『失われた場を探して』は、アメリカの社会学者の手による、日本の若年雇用、特に高卒就職という希有な主題を扱った作品だ。
日本では、中卒、高卒就職と大卒就職の間で、就職先を確保するプロセスが大きく異なっている。前者では、主に学校が斡旋し、後者では学生本人が主体的に企業にアクセスするスタイルが主流だ。これまで雇用を巡る問題で、この問題はあまり俎上にあがってきていなかったように思う。
筆者は、就職先を確保するプロセスにおいて、社会資本のweak tie(詳しくは、転職において、知り合いの知り合いといった「弱いつながり」が重要な役割を果たすという社会学者M. グラノベッターの転職論を参照。)が重要さを増しているにも関わらず、いわゆる学力的に中位以下の高校生たちがそうしたweak tieと出会う機会が損なわれていることに問題を見出す。それは、本書がいうところの「失われた場」の一つだ。
象徴的な問題として、筆者は、例えば、高校生活におけるアルバイトと学校が生徒へのコントロールを失っていることを挙げ、ソリューションとしてそれらを回復する必要があることを説く(つまり、高校生の活力を奪うアルバイトを禁止し、場としての学校の機能を回復すること)。
ただ、このソリューションには疑問が残る。就職先を確保するために、weak tieが重要な役割を果たすということまでは同意できる(ただし、日本では、転職に際して、strong tieが重要だ、ということを示唆する社会ネットワーク研究の成果もある。)。しかし、日本の公立校の問題として、生徒の流動性の低さが特徴としてあげられる。例えば、小学校、中学校、高校と地元の公立校に進んだ場合、大半の生徒が顔見知りということは、しばしありうることである。
そうすると、高校生活でのアルバイトは、そうした高校生たちにとっては、初めて、学校空間以外での人間関係形成の場となる可能性がある。それを禁止することは、それこそweak tieを摘むことにならないだろうか?
個人的には、問題解決の鍵は、むしろ学校側にあるように思える。つまり、学校が一括して就職を斡旋するという制度側が耐久年数を迎えているのではないか、ということだ。むしろ、就職活動の斡旋を高校が一括して握る現状から引き離して、大卒就職活動のように多様な企業エージェントの介入を認め、むしろ、高校では、地元企業におけるインターンシップの斡旋といった機会の提供とエンパワーメントを行うほうが効果的かつ現実的だと思う。そもそも、基本的に学校という場以外での就業経験が乏しい教師に就職に至るプロセスを委託する制度が、職業形態が多様化した時代に適しているとは到底思えない。
こうした「ソリューション」部分に若干に違和を感じるが、本書からは筆者が異国の土地の問題について、長期間に渡って丹念に研究を進めてきたことが良く伝わってくる。文章も平易な言葉で記述されており、翻訳も分かりやすい。それゆえ、社会学を専門にしていなくても問題なく読み進めることができる。扱っている高卒就職に関する問題も、日本の雇用環境を巡る議論の中でも従来目立って言及されてきたテーマではなく、その意味でも、一読の価値がある。
先日、この本の刊行記念で青山ブックセンター本店で「―「場」が消えて、格差が生まれた― メアリー・C・ブリントン×玄田有史 トークセッション」というイベントが行われた(http://www.aoyamabc.co.jp/10/10_200811/2008123.html)。
NTT出版の半田さん、宮崎さんに誘われて見に行ってきたのだが、定員50人のところに、ざっと見て7,80人集まっていて、雇用の問題、ひいてはロスト・ジェネレーションの問題が未だに耳目を集めるテーマだということを実感した。いい意味でも、悪い意味でも、日本の問題を外部から見た研究成果のひとつだと言えよう。