2008年8月アーカイブ

昨日は、東浩紀さん、北田暁大さん、NHK出版の大場さん、井本さんに面接していただいた。

これまで、ある意味では、地道に研究をしてきたわけだけれども、これで、商業誌の世界にも突入することになりそうだ。例えば、同じテーマで書き物をするにしても、読み手がほぼ具体的に想定されている学術の世界とは、全然違う書き方をしなければならない世界だろう。

最近、ずっとSFCにいること(多分、これからもしばらくいるだろうけど)や、やっていることなどで、「新しいことをしていないな」というマンネリ感があったので、いい刺激になりそうだ。

エントリのタイトルは、もちろんD. PinkのA Whole New Mindをもじって。Pinkのこの本の題名、邦題の『ハイ・コンセプト』よりずっといいと思う。

鴨池

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SFC名物、鴨池。実際に鴨がいる。学期中は、学生が寝そべっていたり、食事したり、思い思いに過ごしている。

だが、休業中の、この落ち着いた雰囲気が好きだ。

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夏の風物詩。今日も夕立がくるのだろうか。

今日は、EcoSurfer代表の堀直也さんと打ち合わせをしました。

まだ構想段階ですが、これからいくつかのプロジェクトを一緒にさせていただくことになりそうです。もう少しきっちり具体化したら、お知らせします。

堀さんとお話しして改めて実感したのは、実践の力。そして、そこから育まれる知のすごさ。実践知とでも言えようか。それには珠玉の輝きと力強さがある。

至極当然だけど、いま「世界」を変えているものは現場にあるのだ。

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別に論争するとか言う訳ではなくて、お会いするのに最近何のお仕事をされているのか事前に目を通していくのは最低限の礼儀だと思うのでまとめ買いして読むことに。多分、東さんの本を読むのは、『自由を考える』以来だと思う。時間的余裕があれば、あと『東京から考える』と『文学環境論集』も読んでみよう。

いかんせん論壇事情に疎いもので、事前学習。昨今の論壇事情については、直接交流のある方のお仕事と、彼らから耳にする話しか知らないのです...



















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修理に出していた車が帰ってきた。

カーコンビニ倶楽部カーエルザ246のKさんにとてもお世話になった。早く、きれいに上げてくれたし、きっちり仕事をしてくださった模様。ありがとうございました。

代車のスターレットも踏めば意外に加速して結構面白かったけど、結局、乗り馴れた自分の車が一番調子いい。

溝にものを落としたら、神奈川県では、県道の場合は県の土木事務所へ。市道の場合は、市の道路課(?)へ電話するのが正解らしい。

昨日、県の土木事務所へ電話したら、どうやら市道らしいということが判明し、電話を市にまわしてくれた。そこから、巡回パトロール中だという市の職員の方が到着するまで実に10分弱!

無事、鍵みつかりました。雨の中、大和市の職員の方には大変お世話になりました。
しかし、県と市の連携もとても早くてちょっと感動した。

...ところが、夕方、NPOの用事に出発しようとすると、エンジンがかからない...
なんとスモールランプがつけっぱなしで、バッテリーが上がっている...まるでギャグのような展開でびっくりした。。。

しかし、分かった。

普段と違う車や財布や鞄という日常品が入れ替わったことが、意識できないレベルで集中力などを奪っていて、それで、最近何か噛み合わない状態になっていたんだ。

きっと、そうに違いない...

一昨日、(株)スペース・オブ・ファイブ(http://www.spaceof5.jp/index.html)の新しいラボ(スペース・デザイン・ラボ)のキックオフイベントで「「ヒト」の設計から教育環境の設計へ」と題して20分ほどしゃべってきました。

簡潔にまとめれば、特定の能力を持った個人を、詰め込み教育によって設計する時代は終了し、これからは、学習者のインタラクションを生かして、多様かつ偶有的なコミュニケーションに触れながら、主体的かつクリエイティブに学習していける環境や空間を設計することことが重要になる、という内容です。

これらの内容は、先日はできませんでしたが、背景にハイエクの自生的秩序論やルーマンの社会的システム理論を持っています。また、7年間塾講師や家庭教師、大手予備校スタッフとして、初等中等教育の現場に接している実感にも裏打ちされています。

ところで、スペース・オブ・ファイブ社は、「頭の良い子が育つ家」のライセンスビジネスを中心として、異なる市場のニーズの組み合わせ(これこそ、イノベーション="新結合"?)で非常に興味深いビジネスモデル群を展開している刺激的な会社です。先日のイベントにも、美大やSFCを含む複数の大学の大学生や社会人、アーティスト、そしてスペース・オブ・ファイブ社の社員の方が集まった楽しいイベントでした。こういう場を積極的に提供できるベンチャーは、短期的な利益のみならず、長期的な視野を持っていて素晴らしいと思います。

車の鍵を側溝に落としました。しかも格子がハマっているやつ。
手から滑り落ちて、2バウンドして格子に一瞬引っかかり、でもそこで留まることはなく、ポチャンと中に落ちました...

ギャグのようなシチュエーションですが、笑うに笑えません。
その瞬間はまさにスロー再生でリピート再生されます。

こういう事態のときは、県の土木事務所に電話するのが正解のようです。
多分沈んでると思うんだけど、雨で流されてないといいなあ...

最近、驚くほどツイてないことが多い。どうやら後厄の模様。

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今回の軽井沢⇒草津温泉⇒軽井沢の移動には、TOYOTAのプリウスを使用した。今さらだけど、これはすごい逸品だった。一応1500ccということになっているけど、加速は驚くほどスムーズだし、信州の坂道に4人乗りでも全くパワー不足を感じない。ブレーキの利き方がどこか油圧とは違う不思議な感じ。燃費がすごくて、これだけの移動でメーターの一目盛りも減らなかった。この燃費高騰のご時世これはすごい。

どこか欠点をあげろと言われると難しいが、車体価格が高いことと、完成度が高くてクセがないということだろうか。

しかし、とにかくすごい車だ。いまさらだけど。

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草津白根山の湯釜を見てきました。エメラルドグリーンの水の色と、既に秋の装いを見せる白根山の湯釜でした。まさに自然が作り出した絶景です。

保険

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先日から、日本のサービスはだめだ、だめだ、言っているが、今、お世話になっている三井ダイレクト損害保険のサービスは大変充実している。

http://www.mitsui-direct.co.jp/

インターネットを中心とした通販専門の保険会社らしいが、とにかく手続きが迅速かつ丁寧。オンラインのメッセージボードに書き込んだら、2分後くらいに電話が鳴って驚いた。

ただし、三井ダイレクト損害保険も比較的新しい会社で、いわゆる「古き、良き日本企業」ではない。

知っているベンチャーにも、いくつも革新的で手厚いサービスを行っている会社がある。こういうところがもっと充実して、一般的になればいいのだけれども。そのためには、きっとユーザーにも「A Whole New Mind」(D. Pink)が必要なのだろう。

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軽井沢から一山越えて、草津温泉に来ています。草津温泉には昨年も彼女と来ましたが、大好きな温泉街です。草津温泉は大変不思議な心地よさのある町でもあります。過剰な演出があるわけでもなく、かといって、過剰に作り直しているわけでも、過剰な伝統主義でもなく、それはまさに「名付け得ぬ質」(C.Alexander)といえそうです。

写真は草津温泉の湯畑。

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昨日から軽井沢に来ています。初めて軽井沢に来たのですが、軽井沢は、なぜ栄えているのでしょうか?

写真は軽井沢銀座。

何度か言及している通り、置き引きにあい警察やカード会社、保険会社といった普段あまりやり取りしないアクターと様々な形でやり取りがある。このような普段接触しない、非日常なアクターとの接触からは、普段気づかない、日常を支えている(はずの)さまざまなインフラの存在と機能について気づくことが多々ある。

先日は、「老朽化する日本型サービスとイノベーション」(http://web.sfc.keio.ac.jp/~ryosuke/tippingpoint/2008/08/post-108.html)と題して、外資の新生銀行と日本の銀行を比較して、顧客本意の新生銀行のサービスの優位性を指摘した。

今日は、サービスの観点から警察について少し考えてみたい。もちろん、警察の主要な仕事は公共の安全と秩序の維持である。同時に、各種の行政サービスを提供する公務員でもある。警察の提供する、(住民の観点からすれば)ある種のサービスは、多くの不透明で、不条理かつ不合理な問題を抱えているようだ。

その一つに「被害届の移譲」がある。「被害届の移譲」というのは、管轄外で出された被害届(と調書?)を管轄の警察に移すことのようだ。どうもこれが警察内部ではめんどくさい手続きのようで、大変に嫌われる。

今回、東京の電車で置き引きにあったのだが、神奈川県に住んでいるので、近くの、大和署の管轄の、ある交番に被害届を出しにいくと、担当の相談員Iは「管轄が警視庁なので、警視庁に被害届を出せ」と言う。神奈川県民なのに、なぜ神奈川で出せないのか?と問うと出せないの一点張り。ラチが開かないので、諦めようとしていると、「部長さん」という人が出てきて、この「被害届の移譲」という仕組みがあることを教えてくれて、都内に足を運ぶことなく被害届を出すことができた。

一般に、普通の人間は神奈川県警も、警視庁も「警察」という「公共の安全と秩序の維持」のために活動してくれる組織として一括して認識している。通常、管轄云々は警察内部の問題で、警察の業務(なんだかサービスというと語弊がありそうなので)を利用したい人間にとっては知る由もない。その意味でいえば、被害届を出せる場所と出せない場所がある、ということは理解できない。この問題は、警察が調書を紙で取っていて、それを適切に他の警察と共有するシステムがない(ように見える)ことに由来する。現在、警察では「広域捜査力の強化」がテーマになっているようだが、

通信手段や交通手段の発達等を背景に犯罪が広域化したことから、多くの犯罪捜査では、複数の都道府県にまたがって活動する必要が生じている。このため、都府県警察の単位を越えて広域的に捜査を行う広域捜査隊の編成が進められているほか(平成18年末現在、全国12地域で広域捜査隊の編成に関する協定を締結)、複数の都道府県警察による合同捜査や共同捜査を積極的に推進している。
(『警察白書』平成19年版 http://www.npa.go.jp/hakusyo/h19/honbun/pdf/19p01000.pdf p.90より)


調書のデジタル化とデータベース化もある意味では、それに貢献するのではないだろうか? 調書には、被害状況が書かれている(ことになっている)。そうすると、例えばテキストマイニングすれば、犯罪捜査ものの海外ドラマみたいではあるけれども、事件の状況の共通点や関係性の洗い出し、犯罪捜査の新しい方向性が模索できるのではないだろうか。そして、何より犯罪被害者にとってのサービス拡充に貢献するように思う。

他に、同様にユーザー本意のサービスではないと今回疑問を感じたものに、やはり警察の遺失物検索システムがある。現在、各県警に遺失物の検索システムが設置されている。一瞬、警察の情報化も進んだものだ、と思わせるが、これらは極めて使い勝手のよくない代物だ。

例えば、警視庁と大阪府警ではインターフェースが異なり、県をまたいだ横断検索もできない。しかも遺失物は、一元管理されておらず、問い合わせは各県警の管轄する遺失物管理センターなど個別に行わなければならないのだ。(下の画像は警視庁と大阪府警の落とし物検索システムのインターフェース。)

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http://www1.keishicho.metro.tokyo.jp/syutoku/search.phpより)

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http://www.otoshimono.police.pref.osaka.jp/info/searchIndex.jsp

これらも完全にユーザーの利便性を考えて設計されたサービスとは言いがたい。例えば、JR東日本(ある意味では警察同様、管理しているエリアは県を越えている)などは、遺失物を一元管理していて、一カ所に電話すれば、探してもらえるよになっている(ただし、こちらはIT化されてなくて、webから検索できる仕組みがないようだ)。

察するに、警察の場合、遺失物の管理システムを作るよう上から通達などが各県警に出され、それをもとに各県警が個別に外注してシステムを作ったため、インターフェースの相違や横断検索ができない不便なシステムができてしまったのではないだろうか。

先日も述べたことだが(「老朽化する日本型サービス」http://web.sfc.keio.ac.jp/~ryosuke/tippingpoint/2008/08/post-108.html)、日本型サービスや行政組織には、ユーザーからすれば多くの不条理な慣行が多数旧態依然として残っている。これらを満足できるユーザー本位のサービスに転換にしていくためには、大規模なリノベーションが必要に思えてならない。

「きめ細かい顧客サービス」は、日本型サービスの典型だと一般に思われている。
(よく言われるように)それは、もはや神話なのだ、と思う出来事があった。

最近、鞄と財布の盗難にあった。それにともなって、日頃使っているカードや免許証などの再発行に追われている。役所に警察、銀行にクレジットカード会社、日頃馴染みの薄いアクターと頻繁に連絡を取り、交渉し、再発行の手続きをしている。

これが本当に煩わしい。一般に銀行のキャッシュカードは、身分証と通帳と印鑑の三点セットを持って店舗を訪れ、再発行の手続きをする。だが、手続きをするだけで、実際に再発行されるのは数週間先なのだ。しかも、何枚、同じ住所、氏名、年齢etcを書かされることか。こちらの立場からすれば、なぜ同じ情報を何回も書かされるのか全く分からない。しかも、再発行されるまでの間は、通帳を使って出金する=コンビニのATMは使えないことを意味する。このご時世、コンビニATMが使えないのはかなりの不便さである。

これが法的に規定されているから、という理由ならある意味では納得できる。しょうがないということで。ところが、どうやらそうではないらしいのだ。

普段からオンラインバンクと各種サービスが一体化している外資系の新生銀行を愛用している。ここのキャッシュカードの再発行手続きで目から鱗が落ちた。書かされる書類は一枚だけ。しかも,キャッシュカードは即日再発行され、翌日から出金できるのだ。まさに顧客本意のサービスだ。

結局、日本の銀行は、昔からやってきたことを同じようにやり続けているのだ、ということを実感した。預金残高の少ない個人口座の大半は、銀行にとっては持ち出しとなるらしい。だが、普段の身近なサービスが充実していないような銀行に、例えば将来住宅ローンや資産運用を任せたいとは思わないだろう。銀行の選択にしても、口コミやネットで左右される時代だ。もう、ペイしないから、充実したサービスを提供しない、という姿勢はユーザーに支持されないのではないか。なぜなら、充実したサービスを提供する外資の同業他社が既に選択肢に存在するのだから。

「きめ細かいサービス」と言えば、例えば、リッツカールトンの名前が挙がる時代だ。もはや、思考停止した日本企業の出る幕はないのかもしれない。盗難という非日常な出来事をきっかけにして、新生銀行に老朽化する日本型銀行サービスのイノベーションを見た。

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眠れなくて、三時半には辻堂海浜公園の駐車場に入れていた。既に結構な数の車がいて、4時半には満車になっていた。湘南おそるべし。

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ビーチクリーンからエコと地域活性を考えるフリーペーパー『ES』vol.12が発行されました。毎回、フリーペーパーとは思えないクオリティに仕上がっています。

僕も小さい、小さい広告(エコメッセージ)を出稿させてもらっています。

『ES』は湘南中心に1万部が発行されています。広告出稿等、お問い合わせはこちら→

ecosurfer
http://www.eco-surf.com/

最近続けて、『エヴァンゲリヲン新劇場版:序』『ベクシル』『エクスマキナ』とアニメを観た。

普段はアニメをあまり見ないのだけど、近未来を描いた、比較的同時代に製作されていながら異なる世界観がなかなか面白かった。少し何が面白かったのかを書いてみよう。

『エヴァンゲリヲン新劇場版:序』は、90年代のエヴァンゲリヲンシリーズの2008年的再解釈、『ベクシル』『エクスマキナ』は『APPLESEED』つながり。
(『ベクシル』は『APPLESEED』の曽利文彦監督で、『エクスマキナ』はアクション映画で有名なジョン・ウーのプロデュースで、『APPLESEED』の続編。)

90年代、中学生で『エヴァ』を初めて観たときは、衝撃的だった。何に衝撃的だったかというと、ある種の時代の空気みたいなものをビビッドに反映していたからだ。それはある意味で、現実の延長線にこのようなシナリオが可能かもしれないと説得的に表現していた。90年代に『エヴァ』を見た人は、共感的であれ、批判的であれ、少なからず「90年代とはこういう時代だ」と思ったはずだ。だから、様々なココロの問題を抱える各登場人物に共感する人が多数表れた。思えば、「アダルトチルドレン」などという言葉が流行った時代でもあった。

だが、エヴァンゲリヲンは、共感できる物語であったが、希望を描く「ビジョンの物語」ではなかった。

おそらく、このような物語は、時代の文脈を高度に共有するユーザーにしか消費できない。さらに、『エヴァ』にはストーリーに収集がつかなくなったTVシリーズ後半があり、それを半ば強制的に完結させてきた過去の劇場版がある。

今回の『エヴァンゲリヲン新劇場版:序』では、プロットとしてはTVシリーズの半ばまでを追っていて、他は映像と登場人物の描写に変更がある。詳細は省くが、大きな変更点は過剰な内省の描写を削り、あからさまに克己の物語としても読めるようになっている点だ。

いい意味でも、悪い意味でも、アクションや映像、戦闘シーンは現代的なものになったが、90年代の現実の延長でもあった過剰な内省の物語は失われたように思える(少なくとも、続編が出ていない現時点ではそう見える)。その意味で、個人的には、ただ、「昔、こういうアニメがはやって、それにハマった自分がいた」ノスタルジックな映画だった。このアニメに、例えば、もっと下の当時を知らない世代はどうはまったのだろう。昭和三十年代ブーム的に? それとも、クールな90年代の再解釈として? イマイチ良く理解できない。

『ベクシル』『エクスマキナ』は、『エヴァ』とは対照的に、人、機械、バイオテクノジーの進化した未来とそれらの共生に関するある種のビジョンを描く。それは現実の延長というより、時代を先取りした物語だ。

『ベクシル』は、例えばAmazonのレビューでは評価が芳しくない。その理由は共感できる。過剰に大物を声優に起用している、物語がとっちらかっている、セリフが若干臭い。確かにその通りだ。だが、『エクスマキナ』とも共通するが、外見は人そっくりだが、人ではないもの、と、外見は人ではないが、確かに人であるものでは、どちらが人間的であり、どう共生するか、そして、人の固有性とは何か?といった問いを設定し、さらに(「正解」かどうかは不明だが)回答してしている点が極めて興味深い。やはり、詳細は省くが、キーワードは「経験によって獲得される固有性」だ。個人的には、この問題の共通点と分岐が、『ベクシル』と『エクスマキナ』のシナリオの相違にも思える。

もちろん、ビジョンが先か、現実が先か、という問題は議論が分かれるが、このビジョンを描き、それに答える、という設定は、ある種の伝統的なSFの役割のようにも思える。『エヴァ』にはそれがなかった。『ベクシル』と『エクスマキナ』にはそれがある。

あと、面白かった点をいくつか。『ベクシル』と『エクスマキナ』は共通して、swarmの暴走を描いている。それはweb炎上やクラウド・コンピューティング、集合知とも通じる極めて現代的な問題意識だ。

また、『エクスマキナ』はアクション映画で有名なジョン・ウーがプロデューズに入っている(原作は士郎正宗(!))。スローモーションを多用した格闘シーン、一発の弾丸、鳩、バイク等々、至る所に、ジョン・ウー節が炸裂する。実写でなくても、その存在感を出せるジョン・ウーはすごい。相当細部にこだわったことだろう。ストーリーと映像の完成度は間違いなく『エクスマキナ』が一番高い。

現実の延長か、ビジョンを描くか、を軸に、最近観た三本の映画の感想を簡単にまとめてみた。

「この差異が2000年代的なものと、1990年代的なものの差異だ!」とか言えるとちょっとかっこいいのだけど、残念ながら、それを断言する程には全然アニメやSFに詳しくない...

先日、荻上チキさんの「荻上式BLOG」(http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/)を見てるときに、宮台先生の対談集『宮台真司ダイアローグズ 1』が発売されたときのキャンペーンblogがふと目に止まり、読み返してみた。

「宮台真司 dialogues×blog」http://d.hatena.ne.jp/miyadialogues/

以前に読んだことがあったけど、雑誌論から個人史まで『宮台真司ダイアローグズ 1』の内容をぎゅっと圧縮したような話で、今読んでもなかなか面白い。下ネタ含めて、チキさんともいい絡みをしている(笑)そういえば、この本が出版されて2年が経っているけど、続編は出版されないのだろうか。

先日の発想支援ワ−クショップ(http://web.sfc.keio.ac.jp/~ryosuke/tippingpoint/2008/08/post-101.html)の詳細とバックグラウンドを井庭先生がblogで紹介していました。→

「地域行政にもっと創造性(クリエイティビティ)を!」
http://web.sfc.keio.ac.jp/~iba/sb/log/eid86.html

ところで、井庭先生のblogはびっくりするくらい練られているのだけど、これは先生が本を書くのと同じプロセスで、blogを書いているから(!)だ。これは、blogにも関わらず、先生は速報性より、ひとつひとつの記事のクオリティをとても重視しているからだ。いつも読み応えのあるコンテンツになっている。

盗難

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先日、電車内で鞄と財布を持って行かれた。
確かに、座席の端っこで、鞄を網棚に乗せたまま、寝てたんですが...

現金はいい。百歩譲って、カードの不正使用も許そう。ただ、鞄と財布という外出する際、必ず持ち歩く物と、絶対普通の人が読まない本4冊(英語文献含む)を失ったことのショックが大きい。

お金はあげるから、そっとどこかの駅なんかに置いて行ってほしい。。

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東京湾花火大会を観てきた。穴場と(ネットで)言われていた聖路加地区へ。確かに、少し高層ビルが陰になるけど、かなり空いている。また、有楽町線もあるので、帰りも驚く程スムース。今年初花火だったが、正統派の花火で大変楽しめた。やはり花火は夏の風物詩。

ところで、そんな聖路加病院の側に、慶應義塾発祥の地の跡地がある。SFCにいると、ともすれば慶應マインドよりもSFCマインド(のようなもの)を思い出す。しかし、SFCマインドとは、慶應義塾の原理的マインドとも言われている。いずれにせよ、共通点は独立自尊の精神を持つ先駆者といったところだろうか。思いがけず、少しだけ義塾の歴史を感じた一瞬だった。

セミ

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SFCにはセミがたくさんいる。これは大学院棟横の桜の木の抜け殻たち。夜、帰ってたら、今まさに桜の木で羽化しようとするセミ達がたくさんいて、デジカメに納めたので、それもまた後日...

終末期医療とDeath Education -主体的な「死」と教育を考える-

1. はじめに

 近年、後期高齢者医療制度や年金問題をはじめ、少子高齢化という日本の社会構造に起因した問題が数多く表面化している。一般に、これらの問題は若年層にとっては煙たい問題だ。他に取り組むべき課題がたくさんあるようにも見える。だが、人は、いずれは必ず老い、必ず死ぬ。従って、これらの問題を忌避することは、問題を先送りにしているに過ぎない。
 この小論では日本の終末期医療と主体的な死の在り方の問題を取り扱う。日本の終末期医療の現状は、主体的な医療参加に関する重要な問題を象徴的に示しているからだ。具体的には、自分の死について主体的に関与し決定する意思決定の問題だ。本稿では、現状を確認し、その上で初等中等教育におけるDeath Educationの必要性を述べる。Death Educationとは、自身の死についてロールプレイやワークショップを通して自身の死について主体的に考察することを促す教育だ。これらの議論を通して、これからの医療において重要となってくるであろう患者の主体的な医療参加を考察する契機としたい。

2. 日本の終末期医療

 近年、日本では、少子高齢化が急速に進んでいる。このことは既に言い尽くされた、周知の事実だ。高齢化が進んだ社会では、特に死をどのように迎えるかが重要な問題となってくる。だが、奇妙なことに日本では死に関連したQOLを向上させる終末期緩和医療は驚く程普及していない。日本ホスピス緩和ケア協会の調査によれば、日本における緩和ケア病棟入院料の届出受理施設数は、2007年12月現在で全国に178施設、3417病床に過ぎない(日本ホスピス緩和ケア協会 http://www.hpcj.org/what/doc_h01.html ) 。他方で、日本対ガン協会によれば、2005年の日本人のガン死亡者数は、32,5941人で、日本人の三大死因のトップを占めている(日本対ガン協会 http://www.jcancer.jp/news/2006/1300.html) 。単純な比較は禁物だが、二つの数字にはあまりに大きな落差がある。これはどういうことだろうか? 
 多様な議論が可能だが、ここでは主体的な死の在り方という観点から議論を進めてみよう。現代社会では、死は高度に隠蔽されている。まるで触れてはいけないものであるかのように。かつては、多くの高齢者、重篤者は家庭で死を迎えたが、今では主に病院で死を迎える。死に直面することは、近親者に大きな衝撃を与える。だが、死のプロセスを直視する過程で、死について経験的に理解し主体的に考えることができた。現在では、死のプロセスは闇の中だ。高度な医療機器に接続され、意識を失っても「生き続けている」。そしてある瞬間を越えると死に至ったと認定される。その結果、周囲の人間には、体験的に「死」を理解しづらくなっている。また、現代社会において、子供は、まるで見てはならないものであるかのように、「死」から遠ざけられる。けれども、見方を変えればそのことは子供から主体的に死を考える貴重な機会を奪っている。このように死をタブ−視し、周囲の者を遠ざけることは、結果的に死を筆頭に医療全般に主体的に参加するために必要な前提を学ぶ機会を剥奪している。

3. Death Education

しかし、もはや現代社会では、死を直接的に曝すことは現実的とは言えない。それでは死を主体的に遂行するためにどのような解決策がありうるのだろうか? 例えば、Death Education(死についての準備教育)という概念がある。Death Educationは、1970年代頃から欧米を中心に盛んになってきた死に関して主体的に考える教育だ。少子高齢化やブラックボックス化しつつある死について主体的に捉え直すために、初等中等教育でワークショップやロールプレイを通して死について自らの問題として考えるための契機を提供する手法だ。死は絶対に直接体験できない出来事だ。その出来事を感受性豊かな初等中等教育の段階で座学のみならず、ワ−クショップやロールプレイを通じて、半経験的に学習することは意義深いように思う。

4. 終わりに-主体的な死、そして医療参加に向けて

 高度にシステム化した現代社会では、死に対して実感を持つことは難しい。しかし、確実に人は死を迎えるという前提に立てば、事前準備なく自ら事態に直面して初めて主体的に死を扱うというのは極めて困難だ。人は環境や他のアクターと相互作用する中で状況に最適化しようとする複雑適応形のシステムだ。このことは、人が初めての事態に弱いことを示唆している。ますます高度化し、そのことでブラックボックス化するこれからの医療環境を考えると、ワークショップやロールプレイを通じた経験的なDeath Educationによる学習が必要だと私は考える。そのことが引いては、死のみならず高度化した医療を主体的に扱うための契機となるのではないだろうか。
 
5. 参考文献

副田 義也, (2001), 『死の社会学』, 岩波書店.

上原 善広, (2007), 『聖路加病院訪問看護科―11人のナースたち』, 新潮社.

日本ホスピス緩和ケア協会 http://www.hpcj.org/
日本対ガン協会 http://www.jcancer.jp/ 

今日は、商工会議所と産業振興課のミーティングに参加させていただいた。
地域にはいろんなアクターが参加していて、皆がメンツを保つのは難しいということが分かった。

また、「地域ブランドをつくる」というとき、「地域をブランディングする」ということと「地域で(地域の)ブランド品をつくる」という話が混合してしまっているので、議論が錯綜するようにも感じた。

両者は議論になると、一重に混合しやすい。地域ブランドの方向性はどこにあるのだろうか?

昨日、井庭先生と茅ヶ崎市の職員の皆さんに発想支援ワークショップをおこなってきた。僕は、主に事前のワークショップのデザイン面でお手伝いして、当日のファシリテーションは井庭先生がおこなった。

堅苦しいワークショップではなく、いわゆるIDEO的な、クリエイティブな発想支援ワークショップだ。政策も、製品開発もこれからは創造的であることが重要なのだ、ということを理解してもらえただろうか。

今回のワークショップにはいろいろな狙いがあるのだけど、そのなかの一つには、現場のことを良く知る若手、中堅職員の方がもっと豊かで柔軟な発想をすれば、もっとクリエイティブで魅力的な政策が生み出せるのではないか、というミドル・アップダウン・マネジメント的な問題意識がある。

ミドル・アップダウン・マネジメントという概念は、経営学で有名な『知識創造企業』のなかで提唱されている。現場と若手、中堅クラスの意見交換や往復によって、アウトプットを生み出すスタイルを指す。いわゆるトップダウンでも、ボトムアップでもなく、その中間にあたるだろうか。

このワークショップは単発の企画ではなく、これから3回に渡って継続的に行われる。茅ヶ崎市は、例えばクールビズにアロハシャツを取り入れていたり、湘南らしい豊かな発想力を持っている。それをうまく政策形成に引き出すお手伝いができれば、と思っている。是非、柔軟な発想によって、行政、住民、企業、NPO、大学の政策連係を実現し、ポジティブなソリューションを産み出していっていただきたい。

近々、井庭先生のblog、Concept Walk(http://web.sfc.keio.ac.jp/~iba/sb/)でも、話題にあがるだろう。是非、そちらも参照してほしい。

今日は、井庭先生とワークショップ・デザインを行った。
行政が参加するワークショップとしてはかなりユニークなものになりそうだ。

今回のワークショップは、地方行政のイノベーションを念頭においている。イノベーションが必要なのは、何も企業が製品開発する現場だけではない。イノベーションは「新結合」と訳されたりもする。政策形成の現場では、産・官・学・民の政策連携にあたるだろう。さまざまな制約が存在するが故に地方行政の現場だけでは、民間だけでも、行政だけでも、ダイナミックな地域活性化プロジェクトは困難だ。そこで、産・官・学・民が有機的に連携して、地域活性化に取り組むことが必要なのだと思う。

(以下は直接関係しないが、先日出版されたワークショップ・デザイン関連の本。理論と実践のバランスがとれていて面白い。パターン・ランゲージっぽいカードがついてたりする。)


『なぜシリコンバレーではゴミを分別しないのか?』
実に刺激的なタイトルだ。一瞬、アンチ・エコ本かと思うが、そうではなくシリコンバレーの近況報告とエッセイ集。ジャーナリストである筆者のblogから本を作ったようだ。同名のタイトルのエッセイの内容は、要は資源ゴミを最初に細かい分別して収集するよりも、とにかく一緒くたに出させた後に自動分類装置と手作業で分類する方が効率的で、実際シリコンバレーではそうしている、ということのようだ。

なるほど。確かにエコは重要だ。でも、方法については、まだまだ思考の余地があるということのようだ。今、それが正しい、と一般的に思われていることも、実は合理的ではないことがある。それがセオリーだ、と思われていることほど、思考停止に陥ってはならない、と考えさせてくれた一冊。他のシリコンバレーの近況やエッセイも興味深い。


あるSFC出身のベンチャーの方々、コーディネーターのTくんと花火客であふれる桜木町で打ち合わせをした。あまり細かいことは書いちゃいけないようなのだけど、ある既存品を、ストーリー・メイキングによって相当の高付加価値化を実現し、それをライセンス販売するというビジネスモデル。これがびっくりするくらいうまくハマっているモデルなのだ。

新しいラボを作るということで、おそらく僕に求められているのは、そうした高付加価値化に対する意味づけと潜在的な広報活動だろう。

社長がSFCご出身で、とてもラディカルかつアクティブな方だった。外部にこそSFCマインドは生きているのかもしれないと少し思った。

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