制度を提案するために採用した。

学童保育の運営形態は、主に@公設公営、A地域運営委員会運営、B法人運営、C父母会運営、D公社・社会福祉協議会運営の5つである。@公設公営とは、自治体の直営によるものである。A地域運営委員会運営では、町内会長やPTAなどから成る運営委員会は形式であり、たいてい実質は父母たちが運営している。B法人運営のほとんどは私立保育園によっている。C父母会運営とは、利用者の父母たちが共同で運営するものである。D公社・社会福祉協議会運営ではほとんどが行政の委託か補助を受けて運営している。また、委託、補助という助成の形態がある。

横浜市が採用しているのはA地域運営委員会運営であり、自治体が学童保育事業を運営委員会に「委託」する形をとっている。これによって一施設当たり年間約600万円あまりの委託金を受けることができる。この金額は、自治体による助成金(委託料・補助金を含む)の全国平均である253万円を鑑みれば破格の待遇とも見えるが、専任指導員の基本給月額146.000円でほとんどが消えてしまうのが実情だ。行政が施設を保障しないため、地価の高い横浜市では開設場所の確保が大きな問題となっている。高額の施設費や指導員の待遇改善といった費用は、直接保育料に跳ね返ってくるのである。横浜市の保育料は施設によって異なるが、月額平均12.600円である。全国学童保育連絡協議会が行った98年の実態調査によると、運営委員会運営の場合の保育料は、全国の平均月額で6.660円であるから、この数字は全国的に見ても非常に高額であることがわかる。ちなみに、正規職員を配置している公営の場合の保育料は、平均月額1710円である。[全国連協:1999]

 東京都の学童保育事業は、1970年代の革新都政の時代に充実化され、「公設公営」「指導員の正規専任複数配置」「保育料無料」という全国に先駆けた優れた原則を確立させた。しかし、近年では「財政再建」による支出削減と、「少子化対策」による児童福祉充実という、互いに抵触する2政策の狭間で、「保護者負担を前提に、開設時間延長などのサービス拡充」といった方針がとられるようになり、この原則がゆらいできている。

横浜市は、連協発会以来30年間、公設公営化を求めて運動を展開してきた。しかし近年では、公営化に伴う問題のあらわれに伴い、「公設民営」という発言が親たちから出るなど、「委託→公設公営」といった従来の運動方針に必ずしも添わない、新たな方向の模索が見受けられる。そのため、この2つの運営形態を比較分析することが必要だと思われる。

第二に「事業目的」という変数を加えたのは、子ども同士のふれあいや遊びを目的とする「全児童対策」と、子どもにとっての生活の場である「留守家庭児童対策(学童保育)」の違いとはどのようなものか、またその違いは関係者によってどのように認識されているかを調べるためである。「ゆめはま教育プラン」(横浜市教育委員会)によると、横浜の全児童対策である「Cはまっ子ふれあいスクール」は、2002年までに市内の全小学校に設置される予定であり、児童福祉の予算削減のため、学童保育との実質的一本化が検討されるものと思われている。今後の横浜の学童保育の動向を考えていく上で、この変数は不可欠である。

第三に、「開設場所」を取り上げたのは、これが個々の施設のあり方に大きく影響していると考えられたためである。行政が開設場所を保障しない「A横浜の学童保育」では、民間アパートなどの家賃が親たちの経済的負担の中心となっている。と同時に、庭でたき火をしたり、室内を季節の花や手作り品などで好きに飾ったりできるという利点もある。また、数は少ないが同市内の「B学校内学童保育」では、親側には「施設費がいらない」「学校の中にあれば、安全」といったプラス点があるとともに、不登校の子どもが行きづらい点や、校長の交代にともなって施設利用に関する規制の強度が変化する点など、マイナス点もある。一方、全児童対策と併設している東京の「EBOP」では、「おやつの時間には学童保育の子どもだけ別室に集める」といった、同一施設内の「子どもの分断」が行われていた。開設場所は、直接子どもの生活に影響する重要な要素であるため、「運営形態」「事業目的」とともに重視した。

 

35F横浜市学童保育連絡協議会、G行政について――運動方針の提案と政策提言

 より望ましい制度を実現するために、運動体である「F横浜学童保育連絡協議会」(市連協)と「G行政」を取り上げる。

市連協の規約によれば、「横浜学童保育連絡協議会」とは、「横浜市内の学童保育指導員および父母等の連絡を密にし、学童保育設備、制度の改善、保育内容の向上をすすめること」を目的とした運動組織である。市連協は1971年、市内の学童保育の親たちが結集して、行政に援助を求める運動組織として成立させた。現在、実際に市連協の運動方針を決定しているのは、「常任役員」と呼ばれる1415人ほどの人々である。常任役員は市連協に加盟している全施設の父母・指導員が参加する「総会」で承認される。その中で会長、副会長、事務局長、事務局次長、会計を置き、定期的に「常任役員会」を開催し、総会で決まった方針の日常的な推進と必要事項の討議、決定などを行っている。彼らが運動の方向性をまとめ、各施設を先導しているのである。役員たちの活動はハードで、街頭署名や各会議・集会など、年間の活動日数は120日あまりにものぼる。強制ではないので全て出る必要はないが、ほとんどの役員たちが進んで参加している。給料は出ないため、メンバーたちはみな他に仕事を持っている。このことからも、役員たちが非常に強く運動体意識を内面化していることが分かる。彼らのほとんどは、OB親、OB指導員である。彼らは学童保育運動が「法制化」という目的を掲げて勢いづいていた頃に、現役の親あるいは指導員として関わっており、その後も強い意識を持って運動を続けているものと予測される。[3]

 一方、学童保育に対する行政の姿勢は、約30年の運動の成果によって、学童保育をサポートする方向に動いてきた。学童保育が施設数を増加させるに従って、委託金も指導員の基本給も年々金額を増してきた。しかし、2000年度予算においては指導員の基本給が99年度と同じ146.000円に据え置かれるなど、「財政の効率化」という全体の指針に即して児童福祉行政は新たな局面を迎えている。また、93年に“はまっ子”がスタートしてから、運動体と行政の関係は複雑化している。はまっ子”は毎年予算と規模を拡大していき、9710月ついに自民党横浜市連は“はまっ子”と学童保育との議員懇談会において両事業の一本化を匂わせた。しかし学童保育側がこれに反発し、署名運動などの成果を上げた結果、一本化の方向性は市当局によって明確にその可能性を否定され、両事業の充実を求める「共存共栄」という形に一応の決着を見ている。とはいえ、983月に行われた市長選挙の運動期間中の新聞報道では、市長の「“はまっ子”を拡充し、いずれ一本化を目指す」との発言が伝えられるなど、その流れは水面下に存在しているのである。「ゆめはま教育プラン」にのっとって“はまっ子”が市内の全小学校に設置される2002年に向けての、運動体と行政双方の動きが注目されている。

 

4.研究方法

研究方法は、主に参与観察法を採用する。冒頭にも述べたように、本研究が目的とする政策提言は、住民のニーズを汲むものでなくてはならない。そのためには、現場に生きる人々の生の声を汲み取ることのできるフィールドワークが適切だと考えたからだ。方法の内容は、対象に応じてアンケート、インタビュー、参与観察を使い分けた。

 A横浜の学童保育については、中心的フィールドと位置づけ、最も多くの時間と労力を裂いた。A-aめだかクラブにおいては、1999727日から831日まで、夏休み期間中の臨時指導員として学童保育の生活に参加し、日常生活をはじめ施設内で行われる様々な行事や、キャンプ、観劇などのイベントにおいても、指導員という役割の範囲内で、子どもたちと行動をともにした。夏休み期間が終わってからも、子どもたちの様子見を兼ねて同年10月頃まで調査を継続した。

子ども・親・指導員の3者に対しては、それぞれにふさわしい調査法を選択した。子どもには、インタビューが不適切だと考えられたため、主に観察と質問紙による簡単な満足度調査を行った。親については、父母会やキャンプ時の親の飲み会の観察、役員たちの飲み会における集団インタビュー、かなり深い内容を問う記述項目の多い質問紙調査などを行った。指導員に対しても、親と同様観察、インタビュー、質問紙の3方法を取った。[4]

続いて10月に、A-b虹クラブについて5日間の参与観察を実施した。子どもに対しては、調査者として観察及びめだかクラブと同様の満足度調査を行った。指導員には観察、質問紙、インタビューを行った。親については父母会を観察するに止まった。

なお、インタビューは録音せずメモをとった。インタビューは打ち上げ、飲み会などで行うことが多く、非公式な場の楽しい雰囲気をできるだけ壊したくなかったためである。

B学校内学童保育、Cはまっ子ふれあいスクール、D東京の学童保育、EBOPについては、各施設12日の参与観察と指導員ら関係者へのインタビューを行った。基本的に、午前中はインタビューをし、午後から子どもたちの生活を観察した。限られた時間でより多くの情報を得るため、インタビューは状況が許す限りテープレコーダーに録音した。

F連協については、関係者へのインタビュー、参与観察に加えて、運動資料の分析を行った。分析対象とする資料は、主に連協が発行する「横浜の学童保育運動」19931999[連協:19931999]の中の「“はまっ子ふれあいスクール”に関して」という部分である。この資料は、常任役員と親・指導員が集合し、年間の運動方針を決定する、連協の最重要の意思決定の場である「総会」において、各施設に配布されるものである。連協の運動方針が多岐にわたり細かく分かりやすく表されていること、且つ毎年同じ形式で発行されているので、年代ごとの移り変わりが参照しやすいこと、また、他に連協が発行する資料の内容を総括したものであるため、取りこぼしがないことなどが、この資料を選択した理由である。その他の資料は内容補完の意味で適宜使用した。また、親たちと連協の関係を調べるため、19995月、20005月に行われた連協の総会に参加した。連協の内部事情については、199911月に横浜市中区の連協の事務局を訪問し、事務局長に2時間程度のインタビューを行った。

 

5.横浜市の学童保育――横浜市めだか学童クラブの場合

本章では、横浜市の学童保育を考察する。本章の目的は、横浜市の採用する「運営委員会委託」という制度の利点と問題点を考察することである。

以下では、横浜市M区にある「横浜市めだか学童クラブ」(仮名:以下、めだかクラブ)における子ども・親・指導員の様子を参与観察することを通して、この課題に迫りたい。めだかクラブは周辺の学童保育関係者から「親と指導員の間に信頼関係が成立しており、子どもがのびのびしている」という意味において「いい学童保育」と認識されている。めだかクラブの特徴を分かりやすく論じるために、比較対象サンプルとしては、同区内から「横浜市虹学童クラブ」(仮名:以下、虹クラブ)を取り上げた。

 

51.めだかクラブの背景

横浜市M区から、主に指導員の継続年数と同地区他施設の親及び指導員からの非公式な評判をもとに「いい学童保育」としてめだかクラブを選んだ。この施設は専任指導員2名が設立当初から継続7年目を迎えており、保育内容の質も高いと他施設から評価されている。

めだかクラブは1992年、同じ地域の別の施設から分離した。子ども数が増え過ぎ、70人を超えたためである。設立に当たって「指導員をやらないか」といわれたAさんが知人であったBさんに声をかけ、児童数78人からのスタートとなった。施設の場所は、住宅街の中のアパートの1階である。9911月現在、在所児童は2929世帯である。そのうち母子家庭が5世帯、父子家庭が1世帯ある。また、退所したが通所している「OB」と呼ばれる児童が1人いる。指導員は専任のA46歳女性 既婚)、B49歳女性 既婚)と週2回のアルバイト指導員C46歳女性 既婚)、夏休みのみの臨時指導員D21歳女子学生[5])で、常時2人体制である。

横浜市の学童保育は、1998年の調査では、委託150ヶ所、在所児童数は全体で5123人。施設ごとの児童数は20人〜35人が最も多く85ヶ所、次いで36人〜70人の施設が57ヶ所、20人未満が12ヶ所となっている。行政が場所を保障しない横浜市では、開設場所はアパートが89ヶ所と最も多く、学校施設その他の公共施設の利用は全体で7ヶ所に止まる[全国連協:1998]

M区は人口198千人(‘9911月)の中規模の区で、母子家庭は全体の1%(めだかクラブでは17.2%)、父子家庭0.2%(同じく3.4%)、仕事を主としている15歳以上の女子就業者は、同じ女子人口のうち28%である。[‘95年国勢調査] また、世帯年収で見る収入階層には、94年全国調査の結果と998月に実施しためだかクラブの親アンケートから、図1のような分布が見られた。M区の平均に比べて、めだかクラブではa.200万未満とh.1000万以上が多く、収入階層が2極分化していることが分かる。

 更に、比較対照サンプルとして、同じM区から虹クラブを抽出した。虹クラブでは、数年前に指導員と親との関係が悪化し、指導員が短期間に次々と変わった。[6] 現在は新しく入った指導員がようやく2年目を迎えた所であり、他施設もこの施設のあり方を心配している。現在指導員は、E49歳女性 既婚)、F30代女性 既婚)の2人、子ども数は1716世帯(うち父子家庭1、母子家庭1)である。開設場所は線路脇の古い民家であり、近所に子どもたちの遊び場となる大小の公園がある。

以下では、めだかクラブを中心に据え、虹クラブを参照しながら分析を行う。

 

〈図1


 


 


52.「いい学童保育」とは何か

521.子どもにとっての学童保育

・めだかクラブの開設場所

めだかクラブがあるのは、バス通りから少し離れた静かな住宅街の中の借家の1階である。子どもが騒いでも下に響くことはないし、2階は印刷所になっていて住人がいるわけではないので、まず恵まれているといっていいだろう。この辺りは古い家屋が軒を連ねる歴史ある下町で、商店街を中心とした地域共同体が保たれている。施設の目の前には古い商店街があり、いつも年配の人の姿がちらほら見える。

3040uほどの駐車場と地続きになっている小さな庭には、もみの木2本が葉を繁らせ、かぼちゃ、ほおづき、あじさい、いちょう、じゅず玉、つばき、たであいなどが植えられている。たであいは煮出して染め物をし、じゅず玉は実の芯をくり貫いてつなげてネックレスにするなど、植物は子どもたちの生活に組み込まれている。目立たない「めだか学童クラブ」の看板が、つばきの木の影に立てかけられている。

室内は、10畳あまりの大部屋と台所、トイレ、小部屋からなっている。本棚3つ分の大量の児童書、子どもたちひとりひとりの名前が張られたロッカー、藍染めののれん、手作りの木版の小テーブルが6個、そして指導員の手作りのシュタイナー人形が10体あまり。小部屋にはシュタイナー・ピンクのカーテンがかかっており、壁にはシュタイナー教育[7]で使われる図形「フォルメン」や祈りの言葉がドイツ語、日本語で貼ってある。テレビ・ラジカセの類はない。7月には笹の葉、8月にはほおづき、9月にはすすきという具合に、季節の草花が飾られている。

 

・子どもたちの学童での生活

めだかクラブでの子どもたちの生活は、「日常行為」「遊び」「行事」の3つに分けられる。子どもたち19人に対して行ったアンケート調査では、「学童の楽しいところ」としてトランプ、ブロック遊び、編み物、一輪車など「遊び」関係を挙げた子どもが15名、次いでプール、映画などのお出かけや、「イベントがたくさんある」など行事を示唆したものが6名いた(子どもアンケート 結果は複数回答)。

以下では、めだかクラブの生活をこの3つのレベルで見てみよう。

〈日常行為〉

めだかクラブの子どもたちの日常は、以下の通りである。

学校が終わると、子どもたちはランドセルを背負ったままめだかクラブに帰ってくる。そこには常時2名の指導員と、ほかの子どもたちが待っている。子どもたちは専用の棚にランドセルをしまい、3時半のおやつの時間まで自由に遊ぶ。室内では、オセロ、トランプ、編み物、折り紙、積み木、ブロック、公園や庭では一輪車、ボール遊び、鬼ごっこ、かくれんぼ、ブランコ、草花遊びなど、異年齢や男女の混じったグループで遊ぶことも多い。学校が休みになる春・夏・冬休みなどは、朝9時に開所となり、子どもたちはお弁当と水筒を持って家からやってくる。午前中に1時間学校の宿題や予習・復習など勉強の時間が設けられている。11時半頃そろって昼食をとる。その他の時間は、通常どおりおやつまで好きなことをして過ごす。おやつの後は掃除をし、それが終わると各自の遊びが再開される。5時半くらいになると、「お迎え」のある子は家の人が迎えに来てくれるのを待ち、その他の子は頃合いを見計らってそれぞれ帰っていく。

〈遊び〉

子どもが学童保育の生活の中で最も楽しみ、重視しているのは遊びである。日常行為や行事は枠組みが大人によって用意されるが、遊びは子どもが自発的に充実させていくものだ。学童保育はしばしば「子どもの異年齢集団による遊びが成立する」といわれるが、めだかクラブにおいても、近所の公園での鬼ごっこやドッチボールなどに集団の遊びを見ることができる。学童保育には、学年、性別、家庭環境の違いをはじめ、異なった様々な個性を持つ子どもが集まっている。そうした違いを乗り越えて、子どもたちは遊びを通じたコミュニケーションをはかっている。夢中になれる楽しい遊びは異年齢の子ども同士を結びつけ、子ども同士の関係がまた異業種の親同士を結び付ける。学童保育は学校的、会社的な人間関係から隔絶したネットワーク作りの場であり、子どもの遊びはそれを形づくる重要な要素となっている。しかし、子どもにとって遊びは、楽しみであると同時に様々な葛藤を引き起こす原因にもなる。先のアンケートでは「学童のいやなところ」を挙げてもらったところ、「けんか・いじめ」という回答が8名と最も多かった。ちょっとした口げんかや殴り合い、蹴り合い、かげ口、仲間はずしなどの葛藤は、ほとんどが遊びの最中に起きている。他の子どもとのコミュニケーションがプラスに出れば「楽しい」遊びとなり、マイナスならば「いや」なけんかとなる。いずれにしろ、それは子どもたちの一番の関心事なのである。

〈行事〉

行事は、指導員によって提供される日常のアクセントとして、子どもたちのめだかクラブでの生活の中に組み込まれている。参加は自由なので、参加しない子どももいるが、全体的には遊びの一環として楽しんでいるようだ。

めだかクラブでは、専任指導員Aさん、Bさんの2人が行事を考案し、実行し、父母会の保育報告などで親たちに知らせる。行事には、七夕、十五夜、ひな祭り、子どもの日といった儀式的で恒例の季節行事と、豆腐作りや藍染め、野焼きなどの実践的なイベント行事の2種類がある。Aさん、Bさんは、様々な保育内容の中でも行事には殊に力を注いでおり、意義付けを行っていた。

 

「季節行事は特に大切にしている。今は食べ物も一年中同じ物が売られているし、子どもたちが季節感を感じることが少ないから。イベントは、遊びの中に取り入れて、子どもが楽しめるように工夫している。イベントにも、羊の毛や草花など自然の素材をできるだけ使って、一年の季節の移り変わりを子どもが体験できればいいなと思っている」

「(施設内の)テーブルは子どもたちの手作り。建設現場から木版をもらってきて、のこぎりで切り、やすりをかけ、足を付けた。子どもたちにはなるべくとんかち、のみ、のこぎりなどを使って“お金にならない仕事もあるんだ”ということを知ってほしい。みんなの親はほとんどが賃金労働者で、子どもにとって仕事のイメージは“自分から親を奪ってしまう嫌なもの”“お金を稼ぐためのもの”という偏ったものになりがちだから」(Bさん インタビュー)

 

しかし、行事は決して強制されることはなく、参加するかしないかは、子どもひとりひとりの判断に任されている。藍染めや、羊の染め毛を使った編み物などは、夢中になる子もいれば、全く参加せず他の遊びに熱中している子もいた。子どもたちは、「楽しい」「やりたい」と思うことでなければ、いくら大人が素晴らしいと考える行事を提供されても乗り気にならない。指導員たちは子どもたちの様子を見て、その状態に適した行事を考えている。

 

「4〜5年前、やんちゃな男の子の数人グループがあった。とにかく、糸が出ていればはさみで切っちゃうし、のりはチューブから出しちゃうので困ってしまった。そこで“ありあまったパワーは建設的に使おう”ということで、そのこたちを中心にしてトンテンカンテンみんなで鳥小屋作りをした。これは楽しくて成功だった。でも今の(めだかクラブの)子どもたちは、そういう事ができる雰囲気ではないから、染め物など別のことをやる」(Bさん インタビュー)

 

・めだかクラブの保育方針にみる子どもと指導員の関係

指導員たちの保育方針は「ありのままの子どもを尊重し、大人として真摯に向き合っていく」ということに集約される。そうした指導員のもとで、子どもたちは笑ったり、泣いたり、怒ったり、甘えたり、様々な体験をしながら生活している。

大切なのは名目としての保育方針ではなく、実際にどのような内容の保育が行われているかということだが、めだかクラブでは豊かな保育が実践されている上で、指導員たちによって以下のような保育方針の言語化がなされていた。

 

「ひとりひとりがありのままの自分を出し、ゆったりとした気持ちですごせたらいいなと思ってます。(保育方針としては)そのための環境を作っていくこと」(Aさん 指導員アンケート)

「子どもを未発達なもの・未熟な存在だと思わないこと、人間存在としては同等であること、大人として“まじめ”に一人一人の子どもと向き合うことを心がけている」(Bさん 指導員アンケート)

 

子どもたちに「あるべき姿」を強要するのではなく、子どもひとりひとりのあり方を「そのままでいいのだ」と肯定していくことの大切さは、指導員たちの言葉や態度でたびたび主張される。また、このような実践は、大人である指導員自身もまた多様な個性の中の一つなのだと自覚していく自己言及のプロセスでもある。

 

「(保育方針は)子どもの行動や言葉の中から子どもの心の様子・動きを感じられるようにつねに自分に問いかけていくこと」(Cさん 指導員アンケート)

「机の上に乗ってる子どもがいたら、机に乗ることがいけないと思ったら、叱る。あくまで自分の考えにおいて。他の指導員だったらアハハと笑ってみてる程度のことかもしれない。それはそれ。子どもは“変なの”と思うかもしれないけど、楽しいでしょ、いろいろあった方が」(Bさん 参与観察)

 

もちろん、意識の上ではそう思っていても、現実には、保育方針の食い違いは指導員たちにとって深刻な問題だろう。指導員に対して行ったアンケート調査によると、めだかクラブでは、指導員同士の保育方針の大きなずれは「ほとんどない」とされており、参与観察でも特に認識されなかった。もし方針が食い違った場合には、話し合い、互いの意見を理解し合って対処するということであった。

子どもと対峙する指導員の仕事にはマニュアルがないため、拠り所となるのは個々の価値基準である。それを指導員たちが自覚してこそ、「多様性を認める」という発想ができるのだ。指導員たちの価値観の違いが保育方針にもっとも反映されるのは、けんかなどをはじめとする葛藤の場面である。以下は指導員たちの考え方が分かれたときの対処の一例である。

 

2年生児のかな子が、荷物が多くて泣いている。小さなぱんぱんのリュックと大きな魔法びんが放り出されている。かな子は何とかリュックに魔法びんを詰めようと奮闘していたが上手くいかず、荷物を2つも持つのは嫌だとだだをこね始めた。

Aさん「途中までD先生が一緒に帰るから、そこまで持ってってもらったら」

Dさん「それちょっとおかしいなぁ。自分の荷物は自分で持たないと」

Bさん「じゃリュックはかなちゃん、自分で持ちなさい。水筒はいいから。ちゃんと持ってくれる先生にお礼いうのよ」(参与観察)

 

 ここでは、「保育方針の違い」として明確に認識されているわけではないが、3人の指導員の感覚的な対応の違いが表われている。

けんかの処置も様々である。「先生―、けんかしてる―」と誰かが呼びに来たとき、けんかの経緯を我先にと説明しようとする周りの子どもたちを制して当人たちだけに話を聞く(「君たちは黙ってて!今○○ちゃんに聞いてるの」)やり方もあれば、本人たちはとりあえず放っておいて、他の子どもたちに話を聞く(「私見てなかったから、何が起こったのか教えて」)方法もある。どれを採るかは指導員によって違うし、時と場合によっても異なる。そのやり方を尊重するため、一人の指導員がけんかの対処に当たっているとき、他の指導員は特に必要がない限り口を挟まない。

このような、マニュアルも正解もない保育という仕事は、それに従事する指導員の私生活と密接につながっている。

 

「(この仕事の大変なところは)日常生活(保育時間外)をどうすごして、何を考えていくかということが保育への準備となる点(傍線本人)。そんなたえまのない積み重ねが保育での子どもへのかかわり方、言葉がけ、問題時の応対、保育内容、環境整備などにすべてつながってくる。だから当然“アッしまった”と思うような失敗で、あとで眠れなくなるほど悩むこともある。…(中略)人間としての自分の在り方が、幼い子どもたちの人格形成に関わってくると思うと、こわいとも感じています」(Bさん 指導員アンケート)

 

学童保育が「子どもたちの生活の場」である限り、指導員の仕事には、日常的な生活の感覚が持ち込まれる。放課後の子どもたちの身体的安全を確保するだけでなく、より豊かな生活の場を保障していくためには、指導員自身が普段の生活の中で日々考え、学んでいくことが必要である。そのため、職場での失敗は個人的な「生活」上の失敗に直結する。自分の掛けた言葉ひとつ、仕種ひとつ、叱り方ひとつがいつ何時子どもたちを傷つけ、その人生に影響を及ぼすかもしれない。それがすべて指導員という一個人の人間的なあり方にかかってくるのだ。

豊かな保育はこうした責任の重さに気付いてこそ提供されるものだが、日常生活という実践の場において、不安や恐れを伴った思い悩みは、実行可能な形に実現化されなければならない。この点をどう処理するかが、指導員という仕事の難しさの核心であると思われる。

 

「大人は、子どもとの対話で子どもを読み解こうとする。それが指導員の仕事だ。でも、本当にそれでいいのか。この子がこう言ったから、大人としてこう返す、ということがある。また例えば、まさるくんが『あのね、ぼくね…』と話しかけてくるとき、私の中でまさるくんに関する物語がどんどんできていく。本当にそれでいいのか。悩んでしまう。だから私は子どもに対峙するとき、関係が密になり過ぎないように気を付けている。子どもとの一定の距離感、シュタイナーで言う『自我感覚』、バランス感覚が大事。そこに生まれるワンクッションが、染め物だったりトランプだったりする」(Bさん インタビュー)

 

指導員として「ありのままの子どもを受け入れる」ことを目指しながら、同時に、子どもの安全を確保するためには、子どもの語りを大人の概念装置で解釈し、体系付け、表象することが必要である。ありのままに守られるべき子どもの語りは、それにどんなに自覚的であっても、大人の中ではその子についての「物語」を組み立てる材料でしかなくなってしまう。こうした根源的な背理の解消方法として、Bさんは「子どもとの一定の距離感」を選択している。実践の段階では、「子どもの集団に入って遊びを先導することはしない」「子どもと一緒におやつを食べない」など、子ども社会に入り込んだ子どもと等身大の指導員ではなく、外側から見守る異質な大人としての指導員であることに表れてくることになる。また、子どもたちと指導員を結び付ける遊びや行事は、「大人」と「子ども」の間に生じる権力関係を和らげる役割を果たしているのともいえる。

子どもの側の印象は「先生たちはみんなすごく優しい。でも怒ると“超”こわいんだよ」というものだった。

 

・虹クラブの保育内容との比較において

めだかクラブの保育を、虹クラブとの比較において見てみよう。虹クラブでは、指導員の経験の無さ、自信の無さがそのまま反映された保育内容になっており、子どもたちもストレスを溜め込んでいるように思われた。

先に示した通り、私は虹クラブについては正味5日間のフィールドワークを行っただけだったが、指導員たちの保育の方向性を垣間見ることはできた。以下に見る虹クラブの指導員のような言動は、決して珍しいものではなく、彼女たちの保育内容が劣っているわけではないだろう。ここで問題なのは、大人によって子どもが不当に押さえつけられている現実であり、指導員に専門性が求められることのない、「保育」という仕事内容に対する社会的な軽視の風潮である。指導員の専門性については後に言及するとして、とりあえずここでは虹クラブの指導員の保育内容と、それに対する子どもたちの反応を通して、大人の理不尽な権力行使によって子どもが萎縮してしまっている現実を示してみたい。

保育方針では「どんな子どもでもありのままの姿を受け止めていきたい」としながらも、虹クラブの指導員たちは何かに付けて子どもたちを叱りつける行動が目立っていた。おやつの時に集合が遅いと「おやつ抜き!」、掃除を終えても「ほらここ、まだこんなにゴミが残ってるじゃない。きれいにならないと掃除終わったって言わないんだよ!」、終わりの会では「ちゃんと正座しなさい。みんなが正座するまで帰れないよ!」などの怒声が飛ぶ。理念が実践のレベルに活かされていないようであった。

また、虹クラブでは手作りおやつに非常に力を入れており、スパゲティ、ゼリー、手作りポテトチップなどが一度にテーブルに並ぶ。しかし、指導員の言葉がけは、「(最初おやつはいらないと言っていたが、後から食べると言った子どもに対して)ほら、やっぱり食べるんじゃない。最初から食べるって言いなさい。世の中には食べ物がなくて餓死してる子どもたちがいっぱいいるんだよ。食べ物はありがたく頂かなくちゃいけないんだよ。手作りおやつには先生たちの愛情がこもってるの。買ってきたものとは違うんだからね!」となる。これではせっかくおいしいおやつを食べた子どもたちのプラスの感情が萎んでしまい、むっとしたり、しゅんとしたりしてしまうのも無理はない。

また、行事は少なく、それもほとんどが父母会の決定によるもので、指導員はあまり積極的ではなかった。

こうした保育内容の違いを、学童保育で実際に生活する子どもたちははっきり感じ取っている。めだかクラブの子ども13人及び虹クラブの子ども12人を対象に行った10段階の満足度調査では、平均でめだかクラブ8.2、虹クラブ5となり、めだかクラブの方が子どもたちにとって過ごしやすい環境だと分かった。めだかクラブの子どもたちが日常の遊びや行事を楽しみ、勉強やけんかを嫌うのに対し、虹クラブの子どもたちは、友達と遊ぶのを楽しんでいるが、マイナス要因として「せんせいがめいれいする」「何でもおこられる」といった回答が半数近く見られた(子どもアンケート)。

 

522.親にとっての学童保育

・親たちのニーズ5類型

 めだかクラブの親たちが「子どもを学童に通わせることで親にとってプラスになっている」と感じている点は、21世帯30人(母親18人、父親12人)を対象に行ったアンケート調査によると、「子どもに関して安心して働けること」(23人)と、「親・指導員との学童のネットワークができる」(10人)という事柄に大別できた(親アンケート)。親たちのニーズはこのように大筋で共有されているが、どのような文脈でそれらが必要とされているかによって、親たちの学童への関わり方は様々である。

以下では、上記のアンケート調査と、役員親を中心としたインタビューをもとに、どのようなタイプの親がどのような学童利用をしているかについて、5つの類型を作成した。表2は、めだかクラブ入所世帯の収入階層と世帯類型の対応を表している。

 

(表2)めだかクラブ入所世帯の収入階層

高収入世(世帯数)〈9

両親ともに会社員・公務員のフルタイム

中収入世帯      6

父親がフルタイム、母親がパートタイム。あるいは、フルタイムの単親家庭。

低収入世帯     3

パートタイムの単親家庭。

 

以下の類型は、行事や保育への参加度、意欲、感情(楽しんでいるか面倒だと思っているか)、また指導員や他の親とのネットワークの保有率(学童の中に深く話のできる人間関係があるか)、重視度(学童の人間関係をどれだけ重視しているか)を、アンケート、インタビューの回答から抜粋または推察し、親たちを分類したものである。収入階層及び世帯類型と、親たちの学童利用の仕方が対応していることが分かる。

 

A中心・お祭り型〉

父母会運営の中心である役員親の中でも、リーダー格になる30代から40代前半など年齢の若い層。会長、副会長を含んでいる。親同士の交流を楽しみ、育児不安を解消する。キャンプの親の飲み会などでは、中心的に新入所親を話の輪に引き入れる。面倒だという思いがないわけではないが、積極的に運営に携わっている。自分たちの必要性から学童保育に関わっており、運動体意識はどちらかというと希薄。高収入共働き家庭。

B中心・古株型〉

役員の中でも古くからいる40代の親たち。縁の下の力持ち的存在で、「影の父母会長」や元父母会長を含む。育児はベテランなので後輩親たちの相談役。運動体としての学童保育の支え手であり、指導員の保育方針もよく理解し評価している。指導員と大まかに価値観を共有し連帯する傍ら、他の親たちに意識向上を呼びかける。高収入共働き家庭。

C潜在的中心型〉

めだかクラブを、子どもの保育・親同士のコミュニケーションの両面から必要としており、運営参加の意識を持っているが、何となく面倒だったり、うまく中心メンバーに溶け込んでいけなかったりして結局あまり参加していない親たち。役員の中にもこのタイプの親がいる。中−高収入共働き家庭、中収入単親家庭。

D周辺型〉

学童に子どもの保育だけを求め、あまり自分たちが関わろうとしない親たち。署名活動やバザー、父母会、保育援助などの負担を嫌う。主に中−高収入共働き家庭で、学童で殊更に人間関係を築く必要はないと思っているケース。

E必需型〉

子どもを学童に入れて働かないと生活が成り立たない低収入単親家庭(主に母子家庭)の親たち。学童におけるほかの親たちや指導員との人間関係も、育児不安解消という心理的側面とともに「近所の親が子どもを預かってくれる」「指導員が勤務時間を過ぎても子どもを迎えに行くまで学童を開けていてくれる」など物理的側面からの需要が高い。

 

これらの類型はあくまで大まかなものであり、現実にはACCDDEなどの中間に位置する人々もいる。また、祖父母が同居している中―高収入共働き家庭などは、子どもの安全確保という面で学童を必要としているのではなく、「他の子どもたちと一緒に育つことによって社会性を身につけてほしい」「家では体験できない遊びや行事が経験できる」といった点を重視している。それに対して、両親ともフルタイムで働く家庭や、単親家庭などでは子どもの安全確保が第一の問題になる。

また、単親家庭の中では、無料で登録できる“はまっ子”を平時は利用し、夏・冬・春の長期の休みだけ学童を利用するというケースも見られた。

 

・父母会組織の役割

学童保育を運営していくのは、在所児童の親全員からなる父母会である。その中で更に父母会長を中心とする役員会が構成される。父母会は1ヶ月に1回、土曜日の夜にめだかクラブの施設内で、親と指導員によって行われる。父母会長の司会のもと、指導員が子どもたちの日常を伝える「保育報告」があり、担当の親や指導員によるクラブ代表者会議などの会議報告が続く。その時々で、行政に働きかけるための署名集めや、キャンプやバザーなど父母会主催の行事について話し合われる。参加する親はだいたい1520人ほどで、そのうち68人くらいは父親である。母子家庭の割合の多さを考慮すると、父親・母親の参加率はほぼ同じといえる。父母会が終わった後は、役員親を中心に45人で近所の居酒屋に行く。

組織としての父母会の役割は主に、学童保育の運営主体として意思決定を行うことと、親たちが子育てを通じた人間関係を形成する土壌になることの2つである。

親同士のネットワーク作りを学童保育に求める親たちは、運営に積極的で、自分たちの手で学童保育を豊かにしていこうという発想を持ちやすいが、「学童は子どもを預かってくれればいい」と考える親たちにとっては、父母会参加は重荷である。

父母会をまとめていくのは、中心にいる役員親たちの役目だ。役員親たちは、みずから学童の人間関係を楽しむと同時に、周辺メンバーたちが連帯感を持つよう働きかけていく。「A中心・お祭り型」の親たちの中には父母会長がいて、普段の父母会ではフォーマル・リーダーの役目を果たす。また、キャンプなど行事の後の飲み会では、場を盛り上げ、新入所親たちを父母会の雰囲気に馴染ませようとする。彼らを支えるのが、学童の親歴の長い「B中心・古株型」の親たちである。この型の親たちは、縁の下の力持ちであり、他の親たちに経験に基づいた意見を提供するとともに、指導員と父母会との実質的連絡係も果たしている。中でも「影の父母会長」と呼ばれるIさんは、単に子どもを預ける保育園の延長としてではない「運営主体としての父母会」「運動体としての学童保育」といった意識を他の親たちに常に喚起しようとしている。呼び名の示す通り、Iさんはインフォーマル・リーダーである。

めだかクラブでは、二つのリーダーシップがバランスよい協調関係にあり、父母会が組織的にまとまっている。その結果、めだかクラブの父母会は、父親の参加が多く、親同士の交流も盛んで、活発に機能していると言える。

 

・「働きながらの子育て」でつながる親同士のネットワーク

めだかクラブの親たちは、学童保育による親の利点として「他の働きながら子育てしている人と話ができる」「いろいろな職業の方・年齢の方と話をすることができ、物事に対する考え方が広がる」など、親同士のネットワークを挙げている。そこでは、会社的・学校的人間関係から隔絶した「子育て」ベースの関係が形成される。託児所的な「働いているけど豊かな子育て」ではなく、「働いているからこそ、より豊かな子育て」が、学童保育の親同士のネットワークによって達成され得るのだ。

めだかクラブでは「子どもの異年齢集団による交流っていうのが学童の売りだけど、親の方がよっぽど異年齢集団」といわれるように、親たちの年齢は、上は50代から下は20代までと幅広く、職種も公務員、会社員、自営業その他様々である。

親たちが、他の親と子どもに触れ合うのは、保育援助や夏季キャンプなどの場である。保育援助では、親たちが土曜日や長期休暇中に指導員とともに、実際に学童の中で子どもたちの保育に当たる。キャンプでは、親たちが企画を立てて海水浴、すいか割り、肝だめし大会などを子どもたちとともに楽しむ。

そうした他の親や子どもとの触れ合いを通して、親たちは、我が子や親としての自分を相対化することができるのだ。

 

「学童の中にいるときは、他の子どもばかり見ることにしているんです。自分の子はほっといて。そうすると、いろんな子がいるんだなって、すごくおもしろいんですよ」(3年生児母親 参与観察)

「(子どもを)学童によこすのが不安だったんです。みんなに迷惑かけっぱなしで、並べば列を離れてうろちょろするし、遊べば大騒ぎなんだろうなって。でも大丈夫そうですね。ちゃんと、みんなの中ではそれなりに並んでてほっとしました」(1年生児母親 参与観察)

 

また、初めての子育てを経験している親たちは、他の先輩親や指導員から育児に関するアドバイスを得ることができる。

 

1年生児母親「えーっ、キャンプに子どもひとりで参加させるなんて無理無理。おねしょはするし、着替えはひとりじゃできないし、絶対無理!」

Bさん「そんなことないわよ。あきちゃんとってもしっかりしてるわよ。おねしょするなら夜中に起こしてトイレに連れて行けばいいのよ」

他の母親1「学校でプール入ってるんだから、着替えは絶対できるよ。親の前だから甘えてんのよ」

他の母親2「普段側にいないんだから、甘えたいのは当然だよ」

1年生児母親「そうかー、親、いない方がいいのかしら。じゃキャンプ考えてみます」(参与観察)

 

アンケートによると、めだかクラブの親たちの半数以上(30人中16人)が「学童保育に深く話のできる人間関係がある」としている。話をする場は、父母会の前後が6人と最も多く、次いで保育懇談会、キャンプやスキーなど親行事の飲み会3人、忘年会、歓送迎会、電話、道端各1人などとなっている。話の内容は、ほとんどの親が「育児のこと」と回答しており、仕事などその他のことはあまり話さない。

 

「(話すのは)先生と、懇談会や父母会の時など…(内容は)自分の子どもは親の知らないところでどんなかんじか、わりと消極的なかんじなのでどうしたらよいか…などなど、いろいろ、書くのは難しいけれど勉強になります。父母会の後、お母さん達と、育児のこと、主に学校のことなど話します。仕事のことは、悩みがあってもやはり他の職業の方達なので、それは同職の友人と話します。特に私は技術系なので…」(2年生児母親 親アンケート)

 

 疑問や不安をぶつけ合い、解決と糸口をともに探っていけるのは、同じ環境にあって問題を共有している仲間関係なのである。子どものことは学童保育で、仕事のことは職場で話すという具合に、人間関係の分化がなされている。それはまた、語り合える問題は、その人間関係において共有されている問題に、ある程度限定されてしまうということでもある。育児の話は職場ではできないのだ。それを語ることのできる専用の場が必要である。

さらに、多様な集団の中で子育てをすることは、核家族の中で少子化が進む現代の親たちにとって、閉鎖的な子育てによるストレスの開放につながっていく。

 

「子育てが苦手でもいい、頼りあって、いろんな人が関わっていくことが大事」(1年生児父親)

「子育てが、全て自分だけの責任じゃないというのはすごい解放感。(長男を産んだとき)育児休暇取って育児サークル行ったり、公園行ったりしていた時期は、本当にストレスが溜まった。お母さんたちのねっとりした輪が好きじゃなかった。身近には子どもしか話す相手がいないし、子どもなんか、話しかけたって返事ないからね。だからふたり目の時は、育休を取らずに2ヶ月目から出勤した。その方がよっぽど気が楽だった」(3年生児母親 飲み会での集団インタビュー)

 

子育てによる不安やストレスは、それがたったひとりの親(しばしば母親)の手にかかっており、子育てのことで話し合い助け合える人間関係を持たないことが原因の一つである。「母親の愛情による子育て」を強調し、女性たちに育児の責任を負わせた母性神話は破綻した。育児ノイローゼはたったひとりで育児に専念した当の専業主婦に多かったこと、地域や親族など子育てを支援するネットワークを失ったところで女性がひとりきりで育児を成し遂げることがもとより不可能であった事実などは、様々な研究者によって指摘されている[落合:1997など]

中心・古株型の親たちには、学童保育の集団による子育てを、近代家族が一般化する高度成長期以前の、共同体での子育てになぞらえて語る傾向が見られた。

 

「子どもに何かを伝えていくことは、ひとりじゃできない。コミュニティで子どもを育てることが必要。ここには下町の共同体がまだ残っている。近所のおじさんおばさんから“近所の子”として認めてもらえる。怖い人や優しい人がいて、叱られたり、遊んでもらったり。子どもにとっては学童は社会性が身につく修行の場だ。昔のガキ大将の時代のように、いろんな人に関わりながら育っていける」(4年生児父親 飲み会での集団インタビュー)

 

 こうした発言は、「昔はよかった」というノスタルジックな回帰欲求にも見えるが、むしろそうした古めかしい表現のうちに、近代家族が機能しなくなった現代において、子育てを支える新しいネットワークづくりを示唆しているのだと見るべきだろう。学童保育は核家族化以前の地域共同体の残存物である以上に、男性と女性がともに働きながら子育てをしていく新しい家族のあり方を提示する可能性を秘めている。

 

・「集団育児」の負担

一方で、仕事を持つ親たちに物理的な時間の制約が大きいのは事実である。学童保育の人間関係づくりのために、貴重な時間や労力を支払い続けるのは、並大抵のことではない。アンケートの、めだかクラブの不満な点を尋ねた項目では、「ない」と回答した人が17人に上ったが、その他の人々は父母会出席や運営の負担を挙げた。以下は親アンケートからの抜粋だが、実際にめだかクラブの運営を担っているのは中心型の親たちで、周辺の人々は負担感、面倒くささ、遠慮等からある種の居心地悪さを感じ取っていることが分かる。

 

「いろいろな活動が負担になることがある。バザー、保育応援、父母会等」(1年生児父親)

「父母会などで、とけこんでいけない。バザーやその他いろいろな面であまり協力できないので心苦しい」(1年生児母親)

「(子どもを)『やめさせたい』とか(自分も学童に)『関わりたくない』と思った事はないが学童の父母会出席や運営に関わる人たちはいつもきまった人で、父母会に出席した人たちで細々と行事などの企画・運営を行っている感じで、父母会に出席しない人は『やらなくてもしかたない』みたいな気がする。それぞれ、忙しく過ごしている人が多いのは分かるが、みんな同じなのに…と思うと『じゃあ自分もいいかッ』とチョット思ってしまう」(3年生児母親 親アンケート)

 

それに対し、中心型の親の中には次のような意見も見られる。

 

「もっとみなさん関わってほしいです。いつもバザーなどきまった人達ばかりやっているような気がします。保育料だけ払って何もしないような親もいるし…。お忙しいのは分かるのですけど、それも含めて学童保育だと思います」(2年生児母親 親アンケート)

 

学童保育では、子育てを人任せにせず親たちで遂行していかなければならない。親たちの心の中には、「子育てに関わりたい」という思いと、「時間がない・面倒くさい」という思いがいつも交錯している。

実際、父母会による施設運営は大変な仕事である。委託制度上では、指導員、児童、開設場所の確保は実質的にすべて父母会の責任になっている。それらを満たして運営が始まっても、指導員の給料計算、学童保育連絡協議会主催の各種会議への出席、署名集め、資金繰りのためのバザー実施など、親たちは学童保育にかなりのエネルギーの投入を迫られる。「働いているからこそできる豊かな子育て」を実行するためには、相当の時間と労力を支払わなくてはならないのだ。

めだかクラブにおいては、中心型の親たちが取り仕切っている集まりに新人が出てくるには、それなりの勇気が必要な状況になっていた。それに出続け、ネットワークを維持していくためには、更に大きな努力が要ることはいうまでもない。

 

・指導員への信頼

めだかクラブの親たちは、指導員に大きな信頼を寄せており、保育内容を高く評価している。親同士のネットワークと同様に、親と指導員とのコミュニケーションが重要視される。めだかクラブを運営しているのは親たちだが、実際に子どもたちに対峙し、豊かな保育内容を創り出しているのは指導員だからである。アンケートの「学童保育のいいところ」の項目では、「子どもに関して安心して働ける」が22人と最多であったが、その安心感は信頼できる指導員がいてこそ得られるものだ。

 

「先生たちの方が私たち親以上に子どものことを知ってくれていて、こちらがとても参考になることが多い」(1年生児母親 親アンケート)

「指導員ときちんとコミュニケーションがとれていれば、『この前子どもが泣いて帰ってきたんですけど』などといった場合でも、『ああその時は、誰々ちゃんがどうして、こうしてね…』という具合に説明してもらえて、納得できる。それが大事。昼間の子どもの様子を知ることができる」(1年生児父親)

「学童の先生は学校の先生よりずっと近い感じ。1年ごとに変わるのではなくて、ずーっと一緒だから。子どもの成長を見守ってもらえる」(3年生児母親 飲み会の後の集団インタビュー)

 

親たちにとって指導員は、子育てをしていく上での良き相談相手であり、頼りになるアドバイザーでもある。我が子の育児にともに関わっていく仲間として、親業の先輩としての側面が親たちのもっとも注目する部分であり、指導員の労働者としての側面にはあまり関心を寄せていない。

しかし、「A中心・古株型」の親の中には、「学童は親が運営するっていうことになっているけど、実際にめだかクラブを良いものにしているのは先生たち。藍染めや豆腐作りなど、がんばって質の高い保育をしてくれるから、こんなにいい学童になっている」というように、指導員の仕事内容を評価し、連帯しようとする声もあった。こうした親たちの存在が、指導員とその他の親たちを結びつける上で重要な役割を果たしていると思われる。

 

523.指導員にとっての学童保育

・指導員の“質”とは何か

質の高い指導員とは、専門性の高い指導員のことである。しかし、現在のところ横浜市には、指導員の資格に関する法的規定はない。そのため「法的には要求されない(すなわち賃金によって保障されない)専門性を、個々の指導員がどう自主的に取り入れていくか」が施設間格差を生み出す重要な原因の一つになっている。

そうした専門性の具体的中身とは何だろうか。日本女子大の研究チームは、「日常的処遇が仕事の主幹を成す社会福祉の職種について、仕事の種類と時間を統計処理することによって、専門性を立証しようとする試みは、所期の目的を達成することは不可能であろう」[佐藤・田中・須之内:199359]と述べている。専門性は、行事やレクリエーションをどれだけやったかということではないのだ。それはもっと日常に根差しており、子どもや親たちとの交流の中で、彼らを援助していくその過程で、ひとつひとつの態度や言葉に表れるものである。「知識・技術を生かして子ども集団を扱う専門領域と、子どもひとりひとりに対して日常的に行うケアの領域」という分断を行うのではなく、「ケアそれ自体の専門性」という言葉で佐藤らが主張するのはこの点である。

学童保育が、「親たちが働くために子どもを預ける場」に加えて「子どもたちの豊かな生活の場」及び「親同士の育児ネットワーク形成の場」としての役割を帯びるに従って、指導員の専門性は不可欠なものとされるようになった。しかし、「保育」という日常的ケアを主幹とする仕事全般に共通することだが、決まった時間その場所にいて子どもの面倒を見ていればよい、誰にでもできる簡単な仕事だという意識が、学童保育指導員という業種に関しても、行政や一部の親・指導員の中に未だ根強いのである。

めだかクラブ、虹クラブの属すMブロックでは、全8施設の専任指導員たちによって週1回の指導員会が行われている。そこでは専門性についての議論が多く、ベテラン指導員が若手に対してアドバイスする講習会的な側面もあるという。保育に関する専門性に加えて、父母会との適切な関係作りや親へのケアといった、対親の専門性も強調される。専門的でない者は専門性を身につけるためにがんばらなくてはならないとされ、自主的な学習態度が求められる。

低賃金、雇用保障がないなど、制度的に専門性が軽視されていながら、現場ではその重要性を誰もが認めている。そうした矛盾のもとで指導員たちが混乱し「質が低い」と言われる施設が出てきたとしても不思議はない。

虹クラブの専任指導員Eさんはいう。

 

「とにかく経験が大きい。○○先生(Mクラブの他施設の指導員)は本当にベテランで、何でもしっかりとよくやっていて、私たちから見ると、すごい人だなーという感じ。いろいろ教えてもらうことが多い。まだ(この仕事を)始めたばかりで分からないことだらけ。いろいろがんばっていかなくちゃとは思うけど、とにかく経験が」(Eさん インタビュー)

 

虹クラブの指導員は、40Eさんと30Fさんで、2人とも専任指導員として就任してから1年前後である。経験の無さは自他ともに認めている。

彼女たちの子どもへの権威的な態度は、保育に対する自信の無さの表われである。それは、51章で挙げたような、子どもたち全員が静かに正座するまで終わりの会を始めなかったり、手作りおやつを強調して返って子どもを萎縮させてしまったり、やたらと怒鳴りつけたりする行為の中に、日常的に見られる。これらは、自分たちの保育方針を確立することができず、指導員会や父母会の求める専門性に形だけは添ったものにしようとするあまり、「有効な終わりの会」「手間を惜しまない手作りおやつ」などが特化してしまい内実が伴っていない例であろう。大切なのは子どもがどう受け止めているかということであるなずなのに、ここでは親や他施設の指導員からの評価を意識して、それがないがしろにされているばかりか、専門性への圧力が指導員の中にストレスとなり、子どもに向かって発散されてしまっている。

ここで注目したいのは、彼女たちの「専門的であること」への強迫的な関心である。「自ら進んで専門性を身につけること」が指導員の評価の一端を担っており、指導員会や父母会の要求に応えようとして、返って子どもを押さえつけてしまうという点は無視できない。虹クラブの指導員の例は、めだかクラブの指導員が経験的な専門性を身につけているのとは対照的に映る。しかし、「保育に専門性など必要ない」「保育にも専門性が必要だ」という相反するメッセージに引き裂かれた現在の状況下では、虹クラブの指導員たちの混乱は不可避である。

指導員の専門性は、学童保育を「いい」ものにしていくために、なくてはならないものである。しかしそれは、ケアという生活に根ざしたものであるゆえに軽視され、市場的基準において評価されない。よって、給料が支払われないにも関わらず、専門的である努力をし、且つそれに成功している特異な指導員がいる施設だけが、「いい」施設ということになる。この歪曲した労働市場が指導員に迫る「専門性」という無賃労働は、「シャドウ・ワーク」[Illich19811982]と呼んでもいいだろう。

指導員の専門性は、当事者である子どもや親は確かに感じ取っており、何らかの方法で制度的にそれを評価していくことが必要である。しかし、教員資格を持つものが必ずしも子どもを教育するのにふさわしい人間ではないように、この種の専門性の測定は、資格規定によっても困難であることを認めなくてはならないだろう。

現在横浜市では、学童保育の条例化の試案作りにおいて、指導員の専門性の規定が検討されている。市連協の方針は、公設公営化、すなわち指導員職が公務員となり、国家試験を突破した人間が子どもたちの保育を担うことを、学童保育の新しい形として目指していくものだろう。運動体としての学童保育にも強い関心を示すめだかクラブ指導員Bさんは、「専門性は重要だと思うけど、もしそんな形(公務員試験、資格試験など)で専門性が求められていたら、私たちは学童に就職できてなかったわね」と本音をもらした。

以上を踏まえて、専門性の制度化に際する2つの留意点を指摘しておきたい。すなわち、専門性の内容を知識や技術に止めず「子どもの最善の利益」に適うものに定義し直すこと、そして制度の変更時には既存の指導員の経験を尊重し、特別資格を与えるなど適切な移行処置を設けることである。指導員の専門性の制度化については、633章「公務員としての指導員」において詳しく論じたい。

 

・労働環境としてのめだかクラブ

一般に、学童保育は労働環境の悪い職場だとされている。

委託制度では、基本給は市から支給されるが、1年雇用であることもあり、経験給や時間外手当は施設ごとに父母会が決める。そのため待遇は個々の施設によって微妙に異なってくるが、その差異は指導員の質や仕事内容によるものではなく、児童数、保育料などに関連した、その施設の運営資金繰り状況によるものである。

現在のめだかクラブの待遇は、基本給146.000+経験給 勤続年×1000+時間外手当一律23時間分26.500円で、日曜出勤、宿泊手当て、キャンプなどは別に付く。専任指導員の年収は、200300万である。時間外勤務はひどいときには月に50数時間にも上り、20数時間分の無賃労働がある。時間外手当は、父母会、保育懇談会、指導員会、ブロック会その他学童保育連絡協議会主催の各種会議への出席でほとんど消えてしまう。その上指導員は、規定では12:3018:30である勤務時間を、母子家庭の母親などが迎えに来る19:00頃まで延長している。秋に地元の小学校で行われる父母会の資金作りのためのバザーには、出席しても手当てが付かない。

虹クラブの待遇は、基本給146.000+経験給 勤続年×3.000+時間外手当35時間まで(時給900円)となっており、めだかクラブより若干ましといえる。しかし、高い経験給は父母会の負担になるため、20年以上勤めた指導員が継続しづらくなって辞めた例もあり、一概に判断することはできない。労働量に対する収入という観点からしても、夜11時ごろまで延長される保育懇談会が残業代に含まれていないなど、虹クラブの指導員たちもやはり低賃金労働を強いられているのである。

指導員の労働環境を考える上で問題となるのは、ケア労働に対する市場的価値付けの低さとともに、父母会と指導員が直接の雇用・被雇用関係にある委託制度の性質である。この制度の下では、親と指導員は互いの利益を共有することができない。めだかクラブでは、年1回父母会を相手に対偶交渉が行われているが、いつも形式的な話で終わってしまうという。

 

「父母会の予算のうちわけを知っているから、余裕がないことはよく分かっている。給料は上げてほしいけれども、相手はもっと待遇の悪い環境で働いている母子家庭のお母さんだったりするわけだから、何とも言えない。ただ、残業はしっかり計算して父母会に出す。これだけサービス労働しているんだ、というアピールはすることにしている」(Bさん インタビュー)

 

親と指導員は、子どもたちの保育を通して強い連帯が求められるにも関わらず、制度は2者の良い関係作りを阻む仕組みになっている。

親たちは、基本的にはともに子どもを育てる仲間として、良きアドバイザーとして指導員を見ているが、資金繰りが上手くいかなかったり不況になったりすると、労働者としてシビアに見るようになる。指導員が雇用側の都合のいいように勤務時間を調整されたり、「作業着代は要らない。(だからその分を基本給に組み込んでほしい)」というつぶやきに対して、基本給は元のままで作業着代だけが削られていたりといったことが起こってくるのである。

このような制度は改善されるべきである。制度の歪みを指導員が一手に担ったときのみ、その施設が「いい」ものになるのだとしたら、これは運動論的には大変な逆説である。運動の担い手でもある指導員たちが、学童保育を支え、仕事に打ち込んで質の高い保育を提供すればするほど、現在の問題の多い制度を維持することになってしまうからだ。

 

・労働者としての指導員

では、なぜめだかクラブの指導員は、そのような劣悪な職場環境であるにも関わらず、質の高い保育を提供することができるのだろうか。それは彼女たちの生き方や社会的立場に大きく関わっている。彼女たちの背後にあるのは、子どもと親への強い連帯感と、閉鎖的な女子労働市場である。

めだかクラブの専任指導員のひとりAさんは、現在46歳で小学校教員の夫と息子、娘がいる。中学校教員免許を持っているが、夫の仕事の都合で採用試験を受ける機会を逃してしまった。専業主婦、総務庁勤務、保険会社社員、書店アルバイトなどを経て、7年前めだかクラブの指導員になった。「専業主婦で子育てに追われていた頃はとても辛くて、その頃のことを思い出すと涙が出る」という。指導員になったきっかけは、「めだかクラブができて、指導員を探しているという話を聞いて、子どもと関わる仕事をしてみようかなという気持ちになった」とのこと。「日々の喜怒哀楽を通して子どもたちの個性に向き合っていけること」が仕事の面白さだと考えており、「子どもとの生活を楽しんでいる。子どもに気付かされることもある。自分の体験に重ねあわせて子どもの辛さに共感してあげたいと思う」と語る。(Aさん 指導員アンケート、インタビュー)

もうひとりの専任指導員Bさんは、49歳で夫と2人の息子がいる。大学卒業後、大学院でフェミニズムを勉強したかったが、結局は一般企業に就職し、結婚。長男出産後に退職。その後「働く女性の子育てを応援したい」という気持ちから、別の学童保育で7年間指導員をした。当時は仕事が苦痛で、子どもとの接し方が分からず、シュタイナーを学び始める。その後8年ほど専業主婦を経験し、知人の紹介で現在のめだかクラブの指導員になった。今の仕事の面白さについて、「子どもの存在の大きさ、深さ、不可解さに触れることによって自分自身についての意識の変化も感じることができる。“生きている実感”のようなものを経験できる。子どもと付き合うのは面白い、楽しいことがいっぱい。子どもってすごいと思う毎日」と語る。しかし一方で、「お金を貰わないでやるということは考えられない。(保育内容の一部である)染めものや野焼きも、もともとの趣味ではなくこの仕事を始めてから学んだもの。保育という仕事自体が楽しいというものではない」という。(Bさん 指導員アンケート、インタビュー)

「指導員としての収入の使途は何か。その収入は必須か」という私の問いかけに対して、2人は「家計補助のためには必須」と即答した。基本的に彼女たちは「働きたい」というよりは「働かなければならない」のである。しかも、年齢や資格の有無を考えたとき、彼女たちの前に労働市場はあまりにも閉ざされている。「条件が悪いとはいっても、経験もないし、この年で20010万の年収がある職は他にはない。パートに出ても、税控除が受けられる103万円以下で細々と働くしかない」(Bさん インタビュー)のが現実なのだ。

しかし、指導員という職種においては、しばしば「働く女性を応援できる」「子どもと触れ合うことが楽しい」といったように、労働の自発性が、周囲によっても労働者自身によっても強調される。もちろん、指導員の仕事は誰にでもできる単調なルーティン・ワークではなく、多様な人間関係の中で、自分で考え、より良い保育を創り出すという、それによって自己実現が可能であるような性質のものと認識されているから、指導員は仕事によって賃金以外の効用を得る、つまり「シャドウ・ワーク」を埋め合わせるような「労働の喜び」を受け取る、ということは可能である。だが、それには注意点がある。逆説的なことに、このような「労働の喜び」に追い込まれるのは、「収入のために働く」という選択から疎外された人々であるという点だ。

「老いと近代――労働と“生きがい”を通して」の中で服部は、「生きがい」という言葉が仕事と結び付けて語られることが、女性、老人、障害者について非常に多いことを指摘している。[服部:2000][8] 働いても高い賃金を得ることができない人々に対して、収入や地位ではなく、仕事内容や労働そのものに「生きがい」を見出すことが強調されるのである。その仕事はたいていの場合、スーパーのレジやビル管理、工場での部品の仕分けといった単調な作業労働で、女性の能力や老人の経験を生かすとか、障害者の自立心を促すとかいったようなものではなく、しかも低賃金である。それはまた、女性には養ってくれる夫が、老人には年金が、障害者には面倒を見る家族がいることによって構造的に正当化される。このとき「生きがい」という言葉は、社会的弱者に劣悪で閉鎖的な労働市場に目を向けさせることなく、彼らの労働力を低賃金で搾取するための「まやかし」であることは明らかだ。

指導員の仕事は、単純作業でない分「家の外に出て働くこと自体が生きがい」というほど露骨な言説を振り撒きはしないが、労働者のボランティア精神によって無賃労働が不可視化される点で、上に示したような歪みに組み込まれているといえるだろう。実際「横浜市学童保育事業実施要綱」によれば、指導員に望まれる要件として「児童の育成に知識と経験を有し、かつボランティア的な熱意を有するもの」が第一番目に挙げられている。専門性の制度的な評価がないばかりか、「無賃労働に耐える子育てを終えた主婦」という人材が暗黙のうちに要請されている。

めだかクラブの指導員たちが、低賃金にも関わらず質の高い保育を提供し続ける影には、こうした歪みに対するわだかまりが常にある。

 

「自分自身が(子育てで)仕事を辞めざるをえず、女性の社会的・経済的自立をバックアップできればと思ってこの仕事を始めた。…でも、学童の働く母親が自立したとしても、ここで働く自分たちは、この仕事では自立できない。矛盾を感じる」(Bさん 指導員アンケート、インタビュー)

 

・父母会との関係

父母会と指導員の関係は、父母会が学童保育の運営を行い、指導員が保育内容を充実させるというものである。めだかクラブを生き生きと個性的にしているのは指導員だが、子育て・運営はあくまで親たちの責任だという。この担当領域の定義は親・指導員の双方によるものだが、指導員の方がより分担を意識しているように感じられた。

指導員は、親同士の人間関係を尊重するため、父母会の後の飲み会などには参加しない。保育内容や行事はほとんど指導員が決め、父母会に提出して承認を得る。シュタイナーを取り入れることも、染めものも豆腐作りも、指導員の提案・実行による。クレームは付いたことがない。

ただし、キャンプ、バザーなど父母会が主催する行事は、親たちが主体になって行動し、指導員はそれをサポートする形になる。父母会でキャンプについての話し合いが持たれたときは、親たちが活発に意見交換をし、楽しそうに盛り上がるのを、指導員は参加しつつ見守っていた。めだかクラブのキャンプは、子どもたちの遊び・自然との触れ合いとともに、反省会兼飲み会の席での、親同士の交流が主な目的とされている。「うちは親のためのキャンプですから」と冗談混じりにいわれるように、親たちが積極的に楽しむ中、「子どもは肝だめしやってほしいっていってるけど、お化けセットちゃんと用意してるかしら」と気を揉むなど、キャンプにおける指導員は、内容決定に携わることのない、影の支え役だった。

指導員たちは、「“父母会に雇用されている”という意識は持ちたくない」と語る。母子家庭の母親が帰ってくる7時まで開所しているなど、働く子育てを応援する気持ちが強いが、一方で、時間外労働は計算して年度末に父母会に提出するなど、「いうべきことはちゃんという」ようにしている。「親たちとの関係は持ちつ持たれつ」ということだった。

一方、虹クラブでは、父母会が大きな意志決定権を持っており、保育や行事についても、指導員は父母会の意見に従っていた。行事はキャンプ、バザー、クリスマス会、餅つき大会で、すべて父母会が計画、実行する。父母会は月1回土曜の夜に行われるが、12人の父親を含む10人弱の母親によって成り立っており、指導員は輪の外にいて、保育報告以外は特に話し合いに参加せず他の作業をしていた。

保育報告は、

「(バザー準備について)子どもたちの手作り品は、もうほとんど作り終わりました」

「やる気のない子もいますが、ほとんどの子は協力的です。これを作りなさい、と強要するのではなく、子どもの好きなものを作らせています」

といったように、親たちの要求をどれだけ満たしたかをアピールする内容が目立った。

他方で、指導員の子どもの叱り方には「お母さんはそれでいいっていったの?」「お母さんは知ってるの?」といったものがよく見られた。指導員にとっては、「親がいいといったのならいい」のであって、それ以上の任務は認識されていないようであった。

保育内容も行事もすべて父母会が決定するとき、それは「指導員はあくまで親の代行」という親の根本的な考えの表われなのだろうか。すべての行事を決定し、保育内容を把握するのは親にとっても相当な負担のはずである。むしろ、指導員との間に信頼関係が成立しておらず、安心して子どもを任せることが難しいことを示しているといえるだろう。

 

53.地域の中の学童保育

めだかクラブのある地区は下町で、お祭り・縁日など下町行事が盛んであった。親たちの地域の組織・行事への参加度は高く、地域の共同体がまだ残っていて、学童保育の親の人間関係もそれを基盤にしている。

主な地域行事は、子供会主催の夏祭、盆踊り、子供みこし、歓・送迎会、写生大会、町内会の運動会、餅つき大会などである。親アンケートによれば、親自身と子どもの地域の行事参加経験者は、子供会25人、町内会12人だった。特に子供会の夏祭には、半数近くの親子が参加しており、学童保育の仲間で連れ立って出かける例も見られた。また、地域組織における「班長」「会計」などの役職にも、PTA4人、町内会4人、子供会2人が就いた経験を持っていた。

また、親たちは地元出身者が多く、居住年数の平均は12.6年で、そのうち20年以上同じ土地に住んでいる人が7人いた。親同士が中学や高校の先輩・後輩であるケースもあった。めだかクラブは広報活動として「入所児童募集」のポスター張りと入所説明会の実施をするが、それらに増して親の地域でのネットワークが、口コミという形で学童の広報に役立っている。

めだかクラブの目の前には古い商店街があり、高齢者を中心とした地元の人々が店を営んでいる。かつて行政による商店街の建て替え計画があったが、土地に愛着のある人々がそれを阻止したという、結束の固い地域である。施設周辺の住民は、子どもたちに「元気だねえ」と声をかけてくれたり、公園でセミを採ってくれたりするなど、子どもたちを「地域の子」と認識していた。特に商店街の惣菜店のあるおじさんは、竹とんぼを作って子どもたちに教えてくれたり、指導員と世間話をしたり、頻繁に交流を持ってくれていた。親たちの方も、「お世話になっているから」と学童保育に子どもを迎えに来た帰りに商店街で食料品を買って帰る、店の人々に世間話や人生相談、悩み相談をするなど、積極的にコミュニケーションをはかっていた。このように、めだかクラブのある地域は、住民の理解が得やすく、父母会の連帯が形作られやすい、恵まれた土地柄だといえる。

尚、専任指導員2人は別の地区の出身であった。親と地元の人々が形成する地域の共同体に、指導員は組み込まれていない。親による「運営」、指導員による「保育充実」という役割分担の基調となっている両者の程よい距離感は、この点にも見出すことができるだろう。

 

54.まとめ ――― 「いい学童」の条件

以上では、横浜市の学童保育に注目し、子ども・親・指導員それぞれにとって学童保育がどのような意味を持つかを調査した結果、現行の運営委員会委託制度の矛盾を明らかにした。

委託制度は父母会と指導員との間に雇用・被雇用という非対称的な関係を作り出すため、父母会の側に指導員に対する配慮があり、指導員が劣悪な労働環境に耐えて質の高い保育を提供するときのみ「いい学童保育」が成立する。なお、そうした指導員の背景にあるのは、子どもや働く親への強い連帯感と、閉鎖的な女子労働市場である。

 本論で示した、めだかクラブと虹クラブの抱える様々な問題は、同じ制度の下で矛盾を抱えながら存在している他施設とも共有されるものである。この2施設は、どちらがよいというものではなく、制度の歪みを裏と表から体現しているといえる。虹クラブは指導員の専門性が低く子どもと親のニーズが満たされない点で、また、めだかクラブでは豊かな保育内容に子どもと親は満足しているが、そのしわ寄せが指導員の労働環境の悪さに滞積している点で、制度の歪みを背負っているのである。また、市内の全施設に共通する、親たちの事務的・金銭的負担の重さは深刻である。

 

6.学童保育とその周辺施設

本章では、学童保育とその周辺施設について論じる。本章の目的は、周辺施設の実施している様々な運営形態とその実態について調査し、横浜の学童保育が目指すべき施設像を明らかにすることである。対象となるのは、B学校内学童保育、Cはまっ子ふれあいスクール、D公設公営の学童保育、E世田谷新BOPである。

 

61.はまっ子ふれあいスクール

611.はまっ子ふれあいスクールとは

 小学校児童を対象にした「はまっ子ふれあいスクール」(以下“はまっ子”)は、93年、横浜市の新たな児童福祉事業としてスタートした。遊び友だちや遊び場の少ない現代の子どもたちのために、小学校の空き教室や体育館・グランドなどを開放して集団の遊びを育てるというのが、“はまっ子”の事業目的である。

“はまっ子”のシステムは、教育委員会がまとめた「はまっ子ふれあいスクールモデル実施報告書」によれば以下のようなものである。“はまっ子”は、横浜市教育委員会が、当該小学校内に設置する「はまっ子ふれあいスクール運営委員会」に委託して実施している。運営委員会の構成は、@小学校長、APTA代表者、Bチーフパートナー、Cその他運営委員会が認めたものとされている。この中で実際子どもたちの放課後を見守るのはチーフパートナーであり、「アシスタントパートナー」と呼ばれる他の大人2人と一緒に仕事をする。原則としてチーフパートナーは教職員の経験者から運営委員会が選任する専任職員、アシスタントパートナーはPTAや地域の協力者の臨時職員であるとされる[9] 一般に、チーフパートナーは小学校や中学校などの退職校長、アシスタントパートナーはPTA関係者である場合が多い。市連協は“はまっ子”がモデル実施されたばかりの93年度の「理解と推測」において、すでに「教員(退職校長)の再雇用対策ではないか」との見解を表している[市連協:1993]

パートナーの役割は、第一に「安全確保」、次いで「異年齢・集団遊びの促進」である。現在“はまっ子”は登録制を採っており、子どもたちは学期初めに来たい曜日を登録することになっている。放課後になり、子どもたちが“はまっ子”にやってくると、パートナーはまず出欠を確認する(“迎える”)。それから危険がないか、仲間はずれやけんかは起こっていないかをチェックしながら(“見回る”)、用具の整備や集団遊びの提案をし、時には子どもたちと一緒に遊ぶ(“遊ぶ”)。夕方になると、人数を確認し、忘れ物や下校の注意などを喚起して子どもたちを帰す(“終了”)。[教育委員会:1995]

「活動はあくまでも子どもの自主的で自由な遊び」であることがたびたび強調された上で、「子どもが思いやりやわがままを押さえる気持ちを持ち、ルールを守ることなどを自然に体得していかれるよう見守っていくこと」がパートナーたちの基本的な姿勢だとされている。

 学童保育と“はまっ子”は、ともに「小学校の子どもたちの放課後の居場所」であり、競合せざるをえない1面を持っている。“はまっ子”は市の「ゆめはま教育プラン」にのっとって2002年までに市内の全小学校に設置される予定であり、学童保育との「一本化」の可能性が出て来ている。市連協は、“はまっ子”の開設当初から、「学童保育つぶしの事業になる可能性がある」という危機感を持って、対策を立ててきた。学童保育側は、おやつの有無(学童保育にはあるが“はまっ子”にはない)、開設時間の長さ(学童保育は長い時間開設している)、対象児童の違い(学童保育は留守家庭児童対策であり、“はまっ子”は全児童対策である)などを強調し、“はまっ子”との差異化に務めた。学童保育の対“はまっ子”運動については、詳しくは後章に譲るが、ここでは横浜市の学童保育にとって“はまっ子”が重要な意味を持つことを確認しておきたい。

 

612.今川小学校はまっ子ふれあいスクールの実施状況

本研究の対象となったのは、横浜市M区の「横浜市立今川小学校はまっ子ふれあいスクール」(仮名、以下、今川小“はまっ子”)である。当“はまっ子”は、以下の理由で対象とするのにふさわしいと考えられた。第一に、チーフパートナー、サブパートナーに退職校長を起用している点、拡充案を実施している点、学校側との関係が良好で望ましい施設利用が実現されている点などにおいて、市当局の提示する“はまっ子”像の典型といえるからである。第二には、学区内に学童保育があり「共存」の形を取っているため、両者の関係を調査することができると考えたからだ。

以下では、今川小“はまっ子”の事業概要を見ていこう。

 

・背景:今川小“はまっ子”は1996年元教員の女性をチーフとしてスタートした。1997年最初のチーフが退職し、代わって現在のチーフである元小学校校長の男性がポストに就いた。1999年には教育委員会の要請を受けて事業内容を拡充させている。調査を実施した20006月において、今川小学校の全児童数は564人、そのうち、“はまっ子”登録児童が206人いる。一人当たり週34日登録している。実際“はまっ子”に来るのは15080人である。

・施設/設備:“はまっ子”用の施設としては、学校側から一階の教室とその隣の生活科ルームを与えられており、体育館、校庭も授業終了後に使用が許可される。一階の専用教室は校庭に面しており、パートナーたちが室内に居ながら校庭で遊ぶ子どもたちの様子を確認できるので非常に望ましい環境だといえる。テレビ、ビデオ、本、ロッカー、事務机、棚、ソファなどの備品がそろっている。専用の遊具も、積み木3箱、ブロック4箱、ボードゲーム45台、パズル、ビリヤード、ボール30個あまり、バトミントン、縄跳び、かるた、ジェンガ、ぬり絵、輪投げ、卓球、ドミノ、こま、ボーリング、カード、けん玉、将棋、オセロ、スロット、フラフープなど、大変充実している。

・指導員体制:指導員体制は、チーフパートナー1名(元小学校校長、以下チーフ)、その代行であるサブパートナー1名(元高校教員、以下サブ)、アシスタントパートナー5名(40歳前後の既婚女性4名、教員試験勉強中の学卒男性2名、以下アシスタント)の計8名である。日頃はチーフとアシスタント3名(子どもが少ないときは2名)で子どもたちに対峙している。チーフは週5日午前11:30〜午後6:30勤務、アシスタントは週23日、午後のみのローテーションである。サブは週に一度チーフの代理として勤務している。チーフは部屋の隅の机に座って全体の管理をし、パートナーは出欠管理担当、特殊学級児童担当、遊び担当にわかれていた。

・開設時間:開設時間は、月・水・金曜日は午後1:30から、火・木曜日は午後2:30から、名目上は午後6:00までである。しかし、5:00を過ぎると家の人が「お迎え」に来なければならないため、5:00過ぎまで残る子どもはいない。利用児童の7割が4時頃に帰宅する。春・夏・冬休みも開設している。

・運営:運営は、PTA役員、校長、副校長、チーフパートナーなどを含めた11人の運営委員によって行われている。運営委員会には地域からの参加者の枠が認められているが、そこには元PTA会長が入っており、学校関係者で固められていた。父母保育や保育懇談会など、親の参加は行われていない。

・おやつ:おやつは出ず、持ち込みも禁止されている。子どもたちは放課後直接“はまっ子”へ来なくてはならず、一次帰宅は認められていない。理由は「一度家に帰っておやつを食べて来ていいということにすると、食べたこと食べない子の間に差ができてしまうから」ということだ。“はまっ子”が帰宅途中の子どもたちの安全管理に責任を負わないことも理由の一つだろう。勉強なども禁止である。

・日常行為:子どもたちは、授業が終わると自分の教室から1Fにある“はまっ子”の教室へと降りてくる。廊下にランドセルを並べ、「登録カード」に判を押してもらって出欠のチェックを済ませ、遊び始める。室内では、わなげ、将棋、パズル、積み木、ジェンガなど。体育館ではフラフープ、バトミントン、ボール遊びなど。校庭では鬼ごっこ、ジャングルジム、鉄棒など。午後340分になると、子どもたちは一旦“はまっ子”教室に集合し、「終わりの会」を開く。4時までの子どもはここで帰宅し、その他の子どもは遊びを再開する。5時までに、すべての子どもが帰宅する。

 

613.「専門性」が重視されないパートナー

“はまっ子”では、パートナーの役割はあくまで「子どもの遊びの管理」であり、「誰にでもできる、責任の小さな仕事」と認識されていた。めだかクラブ、虹クラブの指導員たちに見たように、学童保育で仕事の専門性や経験が非常に重視されているのとは対照的である。

アシスタントの役割は、主に直接子どもと遊ぶことである。アシスタントを務める女性たちは、ほとんどが今川小学校に在籍する子どもを持つ親・OB親であった。勤続5年目のOB親であるアシスタント女性は、仕事の楽しみについて「自分の子は大きくなっちゃうけど、ここの子は毎年1年生が入ってくるでしょ。かわいいの。一緒に遊べて楽しいし」と語った。大変なのは、「慣れるまでの1年生。鼻血、おもらし、嘔吐もある。そんな時は自宅に連絡して、迎えが来るまでソファに寝かせておく」「いうことを聞かない子がいる」とのこと。ひとりひとりの子どもとの継続的な関係があまり強調されておらず、それに付随する子どもが変化・成長していくのを見守る喜びや、深刻な葛藤などは、仕事の特徴として語られなかった。また、勤務1年目のアシスタント女性の「私は新米だから分からないの。この人、一番のベテラン」という言葉に対し「そんなの、何年やったって一緒よ」との受け応えがなされるなど、経験や専門性は重視されていないようであった。週23日、1回45時間の勤務であることを考えても、彼女たちの意識は「子育ての経験を生かしてのパート労働」というものであろう。また、学卒のアシスタント男性は、「教員を目指しているので、子どもと触れ合うことが勉強になる」と語っている。彼にとってアシスタントパートナーという仕事は教員になるまでのステップであり、勉強の手段であった。また、アシスタントたちはチーフに対して「先生」という呼称と敬語を用いており、「生徒の親/教員志望学生」対「元校長」という非対照的な関係性の構図を表しているように思えた。

チーフの役割は、子どもの遊びやアシスタントの勤務状況などを含めた事業全体の管理である。夏休みなど長期休暇中のイベントを考案したり、運営委員会に出席したり、通信を作成したりもする。子どもと直接遊ぶことはほとんどない。「時には遊んでといってくる子もいるが、そんなときにはおばさんと一緒に遊びなさいっていう。どっちかっていったら僕は見てるほう」とのことだ。

「“はまっ子”の仕事は大変か」という私の質問に対し、「いや、楽ですよ」とチーフは笑顔で即答した。教員の仕事に比べれば格段に「楽」であるという。

 

「そりゃあ、だって、楽ですよ。やっぱり、授業で子どもを教えるっていうと、それだけ責任があるじゃないですか。ね。基礎教育ですから、特に小学校っていうのは。ところがここでは、“はまっ子”っていうのは勉強を教えるわけじゃないし、子どもの遊びを見ていればいいわけだから。」(チーフ インタビュー)

 

ここでは、「責任が小さく専門性の必要ない、遊び・生活に関わるケア労働」という社会的認識が、「責任が大きく専門性の必要な教育」との対比において、そのまま受け入れられている。こうしたケア労働軽視の風潮は、教員の責任と権限を広範に確定する傾向と結びついている。「教師の責任」が非常に重く見積もられる社会は、子どもを押さえつけるばかりでなく、「基礎学力教育もしつけも全て教師の仕事」とされる、当の教師にとって非常に負担の大きい社会でもある。

チーフは60代後半の男性で、校長を務めた5年間を含め38年の教員生活の後、医療事務員として大学病院に2年間勤め、その後すぐ今川小“はまっ子”にチーフとして勤め始めた。「(前のチーフが)辞めてちょうど人を探してたんだよね。そのとき私のとこへ(教育委員会から話が)きたもんだから、じゃいいですよっていって、受けてあげた」とのこと。チーフ歴は今年で4年目である。「ずーっと働きっぱなしなので、あと23年で終わりにする。その後は家にいて、散歩でもしてのん気に暮らしたい」と語る彼にとって、“はまっ子”での仕事は多くの再就職先のひとつに過ぎないのであろう。しかしまた、チーフは「家にいてもつまらない、やることがない。仕事をしていた方が落ち着く」といって早朝から出勤するなど、この職場に執着を持ってもいた[10]。“はまっ子”は、気楽でありながら「先生」と呼ばれたかつての教員生活の延長のような充実感をもたらす、非常に居心地よい職場なのかもしれない。

 

614.学校的空間としての“はまっ子”

・「退職校長」という問題

退職校長であるチーフの保育観は「子どもに規律を守らせるために厳しく接する」というものであり、それが子どもたちにとって抑圧的に働いているようであった。

“はまっ子”教室の隅の事務机について作業しているチーフが、子どもたちと直接接するのは「終わりの会」である。340分、校庭や体育館で遊んでいた子どもたちは一斉に教室に戻る。教室ではチーフがメガホンで叫んでいる。「集まって体育座りか正座をしなさい」。姿勢を崩している子や私語をしている子には、「女の子がなんだ、その座り方は!」「いい加減にしろ!」などと怒声が飛ぶ。そして、「クーラーがついているので窓を開けて外の人と話をしないこと」「勝手に帰ったりせずに家の人が決めた時間まで“はまっ子”内で遊んでいること」といった注意事項が話される。

 チーフは自分の保育観を以下のように語った。

 

「子どもには厳しくしますよ、僕は。子どもには怒りますよ。いうこと聞かないとね。要するに、授業とは違いますからね、野放しにすれば、子どもはいくらでも調子付いてくる。ですから、締めるところは締めなきゃ。…子どもに規律を守らせること、きまりを守らせることがありますからね。同じことを何回も何回も繰り返しいいながら、注意していきますねえ。…今の子どもっていうのは甘やかして育てられてますから、ですからかなり厳しくはしてるけれども、でもね、世の中の風潮そのものが、柔らかいでしょ。優しいでしょ。学校じゃ絶対手をあげない。暴力は振るわないと。だから、授業見てても、どっちが先生でどっちが生徒なのかわかんないと。…やっぱり世の中そのものがそういうあれになっちゃってるから。今昔のように厳格にね、厳しくやっていこうっていうこと自体が無理ですよ。でもできるかぎりね。できる範囲ではやっていくと。話だけはきちんと聞かす。中にはあぐらかくのもいるけれども、あぐらかいてたらすぐ目を光らせて正座させるか、体育の座り方をさせる。そういうことはありますよ。」(チーフ インタビュー)

 

チーフが子どもを見る目は、教師の目である。しかも、厳格で古風な教師のそれであることは間違いない。「あるべき子ども像」を規範的に設定し、子どもたちをそれに当てはめようと「教育」する様子は、学童保育の指導員たちが「子どものありのままの姿を認め受け入れたい」としていたのと対照的である。

“はまっ子”がスタートした翌年に行われた、学童保育による“はまっ子”見学では、以下のような報告がなされている。

 

「(“はまっ子”を見学して)元校長は、管理者で子どもと遊ぶのは、サブ(パートナー)とアシスタント(パートナー)。…子どもの行儀がよく、部屋では暴れないように指導しているとのことで、のびのび過ごせる場でないと思った。…子どもたちは、言葉が妙に丁寧で馴れ馴れしさがなく、はさみを借りるにも遠慮がちで『はさみを貸していただけないでしょうか?』とパートナーに言っていた」(各学童クラブによる“はまっ子”見学報告)[連協:1994]

 

ここでも、教育的色彩の強い学校的な雰囲気が、子どもたちの遊びを萎縮させていることが示唆されている。

私もまた「終わりの会」に出席した。子どもたちと一緒に膝を抱えて「体育座り」をしていると、隣に座っていた女の子が「M先生(サブパートナー)のときはソファに座っててもいいんだよ」とこっそり教えてくれた。彼女は明らかにチーフの「教育的」な態度を恐れつつ煙たがっていた。それでも「しょうがないからちゃんとする」のは、学校と、“はまっ子”という学校的な放課後とを共に生き抜いている現代の子どもたちの生活技術であろう。

 

・学校施設の脱学校化に向けて

子どもたちは、基本的には“はまっ子”の遊具や学校施設を使って楽しそうに遊んでいた。校庭や体育館は、自由な遊びのために使用することによって、それらに与えられた「学校」という記号が希薄化され、単なる遊び場に還元される。朝礼で整列するための校庭は鬼ごっこの舞台となり、授業中に球技を習う体育館は、ボールやラケットを自由に使って好きなように楽しめる空間に変わる。少子化によって学校施設は余裕ができる方向にあり、施設利用の地域への開放が求められている今、そのような「学校施設の脱学校化」は望ましいものといえるだろう。

しかし、それは「遊び空間の学校化」と紙一重であることに注意しなくてはならない。「教育的」な退職校長をチーフパートナーとして起用する制度や、大人の管理によって子どもたちの自由な遊びを規制する実態などは、むしろ「遊び空間の学校化」といえる。“はまっ子”は、放課後の遊びにおいても子どもたちを学校の管理下に縛り付ける落とし穴になり得るのだ。私たちは、現在の時点ではこちらの方が遥かに可能性が高く、現実的であることを認めないわけにはいかない。

98年に教育委員会が行った“はまっ子”に関する親たちへのアンケートでは、「子どもを“はまっ子”に参加させたくない理由」の中で、「学校の延長のようだから」「学校とは別のところで遊ばせたい」と回答した親が、その2つを合わせて9.3%いた[教育委員会:1998]。ここには、現代の子どもたちの生活の大部分を、否応なく支配してしまう学校というものに対する、圧迫感や反発感が感じられる[11]。一方で同じアンケートの「子どもを“はまっ子”に参加させる理由」では、「学校を使用しているので安全」という答が57.7%ある。ここでは、学校は子どもたちの活動をもらさず把握し、安全を保障する信頼の対象として捉えられている。そして単純に数字の上で眺める限り、このように考える親は前者のように考える親より、ずっと多い。しかし、単に「安全」だからといって、学校施設の利用を無条件に肯定することはできない。

“はまっ子”の問題点としてしばしば指摘されるのは、実際に利用している子どものほとんどが低学年児童であり、事業の目的として掲げられた異年齢の交流が達成されていないことである。私がインタビューしたチーフも“はまっ子”の欠点を「なかなか高学年が集まらないところ」と語っていた。“はまっ子”が大人によって提供される「安全な」遊び場である以上、高学年の子どもたちにとっては「はらはら」や「わくわく」のない、魅力に乏しい場になってしまうのは当然のことだ。

東洋大学助教授の森田明美は、「親が安心していられる子どもの居場所と子どもが主体的に活動できる遊び場には差がある。すべての空間から子どもを排除し、ここで遊べという大人の囲い込みが子どもから拒否されている」とし、「指導員(パートナー)のリカレント教育と子どもの参加が必要。子どもの権利条約にも盛り込まれている子どもの意見表明権を尊重して、運営委員会がどれだけ子どもに開放されるかが課題になる」と内容改善の必要性を主張している[佐藤:1998]。退職教員とPTAがパートナーと運営委員を務めており、子どもや親の運営参加がほとんど全く見られないのが、現在の“はまっ子”の実情なのである。

 それでもなお、“はまっ子”を利用する子どもたちの背景はどのようなものだろうか。“はまっ子”を開設している小学校の教員であり、学童保育に子どもを通わせているある母親は、次のように語った。

 

「今の子どもたちは、本当に遊びに不自由していて、遊びたいと思っても、遊び場も遊び相手もいない。友達も、お母さん同士が電話でアポイントをとって、『はい、何曜日は塾がありますから、いついつに遊びに伺います』という感じ。“はまっ子”でも何でも、行けば遊び友達がいる、というのは大きいのは事実。今は学校で体育の授業中に、ハンカチ落しなどをして遊ばせている。それだけ、遊びがないのだ」(30代母親 インタビュー)

 

都市部における物理的な遊び空間の消失に加えて、少子化や塾通い・習い事など様々な原因によって、現代の子どもたちは仲間集団との遊びから疎外されている。“はまっ子”が「遊び空間の学校化」をもたらすとき、“はまっ子”以外に遊び場がない子どもたちは、遊びを含む生活のすべてを学校の管理下に置かれることになる。学校に適応しない子どもはあらゆる日常に適応しない子どもとして逃げ場のない状態に追い込まれてしまうだろう。不登校児童が全国で13万人を超える今日、すべての児童を対象とする「全児童対策」を学校的空間に限定することは、あまりにも非現実的ではないだろうか。

学校に通わない不登校児が“はまっ子”に遊びに行くようになったとき、私たちは初めてそれを「学校施設の脱学校化」と呼ぶだろう。それはまだまだ先のことである。

 

615.“はまっ子”から見た学童保育・学童保育から見た“はまっ子”

 今川小学校では、同じ学区内に学童保育が存在し、“はまっ子”と共存する形になっていた。

“はまっ子”側の認識する「学童保育と“はまっ子”の違い」は、「学童保育は子どもの親代わり、“はまっ子”は遊びの管理」ということだった。チーフは以下のように語っている。

 

「親の都合でね、回数を増やしてくるっていう子はいるんですよ。…片親で、お母さんお勤めでどうしても、っていう場合ね。ここはね、要するにはまっ子っていうのはね、学童とは違うんですよ。だから、それを親のほうは、家庭のほうは、学童と同じもんだと思っちゃってるんです。そこが大きな違いでしてね。学童っていうのは、地域の、地域全体の1年生から3年生までの子どもを対象にして、で、おやつも出るし、勉強してもいいし、っていうような親代わりをするところですよね。でも、はまっ子ふれあいスクールっていうのはそういうんじゃなくて、この学校に在籍している児童の1年から6年、特殊学級も含みますよ、その児童が、授業終了から、こちらで決まっている時間まで遊ぶ。その代わり勉強もしちゃいけないし、またはおやつなんかも出さないし、そういうのを持ってきてもいけないということですね。で、時間まで遊んで帰る。」(チーフ インタビュー)

 

“はまっ子”は学童保育と連絡を取り合うことはなく、連帯はほとんど意識されていなかった。ひとりの子どものライフスタイルを中心に学校・学童保育・“はまっ子”が並立していることよりは、「学校とは違う」「学童保育とは違う」ことによって“はまっ子”の特性を明示することのほうに大きな意味付けがなされていた。さらにチーフは「学童保育っていうのは月謝をとるんだ。はまっ子っていうのは無料だから、学童保育のほうからは、大きな声ではいえないけど、やっぱりいろいろあるでしょうね」と声をひそめた。学童保育運動が“はまっ子”にあまり良い印象を抱いていないことを知っているのだろう。“はまっ子”側としては、学童保育に対しては「無関心を装いつつ敬遠する」といったところである。

 一方、“はまっ子”に対する学童保育側の意識は、親と指導員で若干異なっており、複雑である。両者の意識は「“はまっ子”は学童保育の代わりにはならない」という点では一致しているが、それぞれの立場によって微妙なずれが見られる。

学童保育と“はまっ子”の両方に所属する子どもの親にとって、“はまっ子”に対する意識は「無料は望ましいが頼りにならない」というものである。“はまっ子”には週2日、その他の日は学童保育に通っている3年生の男の子の母親は、次のように語った。

 

「(“はまっ子”は)異年齢の友達と安全な場所で遊ぶという目的ですが、実際は同じ学年のお友達と過ごすことが多いようです。(うちの子は)クラスの子と遊ぶ時間がないのでそんな意味ではいいかな?とも思っています。…(しかし)年1回の説明会で意見が出たのは、融通が利かなく子どもが体調不良を訴えたときに充分に様子を見ずに時間最後まで居させ、自宅で大変だったということで、あまり細かなことはできない印象を受けました。…説明会では、『毎日登録しないで下さい』『留守家庭の子どもを預かる場所ではありません』と言われていますので、私は“はまっ子”は学校のお友達との遊びの延長で、学童は家庭生活の延長と考えております。ですから“はまっ子”には特別多くは求めていません」(3年生児母親 アンケート)

 

“はまっ子”では、怪我や病気などの際は子どもを家庭に引き取らせることになっている。仕事を持ち昼間家を留守にする親たちにとって、「いざというとき」頼りにならない“はまっ子”は学童保育の代わりにはならないだろう。しかし、親たちの要望として「無料の“はまっ子”が学童保育の代わりをしてくれたら」というものがあることは想像に難くない。行政が開設場所を保障しない横浜市では、父母会が家賃を負担しなくてはならないため、保育料が月額平均12.600円あまりと一般的に高額である。金銭的負担から、普段は“はまっ子”で済ませ、夏休みなど長期休暇のときだけ学童保育を利用する母子家庭の例も見られた。

一方、市連協は“はまっ子”との差異化を図るために「留守家庭の子どもの放課後を守るのは学童保育」[市連協:2000]として、対象児童の違いをアピールする学童保育の生存戦略を打ち出している。従って市連協は親たちと異なり、“はまっ子”が学童保育の機能(おやつ提供、長時間開設など)を含有することに否定的である。指導員にとっては、学童保育と“はまっ子”の一本化は職を失う危機にもなり得るため、市連協の論理に与しやすい。ここに指導員と親たちの間の微妙なズレがある。

“はまっ子”問題は、学童保育の存続が問われる死活問題であると同時に、親と指導員の連帯に齟齬を生じさせる危険性も秘めている。

 

616.まとめ――「学校ではない子どもの居場所」として

“はまっ子”問題の焦点は、2002年に“はまっ子”が横浜市内の全小学校に設置されたとき、学童保育の形態がどう変化するかという点である。行政側の児童福祉の予算削減の意図によって、学童保育は“はまっ子”に吸収されてしまうのではないか。そうなったとき、学童保育の積み上げてきた細やかな保育実践は受け継がれず、立ち消えてしまうのではないか。おやつはどうなるのか。体調の悪い子どものケアは充分になされるだろうか。学校の中で開設することに問題はないだろうか。指導員は解雇・非常勤化されてしまうのではないだろうか。父母会は存続するだろうか。何より、子どもたちにとって望ましい状況は生まれるのだろうか。私たちは様々な不安を抱えている。

以上の“はまっ子”の調査を通して、2002年を境に現在の“はまっ子”と学童保育を一本化することは、子どもにとって望ましくないことが明らかになった。第一に、おやつ提供や体調不良時の保護など必要な福祉が満たされていないため、第二に、「学校的空間」として子どもたちの生活を抑圧するおそれがあるためである。

教育委員会は、夏休み実施、長時間開設などを盛り込んだ拡充案実施などを通して“はまっ子”の充実に積極的である。しかし、“はまっ子”が学童保育と全く同様の制度的体裁を整えたとしても、チーフとしての退職校長が遊びを管理し続け、学校施設の脱学校化が達成されない限り、一本化は望ましくないといえる。“はまっ子”の脱学校化は長期的に推進していく必要があるが、学童保育の処遇に関わる当面の問題としては、それが現実的でないことを認めるべきだ。学童保育はあくまでも、「学校ではない子どもの居場所」でなくてはならないだろう。

 

62.学校の中の学童保育

横浜市では、一般的に学校施設は学童保育のために開放されておらず、小学校の中で実施されている学童保育は全体の3%程度に止まる。市による専用施設の保障は、横浜の学童保育の最も基本的な要求のひとつである。ここでは、「専用施設が学校施設である」ということが、学童保育にとってどのような意味を持つかを考察したい。

 

621.田淵小学校内学童クラブの実施状況

本研究の対象となったのは、横浜市H区田淵小学校内にある「田淵学童クラブ」(仮名、以下、田淵クラブ)である。以下、田淵クラブの事業概要を見ていこう。

 

・背景:田淵クラブは、「学校の中に学童保育を」という住民の強い要望によって、教育委員会と横浜市と住民の話し合いの末、1978年に発足した。20007月現在で児童数は38人、指導員は常勤2名(40代女性:10年目、20代女性:3年目)と非常勤1名(40代女性)である。対象が田淵小学校の児童に限定されているため、他学区からの越境入学もあるという。

施設/設備:校舎内1階にある10畳程度の空き教室を学童保育の専用施設として主に使用している。指導員たちが「狭いでしょう」を連発する室内には、ストーブ、本、扇風機、ロッカー、食器だな、コピー、FAX、染め紙、ジグソーパズルなどがひしめいている。「専用施設」の面積だけを見れば、5章で取り上げためだかクラブ、虹クラブよりも狭い。一方、学校施設の使用がある程度認められている。放課後には校庭が開放されるが、ボールなど学校の備品は使えない。体育館の遊具も使用は禁じられている。音楽室と体育館は、指導員が電話して空いていれば使える。音楽室は夏と冬の勉強用、お泊り会、休み部屋として利用するという。

父母会:父母会は校舎内の学童保育の部屋で「うずくまって」やる。部屋の鍵は学校側から指導員が預かっており、夜11時くらいまでは使用しても大丈夫だという。

おやつ:食事作りは、ガスこんろがないのでホットプレートを代用して行っている。麺などは「流水面」といって洗うだけの麺が市販されているので、それを利用するなど工夫している。火が使えないので手作りはあまりできないが、冬はストーブがつくので、それを利用してやきそば、やきうどん、お好み焼きなどを作っている。

 

622.学校施設のメリット

学校の中で学童保育をやるメリットは、@「安全」とA経費削減である。

@“はまっ子”のアンケートにも見たように、親たちには学校施設の中は「安全」なものと認識されている。横浜では学童保育の施設数がまだ少なく、ひとつの学童保育にいくつかの学区から子どもが通ってくるのが当たり前である。学校より遠くの学童保育に通う子どもは多く、冬などは暗くなった道を30分以上もかけて歩いて帰宅するケースもある。学校の中の学童保育では、通学路の危険がないだけでも、親たちは安心なのである。子どもにとっても、「自宅」「学童保育」「学校」という日常生活の3拠点のうち2つが同じ場所にあることは、身体的負担の大幅な軽減になることに間違いない。また、「近い」ことは、指導員と教師との連帯をより産みやすい。田淵クラブの指導員は、子どもたちの担任と定期的な面談をしており、それ以外でも「何かあったとき」に連絡を取り合っていた。話すのは主に子どもの生活面においてであり、勉強については話さないという。また、学校の授業参観なども、指導員が「じゃ11組から、ダッダッダッという感じ」で子どもたちの教室を回る(指導員 インタビュー)。これらは、独立した施設の学童保育では実行するのが難しいだろう。

 さらに、A学校施設を使用することには経費削減というメリットがある。本来ならば相当高額に上るはずの家賃、電気代、水道代が掛からないことは、財政の厳しい学童保育にとって非常に重要である。しかし、家賃負担がなくなっても、父母の保育料負担や指導員の待遇は、当事者の満足を得るまでには改善されていなかった。田淵クラブの保育料は月額12.000円で、めだかクラブなどに比べれば低額だが、ほぼ市内の平均である。その分の運営費は、主に指導員の待遇改善に回されており、市の委託料から出る基本給146.000円の他に父母会によって経験給が付けられていた。指導員たちは「うちは経験給があるからいいけど」と現在の待遇を肯定すると同時に、「経験給を市が保障してくれればね、父母にそんな負担かけなくてすむんだよね」「父母にはもういっぱいですもんね、保育料出しててね」と親たちへのすまなさを強調した。運営費が他施設より潤沢であるといっても、指導員の待遇改善と父母の負担軽減が反比例の関係にあることに変わりはない。同額の経験給でも、父母会が負担するのと公的に保障されるのでは、指導員たちの心情に大きな差があるのだ。

 

623.学校施設のデメリット

 学校施設を利用することのデメリットは、@学童保育のあり方が学校との関係によって左右されること、A学校施設の脱学校化がなされておらず、不登校児が学童保育に来られないことである。

 @学校との関係については、前章で挙げた「教師との連帯」のようにプラスに作用することもあるが、マイナスとしても作用し得る両価的なものである。特に校長の存在は大きく、理解のある人物かそうでないかによって、学童保育のあり方が大幅に左右される現実がある。

現在の田淵小の校長は、学童保育に対して協力的であるという。田淵小では年に一度「校長面談」が設けられており、指導員と校長が話をする大切な場になっている。面談では、指導員が学童保育側の要求を文章にしてはっきり伝えるようにしており、そのおかげで音楽室も使えるようになった。また面談で、田淵小にはまだ“はまっ子”は存在しないが、教育委員会の方針によって“はまっ子”ができても「学童はつぶさない、共存していく」との校長の方針を確認しているという。「校長自身がかつて学童保育に子どもを通わせる親であったことが、大きく作用しているのだろう」と指導員は語っている。

しかし、指導員たちはまた、「今はいいけど、将来はどうなるか分からない」という不安を常に抱いていた。

 

「校長先生が“学童保育、目の上のたんこぶ”だったら、即出て行きなさいって可能性だってなきにしもあらず。…前はそういうこともあったらしいですよ。ボール一つとってもね、“学童のボールだ!”ってね。子どもが木に登って、塀に上ったりしていると、学童の子じゃないのに、“学童の子、そこ降りなさい!”って放送が入ったこともあったんだって。だから、校長先生しだいですよね。」(指導員 インタビュー)

 

 現在うまくいっているとしても、将来もそうである保障はない。「校長先生しだい」で命運が左右される現実は、学童保育にとってストレスの多いものであるだろう。

 また、A学校施設内で行われているため不登校の子どもが通いにくいことも、問題である。田淵クラブにもかつて不登校児がおり、「学校に行かなくても学童保育には来ていい。そういう子どもは他にもいる」という話が父母会で出たが、結局実現しなかった。学校を休むとどうしても学童保育も休んでしまうという。不登校児が「学校的」空間に対して忌避感を感じているならば、学校施設内の学童保育が「学校の一部」として忌避の対象となるのは当然である。単に部屋ではなく「教室」であること、単にグランドではなく「校庭」であること、単に遊具ではなく「学校の備品」であることは、学童保育を「学校的」空間に仕立て上げるのに充分なのだ。

 

624.まとめ――「学校施設の利用」は最後の手段

以上の考察から、学童保育による「学校施設の利用」について、以下のようにいうことができるだろう。

「学校施設の利用」は、最終的には広く行われるべきだが、現在の状態では決して望ましいとはいえない。しかし、開設場所の確保に奔走する親たちの現状に鑑みれば、応急処置的な「専用施設の家賃の一部負担」の一環として小学校の空き教室を学童保育に提供することが必要であろう。すなわち、学童保育運動における「学校施設の利用」の位置づけは、以下のような「長期」「中期」「短期」の3段階で展望される必要がある。

 

@長期的展望:学校施設が完全に脱学校化され、地域に開放される。学童保育の学校施設利用は積極的に推進される。

A中期的展望:学校の中の学童保育は、「学校との関係によって学童保育の運営が左右される」、「不登校児が通えない」などの問題を抱えていること、それが子どもにとって重大な問題であることを認識し、学童保育の学校施設利用は望ましくないものとする。それとともに、学童保育運営の学校からの独立や学校施設の脱学校化に向けて尽力する。

B短期的展望:横浜市における学童保育の開設場所の不足を緊急に解決すべき深刻な問題を受け止め、応急処置的に「最後の手段」として学校施設を学童保育に開放する。

 

市連協の論理における「学校施設の利用」の位置づけは、複雑である。

 学童保育運動においては長年のあいだ「小学校の余裕教室の開放」が求められてきたが、市はこの要求を無視し続けていた。“はまっ子”問題が浮上してからは、「学童保育には許さなかった学校施設の利用を“はまっ子”にはあっさり許可した。行政は留守家庭児童にとって差別的である」との議論がなされ、「学童保育にも同じように学校施設の利用を許可するべき」との方向性が打ち出された。また、「ゆめはまプラン」によって状況が切迫してきてからは、“はまっ子”との一本化を避けるため、差異化の一手段として「“はまっ子”は学校、学童保育は地域」といったレトリックも使われるようになったため、「余裕教室」の文字は「専用施設」という言葉になって署名用紙の前面から消えた。

 状況に応じて方向を翻し、半ば錯綜しているように見える市連協の論理は、上に示したような段階に沿って整理される必要があるだろう。

 

63.公設公営の学童保育

ここで東京の公設公営の学童保育に目を転じてみよう。学童保育には実施形態の一律の基準が定められていないため、自治体によって施設の実態が大きく異なっている。横浜の学童保育を相対化し、より望ましい制度を模索する上で、東京都の施策に触れる意味は大きいだろう。

 

631.東京都品川区の学童保育

東京都の学童保育事業は、公設公営・公費負担の原則を全国に先駆けて成立させたことによって高い評価を得ている。1965年には「東京都学童保育事業運営要綱」「学童保育指導要領」が策定され学童保育事業における公的な保障が約束されると共に、当初非常勤だった指導員の身分も1974年の「東京都地区児童館設置運営要領」によって常勤化、正規職員化された。ここにおいて確立された「児童福祉施設として、児童館事業の一環として位置づけ、学童保育独自の施設・部屋を確保し、児童40人に正規職員を二人配置する」という原型は、1998年の学童保育の法制化の内容を大きく上回るものだった[下浦:1998]

しかし、近年では「行政改革」によって保育行政にも利用者負担が導入され、指導員の非常勤化や事業の民営化が進んでいる。1998年学童保育が児童福祉法に盛り込まれると、全国的な基準に合わせる形で、東京都は「学童保育事業運営要項」を「学童クラブ実施要綱」に「改正」し、「学童保育指導員要領」を「事業が定着している」として廃止した[12]。その結果、保護者負担の増加と指導員の非常勤化が促進されることになった。

それでも、横浜の実態から比べると、東京都では少なくとも制度的には遥かに充実した事業運営が行われている。東京都では、学童保育の料金は、ほとんどの施設が保育料としてではなく「間食代(おやつ代)」として徴収している。保育料が設定されている施設でも、2.000円〜5.500円と、横浜市の月額平均12.600円に比べて格段に安くなっている。また、学童保育の設置率は、23区では公立小学校908校に対して816ヶ所の約89.9%となっている[都連協:1998]が、これは横浜市における設置率(公立小学校347校に対する150校の約43.2%)の2倍以上である[市連協:1999]

このような東京都の背景を踏まえ、本章では特に品川区の学童保育に焦点を当てて論じたい。品川区を選んだ理由は主に、公設公営・公費負担という原則に適っており、且つ児童館と学童保育の「一体的運営」によって指導員の非常勤化が問題となっている点において東京都の学童保育の典型といえるためである。

品川区では、40校の公立小学校に対し40の学童保育が存在しており、設置率は100%である。開設場所は「児童館内設置」が22ヶ所(54%)と最も多く、次いで「その他公共施設」が17ヶ所(38%)、「学校施設」が1ヶ所(8%)となっている。100%の公的施設開設は、横浜の80%近い「民間アパート」開設とともに、全国的に見ても特異な分布である(図2[全国連協:1999]

 品川区の学童保育はどのような現状にあり、充実した制度の下でどのような問題を抱えているのだろうか。以下、個別のケースを中心に見てみよう。

 


〈図2

 


632.品川区みなと学童クラブの実施状況

「公設公営の学童保育」として、品川区「みなと学童クラブ」(仮名、以下、みなとクラブ)を取り上げる。みなとクラブの常勤指導員Sさんは、品川区で20年以上指導員を続けているベテランの男性であり、都連協の幹部でもある。公設公営という運営制度について、プラスとマイナスの両面から語ってもらうことが可能だと考え、当施設のケースを調査した。みなとクラブの実施状況は以下の通りである。

 

背景:19784月よりスタート。行政が規定する定員は40名だが、20005月現在、児童数は1年生〜3年生の30人である。保育料は、品川区一律で3.000円である

施設/設備:行政が準備した2階建ての一戸建てに開設している。床面積は173uである。施設の1階部分は床張りになっており、一輪車、ボール、マットレス、飛び箱、ローラースケートなどを使って雨の日でも体を動かして遊べる広い空間になっている。2階部分は、おやつを食べたり静かに遊んだり、具合の悪くなった子どもを寝かせたりする畳のスペースである。さらに、指導員が事務仕事をするための部屋があり、事務机、コピー機、ワープロ、ラジカセ、などが備え付けてある。全体的に、施設は立派できれいだった。行政の指定した業者が定期的に清掃に来るということだ。

指導員体制:正規職員2名(40代男性、40代女性)、非常勤1名、障害児加算のアルバイト1名の4人体制である。

開設時間:通常の保育時間は下校時から午後6時まで。春・夏・冬休みなどの学校の長期休業時は朝830分から午後6時までとなる。

 

633.行政の介入と指導員の葛藤

公設公営とは、学童保育が行政から「カネをもらって口を出される」制度である。横浜においてしばしば「保育料が安くなって、開設場所はきれいなのを行政が確保してくれて、指導員の待遇も良くなって」と運動のゴールのように語られる公設公営だが、そこには「行政の介入」という落とし穴がある。みなとクラブでは、行政の介入と自由に運営を行いたい指導員の間に葛藤が見られた。

品川区では「おやつは市販のものを与える(手作りしてはいけない)」「キャンプなどの合宿は禁止」「通信は月1回程度にしなければならない」「連絡帳は新1年生のみとする」「保護者会は年間34回にする」などの細かい規制が行われていた。「品川区児童センター事業運営実施要領」の「学童保育クラブ」の項目には、以下のように規定されている。

 

(おやつの提供)事前に、市販の菓子等(果物を含む)を数日分購入し、当日の出席児童に提供する。

(保護者への情報提供と収集)通信等のおしらせは、月1回程度の発行とする。連絡帳は、新1年生のみとし、その他、必要に応じて対応する。保護者会は、年度当初の指導説明と夏休みの過ごし方を含め、年間34回以内で開催するものとする。保護者会は館長[13]の出席により、2時間以内で終了すること。

留意点:合宿については、学童保育の単独事業では行わない。[品川区児童センター事業運営実施要領]

 

更に、19979月の「児童センター行政検討委員会報告」では、合宿について以下のように説明される。

 

合宿は、@学童保育クラブ事業は一定時間適切な保護が受けられない状態にある児童を、区が保護者に変わって保護することを目的とした事業であるので、夜間や休日保護者が在宅し保護に欠けていない時間に区の責任で宿泊させる必要はない、A児童センターでは児童の健全育成事業の一環としてキャンプを行っており、学童在籍児にも門戸が開かれている…などの理由により廃止すべきと考える[品川区児童センター行政検討委員会報告]

 

 品川区はこのような状況下にあるが、みなとクラブにおいてはこうした規則は守られておらず、指導員は葛藤しながらも独自の実践を行っていた。

通信は「月1回程度」とされているが、みなとクラブでは月1回の行事などを知らせる「お知らせ」と、週1回の子どもたちの生活を伝える「かんばれ通信」を発行している。連絡帳は全員が毎日出す。また、みなとクラブの行事は、親子遠足、遠足、児童館と合同でのウォークラリー、お楽しみ会、卒会進級おめでとう会、誕生会など様々なものが企画されており、合宿(キャンプ)も行われている。さらに、父母会への指導員の参加は行政に規制されているにもかかわらず、みなとクラブの指導員Sさんは、父母たちが月に1回行う父母会役員会にも参加している。これらの実践について、Sさんは以下のように語る。

 

「行政の発想は『手厚い保育はもう必要ない』というものだ。怒りを感じる。みなとクラブでは学童保育としての良さを保っていきたい。行政の規制に触れるか触れないかというぎりぎりの範囲で、きめ細かい保育をしていきたい。連絡帳などは、『新一年生のみ』の後に『その他必要に応じて』と留保があるのでそこを利用して、全員『必要』だということにする。通信も、月一回『程度』だからもっと出してもいいことにする。子どもたちが、学校など学童以外の友達を連れてくることもある。行政は『何かあった時に責任を持てない』から外部の子どもを入れてはいけないと言っているが、そこも腹をくくって子どもたちの気持ちや地域とのつながりを大切にしている。…この前、キャンプをしたら、ちょうど行政の監査が入って、『外出時でも指導員一人は施設で待機するように』と言われた。誰もいない施設に一人で残ってどうするというのか。融通が利かない。…(父母会の)役員会には、夜はプライベートだから何しようと行政には関係ない、という気持ちで参加している。」(Sさん インタビュー)

 

Sさんにおいては、キャンプ、通信、連絡帳、父母会への指導員の参加などは学童保育の保育を支える上で重要な実践であると認識されている。それらを「必要ない」と切り捨て、細かな点まで規制する行政に対して、Sさんは不信感を抱いている。それは「事業基盤を行政によって保障されること」と「現場における裁量の自由」とが両立しない現状に対する憤りでもあるだろう。

 さらに、「学童保育の質の高い保育実践を守るために行政と葛藤する」というSさんの現実は、指導員が公務員化しても「シャドウ・ワーク」という罠から逃れられないことを示している。そこにあるのはなお、「質の高い保育=指導員の無賃労働」という横浜のめだかクラブの指導員たちが陥らされた構図である。公設公営という運営制度は、指導員の公務員化によって指導員の専門性を保障したが、それは資格という制度的な専門性であって、現場における保育実践に基づく「経験」という専門性ではなかったのだ。

 

634.「専門性の制度化」が行われるとき

 以下では、「指導員が公務員である」という東京都の実態を例に取りながら、専門性の制度化に伴う問題を考察したい。学童保育指導員が、一般的にケア労働に従事する者であるゆえに専門性が重要視されないことは5章でも指摘した通りであるが、「公務員としての指導員」における専門性の問題とはどのようなものだろうか。

 

・公務員としての指導員

東京の指導員は児童指導職(福祉職種短大卒)二類に相当する公務員である。児童福祉法によれば児童指導員とは、「厚生大臣指定の児童福祉施設の職員を要請する学校、その他の養成施設を卒業した者。大学で心理学・教育学又は社会学を修め学士と称することができる者。高卒または文部大臣がこれと同等以上の資格を有すると認めた者であって、二年以上児童福祉事業に従事した者」また「小中高教諭の資格を有する者であって、厚生大臣または都道府県知事が適当と認める者」「三年以上児童福祉事業に従事した者であって、厚生大臣または都道府県知事が適当と認める者」に与えられる任意資格である。

手当ては、行政職給料表によると、新卒採用で160.700円(1級−8号)、1年以上勤務で203.700円(2級)、2年以上で222.400円(3級)となっている。また、育児休業制度、育児時間、介護休暇制度などが保障されており、区によっては被服貸与や土曜勤務手当てなどもある[学童保育編集委員会:1999]。横浜の指導員が、1年毎の契約雇用で手当てもずっと146.000円であることに比べると、非常に恵まれた待遇である。Sさんは「横浜の状況はひどい。指導員の公務員化は事業の公設公営化の一環として推進されるべきであり、そのための運動が不可欠」と語る。

しかし、指導員が公務員であることには、@「人事権が父母会にない」、A「指導員が学童保育運動に関わりづらい」といった問題点もある。

第一の人事権の問題は、父母と指導員の連帯に関係している。公務員としての指導員には移動・転勤がある。児童指導職として採用されれば、主に45年のサイクルで、学童保育、児童館、保育園など様々な施設に配置される可能性があるのだ。公務員化は、「その学童保育の指導員」という固有性を離れ、「児童指導のプロフェッショナル」という存在をもたらす。横浜では、指導員が地域に密着しており、父母会と強い情緒的な連帯関係を築いているが、指導員の移動が行われるようになれば、そのような関係は絶たれていくだろう。そこでは「頼りにしていた指導員が移動してしまった」「子どもが学童保育を卒所して訪ねても、顔見知りの元の指導員がいない」といった問題が予想されるのである。指導員の雇用にまつわる人事権は、サービスの直接の受け手である子どもと親に帰属するのが望ましいといえる。一定年間ごとの指導員の移動は、見直しを怠った経験至上主義的な「保育のマンネリ化」防止に有効であるとしばしばいわれるが、現場から行政への人事権の移動は、その問題の解決策としては、ふさわしくない。保育のマンネリ化は、指導員の専門性の社会的評価と研修制度の整備によって乗り越えられるべきであろう。

第二に、学童保育運動における指導員の位置づけも問われなくてはならない。横浜では、指導員は父母とともに積極的に学童保育運動に関わっているが、指導員が公務員となり、学童保育内の移動のみならず周辺の児童福祉施設も含めて数年で転々とすることになれば、学童保育運動の中心的な担い手であり続けることは難しくなるだろう。

みなとクラブのSさんは品川区で20年以上指導員を務めており、学童保育運動への関与も非常に深いが、「行政から他へ移れという話もあった。区としては、運動に関わっていくような使いにくい人間は余所へやりたいのだろう。断り続けてきた」と、自分が公務員の中では「異端」であることを匂わせた。みなとクラブでは指導員が公務員であることによる問題は生じていないが、それは先に挙げた「行政に参加を規制されている父母会に積極的に携わる」という行為のように、行政と葛藤してまでも父母との連帯を重視しているSさんの独自のコミットメントによって支えられているのである。

 

・常勤になれない指導員

一般的に、公設公営の学童保育における指導員の待遇問題は、解雇・非常勤化である。解雇・非常勤化が行われるのは、@民営から新たに公設公営化される際と、A公設公営の施設において職員体制が見直される際である。

@は、新たな公設公営化に際し、指導員の継続雇用がスムーズに行われず、既存の指導員が解雇・非常勤化されるという問題である。法制化を受けて、98年以来学童保育の公営化は全国的に見ても増加の傾向にあり[14]、このパターンは近年の学童保育問題の中でも非常に深刻なものとなっている。[全国連協:1999]。千葉県船橋市では、2000年度より学童保育を「放課後ルーム」として公設公営化し、それに伴って指導員は一年雇用の自治体の非常勤職員になった。民営からの移行に際しては、朝日新聞の報道によれば、「試験が導入され、昨年度までいた五十三人が受験したが、採用されたのは十九人。二十年以上経験あるベテランの多くも不採用になった」という[朝日新聞:2000]

Aは、財政の効率化という行政の方針によって指導員の解雇・非常勤化が進んでいることであり、東京都の学童保育でも問題になっている。葛飾区などでは、それまでの常勤2名から「常勤1名、非常勤2名」という新たな体制に変わり、「非常勤は勤務時間が短いので常勤との意志の疎通がはかれず、保育計画が立てられない」「常勤の事務的、精神的負担が増える」などの問題が起こっている[都連協:1999]。品川区でも、「児童館と学童保育の一体的運営」が実施され、児童館内の学童保育の指導員が実質的に削減されていた。自治体の職員とはいえ、非常勤の待遇は悪い。品川区では、非常勤の勤務時間は1100600で年収は200万に満たないという。

 

「行政の発想は『手厚い保育は必要ない』というものだが、そうではない。学童保育指導員の仕事は、『その時間その場所にいて子どもを見ていればいい』というものではない。子どもが帰って来るまでの、午前中の打ち合わせや準備も、大切な仕事だ」(Sさん インタビュー)

 

学童保育指導員の仕事は、非常勤ではこなせないとSさんは語る。

佛教大学総合研究所が行った「学童保育指導員の業務に関する調査報告書――タイムスタディによる職務分析――」(19972月)を参照しよう。これは、大阪府、京都府、滋賀県、兵庫県の学童保育指導員200名(回収数174名)に対して、そのタイム記録を調査・分析したものである。それによれば、学童保育指導員の総労働時間に占める仕事内容の割合は、@「個別児童への援助」2.3%、A「家族支援」0.4%、B「保育指導」48.3%、C「指導を支える」48.9%である。このうち、@「個別児童への援助」には「気になる子への援助」「欠席した児童への援助」など、A「家族支援」には「家族関係の調整」「生活(就労)援助」など、B「保育指導」には「遊び・分かかる同の指導」「生活活動の指導」など、C「指導を支える」には「個別児童の状況把握」「保育準備」「施設の運営管理」「技能と労働条件の向上」などが含まれる[学童保育編集委員会:1999]

ここでB「保育指導」と並んでC「指導を支える」に多くの時間が割かれていることに注目しよう。「子どもが帰って来るまでの、午前中の打ち合わせや準備」はここに含まれるのであり、実に半分近い時間が割り当てられている。指導員の非常勤化は、指導員の待遇の悪化であるとともに、保育の質を大幅に下げるものであり、子ども・親にとっても望ましくないといえる。

 

・「経験」か「資格」か――専門性のディレンマ

指導員の専門性は、「制度的に測定しがたいケアという労働の特殊性」と、「それゆえに軽視される社会的風潮」という2つの現実の狭間で、「経験か資格か」という不毛な二者択一を迫られている。そこで突きつけられる問いは、「『経験』を取って社会的認知を得ない状態に甘んじるか、『資格』を取って現場との連帯を手放すか」というものである。指導員の公務員化は、「資格」を取るという選択の結果であった。しかし、「既存の枠組みの中でどちらかを選択すること」が解決にならないことは上に見た通りだ。

 保育現場で求められているのは、資格試験をパスする能力より「経験」である。が、「経験」は言葉にできるものではなく、測定されるべき指標となり得ない。しかしながら、社会的認知を得るためには、言語化と指標化に基づく制度化が不可欠なのである。ここに、専門性の問題が抱える深刻なディレンマがある。

 指導員の専門性における「経験」の言語化は、連協によってしばしば行われる。しかしそうした試みは、「経験」の中身を説明している点で意義は深いが、なかなか成功しているとは言い難いのが現状だ。以下は「学童保育指導員に求められる専門的知識と技能」と題された、市連協の講演会資料である。

 

「学童保育指導員に求められる専門的知識と技能」

@学童保育に対する親の願いと学童保育の役割が理解できていること。

A小学生期の子ども理解(現状、心理、発達に関すること)

・個々の意欲を引き出す働きかけができること

・こじれた人間関係を察知し、子どもたち自身で修復していけるようサポートできる

B留守家庭の子ども理解

・心の変化を読み取り、共感しながら適切な対応ができる

C放課後の生活に対する理解

D子どもにとっての遊びの意味の理解と遊びの指導に関する知識、技能

・子どもたちと一緒に楽しく遊び、活動できること

E生活にまつわる諸々の労働、生活技術

F集団での生活を時間と空間の両面から組みたてること

・子どもの実態を踏まえた保育計画が立案できること

G生命と生活を預かる上での基本的知識と技能

・病気やけがの基礎的知識、救急処置、危機管理能力、施設の維持管理と整備能力

H働きながら子育てする父母への理解と共感をもって、子どもの生活を親に伝える

I父母の願いや相談に応じながら、働く家庭の生活を支え励ます

J父母同士の結びつきをつける

K学校や地域、行政機関、他の児童福祉施設の理解と協力を得る働き掛けができる 講演会資料[連協:2000]

 

ここでは、子どもの放課後の生活を見守るのみならず、父母との連帯、父母同士の交流の促進、運動への参加までもが「指導員の専門性」として語られる。行政側の「手厚い保育は必要ない」という発想に対抗して、「これほど手厚い保育が必要なのだ」と経験的側面を強調しているのが伺えるだろう。指導員の仕事は、「その時間その場にいて子どもを見ていればいい、簡単な仕事」といった最小限の解釈が成り立つ反面、子どもや親の生活に深くコミットしていく作業であり、細部を追求していけば際限がない。そのため、経験的な仕事内容を言葉にすればしたとたんに、さらなる仕事が要求されることになる。横浜のある指導員は、「こんなに少ない給料でここまでの内容を要求されてはたまらない」と本音を洩らした。

問われているのは、「子ども」という存在に対して、彼らの育ちの過程に置いて、大人としてどこまでコミットしていくかということである。学童保育側がコミットメントを惜しまないとするならば、「手厚い保育は必要ない」という行政の論理に自らを対置させる必要はない。そこにあるのは、「行政もまた、子どもに対するコミットメントを惜しむべきでない」という働きかけの主張であるはずだ。「行政の子どもに対するコミットメント」とは、運営に介入することによって公務員と公営施設を管理することとは違う。具体的には、「指導員の待遇を公的に保障し、かつ人事その他の裁量は現場に委ねる」という新たな制度の実現である。それは、子どもの育つ最善の環境を学童保育の親・指導員とともに模索していく行政の姿勢に他ならない。

「経験か資格(制度)か」の選択ではなく、「経験の制度化」が求められているのである。

 

635.まとめ――「公設公営」を超えて

・「夢みたいな話」?

以上では、「公設公営」という運営制度下にある東京都の学童保育の現状を考察した。「開設場所・指導員の待遇の保障、保育料の公費負担」といった恵まれた条件を持つこの制度は反面、行政の介入や「経験」より「資格」が尊重される公務員としての指導員など、様々な問題を抱えてもいた。このような東京の現状から、横浜の学童保育は何を学ぶことができるだろうか。横浜の学童保育運動によってしばしば理想化される「公設公営」であるが、批判的な視点を加えた上で、横浜に適用すべき形態を以下のようにまとめることができるだろう。

 

@「公費負担」:開設場所、保育料、指導員の賃金などの基本的な制度的基盤は原則的に自治体が保障する。

A「民間委託運営」:指導員の人事権を含む運営の裁量は、各施設の父母会に帰属するものとし、行政は現場の決定を尊重する。

B「指導員の待遇保障」:指導員を公務員化しないまま、指導員の専門性における「経験」を重視し、安定した雇用を保証する。

 

 このような要求は、しばしば行政によって厳しい財政状態を顧みない「都合の良い」現場の主張と見られるばかりか、当の学童保育の親、指導員によっても、現実味の薄い「夢みたいな話」として切り捨てられる。なぜなら、これが「行政がカネを出して口を出さない制度」だからだ。学童保育は「カネは出ないが自由にやれる」か「カネをもらって口を出される」か、という選択を余儀なくされてきた。まして、公設公営を行政が拒否し続ける横浜では、そのような「選択」の余地すらなかった。横浜の指導員は、「理想の学童保育」について以下のように語る。

 

「だから、ほんとはね、いいとこどりできたらいいんですけどね。何事も。例えばその、転勤はないとか、公立になっちゃうと普通外出とかってすごい厳しいじゃないですか。東京ってないでしょ、キャンプもできないとか。そういうこともできて、いいとこだけ残るといいなって。」(指導員 30代女性 インタビュー)

「施設はきれいにして。待遇は、それで生活できるお給料もらえて。で、転勤はまあ、3年は短いから10年とかね。そういうふうに、リフレッシュすることも大事かもしれないんだけど。行事も廃止はいやだし。(行事は)私たちが決めるんじゃなくて子どもたちが決めて、っていう、子どもの自主性を尊重したいと思ってるんで。何にもできない、枠が決められちゃうとね。さみしいかなって。でも、それでも子どもは育っていくのかなぁ。まあ、施設はぜったいほしい。施設と待遇面ね。あとは、ほんとに、今までの学童のいい部分を据え置いてもらって、ってなったら嬉しいけど、その辺は難しいでしょうね。きっとね。はまっ子もあるし。夢みたいな話だけどね。」(指導員 40代女性 インタビュー)

 

「施設と待遇と自由な運営の保障」という当然とも思える要求が、「夢みたいな話」としてしか語られない現実がある。しかし、それは本当に「身勝手な現場の要求」であり「夢」に過ぎないのだろうか。

以下では、中央集権型から地方分権型へと向かう行政の主体の推移という点から、学童保育の新しい制度を考察してみよう。

 

21世紀の福祉における地方分権の必要性

宮本憲一は、1980年代後半以降国際的に高まりつつある地方自治の動きを、@国際化への適応、A増大する福祉問題・環境問題への対応という2点から分析している。@国際化への適応とは、1985年ヨーロッパ閣僚会議における「ヨーロッパ地方自治宣言」が示すように、EUのような国民国家の領域をこえた国際的な政治・行政組織が機能するには地方自治が必要になるということである。近代中央集権的国民国家が成熟しきった先進工業諸国では、国際化の中で新たに地方分権が求められているのだ[15]。ここで注目したいのは、A福祉問題・環境問題への対応である。少子・高齢社会で増大する児童福祉・高齢者福祉のニーズを満たすには、自治体と住民団体、コミュニティ・レベルのNPOの協同が不可欠になってくる。このことは、ソ連、東欧といった中央集権型の福祉国家の背負った限界と、北欧諸国の福祉実践をみれば明らかだ。日本においては、2000年の介護保険制度の施行以来、福祉のビジネス化が、受益者の負担や介護の質をめぐって問題化している。それは80年代のベビーホテルが児童虐待など深刻な保育の質の低下を招いたことと同質の問題であり、民間業者による福祉ビジネスの限界を示唆するものである。「必要な福祉サービスを必要に応じて確実に迅速に提供する」ことは、住民団体やNPOなど第3セクターによる「住民参加型地域福祉」によること望ましい。また、環境問題では、廃棄物の処理とリサイクルなどコミュニティ・レベルの公共政策がますます必要になってきている。工業化と経済発展が飽和した先進工業国において、「維持可能な社会sustanable society」を展望したとき、地方への政治・行政の権利委譲は必須なのである。

日本では19936月、衆参両院が全党一致で「地方分権の推進に関する決議」を行い、分権推進法による分権推進委員会が設置された。しかしそれにもかかわらず、日本の経済の中央集中と政治・行政の中央集権は、90年代の経済・政治・行政において混乱を招く大きな原因となり、現在も問題を生み続けている。宮本は、日本の分権化の方向性を「中央と地方の事務配分を中心とした団体自治にかたよって、住民参加を中心とした住民自治についてはほとんど改革の方向がしめされていない」と批判し、「21世紀は地方自治の時代になるといってよいでしょう。そしてこれは、『小さな政府』の地方版のような古典的地方自治ではなく、公共政策の母体となるような現代的地方自治であり、たんなる国家の機能を分権した官僚機構ではなく、住民の結集体としての自治体をつくることでしょう」と地方自治の展望を示す[宮本:1998]

 

・住民参加の実践としての学童保育

そのような地方自治の実現に向けて、現在求められているのは住民参加の制度化であろう。上述した学童保育の制度改善は、この流れの中に位置づけることができる。行政が指導員に待遇を保障し、運営と管理の権限は現場の子ども・親・指導員に帰属する学童保育の試みを、横浜市が制度化することができれば、それは全国的に見ても先進的な「住民参加型地域福祉」の成立に向けての、意義深い一歩となりえる。

住民参加の制度化は、行政の受益者としての住民ではなく、福祉の提供者であり「主権者」である住民の主体性を回復することにつながる。そこにおける公務員の位置づけは、もはや地方行政の直接の担い手ではなく、地方行政を担う住民のニーズを運動や世論から汲みとり、政策に具現化する仲介のプロフェッショナルということになる[宮本:1998]。この点からも、学童保育指導員を「公務員化」する必要はもはや、ないといえる。

 さらに、「公費負担」「民間運営」「指導員の待遇保障」という3条件は、行政サイドにとっても、受け入れられる土壌を持っている。第一に、短期的には財政改革によって公務員定数が削減される傾向にあること、第二に、長期的には住民参加によって福祉の効率化がはかれることなどである。また、この運営制度は、他の事業にも適応できる汎用性を持っているため、学童保育に限らず福祉や環境保護などを目的とする様々な第3セクターの運営を考える上でも、有効である。

 これからの学童保育運動は、公設公営を超えて、行政と連帯しつつ「運営主体としての住民」の可能性を求めていくべきであろう。学童保育が、「カネか自由か」という二項対立から「住民参加型地域福祉」を展望するまでに、ようやく私たちはたどりついた。

 

64.世田谷新BOP

本章では、世田谷新BOPについて考察する。世田谷新BOPは、小学校の空き教室を利用した「全児童対策」と学童保育を統合した事業である。統合の現場ではどのような状況が起こり、何が問題となっているのだろうか。横浜で“はまっ子”と学童保育の差異が問題化している現在、新BOP問題が横浜の学童保育に与える示唆は極めて大きい。

 

641.新BOPとは

世田谷区の「新BOP」は、全児童対策事業「のびのび世田谷ベース・オブ・プレイング(Base Of Playing)」(以下、BOP)と、学童保育が統合された事業である。

BOPとは、「世田谷区立小学校における児童の放課後遊び場対策に関する要綱」によれば、放課後の小学生児童に対して、小学校の空き教室・体育館・校庭などを「遊び場」として開放し、「上級生と下級生との交流を促進するとともに創造性、自主性、社会性を養い、もって児童の健全育成に寄与する」目的で創られた全児童対策である[全国連協:2000]BOPは教育委員会の所管により、1995年よりスタートした。指導員体制は、主に校長退職者である「事務局長」と、非常勤・アルバイトである「指導員」「プレイングパートナー」の3人であり、彼らが子どもの遊びと安全の管理を行っている。BOPは、「小学校の空き教室利用」「全児童対策」「事務局長に退職校長を適用」といった点から、横浜市における「はまっ子ふれあいスクール」と同質の事業と考えることができる[16]

世田谷区には、保健福祉部児童課の所管する事業として、全児童を対象とする児童館と、留守家庭児童を対象とする学童保育が、教育委員会教育政策担当課が所管する事業として「遊び場開放」が、既に存在していた[17]。そうした児童福祉事業の中で、BOPは立ち後れた事業であったにも関わらず、1999年には区内小学校64のうち46校で実施されるなど、公設学童保育の施設数47に迫る勢いで設置されていった。

こうした経過と緊縮財政を背景に、BOPと学童保育の一本化についての議論が区議会の中で高まり、1999年ついにBOPと学童保育の機能を併せた「新BOP」が、4つのモデル校で実施された[18]。公設公営の学童保育をBOPに統合し、区の直営で運営するというものである。新BOPでは、事務局長に加えて児童数10名以上に正規職員1名、児童数40名以上に対して正規職員2名とし、他は児童数に応じて非常勤職員(週5日程度16時間勤務型)を配置している。また、開設場所に関しては、普通教室2つ程度の確保を標準とし、そのうちの一つは「学童クラブ機能用スペース」として調理・空調設備を設けるとのにするとの規定が設けられた。

区は2004年までに全小学校に新BOPを設立することを計画しており、2000年度には新たに13校が新BOPを導入した。20007月現在、世田谷区には、64の小学校のうちBOP36校、新BOP17校に設置されている。全児童対策と学童保育の統合の過渡期にあって今、新BOPは様々な問題を孕みながら方向を模索している状態である。

 

642.滝谷小学校新BOPの実施状況

本研究の対象となったのは、世田谷区滝谷小学校(仮名、以下、滝谷小新BOP)の新BOPである。滝谷小新BOPを選択したのは、第一に、当新BOP1999年度に実施された4校のモデルケースのうちの一つであり2000年度で2年目を迎えているので実践の蓄積があると考えられたため、第二に、学童保育専用の部屋が確保されていないなど、全児童対策に学童保育が統合される際の問題が顕在化しているためである。

以下が、滝谷小新BOPの実施状況である。

 

背景:1999年より新BOPとしてスタート。20007月現在、新BOPの登録児童は全校生徒428人中340人、そのうち学童保育登録は25人である。一日の子ども数は、普段は7080人程度だが、多いときには100人を超える。

施設:実際使用するのは校舎と離れた体育館棟の3階の30畳ほどの元会議室1室のみ。中央を仕切って2つに区切るなど、場合によって工夫する。学童保育の子どもがおやつを食べる部屋が確保されていないため、普段は薄いカーテンを引いて、その中で食べている。たまに家庭科室が使えるが、そちらは校舎にあるので遠く不便であるという。

指導員体制:事務局長(60代男性、元中学校校長、勤務歴4ヶ月)、常勤指導員1人(40代女性、学童保育指導員歴20年以上)、非常勤3人、プレイングパートナー(アルバイト)1人の5人体制。

学童保育:学童保育の子どもにはおやつが出るが、BOPの子にはない。また、学童保育の子どもは毎日連絡帳を出す。学童保育の保育料は、おやつ代として月額2.000円かかる。

父母会:学童保育の親たちが近くの地区会館で土曜・休日の夜などに行っている。指導員は父母会には参加しておらず、親とのコンタクトは日々の連絡帳と保育懇談会で取っている。BOPには、父母会はない。

 

643.学童保育の機能とは何か

・「カーテンで仕切っておやつ」

BOPへの統合を学童保育の観点から見たとき、一番に問題となるのは「学童保育の機能はどこまで保持されるのか」という点である。学童保育の中でそれまで行われていた細やかな日常の個別対応、手作りおやつ、イベント、行事その他の様々な実践は、新BOP内でどこまで継続され得るのだろうか。それらが限りなく削ぎ落とされていったとき、最後まで残るものは何なのか。新BOPにおける学童保育の実践は、「全児童対策とは異なる学童保育の機能とは何か」を示すことになった。

滝谷小新BOPでは、学童保育とBOPの保育の上での違いは、「おやつ」と「連絡帳」とされていた。

連絡帳は、常勤指導員のTさんによれば「家庭と職員を結ぶノート」であり、「体調のことだとか、帰る時間とか、必要なことを書いてもらって、そのノートを見て子どもを把握する」親との伝達ツールである。学童保育登録の子ども25人が毎日出し、出欠管理を含めて指導員がチェック、コメントをする。また、おやつは所定の時間になると学童保育の子どもだけを集めて与えている。

おやつは「学童保育は家庭に代わる子どもの生活の場であり、副食を提供する必要がある」という学童保育側の主張が通って、新BOP後も残された。新BOPに対しては一般的に専用の部屋を2つ以上確保することが規定されているが、滝谷小新BOPでは部屋が1つしかないため、おやつを食べる場所が問題になっていた。部屋数が多ければ、学童保育の子どもを一部屋に集めておやつを与えることができるが、部屋が一つではそうもいかない。そこで滝谷小新BOPでは、時間になるとカーテンで部屋を仕切り、おやつ用のスペースを確保するという方法が取られていた。そのため、薄い布のカーテンの内側では学童保育の子どもたちがおやつを食べ、外側ではBOPの子どもたちが遊んでいるという状況が発生していた。Tさんは、「学童保育の機能を守るためには子どもたちを分断しなくてはならない」という現状に対する憤りとあきらめを込めて、以下のように語った。

 

「普段はここ(新BOP)に一緒に来るわけですよね、子どもたちが。学校から、玄関にどどっと来て、そのまま3階に上がって、ランドセル置いて、一緒に遊ぶんですけど、本当に、おやつぎりぎりまでおんなじなんですよ、行動は。3階を拠点にして遊んだり、校庭や体育館に行って。ただ、おやつの時間になると、学童の子だけ、おやつだよーって大きな声でいえないから、もう時間よ、集まる時間よっていって集めて、で、カーテン閉めて。このクリーム色のね。カーテンを閉めるんですよ。…で、カーテンの内側では食べている、外側では遊んでるって状況が、実は、日々この一年間ずっと(続いている)。」(Tさん インタビュー)

 

Tさんは、2年前滝谷小新BOPに赴任するまでは、世田谷の学童保育指導員を20年以上務めていたベテランである。「(学童保育の子どもの中には)親が帰ってくるのが遅い子もいるんですよね、89時って。…こちらとしても、長年学童やってるから、ただのお菓子っていうよりも、副食的なものを考える」というTさんにとって、おやつは何とか保持していきたい学童保育の重要な機能のひとつである。従来の手作りおやつも取り入れたいが、「遊んでる横の厨房で作ると、それこそ匂いが出たりする」ため、「やるとしても簡単に、スープだとか、ちょっとしたパンにウインナーを挟む」程度だという。おやつの中身は、「パンとかプリンとかゼリーとかまずメインのものがあって、で必ず果物、すいかだったりメロンだったりオレンジ、グレープフルーツ、バナナ、あとおせんべい、クッキー」といったところだ。「お皿に盛るとね、5品くらいあるから結構豪華。BOPの子もそれ見るとね。だから区の方も、あんまり豪華なおやつにしないでほしい、なんていうふうにもいってきた」と、Tさんは苦笑する。Tさんの中には、「カーテンで仕切っておやつ」という子どもを分断する現状に対する素朴な疑問と、「それでもおやつは必要だから」という学童保育を担う指導員としての思いが、複雑に絡み合って混在している。

 

・「学童保育の機能を守る」と「子どもの分断反対」が抵触する

この「カーテンで仕切っておやつ」という方法は、学童保育の親たち、BOPの親たちに大きな波紋を投げかけた。「学童保育の機能を守る」という学童保育の親たちと、「子どもの分断反対」というBOPの親たちが、正面から衝突することになったのである。

滝谷小には、2年前新BOPがスタートする以前は、単独でBOPが存在していた。BOPの親側からしてみれば、BOPのみの頃はすべての子どもにおやつが提供されない状態だったのが、学童保育が統合されてから同じ部屋内で特別におやつを提供される子どもが現れたことになり、「子どもの分断が起きている」という反発が起こった。

一方、学童保育の親たちからは、「子どもが今までのように落ち着いておやつを食べられない」という苦情が集まった。学童保育側としては、学童保育用に一つ部屋を確保するという当初の条件が満たされておらず、「話が違う」といったところであったろう。Tさんはいう。

 

「確かに食べるほうもかわいそうなんですよ。今は(おやつを食べる空間が)8畳くらいになってるけど、去年はたった3畳で、たったこれくらいのね、スペースしかなくって、そこに15人押し込められて、もう、こうやって(体を狭めて)食べてたんですね。で、こっちもこっちで、BOPの子が遊んでると、ついね、ちゃんと食べるのよ、とか、おいしいなんていわないのよ、とかそんなことばっかり。だから食べる側のストレスもあって。…学童の親からしたら、約束通りお部屋を下さいっていうことがあったし、BOPからすれば(カーテンで仕切られているとはいえ)同じ部屋で食べるのはね。…何か最初は、親たちは、人権問題にまで広がっちゃって、食べる子と食べられない子といるのは差別じゃないか、人権問題だって、もう相当な、学校を巻き込んだ形の反対が。学童おやつなくしてとか、あるいは逆に、全員に出して欲しいって。その両極端に結局なっちゃったんですね。」(Tさん インタビュー)

 

 Tさんは、双方の親たちの論理に共感を示しながらも、学童保育のおやつ実践を保持するために、「学童クラブで登録してる子は何でおやつがあるのかって、子どもたちなりにも理解してもらわなきゃいけないので、日々(説明を)繰り返してきた」[19]という。その成果もあってか、子どもたちが「最近は慣れて」きたため、親たちの苦情も沈静化した。滝谷小新BOPの「カーテンで仕切っておやつ」は、様々な矛盾を孕みながらも、しばらくの間続きそうだ。

おやつをめぐる親たちの対立は、「学童保育の機能を守る」という主張と「子どもの分断は必要ない」という発想とが抵触する現実を示しており、非常に深刻である。子どもたちの豊かな育ちを願う学童保育が、子どもの分断を肯定する背景には何があるのだろうか。「学童保育の機能を守る」とは、どういうことなのだろうか。

おやつ実践の保持は、Tさんや学童保育の親たちにとって、「学童保育の機能を守る」上での重要な点だと考えられていた。その理由は「留守家庭の子どもには副食としておやつが必要であり、中身のバランスを工夫したり手作りをするなど、できる限り手間をかけた細やかな対応をすべき」というものであった。しかし、彼らがおやつ実践を守ろうとする理由はこれだけではない。

品川区の児童館併設の学童保育でも、児童館の子どもは抜かして学童保育の子どもだけにおやつが提供されていた。しかしここでは、おやつは「子どもの分断」として特に問題化してはいなかった。品川区では先にみなとクラブの事例で見たように、学童保育のおやつを「事前に、市販の菓子等(果物を含む)を数日分購入し、当日の出席児童に提供する」と定めており、その学童保育ではこの規則に従っているため、出されるものは市販のスナック菓子などである。一方児童館の子どもも市販の菓子を持ってくることを許可されているので、結局学童保育の子どもと児童館の子どもは同じおやつを食べていることになるから、別に問題にならないのだ。ここでは、学童保育の機能としておやつ実践が認められてはいるものの、その内容は「買って提供する」という最小限のものである。ここまでくれば、「学童保育の子どもにもおやつは必要ない」という発想までもう一歩だろう。

児童館併設の学童保育の例と比較してみると、滝谷小新BOPの場合、Tさんや親たちがこだわっているのはおやつそのものではないことが分かる。おやつ自体は、いくらでも簡略化できるものだからだ。現在でも、その機能を少なくとも「買って提供する」という次元までミニマムにすることは可能であるし、将来的には「学童保育の子どもにもおやつは必要ない」といった考えも生まれ得るだろう。

カーテンで子どもを仕切ってまでも学童保育のおやつ実践に固執するTさんや親たちが、そのことを通して本当に守ろうとしているのは、おやつそのものというより「子どもの育ちに積極的にコミットしていく姿勢」である。BOPと学童保育の新BOPへの統合に関しては、常勤指導員の減数をはじめ行政側の児童福祉に関する予算削減のねらいがあった。そこには、品川区の行政に見たような「手厚い保育は必要ない」という論理が表れている。そのような新BOP移行に際して学童保育が警戒したは、何より学童保育が培ってきた「子どもの育ちにコミットしていく姿勢」が失われることだった。

「学童保育の機能を守る」か「子どもの分断反対」かという対立が発生したうちには、「『手厚い保育は必要ない』とする行政に対してコミットメントを呼びかける学童保育側」と、「経験的な知見から子どもの分断に反対するBOP側」という双方の依って立つ文脈のずれがあった。よってもちろん「学童保育の機能を守る」と「子どもの分断反対」は、必然的に抵触するものではない。

 

・そして子どもたちは

そうはいっても、「子どもの育ちにコミットしていく姿勢」が現場において実践可能なかたちに現実化されたとき、この場合「カーテンで仕切っておやつ」という必ずしも望ましいといえない形態をとっていることに変わりはない。カーテンおやつ問題の第一の当事者といえる子どもたちは、このことをどう感じているのだろうか。「おやつを食べる子どもと食べられない子どもがいるとき、子どもたちがけんかをしたり、トラブルを起こすことはあるか」という私の質問に対し、Tさんと、前述の児童館併設の学童保育の指導員たちは、以下のように語る。

 

「単純に、いいな、おいしそうだなっていうのは出るし、確かにね、見れば、大人だってね、いいな、食べたいなって思うでしょ。でも子どもの方はまあ、諦めたのか、分かってくれたのか、その積み重ねでそんなに騒がないしけんかもないです。ただね、逆に高学年の方がふざけて、カーテンなんかぴらぴらしてるからふざけて、こうやってこう、入れちゃうし、めくれちゃうからね、何か今日いい匂いがするぞーなんて覗いたり、わざとやってる。」(Tさん インタビュー)

 

「センター(児童館。品川区では『児童センター』と表記されるため、略してこう呼ぶ)の子が、おやつを食べたいとかっていうトラブル?そういうのは、そんなないよね」

「うん、ないね。」

「たまに幼児さんとかわかんない子が入ってきちゃったりとかはあるけど、説明をすればみんな納得してくれるから」

「うん、うん。…まあ1年生が入ったときに、1年生がちょっとわかんなくて、“あたしもいっていいのかしら”っていう感じ。でもちゃんと話すると分かってくれるので。そういう、“僕にはないの?”とかね、そういうのはもうないですね。」(児童館併設学童保育 指導員2名 インタビュー)

 

子どもたちは総じて、自分たちが不可解な理由で分断されることに関して、特に不満を感じていないように見える。「カーテンで仕切っておやつ」といういかにも不自然な行為に対してすら、「そんなに騒がないしけんかもしない」という彼らは、多少の疑問は抱いたとしても、大人によって理由を説明されれば、文句もいわずルールに従っているのだ。

おそらく子どもたちは、このような理不尽さにはもう充分に慣らされているのだ。学校における子どもたちの生活は、「理由はわからないがどうしてもそうしなければならない」理不尽で不当な分断と強制に満ちており、それは「カーテンで仕切っておやつ」など及びもしないほどの強烈さを持っているのだろう。そうした日常に、器用にも適応し逞しくサバイブしている現代の子どもたちは、もはやこの程度のことで「そんなに騒がないしけんかもしない」のである。

こうした子どもたちの「器用さ」と「逞しさ」を、私たちはどのように捉えるべきだろうか。このことを学童保育と学校的空間との関係において考えてみよう。学童保育は「放課後の子どもの居場所」としておおむね学校的空間の外部に位置づけられてきた。しかし、新BOPでは開設場所が校舎内にある上、学校からの運営への規制も働くため、学校的空間の一部であることをまぬがれない。そこにおいて子どもたちは、学校に適応するために必要とされた同じ労力を、新BOPで生活するために要求されることになる。

滝谷小新BOPでは、校長が厳しくて子どもが寝そべって本を読んでいると「姿勢が悪い」と叱られるなど、放課後においても子どもたちが学校の教育的・管理的指導のもとに置かれていた[20]。「学童保育が学校空間の中で行われる」ことについての不安を、Tさんは以下のように語る。

 

「今まで従来(の学童保育)は、ほんとうに学校の緊張感をといてね、…やっぱり家庭に代わる場でのびのび、っていうのが、いわれてきたことだけど。さっきいったように、(新BOPができるにあたって)私たちが心配だったのは、親がどうこうっていうのもあったけど、一番はそこで、やっぱり、学校から離れて救われる子っていますよね。あと実際不登校だったりしてね。いるんです。数は少ないけど中には。学校には行けないけど学童には来られるとか、児童館には行けるとか。その辺はこう、フォローしてきた部分はあるんだけど。学校の中に入っちゃったとき、その不登校の子たちはどうなっちゃうんだろう。」(Tさん インタビュー)

 

学校的空間に窮屈さを覚える子どもたちにとって、新BOPはその延長として捉えられるだろうし、不登校の子どもたちも、学校的空間の中で開設される新BOPには来ることができないだろう。

その一方で、新BOPの状況にスムーズに適応する子どもたちもいる。

 

「子どもの方がどっちかっていうと切り替えてて、ここなんてほとんど(学校と)同じ場所なんだけど、学校では本当に大人しくて、いい子ちゃんで、ここに来るとわりと自分を出せて、結構めちゃくちゃやる子が多いんですけど。子どもはそのへん、(学校と)一歩離れて、ここにただいま、こんにちはって来る。」(Tさん インタビュー)

 

同じ学校施設内にあっても、「学校」と「新BOP」を異なった空間と認識して、新BOPでは「放課後」と割り切ってのびのび過ごす子どもたちもいる。このような「切り替え」を可能にするまでの器用さを子どもたちは求められているのであり、それを身に付けている子どもにとっては、新BOPは過ごしやすい放課後の居場所になる。しかし、そうした器用さを身につけられない子どもにとって新BOPがどのようであるかを、私たちは想像しなくてはならない。

 学校的空間において必須であるこの「器用さ」と「逞しさ」は、学童保育の生活においてはおそらく、必須であってはならないのだ。なぜならば、「器用さ」と「逞しさ」がなくては生き抜くことのできない学校という過酷な環境を子どもたちは生きているが、そうした環境への適応の要請は、過度になされると、現状の理不尽さを認識し「不当だ」と告発する感性を子どもたちから奪ってしまうからだ。「いやだけれども、しかたがない」と思うことによって、「世の中のルール」すなわち社会規範を身につけるというたてまえのもとに、社会の矛盾に目を向け、不当な抑圧にNOをいう「怒り」の発動そのものが止め押さえられてしまう。学童保育が学校を相対化する「学校ではない場所」である必要性は、この点にこそ、あると考える。

 

644.職員の負担

 従来の学童保育とBOPの新BOPへの統合によって、常勤職員は様々な問題を担わされることになった。それは主に、@常勤職員数の削減と子ども数の増加による仕事量の増大、A開設時間延長によるサービス残業の増加、B常勤職員の絶対数の減少に伴う雇用継続問題、の3つである。

BOPに配置される常勤職員は、学童保育の子ども数39人まで1人、40人以上は2人である。統合以前は、学童保育においては、子どもの定員によって45人程度までは常勤職員2人、それを超えると3人が配置されていた。また、統合以前のBOPの職員は、管理者である事務局長の他はすべて非常勤職員であった。

@常勤職員数の削減と子ども数の増加による仕事量の増大について、滝谷小新BOPの常勤職員であるTさんは、次のように語る。

 

「学童だけ見るわけじゃないのでね。新BOPになったときに。やっぱり、そういう意味では私も(常勤職員が)ひとりっていう中で、結局学童の仕事の責任ていうのは変わらずあるわけで、それプラス新BOP全体の仕事ってことで、今までやってたように学童のことだけ、ではなく、やっぱりこう、形がかわるって覚悟していかないと、大変かなって思いますね。」(Tさん インタビュー)

 

BOP全体に目を配りつつ、学童保育の子どもにも特別なケアをするのは至難のわざである。しかも、常勤職員が1人であり、他が非常勤職員やアルバイトといった短時間勤務であってみれば、なおさらだ。Tさんは、2年前滝谷小に赴任する前までは区内の学童保育で指導員として20年以上務めたベテランである。学童保育時代は、ひとりひとりの子どもに対するコミットメントが「狭く、深く」であったのが、新BOPになってからは「広く、薄く」になったという。学童保育の子どもにとっての「生活する保育の部分」を大切にしたいと思っていても、「100人も(子どもが)来ちゃえばその中でいろんな子がいるから、けんかした、泣いた、…熱が出た、ああだこうだって、そんなことしてるうちに、ああ今日は学童の子は何をしてたかしらってなる」のが実際のところであり、「正直いって子どもが日々大勢来ると、学童の子だけ見てられない状況」なのである(Tさん インタビュー)。

20002月に行われた区による第2回新BOP説明会においては、学童保育の親側と区側の次のような質疑応答が行われている。(Qは学童保育側、Aは区側)

 

Q:どうして正規職員が1名なのか。子供を預ける側から見ると、正規職員の休みも考慮して2名に増やして欲しい。

A:新BOP事業を展開するにあたって、当初、その運営は全て非常勤職員体制で行う提案だった。しかし、父母からの要望を踏まえて、いきなりの非常勤職員体制では不安の声がおこるので、新BOP職員配置基準を設定、正規職員を配置した。…

Q:その基準は、変わらないのか。

A正規職員数が減る方向では変わる可能性がある。増やす方向では難しいといわざるを得ない。学童クラブだけではなく、区全体として職員の配置基準が変わってくる。

Q:子供の人数だけで職員数を決めて、子供達の気持ちは無視されている。新BOPという大きい組織の中を正規職員1名と非常勤職員だけで賄うのはおかしい。働く側としての意識(意欲・責任感など)も正規職員と非常勤職員では違うのではないか。

A:正規職員と非常勤職員のどちらがよいかは、その職員によるもの。学童クラブ待機児がかなり出ているという中で、拡充を図らなければならない。学童クラブ数47から64まで量的拡大を図る中で運営体制を考えた時、正規職員増という形で対応できないという判断。…[世田谷区学童クラブ父母会連絡会第25回総会資料:200051]

 

 行政の発想の根底にあるのは、正に「薄く、広く」という考えである。行政が図るのは文字どおり学童保育の「量的拡大」であり、それに伴う「質的縮小」が容認されている。

また、A開設時間延長によるサービス残業の増加は、従来の学童保育が放課後から午後5時まで、学校休業時は午前9時から午後5時までだったのに対し、新BOPが開設時間を午前830分から午後6時までに延長したことによって、開設時間と指導員の勤務時間にずれが生じたことによる。常勤職員の勤務時間は8時間、非常勤は6時間であり、勤務の時間差を作って対応しているが、人手不足のため、状況に対応するには職員たちの超勤が要求される。「私は状況によって、(子どもが)多いときは8時半から来ますし…こっちの勤務以上に預かる窓口の時間が広がったので、時には8時半から7時ごろまでいるときも、よくありました」とTさんは語る。超勤手当てについては、「実質的にはほとんどない」状態であるという。「サービス残業が多くなっちゃって。今までに比べたらね」とTさんは負担の増加を嘆く。

 B常勤職員の絶対数の減少に伴う雇用継続問題とは、学童保育から新BOPへの移行に際して、当初23人であった常勤職員が12人に減らされるため、常勤職員の解雇・非常勤化が起こるという問題である。新BOPが少数である現在は特に問題化していないが、全校に設置される2005年を見通すと、事態は深刻である。

 新BOPは、未だ制度や事業内容が整備されておらず、試行錯誤の状態にある。充分に保障されていない開設場所や人手不足といった制度的甘さが、無賃労働という形で職員にしわ寄せされている。

 

「今は過渡期だから、(新BOPの事業内容が)…職員の考え方とかによってしまう。この前も会議に行ったけど、施設とか様々で部屋が一個だったり3個だったりするけど、結局はそこを運営していく人たちじゃないかって話になった。何に、どこにこだわっていくかっていうところ。5人のスタッフが一緒に、チームプレイでやっていくってところ。だから学童も、部屋がないからなくなるんじゃなくて、部屋がなくても学童の部分を大事にしていく。」(Tさん インタビュー)

 

BOPの保育が充実したものになるかどうかは、職員の手腕にかかっているとされる。それは行政を「当てにならない」として期待することをひとまず止めた、現場における混乱の対処の一戦略であるといえるだろう。

 

645.留守家庭児童でなくても集団保育は必要

以上では、学童保育と全児童対策が一本化された際に出てくる様々な問題を考察してきた。このような問題を抱えた現場では、新BOP統合をどのように捉えているのだろうか。滝谷小新BOPでは、「留守家庭児童と一般児童のニーズは異なっており学童保育と全児童対策の統合は不可能である」という学童保育側の認識は必ずしもなされず、むしろ「留守家庭児童でなくても集団保育は必要」という現実が確認されつつある中で、どのように新BOPをスムーズに運営していくかが焦点となっていた。

滝谷小新BOPでは、「学童保育の機能を守る」ことへの懐疑が生まれていた。「カーテンで仕切っておやつ」に象徴されるように、学童保育の実践を保持しようとすることが子どもたちにとって望ましくない状態を引き起こすという逆説が生じてきたためである。そこでは、「留守家庭児童」「一般児童」という分断そのものの、根本的な問い直しがなされ始める。

 

「学童だけ考えたときには、本っ当にもうおやつも手作りしたり行事もしたり、学童っていう、ある意味一つの温室の中でね、もうとことん、こう、やってきたっていうのがあるんだけど。じゃあ、学童に来てない家庭の子だって、大丈夫かっていうと、今お母さんが家に居たって、いろんな問題抱えてるしね。…私なんかこう、毎日BOPの子を見てても、ほんと関わってあげなきゃいけないなって子もいるのね。それは親が働いているとか働いてないとかいう以前の問題としてあるのよね。」(Tさん インタビュー)

 

めだかクラブに関する分析が示しているように、学童保育の機能は、託児所的な役割に止まらず、子どもにとって集団保育の場となり、親にとって育児ネットワーク形成の場となることでもあった。集団保育と育児ネットワークに関しては、親の就労の有無は無関係なのであり、「留守家庭児童でなくても必要」である。「学童保育=留守家庭児童対策」アイデンティティの限界については後章で改めて分析するが、ここでは上に見るかぎりにおいて、「学童保育の機能を守る」と「子どもの分断は必要ない」は矛盾しないことを確認しておきたい。

 しかし、注意が必要なのは「子どもの分断は必要ない」という発想が一見、行政側の「統合」の主張と親和性を持っているかに見える点である。行政が「留守家庭児童対策と全児童対策と統合する」というとき、そこには児童福祉に関する予算削減という動機付けが大きく働いていることを知っておく必要がある。

2000年に行われた全国連協の研究会資料「すべての児童の健全育成施策と学童保育」によれば、新BOPの意義について、世田谷区は学童保育に対して以下のように説明している。すなわち新BOPとは、「今回の方針は学童クラブとBOPを統合し、『可能な限り』一体的な運営を図り、子どもたちの広い交流・交遊を目指すもの」であり、「あまり閉鎖的に『ここは学童クラブ専用、学童クラブの子どもはここだけに居る』というイメージはマイナスと考えて」いるが、「いずれにしても、新BOPは学童クラブ事業の充実だけでなく、世田谷区のすべての小学生の放課後の過ごし方をより豊かにしていこうというもの」である。しかしその背景は、「区は、かつてない厳しい財政状況にあり、先に定めた行政改革推進条例のもと、区のすべての領域で効果的・効率的な事業運営が求められています」と説明され、新BOP統合における予算削減の意図が暗示される[全国連協:2000]。この動機付けは、横浜市の乏しい財政援助や、品川区の学童保育への運営介入、「教育と福祉の一体化」による児童館内の学童保育指導員の削減問題などにも通じる「手厚い保育は必要ない」という子どもの育ちに対するコミットメントを惜しむ発想に基づいており、私たちには受け入れることはできない。

「ひとりひとりの子どもの育ちに充分にコミットしながら、すべての子どもに必要な福祉を提供する」という発想は、行政側が予算削減の正当化に使用する「子どもの分断は必要ない」という言葉とは別なものである。

「留守家庭の子どもとその他の子どもが同じ場所で分け隔てなく豊かに育っていけるなら、新BOPは学童保育よりももっといいものになる」とTさんは新BOPを展望する。Tさんにおいては新BOP統合の意義は肯定的に評価されており、問題はあくまで職員体制や施設といった物質的な運営基盤の不備だとされる。しかし、本当にそうだろうか。すべての新BOPに職員が補充され、開設場所が充分に確保される日が来るのだろうか。またそうなったとして、学校的空間の中で、行政に用意された事業の枠内で行われる保育が、子どもや親たちにとって最善の環境であるといえるだろうか。

行政は、学童保育とBOPをまるで机の上で足し算をするかのように統合し、新BOPをつくった。現場の声を反映せず、何の協調もなく一方的になされた新BOP統合の背景に、子どもの育ちに対するコミットメントを惜しむ行政の姿勢を見るかぎり、私たちは留守家庭児童対策と全児童対策との安直な統合を、充分に警戒する必要がある。

 

646.まとめ――全児童対策としての学童保育を

本章では、滝谷小新BOPに統合された学童保育の実践を通して、留守家庭児童対策と全児童対策の一本化が引き起こす諸問題を考察してきた。学童保育とBOPが統合されると、「学童保育の機能とは何か」が問われる。学童保育の機能を「おやつ」などに具現化した結果、おやつを食べられる子どもと食べられない子どもが分断されることになり、「学童保育の機能を守る」と「子どもの分断は必要ない」という2つの立場が対立することになった。また、学校的空間の中で保育を行うことには、子どもたちを放課後も学校の管理性に縛り付けることになる危険性もみられた。さらに、職員体制は悪化し、指導員の無賃労働が増えると同時に子どもたちに充分な保育がなされていない状況があった。そして、これらの問題の影には、またしても「手厚い保育は必要ない」という行政の発想があった。

このような世田谷の状況から、横浜の学童保育は多くを学ぶことができる。横浜市は“はまっ子”と学童保育を統合する方針を明確に打ち出してはいない。しかし、学童保育として、“はまっ子”との統合に対するある一定の見解を明らかにすることは求められている。

学童保育の見解として、私が提案したいのは、「学童保育と全児童対策との統合はなされるべきでなく、また留守家庭児童と一般児童の分断もなされるべきでない」という姿勢である。「統合反対・分断反対」というこの考え方は、矛盾しているように見える。しかし、「子どもの最善の利益」を考えたとき、様々な子どもたち・大人たちと関係を築きながら集団で育っていくことは、親の就労の有無に関わらずすべての子どもにとって必要なことなのであり、それが「いま」「既存の全児童対策と学童保育との統合によって」のみなされ得るものと仮定する必要は全くないのだ。

このようにいうことによって主張したいのは、何より「子どもの育ちに対するコミットメント」の重要性である。留守家庭児童・一般児童という分断の解消は、この2種類の児童福祉事業を、新BOPが行ったように現在の全児童対策のレベルに下げて揃えることではなく、むしろ学童保育のレベルに引き上げて等しくすることであるべきだ。すなわちそれは、「全児童対策としての学童保育」の展望に他ならない。「学童保育=留守家庭児童対策」というアイデンティティが根本から問われている。

この発想がいかに突拍子もないものと感じられようとも、学童保育とBOPの「統合」が返って「子どもの分断」を招いたという「カーテンおやつ」の逆説に比べれば、まだしも受け入れやすいのではないか。子どもをめぐる環境は急速に変化しているのであり、すでに留守家庭児童のみを「保育に欠ける」とすることは不当且つ不自然になってきている。「学童保育=留守家庭児童対策」の形式に固執するのではなく、大切なのは子どもたちのニーズの変化に合わせて、事業自体を柔軟に変化させていくことだろう。

 

7.横浜の学童保育運動――“はまっ子”をめぐる市連協の運動論理分析

7章では、横浜市学童保育連絡協議会による“はまっ子”対策論理の分析を行う。本章の目的は、学童保育運動の現状と課題を明らかにし、6章において検討したような学童保育像を実現するためにはどうしたらよいかを探ることである。

 

71.市連協と学童保育運動

学童保育運動は、学童保育のより望ましい状態を目指して、行政への働きかけを行っている。そこでは、「学童保育の機能とは何か」「学童保育の理想の状態とは何か」を言語化することが求められる。そのような学童保育の「自画像」を最も如実に示しているのは、市連協の“はまっ子”対策の論理である。新BOPの事例でも見たように、全児童対策が現れると、「学童保育とは何か」が全児童対策との差異によって、それまで以上に際立たされるためである。そこで、以下では市連協の“はまっ子”対策の論理に焦点を当て、そこにおける市連協の問題点とはどのようなものかを探っていきたい。

 93年にスタートした“はまっ子”と、学童保育はともに「小学校の子どもたちの放課後の居場所」であり、競合せざるをえない1面を持っていた。市連協は、“はまっ子”の開設当初から、「学童保育つぶしの事業になる可能性がある」という危機感を持って、対策を立ててきた。

“はまっ子”をめぐっては、93年開設、94年夏休み試験的実施、95年運営方法の変更、97年自民党による「学童保育との一本化」提言、99年拡充実施など、さまざまな動きがあった。それは、“はまっ子”が留守家庭児童をも考慮した事業内容へと変革することによって学童保育の内容へ近づき、学童保育事業を形骸化することの示唆を含んでいた。これらの動きに対して、市連協は毎年見解と運動方針を打ち出し、「同じ児童福祉事業でありながら、“はまっ子”の改善ばかりが優遇されるのは不公平だ。学童保育にも、もっと行政の援助を」という強い態度で臨んできた。

しかし、そこに見られる論理は時に強引であり、矛盾を内包していた。市連協は、「学童保育は留守家庭児童対策、“はまっ子”は全児童対策であるため、親が働いている子どもの福祉には、“はまっ子”では不充分である」としながら、“はまっ子”が事業内容の拡充によって留守家庭児童対策をも目的の射程に含もうとすると、「“はまっ子”は学童保育の内容を侵害すべきでない。なぜなら、“はまっ子”は全児童対策であり、学童保育は留守家庭児童対策だからである」とするなど、同語反復に陥っている。

 こうした市連協の論理的な弱さは、学童保育運動をサポートする「言葉」の不足を物語っている。学童保育に関わる子ども、親、指導員たちは様々な要求を持っており、要求を通すためには運動が必要である。しかし、その運動を有効なものにするにはさらに、要求を論理的に言語化する作業が不可欠なのである。市連協の運動は、学童保育の発展と改善を求めて行政に働きかけていくという点においては、非常に一貫している。市連協が矛盾しているように見えるのは、論理的な言葉を獲得するに至っていないからであり、ただそれだけのためにすぎない。だとすれば、これから行われるべきなのは学童保育問題の理論化である。

よって以下では、“はまっ子”問題に対する市連協の運動方針と対抗論理を分析することを通して、現在の市連協の限界を指摘するとともに、学童保育の所期の目的を達成する上でより有効な、理論化された運動の論理と方向性を示していきたい。その過程で、様々に語られてきた「“はまっ子”と学童保育の違い」を、これまで市連協が固執してきた対行政上の「制度的差異」(タテマエ)と、人々の実感と経験に根差した「経験的差異」(ホンネ)に分類し、「経験的差異」を言語化することを試みる。また、そのために61「はまっ子ふれあいスクール」で論じた「学校的空間としての“はまっ子”」という側面を重視しながら、「学校ではない子どもの居場所」としての学童保育の必要性を論じたい。それと併せて、「留守家庭児童・一般児童」という分断の根底にある近代家族規範を明らかにし、「家庭ではない子どもの居場所」としての学童保育の姿を追求したい。そして最終的に、「家庭でも学校でもない子どもの居場所」というあり方に基づいた学童保育運動の展望を示すことを目的とする。

また、学童保育をめぐる近年の行政の動向とその意図についても、「全児童対策は充実させていくのになぜ学童保育には積極的な援助がないのか」という問いに基づき、考察したい。

 

72.“はまっ子”の動きと市連協の運動論理の推移

721.“はまっ子”対策理論の発起

“はまっ子ふれあいスクール”は93年新年の記者会見で市長自らが発表し、新しい児童福祉事業として注目を浴びた。市連協は、「“はまっ子”と学童保育は違う」としながらも、「事業内容的に学童保育と競合せざるを得ない」とし、実質的な代替財の出現に油断ならないという緊張を露わにしている。

93年の「横浜の学童保育運動」[市連協:1993]によれば、このときの市連協は「推測と理解」として行政の意図の3つの解釈を提示している。

 第一の見解は、「『余裕教室の利用問題』対策」である。市連協は、小学校の余裕教室を学童保育に無料で提供することを、市当局に対して訴え続けてきたが、市は様々な理由を付けてその要求を拒んできた。そのような中で、92年頃から「余裕教室を児童福祉に提供せよ」という全国的な動きが見られた。どうせ余裕教室を提供するのなら、教育委員会の管理下に新事業を作りそこで使用しようとしたのが“はまっ子”である、というものだ。

第二は、「高齢者の再雇用対策」である。“はまっ子”のパートナー(この時点では“指導員”と呼ばれていた)が教員OBだという規定への反論だが、市連協は、教育委員会による「いまの急激な社会情勢の変化のもとでの児童の人間関係上の問題を克服する指導が求められている」という言葉を引いて、「(もしそれが)『真剣に』求められているのであれば、『OB』に限定することは適切とはいえません」という否定の仕方をしている。再雇用対策でも、元教員でもかまわないが、「OB」教員という限定性が、子どもたちに対峙する上で問題だ、というものである。この批判は後に「“はまっ子”は教育委員会の差し金、退職校長の天下り先」といういい方へと変化していく。

第三は、「市の福祉・教育関連事業アピール」である。当年度の新規事業には目玉となるものが少なく、“はまっ子”は福祉・教育関連の充実を裏付ける表看板だ、という見方である。

これらには市連協の強い警戒心がよく表れている。この結果形成された、市連協の“はまっ子”対策の根幹となる運動方針は、次の2つである。まず、“はまっ子”の動向を見極めながら、“はまっ子”とは違う学童保育の姿を明らかにしていくということ、そして、学童保育にも“はまっ子”と同じように学校施設を利用させるように市民局、教育委員会に働きかけるということだ。すなわち、“はまっ子”との、「事業内容における差異化」と、「事業基盤における同質化」である。

 

722.“はまっ子”対策理論に内在する問題点

以下では、この2つの方向性の内容と矛盾を見ていこう。

1の“はまっ子”との「事業内容における差異化」は、市当局のねらいと推察された「“はまっ子”と学童保育の一本化」に対抗するために、意図的に図られていった。「“はまっ子”と学童保育は違う」というとき、その差異には、実は2つの次限がある。対行政上の「制度的差異」と、学童保育に関わってきた人々が現場における実践の中で経験的に捉えてきた「経験的差異」である。対“はまっ子”運動では、一般向けの論理の分かりやすさと、行政に働きかける上で明確に違いを示す必要性から、「経験的差異」より「制度的差異」の方が積極的に強調されていった。

一般に、学童保育と“はまっ子”の違いは、学童保育は「留守家庭の子どもの放課後の生活を守り、働く親の権利を保障する」留守家庭児童対策であり、“はまっ子”は「遊びを中心にした異年齢集団の交流を図る」全児童対策だから、両事業の目的は違う、と説明される。市連協は、93年“はまっ子”開始とほぼ同時に作成した学童保育のポスターで、以下のように違いを訴えている。

 

「学童保育:一人ひとりの個性や年齢に応じた生活づくり、わくわくするようなあそびやキャンプ、バザーなどの行事の取り組みを、子どもと指導員がいっしょにつくりだしています。…小学生にとっておやつは補食の意味があり、欠かすことはできません。手づくりも取り入れた、バランスの取れたおやつを出しています。…(春・夏・冬休みは)朝から一日保育をしています。…(第2土曜日は)必要に応じて朝から保育しています。…父母会があり、親と指導員がいっしょになって子育てする場として大切にしています。

“はまっ子ふれあいスクール”:与えられたあそびで、大人は管理中心。あそび場は学校内だけ。…おやつはありません。おなかが空いたら帰宅させます。…(春・夏・冬休み、第2土曜日はともに)ひらいていません。…父母はほとんど関われません」[連協:1993]

 

 「おやつ」「開設時間」「行事」といった「制度的差異」が強調されると同時に、内容の充実度においても差異付けがなされていく。

95年には、“はまっ子”とは違う学童保育の必要性を訴えた「学童保育のセールスポイント」が作成され、@「父母の労働時間を保障します」、A「子どもの安全を守ります」、B「心豊かな、安らぎのある放課後を用意します」、C「自発性を養い、社会性を助長し、創造力や豊かな感性をはぐくみます」、D「父母が子育てを学ぶ機会を提供します」、E「父母会を中心に父母同士の交流の機会を提供します」など6のポイントが主張された。

もっとも、違いが強調されなくてはならなかった背景には、現場ではあまり違いが認識されていないという実態があったことも事実である。95年“はまっ子”が成長してくると、“はまっ子”に子どもを通わせている親たちが“はまっ子”のことを「学童」と呼んだり、“はまっ子”事業担当課長が「“はまっ子”に参加している児童の父母に『学童保育とは違う』と説明しても分かってもらえない」と発言したりしている。[連協:1995]

学童保育と“はまっ子”の違いは、一般に理解されにくいため、その差異付けは、しばしば分かりやすいハード面の違いを優先してなされている。「“はまっ子”はただ子どもを遊ばせるだけだが、学童保育では子どもたちに放課後の豊かな生活を保障している」というよりは、「“はまっ子”は5時で終わりだが、学童保育は親が仕事から帰ってくる6時過ぎまで開設している」といった方が、利用者にとっては理解しやすいのである。結果的に、実際に学童保育を利用している子どもや親の実感に基づく「経験的差異」よりも、公式に認められた「制度的差異」の方が、より有効な差異化の手段として用いられていくことになる。

次に、第2の「事業基盤における同質化」の動きについて見てみよう。学童保育と“はまっ子”は、同じ児童福祉事業であるにも関わらず、行政の援助には大きな偏りが見られる。

“はまっ子”は開始以来、毎年増設しており、2002年には市内の全小学校に開設されることが市の長期計画で約束されている。市の予算も年毎に増えており、99年度では、学童保育が150ヶ所で949761千円なのに対し、“はまっ子”は233ヶ所で176278万円と、箇所数は1.5倍あまりなのに、委託費は2倍近い差を付けられている。行政が保障する関係者の手当ても、週約35時間の勤務で残業や会議出席など時間外の負担が多い学童保育指導員が146.000円であり、“はまっ子”のチーフパートナーは週30時間勤務で186.000円である。学童保育は委託条件が厳しく、開設場所と指導員を親たちが探さなくてはならないが、“はまっ子”ではそれが行政に保障されている。学童保育の親たちが支払う保育料は月に2万円を超えるところもあるが、“はまっ子”は無料である。

「同じ市内の小学生を対象とする委託事業ということからみると、“はまっ子ふれあいスクール”と学童保育とでは行政上差がないはずなのに、現実の較差は理解を超えているといわざるを得ません」と市連協の態度は硬い。学童保育の指導員の待遇と開設場所を「少なくとも、“はまっ子”並みには」保障してほしい、という論理展開は納得できる。

しかし、事業基盤を“はまっ子”と同等にしたとき、事業内容の学童保育としての特色は、どのように示されうるだろうか。

先に挙げた「学童保育のセールスポイント」の中では、父母の保育参加がその一つとしてあげられていながらその直後に、同じ紙面の文末で、「“はまっ子ふれあいスクール”での父母は、子どもを任せっきり」でいいが、「学童保育では保育料の支払いをした上で、労働奉仕としての父母の仕事(会計、施設の契約・維持など)が数え切れなくあり」、それは「学童保育に対する差別」であるとされている[市連協:1995]。「父母が保育に関われることが学童保育の利点」だとしながら、「父母の負担が大きいことは学童保育への差別」だという、相反する発言がなされているように見える。

「“はまっ子”とは違う」「“はまっ子”と同じように」という2つの主張が交じり合うとき、その分かりにくさはどうしても、「学童保育を存続させるために、“はまっ子”に文句を付けていいとこ取りをしようとしているのではないか」「連協のエゴではないか」という、行政側の疑心や現役親たちの内部批判につながりやすくなってしまう。

しかし、市連協が指摘しているは、開設場所探し、指導員の給料計算、資金繰りのためのバザー実施など、現行制度下における父母会の過剰負担であり、「学童保育のすばらしいところは、親たちの意見が反映されることだ。しかし、行政の援助が不十分であるため、親たちに子育て以外の事務的労働という過剰負担がかかっている現状があるので、制度の改善を要求する」という主張には、本来何の矛盾もない。

それなのに、ひどく矛盾しているように見えてしまうのはなぜだろうか。それは、「制度上の平等扱い」を主張するためには、学童保育と“はまっ子”との違いを「制度的差異」に還元して語ることが求められる現実があるからだ。つまり、“はまっ子”と「同じ」くらいの制度的優遇を受けるためには、「開設時間の長さ」「おやつの有無」といった制度的な「違い」が誰の目にも明らかな形で提示されなくてはならないのである。しかし、実際には、そのような「制度的差異」は学童保育と“はまっ子”の違いの一端を担うのみである。そこには「親たちの意見が反映される」といったような、抽象的で非公式な「経験的差異」が存在している。そうした「経験的差異」を、「制度的差異」を語る語り方と同じ方法で語ろうとすると、結果として上に見たように人々に不信感を抱かせる形で表れてしまうのだ。

このような市連協の論理構築の弱点は、以下に示すように、“はまっ子”が制度的側面において「学童保育化」するプロセスの中で、「運動方針と論理のずれ」として認識できるようになっていく。

 

723.「一本化提言」対策

“はまっ子”は、毎年予算と規模を拡大していき、9710月ついに自民党横浜市連は“はまっ子”と学童保育との一本化提言を打ち出した。987月から11月まで実施された、学童保育と格党議員との議員懇談会では、一本化提言について、自民党議員が以下のように発言している。

 

「将来は分からないが、今は2本だてでやることになった。…“はまっ子”が長時間やるようになれば、一本化も考えられる」(黒川澄夫 自民党)

「従来参加しなかったのは…共産党色の強い連協運動に対するアレルギーがあった。…市の財政難の折り、市民に責任を負う与党として市の事業を見直さざるを得ない。学童保育事業については、放課後児童政策として“はまっ子”があり、一本化できないかとの意見があり…将来的には一本化した方がよかろうと言う申し合わせが自民党議員団として決まった」(佐藤茂 自民党)

 

 ここに見られるのは、財政難のもとで児童福祉の予算を一本化したい、党としては学童保育より教育委員会が所管する“はまっ子”を援助したいという、自民党議員たちの露骨ないい分である。

97年はまた、“はまっ子”の夏休み4週間実施が決まった年度でもあった。長期休暇中実施の本格化は、“はまっ子”の内容が学童保育に近づいていくプロセスの一環であったといえる。教育委員会が説明する夏休み4週間実施の理由を、市連協は以下の3点に要約している。

 

@チーフパートナーには夏休み中も賃金が支払われている。

A1学期中に作り上げられた異年齢交流のつながりが、夏休み中断ちきられるのを避ける。

B(これまで試験的になされていた)2週間の実施の評判がよく、利用者の要望があった。

 

これに対し市連協は「強引な事業展開と深まる矛盾」として以下のようにコメントしている。

 

「学童保育と“はまっ子ふれあいスクール”を子どもたちが自由に選べるように、両事業の条件を同じにするように求めているのはわたしたちですが、市はこの要求を完全に無視しています。(保育料が高く父母の負担が大きいため)学童保育を選ぼうとも選ぶことができない子どもたちが、多いからこそ、“はまっ子ふれあいスクール”を利用している家庭から…夏休み中を通しての開設の要求が出されているのです。…すなわち、学童保育事業との連携、調整はまったく行わず、“はまっ子ふれあいスクール”が学童保育に代替し得るように事業を変えていこうとしているのです。このような新たな事業の展開は、必然的に、はまっ子ふれあいスクール事業の言葉上の事業主旨と現実との隔たりを大きくしていると言わざるを得ないでしょう。」[市連協:1997]

 

市連協の主張は、夏休み実施は学童保育の事業領域の侵害であり、本来の事業目的を逸脱してまで“はまっ子”を充実させるよりは学童保育を援助すべき、というものである。ここには、学童保育の代替物になり得るように“はまっ子”が形を整えつつあることへの不安感が表れている。

しかし、これは危険な論理である。なぜなら、この手の批判は「“はまっ子”が実施時間を延ばすことで学童保育に近づくことができる」ことを前提としたものであり、裏を返せば「“はまっ子”が充実すれば学童保育にとって代わることができる」ことを認めることになってしまうからだ。“はまっ子”の「拡充案」における市連協の対策では、このレトリックが抱える矛盾が露呈することになる。

一本化の方向性は、市当局が明確にその可能性を否定し、両事業の充実を求める「共存共栄」という形に一応の決着を見ている。しかし、983月に行われた市長選挙の運動期間中の新聞報道では、市長の「“はまっ子”を拡充し、いずれ一本化を目指す」との発言が伝えられるなど、その流れは水面下に存在しており、「拡充案」につながっていくのである。

 

724.「拡充案」対策と連協の内部対立

“はまっ子”の内容を更に充実させることが目的の「拡充案」は、98年に提起され、99年度から実施されている。教育委員会によれば、98年に市民5000人(回収率3330)に対して行った“はまっ子”に関するアンケート調査の分析結果[教育委員会:1998]に基づいて、市民の要求に応じて“はまっ子”の内容を充実させたものとされている。

拡充内容は、主に以下3点である。

 

@各運営委員会による帰宅時間設定方式から、全市18時までとする。

A長期休業中は全期間開設及び第2、第4土曜日も開設する。

B登録制は維持するが随時登録を行い柔軟に対応する。

 

 学童保育の「開設時間の長さ」を“はまっ子”との違いとしてアピールし続けてきた市連協の反発は当然強いものであった。@、Aに対して、市連協は以下のような見解を示している。

 

「(@に対して)冬場の18時というと真っ暗です。そのような時間までも子どもたちにあそびの場を提供する必要があるでしょうか。…アンケートの結果でも、開設時間については、18時まで開設してほしいという希望は13.2%で、16時までと17時までとを合わせた回答は、79.7%となっているわけですから、17時までの開設でいいと考えます。

…(Aに対して)…厚生省が定める「放課後児童健全育成事業」(学童保育)の補助金の基準開設日数281日以上もクリヤーできるようにし、『一本化』の条件作りをねらった拡充と考えられます。つまり留守家庭児童も取り込んで、学童保育の形骸化をねらったものと考えられます。」[市連協:1999]

 

また、拡充の意図を、市連協との教育委員会交渉で、市当局は「今回の拡充は、社会情況の変化、ライフスタイルの変化、女性の社会進出の増加に対応するためである」と回答している。このことは、“はまっ子”が留守家庭児童を目的の射程に入れることを明確に示している点で、夏休み実施などそれまでの内容充実と大きく異なっている。市当局は「一本化」発言を表面的にはすっかり取り下げる一方で、“はまっ子”を実質的に留守家庭児童に対応できるようにするよう、実質的な一本化への足がかりを作った。公式的に「共存共栄」を打ち出している限り市連協も「一本化反対」を掲げることはできないことから、「学童保育つぶし」とともに「運動封じ」の意味も持っているといえる。

こうした拡充の意図に対し、市連協は以下のように反応している。

 

「今回の“はまっ子ふれあいスクール”の拡充は、市民アンケートに基づいて行うものだということです。それならば、学童保育の充実と改善を求める毎年45万人以上の署名に基づいて学童保育事業も拡充すべきではないでしょうか。“学童保育”と“はまっ子ふれあいスクール”は、目的・対象・内容が異なるので併存していくと言いながら、“はまっ子ふれあいスクール”を留守家庭児童にも対応できるようにすることは、学童保育の内容に近づけてくることであり、学童保育事業を侵害する行為です。留守家庭児童に対する施策とすべての児童に対する施策は、一線を引くべきで、“はまっ子ふれあいスクール”は、事業目的に添って、異年齢の子どもが遊びを通して交流する内容に止め、留守家庭児童に対応できるようにすべきではありません」

 

このような論理には限界があるといわざるをえまい。「全児童対策」としての“はまっ子”に「留守家庭児童対策」としての学童保育を対立させる限り、「留守家庭児童に対応できるよう、全児童対策を変更する」という動きには抗しきれないのだ。「“はまっ子”は留守家庭児童に対応できるようにすべきでない」というとき、なぜ「すべきでない」のかという問いに市連協は答えることができない。「学童保育を守る」という経験的な方向性を裏付ける有効な論理を持っていないためだ。

これに対しては内部の親たちからの批判もあり、99年度5月に行われた市連協の定期総会では、連協の出して生きた「拡充反対」の文句に対して親たちがクレームを付け、「拡充対策」に変更するという一幕も見られた。

 

「(“はまっ子”拡充に学童保育全体として反対していくという連協の姿勢について)なぜ団体として反対までする必要があるのか。親が働いていない子どもの利益を害するのでは?『好ましくない』というのは分かるが、『してはいけない』とまで言う権利はないのでは」(親 参与観察、定期総会にて)

 

 このような親の対応は、既に学童保育運動の支え手が一枚岩ではなく、様々に異なる利益を持っており、統一的な運動方針の組み立てが困難になっていることを示している。また、親たちの中には、「“はまっ子”が無料で学童保育をやってくれるのならありがたい」という人たちも少なくない。彼らにとっては「“はまっ子”の拡充を阻止する」という態度は、親たちの利益を無視した市連協のエゴイズムにさえ見えている。

市連協が切実に求めるのは「学童保育の充実」という点であるにも関わらず、そのために構築された論理は「学童保育は“はまっ子”に代替され得る」ということを暗に孕むものだった。そのため、拡充案への対策では市連協の矛盾が明らかになり、結果的に親たちとの断絶を招いてしまった。

 

725.“はまっ子”と学童保育の違い

では、“はまっ子”の制度が学童保育に近づき、市連協が主張してきた「開設時間」「おやつ」などの「制度的差異」がなくなったら、両者は同質の一本化が可能な事業になるのだろうか。そうではないだろう。“はまっ子”が増設され、開設時間なども学童保育に近づき、競合する地域が年々拡大しているにも関わらず、学童保育に対する需要は減らず、開設施設数を増し続けている。学童保育から“はまっ子”への子どもの大掛かりな移籍問題は起きておらず、「“はまっ子”はあるけど、学童保育がほしい」という親たちの声もよく聞かれる。

 それならば、そこには開設時間やおやつの有無とは別の違いがあるはずだ。学童保育と“はまっ子”の違いを明らかにするためには、この「経験的差異」に注目していく必要がある。「経験的差異」は、日常の場面や連協の内部資料の片隅で断片的に語られる、例えば次のような話に見ることができる。

 

「“はまっ子”は、市民の要望がないのに学童保育事業の他に、新たな放課後対策事業として生まれる。…学童保育事業と“はまっ子ふれあいスクール”の違いは、学童保育事業が30数年の市民の要求と運動によって生まれたが、“はまっ子ふれあいスクール”は、行政の机の上で生まれた。…学童保育の歴史を築いてきた私たちの実践には、突然現れた新規事業には決して負けない素晴らしさがあるという自信があった…」[連協:1995]

 

「学童は弁当、“はまっ子”は給食みたいなもんなの。分かるでしょ。給食は、栄養価が計算されてたりして、いいのかもしれないけど、みんな同じ物を食べなきゃならない。ひとりひとりの体質や好みを考えた手作り弁当は、意味合いが違う。」(40代父親 インタビュー)

 

「学童と“はまっ子”?そりゃ違うわよ。“はまっ子”は何といっても学校の延長だもの。きゅうくつだし、子どももやりにくいんじゃない?学童は子どもが楽しんで行ってるわよ」(母親 インタビュー)

 

「子どもにとって放課後とは…評価のまなざしから開放された時間、自分のすることを自分で決めて実行していく時間」(指導員 参与観察)

 

「現代の子どもたちは学校の中では真にリラックスできないのではないか。父母か参加し、地域と関わり、子どもがのびのびと育つ学童保育は、学校と明確に分離していないと成立しないのではないか」(指導員 インタビュー)

 

学童保育関係者は、こうした「経験的差異」をはっきり感じ取っている。しかし、市連協は行政に対する“はまっ子”との差異付けの手段として、こうした違いを用いることに悲観的だ。なぜなら、それはあまりにも非公式な人々の実感に基づくもの、あるいは実感にしか基づかないものであるため、対行政上の働きかけにおいては説得性に欠けると見なされ、公式な場の議論の対象にすることが諦められてしまっているからだ。ここでは言語化しやすい「制度的差異」が強調されるあまり、「経験的差異」の言語化が見過ごされ、運動そのものは「経験的差異」に基づきながら、その運動の表に掲げる論理としては「制度的差異」が用いられるという「運動と論理のずれ」が起こっている。

この「ずれ」の解消のために、求められるのは「経験的差異」の言語化である。私たちはすでに61「はまっ子ふれあいスクール」において「“はまっ子”との一本化は望ましくない」ことの理由として、第一におやつ提供や体調不良時の保護など必要な福祉が満たされていない、第二に「学校的空間」として子どもたちの生活を押さえつけるおそれがあるという2点を確認してきた。第一の理由は制度的差異によるものである。そして、これが満たされたとしてもまだ一本化を拒む根拠となる第二の理由こそ、上に挙げた学童保育関係者たちの感じる「経験的差異」ではないだろうか。“はまっ子”が学童保育と違うのはそれが「学校的空間」であるからであり、裏を返せば学童保育は「学校的空間」であってはならないために“はまっ子”との一本化を拒むのである。

 

73.「学校ではない子どもの居場所」として――「ゆとり教育」への告発

 学童保育は「学校ではない子どもの居場所」であり“はまっ子”とは異なる。「経験的差異」をこのように言語化することによって、市連協の論理的限界は超えることができる。さらにこの考え方は、文部省の限界を指摘することによって教育委員会の所管する“はまっ子”事業の意義を根本的に問い直しすものである。

以下では“はまっ子”をスタートさせた市当局の意図を支える文部省の方針を見てみよう。

 市当局による事業開始の理由を市連協がまとめたものによると、“はまっ子”の意図は以下のように説明されている。

 

「○近年、核家族化・女性の社会進出・地域における連帯意識の希薄化などの子どもを取り巻く社会情勢の著しい変化が進行しており、それにともない子どもたちの中にあっても人間関係の希薄化、意識や行動面での消極性、過剰な間接情報と直接体験の不足、社会性の発達や自己確立の遅れ、行動を選択し実践する意欲・態度の不足など人間形成面での様々な問題点が指摘されている。このような問題点を克服するために学校教育の場においては、生活体験・活動体験の不足を補う努力が勧められ、みずから主体的に学ぶことを重視した教育が行われようとしている。

○しかしながら、生活体験・活動体験の舞台は本来、家庭や地域であって、子どもたち自身がそれらの場で物事に対する幅広い興味・関心、異年齢の仲間たちとの交流による豊かな人間性、社会に適応する力、社会参加の意欲を身につけることができるようにすることが大事である。

○そこで、まず、このような学校外活動を可能とする活動空間を生み出すために学校施設を整備し、さらにその空間での異年齢集団による縦のつながりをもった活動の充実を図るために専任の指導員を配置することが必要である。」[教育委員会:「学校週5日制の開設と事例」「いきいき活動」他、市連協:1999]

 

 ここでいわれているのは、家族・地域による子育て機能の低下を学校教育によって補填していくことである。

このような“はまっ子”事業の主旨は、横浜市教育委員会が推進する「ゆめはま教育プラン」に添ったものである。教育委員会の方針は、家庭や地域の教育力の低下への対応として、学校の分担領域の拡大を意図したものであり、学校的空間の肥大化と結びついている。

教育委員会の発行するパンフレットには、「『まち』との連携・新たな学校教育」と題して、「子どもの教育は学校だけでなく、子どもの生活を重視する視点から、家庭や「まち」など社会全体で取り組むことが必要」であり、学校の内容を「積極的に改善し、ゆとり、活力、魅力ある学校づくりに取り組」まなくてはならないため、「教職員自身が自己変革していく」ことが求められる、としている[教育委員会:1999]。「管理教育」の批判が多かった学校教育を、成績ばかりではなく、生活まで含めた子どもの教育を考えていく方向に改革することがさかんに試みられている。低学年時の「生活科」の導入や“はまっ子”事業の実施は、その流れを受けているのだろう。

私たちは「日常生活」「遊び」といった本来勝手気ままに作られるはずの領域が、学校によって「評価」の対象にされることへの疑問を捨て去ることはできない。こうした文部省の政策のもとで、ある母親の話によれば子どもたちは「学校の中の生活科で豚汁作りやカレー作りをし、体育の授業で鬼ごっこをし」ており、それを教師によって評価される。評価を下す教師のまなざしが「できることはできないことより望ましい」という学校的なものであり、「もっとうまくできるように」なることが目指されるかぎり、日常生活や遊びの部分を学校的空間に預けることには懐疑的である必要がある。また、基礎学習の授業さえままならない負担の多い今日の小学校教師たちに、この上「しつけ」「養育」といった子どもたちの日常的ケアまで要求することには無理がある。現場の教師たちにしわ寄せされる無理や歪みは、直接子どもたちに反映されるものであることを忘れてはならないだろう。

“はまっ子”は、学校による生活領域の囲い込みという点で、生活科の延長である。教職経験者のパートナーが提供する遊びの中には、パズルの出来を競わせ早くできた子どもの名前を書くなど教育的な要素が強いものもあり息苦しい雰囲気が漂うこともあるという[佐藤:1998]。さらに、“はまっ子”では「集団の遊びの再生」が強調されるあまり、「ひとり遊びしかできなかった子が、知らないうちに集団の中へ」[教育委員会:1995]というキャッチフレーズが示しているように、仲間にうまく適応することができなかったり、集団からはずれてひとりでいることが好きだったり、ぼうっとくつろぎたい子どもたちが否定的に捉えられてしまう可能性も、無視できない。

また、しばしば強調される「学校と家庭・地域との連帯」であるが、重要なのは、この3者が子どもの居場所として個々独立していなくてはそもそも「連帯」が成り立たないという点だ。学校的空間の肥大化は、これらを学校という単一の価値観に染め上げることを意味している。3者の連帯は、「学校でうまくいかなくても家庭で安らぐことができる」「家庭だけでは網羅できない子育てに地域が関わる」などの形で達成されるものであり、それは3者が同一の価値観を内面化することとは違っている。

「学校ではない子どもの居場所」としての学童保育は、“はまっ子”を相対化する場となるに止まらず、文部省の掲げる「ゆとり教育」の矛盾を告発するまでの射程を持っている。

 

74.「家庭ではない子どもの居場所」として――市連協の限界を超えて

市連協が強調する「おやつ」「開設時間」といった“はまっ子”との「制度的差異」は、「留守家庭児童と一般児童の違い」に基づくものとされていた。しかしこの考えは、「留守家庭=母親が在宅していない=保育に欠ける」という近代的な母性概念に基づく規範を容認している点で批判を免れない。

2000年度の定期総会議案において、市連協は「留守家庭の子どもの放課後を守るのは学童保育」[市連協:2000]として“はまっ子”との対象児童の違いをアピールするとともに、「学童保育の良さと役割」を挙げた。

 

拡充型はまっ子が実施され、目的は違うものの学童保育との違いが分かりにくくなってきています。「留守家庭の子ども達の放課後は、学童保育でなくては守れない」という事を父母会で再確認しましょう。

(1)学童保育の良さと役割

・家庭にかわる生活の場であり、自分の好きなことができ、わがままも言え、甘えることもできるの

 で、ほっとできる。…

・お父さんお母さんの変わりをしてくれる大人(指導員)がいる。[市連協:2000]

 

また、20005月に行われた市連協の総会で、事務局長は次のように語っている。

 

「児童福祉事業は、『足りないものを補うもの』だ。学童保育を必要とする留守家庭児童は、家庭での保護が不足しているのだから、そこを学童保育で補わないと、一般児童と同じ水準にならない。一般児童にとって“はまっ子”が必要であるのと同じ程度に留守家庭児童にとっても“はまっ子”は必要だ。しかしそれは、一般児童が家庭で保護を受けながら“はまっ子”に行くように、留守家庭児童は学童保育で保護されながら“はまっ子”もある、という形にしなくてはならない。」(参与観察、市連協総会にて)

 

事務局長がいわんとするのは「だから学童保育と“はまっ子”は需要の次元が異なっており一本化は不可能である」ということであった。

そこでは、留守家庭児童は「保育に欠ける」児童であり、学童保育という特別な保育の場が必要なのだという認識が前提されている。この考え方は限界を孕んでいる。なぜなら、「保育に欠ける」という概念は、専業主婦の母親による育児を最上とし、「“子どもは母親に育てられる権利がある”のだから、婦人は出産したら育児に専念すべきで、職場にとどまることは婦人の身勝手な自己主張で子どもにたいする罪悪である」とする「母親育児天職論」すなわち「母性神話」に基づいているからだ[橋本:1992]。学童保育は「親が働くことによって疎かになる子育てをカバーするために」あるのではない。60年代から70年代にかけて「親の無責任」「かわいそうに、施設に預けられて」という非難と同情の対象であった学童保育の親子は、ほどなく託児所に止まらない学童保育の優れた機能を発見したはずだ。娘が学童保育に通う母親でもあるという橋本は、次のように述べる。

「いま教育実践上話題になっている“集団主義教育”――集団を通じて子どもの個性をのばす――は簡単には実現しそうもない。しかし、母親が働いているということで、同じ条件下にある子どもたちをいっしょに生活させて、その中でこの集団主義教育が実践されるのではないか、という期待が私の心をひきたたせた。…学童保育は、学齢期の放課後の大切な生活指導の場で、子どもたちの自主的な集団が上手につくられ、運営されれば、社会性(公徳心、自主性)を身につけるまたとないよい機会である。私たちは学童保育をそのように考えて積極的に地域に広めていきたい。」[橋本:1992]

 子どもの集団保育に加えて、親たちにとっては父母会を通じて指導員や他の親との育児ネットワークができることも、学童保育の大きな利点である。それは、「働いていても子育て」ではなく、「働いているからこそ、より豊かな子育て」というポジティヴな読み替えの発想である。一方で、学童保育の創成期であった60年代に政府の低保育政策の口実として流布した「母親育児天職論」は、70年代以降、育児に専念した当の専業主婦たちによって「育児ノイローゼ」「母子心中」「子殺し」「母源病」「母親蒸発」のような形で事実上解体された。[大日向:1995]

 働きながらの子育てと専業主婦による子育てはしばしば対立項のように語られてきたが、それは問題の根本を隠蔽するトリックであって、専業主婦と働く母親は「母性神話」という共通の敵を持っているといえる。働く母親に対して「子どもを放り出したおまえは悪い母だ」と囁くのも、専業主婦に対して「おまえが育てた子どもの成長はすべておまえの責任だ」と強迫するのも、正体は同じである。

留守家庭児童と全児童という分断は、すなわち働く母親と専業主婦のあいだの分断である。「共通の敵=母性神話」を乗り越えるために、私たちはこの分断の必要性を問わなくてはならない。滝谷小新BOPの事例でも見たように、学童保育の「ひとりの子どもが様々な子どもたち・大人たちとの関わり合いの中で育っていく」集団保育の機能は、留守家庭ではない家庭の子どもにとっても、必要とされていた。また、学童保育は親ネットワーク形成の場となることによって、産業社会で働く男性たちに子育てに関わる機会を提供する仕組みでもある。男性の育児参加と、職場以外の地域に根差したネットワーク作りは、「妻の就労の有無に関わらず」、ますます必要になってきている。「保育に欠ける児童のための福祉」にこだわるかぎり、学童保育はしだいに「過去のもの」として母性神話とともに風化されていくだろう。それは市連協の意図に反するものであろうし、何より「集団保育と育児ネットワーク形成」というニーズを学童保育で満たしている多くの人々にとって、望ましくない。

 保育現場で求められるものは、変化している。それはもう「欠けた保育を埋め合わせること」でもなければ、「遊び場の提供と引き換えに遊びを管理すること」でもない。子どもがさまざまな大人や他の子どもたちとふれあいながら集団で育っていくこと――そのせっぱ詰まった必要性において、親の就労の有無は関係ないだろう。子どもをめぐる環境は急速に変化しているにも関わらず、そこにおいて必要とされる新規なるものをカテゴライズする言葉を行政も、そして運動を担う私たち自身もまだ持たないのだ。すでに異物になってしまった現実を、古い概念で分節することは滑稽であるばかりか暴力的である。それはあの不自然なカーテンが「おやつを食べられる子」と「食べられない子」をつくり出したように、子どもたちを理不尽な根拠で分断することに他ならない。学童保育は、今までの学童保育を超えて、新たな概念へと変容することを迫られている。

繰り返すが、すでに学童保育は「不足した家庭の保護を補う場」ではない。それは、家庭だけでは達成できない多くの人々の関与と助力の中での豊かな子育てを実践していく、「家庭ではない子どもの居場所」なのである。

 

75.行政の意図

最後に、行政の施策における学童保育の位置づけを見ておこう。運動体が行政に対峙して働きかけるものである以上、「行政にとっての学童保育」の考察は外せない。ここでは全国的な動きである「全児童対策と学童保育の統合」をめぐる行政の意図を探る。「全児童対策と学童保育の統合」は、行政にとっては「少子化対策」「青少年の健全育成」「分配不公正の是正」「緊縮財政」など様々な問題を解決する事業として歓迎され、今後も推進されていくものと思われるが、そこに見られるのは住民の意見やニーズを汲まない行政主導の体制である。

近年、自治体による児童福祉施策は「すべての児童を対象とする健全育成施策」である全児童対策のブームである。全児童対策の充実が「留守家庭児童を対象とする学童保育」と「統合」か「分離」かという摩擦を起こしていることはすでに見た。これには2つの潮流がある。1つは児童館と学童保育の一元化の動きであり、もう1つは横浜の“はまっ子”や世田谷のBOPのように、教育委員会が主体となって余裕教室を開放し、学童保育との一本化をねらうものである。教育委員会が推し進める全児童対策は、大阪市の「児童いきいき放課後事業」、神奈川県川崎市の「アスクル」など政令指定都市を中心に全国に見られる。“はまっ子”は例外的に体面的には学童保育と共存共栄の流れにあるが、他の全児童対策は学童保育を統合している。

こうした全児童対策の充実および全児童対策と学童保育との統合の動きには、大きく分けて3つの背景が存在する。第一は、自治体による「少子化対策」と教育委員会による「青少年の健全育成」といった個別的な事業目的の存在、第二には「福祉=市民サービス」の時代における分配公正性、第三は緊縮財政による予算削減である。これらは独立したものではなく、複雑に絡み合っている。

第一の背景として、自治体にとっては「少子化対策」として、教育委員会にとっては「青少年の健全育成」として、それぞれ別個の側面から放課後の小学生児童を対象とした対策の要請が高まったことがあった。まず自治体に関しては、少子化対策に置けるその役割が、1997年の児童福祉法改正によっていっそう重視されるようになった。この法改正は、政府の少子化への憂慮を前面に掲げ、「利用者中心主義」の導入と、福祉の行政措置(「施し」)ではない「市民サービス」としての位置づけを行うことによって、副次的に「働く母親」の利便性に焦点を合わせた政策を打ち出した[21]。さらに「保育所運営の弾力化を進める」として、厚生省による全国一斉の統一的な保育から各自治体が主体となる地域に根差した保育へと、方向が転換された。これによって自治体は、政府の「少子化対策」の直接の担い手として位置づけられたのである。また、教育委員会は近年「青少年の事件、犯罪、凶悪犯罪」が大きな社会問題となる中で、「地域の教育力、安全な遊び場の確保」を増進する対策を講じる必要を迫られてきた。さらに少子化に伴って増大する余裕教室の有効活用や、退職教員の再雇用先確保といった内部からの要請も存在し、全児童対策の充実に踏み切った。

第二の分配不公正性の問題とは、福祉がより広範な人々を対象とした市民サービスと位置づけられると同時に、「留守家庭児童のみ」では不公平であるとの声が住民の側から上がっていることである。これを汲む形で自治体は「分け隔てのない放課後施策」「一般児童との交流」といった目的を掲げ、全児童対策と学童保育の統合に踏み切った。

その際、第三の背景である緊縮財政による予算削減が、大きく作用していることは疑いない。「分け隔てのない放課後施策」は実質的には「手厚い保育はもう必要ない」という方針となり、職員数の削減がなされた。全児童対策と学童保育の統合は、「子どもの統合」というよりむしろ「予算の統合」であった。

すなわち、全児童対策と学童保育の統合とは、「教育」という独立した磁場から生まれた全児童対策事業が、事業内容の近さから、「分配不公正の是正」「緊縮財政」という明示的・暗示的な理由によって事後的に学童保育を吸収したものと理解できる。「少子化対策」「青少年の健全育成」「分配不公正の是正」「財政の効率化」といった個々に独立した行政の課題が、「全児童対策と学童保育の統合」という形において、結びつくのである。ことに「少子化対策」と「財政の効率化」という相反する2つが「統合」によって矛盾なく達成されることに注目したい。以下は、全児童対策である児童センターと学童保育の「一体的運営」を掲げた品川区の「児童センター行政検討委員会」の報告文書である。

 

品川区の厳しい財政状況と今後の少子高齢社会における児童福祉行政を見据え、また、区議会の提言を踏まえて、これからの児童センター運営についての検討を行うため、平成95月に課内の検討組織として「児童センター行政検討委員会」が設置された。…児童数が減少する中、少子高齢社会への新たな行政需要に的確に対応するためには、児童センター等においても簡素で効率的な行財政運営が求められ、常に不断の見直しに務めなければならない。…(児童センター担当職員と学童保育担当職員の)セクショナリズムを排し、全職員の相互協力の下、新たなニーズに対応できる体質に転換しなければならない。…具体的には、現行のセンター担当と学童保育クラブ担当で業務を融合化し、重複する部分を整理するものである。[児童センター行政検討委員会報告(品川区):1997]

 

 品川区では「セクショナリズムを排す」の名目のもとに児童館内の学童保育の指導員数が減らされていた。それが少子化対策の一環として位置づけられているのである。このように、「全児童対策と学童保育の統合」は、行政にとっては様々な目的を同時に達成できる望ましい方向性であるため、今後も増加していくものと思われる。

しかし、こうした統合の結果生じる諸問題については、新BOPの事例ですでに見た通りである。住民の意見を汲むこともなく、十分な説明もなされず、自治体内部の動機付けのみによって、性急に行われた「統合」は、様々な矛盾を現場にしわ寄せした。新BOP統合後も、BOPを所管する教育委員会教育政策担当課と学童保育を所管する保険福祉部児童福祉課のセクショナリズムが残存し、「子どもがどの事業内で怪我をしたかによってお金の出所が違う」「新BOP内学童保育の指導員は仕事は新BOPとして行うが、待遇は保険福祉部児童福祉課によって保障されている」など、責任の所在が分かりにくいという事態が残った。このことは、新BOP統合が事後的な「思いつき」に基づく計画性を欠いた事業であったことを示している。

学童保育運動が求めているのは、単に学童保育の運営資金を行政から絞り取ることではない。それは、住民でなく行政が主体となる現在の福祉施策への告発という、よりラディカルな意味合いを持っている。行政の施策は、「分け隔てのない放課後施策」にしろ「少子化対策」にしろ、学童保育の厳しい実情を積極的に救うものではなかった。ここに、長年法的位置づけのないまま住民のニーズと関与のみによって支えられてきた学童保育の、行政の施策の日陰となりがちな位置の特殊さがある。しかし、施策の恩恵を被ることができない現状を悲観することはない。学童保育はその矛盾に満ちた位置から発言することによって、官主導的な福祉施策のあり方に再考を迫ることができるのだ。従って、私たちが要求するのは、官主導的な施策における全児童対策との「平等扱い」ではなく、そうした施策のあり方そのものの見直しである。「“はまっ子”の充実のためには事業費を惜しまないのに、学童保育には充分な事業費を与えないのは行政の差別。“はまっ子”と同じ条件にしてほしい」というのは易しいが、そうではなくて、「学童保育は家庭でも学校でもない子どもの居場所として子どもの育ちにコミットしていく。そのような住民ニーズとしての学童保育を支えることを通して、行政も子どもの育ちにコミットしていくべきである」という働きかけの主張こそが、前者に代わる言葉を得た後にいえる私たちの本来の主張である。

 

8.結論――横浜市への政策提言

本研究では、横浜の学童保育に焦点を当て、その現状・問題点と解決の糸口を探ってきた。本章では、これまでに得た分析結果を振り返り、横浜市に対する政策提言を行うことによって最終的な結論としたい。

5章において明らかにした横浜の学童保育の抱える問題とは、以下の3点だった。

@親たちの事務的・金銭的負担の重さ。(行政が開設場所、保育料を保障しない。)

A父母会が直接指導員を雇用するシステム。(親と指導員の間に雇用・被雇用という非対称的な関係を創り出す。)

B指導員の労働環境の悪さ。(閉鎖的な女子労働市場、専門性の軽視。)

これを踏まえて、以下では学童保育の望ましい運営制度とそのための改善点を指摘する。

 

81.学童保育の望ましい運営制度

811.長期的展望――『公設民間委託運営』

現在横浜市が採用している学童保育の運営制度である運営委員会委託方式は、その限界を踏まえて以下のように変革されるべきである。ここに示すのはもっとも望ましい最終的な形であり、その実現のために計画的に努力されるべき長期的展望である。

 

@開設場所、保育料、指導員の賃金などの基本的な制度的基盤は原則的に自治体が保障すること。

A指導員の人事権を含む運営の裁量は、各施設の父母会に帰属するものとし、行政は現場の決定を尊重すること。

B指導員を公務員化しないまま、公務員に匹敵する安定した雇用と待遇を保障し、研修制度などによって指導員の専門性の評価と強化に務めること。

 

@は、公費負担の原則を打ち立てることである。開設場所・保育料・指導員の賃金は、横浜の学童保育の最も基本的で切実な問題であるため、長期的展望といってもできるかぎり迅速な対応が望まれる。また、横浜市は児童福祉施策の貧困さで全国に名を馳せる都市である。学童保育事業の公費負担の展望を掲げることは、「子育てに冷たい横浜市」の汚名を雪ぐことにもなる。

Aは、自由な運営を現場に保障することである。現場の保育実践は現場の子ども・親・指導員によってつくられるものであり、行政に枠を決められるものではない。みなとクラブのあった東京都品川区のような、運営への著しい介入は行政にとっても負担が大きいはずであり、当事者の自立性に任せた方が遥かに効率的である。横浜市では現在のところみなとクラブで見たような運営への行政の介入はなされていないが、@の公費負担は抱き合わせで介入を許すものではないことを強調しておきたい。

Bは、安定した雇用と待遇によって指導員の「経験」という専門性を評価し、市連協とともに研修制度を充実させることによってそうした専門性の強化に務めることである。ケア労働における専門性の評価は、それまで「ボランティア精神」「愛情深さ」など労働者の性質に還元され、不可視化されていた無賃労働の領域を、市場における賃労働へと回路付けることにもなる。

 この「公設民間委託」ともいうべき運営制度は、第3セクター型の組織運営全般に適応可能な汎用性を持っている。「維持可能な社会sustainable society」が目指される今世紀、ニーズの質・量ともに肥大化する社会福祉や環境保護といった分野は、中央政府から地方自治体への裁量委譲と、住民と第3セクターの参加を要請している。「公設民間委託」は、住民の望むサービスを住民自身が主体となって提供する自律的な運営制度であり、長期的に見れば行政にとってもメリットは大きいといえる。

 

812.短期的展望――運営委員会委託制度の改良

 しかしあくまでこれは長期的展望である。短期的には、既存の運営委員会委託制度の改良という形で、計画的に現状に対処していくのが望ましい。以下では、本研究の分析結果と市連協の要求をもとに緊急になされるべき施策をまとめ、短期的展望を行った。

 

@開設場所の家賃補助および公的施設の開放

A委託の4条件(保育場所に必要な施設、13年生までの児童20人以上、2人の指導員、運営委員会の設置)の緩和

B指導員の待遇改善

C障害児が在籍している施設に対する人件費の増額、専門知識の提供

D条例制定

 

 @開設場所に対する援助は、最も切実で緊急を要する課題である。横浜市では開設場所確保が父母会の責任とされているため、高額な家賃と施設不足が大きな問題になっている。横浜市で最も高額の家賃を支払っている中区「本牧かもめ学童保育」では、家賃が月額27万、それを支えるために保育料が22.000となっており、学童保育を必要とする母子・父子家庭が経済的理由から利用しにくいという実態がある。また、神奈川区「中丸やまばと学童保育」は、「アパートの8畳間に31人の子供が過ごす」として劣悪な保育環境を週刊誌に掲載されたが、その連載のタイトルは「行政に殺される子供たち」というセンセーショナルで的を得たものだった[PRESIDENT 30 OCTOBER154]。アパートの一室で開設しているため「静かにしなさい!が口癖になってしまった」「子どもがうるさくすると、手で口を塞いでしまう」という話も聞かれる(指導員 参与観察 市民局交渉にて)。立ち退きを迫られているのに次の開設場所を見つけられない施設もあり、事態は非常に深刻である。行政が開設場所を確保することが無理だというならば、せめて家賃補助だけでも緊急になされなければならない。また、市内の小学校に約1.700ある空き教室を学童保育のために開放することも望まれる。空き教室利用は市連協によって要請され続けてきたが、市は「空き教室は教育目標を優先する。学童保育は長期的・固定的な使用となるた開放を許可できない」と回答してきた。学校施設利用については問題点も多く、一概に望ましいとはいえないことは62章で分析した通りである。学校施設利用は、長期的には学校施設が脱学校化され地域に開放された後で促進されるべきであるが、中期的には子どもたちを学校的空間の中に囲い込むことになるため控えるべきである。しかし、上に見たような差し迫った厳しい現状に照らして、応急処置的に学校施設を学童保育に提供することはどうしても必要なのである。

 A委託の4条件は、市から委託料を受けるために超えなくてはならない高いハードルである。開設場所の確保に加えて、「13年生までの児童20名以上」という条件が多くの施設にとって重い負担となっている。年間600万余りの委託金を受けることができなければ、指導員の基本給までも父母会が持つ「共同保育」の状態に舞い戻るしかない。これは個々の施設にとっては死活問題であり、委託を申請する4月の時点で頭数を揃えるために、「途中で退所してもいいから、とにかく入所して」といった勧誘がなされたりする(指導員 インタビューより)。児童数をより少なく設定するか、対象児童の学年の幅を広げるなどして条件を緩和すべきである。東京都では学童保育の対象児童は小学校4年までであり、市連協も対象児童の学年引き上げについては市に要請を繰り返している。これはぜひとも受け入れられるべきだろう。その他、「20人を切ったから委託を打ち切る」というのではなく、児童数に応じた委託料を出すといった柔軟な方法も考えられるはずだ。

 B指導員の待遇の悪さでも、横浜市は定評がある。勤続給も退職金もなく一年雇用の指導員たちは、劣悪な労働環境に置かれている。“はまっ子”のチーフの基本給180.000円とたびたび比較される指導員の基本給は、146.000円である。これは高卒の初任給に及ばない「生活できない」賃金である。横浜のある指導員たちは、以下のように語る。(A:指導員40代女性、B:指導員20代女性)

 

B「結婚退職多いですよ、この職業。」

A「だって生活できなくなっちゃうじゃないですか。男の人はとくに。基本給14万だったらやっぱり考えちゃうじゃないですか。…また学童に戻ってくる人もいますけどね。学童がいいって。でもそりゃ厳しいものがありますよね、基本給が14万っていうんじゃね。やっぱり、最低生活できるくらいの賃金がほしいですよね。ひとりで生活できる、まあ、アパート、安いアパートを借りて、自分で食べていけるっていうね。そのくらいは、お給料として市に要求したいですね。父母には、もういっぱいですもんね。父母は保育料出しててね。だから、お願いするには市しかないんでね。」…

B「…経験給があるっていうのも大きいとおもうんですよ。普通ないから。うちは(父母会が負担していて)あるんですけど。市がつけてくれると、ある程度年齢が重なっていけば、男の人でも続けていけるじゃないですか。でも、その経験給がなくて、ずーっと14万じゃないですか。それこそ、退職するまで。子育てできないですよね。家族養えない。それは大きいなーと思います」

A「ねー、基本給14万でもね、経験給が5千円でも3千円でも毎年上がっていけばね。そしたらほら、少しは見通したてられるじゃないですか。経験給を市が保障してくれればね、父母にそんな負担かけなくてすむんだよね。」(指導員 インタビュー)

 

父母会と指導員の間の雇用・被雇用という非対称の関係を改善する意味でも、指導員の待遇は行政が完全に保障するべきである。それが即座には無理というならば、せめて勤続給と退職金だけは加算される必要がある。指導員は子どもや親の望みを直接保育サービスに具現する要である。指導員の待遇改善がなくては、学童保育のサービス向上はない。

 C障害児受け入れ問題については、本研究では触れることができなかったが、事態は非常に深刻である。学童保育の障害児受け入れは絶対に必要なことであるし、現に受け入れている施設も多い。しかし、市による人件費の補助がないままの障害児受け入れは、新たに指導員を補充する場合は父母会の金銭的負担に、補充しない場合は既存の指導員の無賃労働増加につながるのである。集団保育・育児ネットワーク・親の労働の保障といった学童保育の機能は障害児とその親にとって切実に必要であるにも関わらず、その受け入れは各施設のボランティア精神にかかっているというのが現実なのだ。今必要とされているのは、人件費の増額と、専門家の巡回や研修整備などによる障害児保育に関する専門的知識の現場への提供であり、それらは市の責任においてなされなくてはならない。

 学童保育の障害児受け入れに対する補助の制度化は、他の自治体ではすでに行われている。埼玉県では、市民運動を受けて1986年障害児施策として「障害児担当指導員に対する補助」「賠償責任保険に係わる補助」が新設された。これによって、「小学校低学年の学童おおむね二十人の他に、低学年の障害児(身体障害者手帳、または、療育手帳を所持)を五人以上入所させている」「指導員が、保母(保育士 筆者注)、児童指導員または養護学校教諭の資格を有する」の2つの条件を満たした学童保育施設に、障害児担当指導員1名分の人件費を補助するとともに、人数に係わらず障害児のいる学童保育施設に対して賠償責任保険の保険料を補助することが決定された。さらに1988年からは「養護学校学童保育」に対する補助が新設された。これは、養護学校に通学する障害児童を対象とし、「適当な施設」「指導員」「養護学校に通学する十人以上の障害児」の3つの条件を満たす施設に対して、2名分以内の人件費と賠償責任保険の保険料を補助するというものである[森川:1989126]。また、京都市でも「障害児にも学童保育を、豊かな放課後を」の声のもとに展開してきた運動によって、1992年ついに制度が見直された。そこでは、@受け入れを促進するため統合保育対策補助金が1人月額22千円から238百円に増額される、A「重度障害児加算制度」が新設され重度障害児一人当たり月額16千円が加算される、B障害児を学童保育の対象外とする障害児排除規定が改正・削除されるなどの改革が行われた上、「全紙に障害児専門の指導員が一名は位置され、各館所(児童館・学童保育所 筆者注)の援助態勢も緒につき、トイレや段差の解消など必要な施設・整備の改善も順次計画的に実施していくこと」も報告されている[市田・津止:199292]。これらの制度は、運用の現場では「実際に障害児が利用できるまでの条件整備がなされていない」など改善の要求も出されているが、障害児受け入れに対する補助の制度化がなされた点において非常に意義深い。他都市の実践に習ってできるだけ早い横浜市の対応が望まれる。

 D条例の制定も、本研究では特に触れなかったが市連協によって強く要請されている項目である。現在横浜市には「横浜市学童保育事業実施要綱」が存在するのみで、条例はない。上に示した事柄を盛り込み、学童保育の内容充実を制度的に保障する条例は、ぜひとも制定されるべきである。

 

82.横浜市の現状と課題

 財政危機を理由に福祉における予算増額を渋っている横浜市の予算編成とは、実際にどのようなものだろうか。以下では、市連協のまとめた「横浜市の2000年度予算案の特徴」をもとに、市の財政構造とその問題点を見ていく。市の予算が大型公共事業を中心とし、住民の暮らしと結びつく福祉施策は圧倒的に遅れていることが分かる。

2000年度の横浜市の予算は、一般会計総額13.412億円(前年度比3.1%減)、特別会計11.788億円(6.8%増)、公営企業会計6.448億円、合計で31.649億円(1.1%増)となっている。不況による市税収入減少の中、3年連続の緊縮財政である。今回の予算編成には、情報公開手数料の無料化、幼稚園への就園補助の拡大、小中学校校舎の整備費の68億円増額、学校環境の整備の95000万円増額など、市民のニーズに応えた面も見られる。しかし、大型公共事業中心の財政構造は変わっておらず、MM(みなとみらい)21計画に総額327億円、京浜臨海部整備77億円、南本牧埠頭の建設192億円、本牧埠頭の整備費には33億円増の47億円、大桟橋地区の国際客船ターミナル建設には80億円増の92億円が盛り込まれている。MM21事業は市民の目には観光地開発の印象が強く、国際客船ターミナルはどれほどの利用客があるか分からないといわれている。さらに今回の予算では観光コンベンション振興費を25000万円増の23億円とするなど、市民のニーズとかけ離れた部分に財政が投入されている。

一方、児童福祉の予算は全体5896200万であり、決して充分な額とはいえない。(そのうち学童保育の拡充は6ヶ所4000万増の92600万、“はまっ子”の拡充は36ヶ所38800万増で215100万である。)「横浜は子育てに冷たい」といわれているが、これは学童保育事業の後れもさる事ながら、保育園の数が極端に不足しているためである。98年に厚生省が行った調査によれば、横浜市は、保育園を必要としているにもかかわらず入れない「待機児童」の数が1845人と、二位の大阪市1066人に大差を付けての全国一位という不名誉な実態が明らかになった[22][厚生省:1998]。また、中学校給食が全く実施されていないのは、県下でも政令指定都市の中でも横浜市だけである。給食問題について政府は「母親の愛情弁当」という論理を盾に実施を拒んできたが、2000年度ついに「愛情弁当論」の破綻を認め、弁当予約販売システムの導入を盛り込んだ。もっとも、これは市民の望む栄養のバランスの取れた給食とはかけ離れたものである。いずれにしろ、保育園の整備の後れや「愛情弁当」が公然と議論される背景には、厚生省の掲げる「男女共同参画社会」にも矛盾する「子育ては母親の役目」という保守的な価値観の色濃い残存を指摘できる。

大型公共事業中心の財政構造と、福祉を家族に押し付ける「日本型福祉」。旧態依然とした体質を根本的に改造していくことが、今横浜市に求められている。

 

9.これからの学童保育

91.本研究の意義と限界

本研究は、横浜の学童保育を対象とし、その置かれている現状を分析することを通して、横浜市の学童保育事業の制度的な問題点とその改善方法を明らかにした。本研究に意義があるとすれば、以下の2点であろうと考える。

第一に、現場における参与観察から住民のニーズを汲み取り、運動体と行政への方向性の提示を行うことを通して政策決定につなげるという一つの回路を示したことである。これは「住民参加型地域福祉」に向けての第一歩である。現場に生きる人々の言動から彼らの要求を拾い集め、それを行政に対して説得性を持つ形に言語化・理論化していく点に、分析するものとしての本研究の位置はある。個々の学童保育施設における日々の実践の中でこそ、制度変革への要望と兆しは生まれるが、現場の声はそのままではあまりにも粗削りで無防備だ。分析するものは、彼らの声を「彼らに代わって」伝えるというのではなく、それに手続き的な加工を施すことによって、あくまでも政策決定過程の一サイクルの中で、仲介者としての役割を果たすに過ぎないだろう。本研究はそのような「住民参加」の可能性の一端を提示できればと願っている。

第二には、学童保育運動に長期のプランを示したことだ。横浜の学童保育はあまりにも劣悪な環境に置かれているため、市連協は緊急を要する課題に焦点を当てざるを得ず、長期的な「夢を語る」というリーダーシップを発揮できずにいた。学童保育の過酷な現状はいくら強調してもし過ぎることはないが、目の前にある問題の解決のために構築される運動の論理が、長期的には意図に反して現場の人々に牙を剥くこともありえるのだ。そこに内在する矛盾を可視化し、それを含めて言語化することが必要だった。

一方で、本研究は以下のような限界を持っている。

第一に、地域格差を明らかにしなかったことである。学童保育は都市部と農村部ではニーズも実態も大きく異なっているが、本研究では対象を横浜市と東京都に限定したため、都市−農村格差に踏み込むことはできなかった。

第二に、国際的アプローチに欠けることである。外国の学童保育との比較によって、日本の学童保育の問題を再発見し、より望ましい制度を模索していく必要がある。ことに優れた内容と充実した制度で知られるスウェーデン、デンマーク、ノルウェーといった北欧の学童保育は、有効な模範を示してくれるだろう。

 

92.「留守家庭児童対策」を超えて

学童保育運動は、しばしば矛盾に満ちているように見える。学童保育に関わる人々は、行政による援助を求めながらその介入を拒絶し、法制上の公的な認知を求めながらその形式から逃れたがり、質の低い施設を救うために一定の基準を求めながら、個性化や多様性を肯定する。しかしそれらはすべて、「働きながら豊かな子育てをしたい」というあまりにも基本的で当然の願いから発していることなのだ。仕事を持つ女性の増加や、男性の意識改革に伴う父親の育児参加の増加によって、この願いは多くの親たちに共有されるようになっている。

 2000年度の運動方針として市連協は「留守家庭の子どもの放課後を守るのは学童保育」という文句を前面に掲げている。「留守家庭の子どもは学童保育に継続して来なくてはならないのであり、来たいときだけ来ればいい他の子どもとは違う。留守家庭の子どもには家庭に代わる特別なケアが必要なのだ」――このような方針は、確かに目の前の問題である“はまっ子”との一本化提案に抵抗するには有効である面もあるのかもしれない。しかし「母親が働く=保育に欠ける」という発想の支持は、学童保育にとっては自己矛盾であり、「母性神話」の虚構性が暴かれつつある現実への不適応である。学童保育は「母親が働くと育児が疎かになる」という主張が隆盛を極めたまさに196070年代に立ち上がり、そのような行政の姿勢に対してきっぱり「ノー」といい続けてきたのではなかったか。「学童保育=留守家庭児童対策」の限界に、市連協は目を向けていかなければならない。

本研究で私は、「全児童対策としての学童保育事業」を提示してきた。しかし、それによって望まれるのは現在の全児童対策と学童保育の安直な統合ではない。全児童対策のBOPと学童保育を、机の上で足し算するように一本化した世田谷新BOPでは、「カーテンおやつ」「専任指導員の削減」「学校側の運営介入や施設利用制限」などさまざまな問題が噴出していた。「全児童対策としての学童保育」を求めた結果、それまで学童保育で保障されてきた子どもの福祉がおろそかになるようなことがあってはならない。例えば、「母親が働いている・いない」という差異が目の前にあるにも関わらず、それを無視してみな一様に扱うのは乱暴である。子どもたちの置かれた様々な状況をひとつひとつ把握し、継続的にケアしていく必要がある。

「留守家庭」とひとくくりにしてきた学童保育の子どもたちの背景も、両親とも雇用労働者の場合もあれば自営業者の場合もあるし、高学歴高収入のキャリアカップルもあればパート妻と中堅サラリーマンの組み合わせもあり、母子家庭があり、父子家庭があり、第一子の育児に追われる若い親があるかと思うと、何人もの子どもを育てるベテラン親もあるという具合に、実に多様であった。学童保育は、さまざまな「違い」を持った子どもたちがひとりひとりの「違い」を大切にされて、ぶつかり合う場だった。ならば「母親の就労の有無」だけがなぜ、そうした多くの「違い」のうちのひとつとして認められてはならないのだろう。他のどのような差異よりもまず「母親が働いているかいないか」という差の方が大きいように錯覚させたのは、例の母性神話だったのではないか。単親家庭の子どもに両親のいる子どもとは違ったケア(家庭事情に特に配慮する、親の帰宅に合わせて預かり時間を長くする、「おとうさん」「おかあさん」といった言葉の使い方に注意するなど)が必要だったように、留守家庭の子どもには専業主婦家庭の子どもとは異なるケアを提供する。それを学童保育の中で行うことは可能であるし必要であると思う。

女性に子育てからの自由を。男性に子育てへの自由を。そして、子どもたちに集団で育つ権利を。そのために、「留守家庭」「一般家庭」という差別的な分断は必要ない。「保育に欠ける」児童の保護から始まった学童保育は、立ち上がりから30年あまりを迎える今日、創始者たちの意図を超えて、すべての児童の豊かな育ちをサポートする事業として再編成されようとしている。

 

 

参考文献

朝日新聞2000423

足立美樹 2000「『産育コスト』分担の現状と課題」

網野武博・濱野一郎共編 1995「子どもと家庭――21世紀日本社会に生きる子ども」中央法規出版

安藤京子 1998「ぼくらは放課後に育った」共同文化社

海老原治善、土井洋一、竹内敏 1983「子ども・地域にせまる児童館活動」エイデル研究所

藤本文朗・三島敏男・津止正敏編 1992「学校5日制と障害児の発達」かもがわ出版

学童保育編集委員会編 1998「シリーズ学童保育」大月書店

橋本宏子 1992「女性労働と保育――母と子の同時保障のために」ドメス書房

原ひろこ・舘かおる編 1991「母性から次世代育成力へ――産み育てる社会のために――」新曜社

市田弘子・津止正敏 1992「障害児の放課後と学童保育要求」、藤本文朗・三島敏男・津止正敏編1992「学校5日制と障害児の発達」かもがわ出版

Illich,Ivan 1970  Deschooling Society, Harper and Row1977 東洋・小澤周三訳「脱学校化の社会」東京創元社

――――― 1981  Shadow Work, Marion Boyars1982 玉野井芳郎・栗原彬訳「シャドウ・ワーク――生活のあり方を問う」岩波書店

井上・上野・江原編 1995「日本のフェミニズムD母性」岩波書店

加藤翠 1991「共働き子育て」中央法規出版

宮本憲一 1998「公共政策のすすめ――現代的公共性とは何か」有斐閣

―――― 1992「現代の地方自治と公私混合体」自治体研究社

―――― 1999「公共政策と住民参加」公人の友社

茂木俊彦・田中島晁子 1989「学童保育と障害児」一声社

森川鉄雄 1989「埼玉県 県・市連協の運動と条件整備」、茂木俊彦・田中島晁子 1989「学童保育と障害児」一声社

森崎照子・近藤郁夫 1999「心を抱く」ひとなる書房

村山士朗 1998「私の学童保育論」桐書房

日本女子大付属家庭福祉センター 1993「学童保育の福祉問題」勁草書房

落合恵美子 199721世紀家族へ」有斐閣選書

――――― 1989「近代家族とフェミニズム」

OECD教育研究革新センター 1998「親の学校参加――よきパートナーとして」学文社

大日向雅美 1988「母性概念をめぐる現状とその問題点」、井上・上野・江原編1995「日本のフェミニズムD母性」岩波書店

大阪保育研究所 1986「子育ての輪をひろげる・証言で綴る大阪保育運動の歴史2

佐々木保行ほか 1982「育児ノイローゼ」有斐閣

佐藤由美 1998「子どもの『遊び』を再生するために」ASHITA

佐藤学 1999「学びの快楽――ダイアローグへ――」世織書房

社会保障研究所編 1994「現代家族と社会保障」東京大学出版会

下夷美幸 1994「家族政策の歴史的展開――育児に対する政策大砲の変遷」社会保障研究所編

―――― 1994「現代家族と社会保障」東京大学出版会

東京都学童保育連絡協議会編 1999「ぼくらのオアシス学童保育」一声社

上野千鶴子 19911.57ショック 出生率・気にしているのはだれ?」ウィメンズブックストア松香堂

横田正子・大阪保育研究所 1984「子育ての大地を耕す」あゆみ出版

吉廣紀代子 1987「子どもに子ども時代を――遊びで育てる学童保育」東京書籍

横浜学童保育連絡協議会 1977「学童保育と子どもたち」

――――――――――― 1993「横浜の学童保育運動1993年度定期総会議案」

――――――――――― 1994「横浜の学童保育運動1994年度定期総会議案」

――――――――――― 1995「横浜の学童保育運動1995年度定期総会議案」

――――――――――― 1996「横浜の学童保育運動1996年度定期総会議案」

――――――――――― 1997「横浜の学童保育運動1997年度定期総会議案」

――――――――――― 1998「横浜の学童保育運動1998年度定期総会議案」

――――――――――― 1999「横浜の学童保育運動1999年度定期総会議案」

横浜市教育委員会 1995「はまっ子ふれあいスクール モデル実施報告書」

―――――――― 1998「『はまっ子ふれあいスクールに関するアンケート』集計結果」

―――――――― 1999「ゆめはま教育プラン――『まち』とともに歩む学校づくり」

全国学童保育連絡協議会 1999「学童保育 実態調査のまとめ」

――――――――――― 2000「『すべての児童の健全育成施策』と学童保育」

全国学童保育連絡協議会編 1998「学童保育のハンドブック」

 

謝辞

 2年生の女の子が、頬を紅潮させていう。

「ちゃどくががいるからつばきの木からはなれて!」

 喉に詰まった小さな恐怖と、背中を駆け上るわくわく。「なになに」と覗き込んだ私の手を取り、ますます興奮して子どもは叫ぶ。「ちゃどくががいるから!」

2000年初夏、「めだか学童クラブ」で指導員のアルバイトをしながらフィールドワークをした頃から1年が過ぎようとしていた。久しぶりに訪れてみると、庭で指導員のBさんが木の実を煮出して毛糸を染めているところだった。「茶毒蛾が巣をつくったの。刺されると真っ赤になるから、気を付けてね」おっとりした彼女はにこにこという。はい、と私は頷いた。ちょうどおやつ時で子どもたちは庭でおやつを食べていた。古い民家に囲まれた小さな砂利の空き地にオレンジの香りが満ちる。去年食いしん坊だった子どもは、今年も一番におかわりをしている。口の悪い子は相変わらず私を「ばばあ」とののしり、負けん気の強い子は性懲りなく私をトランプに誘う。「ねえねえあとでスピードしよう。」その一方で、去年はゲームをすればルールが分からず「ずる」をし、話をしてもうまく言葉にならずにきゃあきゃあ奇声を発していた子が、今年は「ちゃどくががいるからつばきの木からはなれて」といったりするのだ。

その日私はフィールドワークにちょっとした行き詰まりを感じて、もやもやした気分を抱えながら前触れなくめだかクラブを訪れたのだった。子どもたちと遊び、おやつを食べ、蘇生した私は軽い足どりで学童保育を後にした。

「私にとっての学童保育」はそのようにあった。

 学童保育をテーマに卒業論文に取り組むことができたのは大変な喜びである。これも協力してくださったインフォーマントの方々と、ご指導いただいた先生方のおかげである。

 アルバイトをしつつ調査をすることを許可してくださり、お忙しい中アンケートやインタビューに答えてくださった「めだか学童クラブ」の父母会の皆さま、指導員の方々には本当にお世話になった。未熟で生意気な私に辛抱強く付き合ってくださり、調査を応援してくださったお心の広さに深く感謝したい。そして、何も分からない新米アルバイト指導員だった私を受け入れてくれ、「もういちまい、かきたい!」という驚異のボランティア精神でアンケートに協力してくれためだかクラブの子どもたちには、最大級のありがとうをいいたい。その他、お忙しい中快く調査を引き受けてくださったすべてのインフォーマントの皆さまに、心からの感謝を捧げる。

また、論文指導では、小熊英二先生と東京大学上野千鶴子先生のお二人に大変お世話になった。上野先生には、学外から押しかけてきた学費未納の「食い逃げ」学生である私を約2年もの間快くご指導いただき、感謝してもし尽くせない嬉しい思いでいっぱいである。直接頂いたアドバイスや細かな赤ペンのコメントのみならず、上野先生の数多くのご著作には、その徹底したお優しさに、幾度となく感動を覚え励まされた。小熊先生には、学童保育に対する私の問題意識が芽生え、育ち、葉を付け、実を結ぶまでの全過程を温かく見守っていただいた。適度に放任しつつ日照りのときには必ず水をやってくださる小熊先生のご指導がなければ、自分の問題意識をこのように形にすることはできなかっただろう。深く感謝している。

 

 

 



[1]児童福祉法改正後も、法文の中に温存された表現。母親が在宅している場合は「保育に欠けない」という解釈が成り立つため、研究者から批判の声が上がっている[大日向:1988、下夷:1994など]

 

[2] 学童保育が成立した初期の頃、指導員として子どもを引き受けたのは「編み物をしながらでいいから子どもを見ていて」と言われた一介の主婦たちであった。働く母親のせっぱ詰まった要請と、保育というケア労働の専門性軽視の風潮が伺える。やがて“編み物おばさん”は結集し、「指導員の専門性」を追求する勉強会を開くようになる。1974年茨木市において「研修を主にした指導員集団“文月会”」がつくられるなど、指導員の身分保障の獲得、指導内容の向上などを目指す動きは各地に広がっていった。[横田:1984]

[3]  もっとも、役員メンバーにOB親・OB指導員が多いのは、その活動の負担があまりにも大きいため、現役の親・指導員は忙しすぎて関われないことも大きな理由のひとつである。

[4] しかし、これらの境目は複雑になってしまった。なぜなら、私自身が指導員として日々の生活に参加していたため、他の指導員に対する仕事上の質問と調査上のインタビューが混同されたり、指導員としての自分の子どもとの関わりを、調査者としての自分が観察していたりといったような事態が発生したからである。めだかクラブの指導員については、自分自身が調査者であり回答者であったことを確認しておきたい。

 

[5] 私のことである。

[6] 虹クラブと交流があり、めだかクラブの指導員とも親しい他施設のある指導員(47歳女性 既婚)は次のように語った。

「虹クラブでは、指導員に関するトラブルが多い。3年前に20年以上勤めた指導員のGさん(40代女性 独身)が辞めた。虹クラブは経験給が高いので、長く勤めて基本給が20万を超えていたGさんは居辛くなったのだろう。相棒の指導員Hさん(40代女性 独身)は78年勤めていたが、権威主義的で人当たりが悪く、あまりいいパートナーシップが取れていなかった。それから何人か新しい指導員が入ったが、Hさんのやり方についていけず、みんなすぐに辞めてしまった。Eさんが入ったのが1年前。10ヶ月ほど前とうとうHさんが辞め、アルバイトだったFさんが専任に格上げされて今に至る。現在は、父母会も指導員も人間が総入れ替えで、誰も過去を知らない状態。昔は熱心な運動家の親やベテランの指導員がいたのに、人が変わってからはさっぱり。受け継がれているものがぷっつり途絶えてしまい、親も指導員も不安定になっている。」

 

[7] シュタイナー教育とは、ドイツの思想家ルドルフ・シュタイナー(18611925)が、1919年自ら創立した「自由ヴァルドルフ学校」で始めた教育。「エポック授業」「八年間一貫担任制」など独特のカリキュラムを持ち、「子どもに対する畏敬の念」「自然との共存」などが主張されている。日本では1970年代以降に多く紹介され、「自由で、個性的で、芸術的な教育」として知られるようになった。自然の素材を使った手作り品や、色彩豊かな校舎も有名。[西平:1999]

[8] 服部由紀子 2000「老いと近代――労働と生きがいについて」慶應大学総合政策学部卒業論文

[9] 運営委員会には、当初、この他にチーフパートナーと同じ教職経験者の専任職員「サブパートナー」と呼ばれる役職が設けられていた。しかし、95年の運営変更によってサブパートナーはなくなり、その分臨時職員であるアシスタントパートナーの人数が増やされた。変更の理由は「資金不足」とのことである。

[10] 退職後の高齢男性の再就職と「生きがい」については、前掲書[服部:2000]

[11] 教育委員会は、「“はまっ子ふれあいスクール”は学校生活の延長という側面がある」ことを認めた上で、「日々の運営に関しては専任職員を中心にして運営を行っており、原則として、当該小学校の教職員が直接事業にかかわることはありません」と説明する[教育委員会:1995]。しかし、子どもたちの直接の教員ではないにしても、パートナーが退職教員とPTAである以上、“はまっ子”の内容は学校の管理的性格と無縁であることはできない。

[12] 変更後の要綱の内容は、下浦によれば以下である[下浦:1998]

 

(1)指導時間を「おおむね午後五時まで」から「おおむね午後六時まで」に延長する。

(2)対象児童については、「小学校三年生まで」を「小学校四年生まで」に変更、更に後に「おおむね満十歳未満の児童として、(補助の)必須条件からはずす」と修正される。

(3)障害児の受け入れについては「小学校三年生まで」を「小学校全額年」に変更、更に「補助の必須条件からはずす」と修正される。

(4)保護者負担については「保育料として国庫補助相当額を徴収することを前提とする」としてここ補助を取り込みうる制度に変更する。

(5)補助対象らクラブについては、「公設のみ」だったものを「設置主体を問わずに十名以上のクラブ全て」に変更する。

(6)補助方式については、それまでの「児童館内の学童保育は常勤二名、その他の学童保育は非常勤二名の職員配置費を主な内容とした定額補助で、民設分は対象外」を「実施場所、設置主体を問わず、児童の人数に応じて補助・職員配置の内容は各クラブの判断」とする。

 

 下浦はこれを「国の法制化を受けて、事業拡大と保護者負担の導入を図り、現在都区財政調整の中で常勤職員二名を算定している学童保育事業を、結果的に担架の低い補助金事業に移行させていこうとするもの」と説明する。

[13] 品川区の職員である児童館館長。区内の13の地域に一人ずつ配置されている。仕事は事務処理、運営管理、職員の統率などである。

[14] 99年に全国連協が行った調査によれば、公営は全国で51.9%であり、93年度と比較すると2.4ポイント増加している。また、法人運営は全体の7.8%(4.1ポイント増)、地域運営委員会運営は17.8%(0.3ポイント減)となっており、全体的に公営と法人運営が増加傾向にあることが分かる[全国連協:1999]

[15] 先進工業国だけでなく、経済成長のめざましかったアジアにおいても、韓国が1991年と95年に改革を行って地方自治制度を再生し、フィリピンが92年に地方自治制を敷くなど、地方分権への意識は高まっている。

[16] BOPの設立に当たっては、1995年教育委員会のメンバーが横浜の“はまっ子”を見学し、数ヶ月という異例のスピードで事業開始となったという経緯がある。これに対して、BOPに反発する学童保育関係者の中には、退職校長の再雇用対策としての教育委員会の意図を読む見方もある[全国連協:2000]

 

[17] BOP統合直後である2000年現在、世田谷には「児童館」「学童保育」「BOP」「新BOP」「遊び場開放」といった事業が混在している。遊び場開放とは、区が当該小学校に事業を委託し、土曜・日曜・祝日などに学校施設を開放して、PTAや地域の大人が見守る中子どもたちを遊ばせるというものである。これらの対象児童は、学童保育は留守家庭児童、児童館は全児童、BOP、新BOP、遊び場開放は当該小学校に通う全児童である。開設場所は、児童館は単独であり、BOP、新BOP、遊び場開放は小学校内、学童保育は単独であったり児童館に併設されていたりする。所管は、学童保育と児童館は保健福祉部児童課、BOPと遊び場開放は教育委員会教育政策担当課、新BOPはその両方である。さらに保険については、学童保育と児童館は世田谷区児童館・学童クラブ施設利用者等傷害保険、BOPと新BOPBOP障害保険、遊び場開放には区の負担する保険は存在しない。微妙に異なる事業がいくつも並立していることにより、「子どもがどこで怪我をしたかによってお金の出所が違う」など、責任の所在がわかりにくい状態である。今後は、各々の事業が他と異なる存在意義を問われていくことになるだろう。

 

[18] BOP設置は、必ずしもスムーズに行われたわけではない。19988月、区が指導員組合に対して「BOPと学童クラブの統合」「学童クラブは非常勤職員による対応」等を提案すると、学童保育側の父母会と指導員組合は1ヶ月で5万の署名を集めるなどしてこれに抗議し、非常勤ではなく正規職員を配置させることをもって区と妥協した[全国連協:2000]

[19] BOPを含めて全員におやつを出す」ことを求める声もあるが、それは現在の指導員体制の中では厳しい要求だといわざるを得ない。ある時、新BOP全体の行事を行った際、130140人の子どもに対して、BOPの子どもも含めておやつを提供したが、職員たちの負担は相当なものだったという。以下は、Tさんと事務局長の会話である。

 

事務局長「あれが連日となったら、もう、それやるだけで大変ですよ。」

Tさん「そう。だってそのたった1日のためにも結構お店やさん回って、取りに行くのは無理だからこっちへ配達してもらう業者を見つけたりだとか。」

事務局長「おやつ専門のさ、誰かひとりつかなきゃだめですよ。」

 

 職員の問題に加えて、来ることが前提とされている学童保育の子どもとは異なり、日によって来たり来なかったりするBOP子どもたちに、おやつをどのくらいの量用意すればいいのかもはかりがたい。

BOP全体におやつを提供するのは、現在のところ不可能なのである。

[20] 学校施設の中で保育を行うことは指導員に負担が掛かることを、私たちは既に学童保育の例で見た。Tさんは、学校との関係における苦労を以下のように語る。

 

BOP室として借りていても、物を置くなとか何を貼っちゃいけないとか、あと今いったように、子供たちが本読むときにも、まさか教室でこんな寝転がってないんだけれども、こっちはじゅうたんだから、寝転がってると、『ちゃんと姿勢良く読みなさい』とかね。校舎のあっちの方には絶対来ないでとか。声がうるさいとか。この時間はまだ会議だ、授業だからとか。いろいろ規制はありますよね。学校が終わったとたんに自由、ってことにはならなくて、向こう(学校)の活動とか、授業によって、ちょっと今日はここだけの部屋で遊ぼうね、とかね。そういう苦労はありますね。」(Tさん インタビュー)

 

[21] 利用者の利益に「少子化への憂慮」が先行していたという事実は、結果としての法改正が利用者のニーズに応えるものであったとしても、注意を要するものである。足立美樹は「少子化を極度に恐れる政府や社会には、現在の男性中心的な日本の企業社会を維持しようとする意図や、『日本人』の減少を危惧するという、きわめて一国主義的な憂慮が隠されていることに、わたしたちは十分意識的でなければならない」とその危険性を喝破する[足立:200036]

[22] 1横浜市1845人、2大阪市1066人、3福岡市945人、4堺市905人、5京都市880人、6川崎市795人、7熊本市633人、8岡山市613人、9北九州市579人、10名古屋市541[厚生省:1998]