Mars 23, 2006
何度も立ち上がれない。
一度痛みを覚えてしまうと、また転んでしまうことを恐れてうまく歩くことも出来ない。傷をかばうように、そして面白みのない安全な道だけを選んでしまうようになる。何度も転んで、何度でも立ち上がるのは口で言うほど容易くはない。
.....比喩でもなんでもなくて、今週の明け方の転倒のことなんだけど。よく平等な結果じゃなくて、機会の均等が重視されるときにスローガンとかになる「何度でも立ち上がれる社会」。だけど、一度傷をおってしまった人は、再び痛みを味わうことにおびえてどこか臆病になったりしてしまう。うまく、走れず、這い上がれず、電車に乗り遅れる負け組みになってしまったりするんだ(これも比喩でもなんでもなく、朝の出来事)。
こうやって格差が固定され(毎朝電車を一本見逃し)てゆくまえに、アファマティヴアクションの一つでも欲しいなあ。だけど、もうすぐ春で雪は溶け出して、傷は遠くない未来に癒えて、転んだことも忘れてしまうのかな。
投稿者 POE : Mars 23, 2006 03:03 EM
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コメント
じゃあ6月までに送れたらおくります
送れなかったら日本でお渡しします
傷と長年共生してしまうと
無傷で生きてた頃の自分が思い出せなくなります
時間は素敵な魔法だと思ってたのですが
どうも治癒能力は無いのかもしれません
あした引っ越すのですが
赤いシャンデリアがほしいんですけど
どうもやまがたには売ってないみたいです
投稿者 ぶんたですこんばんは : Mars 25, 2006 11:16 FM
お引越しですか!
住所も変わってしまうんでしょうか。
赤いシャンデリア、
ここでも見かけたことがありません。
傷のある状態が当たり前になったとして、
その傷を、果たして傷と呼ぶべきかどうか。
うまく瘡蓋にならずに、膿んだままの傷にならないことを
今はただ祈っています。(比喩ではなく)
絵、楽しみにしています!
投稿者 poe : Mars 26, 2006 12:38 FM