帰国子女の帰属意識・ナショナリズムに対する考察

〜慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスにおける帰国子女を対象に〜

 

伏見

慶應義塾大学環境情報学部4

t98808mf@sfc.keio.ac.jp

 

 

 

 

 

 

要旨

現在までに帰国子女について様々な研究がなされてきた。本論文では、従来の研究においてはとりわけ取り上げられなかった帰国子女の帰属意識・ナショナリズムについて考察したい。その研究対象としてSFC(慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス)における、一種のエリート階級としての帰国子女を扱うことで、かつての差別対象だった帰国子女ではなく、現在における羨望としての対象としての帰国子女像の一例を提示していきたいと考える。

 

キーワード

「帰国子女」、「帰属意識」、「SFC」、「特権階層」

 

 

 

 

目次

1 問題設定・研究目的

2 調査対象と研究方法

3 先行研究の批判的検討

  31 Roger Goodman『帰国子女―新しい特権階層の出現―』の批判的検討

  32 他の研究に対する批判的検討 

4 本研究の意義

5 帰国子女を取り巻く社会的状況

  51 帰国子女の定義

  52 帰国子女問題の歴史的背景

6 SFCにおけるフィールドワーク

  61 帰国子女受け入れ状況

  62 SFCにおける帰国子女の位置づけ

  63 アンケートの回答とそれに対する考察 

    帰国子女に対するアンケート調査

    純ジャパに対するアンケート調査

    まとめ

  64 インタビューによる帰国子女の意識調査

タイプ別によるインタビュー調査

    タイプA(先進国―長期滞在者)

    タイプB(発展途上国―長期滞在者)

    タイプC(先進国―短期滞在者)

    タイプD(発展途上国―短期滞在者)

7 結論 ―今後の帰国子女像とは―

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1 問題設定・研究目的

 戦後日本の高度経済成長が著しくなるにつれて、日本の海外投資が劇的に増えたばかりでなく、企業などから派遣されて海外にそのフィールドを求めて働く日本人の数が急増した1。それに伴い、海外で学校教育を受ける子ども、あるいは一定期間海外で生活して再び日本へと帰国する子ども(以下、帰国子女)の人数も増加傾向にあったことは事実である。かつては非常にマイノリティであったが故に、「いじめ」や「教育の遅れ」などで社会問題ともなった帰国子女であるが、近年ではその人数も然ることながら、ごく一般的に認知されている存在となり、また高校や大学受験に対しても有利である事例も見られることから、むしろ羨望の対象として扱われることが少なくない。現在においても、かつての帰国子女に対する諸問題が完全に解消されたとは言い難い。しかし以前と比較すると、我々一般の人々が帰国子女に対して抱くイメージというのは、かなりポジティブとなったことは間違いないだろう。

本研究のテーマは帰国子女の日本に対する帰属意識を考察するところにその主点を置く。それでは何故このような研究を扱うかに至った動機について触れたいと思う。

まず最初に、私自身が帰国子女ではないというのを明確にしておくべきであろう。特に長期間の海外経験もなく、周囲に外国人がたくさんいる環境で育ったという経験もない。そんな私が何故帰国子女というテーマに携わるようになったのか。その理由として、ナショナリズム研究に非常に関心があったというのが挙げられる。日本におけるナショナリズムや日本人論などを考察するにあたり、本来は同じ日本国籍を所有している同じ民族であるはずなのに、一般的な「日本人」とは異なる見方がされてしまう帰国子女に対して強い興味を持ったということがある。またある時、帰国子女の友人が「日本人が嫌い」と発言したことに衝撃を受け、帰国子女の日本に対するナショナリズムについて一度改めて考えるべきではないのかという結論に至った。

一般的な見解として、帰国子女の中には海外において様々な要因から祖国・日本に対して強いナショナリズムを抱く者が多い。しかし、果たしてその見解が現代の帰国子女に対しても適応するのかということが疑問としてある。現在のようなグローバル化・高度情報化社会に馴染んでしまっている現代の若者にとっては、ただ単純に日本から離れているからという理由だけで、祖国を渇望したりナショナリズムを抱いたりするとは考えられない。これは私が実際に日本にいても、海外にいても実感することであるが、基本的に国外の情報というのはネガティブな報道のみが大々的に入ってくる。あるいは国によっては日本の情報など流入してこない場合も十分考えられる。よって帰国子女たちは海外にいる際に、マスメディアの影響もあって日本をかつてほど理想化することは極めて少ないのではないかと考えられる。また、特に先進国に長期滞在した帰国子女であると、どうしても西欧人的思考が刷り込まれてしまい、日本に対して一種の差別・偏見を抱いてしまうのではないか。これには帰国子女がもついわゆるエリート意識とも関わってくる問題である。従って先に仮説を述べておくと、近年の帰国子女は日本に対するナショナリズムが極めて希薄であるのではないか、ということである。

本研究では以上の問題意識を中心に、この点を明らかにすることを目的とする。そしてそれを踏まえた上で、今後帰国子女がどのような姿として語られるのかについて模索していきたいと考える。

 

 

2 調査対象と研究方法

 本研究の調査対象は、2001年度現在慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(以下、SFC)に在籍する学生(帰国子女以外の学生も含む)である。SFCを調査対象とした要因としては、自分自身が所属している身近なコミュニティーで、ある程度内部状況も把握していると同時に、SFCは国内の他大学と比較しても非常に帰国子女が多いことで知られているからである。故関口一郎氏が約10年前に調査した報告2によると、全体の26%は帰国子女ということであり、滞在国は40カ国に渡るという非常に驚くべき数字が叩き出された。現在においては正確なデータがないために断定はできないが、恐らく実態としては今でも同じようなことが言えるだろう。このように「人種のるつぼ」とも呼べるSFCであるが、さらに「帰国子女」、「慶應義塾大学」という二重のエリート看板を持つ彼らを考察することに強い興味を持ったということが、その対象に選んだ要因でもある。以上のように、日本における帰国子女の中でも非常に限られたタイプの人間を調査するわけで、この結果が現代における帰国子女像にそのまま反映しているとは決して断言ことができない。しかし後述するが、帰国子女の内的意識に着目することは新たな試みであり、今後の帰国子女研究におけるフィールドをさらに拡張するきっかけとなるのではないかと考える。

 次に研究方法を述べておきたい。方法としては、過去に帰国子女というカテゴリーで論じられた文献調査をはじめ、また同カテゴリーに関連するWeb調査を行うことで、現在までの帰国子女を取り巻く社会状況を把握することができる。またフィールドワークとしてSFC学生に対してアンケート・インタビュー調査を実施したが、本研究では「帰国子女」と「純ジャパ(日本で生まれ育った者)」における帰属意識の違いを比較検討することを第一の目的とするため、帰国子女・一般学生を問わず実施したことを銘記しておかなければならない。

 

 

3 先行研究の批判的検討

帰国子女に関する研究は1960年代を境に現れ始めたのが通説である。当時問題とされていたのが、海外から帰国した児童の日本の学校における適応教育問題であったため、主に帰国子女教育を扱う先行研究が大多数を占める。当初の研究は、帰国子女を如何に日本教育に適応させるかという点が論じられていたが、次第にその政策に対する批判としての研究も現れるようになった。そこで論点となっているのは、当時の教育は帰国子女を如何に日本社会に同化させるかという政策が推し進められていて、いわゆる「外国剥がし」や「染め直し」という形で帰国子女教育がなされ、ある種のナショナリズムを植えつけようといったことが陰に潜んでいた。それに対する批判として、帰国子女の特性(異文化経験、語学力など)をいかに生かして、日本の教育の国際化を図っていくべきだろうかという研究が多くなされている。

しかし、そのような研究する際に対象となる帰国子女の日本に対する帰属意識というものを考えることは非常に重要なことであるが、教育という枠を大きく超えてその問題を扱った研究はほとんどない。

 その中で私の問題意識に近い先行研究としてはGoodman(1992)が挙げられる。ここでは特にGoodman(1992)の研究に対して検討を加えていきたい。

 

31 Roger Goodman『帰国子女―新しい特権階層の出現―』の批判的検討

本著は国外の社会学研究者者として初めて日本の帰国子女問題を取り扱ったものである。著者であるGoodmanは日本社会における帰国子女現象全体をについて言及すると共に、ある私立校(本著では「藤山学園という仮名が使われている」でのフィールドワークにより、改めて現状の帰国子女問題を見直すことを試みた。そこから導き出された結論として、Goodmanは日本においてあたかも帰国子女がかわいそうな存在であるかのごとく、帰国子女問題として取り上げられているのは指摘すべき点だと述べている。しかし彼らが悩んでいる問題のいくつかは、文化的境界を越えたことから生じた普遍的なものであり、日本国内での転校でも生じる問題と同じであるとしている。つまりこれは帰国子女特有の問題ではなく、思春期を送る同世代の子どもなら誰しもが経験することである。それにも関わらず帰国子女問題として歪曲されているのは、「日本人論」において日本文化がユニークであると信じられているために、日本をしばらく離れていた帰国子女は問題なく帰国できるはずがないと語られているからだと指摘している。
 そしてまた著者は以下のように論じている。

「教育においても帰国子女は他のマイノリティに比べてはるかに好遇されている。それどころか、一般生と比べてもずっと有利な立場にあるという証拠がある。帰国子女はトップクラスの大学へ進み、就職では優先され、自分たちの「非日本人性」を売り込んでいる。」3Goodman1992

そしてむしろ、帰国子女はエリート階級であるために問題が不当に大きく取り沙汰されているのであると結論づけている。

それでは本著の内容について、いくつか検討してみたいと思う。まず歪曲された「日本人論」についてだが、この点については吉野(1997)4が世界の様々な地域の自民族独自論と比較検討することにより、このような従来の「日本人論」を批判している。また「帰国子女特有の問題ではない」という見解については、調査対象である藤山学園の帰国子女が全員日本人学校出身だったということが問題だとして批判される点である。さらにもう一つ私なりの批判的検討を加えておくと、例えば本著によると、

「受け入れ校や大学入学の特別枠、帰国子女研究のための政府助成や研究センターの設置は、こうした子どもたちに何か特別なことをしてやらなければならないという感情から自然にできてきたものではなかった。それらは親たちの要求が日本の支配層に非常に大きな印象を与えたためにできたのである。」5Goodman1992

というように、帰国子女の父兄がエリート階級という特権を利用することで、帰国子女問題が半ば自作自演的に作られていたとしている。従って、帰国子女を特権階層に位置づけることにより、従来の帰国子女問題を終始批判することで、実際に存在する諸問題は全く無視されてしまっているかのような感がある。

 

32 他の研究に対する批判的検討

また帰国子女のアイデンティティに関する研究も盛んである。このテーマで比較的新しい研究として南(2000)6が挙げられる。これは海外へ出ていった子どもたちがその滞在国の文化などに同化して帰国するのか、そしてそれによって深刻な帰国問題(逆カルチャー・ショックなど)を経験するのかという点に疑問を発しており、ある家族を追跡調査することにより、各時期段階でどのようにアイデンティティが形成されるかについて論じている。

同様に帰国子女のアイデンティティに関する研究として渋谷(2001)が挙げられる。この研究の注目すべき点は「帰国子女」・「帰国生」という表象に着目したもので、

「従来の研究においては「日本人」や「帰国子女」という枠組を研究者があらかじめ用意して、差異を「帰国子女」に付随するものと前提して議論を進める傾向があった」7(渋谷、2001

という点を指摘したのは注目すべきであろう。そこで本研究では渋谷(2001)の指摘を補足する形で、「帰国子女」として表象されている当人たちがそのような枠組で語られることについて、どのような意識を持つのかについても言及した。

 

 

4 本研究の意義

先述した通り、帰国子女に関する研究は従来数多く存在した。しかしそのほとんどが帰国子女教育を主題とした研究であり、その枠から抜け出す形で帰国子女の日本に対するナショナリズムや帰属意識を扱った研究というのは見ることができない。本研究では帰国子女に関するあらゆる諸問題(同化政策・適応教育等)に対して論じるというよりも、むしろ同じ「日本国籍」を持つ帰国子女と純ジャパの差異という点に着目して論じたいと考える。

また、特権階層として帰国子女を扱っている研究は前述したGoodman(1992)によるものがそれに近いといえる。確かに帰国子女エリート説という新たな見解がGoodman(1992)によって提供されたが、これは帰国子女が同情されるべき存在ではなくむしろエリートとして君臨している、という批判を述べただけに止まっている。そこで、本研究はこの「帰国子女=エリート」という図式を前提として論じていくことに意義があるのではないかと考える。しかしまた一方で、帰国子女の中でも実際には非エリート階級も存在しているわけで、帰国子女内部でのヒエラルキー闘争というものも考察することが可能ではないだろうか。

以上のような二つの要因から、従来の研究の中心であった帰国子女教育論という枠を越えて、新たな分野のアプローチを提示することが本研究の意義といえよう。

また補足としては、帰国子女をテーマとして扱った研究はSFCにおいて公には存在しない。

 

最後に本論の構成について簡単に述べておきたい。中心となるのはSFCにおける帰国子女の意識調査ということであるが、その前に一般的な帰国子女の定義、また帰国子女問題が社会に現れるようになった歴史的背景について明確にしておかなければならい。そこで本論においては、まず帰国子女及びそれに対する諸問題の歴史的変遷を論じた上で、SFCでのフィールドワークに移っていきたい。そして、アンケートやインタビューなどの調査結果から導き出される帰国子女像について考察を加えていきたいと考える。

5 帰国子女を取り巻く社会的状況

51帰国子女の定義

まず本研究のキーワードである「帰国子女」についての定義をしておきたい。先行研究をみても分かるように、研究者各人で帰国子女の定義は千差万別であるが、海外体験さえあれば、例えそれがどこであろうと、どの程度の長さであろうと帰国子女として扱われるのは共通の見解である。「帰国子女」というコトバそのものは1960年代後半に文部省(現・文部科学省)によって作られたとされており、文部省『学校基本調査』によると「海外に継続して1年以上滞在し、帰国後3年以内の子ども」のことを指す。本研究においては、海外に継続して1年以上滞在した経験を持つ者を全て「帰国子女」として捉えたいと考える。

またGoodman(1992)によると、「子女」という言葉自体が学校教育との関連で意味を持っているため、大学入学年齢を越えている者は帰国子女ではないとある。これは大学生のみを対象とした本研究と非常に矛盾するところであるが、私なりの見解を述べておきたい。Goodmanの定義に沿って考えると、現在大学生である彼らもかつては「帰国子女」であったというのは理解できる。しかしここで問題なのは、高校生まで帰国子女だった者が、大学に入学した途端に帰国子女ではなくなってしまうということである。それでは一体彼らは何と呼ばれるのだろうか、という定義がなされていない。そこで私の定義としては、年齢を問わず幼少(日本でいう小・中・高)に海外で教育を受けた者は「帰国子女」として考える。

また、「子女」という表現が性的にバイアスのかかった、ある種の差別的な意味合いを持つということから、「帰国児童生徒」、「帰国生徒」、「海外成長日本人」などと呼ばれることもある。また日本へ戻ってきた「帰国子女」に対し、海外で教育を受けている者を一般に「海外子女」8と呼ぶ。さらに、文部省は帰国児童生徒を「海外勤務経験者帰国児童生徒」と「中国等帰国児童生徒」とに分けているが、一般に帰国子女とは前者のみを指す。本研究でもそのように捉え、また呼称として最も一般的な「帰国子女」という表現を使用したい。これは別に「子女」という表現の差別を肯定しているというような複雑な事情があるわけではなく、単純に人々の間に最も浸透している言葉であるからという理由である。

 

52 帰国子女問題の歴史的背景

帰国子女を主軸とした研究を行うにあたって、これまで日本で取り沙汰された問題について触れておかなくてはならない。本章では、帰国子女が一般に問題化されてきた時期から現在までに至る、帰国子女を取り巻く社会動向について、いくつかの時期に区切って簡潔に述べていきたい。1950年代後半〜1960年代

高度経済成長により、企業の海外進出と共に海外子女数が増加し、それに伴い帰国子女数も増加傾向を示し始めた。その結果、帰国子女の教育問題も一部で見られることとなった。最初に海外帰国子女の教育問題が取り上げられたのは、1958年ブラジルで製鉄工場を営む企業の社長からの文部省への照会状が始まりとされている。

「現地の学校で学ぶ日本人子女が帰国した時に、小・中学校に編入が許されるか、高等学校及び大学への編入学についてはどう扱われるか」

という内容であった。これに対し文部省側は資格上なんの問題も差別もないという見解を表明することに止まったが、これをきっかけに帰国子女問題が顕在化していったのである。

また時期を同じくして、日本人学校9や補習授業校10など日本人児童のための教育施設が世界各地に相次いで設立されるようになった。日本においても、1959年に桐朋学園が初めて公に帰国子女の受け入れを開始し、1964年には帰国子女のための最初の国立校である、東京学芸大学附属大泉が設立された。しかし1960年代半ばになると、帰国子女がさらに増加し始めもはや私立学校を中心とした個別的な救済措置では対応しきれないのが現状であった。また、前述した東京学芸大学附属大泉中学校を含むいくつかの国立大学附属学校にも帰国子女のための特別学級である「帰国子女教育学級」が設置されていたが、実際に入学できる子どもはごく一部に過ぎなかった。そのため文部省は広く帰国子女の受け入れとその教育を行うために、1967年に「海外勤務者子女教育研究協力校制度」をスタートさせた。これは帰国子女の受け入れ後の指導のあり方についての研究を委嘱する制度であった。

1970年代〜1980年代前半

この時期なると海外勤務者に同伴する子どもの増加は更に拍車を掛け、日本人学校、補習授業校が急激に新設されていく。特に日本人学校はアジア地域以外にも設立されるようになり、以前のような発展途上国には日本人学校を、アメリカ合衆国など先進国には補習授業校をという図式が崩れて、先進諸国にも日本人学校が見られるようになった。また同時に、私立在外教育施設11の設置も始まるようになる。このように海外・帰国子女に対する教育施設が充実していく中で、1971年には海外子女・帰国子女教育の振興を図るため、海外で経済活動を展開する企業・団体によって、外務省及び文部省(現文部科学省)の許可の元、公益法人として海外子女教育振興財団が設立された。本財団は主に日本人学校、補習授業校に対する援助をはじめ、政府の行う諸政策に相呼応する形で、教科書給与・教育相談・外国語保持教室・講習会・出版物の刊行など、2001年度現在においては23項目に渡る幅広い事業を海外子女・帰国子女教育振興のために展開している。

 しかしこのように海外・帰国子女に対する教育整備が着実に進行していく一方で、その教育面または生活面において帰国子女に対する「同化政策」、「イジメ」、「外国剥がし」などといった深刻な問題が顕在化していく。そのため、特に教育においては「帰国子女救済論」というような形で、帰国子女に対し入学特別枠を定める受け入れ校も増加するようになる。

 

1 海外における学校の形態

日本人学校

日本国内の小・中学校と同等の教育を行う目的で設置されている全日制の学校。

補習授業校

主として現地校などに通学しながら、土曜日や平日の放課後を利用して日本国内の学校で学ぶ国語等を学習するための教育施設。

私立在外教育施設

日本国内の学校法人等が海外に設置した全日制の学校。

現地校

現地の学校の総称。使用言語はその国の言語。

国際学校等

インターナショナルスクール、および通称アメリカンスクールな

どと呼ばれる外国人学校。

 

1980年代後半〜現在

 1980年後半以降の急速な「国際化」の進行に伴い、帰国子女の日本社会における位置づけに変化が見られるようになった。教育方面においては、国際社会に通用する日本人の育成が論議されるようになったのがこの時期の特徴である。それを受けて1989年に告示された学習指導要領の総則には以下のような規定が初めて登場した。

「海外から帰国した生徒などについては、学校生活への適応を図るとともに、外国における生活経験を生かすなど適切な指導を行うこと。」(文部科学省『学習指導要綱』第1章「総則」)

帰国子女教育の方法論としては従来通り国民教育ということが前提としてあるのだが、上記にも述べられているように帰国子女の海外経験・異文化接触経験を重視し、それを生かす形で国際化に向けた教育を推し進めていくというのがその意図するところであろう。

 またこのような風潮からか、社会的にも帰国子女に対する見方が大きく変化していく。かつては異質のものとして一種の差別対象であった存在が、「国際的エリート」、「ニュー・エリート」などと羨望の対象として扱われるようになる。また、ファッション誌やTV番組などのメディアに「帰国子女」であることを売りにして登場するタレントもこの頃から頻繁に増えてくる。

 その中で新たな問題として挙がったのが、救済論としての帰国子女入学特別枠を利用して超難関大学に楽々入学できてしまうということである。そのため、子どもをある一定期間だけ海外へ留学させて、有名大学を帰国子女として受験させる親なども現れるようになった。このように、帰国子女入試における特別枠が普及し、一般の子どもと比較すると優遇され過ぎだとする批判的な意見、いわゆる逆差別論が展開されるようになる。前述したGoodman(1992)の指摘も同様の論調である。これは日本の国際化に伴って、帰国子女が肯定的に捉えられてきたということによる反動とされるが、このような批判(特にメディアを通じた報道)は、ますます肯定的な帰国子女像を強固にしたともいえよう。

先行研究を見る限り、帰国子女を取り巻く社会的状況を論じているのは主に1990年代初頭までである。従って現在の状況を明確に述べることはできない。しかし実際に私が見る限りでは、現在もなお帰国子女は受験においても幾分有利であることは間違いないし、社会的に見ても「エリート」と呼ばれる位置に属する者が多いはずである。グローバリゼーションの影響もあって、現在では日本人が海外へ渡航、あるいは在留するということはごく日常的な光景である。従って、帰国子女が以前のようなマイノリティ、異質な存在であるとはもはや言い難い状況である。

 

 

6 SFCにおけるフィールドワーク

 本章ではアンケート調査やインタビュー調査など私自身がSFCにおいて行ったフィールドワークにもとづいて、帰国子女としては最特権階層にあるであろうSFCの帰国子女がどのように振る舞い、また日本に対して如何に考えているかという、極めて内的な意識面について実証していきたいと考える。そして純ジャパである他学生とどのような相違点が見られるか、それがまたどのような影響を与えているのかという点に重点を置き、SFCにおける帰国子女像というものを模索していきたいと考える。

 

6−1 SFCにおける帰国子女受け入れ状況

現在において、日本国内に存在する帰国子女受け入れ校(大学)は約350校あるとみられる12。そこで数ある受け入れ校の帰国子女入学出願資格・条件に着目してみると、「海外において外国の教育課程に基づく高等学校に最終学年を含め2年以上継続して在籍し卒業(見込み)の者」(慶應義塾大学入試要綱参照)というのが大部分を占める。ところが、同じ慶應義塾大学であるSFCでは「海外において、外国の教育制度に基づく高等学校を卒業(見込み)の者。(在学年数の条件はなし)。単身留学可。」(慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスAO入試要綱参照)と記述されている。このような点から非常に帰国子女の受け入れに対し積極的な姿勢を取っているといえる。また、入試問題の特性から英語が堪能な学生が集まる傾向にあって、いわゆる「隠れ帰国子女」も数多く存在する。

 

 

6−2 SFCにおける帰国子女の位置づけ

 以上で見られるように、帰国子女の受け入れに対して門戸が広いSFCであるが、内部における帰国子女の位置づけはどのようになっているのだろうか。そこでまず、SFCが開設当初から掲げている5つの理念13について述べておきたいが、その中で帰国子女が関係する理念としては「グローバルな発想と視野の重視」が相当する。それについて言及している例として、学部長秘書室の芦沢真五氏はこのように述べている。

「留学生数は少ないものの9月入学やAO入試などの実施によって、異なるバックグラウンドの学生を受け入れてきた実績は大きく評価できると思う。」(「SFC REVIEW NO.6」、2000

 この「キャンパス・グローバル化」という理念に対し、SFCでは9月入学も認めていることは大きな特徴として挙げられる。AO入試といっても、9月入学する学生のほとんどは海外の高校を卒業した帰国子女なのである。従って、このように帰国子女を受け入れやすい環境を創っている背景に、SFCが帰国子女に対して何らかのヴィジョン・期待を持っているのではないかと考えられる。そこで、SFCについて論じられている過去の文献・受験生向けのパンフレット、そして教員に対する質問などから、SFCにおける帰国子女の位置づけについて考察してみた。

 まず最初に調査した点として、SFCにおける基本的な理念の変化についてである。そもそも帰国子女に有利な9月入学制度は開講当初から始まっていた。そして約10年経った現在では、それがどのように捉えられているのか。そこで特に過去の入学パンフレットを対象に調査を進めたが、結論としてこの約10年間で特にSFCの基本的な理念・ヴィジョンというものに変化は見られなかった。

 そこで次に、数人の教職員にSFCにおける帰国子女の位置づけについて問うてみた。まず最初は外国語教育を専門としているある教員に対し、Eメールにて質問した。以下がそれにあたる。

QSFCは帰国子女に対しても受け入れが広い方だと思うのですが、それは逆に言うと、帰国生に対して何らかの期待・希望みたいな部分があると思うのですが、そのような事に関するSFC側の見解・考えなどをご存知でしたら 是非ともお話を聴かせて頂きたいのですが。

SFCが公に「帰国生に対して何らかの期待・希望」を表明しているかということになると、多分そういうものはないと思います。ただ、門戸を開いている上に、AO入試で帰国生を受け入れ、特別な帰国生枠を設けいていない(ニューヨーク高校は枠があります)ということは、帰国生が日本文化のみならず、自分の生活した国の文化をも合わせもっていて、それを一つの不可価値として自分をアピールすることを奨励しているということになります。単に言葉が二つ三つできるということではなく、今後のグローバル化を先導する人材として、日本で育った人々にも影響力がある存在として、帰国生に期待がある、ということでしょう。」

 このように、SFCとしては「帰国子女」ということに対し特別な期待・ヴィジョンは持っていないということである。これは私が考えていたこととかけ離れた回答であった。何故なら、帰国子女に対して入学しやすい環境を提供している裏側には、何らかの見返りを期待していたものだと考えていたからである。

 次に、SFC開設2年目から教鞭をとっていて、大学院でのプログラムのチェアマンなども兼ねている、比較的SFCの内部事情にも明るいであろうある教授に対して、同様の内容について今度は口頭による質問を行った。以下はそれを端的にまとめたものである。

「公にSFCが帰国子女に対して望んでいる点というのは特にはない。ただ実際に9月入学や英語重視の試験など、帰国子女に対して有利な側面があるのも事実である。SFCの理念の一つである「キャンパス・グローバル化」という点に沿っても、帰国子女に対して特別に何かヴィジョンがあるという議論も現在のところされていない。しかし留学生の受け入れをもっと増やすべきだという議論は耳にする。語学力(特に英語)があるという点についても、特別な扱いはしていない。逆に長期滞在していた帰国子女であると、日本語能力に問題があることも十分考えられるわけであるし。現在のところ、帰国子女に対して善し悪しに関わらず特別な問題点があるということはない。」

以上の回答から改めてまとめてみると、SFCにおける全体の割合としては帰国子女という存在は非常にマジョリティであるが、それはSFC側が大きなヴィジョンを持ってこのような現状を築き上げたのではなく、むしろ自然な流れとして帰国子女が集まってきたといえる。つまり、SFCに帰国子女が多いということに過ぎず、特に位置づけという点では他の学生と変わることはなかったのである。

63 アンケートの回答とそれに対する考察

 以上のようなSFCにおける帰国子女の位置づけについて説明した上で、本学生を対象としたアンケート調査を実施した。アンケート内容については末尾の資料を参照してもらいたいが、ご覧の通りほとんど記述式による自由回答で質問項目は多岐に渡る。従ってここでは、特に私の問題意識が強い質問とそれに対する回答、または数ある中でとりわけ注目すべき回答を中心に紹介していきたいと考える。

 

<帰国子女に対するアンケート調査>

〇アンケートによる属性調査

 

以下は本アンケートの質問とそれに対する回答の一例である。

 

Q:海外へ出た際に「カルチャー・ショック」を経験したことがありますか。ある場合はその具体的事例をお答え下さい。

回答としては「特にない」といったものが多く見られた。その要因としては、やはり幼少期に海外へ出て行った者がほとんどであり、まだアイデンティティが完全に形成された時期ではなかったため、ある程度新しい環境に対しても適応できたのであろう。その他に見られる回答としては、

「地理的な条件(国境線があるかないか、物理的な国土の広さなど)からくる「国家意識」の差異」(22歳・男)

「人種差別があることを再認識させられた。外国人としての立場を経験したことがなかったため、それなりに印象的でした。」(21歳・男)

などが挙げられるが、取り立てて深刻なショックを経験したという例は見られなかった。

 

Q:帰国後「逆カルチャー・ショック」(再び日本に帰国した際に感じる文化的違和感)を経験したことがありますか。ある場合はその具体的事例をお答え下さい。

これは帰国する時期によって意見が分かれると思われるが、それを如実に表わしている例として特に小・中学校で帰国した学生の例を見てみたい。

「ちょうど小6で中学受験を突然体験させられ、何がなんだか分からなかった。」(19歳・女)

「公立の中学校へ転校して、なんか、すべてが規則正しくて、ルールまみれでちょっと日本って窮屈って思った。例えば、先輩にあいさつしないとおこられるとか。」(21歳・女)

出る杭は打たれるということ。日本で暮らすには個性というものを消さなくてはならないこと。」23歳・女)

これは一般的によく耳にする事例ではあるが、日本の校則に対する束縛感というものを帰国子女は持っている印象がある。これとは対照に、海外の高校卒業後帰国した学生は、大学という特に規範もない自由なコミュニティーに参入するということで、このような回答はなかった。特に挙げるとすれば「人が多い・満員電車」というような回答がいくつか見られた。

 

Q:外から見る「日本」と内から見る「日本」の違いについてあればお答え下さい。

国内外での日本に対するイメージの違いを比較するために、この質問を行った。結果としては外からは日本を理想化しているが、帰国して内部から見ると全くの期待外れであったという例が多く見られる。

「外から見ると日本は発展してて、人がよくて、住み易くてといい印象を受けるが、実は日本は結構腐敗している。(政治もだめ、人も冷たい、最近は異質な犯罪も多い)」(21歳・女)

逆に海外へ出ることによって、日本のイメージが変化した例も見られる。

「内から見るとたいそうな国のように思えるが、外から見ると日本はアジアのただの一国。」(18歳・男)

Q:海外においてアイデンティティ・クライシス(自己認識の危機)を体験したことがありますか。ある場合はその具体的事例をお答え下さい。

「現地学校において英語が話せなかったため、自分の性格・考えを相手に示すことができず、自

分がつくりもの(自分をつくっていた)のような気がした。」(22歳・男)

「英語ができなかったことで、議論に参加する自信が持てず苦しんだ。」(21歳・女)

このように語学力不足によるコミュニケーション問題が、アイデンティティ形成に重要な指標に

なるということが導き出された。また、あえて「日本人」であることを隠すケースも見られた。

「アメリカに居た時、私はアメリカ人だと思っていた。」(19歳・女)

「たまに、アメリカに住んでいた時俺は日本人ではないと言い切っていた時期があった。」

(21歳・男)

このような「日本人隠し」というのは、過去において帰国子女がその事実を隠していたことと関連する問題だと考えられる。つまり偽りの自分をつくっているにせよ、日本に対して嫌悪感を持っているにせよ、自分が置かれている環境に同化しようとしていることには変わりない。この回答から彼らが如何にして海外においてアイデンティティを形成していたかが理解できる。

 

Q日本にいる際に、日本人意識を感じることがありますか。ある場合、具体的事例をお答え下さい。

まず回答に入る前に言葉の定義をしておきたい。ここでいう「日本人意識」とは端的にいうと、「日本人ということを自覚する」ことである。それを踏まえた上で回答を見ていきたいが、主に「サッカー観戦」、「スポーツ観戦」と答えた者が大部分を占めた。あと際立って目立つものとしては、

「産経新聞を読むとき」(21歳・女)

といった、ユニークな回答も見られた。しかしこれは私自身にもいえることであるが、日常において日本で生活している場合、日本人意識を感じる場面などあまりないのが通例ではないかと考える。そこで、それに対する質問として次に移りたい。

 

Q海外にいる()際に、日本人意識を感じることがありますか。ある場合、具体的事例をお答え下さい。

「みんな(白人)が見下してアジア人と見てくるとき」(21歳・男)

「例えばWWIIの話になり、広島や長崎のAtomic Bombの話になると何故か背筋が凍ってしまう」(21歳・女)

World HistoryのクラスでWWUの時に、日本人の考え方を述べろとか、アジア人に謝れと言われたとき」(21歳・男)

このように海外においては、現地人の「日本」及び「日本人」に対する差別意識などから日本人意識を痛感する場面が多く、非常にネガティブな回答となっている。中でも最後の回答を寄せてくれた学生は、今でもこの出来事がトラウマとして残っているという。

 

Q:「帰国子女」と呼ばれること、又は「帰国子女」といった枠に組み込まれることについて、どう思いますか。

これは先行研究で紹介した渋谷(2001)の補足的考察で、実際に帰国子女自身がこのように呼ばれることに対して、どのように感じているかについて調査した。その結果として、明確に二つのタイプに分かれることとなった。一つはいわゆる「発展途上国」出身者であり、もう一つはアメリカ合衆国を中心とする「先進国」出身者である。では、まず前者の回答について考察したい。

「基本的に英語圏の人を指すことが多いので、自分は他人の前で「帰国子女」と言うことに引け目を感じる。」(20歳・女)

「非常にわずらわしい。たかだか海外で暮らしただけなのに特別視されるのはどうかと思う。帰国と言えば「じゃあ英語ペラペラでしょ」的意見には飽き飽きしている。」(23歳・女)

回答者の属性として、前者は香港に滞在していた者、後者はシンガポールに滞在していた者である。以上の回答を見ると、彼らは「帰国子女」という表象に対し、コンプレックスを抱いているといえよう。

 では次に、先進諸国に滞在していた者の回答を見てみたい。

「ラッキーだと思っています。私の中で帰国子女は貴重な経験をした人だと思っています。よって帰国子女にくくられるのは嬉しいです。」(22歳・女)

「帰国子女であることが自分のアイデンティティだと思っている。」(20歳・女)

この回答者の属性はいずれもアメリカ合衆国からの帰国子女である。先述した途上国出身者の例と比較すると、非常にポジティブな感情を持っていることがわかる。また後に述べるが、我々が一般的にイメージする「帰国子女」像というのも、このようなタイプであると考える。しかしここで指摘しておきたいのは、実際の回答結果として最も多かった回答が以下のような例である。

「別に特に意識したことはない。」(19歳・男)

「自分の経歴の一部に過ぎない。」(21歳・女)

「特に気にしない。自分のことを、帰国子女と意識する事はない。」(21歳・女)

このような回答結果について、私は以下の二つの考えを持つ。一つは、もはや海外で生活することが一般に非現実的なことではなく、現在では誰にでも可能性のあることとして捉えられている。もう一点は、SFCにおいては周囲にたくさんの帰国子女が存在するわけで、帰国子女というだけで自らを他人と差異化することはないのであろう。しかしこのような回答を示した学生の属性も全て先進国出身者であったことは銘記しておかなくてはならない。

 

Q:「ナショナリズム」という用語にどのようなイメージを抱きますか。自分なりの解釈、漠然とした内容で構いませんのでお答え下さい。そしてまた、「ナショナリズム」に対してなにかあればお答え下さい。

「ナショナリズムという言葉自体には、多少マイナスのイメージを感じるものの、国への愛着等も含まれると考える。テロ後のアメリカの行動もナショナリズムであるし、国を思う気持ち=ナショナリズムであるのならば、私はあって当然と考える。」(22歳・女)

「自分の国のことをしっかり知っていなければならないし、自分の国のことを踏まえた上で国際的に広い視野を持つことが大切だと思っている以上、ナショナリズムという言葉を単に愛国心とて意義付けて戦前の日本のイメージと重ねるのではなく、日本国民としての誇りとアイデンティティを持つことが重要だと思っています。」(21歳・男)

「日の丸などのシンボルを見たらほっとする。自国を誇りに思える。堂々と自分の国籍を言える。」(22歳・女)

Patriot!自分の祖国を愛する人。」(22歳・女)

ここでは「ナショナリズム」という概念を各々の定義で述べてもらった。回答結果を見て分かる通り、大多数の回答者が「愛国心」の重要性を強調していることがわかる。これはアンケート対象となった学生の過半数がアメリカ合衆国からの帰国子女ということも大きな要因として挙げられるだろう。つまりアメリカ合衆国において、星条旗に忠誠を誓うなどといったナショナリズム教育が影響している可能性も十分にあり得る。しかし全体的に見て、ナショナリズムという概念自体は比較的ポジティブに受けとめている感がある。後述するが、これは純ジャパの学生による回答結果と比べると大きな相違点が見られる。

 それでは、次に純ジャパの学生によるアンケートの回答について考察を加えていきたい。

 

<純ジャパに対するアンケート調査>

〇属性調査

 

Q:「ナショナリズム」という用語にどのようなイメージを抱きますか。自分なりの解釈、漠然とした内容で構いませんのでお答え下さい。そしてまた、「ナショナリズム」に対してなにかあればお答え下さい。

「ナショナリズムという言葉を聞くと、国民扇動的な場面を想像してしまう」(23歳・男)

「過激な右翼というイメージがある。」(21歳・女)

「直感的にいうと、「怖い」と感じます。」(21歳・男)

帰国子女に対するアンケート結果と比較すると、純ジャパの学生の抱くナショナリズムのイメージというのは、上記のように非常にネガティブな回答が多く見られる。このように両者が明確に異なる要因について考察したい。私が考えるところ、個人差はあるだろうが純ジャパにとっては一般的に馴染みのない概念であるいうことが挙げられる。どうしても中学・高校などの歴史授業の影響からか、「ナショナリズム=戦争」という先入観を持ってしまいがちなのは否めない。それに対して、海外において他民族と接触する機会も多く、常にどこかで、善し悪しはあるが祖国である「日本」または「日本人」について考えなくてはならなかった帰国子女にとっては、この「ナショナリズム」という概念はリアリティがあるはずである。以上のような点がこの両者の回答の相違であると考える。

Q:「帰国子女」に対してどのようなイメージを持ちますか。

「自己主張が激しい。すぐ英語を使う。」(19歳・女)

「金持ちである」(22歳・男)

「英語がとにかくできる。」(20歳・男)

以上のような回答が多く見られたことは驚くべきことではない。やはり「帰国子女=英語ペラペラ」というステレオタイプは、SFCの学生であっても例外ではなかった。しかしその一方で、次のような回答も見られた。

「たまにアメリカナイズドされたヤツと、愛国心豊かになって帰ってきたヤツがいる。特に我々と差異はない。」(21歳・男)

「同じ人間。しかし考え方などに相違点が見出されることが多い。」(19歳・男)

 回答の傾向としては、帰国子女に対して好印象をもつものが多かった。それに対し、否定的な意見としては「個人主義・自己主張が強い」という点が挙げられている。

 

<まとめ>

冒頭で述べたように、本研究の主題は帰国子女の帰属意識に対する考察である。そしてまた、純ジャパとの比較検討にも焦点をあてていた。そのようなテーマに沿った形で改めてアンケート結果について考察してみたい。まずはこのデータを見てみたい。

2 帰国子女を対象とした結果

 

「日本」に対する愛着

「日本人」に対する愛着

持っている

39

32

持っていない

10

15

未回答

0

2

合計

49

49

 

 

 3 純ジャパを対象とした結果

 

「日本」に対する愛着

「日本人」に対する愛着

持っている

29

24

持っていない

3

8

未回答

0

0

合計

32

32

上記の表23は「日本」および「日本人」に対する愛着を、帰国子女・純ジャパの両者に対して調査した結果である。ここで使用されている「愛着」というのは、単純に「好きか嫌いか」というふうに考えていただきたい。両者を比較すると、特に大きな差異というのは見受けられず、大多数の者が「日本」に対して愛着を持っていることがわかる。これは冒頭で私の立てた仮説と大きく異なる結果となった。しかしその一方で興味深い点として、「日本人」に対する愛着が両者とも減少していることがわかる。これは例の「日本人が嫌い」という発言にも関連することであるが、私の考えるところこのような現象が起きる理由として、公私の関係というものが考えられる。つまり「日本」というものは公の空間として存在するだけで、直接的な関係はない。ところが、「日本人」となると身近な存在であり個人レベルでの関係となるわけで、我々はより過敏に反応してしまう部分があるのだろう。

データとして見る限り、全体的に日本に対する意識が強いことが伺える。これと比較する形で図1を参照してみたい。これは「日本国を愛する気持ちの程度」を調査した分析結果である。図を見てもらえば分かるように、約半数の国民が日本に対して愛国心が強いということがわかる。しかし注目すべきは「どちらとも言えない」というグラフが徐々に伸びていることである。これは、ひとえに国家やナショナリズムといったことに無関心、あるいは先に述べたように日常においては馴染みのないことから、このような結果が生じているのであろう。

1

内閣府大臣官房政府広報室『社会意識に関する世論調査』(H12)より作成

しかし、このアンケート調査によるわずかなデータを真に受けて結論づけてしまうのは大変険である。このような内的意識の問題は、個人それぞれが辿ってきた経緯や周囲の環境などによって大きく変わってしまうからである。そこで更に本研究に深みを持たせるために、帰国子女をタイプ別に分類して口頭によるインタビューを行った。

 

 

64 帰国子女を対象としたインタビュー調査

 本項では、アンケートだけでは読み取ることのできなかった帰国子女の内的意識について考察するために、大きく帰国子女を4つのタイプに分けて、それぞれに該当する4名を対象にインタビューを行った。そのタイプとは、@先進国長期滞在者、A途上国長期滞在者、B先進国短期滞在者、C途上国短期滞在者の4タイプである。なお、先進国・途上国の基準として日本をその比較対象として考えている。また、短期滞在というのは5年以下、長期滞在は6年以上というように分類したことも示しておかなくてはならない。なお、インタビューは主に私がメモと取りながら行ったものであり、本文はそれらを端的にまとめたものである。

 

〇タイプA(先進国―長期滞在)

 20歳・男

 ドイツ・デュッセルドルフ(9歳〜16歳)

 アメリカ合衆国・ニューヨーク(16歳〜18歳)

 

Q:海外へ行った事情は何ですか。

 商社に勤めている父親の仕事の関係で行くこととなった。

 

Q:最初ドイツに行くと知った時は、どのように思いましたか。

 最初は海外、つまり全く知らない土地ということで不安と恐怖があった。2歳年上の姉などは夜に泣いたりしていたが、私はそこまでには至らなかった。

 

Q:ドイツでの生活はどうでしたか。

 ドイツではインターナショナルスクールに入った。最初は当然のように英語が出来ず非常に戸惑った。しかし、日本人の生徒が一人いて彼に色々と助けてもらうことが出来たため、すぐにその環境に打ち解けることができた。周りが全て外国人という環境もあって、1年も経つと英語はほぼマスターしていて、コミュニケーションの面で不自由はなかった。

 

Q:日本及び日本人に対するイメージはどうでしたか。

 近くに日本人学校もあったのだが、その学校は中学校までなので、高校になるとほぼ全ての学生がインターナショナルスクールに入学してくる。それらの日本人学生を見ていると、非常に集団依存している印象を受けた。つまり他の外国人の生徒とほとんど接触せず、日本人だけで固まっているのである。そのような状況を見ていたため、日本人に対するイメージは悪化していた。また高校から入ってくる彼らを「移学者」というふうに移民のような感覚で呼んでいた。

 このように日本人に対してあまり良いイメージを持っていなかったことも一つの要因としてあるが、日本の高校には絶対に行きたくなかった。大きな理由としては「受験戦争」のイメージがあったからだ。ニュースなどで高校受験において自殺する者がいるということを聴いて、非常に違和感を覚えていた。またその反面で日本の教育が非常に進んでいることもネックとなっていた。それに漠然と日本に対して暗い印象を持っていた。それは主に外国人との会話において形成されていた。しかし自分自身が日本人であるということは素直に受け入れており、日本人であることを否定することはなかった。確かに日本や日本人に対しネガティブなイメージを持っているのも事実だが、外国人に与えるそのような悪いイメージを変えたいとも思っていた。

 しかしそのようにいっても、最終的には日本で生活するだろうと思っていたため、大学は日本ということを考えていた。そこで高校は日本の私立在外施設である慶應ニューヨーク学院を選んだ。いくつかある私立在外施設の中で本校を選んだ理由は、慶應というブランドであり、エスカレートで慶應義塾大学へ進学できるためである。

 

Q:高校は現地校やインターナショナルスクールを考えなかったのですか。

 先ほど述べたように、最終的には日本の大学というのが念頭にあったため、そのためにある程度日本人社会に慣れておく必要があった。小学生の時にドイツへ渡ってきて以来、日本人だけの社会に身を置いたことがないため、そういった意味でも慶應ニューヨーク学院を選んだ。

 

Q:アメリカでの生活はどうでしたか。

 アメリカに行くのは初めてだったが、特にカルチャー・ショックというものはなかった。しかし寮生活ということで日本人社会をより強固に感じ、抵抗があった。しかし大半の学生は自分と同じ海外経験者なのですぐにその環境にも慣れる。キャンパス内は非常に満喫した生活を送っていたが、校則が厳しく(例えば、マンハッタンには高校3年生になってからでないと行けない等)その辺の自由度がドイツ生活と比べると不満な点である。

 

Q:日本に帰国してみてどうでしたか。

 夏休みなど何度か一時帰国していたので、とりわけギャップは感じなかった。ゴミゴミした環境だけが馴染めなかった程度である。

 SFCには9月生として入学したわけだが、慶應ニューヨーク学院の生徒だけでなく他の帰国生ともすぐに打ち解ける。しかし、4月生とは接点がほとんどないので帰国生でどうしても固まらざるを得ない。しかしこれは恐らく9月生全員が思っていることだが、SFCのシステムに問題があると思う。つまり9月生を対象とした新歓サークル勧誘もないし、授業も他学生とほとんど一緒になることはないからである。

 

Q:一般的に見ると、帰国生においても特に慶應ニューヨーク学院が集団で固まっている印象を受けるのですが。

 それは仕方のないことである。ニューヨーク学院が固まるのは寮生活だったことで、より結びつきが強まっているからである。先輩・後輩の結びつきも非常に強い。決して一般学生を受け入れないということではない。

 

Q(アンケート調査での回答が「気分がいい」というのを受けて)「帰国子女」と呼ばれることについてどう思いますか。

 かなり優越感を感じるのは事実である。ドイツ語も英語も話せるし、非常に貴重な経験をしたと思っている。皆がしていない体験をすることができたというのは、大変素晴らしいことである。将来子どもにも是非体験させてあげたいと思う。

 

Q(アンケート調査での回答が「日本・日本人に対して愛着がない」というのを受けて)日本・日本人に対していつ頃から嫌悪感を抱くようになったのですか。

 ドイツへ渡り外国に打ち解けると共に、次第に日本及び日本人に対する思いは薄れていった。日本人であることを否定することはなかったが、暗く嫌なイメージしか持っていなかったので、日本へ帰国することは非常に嫌だった。

 

 

〇タイプB(途上国―長期滞在)

 20歳・男

 シンガポール(7歳〜10歳、13歳〜17歳)

 

Q:海外へ行った事情は何ですか。

 2度とも父親の仕事(某通信会社)の関係である。

 

Q:海外へ行くということで何か問題はありましたか。

 特に海外ということで抵抗はなかった。幼少だったし、日本国内においても度々引越しはしていたため、さほど問題はなかった。また同じアジア地域で近いということも影響していた。

 しかし2度目の時は、日本にも友達が多くいたので寂しい思いをした。

 

Q:シンガポールへ最初に渡った時はどうでしたか。

 カルチャー・ショックはなかった。幼少ではアイデンティティなどが形成されていないので、当然といえば当然であった。シンガポールは人口約400万人だが、その1%は日本人である。また、小・中は日本人学校に通っていたため、周りが日本人だけという環境であったことも影響している。日本人学校へ入ったのは恐らく親の意向である。国内面積が狭いので、多少離れていても通える距離にあった。

 

Q:その後一度日本に帰国して何か問題はありましたか。

小学生の時、「シンガポール」というあだ名でいじめがあり、そのように呼ばれるのは確かにショックだった。少年野球チームに入っていたのだが、同じ野球のチームメートの間柄だったので、野球をしていればそんなことは気にならなくなった。しかし嫌だったことには変わりない。

 

Q2度目のシンガポールでの生活はどうでしたか。

 高校はアメリカンスクールへ入学した。その学校はシンガポールでトップレベルだったし、自宅からも近かった。さらに、姉が通っていて非常に良いイメージを持っていたからである。

 

Q:「ナショナリズム」について何かお考えをお持ちですか。

 まず、これは特に日本において見られることであるが、そもそも国について考える場面というのは日常ではほとんどない。サッカーなどスポーツの国際大会を観る時ぐらいであろう。そしてこれは非常に不思議に思うことだが、日本で「ナショナリズム」や「愛国心」というと、ある種偏見の眼差しを受ける場合がある。これはやはり戦争の影響なのだろうか。海外においては国民が母国に対して愛国心を持っているというのは当然であり、シンガポールも例外ではなかった。また諸外国には独立記念日というものがあり、シンガポールでは「リークワンユー」というシンガポール建国の父である英雄を称える日でもあった。しかし日本においてこのような日がないのは驚くべきことである。建国記念日というものがあるが、これは一体どのような日であるのか分からない。

 また愛国心などと関わってくることであるが、日本にはカリスマ的存在がいないと思う。例えばアメリカではリンカーンであったり、シンガポールでは先ほど述べたリークワンユーがそれに当たるが、日本において国民の絶対的な存在というのはいないと思う。ここで天皇を挙げることも恐らく問題であろう。

 

Q:日本・日本人に対する愛着はありますか。

 (アンケート調査においては「日本・日本人に対して愛着がある」と回答していたが)もし「日本とシンガポールのどちらに愛着があるか」と質問されたら、「シンガポール」と答えるだろう。しかし「嫌い」の反意語として「好き」ということになるのだろうが、「嫌いだけど好き」という感情も考えられることであって、私にとっては日本がその対象に当たる。日本は嫌いだけど、現実に自分が日本人であることを受け止めなくてはならない。例えば、シンガポールで日本人観光客を見て、すごい嫌悪感を抱いてしまうが、少し考えてみるとシンガポールの人から見れば、自分も観光客も区別なく同じ日本人である。そうすると日本への帰属を意識せざるを得ない。自分にとって日本は現実として、シンガポールは現実逃避の場として考えている。従ってシンガポールは自分にとって愛着の沸く場になるのである。しかしシンガポールが現実になれば、それは辛いかもしれない。あのような学歴社会は嫌だし、独裁的社会や兵役も嫌である。結局のところ、現実逃避として好きなだけかもしれない。

 

Q:海外体験をしたというのは自分にとってプラスになりましたか。

 海外体験の善し悪しは個人体験や環境などによって変化すると思う。確かに現在は海外経験が良かったと思っているが、もしかしたら来年になったら良くなかったと言っているかもしれない。しかし海外経験が良かったと思うのには訳がある。まず、帰国した時期が良かったという点である。最初は小学4年の時で、中学校に備えるには十分の時期であった。そして2度目は大学で、SFCでは帰国子女というのは気にならないのである。次に、シンガポールでの日本人学校のレベルが高かったのと、高校受験のために必死で勉強したという点である。そのためTOEFLのスコアも良く、いわゆる「帰国子女=英語ペラペラ」というステレオタイプにも十分対応できた点である。もっともこのようなステレオタイプは非常に不愉快に感じるところがある。

 

QAO入試についてはどうでしたか。

 まず年齢制限がなかったことで、17歳で入学することができた。また実際に受験してみて感じたことだが、やはり帰国子女は受験に有利であることは現在でも同様である。しかしAO入試に関しては、ただ単に帰国子女という肩書きだけで入ってくる人は少なく、「帰国子女+α」の要素を持って入学する学生が多い。自分自身も環境問題というテーマを前面に出して入学してきた。しかし、英語以外の語学、例えばフランス語などが格段に優れているということで入学する帰国子女もいた。

 

 

〇タイプC(先進国―短期滞在)

 22歳・男

 イギリス・ロンドン(7歳〜10歳)

 

Q:イギリスへ渡った際にカルチャー・ショックはありましたか。

 まだ幼かったので特にイギリスへ行くということに対しても抵抗はなかった。ただロンドンには様々な人種の人間がいるので、それには非常に驚いた。

イギリスでは現地校に通っていたのだが、もちろん最初は英語を話すことができずコミュニケーションをとるのに苦労した。ただ幼少だったこともあり、柔軟に対応していた気がする。それとイギリスでは小さい子供一人で外に出してはいけないという法律があって、学校に行く時も遊びに行く時もいつも親が送り迎えをしてくれた。

 

Q:日本に帰国して何か問題はありましたか。

 特にイジメにあったなどということはなかったが、自分の性格が積極的だったということで対人関係に多少問題があった。また日本では、例えばTV番組や流行の歌などを知らないと、友人たちとの話題についていけなくなるということには違和感を感じた。

 

Q:「帰国子女」と呼ばれることに対してどう思いますか。

 特に何とも感じない。自分の経歴の一部であるに過ぎない。また幼少の短期間だけだったため、現在では自分から言わなければ帰国子女であると認識されない。しかし帰国子女であるということ、そしてイギリスという英語圏に行けたというのは非常に恵まれたことだと考えている。実際に現在でも英語力が身についているというのは利点である。

 

Q:現在就職活動をなされているようですが、帰国子女ということで有利なことはありますか。

 これは正直言っておおいにあると思う。一概にあらゆる業種に当てはまるとは言い難いが、高い英語能力を持っているというのは大きな武器になる。ただし帰国子女においても長期海外経験者はいわゆる日本での「常識」というものが欠けていて、筆記試験や面接などで苦労するという話も耳にすることがある。

 

 

〇タイプD(途上国―短期滞在)

 21歳・女

 香港(10歳〜15歳)

 アメリカ合衆国(15歳〜18歳)

Q:香港へ移り住むということで何か問題はありましたか。

 香港へ移ったのは父親が貿易関係の仕事をしていたためである。自分自身は特に国内の引越しと変わりなかった。ただ友達と離れるのが辛いということがあった。

 

Q:香港での生活はどうでしたか。

 最初は日本人学校へ入学することとなった。それで小学5年生1学期後からインターナショナルスクールに転入した。初めは英語が全く話せなかったので、友達も出来づらく、授業でも発言できず、まるで自分が存在していなかったような気がした。自分を否定されたような気がした。しかし、日本人生徒がいたため色々と助けてもらうことができた。1年も経てば英語でコミュニケーションも問題なくとれるようになった。またこのインターナショナルスクールはあまりレベルの高くない学校であったため、より英語力を伸ばすために中学1年の終わりからレベルの高い公立中学校へ転入することとなった。そこは現地に住むイギリス人などが通っている学校であったため、最初はまた英語という語学の壁に当たることとなった。

 生活全般については、まず現地人との接触はほとんどなかったことが挙げられる。それと母親が韓国人で英語を話すことができず、また話せるようにとそれほど積極的な勉強をしていなかったので、現地の人との近所付き合いはほとんどなかった。また他の日本人との付き合いもそれほど多くはなかった。

 

Q:何故高校は日本ではなく、私立在外施設(慶應ニューヨーク学院)を選んだのですか。

 英語力をもっと高めたいということが念頭にあり、このまま日本に帰ったら英語を使う機会などなくなるだろうと思った。また慶應を選んだというのは「ブランド」という理由もあり、日本で受験するよりも比較的ニューヨークの方が入りやすいということもあった。

 高校時代は寮生活ということもあり、色々なしがらみもあった。また長く海外に滞在していた学生は、日本人社会に入ることや日本的教育の面で非常に苦労していたのも事実である。しかし私自身は10歳まで日本にいたし、香港でも最初は日本人学校へ入っていたので、日本人としてのアイデンティティが幼少の頃に確立されていたため、特に日本人社会ということで抵抗はなかった。

 

Q:「帰国子女」と呼ばれることに対してどう思いますか。

 (アンケート調査では「特別な感じがしてよい。一種のアイデンティティ」との回答だが)このようにポジティブに捉えられるようになったのは、ニューヨークに行ったことが大きいと思う。それでもやはり、幼い頃から長くアメリカなど英語圏に住んでいる帰国子女と比較されると引け目を感じてしまうのも事実である。その点で非英語圏の帰国子女が「帰国子女=英語がペラペラ」というステレオタイプに不満を感じるのも十分に理解できる。

 

 

7 結論 ―今後の帰国子女像とは―

 以上のようなアンケート・インタビュー調査を見てみると、一概に「帰国子女」といっても実に様々なタイプに分類されることが改めて実感できた。ここで本研究のテーマを振り返ってみたい。本研究の目的は帰国子女の日本に対する帰属意識・ナショナリズムを調査する点にあった。そこで以下の表4を参照して頂きたい。

4 帰国子女の日本に対する帰属意識

 

日本に対する帰属意識

持っている

33

持っていない

15

未回答

1

合計

49

 これはアンケート調査での結果である。ここで帰属意識というのは「日本国民の一員として自覚している」ということを私は定義している。アンケート結果においては、日本に対して帰属意識を持つ帰国子女が多いことが示されている。しかしインタビューを見ても明らかのように、現実として日本人であることを受け止めなくてはならず、そのために帰属意識を持たざるを得ない、日本人であることを意識せざるを得ない、というような者も決して少なくはないであろう。従って、回答が同じ「yes」であっても帰属意識の濃度というものは各人によって個人差がある可能性は十分に考えられる。

 これは先に示した「日本及び日本人に対する愛着」にも関連することであるが、アンケート調査から考察できることとして、日本に対する意識が薄いタイプとして二つ挙げることができる。一つは長期間主に先進国に滞在して大学で帰国した男性であり、もう一つは短期間滞在して主に小・中学生の時に帰国した女性である。この原因として私が考えることとして、前者はいわゆる欧米諸国の日本に対するエリート意識が植え付けられていることである。そして後者は、帰国子女ということでの学校内でのイジメ、または校則など厳しい制約に対してストレスを感じてしまうことであろう。やはり同時期に帰国した者を比較しても、男性より女性の方がイジメなどの問題を抱えていた例がアンケート結果からも導き出された。この分類が全てに当てはまるとは言えないが、相対的にみてこのように分類されていたというのは非常に興味深い点であった。

 第6章まとめでも述べたことであるが、冒頭で立てた仮説に反する形で現在の帰国子女においても母国に対して強い意識を抱いていることを知ることができた。しかしここで私が述べておきたいのは、この日本に対するナショナリズムは、かつてと比較すると幾分希薄になったのではと考える。その理由として、かつての6070年代と異なり、少なくとも日本においては日常生活する上で国家やナショナリズムというものはあまりリアリティのないものとなってきているはずである。つまり漠然とした概念は理解している者であっても、それ自体は別の次元に存在するかのようなものとして認識しているに過ぎない。これは私も含め若者に如実に表れる例である。従って、今後帰国子女にとって日本に対する愛国心やナショナリズムというものは、ますます希薄になってしまうのではないか、あるいはこれは帰国子女に限らずにいえることであるが、そのようなことに関しても無関心であったり、考えることが煩わしいものになってしまうのではないかと懸念される。

 しかしいえることとして、今後帰国子女問題も減少していく傾向にあることは間違いない。これは帰国子女という存在がもはや一般に認知されていることもあるが、このグローバル化社会においては今後誰しもが海外へ渡る可能性はかつてとは比較にならないほど増加するはずであって、海外経験があるという理由だけでイジメや日本への染め直しなどが行われることはないであろう。従って、今後も帰国子女の社会的地位における優位論というのは揺るぎないものであるということを結論づけておきたい。

 

 

 

参考文献 

参考URL

 

 

 

資料

2

 

 

 

 

 

 

 3

 4

 

 

5

 

 

51 平成12年度 帰国子女受け入れ大学への進学状況(4月入学)

 

調査校

非公開校

志願者

受験者

合格者

入学者

国立

75

4

983

740

283

191

公立

30

0

143

111

49

31

私立

223

28

2463

2102

1238

645

小計

328

32

3589

2953

1570

867

 

52 平成11年度 帰国子女受け入れ大学への進学状況(9月入学)

 

調査校

非公開校

志願者

受験者

合格者

入学者

国立

2

0

95

82

36

36

公立

1

0

0

0

0

0

私立

20

3

213

158

148

106

小計

23

3

308

240

184

142

 (『帰国子女のための学校便覧2001』(海外子女教育振興財団、2000より作成)

付録資料1

帰国子女アンケート調査

                           慶應義塾大学環境情報学部4年   伏見 学 

e-mailt98808mf@sfc.keio.ac.jp

この度、小熊英二研究会の下で制作する卒業論文として「帰国子女研究」をテーマとして定めました。調査結果は、卒業論文作成の上で非常に参考にさせて頂きたいと思います。

 質問は多岐にわたっていますが、研究成果を高めるために、是非皆様のご協力をお願いします。

 なお、この調査は無記名で、上記の目的以外に使われることはありません。

T.フェイスシート

 以下の質問についてあてはまる項目に○をつけるか適当な語句を記入して下さい。

  1. 年齢について
  2. ________歳

  3. 学年について
  4.  a1年  b2年  c3年  d4年  e.その他(      )

  5. 性別
  6.  a.男  b.女

  7. あなたの通算外国滞在年数(ただし1年以上の方のみ記述)について
  8.  _____年______ヶ月

  9. (4)において海外経験がある場合、その時期・期間・場所(国名・都市名)を答えて下さい。
  10.  ・____歳 ____歳   国名_______ 都市名_________

    ・____歳 ____歳   国名_______ 都市名_________

    ・____歳 ____歳   国名_______ 都市名_________

    ・____歳 ____歳   国名_______ 都市名_________

     

     

  11. 大学以前の教育歴についておききします。

 @小学校  a.日本  b.日本人学校  c.海外現地校  d.その他(       )

A中学校  a.日本  b.日本人学校  c.海外現地校  d.その他(       )

B高校   a.日本  b.日本人学校  c.海外現地校  d.慶應NY  e.その他(    )

 

U.本題

  1. 海外へ出た際に「カルチャー・ショック」を経験したことがありますか。ある場合はその具体的事例をお答え下さい。
  2.  

     

     

  3. 帰国後「逆カルチャー・ショック」(再び日本に帰国した際に感じる文化的違和感)を経験したことがありますか。ある場合はその具体的事例をお答え下さい。
  4.  

     

     

  5. 外から見る「日本」と内から見る「日本」の違いについてあればお答え下さい。
  6.  

     

     

     

     

  7. 外から見る「日本人」と内から見る「日本人」の違いについてあればお答え下さい。
  8.  

     

     

     

     

  9. 海外生活時の、家族や友人(日本人)との主なコミュニケーション言語についてお答え下さい。
  10.  a.日本語  b.英語  c.その他(          )

  11. 日本での家族や友人(帰国子女)との主なコミュニケーション言語についてお答え下さい。
  12.  a.日本語  b.英語  c.その他(          )

  13. 海外においてアイデンティティ・クライシス(自己認識の危機)を体験したことがありますか。ある場合はその具体的事例をお答え下さい。
  14.  

     

     

  15. 日本においてアイデンティティ・クライシスを体験したことがありますか。ある場合はその具体的事例をお答え下さい。
  16.  

     

     

  17. 日本にいる際に、日本人意識を感じることがありますか。ある場合、具体的事例をお答え下さい。

ex.オリンピック観戦)

 

 

 

 

(10) 海外にいる()際に、日本人意識を感じることがありますか。ある場合、具体的事例をお答え下さい。

 

 

 

(11) 「日本」に対して帰属意識がありますか。

 a.はい  b.いいえ  

 (12) 「日本」に対して愛着がありますか。

a.はい  b.いいえ  

(13) 「日本人」に対して愛着がありますか。

a.はい  b.いいえ  

  1. 帰国生の方に伺います。海外の大学にも出願しましたか。
  2.   a.はい  b.いいえ

  3. 海外の大学に合格していた方におききします。なぜ海外の大学に進学しなかったのですか。
  4.  

     

     

  5. あなたは海外で日本語の能力維持、向上のために何か特別な努力をしましたか。
  6.   a.はい  b.いいえ

  7. 「はい」と答えた方は以下の点についてお答え下さい。
  8. ・方法 ______________________________________

      ・準備開始時期 __________________________________

      ・準備期間 ____________________________________

  9. あなたは帰国後の生活において日本語能力の不足を感じたことがありますか。ある場合、その具体的な事例をお答え下さい。

 

 

 

 

 (19) 海外生活において、特に身に付けたと思われるものがあればお答え下さい。

 

 (20) 日本帰国後、特に身に付けたと思われるものがあればお答え下さい。

 

  1. 帰国後、「日本」に問題なく同化できたと思いますか、思いませんか。「いいえ」の場合、その具体的な問題点等あればお答え下さい。
  2.   a.はい  b.いいえ

  3. 「帰国子女」と呼ばれること、又は「帰国子女」といった枠に組み込まれることについて、どう思いますか。
  4. 近年、日本では「国際化の時代」「国際人」ということがよく議論されています。あなたが考える「国際人」はどんな特徴を持っている人でしょうか。
  5.  

     

     

  6. 将来仕事する、あるいは生活するフィールドは日本と海外のどちらが好ましいですか。
  7.   a.日本  b.海外

  8. 「ナショナリズム」という用語にどのようなイメージを抱きますか。自分なりの解釈、漠然とした内容で構いませんのでお答え下さい。そしてまた、「ナショナリズム」に対してなにかあればお答え下さい。(ex.ナショナリズムの必要性)

 

 

 

 

 

 

 

 (26) 最後に、アンケート内容、調査方法等、どんなことでもよいですから感想をお聞かせ下さい。

 

 

長い間アンケートにご協力頂き、どうもありがとうございました。心から感謝しております。

ごくろうさまでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

付録資料2

SFCを支える5つの柱」

(慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス入学案内パンフレットより作成)

 

1.「人間と環境」の重視

「環境」は、自然環境、社会環境、人工環境など、さまざまな人間生活の場を含む、現代社会の基本概念の一つです。「環境」の中心となるのは、あくまでも自分自身です。みずからの決定と行為が「環境」に影響し、結果として自分に戻ってくる原理を理解し、その上でいかに行為すべきかを考える、これが環境問題を問う根底にある発想です。傍観者ではなく、あくまでも当事者としての立場から、問題を立て、みずからの行為を通じて解決していく実践的能力が要求されています。

2.「情報」と情報処理能力の重視

「情報」は、20世紀が生みだした最も重要な概念だと言われています。21世紀は、あらゆる事象を物質とエネルギーに替わる「情報」という概念に基づいて見直すことによって、世界観の転換が期待される時代です。人間は、道具をつくり、使いこなすことによって、独自の進化をとげてきました。今日では、コンピュータをはじめ、多くの情報機器を使いこなすことによって、われわれはイメージの世界を大きく広げようとしています。人間を、物質・エネルギー系として捉えるのではなく、信号や記号を生成・処理する存在として理解することによって、はじめて人間の全体像を描きだすことができるのです。

3.総合的視点と判断の重視

現実の選択や決定は、それがいかなるものであれ、諸科学横断的な総合的視点と判断を必要とします。とくに、政策の立案、検討、実行にあたっては、物事を多面的に解釈し、総合的に評価する能力が問われます。意見の対立を解消し、利害を調整するためには、一方において、同意を得るためのミニマムな共通項を見いだすと共に、他方、構成メンバーの要求に見合った、柔軟で多様なメニューをつくりだし、異質性をむしろ積極的に取り込んでいくことが不可欠となります。

4.グローバルな発想と視野の重視

交通・通信技術の発展にともなう地球規模での相互依存関係が一段と深化するなかで、国家間の相互理解、異文化間の交流は、21世紀にむけての最大の課題となっています。とりわけ世界の大学・研究機関を直結するネットワーク化がすすむなかでは、多様な文化についての知識と言語運用能力を基礎とするコミュニケーション能力が一段と要求されることになります。グローバルな発想と視野を身につけた受信・発信型の能力を養うことが何よりも必要となります。

5.創造性の重視

従来の教育では、知識の伝達、継承、与えられた問題の解決技法の習得に重点がおかれていました。これからの社会では、みずから問題を発見し、解決する能力、さまざまな情報をひとつの知識へと体系化する能力をもつ、創造型の人間が期待されています。そのため、あらゆる研究に共通な知的基本動作の習熟、自然言語と人工言語の運用能力を前提として、多様な発想と討論の場をつくることが必要です。既成観念の束縛から解きはなされた自由な発想と知的好奇心にもとづいた創造の愉しみ、それがSFC教育の基本姿勢です。