慶應義塾大学卒業論文

環境情報学部4年 丹羽 大介

学籍番号 79857267

「バーチャルコミュニティのマネージメントの現状に関する一考察」

−電子掲示板2ちゃんねるを中心に−

論文要旨

本研究は、これまでの社会学のバーチャルコミュニティ、つまりネットワーク上で不特定多数がコミュニケーションを行う場に関する研究蓄積が前提としてきたコミュニティのモデルが、現状のそれとは合致していないのではないかという問題意識を出発点として行われた。調査対象は、現在日本における「管理人主導型」の掲示板の中では最大の2ちゃんねる、および「企業運営型」の掲示板として最大のYahoo! Japan掲示板を選択し、先行研究におけるコミュニティを参照しつつ、それとの差異を明確にすること目指した。考察される分析要素は、マネージメントの形態、管理者のマネージメント、ユーザーのマネージメントの3つである。

マネージメントの形態からは、ユーザーと管理者の間の距離感が主に議論される。管理者のマネージメントの考察からは、管理者のあり方が2ちゃんねる、Yahoo!および以前の掲示板で異なっていることが明らかにされる。また、利用者のマネージメントでは、ネット人格という言葉をキーワードにして、利用者同士の人間関係のあり方が考察される。

結論として、現在のコミュニティと先行研究のモデルとなっているコミュニティの違いの一つに、匿名性およびネット人格の高低があるのではないかという仮説が導き出される。

キーワード

バーチャルコミュニティ、マネージメント、モデルの変化、ネット人格、匿名性

 

 

 

 

 

 

目次

1 序論

1−1 問題意識および問いの設定

1−2 理論的背景

2 研究方法−調査対象と調査方法

3 マネージメントの形態

3−1 マネージメントの定義およびコミュニティの概観

3−2 マネージメントの詳細

4 管理者のマネージメント

5 利用者のマネージメント

6 総括および結論

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1 序論

1−1 問題意識および問いの設定

 本研究の根本的な問題意識は、バーチャルコミュニティのマネージメントに関する現状と課題を考察することにある。本節では、この問題意識を詳しく説明するとともに、具体的な問いを設定したいと思う。インターネットの利用者は日本においても年を追うごとに加速度的に増えており、総務省によれば2000年末の時点ですでに4700万人以上になっている。今後もその数の増加が予想され、同時にインターネット上におけるコミュニケーションの重要性も無視できないものになっていくであろう。一方で、バーチャルコミュニティにおけるコミュニケーションの実態は、社会心理学を中心に盛んに分析されているものの、現実の、という言い方があまりに二項対立的に聞こえるなら、我々がこれまで経験してきたほかのコミュニケーション空間におけるそれとの違いはまだはっきり認識されているとは言いがたい。そのわからなさが、江下(2000)が指摘する、バーチャルコミュニティにおけるコミュニケーションに関して、肯定するにせよ否定するにせよ極端な論調がまかり通っている原因であろう。ただ、はっきりしているのはバーチャルコミュニティというコミュニケーションの場を管理し、維持していくのはそれなりに難しいということである。例えばDutton(1996)は、あるコミュニティにおいて乱暴な発言や個人に対する中傷が続いたため、そのコミュニティを訪れる人の数が減ってしまった例を検証している。バーチャルコミュニティにおけるコミュニケーションは、これまで我々が経験してきた様々なコミュニケーションとは違った魅力を提供する一方で、たくさんの解決されるべき問題を孕んでいることもまた、事実である。従って、コミュニティのマネージメントをどのように行っていくかという課題は、それ自体が学問的な考察の対象となりうるだろう。コミュニティで起こった問題の責任は、誰が負えばいいのか。問題が起こった時に、どのような手続きを経て対処すればいいのか。など、考えられるべきことは多い。

 しかし、本研究がここで直接に扱う問題は、理想のコミュニティ運営を模索することではない。まだまだ、研究の材料が少なすぎると思うからである。その代わりに本研究では、バーチャルコミュニティのマネージメントの現状を考察することで、上述の問題意識に答える一助としたい。次節で述べるように、社会学においてはバーチャルコミュニティのマネージメントに関していくつかの研究蓄積はあるものの、それらは総じて古いバーチャルコミュニティのモデルを前提として展開されており、コミュニティの現在的な状況を反映したものとは必ずしもいいがたい。本研究が目指すのは、現時点における実際のコミュニティの調査を通じてこれまでの研究蓄積を問い直し、先行研究と現実の差異を明らかにしていくことである。

1−2 理論的背景

 本節では、社会学におけるこれまでのバーチャルコミュニティ研究の蓄積を検討し、同時に本研究の位置付けを図りたい。本研究が対象とする、バーチャルコミュニティのマネージメントという問題に社会学的なアプローチで取り組んできた研究は、大きく分けて三つのタイプに分類することが出来る。

 第一に、主に理論的関心からアプローチしたもの。これは、バーチャルコミュニティのマネージメントの将来的なビジョンや、また理想的なあり方を提案したもので、例としてSmith, Kollock(1996)や、吉田(2000)などがあげられる。前者は公共財、後者は公共圏という概念をそれぞれバーチャルコミュニティに応用し、議論を展開している。第二に、実際にコミュニティをフィールドワークし、そこで行われているマネージメントを分析したものがある。前節で言及したDutton(1996)や、北山(1997)がこれにあたる。Duttonはアメリカのカリフォルニア州のローカルなバーチャルコミュニティを、北山は日本のNifty Serve(現在の@Nifty)をそれぞれ調査している。第三に、理論的な展望と現実のコミュニティ分析の両方をつなげて論じようとした試みとして、Rheingold(1993)があげられる。RheingoldWELLMUDといったバーチャルコミュニティの分析と、将来的なバーチャルコミュニティのあり方の展望に言及している。

 さて、本研究はこういった流れの中で、どのように位置付けられるべきものであろうか。筆者がこれまでの研究蓄積に対して一貫してもっている疑問は、はたしてそれらは現実のバーチャルコミュニティの諸相、およびその方向性を反映したものになっているといえるか、ということである。遠藤(2000)が指摘するように、アメリカにおいてインターネット登場以前のローカルな通信ネットワークにおいて、「コミュニティ」という言葉は必ずしも「バーチャル」なものではなかった。遠藤によれば、当時の草の根BBSは通信上の制約から遠方との接続は特に想定されておらず、地域コミュニティのためのものと考えられていた。そこでは、公共性の高い問題が議論されることが予想され、マネージメントに関する課題といえば、例えば人々の発言の平等を確保するとか、多くの人を議論に参加させるなどの問題が非常に重要視されていたわけである。しかしながら、前節の冒頭でも述べたとおり、インターネットは加速度的に普及し、同時にその性格を変化させつつある。一部のマニアたちが知恵を出し合ってネットワークを支えていた時代から、普通の人が普通にブラウザーを使ってウェブページを閲覧し、メールをやり取りする時代へ、そのような状況の中で、バーチャルコミュニティもその性質を様変わりさせていることは容易に推測できる。

 だが、これまでの社会学における研究蓄積は、どちらかというと古いバーチャルコミュニティのモデルを念頭に置いてきたといえるのではないだろうか。実際、本節でこれまでの研究蓄積として紹介したものはその全てが、インターネットが普及する以前のコミュニティや、それを模倣したコミュニティをフィールドワークの、あるいは理論的関心の対象としている。そこで、本研究はバーチャルコミュニティのマネージメントに関する現在的な状況を、最近の日本におけるコミュニティの分析を通して描くことで、先行研究の問い直しを図りたい。従って、本研究で目指されるのは、あえてこのような言い方をさせてもらえば先行研究のアップデートである。

 最後に、方法論的な問題について簡単に触れたておきたい。次章で詳しく述べることになるが、本研究はフィールドワーク、および文献調査を通して実際のバーチャルコミュニティに迫っていくことを目標としている。したがって本研究は、私が前述した分類枠に当てはめれば二番目に入れるのが適当であろうと思う。もちろん、理論的な関心からコミュニティのマネージメントという問題に取り組んでいる研究にも参考になれば幸甚である。

2 研究方法−調査対象と調査方法

 本章では、本研究の具体的な対象、また調査方法について述べる。前章で述べたとおり、本研究はバーチャルコミュニティのマネージメントの現状を、具体的なフィールドを調査することを通して分析するものである。従って本研究の直接の調査対象としては、これまでの社会学がモデルとしてきた古いタイプのバーチャルコミュニティではなく、新しいものが必要となる。本研究では、二つのコミュニティでフィールドワークを行うこととした。第一に、メインの調査対象として設定したのは、電子掲示板サイト「2ちゃんねる」である。掲示板、チャットサイト、メーリングリストまで含めると無数にあるバーチャルコミュニティから2ちゃんねるを選定した理由はいくつかあるが、第一にこのサイトが日本の(本研究の定義に従った)バーチャルコミュニティの中で最大であるということがあげられる。「2ちゃんねる宣言」によれば、このサイトのユーザー数は推計で300万人に上る。さらに、ジャパンアクセスレーティングの調査によると、2ちゃんねるのアクセス数は2002125日の時点で、掲示板サイトの中では1位である。また、マスメディアに取り上げられることも多く、影響力という点でも非常に強いものがある。これらを考えると、日本のコミュニティの現状を考察するにあたって、2ちゃんねるは対象として欠かせないということがいえると思う。次に、2ちゃんねるの独特な性格が、その理由としてあげられる。後で詳しく説明することになるが、2ちゃんねるは約300の専門掲示板にわかれた掲示板群であり、ユーザーは非常に多くのトピックについて議論したり情報を交換したりすることが出来る。この点は、一つ、あるいは複数のトピックに特化した掲示板と大きく異なっており、その分多様なユーザーが存在することになる。前章で指摘した「普通の人が普通にインターネットをする時代」のコミュニティの一例として、そのような多様性を内包する2ちゃんねるは適当であろうと考える。またこれについては後で詳しく述べることになるが、マネージメントの形態もこれまでのコミュニティとは大きく異なっており、先行研究のアップデートを図るという本研究の目標にかなった調査対象だと判断した。

次に、2ちゃんねるの性格をより明確に示すための比較対象としてYahoo! Japan掲示板をやはりフィールドワークによって、さらに本研究が言うところの「旧モデル」のコミュニティを先行研究から分析した。前者は、2ちゃんねるに比べ人数は少ないもののやはりたくさんのトピックについてコミュニケーションが出来る掲示板群である一方で、運営形態は非常に異なっているので上記の目的を達するために有効な対象であると考えた。また後者に関しては前章で述べた、「これまでの社会学が暗黙の前提としてきたコミュニティのモデル」を浮き彫りにし、現在のコミュニティと対応させて論じるために分析した。ただし、こちらに関しては先行研究を文献として調査したのみで、実際にフィールドワークを行っていないことは明記しておかなくてはならない。

 次に、フィールドワークの対象とした2ちゃんねると、Yahoo! Japan掲示板に関する調査方法について述べたい。本研究は主に参与観察を採用し、20013月から20021月までの間に2ちゃんねるにおいてフィールドワークを行った。全てのカテゴリにわたって様々な発言を閲覧し、私が興味をもったトピックに関しては自分で発言もおこなった。比較対象のYahoo! Japan掲示板は、発言はしなかったが多くのトピックを閲覧した。さらに、それらを補うためにこれらのコミュニティ、特に2ちゃんねるに関する出版された本やWEB上の資料なども参考にした。次に、注目した主な分析要素は次の通りである。まず、マネージメントの形態。ここでは、管理の具体的なシステムを、特に逸脱行動にたいする対応とルールの制定に関して特に注目して分析してみる。次に、管理者による管理。これは、フィールドワークを行った結果から、管理者が工夫して管理している点などを分析して述べる。最後に、利用者による管理。特権をもたないフリーなユーザーたちが管理にどのように貢献し、あるいは問題を引き起こしているかである。なお、バーチャルコミュニティ上でフィールドワークを行っていくにあたっては、Thomsen(1996)を参考にし、定性調査に関して彼らが主張した方法に沿うようにつとめたことを付け加えておきたい。

3 マネージメントの形態

3−1 マネージメントの定義およびコミュニティの概観

 それでは、具体的な議論に入りたい。まずここで、本研究におけるマネージメントとはどういうことかを、あらかじめ定義しておきたい。本研究では、マネージメントを「バーチャルコミュニティを維持していくために様々な調整を行っていくこと」とする。本研究が扱うバーチャルコミュニティは、何か特定の目的(例えば政治的な運動など)のために設立されたわけではなく、インターネット上でコミュニケーションする場を確保し、維持していくことが、強いていえばその目的である。従って例えば状況の変化に対応するための新しいルールの制定や、逸脱行動が起こったときの対応などがこの対象に含まれる。本章では、このマネージメントの形態が2ちゃんねる、および比較対象であるYahoo! Japan掲示板や先行研究におけるコミュニティでどのようであるか、あるいはあったかを分析する。なお、「マネージメント」を行う主体は、必ずしも規則上、管理の責任を負っている人々だけとは限らない。後に述べるが、何の権利も義務もなくコミュニケーションに参加している一般のユーザーも、上述したようなルールの制定、逸脱行動への対応などにまったく影響を与えないわけではない。従って本研究が行う「マネージメント」に関する分析は、かなり広範な対象を取ることになる。

 ところで、マネージメントの具体的な分析に入る前に、これらのコミュニティにおいてコミュニケーションがどのようになされているのかを説明しておく必要があるだろう。まず2ちゃんねるについて述べる。2ちゃんねるは前述したように、様々なトピックに関する掲示板を含んだ掲示板群である。それぞれの掲示板は「専門板」と呼ばれ、300ほどが存在する。ユーザーたちはそれぞれの専門板で、議論、あるいは情報交換をしたいより具体的なトピックを提案し、つくることが出来る。これを2ちゃんねるでは「スレッド」と呼ぶ。例えば「社会学」という専門板の中に「宮台信二ってどうですか?」というスレッドが立ち、宮台についてユーザーたちが情報や意見をのべるという具合である。掲示板であるので非同期のコミュニケーションであり、ユーザーはそれまでの発言の記録を閲覧し、それにレスポンスをつけるというかたちになる。Yahoo! Japan掲示板でもコミュニケーションの仕方は同様であるが、2ちゃんねるにおけるスレッドはここではトピックといわれているようである。

さて、2ちゃんねるが非常に人気を集めた理由の一つに、その高い匿名性があるといわれる。普通、バーチャルコミュニティでコミュニケーションをする際には、パスワードつきの「ハンドルネーム」がそれぞれのユーザーに与えられる。つまり、同じハンドルネームによってなされた発言は、パスワードが盗まれたというような例外を除いて同一性を与えられることになり、厳密な意味での匿名性とはいえない。それはどちらかというと、バーチャルコミュニティ上で新たに付与された人格というほうが適切であろう。しかし2ちゃんねるでは発言に際しパスワードは必要なく、発言フォームの「名前」欄に何を書き込んでも、あるいは何も書き込まなくても良い。従ってそのつもりになれば一人複数役を演じたり、他人になりきってみたりすることも可能である。この匿名性の高さが、2ちゃんねると他のコミュニティをわける、大きな特色であるといわれてきた。しかし、Yahoo! Japan掲示板も確かにハンドルネーム取得は必要であるが、メールアドレス一つ当たり5つまでハンドルネームが持てたり、フリーメールでハンドルネームが取得できたりするという事情から、匿名性の高さは2ちゃんねるとそれほど変わらないというのが実態である。いずれにせよ、匿名性、あるいはネット人格(の高低)という要素は現在のコミュニティと(本研究がいう)旧モデルのコミュニティの大きな違いの一つである。先行研究のうち、実際にフィールドワークを行った分類(2)、(3)のものをもとに旧モデルのコミュニティを見てみよう。Rheingold(1993)では、WELLUSENETという二つのコミュニティが主に分析されているが、前者ではハンドルネームは原則として一人一つ、またかなり詳細な自己紹介がつけられている。後者のUSENETに至っては、実名投稿が原則である。Dutton(1996)が調査したPENUSCBBSは、前者は行政によって組織されたローカルなコミュニティで実名投稿、後者は大学の掲示板で一人につき1ハンドルである。一方、北山(1997)が調査したNifty Serveは商用ということもあり多少事情が違っているが、それでも一人1ハンドルを継続して使用するということは同じである。また当然ながら、Niftyの利用者しかコミュニケーションに参加できない。この節では匿名性の度合いの違いにより起こるコミュニケーションの質の差について深く分析はしないが、コミュニティのあり方が大分異なってきていることが予想できるのではないか、ということは指摘しておきたい。これに関しては後にもう一度触れることになる。

3−2 マネージメントの詳細

 本節では、マネージメントの形態の実際について詳しく述べたい。2ちゃんねるにおいては、管理者は「ひろゆき」こと西村博之氏一人であり、基本的に彼が2ちゃんねるでおこったことについて最終的な責任を負うことになっている。しかし、実際には300万人を超えるユーザーが行う膨大な書き込みを一人でチェックすることは現実的に不可能であり、「削除人」と呼ばれるボランティアの人たちが、不適当だと判断したり、苦情があったりした発言を削除している。彼らは西村氏の募集の呼びかけに応募し、その中で採用された人々である。さて、「不適当」とされる発言に関しては、2ちゃんねるガイド:応用に一応のガイドラインが示されているが、もちろんそれほど厳密なものではなく、削除人が判断に困った時は管理者に対処を委ねることになっている。削除人は自分が行った削除に関してなんらの責任を負う必要は無い。そのかわり、管理者である西村氏は削除人を自由に任命・罷免することが出来る。一方、不適当な発言があると判断したり、あるいは自分がした発言が削除されたことに異議を申し立てたい人は、前者は専門板の一つ「削除依頼」、後者は同じく「削除議論」に要望を出すことになる。ただしどちらもあくまで要望に過ぎず、削除人、あるいは管理者がそれを受け入れるかどうかの権限を全面的に保持している。従ってそれに納得できない場合は、実社会で裁判に訴えるなどコミュニティの外部の手段を利用することになる。

 次に、ルールの制定について述べる。2ちゃんねるには「批判要望」という専門板があり、追加(あるいは撤廃)して欲しい機能やルールに関しては、ユーザーはここで要望を述べることが出来る。しかしこれもやはり要望の域を出ず、ユーザーには実際に改変する権限はなんら与えられていない。また、筆者がフィールドワークを行った経験から鑑みる限り、ユーザーの声を管理者がどれほど尊重しているかも疑問である。しかしいずれにせよ、2ちゃんねるはこのようにしてユーザーにある程度マネージメントに関わる場を与えつつ、最終的な決定は管理者が下すというスタンスを取っているということがいえそうである。

 さて、比較対象のYahoo! Japan掲示板はどうだろうか。こちらは2ちゃんねると違ってハンドルネーム制を採用しているため、ハンドルネームを取得した時点でユーザーはYahoo! Japanの利用規約に合意したものとみなされる。利用規約には、いくつかの「禁止行為」があり、これらに反する発言をした場合には、Yahoo! Japanのスタッフにより発言またはハンドルネームそのものを削除される可能性がある。このスタッフは2ちゃんねるにおける削除人と異なり、ボランティアではなくYahoo! Japanの側の人間として業務を行っている。従ってYahoo! Japanが掲示板に対して最終的な責任を負うことになる。ユーザーが不適切な発言があると思った場合は、そのむねをYahoo! Japanのスタッフ宛に連絡することはできるが、2ちゃんねると同様にユーザーには何の権限もない。また、2ちゃんねると異なり、批判や要望をしたり、それらについて議論したりするための場は、Yahoo! Japanには見当たらなかった。Yahoo! Japanでは、マネージメントについてユーザーが関わっていく場を、すくなくともパブリックには設けていないようである。

 さて、ここでもやはり「旧モデル」と比較を行ってみたい。先行研究を見て気がつくのは、管理者とユーザーの距離感の違いである。例えば、北山(1997)の調査したNifty Serveでは、「シスオペ(システム・オペレーター)」と呼ばれるマネージャーがそれぞれのフォーラムを管理し、かなり細かいところまで対応している。さらに多くのフォーラムには「ボードリーダー」と呼ばれる、コミュニケーションを円滑に進めるためのスタッフが置かれている。Rheingold(1993)が分析したWELLも、やはりNiftyと似たシステムである。話題ごとに「公開会議室」が設置され、それぞれリーダーが存在している。強調しておきたいことは、これらの研究を見る限り、こうしたリーダーたちと一般のユーザーたちに大きな境界は無いと考えられているということである。彼らは、いわば村落共同体における長老のような存在であり、フォーラムなり公開会議室なりのコミュニケーションに関して長い経験と知識をもっている人たちである。もちろん、商用のNifty ServeWELLには、そうしたリーダーたちとは異なる専門スタッフが存在するわけだが、彼らは実際のフォーラムや公開会議室のマネージメントに介入することはあまりなかったようだ。問題が起こった場合は、リーダーたちがそれぞれの意見をよく傾聴し、その上で判断をしていたようである。

 一方、2ちゃんねるやYahoo! Japan掲示板においては、事情は違っている。これは第5章で詳述することになるが、確かにこれらのコミュニティにおいても、積極的にマネージメントに関わる発言を繰り返す人がいないというわけではない。しかし、彼らもやはり一般のユーザーであり、マネージメントに関して何の権限ももっていないことには変わりは無い。2ちゃんねるの管理者「ひろゆき」こと西村博之氏は同時に2ちゃんねるのユーザーでもあり、時折2ちゃんねるに書き込みも行っている。しかし膨大な2ちゃんねるのコミュニケーションに比して彼が実際に関与する部分はごくわずかであり、それぞれ微妙に雰囲気の異なる専門板すべてに精通しているわけではなく、従って彼を先行研究におけるリーダーたちと同一視することは難しい。彼は確かに2ちゃんねるの象徴的存在ではあるが、「長老」ではない。一方「削除人」たちも裏方として仕事をしており、私が参与観察した間、「削除依頼」「削除議論」以外の専門板で、削除人名義の書き込みを見たことはほとんどなかった。つまり、様々な板に一般のユーザー以上にパワーを持ったものとしての削除人が現れることはなかった。またYahoo! Japanに至っては、マネージメントをしているはずのスタッフは、まったく表に出て来ない。彼らはただ事務的に、発言の削除や苦情メールの受付などの処理を行っているに過ぎないのである。このような、2ちゃんねるおよびYahoo! Japan掲示板と、「旧モデル」のコミュニティの違いは前節の匿名性と関係があると筆者は考えているが、この議論は後回しにすることにしたい。

4 管理者のマネージメント

 本章では、管理者がマネージメントに関して工夫したり、あるいは苦労したりしている点を参与観察や文献調査から分析し、明らかにしていく。2ちゃんねるの西村博之氏はいくつかのインタビューを受けているが、そのなかで彼は、マネージメントの中で「一番難しいのはサーバーの運営工学」だと強調している。これは、インタビューの内容からも明らかなとおり、要するに掲示板を運営していく土台となるサーバーをどのように確保するかという技術である。以下に引用しよう。

「−サーバーの運営って、そんなに難しいんですか?(インタビューアーは「2ちゃんねる宣言」著者の井上トシユキ氏…引用者注)

西村 いや。技術的な話じゃなくて政治的な話で。潰れそうになったときに、その潰れる前にほかのサーバー屋さんとちゃんと契約して移行もしているかっていう。別に技術どうこうは関係なく。単に潰れそうになったときにいかにこう、潰れないようにこう、交渉して引き延ばして、引き延ばしてる間に新しいサーバーと契約して、こう移転をするかという。」

 周知の通り、300万人のユーザーを抱え、一日に1600万ページビューを数える2ちゃんねるは、サーバーの転送料金も非常に高く、参与観察していて見つけた書き込みによれば、1ヶ月に700万円以上がかかっているという。現在は落ち着いているが、昔はサーバー運営者とのトラブルが絶えなかったようである。西村氏はもともと2ちゃんねるで利益をあげようという気はなく、個人の趣味で掲示板を運営しているに過ぎなかった。それがここまで成長したのは、常に無償でサーバーを提供してくれる事業者を、コネを活用して探してくることができたからのようだ。一方、掲示板内で起こるさまざまな問題については、「()自己責任っていうか、場は提供するけど、その中で何をするかはテメエらで決めて、テメエらでやれっていう。」「書いてるの俺じゃねえもん」とそっけない。少なくとも西村氏本人としては、場は自分が提供するが、マネージメントに関してはそこでコミュニケーションをする人たちが好きにやってくれ、という意識のようだ。しかしながら、前にも述べたように「掲示板の全責任は自分が負う」といっている以上、問題に巻き込まれたり、あるいは起こしたりした人たちが彼の希望通りに対処するとは限らない。実際彼は、暴走族に囲まれたり、暴力団と電話で喧嘩したり、裁判で訴えられたりしている。本人が自覚しているかどうかは不明であるが、これだけのトラブルに巻き込まれながら管理人を続けているのは驚異的にタフであるといってもよいと思う。

 一方彼は2ちゃんねるの成功もあってメディアに露出する機会が多く、一種のカリスマ的な存在になっている部分もある。彼が2ちゃんねるに書き込みをおこなうとそれだけで注目され数百のレスがつき、彼の性格や日常を語るためだけにスレッドがたてられる。彼はまた、自分でメールマガジンを発行し、ネットラジオにも出演しているが、それにも多くの反応が寄せられる。西村氏自身は、「神格化はしないでほしい」といっているが、彼のキャラクターが、2ちゃんねるのコミュニケーションに一定の影響を与えているのは、否定しようの無い事実であろう。従って2ちゃんねるの管理人である西村氏が主に気を使っているのはサーバーを確保する仕事だが、しかし彼の(無意識かもしれないが)タフさが2ちゃんねるを支え、またそのキャラクターが2ちゃんねる内部のコミュニケーションに、本人が統御できない形で影響を及ぼしているということが言えそうである。

 比較対象のYahoo! Japan掲示板はどうだろうか。今回は調査不足のため、管理者がどのような工夫をしているのかを直接資料として得ることはできなかった。ただ、この掲示板は数あるYahoo! Japanのコミュニティサービスの一つとして位置付けられており、Yahoo!の事業戦略の中でマネージメントされていることは想像できる。こちらの掲示板では2ちゃんねると異なり、管理者がサーバーのやりくりに苦労したり、暴力団と一人で戦ったりするということは無く、あくまでビジネスとして運営されているのである。当然、カリスマとなるようなキャラクターが、運営サイドにいるわけでもない。従って、Yahoo!のマネージメントは、すくなくとも一般のユーザーにとってはブラックボックスになっている。2ちゃんねるの場合は、前述したようにメールマガジンやネットラジオなどのメディアを通じて、管理人の動静がある程度伝わってくる。しかし、Yahoo! Japan掲示板に関してはそのようなことはない。ユーザーは、実際に管理の責任を負っている人間が誰なのかも知らない。その意味で、掲示板内のコミュニケーションに管理サイドのキャラクターが影響を及ぼすということは考えにくい。

 さて、本章でも旧モデルとの比較を行いたい。前述したように、旧モデルでは「長老」たちがリーダーとなっていた。彼らはそこで起こるさまざまな問題について当事者の異見を聞きつつ、自分たちの豊かな経験を利用して対応していた。実際北山(1997)Niftyのシスオペに行ったインタビューを読んでも、彼らが起こりうるトラブルに細心の注意を払っていることがうかがえる。しかし、2ちゃんねるやYahoo! Japanでは、そのようなリーダーは存在しない。2ちゃんねるの管理人、西村氏はある程度リーダーに類似する部分があるように見えるかもしれない。確かに、彼はもちろん2ちゃんねる最古参のユーザーであり(管理人だから当たり前である)、様々な手段を使って自分のキャラクターを発信している。しかし、本章のこれまでの議論を振り返っても分かるとおり、彼が主に気を配っているのは2ちゃんねる外部との問題である。暴力団や裁判沙汰は、もとは2ちゃんねる内における書き込みが原因となって起こったことではあるが、それが2ちゃんねるの中でおさまらなかったから西村氏が出て行くことになった事件である。彼は確かに2ちゃんねるのシンボル的存在であるが、実際に彼が管理者として行っているところを見るとビジネスマンとしての役割が大きく(それがビジネスになっていないところがYahoo! Japan掲示板と大きく異なるところではあるが)、2ちゃんねる内でおこる様々な問題は、前述した「削除人」たちが対処を行っているのが実情である。もちろん、削除人たちはボランティアであり、2ちゃんねるに何らかの貢献をしたいと希望する人たちなので、彼らがユーザーとしても経験をつみ、2ちゃんねるの事情をある程度知っていることは推測できる。しかし、彼らはNiftyのリーダーとは違って、削除の依頼がきたときには裏方として、事務的にそれに対処するのである。この点で彼らは、自分の行動に何の責任を負っていないことを別にすれば、Yahoo! Japan掲示板のスタッフに近いといってもよいだろう。

5 利用者のマネージメント

 最後に、利用者のマネージメントについて分析したい。前述したように、2ちゃんねるとYahoo! Japan掲示板では、ユーザーはマネージメントに関して、何の権限も与えられていない。しかし、彼らは例えば問題が起こりそうなときにコミュニケーションを調整したり、あるいはその逆に削除人やスタッフたちの手を煩わせるような発言をしたりするという点で、マネージメントに非常に大きく関わっているのである。

 Smith, Kollock(1996)は、バーチャルコミュニティのユーザーたちが機会主義的に行動し、自分の目的達成のために他のユーザーがこうむる迷惑をいとわない様な発言を繰り返すことで、コミュニティ全体が崩壊してしまう可能性を指摘した。一方、インターネット上の音楽ファイル交換サイトを調査したCooper, Harrison(2001)は、そういったサイトに集まるユーザーたちはそれぞれが異なった役割意識をもっており、中には無償でさまざまな情報やコミュニケーションを提供する人もいることから、実際にはバランスが取れていると主張している。筆者はどちらの主張も一理あると考える。確かに、あるコミュニティを訪れるユーザーがそれぞれ多様なアイデンティティをもち、ヴァラエティに富んだコミュニケーションを行うのは事実であるが、序章で紹介したDutton(1996)において検証されたケースのように、攻撃的なコミュニケーションが続いた挙句にコミュニティ自体がユーザーたちにとって魅力を失ってしまうということもありえなくはない。ユーザーはコミュニティを魅力あふれるものにも出来るし、それをまったく壊してしまうことも出来るのだ。これまで我々は、2ちゃんねるとYahoo! Japan掲示板における管理者サイドのマネージメントを見てきた。しかし、彼らが介入するのはあくまで明文化されたルールに違反する行為があった時や、あるいはルールそのものを変更する必要がでた時であり、それと直接関係を持たないような日常的なコミュニケーションは、主にユーザーたちにマネージメントされているといってよい。そこで、ユーザーのマネージメントを考察することは本研究に不可欠であろう。もちろん、2ちゃんねるやYahoo! Japan掲示板において行われているコミュニケーションは非常に膨大であり、しかも多岐にわたっている。そこに存在する暗黙の規範や、コミュニケーションのあり方を全て描くことは困難を極めるし、本研究の目的から考えてもそれが必要とは思われない。ここでの筆者の関心は、あくまでもユーザーたちのそれぞれのコミュニティにおけるマネージメントに関するかかわりかたを整理することにある。

 それではまず、2ちゃんねるのユーザーたちによるマネージメントを見てみよう。ここで著者は、ユーザーのタイポロジーから議論をはじめたい。それによって、2ちゃんねるでコミュニケーションを行うユーザーたちのコミュニティに対する関わり方を、多少なりとも整理できると考えるからである。

  1. ひろゆき
  2. 前章でも述べたが、2ちゃんねるの管理人西村博之氏は、同時に最古参の、そして最も影響力のあるユーザーである。彼の掲示板での言葉づかいや態度は、多くのユーザーに模倣されているようだ。「2ちゃんねる宣言」によれば、彼は当初ほとんどの話題に発言していたらしく、実際私は2ちゃんねるが出来た当初のログを閲覧したことがあるが、彼は「ひろゆき」の名前でほとんどのスレッドに顔を出していた。現在は忙しさでそんな余裕もなくなってしまったようだが、依然として彼がユーザーとしても非常に高いプレステージがあることは疑いない。ただし、彼は他のユーザーに対し、あるべきコミュニケーションの規範を示すというようなことは、ほとんどしていないようであった。私は参与観察中にいくつか彼の書き込みを見たが、他のユーザーの書き込みに対し、2ちゃんねるではこういうコミュニケーションはよくない、とって文句をつけるような発言は一回も見られなかった。江下(2000)は、古参のメンバーと新規参加者がそのコミュニティにおける「あるべきコミュニケーション」をめぐって葛藤を起こす可能性を指摘している。そのコミュニティにある、明文化されていないさまざまなコミュニケーションの技法を習得していない新入りが、オールド・カマー達に様々な形で矯正をほどこされるという図式である。しかし最古参のユーザーとしてのひろゆきは、少なくとも明示的な方法でこのような「矯正」をおこなってはいないようだ。

    ただし、彼は2ちゃんねるの象徴的存在であるだけに、2ちゃんねるの現在のあり方に不満をもっている一般ユーザーたちには格好の標的となる。特に「批判・要望」の専門板では、彼に対する様々な中傷や罵詈雑言などの人格攻撃が見られた。一方「ひろゆき」の方は、それらの攻撃はほとんど黙殺していた。

  3. コテハン
  4.  コテハンとは、「固定ハンドル」の略である。前に述べたように2ちゃんねるはパスワードつきのハンドルネーム制を採用しておらず、書き込みフォームの「名前」欄に好きに名前を書き込むことも出来るし、また何も書き込まなくてもよい。にもかかわらず、一部には同じ名前を発言の際に使い続ける人たちもいる。これが、固定ハンドルである。ただし、「コテハン」になるためには、これだけでは十分ではない。他のユーザーたちに、「コテハン」として認められることが必要なのだ。筆者はチェスが趣味であり、2001年の7月から8月までの1ヶ月間、「囲碁・将棋」の専門板(チェスの話題もここで書き込まれる)で同じハンドルネームを使用してみたが、他のユーザーの書き込みにおいて私のハンドルネームが言及されたことは一度も無く、「コテハン」として扱いを受けているという実感はまったく持てなかった。従ってコテハンになるためには、他のユーザーから一つのネット人格としての扱いを受けることが重要であるということが言える。

     多くのコテハンは、それぞれの専門板で話し合われるトピックにも、また2ちゃんねるのコミュニケーションそのものにもそれなりの知識を持っている。彼らはそれぞれ個性的なキャラクターをもち、専門板におけるコミュニケーションをリードする。その意味で、彼らは先輩格であるが、「コミュニケーションをマネージメントする」という意識をもっているかどうかは人それぞれのようだ。中には、他人のコミュニケーションの仕方を非難したり、攻撃したりする固定ハンドルもいる。一方、そうしたことにまるで無関心な人もいるようだ。

     なお、有名なコテハンはひろゆきほどではないが、やはり叩きの対象になることがある。2ちゃんねるではコテハンに対する叩きは明文化されたルールのなかで禁止されており、ひろゆきの場合と違って叩くためだけにスレッドを作られたりするということはない。ただ、様々なスレッドの中にコテハン批判の書き込みが散見され、それに対して批判された当のコテハンが反論し、以下フレーミングが続くというケースもあった。ただしコテハンはそれなりのネット人格があるのに対し、名無したちはそれがなく、しかも人数もわからないのでコテハンのほうが不利に立たされるケースがほとんどである。多くのコテハンはそれを理解しているのかどうかは不明であるが、やはり批判は黙殺していることが多いようだ。

  5. 名無し

 最後に、名無しについて触れたい。名無しは、書き込みフォームの名前欄になにも書き込まずに発言する人たちであり、もちろん発言量も人数も圧倒的に多い。彼らは、当然のことであるが非常に多様性に富んでおり、2ちゃんねる「初心者」から、経験のあるユーザーまでがいる。さらに、普段固定ハンドルを名乗っていても名無しで書き込むケースもあるので、名無しの性格をひとまとめにして述べることは到底不可能である。ただ、コミュニケーションのマネージメントに一番現実的な力を持っているのは、彼らであるといえるかもしれない。例えば「ニュース速報」の専門板で虚偽の情報を流したり、学術的な板で知識も無いのに中途半端な発言をしたりすると、いっせいに「厨房」「電波」「逝ってよし」の大合唱を受ける。筆者は参与観察中、幸いにしてこのような攻撃を表立って受けたことは無いが、2ちゃんねるを利用して間もない人がこのようないわれ方をされれば、相当なショックを受けることは想像に難くない。このような攻撃を受けて、2ちゃんねるが嫌いになり止めてしまう人ももちろん多いであろうし、そうでない人は次に書き込むときは標的にならないようにと注意することになる。その意味でこれは先に述べた江下(2000)のいう葛藤に近い部分があるが、筆者は実際には異なると考える。これについては後述したい。

 さて、2ちゃんねるにおけるユーザーによるマネージメントは、これら三者の織り成す複雑なコミュニケーションによってなされているといえる。2ちゃんねるは非常に多様なユーザーによって構成されるコミュニティであり、ユーザー同士で「2ちゃんねるのコミュニケーションはこうあるべき」という確たる合意らしきものはないといってよい。ただ、それぞれの専門板ごとに雰囲気が異なるのは確かであり、新入りのユーザーがそれぞれの板におけるコミュニケーションを観察しつつ、その技法を習得していっているプロセスは推測できるし、実際私もそのようであった。ただ、その具体的な「雰囲気」がどのようなものであるのかについては、マネージメントのあり方を調査することが目的である本研究の範囲を超えるので、ここでは考察せず、将来の課題としておきたい。

 次に、Yahoo! Japanの掲示板について述べたい。前述したようにYahoo!ではパスワード付きのハンドルネーム制を導入しているが、現実的には一人でいくらでもハンドルネームを持てるという事情から、どちらかというと全員が2ちゃんねるにおける「名無し」であるという印象が強い。もちろん、自分から積極的にトピックを作ったり、様々な議論に介入したりするハンドルは注目されるが、ユーザー数自体が非常に多いのでよほどアクティブでないと埋もれてしまう。また、Yahoo!においてもコミュニケーションをめぐる葛藤は存在するが、誰が古参で誰が新入りかわからないことがほとんどであるため、お互いが、自分が正しいと考えるコミュニケーションを主張しあっているという印象が強い。2ちゃんねるでは、専門板ごとにある程度独特の雰囲気があり、コミュニケーションをリードする固定ハンドルや、さまざまなジャーゴンがそれを形作っていた。それらを欠いているYahoo! Japan掲示板は、ある意味で2ちゃんねるよりも一層アナーキーに見える。ただし、参与観察をしていて感じたのは、2ちゃんねるよりもYahoo! Japanのほうが発言の削除基準がかなり厳しいであろうということである。2ちゃんねるでは、罵詈雑言や中傷が原因で発言が削除されることは実際にはほとんどないが、Yahoo!ではそういった発言や、社会的に問題と見なされかねないトピック自体が削除されているということがよくあった。従って専門スタッフの介入は、2ちゃんねるよりもだいぶ大きいということが言えそうである。

 さて、本章でも先行研究におけるユーザーのマネージメントと比較検討を行いたい。これまでもたびたび指摘したことだが、先行研究における「ユーザー」は、一人1ハンドル、場合によっては実名であるために、2ちゃんねるやYahoo! Japanにおけるそれとくらべるとかなり人格化されている印象を受ける。例えばRheingold(1993)WELLの調査を読んでいると、常連同士がお互いの興味や関心に従って、かなりこみいったコミュニケーションをしている様が浮かんでくる。北山(1997)が調査したNiftyでも、一つのフォーラムで継続してコミュニケーションをする人たちは、かなり固定されていたようである。それは、実世界でいえばサークルに近く、そこで人間関係が様々な葛藤を引き起こすのは、容易に想像できる。管理者に文句を言ったり、新入りにけちをつけたりする人が目立つということもあるだろう。逆にいえば、そのような「ネット人格」同士の交流を通して、コミュニティの規範が再生産されていくのである。しかし、2ちゃんねるやYahoo!では、状況はかなり異なっている。2ちゃんねるでもYahoo!でも、他人のコミュニケーションを批判したり、攻撃したりするということは確かに頻繁に起こっており、それが結果としてたくさんの人にショックを与え、傷つけていることになっているのは疑いが無いし、そのことは強調しておかなくてはならない。ただ、どちらのコミュニティでも(2ちゃんねるのコテハンをのぞけば)継続した、人格的なコミュニケーションという要素は非常に薄く、少なくとも掲示板上で、人間関係の葛藤が長い間続くという事態はあまり見られない。例えば、議論が沸騰してほとんど口げんかのようなやり取りが起こってしまっても、100くらい後の発言を見ると別の人たちが別の話をしている、というケースは非常によく見られる。以上のような分析から、2ちゃんねるやYahoo! Japan掲示板においても、ユーザーによる規範の維持・再生産は行われているものの、そのプロセスは旧モデルにおけるそれと異なったものではないかという考察を得ることが出来る。旧モデルにおいては、一般ユーザーのレベルにおいてマネージメントを担っているのは「ネット人格」同士の交流、特に古参のメンバーから新参へというベクトルであったが、2ちゃんねるではそれが匿名のユーザーたちによる制裁であり、またYahoo! Japan掲示板では、むしろ管理者サイドの介入という形で図られているということがいえそうである。

6 総括および結論

 本章では、これまでの議論を総括し、結論を述べたい。本研究は、これまでの社会学における研究蓄積が前提としていたバーチャルコミュニティのモデルが、現在の日本における実際のコミュニティとかけ離れているのではないか、という問題意識から出発した。そして、その乖離を検証するためにコミュニティの運営形態、管理者のマネージメント、ユーザーのマネージメントという3つの分析要素を設定し、考察を行った。その結果見えてきたことをまとめると、次のようになる。

  1. 現在最大のコミュニティである2ちゃんねるは、ほとんど超人的といえるくらいタフで、ビジネス感覚ももちあわせながら利益追求を考えないという稀有な管理者によって運営されている。2ちゃんねるでは管理者はシンボルではあるが実際のコミュニケーションにはそれほど介入せず、それらは専門の削除人にまかされている。彼らは、2ちゃんねるの経験豊かなユーザーであるかもしれないが、あくまで裏方として任された仕事に臨んでいる。実際のコミュニケーションのマネージメントは、この削除人とユーザーたち自身によって主になされている。コテハンを除けば、発言者たちはだれも「ネット人格」を持っておらず、従って人間関係が原因のフレーミングは起こりにくい。
  2. 比較対象のYahoo! Japan掲示板は、Yahoo! Japanのビジネス戦略の一角として位置付けられている。パスワード付きのハンドルネーム制を採用してはいるが、実質一人いくらでもハンドルネームが持てるため、全員が2ちゃんねるの「名無し」のような状況であり、ある意味でさらにアナーキーである。しかし、ボランティアではないYahoo!のスタッフが2ちゃんねるより厳しい基準でマネージメントを行っているため、2ちゃんねるに比べれば露骨な罵詈雑言合戦が展開されることは少ない。なお、Yahoo!のハンドルネームもやはり「ネット人格」というには不十分であり、2ちゃんねると同様人間関係はそれほど濃密ではない。
  3. 本研究がいう「旧モデル」は、どれも2ちゃんねるやYahoo! Japanに比べ人数が少なく、また一人1ハンドル制か、実名表記である。従ってコミュニケーションを行う主体は、匿名というよりはネット人格という方が適切である。コミュニティにおいては、経験に長けたリーダーたちが、細かく注意を払ってマネージメントをおこなっている。

彼らはただ単に一般のユーザーが持っていない権利を持っているというだけでなく、コミュニケーションの規範を示していくという役割も負っている。ユーザー同士のコミュニケーションは、ネット人格同士の交流という性格上、人間関係をめぐってさまざまな葛藤が起こることになる。

 筆者は、これまでくどいほど「ネット人格」について強調してきたが、私はこれが、これまでの社会学の分野におけるバーチャルコミュニティ像と、現在のバーチャルコミュニティの断絶だと考えている。マネージメントの形態そのもの、そして管理者やユーザーの役割の相違は、ネット人格というキーワードを中心にして読み解いていくことが出来る。ユーザー数が少なく、また一人1ハンドル制や実名表記などでアイデンティティが固定されている場合には、経験豊富なユーザーがコミュニティの規範を、新米ユーザーにさまざまな方法で伝えていくという形が自然であった。それぞれのユーザーはお互い、少なくとも一定期間は継続してコミュニケーションをおこなうことが前提となっているので、露骨な逸脱行動やユーザー同士の対立は回避されなくてはならない。そのために、リーダーが問題を当事者の言い分をよく鑑みて処理していくというマネージメントのあり方は、理にかなったものであったといえよう。

 一方、2ちゃんねるやYahoo! Japan掲示板などでそのようなマネージメントをしていくことは、そもそも不可能である。第1にユーザー数が圧倒的に多く、また前述したように前者ではハンドル制そのものがなく、後者でもハンドルを無限につくることができるため、おたがいのアイデンティティを確定することは難しい。旧モデルにおいては、リーダーはそれぞれのネット人格を考慮しつつ(例えばAさんは、口は悪いが根はいい人のようだ、というように)裁定を下していくことが出来たが、ネット人格のレベルが極端に低い2ちゃんねるやYahoo!ではそれは不可能である。そこでは、誰が発言をしたかよりも、どんな発言がされたかの方が重要になってくる。従って、管理者サイドが一定の規範を示しつつも、問題の処理は裏方の削除人やスタッフが事務的に処理していくというやり方は、これらのコミュニティにおいては至当であろう。

 さて、本研究にもし何らかの意義があるとすれば、それはただ以前と現在のコミュニティの様相が異なっているというだけでなく、それをネット人格というキーワードを軸に整理したことではないかと考えている。現在、様々なメディア上にインターネット上のコミュニケーションに関する言説があふれ返っている。しかしそれらを丹念に検討してみると、多くは「ネットにおけるコミュニケーション」を乱雑な形でとらえていることが見えてくる。例えば、旧モデルにおける人間関係の葛藤から生ずる激しい対立と、2ちゃんねるにおける罵倒や誹謗は質の異なる問題であり、一緒に論じられていいことではないが、現在流布しているネットに関する言説がその違いに意識的であるとは率直に言って思えない。バーチャルコミュニティにはもっと詳細な分析が加えられるべきであり、筆者は今後もそのような分析を行っていきたいと考えている。一方、本研究は調査方法に大きな問題を残した。「旧モデル」の分析はあくまで先行研究の検討にとどまってしまったし、Yahoo! Japan掲示板のマネージメントに関する調査も不十分であった。これは筆者の将来の課題である。

 さて、今後のバーチャルコミュニティではどのようなマネージメントが展開されていくであろうか。2ちゃんねるとYahoo!は、それぞれ管理者主導型、ビジネス型のコミュニティとしては圧倒的な地位を築いているが、これが一時の流行だとする指摘はあるし、筆者もそれを100%否定するわけではない。また、本研究で「旧モデル」としたようなコミュニティのあり方も、完全に消えたわけではない。例えば少人数で、しかも常連ばかりで構成されているような掲示板やチャットサイトの分析には、このモデルがいまだに有効であることは確かであろう。しかし、2ちゃんねるやYahoo!の後追いをする形のコミュニティは、着実に増えている。前者であれば、MegaBBSや苺ちゃんねるなどはいい例であるし、後者ではgoo掲示板などがある。水越(1993)は、ラジオが現在のような社会的位置付けをあたえられるまでの、様々な紆余曲折を検証した。将来、誰かがバーチャルコミュニティについて同じような分析を行うとき、これらのコミュニティに1章を割くことになるのは、確実であろうと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

参考文献および資料(引用したもののみ)

池田 謙一他   1993 「電子ネットワーキングの社会心理」 誠信書房 

         1997 「ネットワーキング・コミュニティ」 東京大学出版会

井上 トシユキ  2001 「2ちゃんねる宣言」 文藝春秋

江下 雅之    2000 「ネットワーク社会の深層構造」 中公新書

遠藤 薫     2000 「電子社会論」 実教出版

北山 聡     1997 『フォーラムの生態』「電縁交響主義」NTT出版、pp34-67

水越 伸     1993 「メディアの生成」 同文館

三田 真美    1998 「電子コミュニティ上の摩擦に関する一考察」 慶應義塾大学政策・メディア科修士論文 未刊行

吉田 純     2000 「インターネット空間の社会学」世界思想社

Cooper, Jon and Harrison, Daniel 2001 “The social organization of audio piracy on the Internet” Media, Culture & Society Vol23 pp71-89

Dutton, William 1996 “Network rules of order: regulating speech in public electronic fora” Media, Culture & Society Vol18 pp269-290

Rheingold, Howard 1993 “The virtual community”(=1995 会津 泉訳「バーチャルコミュニティ」 三田出版会)

Smith, Marc and Kollock, Peter 1996 “Managing the virtual commons”

http://www.sscnet.ucla.edu/soc/faculty/kollock/papers/vcommons.htm

Thomsen, Steven et al 1998 “Ethnomethodology and the study of online communities”

http://www.sscnet.ucla.edu/soc/faculty/kollock/papers/vcommons.htm

2ちゃんねる http://www.2ch.net

苺ちゃんねる http://www.ichigobbs.net

MegaBBS http://www.megabbs.com

Yahoo! Japan掲示板 http://message.yahoo.co.jp

Goo 掲示板 http://bbs.goo.ne.jp

2ちゃんねる研究 http://www24.big.or.jp/~faru/

ZakZak http://www.zakzak.co.jp

毎日新聞 http://www.mainichi.co.jp

総務省 http://www.soumu.go.jp