2―「政治的〈再関心〉」の現場から

 

第1節―「.jp」のエスノグラフィー

 

「『.jp』設立と創設者」

 「議員インターンシップ」運営団体の一つである「.jp」(ドット・ジェイピー)は1999年の12月に任意団体として設立された。前身は、創設者の佐藤大吾(現理事長)が大阪大学法学部在学中に設立した就職支援を業務とする会社の「議員/役所インターンシップ事業部」を分離・独立させたものであった。

 そもそも、彼のライフヒストリーを見る限り、「政治家」や「議員インターンシップ」というものに対して強い思い入れがあったようではない。佐藤へのインタビューが掲載されているウェブ・サイトではこのように語られている。[1]

 「僕は小ちゃい頃から、赤レンジャーだったんですよ。つまり、何かやる時は常にリーダー的な役割。あんまり認識はしてなかったんですけど、自然とそうなってましたね。で、言い出しっぺで、言いふらし屋さん。

『オレこんなこと思いついた!一緒にやろう!』

『オレは今これが好きなんだ!』

ということをいつも言いふらしてて、それが好きな仲間が集まってきてました。」

 「僕は大学5年ぐらいまで、ずっと夢がない状態が続いてたんですよ。小学校の卒業論文には『大阪幕府の将軍になる』って書いたんですけど(笑)。」

 「(『夢』を持ってなかったことに対して)やっぱりカッコ悪いと思ってましたよ。夢を語ってる男ってカッコいいじゃないですか?『僕は何になるんだろう?』っていう漠然とした不安もありましたし。その時考えたのは、『受験の時は楽やったなあ…』っていうことです。要するに試験で一点でも多く取ればそれでいい。『そういう目標が定まれば、楽だなあ…。』」

 佐藤大吾は高校時代には、仲間とイベント活動を、大学生になると学習塾を運営するなどの活動をしていたという。そして、3000人規模のサークルを立ち上げる。これが、後に「.jp」になる基盤となった団体だったようである。その業務内容は、就職活動の企業説明会の運営といったものであった。彼自身、就職活動中の一人の学生としてそうした活動を主催していたことも書かれている。そして、会社を知るために始まった企業説明会は、より深く会社及び働くことを理解するために「インターンシップ」を仲介するという形態に変わっていった。

「それで今で言うインターンという事業を始めたわけです。当時はインターンという言葉がなかったから、僕は「丁稚(でっち)」と呼んでいたんですけど。」

こうした9697年という時期は、丁度、学生の「就職氷河期」と叫ばれ始めた時期であった。そして、当時の時代状況としてはこのように語っている。

9697年ぐらいの話ですから、(中略)ちょうどインターネットが日本に来た頃で、今ではありえないんですけど、『インターネットやりませんか?』『ホームページ作りませんか?』って言うだけで、200300万の仕事がもらえた時代だったんです。」

 そして佐藤は、当時アメリカなどでは、既にそうした「丁稚」の形態が「インターン」という言葉で普及していることを知り、日本で「インターン」を広めていくことを当面の目標としていくことにする。そうした中で、ある市議会議員に出会い、企業のみならず、政治家の下で「インターンシップ」を行うことを思いつく。これが、現在の「.jp」の始まりであった。

 こうして生まれた「.jp」の正式な団体名は前章で述べた通り「Japan Produce」というものである。そして、その理念としては文字通り「ジャパン・プロデュース」、日本をプロデュース(演出)することなのである。従って、「議員インターンシップ」を運営する業務が全てではない。日本をプロデュースするものであれば、全てがその対象となるのである。しかしながら、現時点では理事長が個人的に行っている業務以外は「議員インターンシップ」/「首長インターンシップ」のみがその活動となっている。ここで、少し長くなるが「.jp」の理念を紹介しておきたい。

 

「どれだけの日本人が、日本の未来に夢を描くことができるでしょうか。

この日本に生まれてくるこどもは、本当に幸せだといえるでしょうか。

今の日本は、多くの分野で閉塞感に覆われています。

まさに「社会の転換期」に差し掛かっていると言えるでしょう。

19世紀の半ば、山口県萩市の小さな塾でおこなわれた教育は、

時代の閉塞を打ち破り、新しい日本のかたちを作りました。

近代日本の原型を作った志士が集まった吉田松陰の「松下村塾」。

この一つの小さな場所は、新しい時代を創る萌芽を育みました。

松下村塾から約150年、再び日本は行き詰まりつつあります。

そんないまこそ、分野を越え、地域を越え、世代を越えて、

新しい価値を創造できる真のプロデューサーが求められています。

自分の人生は自分で決めるもの。

自分の環境は自分で磨くもの。

ひとりひとりが、主体的に自分の人生をプロデュースする。

それはやがて大きなうねりとなり、社会システムを変える。

それがドットジェーピーの考える、JAPAN PRODUCER というアイデンティティ。

それがドットジェーピーの目指す、JAPAN PRODUCEというケミストリー。

今日も世の中は留まることなく動いています。

眩暈を覚えるようなスピードで。

ドットジェーピーは、次代を担うプロデューサーたちをこの世に解き放ちます。

ドットジェーピーは、次代を創るプロデューサーたちを結び付けます。」

(「.jp」ホームページ「挨拶文」より)

 

 「組織概要」

 大阪から始まったこの「議員インターンシップ」事業も、現在では、全国に7拠点(北海道支部、関東支部、東海支部、関西支部、中国支部、福岡支部、熊本支部)を構える全国組織となった。そして、累積学生インターン数2618名、議員数926名は同じ「議員インターンシップ」を実施する団体内で最大規模を誇り、その推移に関しても発足当初から軒並み上昇している。

 ここで簡単に組織及び、関係者を簡単に紹介していきたい。まず運営側であるが、これは「理事会」と「運営スタッフ」の二つに分かれる。「理事会」とは、理事長の佐藤大吾を中心とした運営サイドであり、主に全国拠点の管理・運営を行っている。もう少し詳しく述べるならば、広報活動や総務・経理、そして「.jp」全体の運営を行うトップということになる。そして、「運営スタッフ」は「拠点業務」という仕事をする学生によるボランティアである。各拠点の運営のほとんどはこうした「運営スタッフ」によってまかなわれている。本論文の主な調査対象は、この「拠点業務」を運営する人々の中で、「13期」関東支部に所属する「運営スタッフ」ということにある。尚、これから使われる「ケイゾク」、「新スタ」という呼び名は、関東支部「運営スタッフ」内で使われていた用語で、それぞれ、「ケイゾク」、継続してスタッフを続けている者、「新スタ」、新しくスタッフに参加した者を指す。

 次に、NPO法人「.jp」にとってのクライアントである、「受け入れ議員」と「参加学生」に関して述べる。まず、「受け入れ議員」とは「参加学生」のインターン先の事務所の責任者である「議員」ということである。既に述べたことであるが、「.jp」が対象としている議員は、衆議院議員・参議院議員といった国会議員、そして県知事、市長、区長などのいわゆる「組長」、県議会議員や区議会議員、市議会議員といった地方議員など、「議員」または「政治家」と呼ばれる人全てをその「受け入れ議員」の対象としている。

 そして、そうした人々の事務所にインターンシップを経験しに行くのが「参加学生」と呼ばれる大学生を中心とした人々である。補助的資料として実施したアンケート調査は「最終報告会」という最後のイベントに参加したこの「参加学生」を対象に行ったものである。

 これらの中で、「理事会」、「運営スタッフ」、「参加学生」の特徴はそれぞれ述べることになるが、「受け入れ議員」に関してはあまり触れない。そのためここで簡単にその特徴を述べておく。

 まず、「受け入れ議員」の所属政党であるが、過去の累計データから見るとこのような数字になっている。自民党議員302名、民主党議員373名、無所属議員387名、保守党議員6名、自由党議員9名、社民党議員7名、青年自由党議員5[2]。こうした数字からもわかるとおり自民党、民主党、無所属がその中心となっており、また、1期目、2期目の「若手」議員が多いのも特徴である。

 「.jp」の組織概要を簡単に述べると以上のようになる。「理事会」が全国組織を運営し、各拠点の「運営スタッフ」は「受け入れ議員」と「参加学生」を増やし、それぞれのメリットにあった場を提供する。そして「参加学生」は1万円の参加費を、「受け入れ議員」は5万円の参加費を払って「貴重な経験」や「安価な労働力」といったそれぞれのニーズを受け取るのである。

 

 「『13期』関東支部運営」

 「.jp」の業務は、半年間に一期、即ち一年間に二期のインターンシップ事業が行われる。「夏期」は4月から10月までの半年間、「冬期」は10月から3月までの期間である。実際のインターン期間は前期、8月上旬から9月末まで、後期は2月上旬から3月下旬の各2ヶ月間であるが「運営スタッフ」はインターン開始の約4ヶ月前から準備を始める。

 「13期」は、2004年の4月から開始とされているのであるが、実際には、その前の運営時期の3月から動き始めていた。何故なら、3月中に次期スタッフを揃えておかなければならないからである。また、この時期に来期の運営方針が「理事会」によって決定される。次期の目標獲得学生数であったり、議員数であったり、また、大枠の運営方針といったものは理事長を筆頭にした「大人」側の決定によって決まる。そうした、決定に従う形で各拠点の学生スタッフは代表を中心に「組閣人事」が行われる。大きな柱としては、全ての責任者である「代表」、一方のクライアントである政治家の営業責任者である「議員営業統括」そしてもう一方のクライアントの参加学生を取り扱う「学生集客統括」が三大責任者となる。こうした重要ポストの組閣人事が3月中に大まかに決定する。これらに選ばれる人々は基本的に、その前の期間からスタッフを継続している者たちである。

 4月になると、「ケイゾク」(継続して続けているスタッフ)と「新スタ」(新しく加入したスタッフ)合わせて21名のスタッフが一堂に会した「ミーティング」が開かれる。4月中のミーティングでは、主に「新スタ」の役割分担と彼らに対する教育・指導が行われる。学生参加者を募るための「説明会」、政治家との懇談会の「交流会」、「報告会」と呼ばれる参加学生同士の交流会などといった各イベントの担当者が「ケイゾク」スタッフの下に配置されるといった形式で人事が行われる。また、一方で、議員に対する営業活動や学生を集めるための営業活動などは、全てのスタッフに共通する業務となっている。これらの業務を運営していくための基礎的な知識やノウハウを「新スタ」は身に付けなければならない。

 「新スタ」が指導される内容は、メールの書き方や挨拶の仕方といった「社会人」としての「基礎的なマナー」である。「新スタ」の一人であるG君はこのように語った。「マナーみたいなのがあって、マナーっていう言い方はおかしいですけど、例えば、フツーの大学生だったらあんまりメールの書き方知らないじゃないですか、僕も全然知らなかったんですけど。二、三行毎に区切るとか、そういうのとかも覚えなきゃいけないこと。だから、覚えることは結構ありますよねー。」実際、ミーティングの場以外での連絡は基本的に、Eメールやメーリングリスト上でのコミュニケーションが中心となる。代表ともなると一日100件、役職についていないスタッフでも数十件のメールを見て処理しなければならない。

また、5月初旬には、「マナーガイダンス」と呼ばれる政治家に営業をかける際の基礎的なルールを教える講習会も開かれる。「新規スタッフでも対応できるように、ちゃんとロール・プレイングをするんですよ。ロール・プレイングをやって、一応、こう来たらこういうふうに対応するんだよーっていうのをやります。」(G君)この講習会では、議員との話し方から、書類上の印鑑の確認まで全て「ロール・プレイ(劇)」形式で指導される。

5月中旬頃から学生への営業活動と政治家への営業活動が本格化し始める。学生への営業の基本方針に関して「ケイゾク」スタッフのE君が説明してくれた。「『選考会』っていうのが核としてあるんですよ。その『選考会』に誘導するように『説明会』を設けるんですね。今度はその前に『説明会』に誘導するためにビラを配ったり、ポスターを貼ったりだとか対策を練るんですよ。で、逆算、逆算でやっているっていう感じですね。」

「選考会」というのは面接試験のようなもので、今期は719日に実施された。ここに来る時点で全ての学生はインターンシップ参加希望者ということになる。即ち、「学生集客」にとっては、ここに何人の学生を動員できるかが最終目標となるのである。そのためE君が語ったように説明会を関東圏の大学などで実施し、説明会に多くの学生を動員するために大学内の掲示板にポスターを貼ったり、キャンパス内でビラ配りをしたりといった活動をしていくのである。

また、一方で受け入れ先の議員を増やすことも重要な業務の一環として認識されている。団体発足当初は、いわゆる「飛び込み営業」などと呼ばれる、初対面の議員の事務所に事前承諾なしで話を持ちかけるといった営業活動を行っていたが、現在ではこれまで引き受けてくれた議員事務所に対して継続して受け入れてもらえるよう申し込みに行ったり、受け入れ議員からの紹介を受けた議員事務所に営業するなどといった活動が主になったと言う。そうした「営業」を「ロール・プレイ」で学んだノウハウを用いて実施していくのが5月から7月にかけての期間である。

5月下旬から7月を中心に「説明会」が実施され、610日、11日には「議員交流会」と呼ばれる、政治家と直接面談する機会を参加者は与えられる。この場で、参加を決めている学生はどの事務所に行くかを決め、迷っている学生は直接議員と接することで参加/不参加の意を固める。そして、先に挙げた719日の「選考会」で採用/不採用の決定と、議員事務所の割り振りがある程度決定される。本格的な採用/不採用の合否は、「選考会」通過後、各議員事務所の政治家や秘書による面談の後に決められる。

 インターン先の事務所が決定した後の81日には、「オリエン」と呼ばれるガイダンスが開かれる。この場でインターンをする際の心構えを伝授される。そしてこれを終えると、参加学生は晴れてインターン生として政治の世界で就業訓練を受けることになるのである。

 8月に入っても、運営スタッフの仕事は続く。インターン生を派遣している各議員事務所にはそれぞれスタッフが担当者として付く。「13期」の受け入れ議員数は50名。それに対してスタッフは21名。13事務所、各スタッフが担当することになる。各事務所が主催する新規インターン生との「飲み会」への参加をはじめ、参加学生や議員事務所からの相談やクレームなど様々なことに対応しなければならない。そして、8月初旬から9月末までのインターン期間の丁度中間時期にあたる、95日に「中間報告会」と呼ばれる一泊二日の参加学生同士の交流会が行われる。これを主催するのも「.jp」運営スタッフである。そして、103日に「最終報告会」が開催され、半年間の業務が終わる。これら全ての運営は、基本的には「.jp」運営スタッフの学生達によっておこなわれている。

 

 「スタッフの特徴」

これから述べる、「『.jp13期スタッフ」に関する基礎的な事項をここで簡単に紹介しておく。まず、彼らの社会的属性に関しては四点ほどその特徴として挙げられる。まず年齢に関してであるが、彼らは全て関東圏の大学に通う学生であり、年齢は、19歳から25歳、特に大学2,3年生が多いため、20歳から22歳の大学生が中心となって結成されているという点。

 次に、有名大学に所属しているというのも一つの特徴として挙げられる。後に再度論じることになるが、彼らが所属している大学は全国的にも名の知れ渡った大学であることが少なくない。

 また、地域的な特性として、出身地が首都圏に集中しているという点もその特徴とし挙げられる。東京や神奈川、千葉、埼玉といった地域で親と同居している者が大半であった。

 そして最後に、比較的経済水準の高い家庭の出身者であることが多いという点である。今回は、保護者の所得など明確な数字を聞くことはできなかったが、父親が有名民間企業で働いていることなどを数人から聞くことがあった。また、スタッフの一人であるA君からは「『.jp』のスタッフは家が金持ちの人が多い」といったコメントも聞かれた。

 これら後半の二つの特徴、首都圏に親元で暮らしているという点、そして比較的富裕層が多いという点は、「.jp」のスタッフ活動と深く関係している。これから詳しく述べる一連のスタッフ活動をこなしていくためには、自宅が活動場所に電車を使って通えないと無理である。また基本的には無給のスタッフ活動を実施していくためには、地方から東京へ学びに来てアルバイトをしながら生活している者にとっては大変ハードなものになるからである。

 こうして、いくつかの社会的属性を持った人々が必然的に「.jp」スタッフとして活動しているのである。

 社会的属性以外にもスタッフの持つ共通点は幾つか挙げられる。第一点は、彼らの多くは政治家志望ではなく、また、親類に「政治関係者」がいないということである。インタビューを行った際には、「将来政治家になることを希望しているか」という質問に対して、11人中6人が「まだ分からない」と答え、残り5人は「いいえ」と答えた。「政治家を希望する」とはっきり答えたものは一人もいなかった。こうした傾向はスタッフのみならず、「議員インターンシップ」に参加した学生を対象におこなったアンケート調査でも、「政治家を将来の職業として希望する」と答えた者は、79人中わずか7人、「いいえ」と答えた人は50人で全体の63%を占めた。

 また、親類に「政治関係者がいるか」という問いに対しては、インタビュー対象ではわずか1人。アンケートでは、7人(9%)という結果であった。こうしたように、彼らのほとんどは、親類に政治家がいるなど以前から政治業界に慣れしんだ人々ではければ、将来、政治家という職業に就くことを強く希望している人でもないということを最初に押さえておいてもらいたい。

 

 【きっかけ】

*:最初の議員インターンシップに参加したきっかけっていうのは?一番最初にこの「.jp」を知ったきっかけっていうのはどういうきっかけだったんですか?

I:えーと、夏休みが終わって、漠然と冬休み今度何しようかなーと思ってー、何か無駄にはしたくないなーと思ってたんで、色んな人に相談してたら、兄貴が、何かそのインターンっていうのがあるらしいよ。で、結構そういうのに興味を持ってるのを兄貴は知ってたんで、「お前やってみれば」って言われて。それで、また話してたらー、何かそれの議員バージョンがあるらしいよみたいなことを言われて。最初、企業のインターンを全部調べてたんですけど、何か1年(生)とかじゃできないだとか、冬はあんまないとか書いてあって、「あ、そうなんだ」と思って、じゃ議員インターンって何なんだろうと思ってー、調べたら「.jp」があったんで、じゃーやってみようって。

*:じゃ、ウェブで?

I:そうですねー。そん時はすげー見つけた瞬間、「あ、これやろう!」とはすぐに思いましたね。「ピッタシじゃん!」とか思って。そん時は、まだ企業よりも政治家のほうが、何かこうヴィジョンがあったんで、もう、すぐに「あ、これだ!」と思って登録して、10月くらいに登録して、2月最初だったんで、4ヶ月くらいずっと待ってて(笑)何か「早くしてよ」みたいな。       

(I君・「ケイゾク」・21歳・男性)

 

「議員インターンシップ」に参加したきっかけを聞くと、大きく二タイプに分かれる。上述した「13期」学生スタッフの代表I君のように、大学の休みの間に何か「充実した時間」を過ごしたいと思って参加したタイプがいる一方で、自らの志望する具体的な職業のためだとする理由を述べる者もいる。

 

*:きっかけはどういうきっかけだったんですか?その「.jp」に参加された?

F:参加したのは、2年の終わり。

*:2年の終わりっていうことは、11期?

F:11期。でその時に、ちょうど国T(国家公務員T種試験)志望だったんでー、ちょうど3年生の初めから勉強しようっていうふうに思ってたんで、まー2年の終わりからちょっと考えてたんですけど。それで、その中で、ま、勉強は、まー勉強すれば何とかなる。面接とかの時に経験としてアピールできる、経験としてインターンシップを言おうとして、だから「利己的な」、極めて利己的な意図で応募しました。

*:じゃ、それまでやっている人とかは知り合いでいた、とかそういうことは?

F:ないですねー。

(F君・「ケイゾク」・22歳・男性)

 

 前述したように、「議員インターンシップ」参加者の中で「政治家」を将来の職業として志望している人は少ない。しかしながら、F君のように国家公務員を志望していたり「公」に奉仕する仕事を志望している者は少なくない。F君は大学4年生、就職活動も終えて、春から民間企業で働くことが決まっている。

 休みを充実したものにしたいという思いであったり、または、F君の言う「利己的」な考えで「議員インターンシップ」に参加した学生であっても、全ての参加者が運営側である「.jpスタッフ」になるわけではない。「議員インターンシップ」参加後、何故更に深く関わろうと思ったのかを引き続きF君に聞いてみた。

 

*:最初のきっかけは、国家T種の面接のために言えることはないかということですが、じゃスタッフをやられたきっかけは?

F:それは単純に「スタッフがかっこいい」から。自分の時にスタッフをやっていた人たちが大人に見えたから。

*:で、自ら志願して?

F:初めのきっかけは、国家公務員試験の面接の時に何かしらアピールポイントになるんじゃないかなって思ってインターンしてたから。で実際にやってみたら、インターンシップっていうもの自体を作り出しているのが学生なわけじゃないですか。で、それは何かはっきり言って恥ずかしいなと。僕は、学生が作り出したものの上に乗っかって、何かをやらしてもらっているに過ぎないと。何かを作り出しているわけじゃなくて。

*:それは、運営側を学生がやってると思うと、運営側にまわってやろうと、今度は。

F:はい。

 

 スタッフに対する「憧れ」というものは、全ての「運営スタッフ」に共通した理由であった。自ら志願してなった者であっても、「リク」(リクルーティングの略)と呼ばれるスタッフ側からの要請を受けた形であっても、その根底にある理由は変わらないようである。

 

*:スタッフはどういったきっかけでやろうと思ったの?

H:スタッフはですね。最後の最終報告会(のアンケート)でー、「スタッフに興味がある」っていうところに印を付けたら、それから1週間後くらいに、代表のIさんから電話があって、でまー「興味があるなら是非どうぞ」って言われてー、ミーティングを見にいったんですね。そのミーティングが確か412日くらいのミーティングだったんですけど。それで、その後、やってくださいと言われて。まー、考えてみてって言われてー。

*:何で興味があったんですか?

H:何か、同い年の学生がー、スタッフをやっているっていうところが凄いなと思ったし。あと、NPO団体に興味があったのとー、あとこういうインターンに、議員インターンっていうのがあんまり知らない中で、そういうのを広めているのが凄いなっていう、やっぱそういうのに自分も関わりたいなって思った…

(Hさん・「新スタ」・20歳・女性)

 

「説明会」

 神奈川県内にある、全国的にも有名な大学のキャンパス内でその説明会は開かれた。説明会が開催される教室を探しながらキャンパスを歩いているとスーツを身にまとい「.jp説明会」という看板を持った男性が目に留まった。「教室は何処ですか?」と訪ねると、笑顔で会場まで案内してくれた。

 説明会は午後4:30から行われた。スタッフは総勢6名。全員ダークな色のスーツを身にまとっている。参加者は15名程度。少ないように思われるが、説明会は1期で10回程度開かれるので、合計すれば相当数になるようである。参加者は全て事前にホーム・ページで申し込みをし、当日「運営スタッフ」が控えた名簿で参加者をチェックする。

 場所は、200名程度は収容可能な比較的大きめの「階段教室」。そこの前の方に参加者が席を取る。時間になると、スタッフの一人が説明を始める。

「本日はお忙しいところ『.jp』説明会にお越し頂きありがとうございます。まず、初めに私の方から本日のスケジュールをご説明いたします。この後、代表のIから挨拶をさせて頂き、次にスタッフのAから案内資料説明、515分頃から座談会と称しまして、各自自由に討論を行っていただきます。最後に555分頃からお配りしたアンケートの方を記入していただき解散という形になります。本日は何卒よろしくお願いいたします。」と、口調も堅く丁寧で、スケジュールも分刻みと綿密に企画されていることがうかがえる。

 次に、代表のI君が壇上に上がり挨拶を始める。丁寧な口調で団体の趣旨や説明会の意義などを説明する。終了後、A君から「議員インターンシップ」の内容説明及び、インターンシップまでの流れが説明された。そこでは、「.jp」のコンセプトとして「生の政治を感じ取ってもらう」と紹介され、自らの団体を「名実共に日本一のインターンシップ排出量」として存在感を高めるような発言が目立った。

 そして、説明会は「座談会」と称した自由討論の場へと移った。ここでは、参加者を7名と8名の2グループに分け、円になるように座る。各グループには2名のスタッフがコーディネーターとして参加している。筆者はA君が指揮を執るグループを対象に参与観察を行った。

 「座談会」は各人の自己紹介から始まる。まず、スタッフから名前、所属大学・学部名、そして「議員インターン」経験における「先輩」として、どのようなきっかけで「議員インターン」に参加することになったのか、そして、「議員インターン」を通して何を学ぶことができたのかを「お兄さん」的な立場で語る。二人からの自己紹介が終わると、次に参加者側の自己紹介へと移る。喋ることは、スタッフに倣って、名前、所属大学・学部名、そして何故今回「議員インターンシップ」に興味を持ったのかを説明するために大学生活で何をしてきたかという趣旨のことが語られる。もちろん、きっかけや大学時代の活動内容は三者三様であるが、ここで一人例として挙げておきたい。

都内の私立大学に通うL君

 「○○大学4年のLです。僕も、他の皆さんと同じように、来年から社会人になるのですが、その前に政治の世界を見てみたかったということ。もう一つは、政治家というものをですね、志すということを考えていたからです。「.jp」を知ったきっかけとしましては、知り合いにある議員さんの秘書の方がいまして、その方に『こんな団体があるよ』とお聞きしまして…。その方とはですね。僕が大学サッカー連盟で幹事長をやっているのですが、そちらの方でお世話になっておりまして、議員会館の方に何度か行きまして、教えてもらいました。」

 既に述べたとおりL君のように政治家志望の参加者は決して多くはない。しかしながら、社会人になる前に政治の世界を覗いてみたかったという理由は参加者7名共通のきっかけであるように思われる。

 自己紹介が一通り終わり、各人の「人となり」が共有されると、スタッフから次の質問が出される。それは「政治に良いイメージを持っていますか?」というものである。そして、次に今度は逆に参加者からの質問を仰ぐ。参加者から出た質問は以下の通りであった。

1.政治家が議会で寝ている時の心境ってどのような心境だか分かりますか?

2.インターンシップが終わった後でも議員やスタッフなどとの繋がりはありますか?

以上の質問からも分かる通り、ここでは、スタッフが「政治に詳しい先輩」、そして参加者が「後輩」という図式が成立している。

 スタッフ側からの四つ目の質問が出される。「大学生活はどのように過ごしてきましたか?」と、自己紹介の延長線上のような質問である。これに対して、参加者側が自己紹介を少し膨らましながら自分の学生生活を語る。それらは、バンド活動であったり、小学生に対しての環境教育をやったり、株をやるなど、それぞれであるが、何らかの政治活動に熱心であった学生というものはこの場にはいなかった。これらの回答に対して、スタッフのA君はこのようなコメントをした。「『.jp』に来る学生はあまり政治に興味のある学生はすくないんですよね。そうではなく、各人それぞれ、何か他のことに一生懸命にやってて、エネルギーがある人が多いんです。」実際、スタッフにインタビューをすると、彼らは「政治好き」な人々を敬遠する傾向がある。スタッフの間では、そうした「政治にばかり詳し」かったり、「政治にのみ強い憧れ」を持ったりしている人を「政治オタク」と形容することもしばしば見受けられる。彼らからすれば「政治オタク」でなく、「普通の学生」が「.jp」に参加し、「.jp」のスタッフであるのである。

 その後、質問は「インターンを実施する際、国会議員と地方議員どちらの方が良いか?」と続き、「何かインターンをするにあたって、不安なことはないか?」という質問で締めくくられた。参加者からは最後に以下のような質問が出された。

「(スタッフに対して)インターンを経験して、将来どのような職業に就きたいか、というのはできましたか?」

 

「議員交流会」

 関東地方にもいよいよ梅雨の季節が訪れる頃、「.jp」の「議員交流会」が行われた。場所は国会議事堂前の「第二議員会館」。民主党衆議院議員の事務所が多く入る公設事務所である。通常、一般訪問者が議員会館内に入る際には、受付で「名前・住所・連絡先・目的」を記入し、先方(用件先の議員事務所)と約束があることが確認できて初めて入ることが許可される。さらに近年はテロ対策から警備員による持ち物検査が行われるなど厳重な警備体制の下に訪問者は管理されている。しかしながら、当日は説明会同様、スーツを身にまとった「.jp」スタッフによる案内があり、参加者は「すんなりと」入ることが出来る。このことからも分かるとおり、「NPO法人.jp」は政治業界においてもそれなりの信頼を得ているのである。

 会場は、「第一会議室」と呼ばれる大きめの会議室で行われた。入り口には代表を含めたスタッフが数名、議員案内役として待機していた。大変多忙である政治家にとっては、全員が全員平日の夕方16:30から18:30の「交流会」に参加できるわけではい。遅れたり、途中退席する議員のためにスタッフが入り口付近に常に待機しているのである。また、同様の理由で「交流会」は2日間開催される。

 学生側の参加者は36名、全員スーツ着用が義務付けられ胸元に「名前、大学・学部名」が記載された名札を付けている。筆者が調べたところ、この日の参加者が所属する大学は以下の通りであった。

    東京大学 ・一橋大学 ・慶応義塾大学 ・早稲田大学

    中央大学 ・立教大学 ・青山学院大学

いずれも国内有数の「名門大学」である。そして、こうした傾向に関してスタッフの一人であるA君は、「(参加する学生は)発足当時から比べると年々高学歴化(有名大学在学者が増加)している」と述べた。また、「.jp」事業内では、大学名というのが名前と並んで重要なファクターとなっていることが少なくない。名札に名前と平行して大学名が記載されていることや、「○○大学の○○です」といった自己紹介の方法にも大学名の分類が一つのキーを成していることがうかがえる。

話しを会場へと戻そう。一通りの決まりごとを終えると、参加議員による5分程度の「あいさつ」が始まる。もちろん、若手の議員などで熱が入り時間をオーバーしてしまう「先生」も少なくない。話される内容としては、名前、党、議員区分(衆議院であるとか、地方議員であるとか)、「地元」に加えて、「自己アピール」である。「自己アピール」に関しては、もちろん議員それぞれであるが、目立ったのが「就職」に関する発言である。

ある議員は、「うちの事務所は今まで約40名のインターンが来ているけど、彼らは皆、良いところに就職が決まっている。それは何故かと言えば、来た学生は必ず何かの『一番』になって帰っていくからだ。それは、どんな『一番』でも良いんだ。『俺にビラ配りをやらせれば『一番』』であったり、『ポスター貼り』であったり。前回インターンやった一人の学生なんかは、(就職活動において)うちの事務所で何をやったかを面接でひたすら話しただけで、(有名企業)3社から内定を貰った。」と勢いよく話した。

就職率の低迷が当然視される現代においてどんなに有名大学出身であっても就職というのは深刻な問題である。「大手企業」に就職を希望する学生であれば、「魅力的」に映ることも無理はない。この発言について、終了後スタッフの一人に聞いてみた。彼によると、「議員先生方も上手いんですよ。学生が何を欲しがっているか分かっている。だから、自分の事務所に『優秀な』学生が来て欲しいからあのようなことを言うんです。」議員にとってもインターン期間2ヶ月というのは貴重な時間の一部である。できるだけ「優秀」な学生を求めることも当然であろう。また、同スタッフからこのような発言もあった。「『.jp』に何度か参加されている先生の方がやっぱり慣れているだけあって、勧誘の仕方が上手いんです。」

 1時間にもおよぶ「議員紹介」が終わり、秘書による「挨拶」へと移行する。秘書は当日参加できなかった、議員の代理として参加している人もいたが、議員と同行してきた者もいた。「挨拶」は当然議員よりは手短に終わらせられる。

こうした間、スタッフは入出を繰り返す議員への対応に追われたり、学生参加者に挨拶をしている議員の資料を配布したり、タイムキーピングに精を出したり相変わらず忙しく動いている。

 これら、一連の「挨拶」を終えると「交流会」となる。会場にある椅子などを移動し、真ん中に大きなスペースを空ける。そこで、議員と学生が自由に討論するのである。会が始まると、知名度のある議員、有力議員と呼ばれる議員、そして「挨拶」で魅力的な発言をした議員のところへ、学生が集まる。先に例として挙げた、「就職」を強調した議員のところにも例外なく5,6人の学生が円になって話を聞いている。議員が名刺を差し出すと、名刺を持ち歩いている学生は名刺を返す。

 この間、スタッフは忙しく動き回る。話す学生が見当たらない議員や、話しかけるのを躊躇している学生を見つけ、引き合わせる。スタッフは常に「コーディネーター」なのである。

 こうして、議員は「目ぼしい」学生を見つけ、学生は「気に入った」議員を見つけて次の「選考会」へと望むことができる。

 

 【就職/将来

 「.jp」参加学生を対象に実施した、アンケート調査によると、卒業後の進路として最も高かったのが、「会社員」で全体の45%であった。続いて、公務員(24%)、大学院進学(15%)と続く。「会社員」の内訳としては、マスコミ関連企業やコンサルティング会社、金融関連企業や、商社、広告といったものが目立った。

 スタッフへのインタビュー調査の際には、マスコミ関連企業への就職を希望する者が多く、代表のI君もそのうちの一人である。

 

     で、さっきもお話がありましたが、多くの人と会いたいという理由からマスコミを希望していると。

I:そうですねー。あとは、僕らみたいな仕事をしてると、「.jp」みたいな仕事をしてるとー、何か色んな人に会ってくと、凄い草の根的運動で、良いことやってる人、まーまー自分で言うのもなんですけど、「議員インターンシップ」とかすげー良いものだと思ってるしー、それ以外にもすげー良いものってあるじゃないですか?それを、何かこう照らしてあげるのをー、照らしてこう世の中を良くするっていうこともできるんじゃないのかなって。要はその例えば「.jp」の運動を、まー小さなタウン誌でもいいですけど、1000人とか何人でもいいですけど、見てもらってそれで、反応があればそれで良くもなるんじゃないかなと。っていう気持ちもちょっとはあります。

 

.jp」の活動を通して自分の「夢」を再確認する者もいる一方でやはり、就職活動というものを意識してこの活動を始めた者もいる。前述したようにF君は国家公務員T種における面接試験の話題の一つとして「議員インターンシップ」やスタッフの活動を始めたと述べている。また、新スタッフの一人である、G君もこのように答えた。

 

*:ただ一方で、就職の時に役に立つだろうっていう方もスタッフにいらっしゃるって話をスタッフの一部から聞いたんですが?

G:はい、僕もそうですよ。はい。

(G君・「新スタ」・21歳・男性)

 

 しかしながら、「政治」の話ができれば就職にとって有利であるとは言い切れない。

事実あるスタッフの一人は、逆に「政治」に関わるNPOをしていたことでマイナスに

評価されたこともあるという。そうした点に関して、G君に聞いてみた。

 

*:友人とか、大人の方とかに何か言われたことはありますか?

G:言われたっていのは、うーん。自分は特にはないんですけど、ただ、他のスタッフから聞くには、その「就活」(就職活動)の時に、「.jp」のスタッフで政治をやっていたと言うと、学生運動のイメージがあって、良くないイメージを与えるというのは聞きましたねー。そうですねー。

  ただ、活かし方、活かし方ですよね。例えばだから、そのー、「政治」、「政治」をメイン出していったらあれなので、政治に触れたことで自分がどうしたかとかを出すとか。まー全ては言い方じゃないかなーとか。活かし方とか。実際自分は、そこまで政治に対して問題というか、そこまで考えたことはないです。一応全て生かすも殺すも自分次第だと思ってるのでー、「政治のことをやってたんだ、キモーイね」って言われたら、まーその人がそういう言い方をしてしまったんだなっていうことだけだと思うんですよね。例えば自分は、「14期」(来期)は、「学生集客統括」っていうのをやるんですけど、それっていうのは確かに一つの面から見たら、政治に関心のある若者に、政治の機会の場を提供することをやるっていう、それが統括ですから、政治のことを広めようとしている人ですよねー、だからある人から見れば、「ちょっとおかしいんじゃないの」って言われるかもしれないですけど、そうじゃなくて、自分の言い方としては、例えば、(就職活動で)商社に行くとするならば、そういったマーケティング的なことをやってましたってことを言ったりだとか、っていう言い方だと思うんですね。だから、全然そこに対する危惧だとかは特に自分はもっていません。はい。

 

 「学生」と「政治」を巡る言説は流動的であり、プラスに捉えられる時もあれば、マイナスに見られる時もある。しかしながら、G君はその場その場で言葉を変換し、その場の支配的な言説の中に自分を組み込みながら対応していく能力には長けているようである。

 

 「ミーティング」

 ミーティングは4月から7月までの間、平均して週に1度開かれる。場所は都内、学生サークルや市民団体などに格安で会議室を提供する大型の施設である。「ミーティング」以外にも、「.jp」主催のイベントではこの施設が使われることが多い。

 ミーティングは1900から始まった。スタッフ全員が大学生であるため平日のミーティングは遅い時間から始まる。会議室は、20名ほど収容でき、ホワイトボードや電源も完備されている。代表のT君が座る後ろのホワイトボードにはその日の欠席者と遅刻者の到着時刻が細かく書かれている。

 参加各人には「アジェンダ」と呼ばれるその日の議論題目が書かれた資料が配布される。その日議論された内容は、近々開かれる「オリエンテーション」の準備に関して担当者からの報告や、現在進行中の学生/議員に対する営業担当者からの報告など、基本的に業務の確認といった内容が中心になっている。また、Eメール上でのトラブルやウィルス対策の議論など日々の業務で多用されるパソコンやインターネットに関する話題も多くみられた。

 議論は代表のI君による司会で進められており、代表の質問に対して各担当者が答えるという形式を採っている。時間区分に対する認識は厳しい。議論が長引かないようにI君によってコントロールされている。語り口は、スタッフだけのミーティングのため「説明会」などよりも多少「砕けた」口調となっている。しかしながら、スタッフ内での会話のため多くの「専門用語」が飛び交う場でもあった。彼らの口からよく聞かれる言葉の中に「SS」と「CS」というものがある。「SS」とは「スタッフ・サティスファクション(Staff Satisfaction)」即ち、スタッフ満足度である。それに対して「CS」は「カスタマー・サティスファクション(Customer Satisfaction)」は顧客満足度の訳である。こうした言葉は経営学の分野で聞かれるものであるが、要は「運営スタッフ」と顧客である議員と「参加学生」の満足度を大切にしようという考え方である。

 実際彼らから聞かれる言葉は「ビジネス」の世界で多用される言葉が使われていることが多い。「.jp」の組織図の中にも、「フロントオフィス」や「バックオフィス」といった近年日本に多く参入してきた、いわゆる「外資系金融企業」が採用している言葉が使われている。また、スタッフの中でも愛読している本として「経営学」関連のものを挙げる者も少なくなかった。

 発言頻度に関しては、「新スタ」よりも「ケイゾク」が、女性スタッフよりも男性スタッフの方が多いように見受けられる。筆者が参加したミーティングが7月初旬と、まだ「新スタ」と「ケイゾク」の格差が残る時期だったからか、発言は代表のI君と報告者が中心であった。

 

 【ジェンダー】

 「.jp」関係者の男女比率は、ほぼ55。半々という数字になっている。「.jp」「13期」全国学生参加者のデータを見てみても、男性217名、女性214名とほぼ同じ数値となっている。また、「13期」関東支部「運営スタッフ」においても、21名中、男性11名、女性10名という構成である。

 「政治業界」という点でみると、それまで「政治“界”」に入っていくのは、男性が中心であった。国会議員や地方議員の男女比を見てもそれは歴然としている。また、「政(まつりごと)」としての「政治」は男性の職業とする言説が根強く残っていたのもこの業界の伝統的な特徴であった。しかしながら、先ほどの数値だけを見てみると「議員インターンシップ」では全くといっていいほど、社会的性差が存在していないように見受けられる。こうした点を、女性スタッフの一人であるKさんに聞いてみた。

 

*:インターン生も含めてスタッフもそうですけど、スタッフも半数近くが女性ですよね。インターン生も12期に関しては6:4くらいは女性だった、データで見る限り。それだけ女性が多いっていうのは?えー、もともと一般的に政治の世界っていうと、男の社会っていうイメージが強い。その中で何で女性が入ってこようとするのか、そこに疑問があるんですね。でー、男の社会だから入りにくいっていうのは全くなかった?

K:うーん、全くなかったですね。あたしはー。うーん。やっぱりそのスタッフの数が半々っていうのは、多少故意的にやってる部分もあると思います。何か、私は自分のことになっちゃうんですけど、今まではどっちかっていうとわざと、男性社会に入っていくじゃないけどー、生徒会役員やってた時も、私以外は全員男だったってことがあったんですよ。でも何か、その中でわざと負けたくないっていうか男性社会に入っていきたいみたいな気持ちがあったからー。あの確かに、「.jp」をやってみて意外と女の子がいることが嬉しかったっていう感想をインターン時代に持ってたかもしれない。特に私がやった事務所は、女性議員だったのでインターン生も女の子が多かったんですよ。だから、その中でその思ったことが、インターン生が半々、スタッフも半々、なのに何で議員はこんなに男が多いのか、っていうことは凄く思いましたね。それはもう、「.jp」がどんなに頑張っても女性議員の受け入れ議員を増やそうとしても、もう根底にいる議員の数があっきらかに男性の方が多いからー、それってもう私たちでは、限界があるから、後は社会全体が変わるっていうか、女性議員がもっと増えてくべきじゃないかなっていう考え方は持ってます。

*:スタッフ同士で、そういった話ってあります?その女性の動きっていうか。

K:女性議員が少ないとか?

*:女性とある意味、政治みたいなことに対して、そういう会話は?

K:そうですねー。まーCさんとかと女性問題について話しすることはあるけどー、それは「.jp」と絡めてないかもしれない。そのCさんは今4年生で就活を経験して、女性だからってことで色々辛い思いっていうか差別じゃないけど、やっぱり女性っていうことで厳しかったっていうことは感想として持っていて、そういう経験談を話してくれたりするんで。「.jp」と関連してそういう話をすることはそんないなかったかな。ただ、女性議員は増やしたいねってことは言ってます。受け入れ議員とか。

*:じゃ、あまりそういう意味では、その、何ていうんですかね。熱狂的にその女性の権利回復だっていうことはそこまで思わない。自然体としてそのまま…?

K:そうですねー。まーそこまでターゲットを女性に絞ったり、男性に絞ったりってスタッフとしてもやってないんですよ。で、自然と男女が五分五分で集まってきているんで、それは良い傾向だとは。

(Kさん・「新スタ」・20歳・女性)

 

Kさんは、こうした質問をされることに違和感を持つほど自然と「.jp」に関わっているようである。「ミーティング」での発言回数が男性よりも女性の方が若干少ないという印象を筆者に与えたことや、「飲み会」や「打ち上げ」などへの参加率が女性は男性に比べると少ないといった特徴は挙げられるが「議員インターンシップ」への参加という意味では、社会的性差は大きな問題になっているようには感じられなかった。

 

 「選考会」

「説明会」、「議員交流会」も終わり、「.jp」のインターン運営にとって最も大切なイベントである「選考会」が開かれた。このイベントが彼らにとって意味するものとは、即ち、評価である。「選考会」の参加者がほぼその期のインターンシップ参加学生数となるからである。各拠点の代表は、インターンシップ準備期間前に理事長に参加学生数の目標人数を申告することになっている。そしてそれはただ申告するわけではない。その数字によって各拠点の予算配分がおこなわれるのである。筆者は、3日間開催される「選考会」のうちの最終日に訪れた。

 選考会は午後2時から、ミーティングが開かれた同じ施設内にある100人以上収容の大き目の会場がその場となった。参加学生は「エントリーシート」という、自分の写真を貼り付けた履歴書のようなものを持参して会場に現れる。試験内容は、筆記試験と面接試験に分かれる。面接試験は「参加学生」が「.jp」運営学生スタッフによって審査される。会場には「運営スタッフ」用の椅子が二つ、長テーブル一つ挟んで向こう側に「参加学生」用の椅子が五つほど並んでいる。

「それでは、まず、お名前と大学名、加えて志望動機をお聞かせください。左の方から。」スタッフの一人が、スーツに身をまとった参加学生に尋ねる。「○○大学の○○です。将来はマスコミ関係の仕事に就きたいと思ってます。そのため、政治の世界を学びたいと思って、今回応募しました。」

 質問は続く。「学生時代に一番力を入れたことをお聞かせください。それでは、今度は右の方から。」参加学生は緊張した面持ちで両手を膝の上に置いて座っている。彼らの大半は大学23年生で就職試験などの面接も経験していない者がほとんどである。    

一番右の学生はこのように答えた。「僕は大学に入ってから、ずーとテニスをやってきて、スポーツを通して人間関係を築いていくということをしてきました。」質問は3問目に入る。「自分のことをどのような人物だと思ってますか?」5つある席のうちの丁度真ん中に座っている女性は自分の髪を掻き分けながらこのように答えた。「私は自分のことをマジメな人間だと思ってます。一つのことに対してきちんと行動できる人間です。でも、客観的にはあまりマジメそうには見られなくて、友達にはテキトーっぽく見られてるかもしれないですけど。中身はマジメな人間です。」

 最後の質問は「最近気になるニュース」を教えて欲しいというものであった。一番右の学生は「憲法問題」、続いて「北朝鮮の拉致被害者の問題」、「大手銀行の破綻の問題」、「イラク・北朝鮮の問題」、「東北地域に打撃を与えた水害の問題」とその時期に話題となっていたトピックを語る者が多かった。

 こうした面接はどのような目的で行われているのかを「13th選考会 採点シート」から見てみよう。その中の採点項目として挙げられているのは、「1.身だしなみ」、「2.話し方(発言内容・敬語)」、「3.声の大きさ・明確さ」、「4.マナー(態度・姿勢)」、「5.面接総合評価」。面接官は参加学生に対する印象をこれら項目に対して3段階で評価する。そして、この他にも「インターンへの目標意識」を3段階で評価する箇所や、興味のある分野(教育、外交、文化、経済、福祉、法律、その他)をチェックする項目。また、「問題点」として「思想宗教的偏向」、「コミュニケーションに難あり」、「.jpへの敵意」といったものをチェックする箇所もある。

 面接は一度に全員行うことができないため、参加学生は空いた時間に「筆記試験」を行う。「第13期」の試験内容はこのようなものであった。

 

「課題:以下の質問に解答しなさい。

 質問:『あなたを商品に例えてください。その理由についても教えてください。またその商品として、自分をもっともよくあらわしていると思われるエピソードを説明してください。』

具体例:商品名『掃除機』 その理由:何事も貪欲に吸収していくタイプであるため。」

 

「選考会」で審査する基準と目的に関して、A君はこのように答えてくれた。「別に落とそうと思ってやってるわけじゃないんですよね。実際落ちる人も殆んどいないし。ただ、何か偏った思想を持った人とか、『政治オタク』で人と会話ができないような人はちょっと…」

 「選考会」の最後に、参加学生は「希望議員調査シート」を記入する。ここに、「説明会」から「議員交流会」を通して知った政治家の中からインターン希望先の事務所を記入する。第1希望から第5希望まで、「議員名」とその「理由」を記載する欄が設けてある。この資料に加えて、面接/筆記試験の評価を総合した点で、「.jp」学生スタッフは参加学生のインターン先事務所が決定する。

 帰り際に代表のI君に挨拶をしようと話しかけると、何処か落胆した様子であった。話してみると、「選考会」合計参加者数169名はどうやら目標としていた学生参加者数に満たない数字だったようである。

 

【「政治オタク」/〈普通〉の学生】

 草の根レベルでの保守運動を調査した小熊英二・上野陽子による『〈癒し〉のナショナリズム』において、「新しい歴史教科書をつくる会神奈川県支部有志団体史の会」に集う人々の特徴として「普通の市民」を装っていることを一つの特徴として挙げている。即ち、その場に集う人々は「サヨク」や「〈過激な〉右翼」とは違う、普通の市民による保守運動として活動しているということである。

 「.jp」に集う学生は、「サヨク」や「ウヨク」を忌避するようなことはしない。いや、むしろ忌避する対象が違うのである。しかしながら、「〈普通〉を装う」という行為自体は共通している。彼らは、ある人々を〈普通ではない〉ものとみなし、自らを〈普通〉の学生として表象している。彼らが、忌避する対象として選んだのは、「政治オタク」というジャンルの人々であった。彼らの言う「政治オタク」とは一体どんな人々なのか。G君へのインタビューから探っていきたい。

 

G:自分は弁論系のサークルにいたんですね。あ、早稲田に雄弁会というのがあるんですけど。半年間くらいいました。で、そこにいたんですが、肌が合わないと感じて、半年間で。まーほとんど行きませんでした。

*:肌が合わないというのはどういうこと?

G:何でかというのは。うーん。具体的に言いますと、自分は政治に対してとか、まー、勉強は自分で言うのはなんですけど、よくする方なんですけど。ただ、遊ぶ時にはもの凄く遊びたいんですね。で、あそこにいる人たちはどうも、そういう切り替えというのはあまりやらない人たちでー、例えば飲んでる時でも、いつでも政治の話しているのはいいんですけど、ただ話題が政治の話しかできない人たちはどうかなーと思ったんです。バランス感覚がない人たちが多かったんです。「オタク」なんですね、要は。

*:雄弁会は政治業界に詳しい人が多いんですか?

G:多いっすねー「オタク」の人が多かった。もちろんそうじゃない人もいますけどー。

*:誰がどこの派閥にいてとかそういう業界の話ですか?

G:四六時中そういう話ですね。だから飲み会に行っても、例えば、変な話、女の子の話したいなーとかあるじゃないですか。全くそういう話はないんですね。話題は政治だけで。ホントにマニアなんでー。それはやっぱり肌が合わないなと感じてー。

(G君・「新スタ」・21歳・男性)

 

 G君は、個人的な経験から「雄弁会」という名前の弁論部に集う人々を「政治オタク」と表象している。彼の言うところの、「政治オタク」とは即ち、「政治には詳しいが政治以外の話題はできない、バランス感覚に欠いた人々」のことなのである。

 G君以外にも、そういった人々を「政治オタク」と形容して非難することが多い。D君は「政治オタク」に対してこのようなイメージを持つという。

 

D:「政治オタク」っていうのに対しては、やっぱり敬遠しちゃいますね。政治ってや

っぱ、もっとバランス感覚を持った人がやった方がいいと思うんですよ。「政治オ

タク」が政治をやるのは危ないと思うんですよ。

(D君・「新スタ」・21歳・男性)

 

 彼らにとって、「政治オタク」と呼ばれる人々は、嫌悪の対象というだけでなく危険な存在として写っている。そして、彼らはそういった「危険なオタク」ではなく、「〈普通〉の学生」である自分たちが「.jp」のような政治活動をやっていることに社会的な意義があると感じている。グループ・インタビューの際の彼らの語りに注目してみよう。

 

*:こういう活動をしていると「変わってるね」って言われたことはあります?

C:私は女子大でそういうことに関心がある子がいないのでー、話をしません、まず。変だと思われるのは嫌だ。

A:あーでもその意識もあるかも。でもー前の代表が言っていたのはー、こういう活動ももちろん大事なんだけど、「こういう活動が一番だ」とか「こういう活動をしなければいけない」とか押し付けだしたらいけないっていうか。「独りよがりにならないように」って言ってました。

C:そう、独りよがりにはならない方がいい。

A:一般的な感覚を持っていた方がいい。

C:変な目で見られることもあるからねー、実際。

A:それもバランスなんですよ。何か政治が好きな人って、めちゃめちゃ凄い怪しいじゃないですかー。バランス感覚のない人が多いし。でも一方で、全く興味がない人は多いし。だから何だろう、政治に直接関与したいわけではないけれども、ある程度意見が言えるような人が増えていけば良いとは思います。中間型の人を。

(A君・「ケイゾク」・21歳・男性)

(Cさん・「ケイゾク」・22歳・女性)

 

 「中間型の人間」が「.jp」に関わっていることが重要なのだという。こうして彼らは、「選考会」で「政治オタク」を排除し、リクルーティングの際には、「バランス感覚」を持った人を集めていくことで、「雄弁会」などとは違った「〈普通〉の学生」が集う場としての「.jp」を築き上げているのである。

 しかしながら、前述したとおり彼らが所属する大学は有名大学であることが多く、富裕層の家庭で育った者も少なくない。そして、彼ら自身から「〈普通〉の学生」とは何か、直接的に語られたことは調査期間中一度もなかった。

 

 「オリエンテーション」

 長机と椅子、そして壇上。150名は優に収容できる大き目の会場に、スーツ姿の学生が100名ほど集まった。「.jp」学生スタッフが担当する受付を入り口で済ませ、参加学生達は、席に着く。ほとんどが黒っぽいスーツ姿であった。開始時刻1400になると、スタッフの女性が司会役としてマイクを持ち、「オリエンテーション」のスケジュールを説明する。代表I君からの挨拶も早々に、一人の男性が壇上に登った。金色に染め上げられた長めの髪に髭を生やしたそのスーツ姿の男性は、壇上に上がると自己紹介を始めた。西宮市市議会議員の今村岳司、1972年兵庫県生まれ。理事長の佐藤大吾とは古くからの友人で、当選直後の99年から「.jp」の受け入れ議員をやっている。また、現在は「.jp」の理事の一人として運営にも深く関わっている一人でもある。中学校に入ると「ヤンキー」に、高校時代は「ロック」にはまる。大学時代は、佐藤大吾と同様に塾の講師に、卒業後民間企業を経て、阪神大震災をきっかけに政治家を志したという。[3]彼のホームページには、このような引用がされている。[4]

 

 「善良で正しいと自らを自ら称している者たちを見るがいい。彼らは誰を最も憎むのか?価値の秩序たる石板を砕く者を、破壊者とか、犯罪者とか決め付けて最も憎むのだ。しかし、このようにして憎まれる者こそ、創造者なのだ。

 信じることによって呪縛されたあらゆる者たちを見るがいい。彼らは誰を最も憎むのか?価値の秩序たる石板を砕く者を、破壊者とか、犯罪者とか決め付けて最も憎むのだ。しかし、このようにして憎まれる者こそ、創造者なのだ。

 創造者が求めるのは同志であり、亡骸ではない。家畜の群れや、信仰によって呪縛された者たちでもない、創造者は共に創造する者を求める。彼らこそ、新しい価値を新しい石板の上に刻む者たちなのだ。

 (中略)

 わたしは再び群集と話をするつもりはない。死者に向って話すのも、これが最後だ。創造する者たちと、黄金色の収穫を手にする者たちと、祝祭を喜ぶ者たちと、わたしは仲間になろう。」     

〜 『ツァラトゥストラはかく語りき』/ニーチェ 〜

 

 自己紹介を簡単に済ませると、『インターンを始める前にちょっと言っておきたいことがあります。』という題名の配布資料と共に、本日のメイン・イベントである「マナー・ガイダンス」の内容へと入っていく。この配布資料にはタイトル通り「議員インターンシップ」を始める前に参加学生に心得ておいて欲しい「心構え」が書かれている。内容は、「議員インターンシップ」における参加学生としての心構えから、遅刻、また、敬語のマナーまで「社会人」に求められるとする「資質」といったものが書かれている。冊子は以下の文章から始まる。タイトルには「とにかく勉強なのである」とある。

 「君などいなくてもボス[5]は仕事できる。バイトではない。だから何も用意されていない。自分で仕事作っていく。自分から『させてください』って言わないと何にもない。『何をさせようか?』と考えるのは、とても面倒なのである。あらゆることから何かを学ぼうという姿勢。考えて動く。やって怒られろ。怒られないうちはお客さん扱い。ただし、同じことで二度怒られない。学習する。」

 また、こういったことも書かれている。タイトルは「面倒をかけない。」。

 「リアクションはわかりやすく。ちゃんと表現する。わかりにくいやつは面倒。段取りは全部こちらでたてておく。先々までイメージング。終電の時間とかこちらで調べておく。『おまえ、おれの車に荷物置いてるんだろ?』とか『おまえ、もうそろそろ帰らないとあかんな』とか。気を遣わせない。自分でできることは先にしておく。ボスにもらった仕事は生半にできない。とにかく練習。」

「マナー・ガイダンス」はこの資料を元に、今村の独特な語り口で補足、解説されるという形式で行われた。「怒りを収めるために謝るのだ。」という項目で今村は壇上の上で「議員インターンシップ」参加学生に対してこのように語っている。

 「何で謝らなきゃいかんっていうと、『悪いことをしたから謝らなきゃいけないのは、そこに原因があるから、謝らなきゃいけないのだ。』っていう風に(議員インターン参加学生は)考えとるかもしれないけど、それは違う。そう思わなくても謝らなきゃいけない時もある。怒りを収める、怒りを収束させることが謝る目的です。っていうことは、謝ろうが、謝らないが、怒りが収束できれば完了。どんだけ謝ろうが、怒りが収束しなければ謝っても無駄なんです。要は、謝り方が良くなかったか、謝り足りない。(中略)なので、怒りを収束するために謝ってください。

 まず、一番最初。例えば、『これ全部ちゃんと順番にと切って貼っといて』って(議員から)言われた任務(をインターン生が)遂行中、でそれを見たボス、あまりにも君たちの不器用さにちょっとがっかり、その時にやるべき謝り方、『可愛く笑う』っていう小技。これが正しい謝り方。『それじゃ、すんません、すぐやり直しますわ、すんませーん』ってこれで全然済みますねー。で、これで『いや、違う、あかんことしたらちゃんと謝らなきゃあかん』と思って、『自分これごっつ歪んでーへん?これ』って言われて、『すみませーん』とか半べそになられたら、めちゃめちゃ(議員が)めんどくさいじゃないですか。切手を貼りなおす業務に加えて、この半べそになられた、気悪くなった彼女(学生インターン)の機嫌を取るっていうのは、『そんな泣かんでもええやろ』ってめんどくさい、これ。(議員にとっては)仕事増えるやろ、余計に。だから、これは謝るんだったら、さっくり、さっくりいこう。向こうが『おい、おい、おい』って思ってるんやったら、それが『怒り』になる前に、きっちり可愛く笑っとけってそういうことを言いたいんや。(中略)

 (謝る時の)言い訳は絶対に向こうから(議員から)求められてから言ってください。(中略)で、この時にここが皆さんが、お父さん、お母さんから習ってきたことではないんです。その時に真実をのうのうと語ってはいけません。もしそれが、電車人身事故等であれば、正々堂々とそれを使ってください。ただし、『何で遅れてんねん!』、『あ、電車が遅れたんですわー、あー人身事故でね、だからしゃーないですよ』っていう言い方は絶対駄目よ。怒りが余計酷かったら、『アホか!何お前、人身事故に遭うような電車に乗り合わせるアンラッキーなヤツやねん、馬鹿もーん』これは相当怒ってますよね。だから、理由言って『これは(理由として)通るでしょ。だから許すよね。もちろん。』っていう風な言い方をしたら絶対いかん。許すか、許さないかは向こう(議員)の勝手ですからね。『実は、人身事故で電車、遅れましてー、どうもすいませーん。』って必ず最後に『すいません』を付ける、そんならやっぱ『最近多いなー、いかんなーそれ』ってパーっと(議員が)流してくれたら、成功。って思ってくれていい。

 ここで、皆がよくやってしまうのが、真実を伝えるっていうこと。『正直に伝えよう。ちゃんと言おう。』って『実は、地元の駅で電車乗ろうとしたら、中学の時のツレがおりまして、「久しぶりー」とか言われまして。で、駅前の喫茶店で、だらだらコーヒー飲んどったら、電車に遅れました』って『よし、(正直に)言ったよー』みたい感じでやってしまうヤツがよくいます。何が起こるかっていうと、もう火に油注いでぐちゃぐちゃになります。『何だこいつはー、こいつはアホとちゃうか、何で遅れてーんって言って、それで、のうのうとそれを俺様に言えるその馬鹿さ。死ね。』っていう気持ち。それと、その、中学の時のツレとサテンで駄弁るという任務と、俺と待ち合わせするという任務と、重さを量った時に、ツレを取ったというその悲しさ。やるせなさ。それと、『そんなことを聞かなければよかった。』っていう聞いてしまったことに対する後悔。こういうのが、グルグルに(頭の中を)渦巻いて、『お前、死ねー!』みたいな感じで、グチャグチャになるんですよ。絶対にやってはいけません。真実を伝えたりとかは。じゃ、どうするんですか?って『あのー遅れたのは、言い訳しようとがないんですけれども、駅であのー、電車に乗るために並んでたおばあちゃんが倒れられて。「大丈夫ですか?」って言うとったけど、皆電車に乗ってしまって、僕が、駅員さんを呼んだりなんかしてたら、電車に乗り遅れちゃって…』っていうふうに言いましょう。そうすると、状況は完璧に一変します。おっさん(議員)は、10分遅れられただけで、ブチ切れてるケツの穴のちっさいおっさん、になり。皆は、そういうこと(待ち合わせ)があるにも関わらず老婆の命を救うべく奮闘した心優しい青年になっているんです。それは、おっさんそっこー、察しますからね。『それは、俺、相当かっこ悪くないかなー。これは早く怒らなかったことにしたいなー』と。だから遅れてる関係の話題を『この話題、やめよー』ってなるんです。(中略)で、『そのお婆さんは大丈夫だったのか?』って、遅れた話題じゃなくて、お婆さんの話題に移ってくんです。(中略)で、『今日の件やけど』って話をそらそうとするんです。それは、勝手に怒りを収束したんことになります、向こうが。そういう方向に持ってかなければいけませんが、要するに遅れないでください。(中略)

 んで、それでも、『私は嫌ですー』っていう人がいると思うんです。『小さい頃からお母さんやお父さんに嘘をつくのは泥棒の始まりって言われてきましたから絶対嫌ですー』っていう人も(議員インターンシップに参加する人の中にも)多分いるんです。『何を言ってるんですか?』と、『嘘をつくのは泥棒の始まり、嘘をついたら閻魔大王に舌を抜かれる、嘘をついたら先祖に祟られる、嘘をついたら仏様の仏壇があたる、だからそれはできません。』何を言ってるんですか。まず謝ってください。で、嘘をついてください。それで、俺の機嫌をよくしてください。その上で、舌を引っこ抜かれて、先祖に祟られてください。遅れたのはお前でしょう。それはしゃーない。」

 こうして今村が独演し、スーツ姿の学生100人がそれを黙って聞くという流れが90分間続き、「マナーガイダンス」は終了した。そして、各学生スタッフによる自己紹介の後、インターン中のセクシャル・ハラスメント防止に関する説明が行われ、「オリエンテーション」は幕を閉じた。

 

 「議員インターンシップ」

 開始時期は各議員事務所によってまちまちであるが、基本的に8月の初旬からインターンシップ参加学生は、議員事務所にて活動を開始する。議員インターンシップで何が行われているのかは本論文の主題ではないため細かい説明は避けたいが、「.jp」運営スタッフへの聞き取り調査の際の語りから簡単に紹介していく。

 

*:議員インターンをやってた時、何を実際やっていたか、っていうのをお聞きしたいんですけど。

C:ある市議会議員のところにいて、一期目当選だったんですね、一期目当選だったからまず事務所を作るっていうか、そういったことから初めてー…

*:それは何月に当選して何月に始まったんですか?

C:2003年の4月に当選してー、それで2003年の8月にインターンをはじめたって感じです。

*:それじゃー立ち上げるところから始めたって感じ?

C:それでやっぱ支持層というか誰が当選してまだ分からない状態だったんですよ。支持層っていうか、初めて当選して、だから支持層の確認っていうのをするために色んなところを廻って訪問に付き合ったりだとか、あと、陳情する人と話す時にその場に同席させてもらったりだとかー。結構、その人はある衆議院議員のところで秘書をしてらっしゃった方なのでー凄い、理解があるというか。あの私のインターン先の市っていうのは凄い、あの市議ですとか、県議とか、あと代議士と凄い繋がりが強かったので、色んなところに行ったというか。

*:それは週何日くらい通ってたんですか?

C:週4日くらいですね。朝10時から6時っていうのが基本だったんですよ。でも、市会に行ったりして傍聴したりするとその時間が延びたり逆に縮んだりっていうことはありました。

*:具体的に活動内容はどんな感じだったんですか?

C:やっぱり、そのどのような支持層があるのかを知るために名簿を作成したりだとか。それで、一日その名簿作成で終わることもあればー、後は、ビラを配るために…そういった地味な活動。あと、午後は議会に行くとかそういう感じ。あと、議員と一緒に行動できる時は、やはり市会に行ったりだとか、支持層を増やすためにお祭りにだとか。

(Cさん・「ケイゾク」・23歳・女性)

 

E:まー色んなことをさせてもらったんですけどー、大体そのインターン先の参議院議員と食事に行ったらちょっと政治の話をしたりするんですよー、それをメモして原稿にまとめて、原稿作ってホーム・ページにアップするということですね。主にやった仕事ですねー。

*:その食事会で話したことをホーム・ページにアップするんですか?

E:はい。まー原稿作って、政策秘書さんに見せて、OKが出たら、じゃ採用っていう。

*:どういう内容なんですか?

E:その当時僕が書いたのはー…女性議員懇談会というのが行われたんですよー、で、それをその議員が主催していたのでー、まーそこでの苦労話だとか。

     議員懇談会の苦労話とか?

E:そうですねー。自分自身のためにもなりますし、そのホームページを立ち上げることによってー、この参議院議員っていうのはこういう人間だよっていうようなアピールを書いて。それはつまり学生の眼を通してっていうあれなので、なおさらだと思いますねー。

多分、学生雇っているのはプラスのイメージがあると思うんですよね。議員の方にも。

(E君・「ケイゾク」・21歳・男性)

 

 ここで紹介したのは、あくまでも一例に過ぎない。政治家といっても、一緒くたにすることはできず、地方議員、国会議員によってその活動は大きく異なり、選挙の有無などインターン実施期間の状況によっても違ってくる。また、議員事務所は「地元」、「国会」両事務所を合わせても秘書の数が10名を越えることは少ない。地方議員の場合は秘書を置かない議員がほとんどである。こうした状況から、各事務所が参加学生に与える仕事というのはまちまちである。しかしながら、大きく分けるならば、「議会傍聴」や「勉強会への参加」、「食事会」など参加学生が学ぶために与える作業と、「ポスター貼り」[6]や、「ポスティング」[7]、広報物の封入作業など、事務所側が「仕事」として与えるものと二つに分けることができる。

 また、仕事が定まっていないのは運営側との問題も絡んでくる。運営側が、議員事務所側に作業内容を指示するとなると、状況がいつ変わるか分からない政治業界においてトラブルは避けられない、また作業量も格段に増える。あくまでも「仲介業者」としての役割を全うするのが、お互いにとってリスクが少ないのである。

 

 「中間報告会」

 インターンシップが始まって、約一月後に始まる中間報告会は、「議員インターンシップ」参加学生同士の交流会という目的で行われる。先ほど述べたように、各事務所で得られる経験はまちまちであるため、参加者同士で交流することによって経験を深めようというのがその狙いである。

 参加者はインターンシップ参加総数161名のうち20数名。その内女性の参加者は2名のみであった。一方スタッフはスタッフ21名中12名と割合としては多い。場所は、都内から30分程度で着く山間の合宿所。イベントの参加費は一泊二日、夕飯・朝食がついて4000円と米一合であった。

 夕食のバーベキューが終わると、「中間報告会」が始まった。内容は、参加者全員が個々の事務所で得た経験を語り合うというものであった。司会の女性スタッフがインターン先の事務所名と名前を述べ、呼ばれた参加学生は壇上で自分の経験を話す。

 「埼玉県○区衆議院議員の○○事務所というところでインターンしております、Mと申します。(拍手)やっていますのは、主にあの国会での仕事と、あの地元の仕事に分かれてました、ま、国会では今、閉会中ですので、政策秘書の方が公務員の方を呼んで、まー色々レクチャーを受けて、それを聴いたり、質問したりっていうことをしています。で、地元では、皆さんと同じで僕らの場合は、ハガキとかを出して、でアンケートとかが返ってくるので、それをまー集計して最後また報告するっていうようなことを今やっています。あと、あのうちの代議士はお祭りが好きで、お祭りに色々参加させてもらって、色々地元と人と飲み会をしたりとかそういうことでまー、交流をしております。はい。以上です。」

 「中間報告会」においてそれまでとは違う点として挙げておかなければならないのは、呼び名に関しての変化であろう。「議員交流会」で述べたように、それまでは、自己紹介の際に名前と共に付随する社会的属性は「大学名」であった、しかし、中間報告会になると、それが所属する「議員事務所」へと変わった。

 また、もう一点挙げるならば、全体的な雰囲気の変化である。もちろん、服装の変化や会場の違いによって場の雰囲気は大きく左右されるが、それ以外にも人間関係が親密になったことも大きな要因であると考えられる。任意参加である「中間報告会」の参加者20数名はインターンシップ参加総数161名の中でも比較的積極性の高い人たちであると言える。また、運営スタッフはインターンシップ期間中、各議員事務所に出向き様子を伺うことも仕事の一環であり、次第に「参加学生」との距離も縮まる。そして、関係の変化が起きたのはそうした運営スタッフと参加学生の間だけではない。スタッフ同士の人間関係も親密になっていた。インタビュー調査の際、運営スタッフの数名から聞いた話であるが、4月から始まった「13期」も当初は、やはり「ケイゾク」と「新スタ」との間に隔たりがあったという。しかしながら、約半年経った「中間報告会」では、そのような雰囲気は感じられない。

 実際、「中間報告会」が終わった後の「懇親会」では、「スタッフ」と「参加学生」の間に多少の隔たりは感じたものの、「ケイゾク」と「新スタ」との差は全く感じられなかった。「ケイゾク」と「新スタ」一緒になって酒を飲む姿もあちらこちらで見られた。

 懇親会では、酒を飲み交わしながらそれぞれの事務所での経験を語り合っていた。また、スタッフは「.jp」の運営に関しての議論や今後の方針などについて話し合う場面が多く見られた。そして、時には民主党議員の名前をお互いに聞きあうといったゲームまでおこなわれていた。しかしながら、社会問題や、政治問題など、彼らの政治性を直接的に判断できる会話というのは筆者が聞く限りほとんどおこなわれていなかった。

 

 「最終報告会」

 いよいよ「.jp』第13期議員インターンシップ」の最後の「イベント」が訪れた。「最終報告会」には約半数の79名が参加した。場所は、「選考会」や「オリエンテーション」が開かれた同じ施設の中の一会場である。参加者は受付を済ませ、91グループに分かれたテーブルに座らされる。

 会場に学生が揃うとそれまでと同じように、代表I君からの挨拶。そして、「最終報告会」の内容説明に入る。この日の「メイン・イベント」は、「.jp」スタッフによって提出された課題を参加学生が「グループ・ワーク」形式で話し合いをおこない、解答を発表するというものであった。

 

「皆さんが議員インターンを体験して半年後…

ある日、大学に行くと友人が何か悩んでいます。友人はドットジェイピーと某企業パ

ンフレットを二つ持っていました。

 『どっちのインターンも興味があるんだけど、議員インターンって何が魅力なんだろ?』

 そう聞かれたあなたはこう答えます。

 『それはね…』」

 「あなたが考える議員インターンシップの強みとはなんですか?この夏の経験、そしてドットジェイピーの理念をふまえて話し合ってください。」

 

 以上が「最終報告会」で出された質問である。この質問に対して各グループが話し合いをし、一つの結論を導き出す。そして開始から約1時間後、各グループの代表者が壇上で自分たちの意見を発表する。10グループそれぞれの発表の仕方はまちまちであったが、内容そのものは似通っていた。「議員インターンシップ」と「企業インターンシップ」を二つに分け、それぞれの特徴を説明する、その上で、「議員インターンシップ」で何を得たかを紹介するといった内容のものがほとんどであった。あるグループの発表を紹介する。

 「『企業インターン』と『議員インターン』の違いは、やりたいことが決まっている人に対しては、『企業インターン』の方が良いのかなとも思います。そのー、企業体質っていうのも分かりますし、学生のうちに企業体験するっていうのは勉強になるのでいいかもしれないですが、まだ漠然と何をやりたいか将来が決まっていない、そういう人には、『議員インターン』の方がお薦めかもしれません。

あのーそうですね、僕ら○グループは、あのー話し合っているときに、人と人との触れ合い…地元活動であったり、政治活動(をしていると)、本当に会えないような人たちに、例えば安倍幹事長なんかに会える。そういう意味では、ホント会社の企業の社長さんであったりからお話を聞くことができたりして絶対に自分の心のあれになりますよね。成長ですか、自分が成長できるような「インターン」っていうのは企業ではあんまりないんじゃないか。企業には本当に雑用的な、受け入れ的に、言われたことをこなしていくっていうことがそうだと思うんですが、『議員インターン』は自分から動かなければ何もできない、何もやれないけど。自分から動けば動いた分だけ、その分自分の成長になる。そういうことが言えると思います。

なので、まだ何をやりたいか決まっていない人には、ホントに『議員インターン』をお薦めしたいと思います。我が○グループはですね、一つこういった標語を用意しました。

『企業インターンはスキルを磨く、議員インターンは自分の心を磨く』

(拍手)」

.jp」運営側、参加学生側、双方にとって「議員インターンシップ」以外の選択肢は、「弁論部」でもなければ、「市民活動」でもない。ましてや、「学生運動」でもない。そうではなく、「企業インターンシップ」なのである。

 こうして、半年間に渡る「.jp」スタッフの活動は幕を閉じる。そして継続してスタッフとして活動する人は「ケイゾク」に、辞めていく人間は「OB」、「OG」となり、彼らの穴を埋めるために参加学生の中から「新スタ」が誕生する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第2節―「政治意識」不在の「政治活動」

 

「第1節」においては、「.jp」という場で何が行われ、そこに集う人々が何を志向しているのかを紹介してきた。論文の冒頭でも説明したとおり、本論文の主題は「.jp」に集う「若者」の政治意識である。しかしながら、これまで見てきたとおり彼らの活動には、「政治意識」は見当たらない。

 「ミーティング」や「中間報告会」での彼らの会話からも、「議員交流会」での参加議員のコメントからも、「オリエンテーション」の際の今村理事による発言からも、「政治的発言」は一切聞かれないし、政治や社会問題に対する議論や意見交換はほとんどと言っていいほどされていない。

 筆者がインタビューを願い入れる際、どんなことを聞かれるのかとしきりに聞いてきたインフォーマントは多かった。そして、実際にインタビューを開始すると、戸惑いの表情を隠せないでいるインフォーマントと出会うことも少なくなかった。そして、帰り際に、「中川さん(筆者)からのインタビューを受けて、私たちの活動が周りからどんな風に見られているのか、何となくわかりました」(Cさん)という発言や、「あまり普段こういうこと(政治意識)を話す機会がないので、凄い楽しかったです。有難うございました。」(D君)という感謝の言葉をもらうこともあった。

 彼らは、「政治業界」の中で活動をしているのであって、「政治的な活動」をしているわけではないのである。もちろん、彼らの中には「右翼」と自称する「若者」や、「左」に近いメンタリティーを持って、他の市民運動に参加している者もいる。また、「社会科学系」の本が好きでよく読んでいると言っている者もいる。しかし、いやむしろ、「ハマコー」に対してシンパシーを持つ「若者」(F君)と「左派的な市民運動」に共鳴する「若者」が共に同じメンバーとして活動していることが「右派」や「左派」、「保守」や「革新」といった「従来型の政治意識」をベースに活動が展開されていないことの表れでもある。そして、もっと言えば、そうした「政治意識」を持たない者が「政治活動」に参加することに意義を見出しているという側面もある。

 また、アンケート調査において「『議員インターンシップ』は政治活動であるかどうか」を問うた際、約7割の参加学生が、「『政治活動』ではない」と答えている。

 ここでは、こうした「政治意識」が存在しない、彼らにあえて「政治意識」を問う質問をぶつけることでどのような答えが返ってくるのか、そうした点に着目して論じていきたい。その際に、筆者が用意した質問は五つほどある。まず、「若者の『政治的無関心』という問題に対してどのように考えているか」。ここでは、彼らが自分たちの立場をどのように位置づけているのかをうかがう。そして二つ目は「支持する政党/しない政党」という基礎的な質問である。これによって、彼らの大まかな「政治意識」を問う。また、三つ目としては「小泉政権のイラク自衛隊派遣についてどう思うか」、これは現在の時事問題に対してどのように答えるのかを見ていく。四つ目「『学生運動』というものに対して、どのようなイメージを持っているか」という質問では、歴史的な問題に対しての意見を探る。そして最後に「『世の中を変えたい』という思いがあるかどうか」という質問をぶつけてみた。これは、それまでの二つとは違い、時事問題でもなければ、歴史的な問題でもない、「.jp」の理念に通ずる彼らの「政治理念」のようなものを問うてみたい。そうした問題に対してどのように答えるのか、「政治意識」不在の「政治団体」が持つ〈政治意識〉が見えてくるはずである。

 

 「『政治的無関心』に対して」

 彼らは、「政治意識」は持たないが、「政治的に〈再関心〉」を持った「若者」たちとされる。何故なら彼らは「政治意識」を持っていないが、「政治業界」で活動をしている人々であるため、周囲の人からは、「政治に関心のある若者」という形で表象されるからである。

 Kさんはそういった現状をこのように語った。

 

K:何か、私がインターンシップとかやってるとか言うと、あたしも知識的に比べてその子たち(大学の友人)より全然政治の知識があるなんて全く思ってないんですね。ただ、その子たちから見れば、私が政治の知識があると思われてるんですよ。っていうのは、実際私がインターンシップをして感じたことはー、その時インターン先の議員がネクストの法務大臣をやってたんですよ。民主党の。でその時に、裁判員制度の制度改革を凄くやっていて、凄く、その話とかを聞いていて、裁判制度ってめちゃくちゃ身近じゃないですか。だって、5年後から始まったら、私たちはもう裁判員になる。5年後だったら、確実に私たち、早生まれの子だって、確実に選挙人名簿に載ってるわけだから、確実に私たちも裁判員になる可能性がある、で、それが一生の内になる可能性が120何分の1っていう可能性なんで。120何人に一人が裁判員になるんですよ。一生のうちに。でそういうめちゃくちゃ身近なことが決まってるっていうのに、それに対して分からないって言ってて、でも分からないじゃ済まされない問題なのに、分からないって言ってるんですよね。皆。でも、分からないように仕向けられているような気もするし、政治って難しいものとか世間とか離れているものっていうふうに、勝手に作られちゃってる気がするんです。でも実際その議員に裁判員の話をしてもらった時に、全然離れてないし、むしろもう、いつ降りかかってくるか分からないものだから、ちゃんと自分たちで考えないといけないんだなって思った時に、絶対そういう話をすれば皆食いついて来るんですよ。なのに、「裁判員とか知ってる?」とか話をすると「え?そんなに決まってるの?」って食いついてくるのに、じゃ何故政治に皆食いついていかないのか、っていのがやっぱそのー興味を持たないように仕向けられてる感じがします。

(Kさん・「新スタ」・20歳・女性)

 

彼女は、「政治的に関心」を持っていると思われている現状と、「政治的無関心」の人々の現状、両方に対する違和感を持っている。即ち「政治に対する知識」はほとんど差がないにも関わらず、自分だけが「政治に対して関心がある若者」だと認識されてしまう現状と、でもやはり「知識」は変わらないが「問題意識」に欠ける友人たちへの苛立ち、両方を抱え持っているのである。そして、その理由を「社会にそう仕向けられているから」としている。

 彼女以外にも、「政治的無関心」の根源として、マス・メディアや戦後教育、家庭教育を非難の対象としているものが多かった。

 

*:若者の世辞的無関心に関しては、メディアっていうものが一つ大きな問題ということなんですか?

C:何か、メディアがっていうわけじゃなくて、やっぱり情報を知ろうとしても知れない部分。例えば、大学で政治の勉強をしたりしてもあんまり意味がやっぱり分かんないんですよ。それで、例えば政治家がテレビに出てきたって、政治家はやっぱりテレビを利用してるだけだしー。それで何かー、結局は政治にちゃんと反発できる機関ていうのが、ホントはテレビや新聞がそうでなきゃいけないんですけど、何かちゃんとそこまで視聴者のことを考えてやってるのかなと。だから、うーん。でもー、やっぱありのまま、直接見てみるっていうのがやっぱり必要。それによって私自身も興味を持つことができたしー。政治っていうのは自動的に動いているんじゃないんだよーっていうことを皆が知るとやっぱ興味が沸くんじゃないかなーと思います。

(Cさん・「ケイゾク」・22歳・女性)

 

*:若者の政治意識の低下については、親の影響っていうのがそこにあると?

E:まー、それは自分の親なんですよ。正に。うちの姉なんかも投票権もってるんですけど、行こうっていう気は全くないですねー、うちの親が行こうっていう気が無い人間なんで。

    ただ、若者の政治意識が低下しているっていう状況自体にはある程度妥当性があると?

E:そうですねー。何か分からないんですよ、政治っていうのが、政治家っていうのが、うーん、だから自分が議員インターンをやって一番得れることができたっていうのは、やっぱり一人二人の政治家と接することで価値基準ができたことば一番大きいのかなって。例えば、インターン先の議員はこういうことをやっているけど、ほかの議員はやってないなとか、逆にこういうことをやってるなとか。それが身に着いたのはホント大きいと思いますねー。

(E君・「ケイゾク」・21歳・男性)

 

 マス・メディアや学校/家庭教育、そうしたものが「若者の政治的無関心」を生み出した根源であるとする、そして彼らはそれに対して批判的な眼差しを注いでいる。実際に、「.jp」「13期」の標語は、「政治家はテレビの中の住人ですか?」というものであった。彼らは政治家を直接見ることが政治的に関心を持つことに直結すると考えている。

 続けて何人かのインフォーマントに、「政治的に関心」が持たれているとは一体どのような状態なのか。また、具体的に自分が感じる「政治的に関心」が持たれている状況が実現されている国や時代などがあるかを聞いてみた。

 

*:政治的な無関心ではない状況が実現されている時代だったりとか国だったりっていうのはあったと思いますか?あるんだったら教えて下さい?

F:完全には無いんじゃないですか。

*:自分の中で理想とする状況、国だったりとかは?

F:まぁーアメリカかな

(F君・「ケイゾク」・22歳・男性)

 

D:やっぱもっとカッコイイ政治の姿っていうのがあると思うんですね。アメリカとか海外の方が、絶対に関心があるはずだし、一般民衆が集まって、大統領の演説聞いたりしてるじゃないですか。それは、日本の「純ちゃんフィーバー」とは違うと思うんですね。アメリカの場合は政策を元にして考えてますから。

(D君・「新スタ」・21歳・男性)

 

 あえて、ここで詳しく述べることは避けたいが、アメリカにおいても「政治的無関心層」は増大している。特に、市民による政治の諸制度や政策への関心の喪失という点においては、レーガン大統領の時期から決定的に変化し、政治に対する大衆がもつニヒリズムの感情は、すでに全米に蔓延していると言われている。また、選挙投票率に関しても、近年低下傾向にある。[8]しかしながら、やはり日本のニュースで放映されている海外の「政治状況」はと言えば、アメリカ、特に大統領の演説や選挙模様などである。そうした一部の断片的な映像が、日本の政治家を巡る言説を生み出している装置と同様に、「政治的関心が持たれたアメリカ像」が生み出される要因として機能しているのである。

 こうした「若者の政治的無関心と呼ばれる状況に対してどのように思うのか」という問いに対して、「否定的な考えを持ち、その原因を『メディア』や『教育』に求める」といった意見以外に、少し違った意見も聞かれた。

 

H:ただ何か、マスコミを含めてそうなんですけどー、どうしてもそこまで(政治が自分の身近な問題として)見えないですよね。若い人たちっていうのは。例えば、就職もそうだしー、遊びもそうなんですが、例えば自分が就職したいところに就職できた。で、そうやって皆ホッとするー、自分が入りたい学校に入れてよかったって思ったり、まー、自分にたくさん友達がいてよかったと思ったりーって全部多分みんなそこで終わるんですよね。だからそのー、可愛い洋服が見つかって嬉しいとか、だから、その洋服がー、その洋服の値段がー、何だろう。景気に左右されたりとかー、そういったことがあったりしてもー、あんまりそこを気にしないのかなーって。だから多分、刹那主義っていうか、その。そんな人が今多いと思うんですよ。だから、多分からっぽな人が多くてー、閉塞感もいっぱいあって。だから、今、社会全体がこう何か、あまり良くない…で、そうして政治家がテレビとかで大きなことを言っているとムカツク。ってそういうので順繰りがずーとあると思うんです。

*:からっぽっていうのはどういうことですか?

H:からっぽっていうのは多分、ほとんどの大学生に言えることだと思うんですがー、私の大学なんかを見ていてもー、皆その、例えばじゃー、受験して入ってきたとしても、それがゴールで、それから先にしたいことっていうのがあまり皆持ってなくて。夢は皆あっても、それに対して動き出す、っていうことをしてる人は少ないと思うんですよ。

 

 「若者」は皆、自分の将来、自分の周り、流行が主な興味の対象であるから、「政治的無関心」はやむを得ない結果であると彼女は述べている。そうした現状は「良いこと」なのか「悪いこと」なのか、あえて聞いてみた。

 

*:(政治的無関心な状況)って良いことだと思います?悪いことだと思います?

H:悪いことだと思います。悪いことだと思いますが、自分も政治に興味があると言っても、もの凄く中途半端な興味なので、言えないですけど…

(Hさん・「新スタ」・20歳・女性)

 

 「政治に関心を持つ」ということに対して、「.jp」内部でも若干の温度差があった。そうした現状を問題視し、それを打破していこうと活動している者。また、一方で、そうした現状を問題視しながらも、何処かで不安定さを抱えている者。どちらにせよ、彼らは「政治的に関心」を持った「若者」という眼差しが浴びながら、日々の活動を続けていることには違いない。

 

 「支持政党/不支持政党」

 「支持する政党/支持しない政党」という質問項目はそれだけで、その団体のイデオロギーを判断する材料として機能してきた。しかしながら、「.jp」にはそうした要素は存在しない。彼らには、積極的に支持する党というものは全く持たれていないのである。即ち、彼らの「政治意識」を代弁する党というものは存在しないということでもある。

 インフォーマント11人中8人が民主党を支持し、残り3人は「支持政党なし」という回答をだけを見てみると一見、民主党支持団体であるかのように思われる。しかしながら、彼らは積極的な「民主党支持者」であると言えるのであろうか。必ずしもそうではないということがインタビュー調査の中でうかがえる。

 

    好きな政党は民主党?

I:まーまー書いとなかないと。っていう感じなだけ、でもないですけど。まー、どっちかというとアンチ自民党というか。民主党全てがOKとかそういうのじゃないですけど。

(I君・「ケイゾク」・21歳・男性)

 

 前述したとおり、民主党は「.jp」にとって最大の「お客様」なのである。そうしたことを意識して代表のI君はこのように答えた。しかしながら、彼の「理念」の中には強い民主党支持というものは存在しないようである。

 また、他のスタッフは民主党支持の理由としてこのように答えている。

 

    支持する政党が民主党っていうことなんですけど、それは何か思いが背景に?

J:思いっていうよりかー、あの自民党の政権が今の日本の社会の中で、一挙党体制でずっと、まー今は実質自民党と公明党とくっついてるんですけどー、まー実質自民党でずっと動いてきたじゃないですか、日本が。今自民党が、政権を握っていることで、多々日本の社会が前進して来ない部分があるから、と思ってるので。まーそこは、民主党がどんどん力を付けていけば、自民党に変わって、日本の政権を担っていく上でも、もっと良くなるんじゃないか、という思いがあるので。特にそこまで思い入れはないんですけども。あの政権交代をして、お互い切磋琢磨して欲しいっていう意味合いを込めて民主党に。

    自民党に対するアンチとして。

J:そうですねー。ただ特に自民党、民主党っていう政党支持はないんですけどー。とにかく、二大政党にどんどん今移っていっているとは思うんですけどー、その中でやっぱり、お互いの党が自分の国を良くするためにはどうすれば良いかってことを一生懸命考えて、競り合っていけば、より良いものになっていくんじゃないかな、っていうことを考えて今は民主党ですね。そういった意味で。はい。

(J君・「新スタ」・22歳・男性)

 

*:この民主党支持っていうのは?

F:民主党っていうのも、別に民主党の政策とかが好きなわけじゃなくてー、僕自身の政治意識として二大政党制の方がいいだろうと…それまでは(二大政党制が実現するまでは)、民主党を応援しようっていうくらいの感じ。

(F君・「ケイゾク」・22歳・男性)

 

 「序章」において70年代後半から、既に「支持政党無し」という選択肢が「若者」の間で大きな割合を占めるようになったことを紹介した。そして、その後ポピュリズム的な政治傾向が都市部を中心に蔓延していったこと、そうした人々の受け皿として民主党というが政党が機能したことは、よく言われることである。また、「二大政党制」を進んだ民主主義の形であるとし、その方向性へと推し進める動きも90年代以降急激に進んだ。こうした、社会的背景は彼らのコメントに直接的に反映されている。

 

 「嫌いな政党」という質問はあまり耳にしないかもしれないが、彼らから「支持政党」を聞いていくうちに、「支持する政党」よりも「支持しない政党」の方が明確なものがあるように感じられた。そこで、「支持しない政党」という項目を付け加えた。

 

*:支持しないっていうのが、公明党だっていう理由は?

K:えっと、政教分離。っていうか、友人にちょっと熱狂的な人がいましてー、二十歳になったとたん凄い電話が掛かってきたりとか、そういうのあるじゃないですか。そういうのを見てると、やっぱちょっと違うな。何か、私が知っている政治とは違うな、私が経験してきた議員インターンシップとか、そういうのと違うものを(政治に)持ち込んでるなっていう感覚が、その友人を見ていて感じてしまってー。うん、ちょっと支持したくない。支持したくないっていうか、政治と違うものじゃないかなって思いました。

(Kさん・「新スタ」・20歳・女性)

 

J:嫌いな政党は公明党ですね。

*:理由は?

J:理由は、結構僕の友達でも、公明党の党員の友達がいるんですけど、多分選挙の直前になってくると、中川さん(筆者)も分かると思うんですけど、勧誘の電話が凄い掛かってくると思うんですけど。それで僕も結構掛かってきて、最初は出てたんですけども、段々段々毎回同じことしか言わないんですよね。彼らは。特にー、主義とか信念とかあって、言ってるんではなく「誰々に入れてよ、お願いします」みたいな感じしか言ってこないんでー。で、あとちょっと、公明党の内部とかにもちょっと興味があったんで、勉強してたんですけどー、やっぱり政教分離の問題が一番引っかかってくるんですよね。なんで、その点を考えるとやっぱり公明党っていうのは支持ができないんですよねー。あと、創価学会の関係ですよね。その点がやっぱ自分の中であんま全然納得いってないんでー、公明党に関しては支持はしない。

J君・「新スタ」・22歳・男性)

 

 彼らの主張は見事に一貫している。公明党独自の勧誘方法と、政教分離の問題である。「第1節」で簡単に述べたように、実際、「.jp」に加盟している公明党議員というものは一人も存在しない。また、インフォーマントから直接語られることはなかったが、共産党などの「革新」政党も時にはその対象となる。「.jp」「第13期インターンシップ」「参加学生」へのアンケート調査によると、公明党を支持しないと言っている人が全体の31%、共産党に関しては、34%もの人が不支持を表明している。

 これまで、公明党と共産党を「.jp」所属議員に入れていない理由としてG君はこのように語った。

 

*:ちょっと最後に聞きたいのが、「.jp」は民主党と無所属と自民党をやってて、共産党系とか、公明党ですとか、社民は若干いるみたいですけど、その辺に営業はかけないんですか?

G:実際は、うーん。まず、民主が多いっていう理由からいきます。それっていうのは、まず、民主の政治家がまず、若手、中心ですよね。で、若者に対して門戸を開いている人が多いし、逆に自民は、古株が多いですから、若者に対してそういう門戸を開いてません。だから、営業をかけても断られるケースが多くて、そういうことから、民主が多いです。で、社民に関しては、むこうから打診があった場合には確か、受け入れている。で、公明は…

*:ただこっちからはあまり営業はかけない?社民に関しては?

G:えーと、あまりそうですね。というのは、営業かける場合にも、「あの人の紹介」、「あの人の紹介」ってやった方がいいじゃないですか、いきなり飛び込みでやるより…まー飛込みでやる場合もあるんですが、ただやっぱ相当行きづらいですしー、で、公明を受け入れるとアレルギーを持つ人間が多く出てくると思うのでー、で、一応、ま、受け入れてませんとは言ってないんですけど、実際は、受け入れていないんですよ。

*:共産に関しては?

G:共産も同じですね。

*:公明党と同じ?

G:はい。社民ならまーまー、いいかなと。

*:それは理事側の方針として?そう…?

G:うーん。まーそうですねー、それにまー「.jp」のことを理解してくれてる議員がいるじゃないですかー、その辺もまー言ってくるんじゃないですか?ちょっと分からないですけどその辺は。

 

公明党、共産党は共に、青年部を保有し独自の組織で運営を行っているため、若手議員を中心とする民主党や無所属ほど、彼らの手を借りる必要はないのかもしれない。しかしながら、そうした問題とは別に「.jp」は暗黙のうちに公明党や「革新系」組織を忌避することによって、〈健全な〉組織、〈普通〉の市民としてのアイデンティティを保っている。

 

 「小泉政権によるイラク自衛隊派遣」

 60年代末から70年代初頭においてはベトナム運動に対してどのような立場を取るのかというのが国民世論にとって大きな争点であった。そうした文脈で言うならば、21世紀に入った現在では「イラク戦争」がその大きな争点となるはずである。こうした問題に対して、政策決定を行う「政治家」との接点を持ちながら活動を続けている「.jp」のスタッフたちはどのように考えるのか、それを「イラク自衛隊派遣についてどう思うか」、「賛成・反対・分からない」の三択で聞き、理由をインタビュー形式で聞いてみた。

 また、こうした問題を聞いた理由にはもう一点ある。それは、これが2004年現在において大きな政治的な争点となっているからである。日々、マス・メディアにおいて「イラク戦争」関連のニュースが流れ、自衛隊の問題、そしてそれに伴う憲法九条の問題が重大な問題として取り上げられている。そうした時事的な問題に対してどのようなポジションを彼らが取っているのか、そうした点を考察していくことがもう一つの目的である。

 結論から先に述べると、この問題に関しては、「賛成」、「反対」、「どちらとも言えない」の三つに分かれた。そのためここでは、回答に素直に従って三つに分けて紹介していく。尚、「.jp」スタッフに対して行ったインタビューでは、「賛成」3名、「反対」も同じく3名、「どちらとも言えない」5名であった。また、「.jp」参加学生79名を対象に実施したアンケート調査では、「賛成」17名(22%)、「反対」26名(33%)、「どちらとも言えない」35名(44%)、無回答1名(1%)と結果はほぼ同じくしている。

 

 【賛成】

*:でも何で、小泉イラク自衛隊派遣については「賛成」なのか?その辺りをお聞きしたいのですが。

H:それはその「賛成」か「どちらとも言えない」か、迷ったんですがー、私は日本がイラク自衛隊派遣をすることは全然問題がないと思っていてー。それはそのーさっきも言ったように、そのもう戦後50年以上経っていてー、日本が独自の軍力を持たないと、これから先多分アメリカに頼るだけでは、やっていけないなと思うし、あのー、だから私も自衛隊という位置づけが曖昧だからー、今回のような議論が起こるわけでー、憲法は改正するべきだと思うんですよ。自衛隊のところは、何でかっていうとそのやっぱりもっと日本が国際社会っていうか、イラクの問題も大きな問題じゃないですか?まー、アメリカが大きくしたんですけど、だから、でもそういうのに日本が入っていかないと多分どんどんそのアメリカというか、属国に成り下がってしまう。経済的援助だけだと。だからその日本がこう例えば、こういうイラク問題の時に何かアメリカに協力したっていうことで次は日本の要求をアメリカに聞いてもらうとかそういうこともできると思うし。何か傍観者になってはいけないなっていうのと。だからその逆に何故反対するのかが分からないんですよね。だって、家族だって自衛隊に入った時から危ないところに、軍隊に入ったんだから危なくなるのは家族だって承知のはずなんだから。それの、派遣するから反対っていうのはおかしいですよねだってそうじゃなきゃ、自衛隊じゃないし、じゃー日本で何やってるんだってことじゃないですか、割と。

*:余談ですけど、僕が思うに、反対する人がどういう人かっていうとこれを貫きたい人。徹底して。

H:そうですね。そうですね。ただー、私が思うに日本の国のことだけで考えると、私も人を殺したりとかそういうことは良くないと思うんですねー。ただそのー、自衛隊を派遣しないと。日本がその、これから先の日本がやっていけないなーって思うんですよ。やっぱり。で、戦争や独裁者をなくしたいっていうのは、それは凄いあるんですけどーイラクに派遣したことでー。うーん。……そうですね、矛盾しますよねー。

*:いや、矛盾してるわけじゃないと思うんですけどー、まー…

H:ただ、私はイラクのことについてはー、イラクだけではなく自衛権っていうか自分の独自の軍事力を持つということでは、賛成です。何か、ドイツも、第二次世界大戦後からかなり経っていて、でもドイツもちゃんと軍事力あるじゃないですか。だけど、それを責めないですよね。でも、日本は未だに引きずっているので、それが何でなんだろうっていう、日本人としてはそれが悲しいなっていうのでー。何か日本という国が認められてないみたいでー、何処からも、アメリカからも結局属国に思われてるし、韓国とか中国とか北朝鮮からは憎まれてるし、可愛そうだなって。何か、戦争で死んだ人たちとかは、別にそういう状況を知らないで戦争で死んだから…        

(Hさん・「新スタ」・21歳・女性)

 

 彼女の語りを要約するとこのようになる。即ち「東アジア諸国に恨まれ、アメリカの属国と化した日本の状況を憂い、日本が国際社会から認められるためには、イラクに自衛隊派遣をすべきであり、憲法九条も改正すべきである」ということである。

こうした近年の「保守思想」から強く影響を受けた論理を展開するHさんがいる一方で、「現実的な判断」としてイラク自衛隊派遣を支持する者もいる。

 

*:小泉政権の自衛隊派遣については賛成。それはどういう理由で賛成なんですか?

F:まー今現在の時点では、「賛成」以外に選択肢がないから。あの、派遣以外には選択肢がないから。

*:現実的なことを考えて?

F:もともと僕は国Tの時は、防衛庁だとか、警察庁志望だったんですよ。公務員志望だと言っても。国防とか安全保障関係にすごい興味があってー。だからそのところは結構信念みたいなものがあって。「ハマコー」寄りですかね。どっちかと言うと。

(F君・「ケイゾク」・22歳・男性)

 

 F君は、インタビューの間に自らを「右翼」であると自称していた。そして、イラク自衛隊派遣賛成の理由としては、「『賛成』以外に選択肢がない」からであるという。現実的な問題を考えると「賛成せざるを得ない」という論理展開は、「どちらとも言えない」という回答を述べた人々にも共通する。

 

【どちらとも言えない】

*:えーと小泉自衛隊派遣に関しては今の時点ではどちらとも言えない?

G:どちらとも言えないですね。というのは、国として生き残ることを考えるとあそこで拒否することはできなかったと思うんですけど。えーと、何ていうか、人間的なというか、そういう発言をすると、やっぱり簡単に言うと、死ぬのは良くないなっていうのはありますし。あとは、サミエル・ハンチントンじゃないですけど、えーと、よく言われる「文明の衝突」ですか。えー、それで避けられない、避けられなくはないんですけど、そうですね。やむを得なかったっていうのはあると思います。日本もやっぱりそのアメリカを追従する形で生き残りをかけてますから。やっぱりあーゆー宗教とか思想の面で対立している人たちがぶつかるのはやむを得ないと思うんですね。えー。それだから、日本の立場からやっぱり行かざるを得なかったんじゃないかなって…

*:ただ心のどこかでは、戦争が良くないっていう思いは…?

G:そうですね。それは、皆と同じでイヤですからね。死ぬのはイヤですから。えー、そうですね。だからどちらとも言えないということですね。

(G君・「新スタ・21歳・男性」)

 

 身近な問題に引き付けて考えると、「死ぬのはイヤ」だけれども、「現実的な問題」を考えると、日本はアメリカ抜きでは生きていけないという。

 「どちらとも言えない」と答えた人の中には、彼のように、はっきりとこのように答えたものばかりではなかった。むしろ、「名言を避けたい」と、口を噤む者も多かった。

 

*:やっぱり、イラク自衛隊派遣、憲法改正問題についても言及は避けたい?

B:イラクの自衛他はあのタイミングで派遣するのは、あんま良くないとは思うんですけどー、じゃーかといってどうしたらいいの。と聞かれた時に自分は代替案が思いつかないから、何か、無責任に反対とは言えないというか。

(Bさん・「ケイゾク」・21歳・女性)

 

Bさんは、NPOに興味があり、「議員インターンシップ」を経験せずに直接スタッフになったという珍しい経緯で「.jp」に参加している。彼女は、インタビューの際、一貫して政治的な質問に対しては、明言を避けたいという意向を示していた。しかしながら、彼女の「無責任に反対とは言えない」という言葉は、他のスタッフにも共通する感覚を代弁しているように思えた。

 

【反対】

こうしたように「イラクに足を運び、直接戦争で死ぬことは避けたいが、アメリカとの関係という現実的な問題を考えると『無責任には反対とは言えない』というのが、「賛成」、「どちらとも言えない」論者の共通する意見である。そうした点を踏まえると、逆に「反対」論者はどのように考えるのかが興味深い。

 Cさんは、小泉政権が自衛隊を派遣した際の動機が「パフォーマンス」だったとして反対している。

 

*:イラク自衛隊は反対?

C:反対ですね。何かお金だけ送るのではいけないという理由で、派遣したと思うんですけどー、でも何かやっぱり、状況とかを認識してない上でー何か丸投げっていうかパフォーマンスみたいなのは良くないのかなって…パフォーマンス的な政治は…

(Cさん・「ケイゾク」22歳・女性)

 

 2001年に発足した小泉政権は、メディアを巧みに利用した「パフォーマンス政治」とされ、時には批判の対象とされてきた。そうした小泉政権の方法に対して、Cさんも同様に、批判の眼差しを浴びせている。しかしながら、イラクに自衛隊を派遣するべきか否かについての語りを聞くことをできなかった。

 こうした、事後対応に対する批判は、もう一人の反対派である代表のI君からも聞くことができた。

 

*:小泉政権イラク自衛隊派遣については、反対?

I:まーこれも難しいんですけどねー、そのー、派遣すること自体について答えはないと思うんですけど、その派遣した後の対応があまりよくないんじゃないかなっていうのが、まーそれはブッシュ追随政権って言われるような感じの動きばっかりしてる認識があるのでー。

    そうですねー、もう少し詳しく教えてもらえますか?

I:最初先ず、行くか行かないかでー、ずっと思ってたのは反対だったんですよ。で結局行っちゃったじゃないですか。で、行っちゃった後はもう反対とか言ってもしょうがないんでー、じゃ、ちゃんと説明した方がいいとかー、説明責任果たした方がいいとかー、ちゃんとした行動を考えた方がいいっていうか、その事後対応をしっかり考えた方がいいんじゃないかと思ってたんですけど、その辺が全然しっかりせずに今まで来ているんで、じゃ最終的にはこれは良くなかったんじゃないかなと思って、しまったり。

(I君・「ケイゾク」・21歳・男性)

 

 反対派の両人共、「イラク自衛隊派遣」の問題から、「イラク戦争そのもの」への反対へは繋がらなかった。「イラク戦争」に関する賛否はさて置き、自衛隊派遣後の対応や、政権運営の方法に対して反対するということである。

 「反対派」のみならず、「賛成」、「どちらとも言えない」派、全てに共通することであったが、それぞれの意見は、とても「慎重」で「現実的な」回答であった。新聞やテレビからの情報を上手く掬い上げ、支配的な言説に則った語りを述べることに関してはとても優れている。彼らに共通する意見はそうした「アメリカ追従政権」であったり、「パフォーマンス政治」などと言われるマス・メディアによって生み出される言説に対してのみに対応することに留まっている。「イラク戦争」に「自衛隊」を派遣することそのものへの言及は概して少なかった。

 

 「学生運動について」

 「学生運動があった時代」から20年以上経った現在、「学生」であり、「政治的なもの」に関わっている当事者として、彼らは「学生運動」に対してどのようなイメージを持っているのか。また、歴史的な問題に対してどのように考えているのか。この二点を知るため、「学生運動に対してどのようなイメージをもっているか」という質問をぶつけてみた。

 

*:学生運動に対しては、どのようなイメージを持ってます?

A:「左翼」っていうようなイメージを持ちますねー。ん、まー…

    :「左翼」?もうちょっと具体的には?

A:具体的に?まぁ、理由としては、ちょっと変わった学生が多く参加していたからだと思うんですが。

(A君・「ケイゾク」・21歳・男性)

 

*:で、学生運動に対するイメージは「共産主義がくっついてるイメージはどうしても拭えない」っていうことですが?

J:そうですねー。

*:やっぱりあまり良いイメージは…?

J:そうですねー。ちょっとあんまりー、学生運動に関してはあんまり良いイメージはないですよねー。やっぱり、うーん。最終的に…うーん。やっぱり何か、ちょっと詳しくはないですけどー、ただ昔の学生運動っていうのは、共産主義とくっついてー、色々警察や公安とやり合っていたイメージが映像で、メディアで流れてくるじゃないですかー。やっぱあれから出てきますね。あと、よく知らないっていうのがありますね。学生運動に関して。なので、イメージ先行になってしまうのはどうしてもしょうがなにかなっていう。実際学生運動は何かって詳しく言えって言われたら僕、言えないですからー。はい。

*:ありがとうございます。

J:はい。

(J君・「新スタ」・22歳・男性)

 

「『学生運動』は『左翼』・『共産主義』であるから、偏った人々によるもので、良いイメージは持っていない。」と語るスタッフは多かった。参加学生79名に対しておこなったアンケート調査でも、「マイナス・イメージ」を持っている学生がほとんどである。また、単に悪いイメージだけではなく、「古い」といったものや「過去の歴史」と語る人も同様に多くいた。

 しかしながら、どうやら彼らの中には単に「古い」だとか「悪いイメージ」だけが残されているわけではないようである。彼らの中には、「学生運動」に対する「憧れ」といったものも混在しているように感じられる語りがあった。

 

*:じゃ、学生運動に対しては、まーイメージは「若い」と。

F:うーん、若気の至りみたいな。学生運動っていうのは、まー間違ってたとは思うんですよ。やっぱりその、自分の政治、思想とかを証明する手段として学生運動というのは間違っている。要は、ゲバ棒持って、大学紛争をやっているようなのは間違っているじゃないですか。ただー、それはやっぱその時には、自分たちが何とかすれば何とかなるっていうか。自分たちが、ストライキでも何でもやれば、大学が解体されるとか、時の内閣が崩れるとか、分かんないけどー、自分たちが何かやれば何か変わると思ってた、それは若いし、それは良いことだとは思います

(F君・「ケイゾク」・22歳・男性)

 

 F君は、「学生運動」を「若い」としながらも、最後には「良いこと」という言葉で

会話を終わらせた。また、F君以上にはっきりと、「学生運動」を肯定した女性スタッフもいた。

 

*:学生運動に対しては、肯定的な見方をしているようなんですけれども。

H:そうですね。何か、そういう活動…例えば私今学生運動があったら多分、絶対入ってるんですけどー、何かその凄い活発的っていうか、皆何か熱いじゃないですか。国に対して。何かその学生運動をやる動機がー、例えば目立ちたいからだとかーそういうことであってもー。何か今の学生たちよりかは全然いいと思いませんかー?何かこう、そういう運動があってそれが大きくなると政治家もビビるじゃないですかー。で、監視されているような気分になるというか、国民も政治家を監視しなければいけないし。だから、多分そこですよね。多分、だからこそ、若い人たちが政治に興味を持って関心を持っていかないとダメだと思うんですけどー。何か、そういう運動がある日本の方が活発で、皆こう、頑張って生きてたんじゃないかなと思うんですよね…そうですよね、政治って大きいですよね。やっぱり。

(Hさん・「新スタ」・20歳・女性)

 

 「若い人たちが政治に興味を持って関心を持っていかないとダメだと思うんです」。これは、「.jp」の理念の一つでもある。そういった意味で、彼女自身が参加している「議員インターンシップ」の運営という活動は、彼女にとって「学生運動」に通ずる部分があるようである。

 「政治」、「学生」というキーワードで述べるならば、この二つの活動に共通点があるかもしれない。そして、そう思いながら活動している者もいるかもしれない。しかしながらこれまで述べてきたように、その方法、理念、運営どれを取ってもやはり、別の「政治活動」であることは明白である。具体的に何処がどう違うのか、スタッフの一人であるCさんかこのように語った。

 

*:「学生運動」と「議員インターン」はまったく違うものだと思います?昔のイメージ?

C:学生運動っていうのは、その自分が学生運動を起こすことによって直接日本を変えてやろうっていうのがあると思うんですけどー、私たちが今やっているのは、凄く間接的なものだと思うんですよー。ただ興味を持ってもらったりだとかそういうことに重点を置いてるのでー、なので、昔ほど熱くないというか。まー情報を提供した上で興味を持ったら参加してくださいみたいなそういうスタンスでいると思うんでー、だから昔よりやり方は利口なんじゃないかなーって思ってます(笑)

(Cさん・「ケイゾク」・22歳・女性)

 

 「学生運動」、「議員インターンシップ」の違いとして彼女は、「学生運動」は直接的な改革、「議員インターンシップ」は間接的な改革であると述べている。そして、「内ゲバ」など過激化した「学生運動」とは違い、場を提供する運動としての「議員インターンシップ」の方が、「現実的」で「利口」な選択肢であるとしている。

 当然のことながら、「学生運動」は「政治“界”」の内部から「改革」していくような、言わば「構造改革」には何も希望は持ち合わせていなかった。「政治“界”」を覗き、対象に対する認識を転換させること、また、業界内部を変えていくといった「改革」、そうしたものと「学生運動」の「革命」は明らかに違うものである。

「学生運動」に対するイメージを「過激」で「野蛮」であるという言説に依拠しながらも、ある種の「憧れ」を抱きながら「政治家」に「インターン」を派遣する業務を運営している彼らの姿の中に「政治的〈再関心〉」の姿そのものが映し出されている。

 

 「世の中を変えたい?/変えたくない?」

 「.jp」スタッフへのインタビュー調査の際、良く聞かれる言葉の中に「危機意識」や「危機感」というものがあった。G君はインタビューの中で「学生が政治に関心がないとかそういうのは全て、その危機感がないから、ってことだと思うんです。」と述べている。

「序章」において、70年代後半の低成長時代に突入してから「若者の保守化」が顕在化し、学生時代の過ごし方が「レジャーや遊び中心」に変わっていったことが指摘されていたことは既に述べた。

G君による語りの中の、「.jp」のスタッフにとって、「危機意識」の無い「保守化」された同年代の学生の存在が「政治的無関心」という言説を生み出している根幹にあり、それを変えていくことが「.jp」の役割であるとする発言は、彼らとのインタビューの中で随所に見られたことである。

そこで、筆者は「世の中を変えたいという思いはあるか」という直接的な質問を彼らにぶつけてみることにした。インタビュー対象11人中、「どちらとも言えない」と述べた一人以外の十人は全て「はい」と答えている。

 「序章」及び「第1章」で述べてきたように、90年代に入るとそれまでの制度に対する見直しが様々な分野で行われるようになった。特に90年代末になると、「世紀末」とも相まって、「ベンチャー」や「NPO」をはじめ「新しい」物事が奨励される風潮が世間を覆った。彼らの「世の中を変えたい」という思いは、「若者特有」のものであると同時に、そうした時代的な流れにも後押しされることで、顕在化するようになる。しかしながら、こうした風潮は、明らかに、「ふぬけ」や「無気力」、また「現状維持」を肯定していると言われた80年代の「若者」に対する表象からは大きく変化したことが伺える。

 

A君「将来に希望を持てない子供に対して、教育を通じて、希望を持ち、主体的に生きるようになってほしい。」

Bさん「夢や目標をもつことを大切にする教育にしたい。」

Cさん「他人を思いやることのできる世の中に変えたい。」

D君「自由で公正で皆が満足する社会を作ること。」

E君「自分の周りの人間、家族だったり、友達だったりそういう人は良くしたい。」

F君「社会・経済の仕組みを変えたい。」

G君「様々な分野にある規制を打破したい。機会の不平等(教育等)を改善したい。」

Hさん「戦争独裁者をなくしたい。」

I君「危機感がない、平和ボケしてる、冷めた人が多い。世の中を変えたいと思う人が少ない世の中、行動に移す人を増やしたい。」

Jさん「若者の投票率を上げたい、子どもを生み育てやすい社会をつくりたい。」

 

 彼らが、どのように社会を変革したいのか。以上の、語りからでは漠然としていてイメージが沸かないかもしれない。しかしながら、彼らの語りには共通する点がある。それは、70年代後半以降に顕在化していった、様々な制度疲労に対する根強い批判である。教育の問題は、80年代になると「いじめ」や「不登校」、「校内暴力」といった形で社会問題になる。「他人への思いやり」であったり、「周りの人間」への優しさが、失われていると言われるのも70年代から。そして、「危機感」がなく「平和ボケ」していて「冷めた人」が発見されるのが70年代後半から。また、「投票率の低下」、「若者の政治的無関心」が騒がれだすのも、「序章」で述べてきたとおり68年時点ですでにその胚芽は育まれていたものの70年代後半から本格化していく。

 改めて述べるが、彼らはそうした社会問題が浮上してから生まれた世代である。「政治的〈再関心〉」とはまさに、70年代後半以降に浮上した様々な社会問題と共に生きてきた「若者」による、ささやかで「現実的な」抵抗運動なのである。

 

 

 

 

 

 

 3―小括

 

 これまで述べてきたとおり、彼らの「政治的〈再関心〉」とは「革命」でもなければ、「転覆」でもない、純粋な「政治的〈再関心〉」なのである。そうした彼らの特徴とは一体どのようなものなのか、改めて整理してみる。

 全共闘運動から、10年あまり経った1970年代末に「政治的無関心」という言説が生まれた。そして、その言葉は、80年代を通り過ぎ、90年代の「改革」の時期に「議員インターンシップ」という形態によって〈再注目〉され、「若者」を取り込んでいった。

そうした、「議員インターンシップ」は、90年代に誕生/一般化する「NPO」やIT技術を活用し、運営の理念は、「地方分権」や「ベンチャー」といった時代の流行に影響を受けながら20世紀の末に相次いで成立していった。そこには、90年代の「失われた10年」といった時代的な閉塞感や世紀末に希望を膨らませる社会的な風潮が存在した。

実際の「議員インターン」の現場に足を踏み入れてみると、システム化された運営形態の下でスーツを身にまとい、丁寧な口調で司会進行を進める「学生スタッフ」、「休みの間に充実した時間を過ごしたい」という希望を持って参加する「参加学生」の存在があった。

そんな〈政治活動〉をする「学生」の「政治意識」を探るってみると、そこには二重の意味で「政治意識」が存在しないということが明らかになった。それは、彼らの内部に「右派的・左派的」といったイデオロギーが存在しないということではなく、団体が組織される際に、そうした「右」、「左」という枠組みによって組織が規定されていない。即ち、「右」であれ「左」であれ、スタッフになる条件として問われていないということである。しかしながら、「政治オタク」や「公明党」といった別の対象を忌避しながら、「〈普通〉の学生」として活動を展開しているのである。

また、あえて述べるとするならば彼ら自身の中にも「政治意識」が存在しない。60年代であれば、大きな論争の対象であったであろうイラク派兵の問題に対しても、参与観察中の飲み会や「イベント」の際に議題にあがることはなかった。「学生運動」に対するイメージも、「左翼」といった「貧困な」イメージしか持たれていなかった。彼らの持つ「政治意識」とは、単にメディア的言説や、歴史的言説からの援用でしかないのである。

 しかしながらそんな彼らの中にも、F君に代表されるように、純粋に世の中を変えたいと思い活動してきたとされる「学生運動」に対する憧れや未来に夢や希望を託しながら「世の中を変えたい」といったそれまでの「若者」に多く見られるような願望が存在する。

 社会の中で「若者」が「世の中を変えたい」という想いを持つことが普遍的なことであるのかどうかの議論は別の機会に譲るとしても、事実、戦後、あらゆる世代の「若者」がそのような想いで思春期を過ごしてきたことであろうと察する。しかしながら、その表現形態はその時代にある程度規定されるものであろう。参加している人数や、認知度からいっても「議員インターンシップ」が現代における〈政治活動〉の主流であるとは決して言うことはできないが、政治を生業とする人々の下で丁稚に励む彼らの活動は、現代における一つの「政治的〈再関心〉」の現れなのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



[1] 佐藤大吾インタビュー (http://www.walk-about.org/talent/interview/sato_daigo_0016) 2004622

 

[2] ドット・ジェイピー広報部編 2004 『THE REPORT OF dot-jp’s ACTIVITIES

 

[3] 「キャリナビ」 今村岳司インタビュー (http://www.carinavi.org/career/210/) 200498

 

[4] 「今村たけしXDL」 今村岳司ホームページ (http://www.xdl.jp 200498

 

[5] ここで言う「ボス」とは、「政治家」のことを指す。

 

[6]「ポスター貼り」:地元の後援者の家などに議員のポスターを貼る作業。

 

[7] 「ポスティング」:地元の家などのポストに一軒一軒ビラを入れていく作業。

 

[8] 林香里 2002年 『マスメディアの周辺、ジャーナリズムの核心』 新曜社