2008年6月アーカイブ

イギリスでは久々にまとまった時間が取れたので結構本を読む時間があった。以下はその本達。London University近くの本屋が魅力的でイギリスでも本を買い込んでしまった。

日本の犯罪と権力についての芹沢一也さんの著書。日本の犯罪史と権力の関係を巡るフーコー的議論が魅力的。

日本の犯罪統計の変化と思想的背景、警察の権力について概説されている。おもしろい。凶悪犯罪に該当する犯罪の範囲を増やせば、グラフが右肩上がりになって犯罪が増加しているように誤解してしまうのは当然だ。警察統計の杜撰さの問題は権力の問題と直結しているだけに由々しき問題であるように思う。

複数の小説批評の理論的方法を、小説『フランケンシュタイン』を例題としつつ料理している。徹底して「批評の方法」を追求する英文学者の筆者の姿勢が好印象。批評や人文系では方法論を巡る議論は賛否が別れるところだが、新規参入や分野の存続のためにも方法論は不可欠だと思う。

おそらく日本社会学史学会のジャーナルだと思う。ジャーナルなのだが、一般に流通している珍しい形態を取っている。バウマン特集。バウマンの問題圏の概論が分かる。特にルーマンの翻訳でも有名な馬場靖雄先生のル−マンとバウマンをつなぐ論文が印象的。

マルクス主義の流れを汲む理論家ルカーチの著作。特に物象化論に焦点を充てるところがルカーチの特徴か。よく考えれば、マルクス主義は一種のネットワーク理論として読めないこともない。人間関係が存在し、人間は生産活動を行う。生産した商品は独自の商品間関係を形成する、と。

クリエイティブシティに関する最近の議論を、理論的視点と実践的視点からまとめてある。事例も豊富でいい。インターリアリティの土屋先生が執筆に参加していて驚いた。クリエイティブシティも研究されていたとは。

創造的都市の理論と特に関西の事例を集めている。本の見た目は地味だが、前半の理論編はなかなか興味深い。ただ、筆者が多く、話し言葉がまざるなど、決して「いい本」とは言い難い。

久々に小説も読んだ。結婚を前にした三人の女性の選択の物語。なかなかいい。


昨日、イギリスより帰国した。長かったような短かったような不思議な旅だった。

イギリスで一番感じたのは、個人が個人として自由に生きているということ。他人と違っても迷惑を掛けていない限り、放置されるし、こちらも気にしなくていい、というか。その意味では、日本がずいぶん息苦しい社会に感じた。あまりに、同質的であることが求められるように思う。個人が個人であるためには、ある程度個人のタフさが求められるのだけど、イギリスはジェントルマンの国。街で重いトランクに苦戦していれば、若いお兄ちゃんがすっと手助けしてくれるし、街の人もみな親切。

もう少し話をひっぱれば、なぜイギリスでは、人が幸せそうに見えるのだろうか? もちろん、本当にそんなわけはないのは分かっている。少子高齢化は進行し、産業は低成長、若年層の失業率も高い。だけど、昼間っから年寄りも、家族連れもビールをひっかけ、タクシーの運ちゃんも、ホテルのお姉ちゃんも、バーのバイトのお兄ちゃんも、そして研究者も、皆いきいきと仕事をし、生活している。びっくりするほどに。日本とあまりに違う風景にショックを受けた。

ところで、アメリカの研究者は、「サイエンス」に特化していて、ヨーロッパの研究者はもう少し総合的な知のような形で研究に取り組んでいる、と言ったら大げさか?

ネットワーク・サイエンスの潮流。既に、ネットワークの基本指標を分析し、スケールフリーだ、スモールワールドだ、でOKだった時代は、終わった模様。これから必要なのは、基本指標の意味付けとネットワークのダイナミクスの分析、バラバシの講演でも出てきた「weal tie」の分析、ネットワークの生成原理と外部性の研究といったところだろうか。世界の動向を直接体験できたのはよかった。

帰国しても、特に感慨は感じない。梅雨前線が活発化しているため、快適だったこの時期のイギリスと比べると、格段に蒸し暑くて、雨が降っている。成田のキオスクのおばちゃんに話しかけられた。下町の感じを残した粋のいいおばちゃんだ。NEXの出発まで時間があったので、雑談した。いわく、こんなご時世なのに、海外に行くような金持ち会社の営業の連中は、キオスクでも領収書を発行している。バブルの頃はキオスクの仕事もお金になったけど、最近では時給も安くなって、まじめにやるとバカをみるんだ云々。

善くも悪くもこれが日本。うるわしきかな我が祖国。

昨日は、バラバシの講演とオープン・ディスカッションを経て、NetSci'08は幕を閉じた。こちらの時間では土曜の早朝になる。昨晩はかなり飲んだ。このNorwichという街は不思議な町だ。一昨日のConference Dinnerでも話題になったけど、長い街の歴史があり、研究所あり、ちょっとしたショッピングモールもある。今回が初の渡英なので、あまり比較はできないけど、街の人もとても気さくでとても快適だ。一度、パンクな感じのお兄ちゃんたちに車から「F××k!!」的なことを叫ばれたけど物を投げてくるわけでなし、治安もとてもいい。こういうお兄ちゃんたちはベルリンなんかのほうがよっぽど怖かった。

そういえば、Conference Dinnerではアンドリュー・ワトソンが講演していた。意外。

こちらでのプログラムが終了した。最終日はネットワーク・サイエンスの未来を語るバラバシの講演もあり、大きな学会を閉めるのにふさわしい内容だった。会場では、こちらで特に親しくなったチリ人の博士課程の学生とイタリア人の先生、日本人の方とアドレスを交換した。観光などする時間はなく、あとは帰国の途に就くのみとなった。こちらで一泊して日本時間の午前九時に成田に着く予定。

ワーックショップが終了し、昨日から本格的に学会のプログラムが始まりだした。

こちらに来て思うことは、優秀な研究者は皆プレゼンテーションがうまい。もちろん、プレゼンテーションが上手いからといって優秀な研究者になれるわけではない。だが、プレゼンテーションも研究者としての最低限のスキルになっている。日本では、「中身があれば、外見は...」的な発想が未だに色濃く残っているが、こちらでは人に上手く伝えられない研究は研究として成立しないということのようだ。おそらく資金も獲得できないし、人も集められずプロジェクトとしても成立しないのだろう。

ネットワークのみならず、分野を越えて複雑系全般で多産な研究を行っていることで知られているM.ニューマンもちょっと変人なのだけど、プレゼンはうまい。どうも、変な人ほどプレゼンも凝る傾向があるような気もする。

ポスター発表もそう。日本の学会ではpptをぺたぺた貼っただけのものもよく見るけど、この規模の学会になると、皆、イラストレーターなどでしっかり作り込んできている。国やその他さまざまな前提を共有しないので、知的コミュニケーションの重要性について、皆、認知しているということだろうか。

英語の話。英語圏以外から来ている研究者の多くは、とても親切にこちらの話を聞いてくれる(もちろん英語圏出身の研究者でも親切に聞いてくれる人は大勢いる)。語学で苦労したことがあるからだろうか。彼らの特徴は、皆、発音が下手でも、よくしゃべることだ。

僕らは、ともすれば、頭が白くなって話すのを止めてしまうことがある。だが、しゃべるのを止めてしまえばコミュニケーションは終了してしまうからだろうか。皆、手を変え品を変え話し続けるのだ。これは是非、学びたい。

興味深かったのは、「イタリアからの飛行機で見掛けた」と言って話しかけてきたイタリア人の老齢の研究者。毎日顔をあわせているうちに、よく話すようになったのだけど、イタリア語と英語の文法がかなり異なるらしく、苦労しているそうだ。確かにイタリア人の英語は総じて聞き取り辛いのだけど、ずっとイタリア語と英語の文法は似ているものだと思っていた。英語圏外の出身者にとって語学は常について回る問題だ。

チリ出身で、スペインに留学している博士課程の彼も、スペイン語で苦労しているらしく、とても親切にしてくれる。経歴が面白くて、生物学出身で今は、スペインの経済の先生のもとに留学して、通信網について、複雑ネットワークの観点からアプローチしている。面白いのは、マトゥラーナとバレラのオートポイエーシスに関心があるらしく、ルーマンも知っていた。マトゥラーナもバレラも地元チリではかなりマイナーらしく、ルーマンやオートポイエーシスに関心がある旨を伝えると喜んでいた。

そういえば、彼は僕の首のウェットスーツ焼けを見て、話しかけてきた。サーフィンをやるらしい。チリは水が冷たいものの、かなり良質な波があることで知られている。スペインはなかなか波がないらしく、地元が恋しいらしい。早く博士号を取って帰国したいと言っていた。こんな感じで、研究以外にも何か共通項があると、コミュニケーションが一気に進む。

先日、移動の合間に時間があったので、大英博物館に行ってきた。大英博物館はロゼッタストーンやミイラの展示が有名。植民地時代を中心に、世界中から歴史的な品々が集められている。

有名なミイラやロゼッタストーン、ギリシャ時代の展示なども見たけど、それらはイマイチ面白くなかった。前者は既に消費し尽くされているし、後者は、なんというか現代的な価値観のようなものとあまりに連続しすぎている。

面白かったのは、アジア、特に日本とアフリカ、啓蒙展だ。アジア、日本に関して言えば、英語で、英語圏の人向けに説明されていることで、日本人ではない第三国人のように日本史の連続性を知ることができるのだ。そしてアジア、アフリカ展は、この世界を覆い尽くしている均一性の狭間の異世界とその歴史を垣間みたようで面白かった。「啓蒙」は、ある意味ではとてもイギリス的な概念だ。そして、その気質のようなものは、いい意味で今でも多分にイギリスに残っているようにも感じる。

驚くべきは、大英博物館の入場が基本的に無料だということ。どうも寄付とコンテンツの高付加価値化(例えば博物館ツアーやITを使用した解説システム、館内のレストランが有料)が収益の源泉になっているようだ。こうした施策が博物館への間口を広く、また敷居を下げることに一役買っているようだ。そのおかげが、観光客のみならず、ふらっとランチを取りに来ているような地元の人の姿も数多く見掛ける。意識された戦略なのか、適応の結果なのかは分からないが、博物館や美術館のコンテンツ化とは、こういうことなのだ、と強く思った。

また、有名な展示品の多くが、手を伸ばせば届きそうな身近な距離に配置されているのもおもしろい。もちろんロゼッタストーンのような有名な展示品にはガラスがかけられているし、警備員も各所に配置されている。しかし、多くの展示品が観覧者からすぐ近くの距離で、裸で展示されているのだ。このようなスタイルで問題が生じない、イギリスの文化の豊かさを感じた。

英語漬けの毎日です。大きい学会なので朝9時から5時までみっちりプログラムがつまっています。世界と戦うためには内容だけじゃなくて、英語力もまだまだ鍛えなくてはなりません。その意味では、この「朝から晩まで英語」という環境は僕の英語力を大いに改善してくれることでしょう。

一般に日本人は知らない人たちが多いとちょっと一歩引いてしまいますが、頑張って社交にも励まなくてはなりません。中国やコロンビアから来ている研究者は社交にも積極的です。どんどん話しかけているみたい。ネットワークは力です。Winner takes All. 研究者の世界はアグレッシブな競争とコラボレーションが同時進行する世界のようです。

昨日、ロンドンに着きました。

朝、やはり起きられず、彼女と井庭先生のtel & mailで目覚め、とりあえず荷物を詰め込んで、高速バスに飛び乗りました。

機内から、ビール+映画2本+本2.5冊みたいな生活で、6時間前とのギャップを思うとクラクラします。EU圏内で、イギリスに来るのははじめてなのですが、島国だからか、それとも、車が左側通行だからか、親近感が湧きます。この季節は、過ごしやすい気候です。名物Fish&Chipsも食べました。栄養価はともかく、ビールととても合います。ところで、「Fish」はなんの魚なのでしょうか。

物価も、ユーロ高の影響で、高い、高い、というけれど、日本と同じくらいのように感じます。

今日、学会開催地に移動します。渡英中に、多くのインプットとアウトプットができるよう頑張ります。

先日も告知した通り(http://web.sfc.keio.ac.jp/~ryosuke/tippingpoint/2008/06/netsci08.html)、今日から井庭研、熊坂研の学会発表でイギリスに行ってきます。
僕の発表は以下の通りです。

R. Nishida, M. Mori and T. Iba, "Analyzing Co-Purchase Network of CDs in Japanese Online Store" (poster)

井庭先生を筆頭にチームのみんなは、ここ数日、寝る時間も惜しんで研究室にこもりっきりでした。もうかなりふらふらです。このまま13時間の空の旅に耐えられるのでしょうか。いずれにせよ、先ほど漸くすべての準備が完成しました。これから帰宅して、荷造りをして、朝6時の高速バスに乗る予定です。風呂に入るのは無理そうなので、シャワーは浴びたいと思う今日この頃です。

携帯もPCメールも通じる予定ですが、時差や移動で若干レスが遅れるかもしれません。6月28日(土)帰国だと思っていたのですが、29日(日)の午前便のようです。

先日、『思想地図』のシンポジウム関連のエントリ(http://web.sfc.keio.ac.jp/~ryosuke/tippingpoint/2008/06/post-71.html)を書いたら、直後からアクセス数が跳ね上がってびっくりした。『思想地図』という共通メディアのインパクトを図らずも体感したと言えそう。

先日、終末期医療とDeath Educationについて看護師をやっている彼女にブリーフィングしてもらった。終末期医療には、自身の治療方針のマネジメントを誰が、どうするのかといった問題を始め、端的に日本の医療の問題点が表れているように思いました。そして、ヒントはDeath Educationにあるのではないか、と直観的に考えました。

湘南地域のポータルサイト「湘南スタイル.jp」(http://www.shonan-style.jp/)さんでミーティングをしてきました。

湘南スタイルさんは、産・官・学・民とコラボレーションを計りつつ、地域ポータルや農業ポータル、地域ブランディングなど数々の興味深い取り組みをおこなっていらっしゃいます。

僕の言葉で言えば、多くのアクターが積極的に多様な取り組みを行っていくことで、ボトムアップに地域活性を実現する「創発型地域活性」の共通基盤となるインフラをネットとリアルな場において構築しようとされています(例えば、「茅ヶ崎市への三つの政策提言 ・周辺都市との恊働による「湘南」の創造 ・創発型地域活性 ・政策パターンの導入と実践」(http://web.sfc.keio.ac.jp/~ryosuke/tippingpoint/2008/06/post-70.html)や「α-Synodos vol.3に寄稿しました。」(http://web.sfc.keio.ac.jp/~ryosuke/tippingpoint/2008/05/synodos-vol3.html)など。)。

今日は、様々なステイクホルダーの方が集まって、長時間に及ぶ熱いミーティングが行われました。これからいろいろとコラボレーションさせていただければと思います。

『α-Synodos』 vol.3(5月10日号)→
http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20080510

『α-SYNODOS』についてはこちら→
http://kazuyaserizawa.com/synodos/mm/index.html

井庭先生の授業『社会システム理論』のゲストで、社会学者徳安彰先生に来て頂きました。社会学的なシステム概念の歴史などについてご講演いただきました。

徳安先生は、先日、ゲストにお招きした富永健一先生のゼミご出身で、小室直樹ゼミのご出身でもあります。ドイツに留学されてたことがあり、実体験に基づいた興味深いお話をされています。

個人的には、ランチをご一緒したときに、理論と実践の関係や地域研究のインプリケーションをいただくなど極めて有益でした。

なお、この講演の模様は近日中にSFC GLOBAL CAMPUS (http://gc.sfc.keio.ac.jp/) で公開される予定です。

『思想地図』のシンポジウム「公共性とエリート主義」が昨日ありました。前売り券が完売とのことで諦めていたのですが、招待していただいたので行ってきました。

既に、内容もさることながら、その発行部数によって若手の新教養となりつつある『思想地図』なので、直接話を聴けたのは貴重でした。

細かい内容については、いくつかまとめサイト(例えば、「『思想地図』発刊記念シンポジウム「公共性とエリート主義」レポート - らいたーずのーと」http://d.hatena.ne.jp/SuzuTamaki/20080617/1213664146など)が上がっているみたいなので、省略しますが、気になったことをいくつか。

冒頭、charlieさんが「立ち位置関連の話はしない」と宣言されたので、当日は議論されなかったけれども、やはり「公共性とエリート主義」というテーマである以上、登壇者5名中4名が東大関連というのはやはりどうかと思う。そこで「エリート主義が重要」と言われても、「重要でない」と言われても、どちらにせよ共感しづらい。

さらに、登壇者全員が理論と思想を背景に持つ方々だったので、「公共性とエリート主義」というテーマは実に多様な論点がありうるように思うが、昨日の議論は論点が限定されすぎてしまっているように感じた。

先端的な思想は、右派も左派も煎じ詰めれば、通底するということだとも思う。

乱暴にまとめてしまえば、昨日の議論は、不可能な全体性を、方法や、常に/部分的に、という違いこそあれ、いかにして志向するかということと仲間とコミュニティが(≒社会的包摂が)重要でどのように実現するかという2点にまとめられるように思う。

しかし、これらの論点それ自体は、何度も繰り返されている既出の論点だ。コンセプト自体はとても共感できる。だが、今、より重要なのは、「思想」という観点からはずれるが、「それをどのようにして実現するか?」という方法論と実践ではないだろうか。

なお、個人的には高齢化と人口減が進行する日本ではエリート主義は、膨大な人口母数を持つ近隣諸国と比較したとき相対的に機能しづらく、どの分野でも全体の水準の底上げと先端の引き上げを平行させるポリシー・ミックスしかありえないと思う。

僕もフィールドワークさせて頂いている湘南の次世代地域通貨ビーチマネーのblogが始まったそうです。

http://beachmoney.chunk.tv/

これを機にビーチマネーがますます活性化するといいですね。

先日、茅ヶ崎市に行ったプレゼン資料をアップします。

「茅ヶ崎市への三つの政策提言 
・周辺都市との恊働による「湘南」の創造
・創発型地域活性 
・政策パターンの導入と実践」

という題目でプレゼンテーションを行いました。

学生支援GP「茅ヶ崎市への政策提言」第一回.ppt

先日、『論座』七月号に投稿した「高学歴ワーキングプアは大学院重点化計画のせいか?」をアップしました。

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 6月号の新さんの論考を興味深く拝読した。自身も博士課程の進学を控えている身であり、他人事とは思えない。他方で、昨今の高学歴ワーキングプア関連の議論には違和感も覚える。それらの議論の多くが、卒業後の就職先を考えずに、制度的に大学院生の大幅増を促した大学院重点化計画に矛先を向ける。

 しかし全てを自己責任に帰することはできないとはいえ、常識的には、自身のキャリア設計は、どの業界でも本人に帰せられる課題だと思う。日本の大学では、偶然、長期にわたって、進学して研究を続けていけば就職可能な環境が成り立っていた。だが、雇用を巡る社会環境が変化する中では、大学だけが旧態依然でいられることはない。

 また、これらの問題提起が人文・社会系分野を中心に提出されているのも気になる点だ。理系と違って、手に職がない、というならば、マネジメント能力やプレゼンテーションスキル、語学力を養う等、他業界で活躍できる能力を養えばいいように思う。

 そもそも研究者は、個人のネームで仕事をする職業に属する。その点だけを取り出しても、厳しい競争があり、常に自らのキャリア形成を考える必要がある、ということが容易に想像できる。

 既存の分類で言えば、私は人文・社会科学系に属する。それゆえ前述の議論は全て自身に跳ね返ってくる。それを踏まえた上で、なお博士課程に進学しようと思う。

今日、用事があってひさびさに電車で茅ヶ崎に行った。駅前から雄三通りを歩いたのは久しぶりだ。ふと辺りを見回すと、少なくない数の店が入れ替わっている。聞いた話によれば、比較的よく店は入れ替わっているらしい。

ところで最近、地域活性の分野で注目されている「地産地消」という概念がある。地域で生産したものを地域で消費するという構図だ。個人的には、「地産地消」モデルにはは疑問がある。確かに「地産地消」は理想的な循環構造だが、そもそも地域には人口減少や過疎の問題が存在する。その状況で、地域での消費を目指すというのはビジネスモデルに無理がある。

また、アカウンタビリティに関する問題がある。地域は、生産者と文脈を共有するので、自然な形で消費に参加可能だが、そこがメインのマーケットとなると、他のマーケットや消費者に対するアカウンタビリティの動機付けがスポイルされる。

これらを踏まえると、むしろ今、必要なのは、コンセプトに基づいて生産された地域の生産物に、どのように物語を加えて都市部や世界的に通用する「商品」にするか、ということではないだろうか? コンセプトとストーリーによって、広く通用できる生産物が、潜在的に地域に多数存在しているであろうことは多くの先行事例が示唆している。


先日、社会科学系の大きい学会で、研究会の研究成果の発表を発表すべく準備をしているさなか驚愕の事実が明らかになった。後輩の学部生はそもそも学会発表できないのだ。しかも、会則が混みいっていて、

1.会員には3種類ある。
2.正会員には、学士を必要とする。
3.学会発表には正会員の資格が必要。

となっている。ややこしい。

いずれにせよ結果的に学部生たちは発表できない。社会科学系の学会には、しばし、こうした意図不明な会則が存在する。「修士は会員になれない」云々。情報や自然科学系の学会にはこうした会則はほとんど存在しない。この落差はなんなのだろうか? 

もちろん、自然科学のほうが成果が客観的に分かりやすいという事情や、学部生の参加を認めれば、平均的には質が低下する可能性があること、事務処理が煩雑化するといった事態が予測されるというのは理解できる。

だが、こうした問題にも「学部生の報告には二名以上の正会員の推薦を必要とする」といったような対策がいろいろと考えることができるはずだ。学会が知的生産を生み出すための共同体だとして、これからの時代、こうした肩書きによる門前払いが学術的進歩を促すとは到底思えない。

デザイナーの原研哉さんの著書。デザインの狙いについて無印良品やその他多くの事例を挙げながら解説している。「デザインのデザイン」についての理論的説明があればなおよかった。

先日の学生支援GP「学生による政策提言 in 茅ヶ崎」(http://web.sfc.keio.ac.jp/~ryosuke/tippingpoint/2008/05/gpin-1.html)後の取り組みの方向性を模索するために、茅ヶ崎市の担当の方に呼ばれてミーティングを行ってきました。

茅ヶ崎市は、クールビズにアロハを取り入れていたり土地柄を活かした面白い試みを積極的に取り組んでいるようです。

いくつかのプロジェクトでご一緒させて頂くことになりそうですが、これからの展開が楽しみです。

先日出版された辻井喬と上野千鶴子の対談。残念ながら、タイトルの『ポスト消費社会のゆくえ』についてはあまり語っていないような気がするが、むしろ消費社会化の一翼を担ったセゾングループ総帥について詳しく語っていて日本の消費社会史を知るのにいい。

最近、論文検索にGoogle Scholarを使うことが増えた。
http://scholar.google.co.jp/

いろいろと論文検索システムを併用しているけれども、特に海外の論文を検索するときに結局一番使い勝手がいい。pdfに当たれることも多い気がするし。

最近、内田樹先生の著作が気になって、1ヶ月ほど本屋や生協で目にするたびに読んでいる。その流れで読んだ一冊。思想が何を射程に入れるのか、ということは、それ1つで重要なテーマになるが、本書では「思想はツールである」という前提のもと、現代思想家たちを取り上げ、著作の解題と背景の説明を行った上で、この本では、ユニークなことに実際に「使って」みせるのである。個人的には、思想は人間の思考プロセスの蓄積と伝統的な善悪判断基準の体系であり、実践的な人間学でなければならないのではないか、と思う。それゆえ、その方向性がとても興味深い著作だった。日本にももっとこういうタイプの思想家がいてもいいように思うのだけれど。

今日は、イギリス行きに向けた打ち合わせで10:00にスタバに集合して2時間弱打ち合わせと議論を行った。昨日、家に着いたのは0:00前で、寝ている間にPCを回していた。大学を出る時点では、先生はまだ作業を行っていた。

今日、井庭研の3つの後輩のグループが予算獲得のための申請書を提出した。昨日の夜中に作業の指示とメールが飛び交っていた。時間ギリギリまで粘った模様。しかし、にもかかわらず、これで一服つけるメンバーはほとんどいない。

池上高志さんの『動きが生命をつくる』がある。

これに倣って言えば、各人の「動きが研究会をつくる」といったところでしょうか。
重ねて比喩的に言えば、自己創出の動きが止まった瞬間に生命=研究会はその機能を停止する。

引き続きクリエイティブに頑張っていきましょう。

井庭先生の授業「社会システム理論」のゲストで、社会学者富永健一先生をお招きしました。富永健一先生は、理論から社会分析まで、まさに「社会学」を専門とされる戦後日本の社会学を代表する方です。ランチをご一緒させていただき、講演後も井庭先生と一緒に理論から現代社会論まで多彩な話題を議論させていただきました。富永先生との議論からは、個別内容もさることながら、その知的振舞い(思考のプロセス?)に大変刺激を受けました。歴史の重みと知的蓄積の重要さに触れさせていただいた、ということのようです。

講演の模様は後日SFC GLOBAL CAMPUS(http://gc.sfc.keio.ac.jp/)で公開される予定です。

僕がTAを務める、井庭先生の「社会システム理論」の授業で富永健一先生を

お招きすることになりました。直前ですが告知です。

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「社会システム理論」特別講演

「思想としての社会学:パーソンズ、シュッツからルーマンへ」
富永 健一先生

日時:2008年6月10日(火)3限(13時〜14時30分)
会場:ι12
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ご紹介するまでもないとは思いますが、富永先生は日本を代表する社会学者
の一人で、理論社会学、社会学史、計量社会学(社会階層と移動)、経済社会
学をご専門とされています。SFCでは、1992年から1997年にかけ
て教鞭をとられていました。現在76歳ということですが、先月出版された
『思想としての社会学: 産業主義から社会システム理論まで』は800ペー
ジにも及ぶ書き下ろしの大著で、まだまだ現役の社会学者だと感じさせられ
ます。

その『思想としての社会学』では、三世代にわたる9人の社会学者を取り上
げ、19世紀から20世紀の社会学の潮流を総克しています。社会学の第一
世代として取り上げられたのは、サン-シモン、コント、スペンサー、第二世
代が、デュルケーム、ジンメル、ヴェーバー、第三世代が、パーソンズ、
シュッツ、ルーマンです。20世紀の最後の社会学者としてニクラス・ルー
マンを挙げているという点が非常に興味深く、今回の講演では、そのあたり
についてお話しいただく予定です。

講演では、まず私(井庭)がルーマンの社会システム理論(ルーマンは、オ
ートポイエーシスのシステム理論を社会学で大胆に展開しました)のポイン
トを解説し、その後、富永先生に、パーソンズやシュッツからの流れに関す
る富永先生の解釈をご紹介いただきます。また、生前のルーマンを訪れたと
きのエピソードなどもお話しいただくことになっています。

なお、本授業は、SFC-GC(Global Campus)科目ですので、後日、オンライン
上でもご覧いただけます。


【略歴】
富永 健一 (とみなが けんいち)先生

1955年 東京大学文学部社会学科卒業、1957年 同大学院社会科学研究科修士
課程終了(社会学修士)、1959年同博士課程単位取得中退し、1959年より、
東京大学文学部助手、専任講師、助教授、教授を経て、1992年東京大学を定
年退官。東京大学名誉教授。1992年より慶應義塾大学環境情報学部教授、
1997年同定年退職。1997年武蔵工業大学環境情報学部教授、2003年同定年退
職。1966年 日本経済新聞図書文化賞受賞、1975年 松永賞受賞、1980年日本
労働協会賞受賞、1996年 紫綬褒章受章、1999年 前島賞(逓信協会)受賞、
2003年 勲3 等旭日中授章。

【著書】
(単著)
『社会変動の理論:経済社会学的研究』, 岩波書店,1965
『新しい産業社会:産業化と社会変動』, 鹿島研究所出版会,1965
『産業社会の動態』, 東洋経済新報社, 1973
『現代の社会科学者:現代社会科学における実証主義と理念主義』, 講談社, 1984
『社会学原理』,岩波書店, 1986
『社会構造と社会変動:近代化の理論』, 放送大学教育振興会, 1987
『日本産業社会の転機』, 東京大学出版会,1988
『日本の近代化と社会変動:テュービンゲン講義』, 講談社学術文庫,1990
『行為と社会システムの理論』, 東京大学出版会,1995
『社会学講義:人と社会の学』, 中公新書,1995
『近代化の理論』, 講談社学術文庫,1996
『経済と組織の社会学理論』, 東京大学出版会, 1997
『環境と情報の社会学』, 日科技連出版, 1997
『マックス・ヴェーバーとアジアの近代化』, 講談社学術文庫, 1998
『社会変動の中の福祉国家』, 中公新書, 2001
『戦後日本の社会学:一つの同時代学史』, 東京大学出版会, 2004

(共著)
『池辺三山----ジヤーナリストの誕生』(池辺一郎と共著), みすず書房,1989

(編著)
『経済社会学』(社会学講座第8巻), 東京大学出版会,1974
『日本の階層構造』, 東京大学出版会,1979
『理論社会学の可能性』, 新曜社, 2006

(共編著)
『社会学原論』(塩原勉と共編著), 有斐閣, 1974
『日本人の貯蓄:行動と意識』(間々田孝夫と共編著), 日本評論社, 1995
『漢字文化圏の歴史と未来』(溝口雄三・中嶋嶺雄・浜下武志と共編著), 大修館書店, 1992
『モビリティ社会への展望』(宮本光晴と共編著), 慶應義塾大学出版会, 1998
『パーソンズ・ルネッサンスへの招待』(徳安彰と共編著), 勁草書房, 2004

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経済学者の岩井克人先生が日経新聞のコラム「やさしい経済学」で連載を担当している。少し前だが、連載の三回目「人から人への伝承」の回で興味深いことをおっしゃっていたので、メモ。

曰く、現在人間は、遺伝子レベルで言語を操る能力を持っている。そのような時代には、社会科学はその存在意義が問われる。例えば、脳科学、生物学があれば社会科学は必要ないのではないか?という疑問だ。だが、岩井先生は社会科学の存在意義はある、と言い切る。なぜなら、法も貨幣も言語も脳と脳の間の「社会」に存在するからだ、と。

非常に共感する。そして、社会科学は、人文学とその役割の違いを意識し、社会を分析する科学に特化していく必要がある。有史以来の人類の価値判断の蓄積と体系は人文学に、社会を分析する学は社会科学というように。日本の場合、経済学を除いて、社会科学と人文学が依然としてあまりに未分化だと思う。このことが日本の社会科学の専門性の低さの一因となっていないだろうか?

これまでアンテナしか使っていなかったはてなダイアリーにblogはてな版として『Tipping Point Blog on Hatena』http://d.hatena.ne.jp/sociologs/を開設しました。うまく併用していきたいと思います。

http://www.ifr.ac.uk/netsci08/default.html

ネットワーク科学の国際学会NetSci08で発表してきます。

R. Nishida, M. Mori and T. Iba, "Analyzing Co-Purchase Network of CDs in Japanese Online Store" (poster)

オンラインストアとの共同研究の成果であるCD市場の分析について発表してきます。これでとりあえず博士号の要件である国際学会発表を最低限は満たすことができそうです。

NewmanやMayといった大御所も招待されているみたいなので、楽しみです。

また、イギリスに訪れるということ自体も初めてなので楽しみにしています。ロックとサッカー、ビールの街でしょうか。6/21(土)に出国予定です。

6/4(木)にソニーCSLの20周年記念シンポジウムがあり、招待されていた井庭先生に連れていって頂いた。CSLには、Open System Scienceをキーワードにポジティブで面白いことをやっている人が多数いる。茂木さん、北野さん、高安さんといったシニア・リサーチャーのプレゼンテーションにはとても刺激を受けた。

特に茂木さんは普段テレビに出ているときよりレベルの高い、実際の研究に基づいた話をしていて、一体あの仕事量でいつ研究しているんだろう、と不思議になった。

『PC online』のまとめ記事→
http://pc.nikkeibp.co.jp/article/news/20080605/1004285/?P=2

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昨日、井庭研の学習パターンチームでブレストをした。先生も含めて、総勢7人あまりのブレスト。この人数でブレストすると、自分の研究云々を越えて、脳が活性化しているのが分かる。偶有性が高いからでしょうかw 脳へのいい刺激ですね。

先日、湘南のフィールドワークに関連して、いろいろとお世話になっているecosurfer代表で、ビーチマネーや湘南で一万部の配布数を誇るエコを扱うフリーペーパー『ES』を運営されている堀直也さんと辻堂でサーフィンしてきました。

そのときの話をエコサーファーのサイトのコラムで取り上げて頂いています。

http://www.eco-surf.com/
→「コラム」
278.今年一番!(2008年6月4日)

台風五号が抜けた次の日の朝一で、セット頭オーバー、たまにチューブも巻く波でした。僕も何本も突っ込みました。辻堂の速くて力のある波は、サイズが上がると楽しいですね。

http://www.tbsradio.jp/life/2008/06/post_64.html

既に各所で話題になっているように、charlieこと社会学者 鈴木謙介さんがメインパーソナリティを務めるTBSラジオ『文化系トークラジオLife』が、ラジオ界日本一を決める、ギャラクシー賞の大賞を受賞したそうです。おめでとうございます。

新しいラジオ番組の形態と方向性を目指している点が評価されたそうです。「新しい」って重要ですね。

フランスの思想家サルトルとカミュの往復書簡集。サルトルの主宰する『現代』にカミュ批判の論文が掲載されたところから全てが始まる。それに対するカミュの反論があり、それに対するサルトルの反論、執筆者の再反論で構成されている。

この論争がきっかけで親密だったサルトルとカミュは絶縁になってしまったらしい。内容もさることながら、論点のすり替えや名指しのすり替え、その再批判といった論争上の丁々発止も極めて刺激的。論争の形式上は、サルトルに分があるように見える。

ところで、現代における「革命と反抗」とは何だろうか?

最近、『論座』が面白い。イメージ的には左より、リベラルな雑誌かと思いきや、例えば、今月号の宮台先生の対談では、最近の新しい雑誌やインターネット媒体の出現に少し批判的な議論がなされているし、環境問題=CO2問題という図式に批判的な特集も組まれている。従来的な左ー右が固定された日本的な総合誌から批評誌へと変化しようとしているのかな、と期待させる。迷走ではなく戦略であって欲しい。

『論座』七月号に「「高学歴ワーキングプア」は大学院重点化のせいか?」と題して投稿してみました。よりネオリベ的な空気が出るように、編集の方が若干デフォルメして下さったみたいですw

現在、SFCでの学びのイントロダクションとしての学習パターン作成プロジェクトに関わっている。今日は、学部の後輩4人とそのブレストをおこなった。

学習パターンとは何か?

学習パターンとは、SFCで学ぶにあたって「身につけたい知識と能力」と「そのための学習計画のヒント」をまとめたものです。これにより、学生が自分自身の学習計画を作成する支援を行うとともに、学生同士/学生・教員間のコミュニケーションを支援することを目指します。 なお、学習パターンは、建築家のクリストファー・アレグザンダーが提唱した「パターン・ランゲージ」という考え方/方法にもとづいています。大学における学びの支援に用いられるのは、世界で初めての試みになります。
(『IBALOG - Concept Walk』http://web.sfc.keio.ac.jp/~iba/sb/log/eid56.htmlより)


この他にもLAに行っているメンバーらと井庭先生を加えた大所帯のプロジェクト。大人数でブレストし新しいアウトプットを作成する面白さを久々に味わっている。

そういうわけで、SFCの学びについて考える機会が増えている。総合政策学とは何か?(個人的には、英語表記のPolicy Management, Policy Makingを好む...)、環境情報学とは何か?

拠り所とする学問的アイデンティティが確立していない、ということがマイナスに見られることもよくある。曰く、「つまみ食い」、「寄せ集め」etcといったところか。けれども、むしろアイデンティティが明確でないことは、常に自身の立脚している足場の確からしさを確認する作業に繋がり、実はこれは現代的な知の在り方にとって不可欠な作業ではないか、と大仰なことも考える。

また、SFCには明確な未来創造というコンセプトがあり、そのもとで各人各様の総合政策学、環境情報学を創造することが期待されている。

少し話が逸れるが、シュウカツなどで専門を聞かれて困るという話もよく聞く。前述の内容を踏まえれば、例えば次のように答えればいいのではないだろうか。「私の専門は総合政策学(環境情報学)です。具体的には◯◯を明らかにするために(実現するために)、AとBという手法を用いて研究(実践)しています。目的達成のために、最適な手法を選択しマネジメントし、アウトプットすることを含めて、総合政策学(環境情報学)といいます。従ってSFCには各人各様の総合政策学(環境情報学)が存在します。」と。

いずれにせよ、このプロジェクトは内容的にも、プロセスとしてもいい刺激になっている。

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テントウムシがインターホンに張り付いていた。。。
よく見れば、模様がドット一個と面白いデザインです。

最近、今更ながらオープンソースについて関心を持っている。これは、有名なLinuxの開発を始めたリーナス・トーバルズとジャーナリストによる著書。普通、この手のカリスマ的な人物は我が強く、個性的といった固定観念があるけれども、少し違う感じの模様。穏やかで内向的という印象を受ける。ただ、自分が面白いと思うことを徹底するというのは、他のIT系のカリスマと共通する点か。

先日紹介した(「組織論の観点からみるオープンソース」)理論的なアプローチをする本とは異なり、比較的主観的な立ち位置だからこその面白さがある。コンセプトについて考える際の参考にもなるだろう。

銀座

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都内を車で走ってきました。3年程前、千葉は片貝新堤で車上荒らしにあって以来、千葉からは足が遠のいていて、しかもナビなしでは初めて行った。行きは下道で約3時間意外と近いと思ったのだが、帰りは休日の渋滞に巻き込まれて鴨川から6時間(!)。何時間経っても千葉から出られない。。。参った。。。

でも、行きの246の多摩川あたりから見える夜の東京や湾岸線から見える高層ビル群の夜景がとても印象に残っている。田舎出身だからでしょうか。また、普段は、徒歩で遊びに行く場所、渋谷、青山、銀座、国会議事堂、皇居あたりを車で走るとまた違った感覚が。写真は銀座。

千葉

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週末に千葉でサーフィンしてきました。ひさびさに太東で試合に出てきたのですが、なんと一本目のワイプアウトでリーシュを切ってしまい、板を流して久々にかなり泳ぎました。オンショア、肩〜頭サイズのジャンクコンディションだったので、結構辛かった。その後、もう一本しか乗れず、あえなくラウンド1で3位敗退...まあ、板もなくならず、怪我しなかったので良しとしました、とりあえず。

未明からはるばる太東まで行っただけに残念だったのですが、その後、御宿、鴨川といい波でサーフィンさせてもらい満喫して帰ってきました。特に昨日の鴨川はたまに頭オーバーくらい入ってくるショートボード向けのとてもいい波でした。南房総はあまりいかないのですが、日本の里山的な風景がまだ残っていて、しかも陽が明るく水もきれいですっかり好きになりました。しかも、渋滞にさえ巻き込まれなければ、意外と近い。自分の田舎の京都の奥地にも負けないくらいの日本の心象風景的な景観が残っていた。最近はやらなければいけないことが多くかったけど、完全にリフレッシュしてきました。

サーフィンの試合はなかなか勝たせてもらえず、自分がいかにサーフィンより研究に向いているかを自覚させられるけれども、この思うようにコントロールできない感じに刺激をうける。それから、何事も努力で上位10%までは行ける、が個人的な信条です。そして負けず嫌いです。今年は少し試合に出てみようと思っています。

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