2009年1月アーカイブ

荻上チキさんも論じているように、同書はいわゆるエスノグラフィーという手法を用いてアメリカのギャング・コミュニティの秩序を描き出している。

この本、今日付けでamazonで182位とかでそれなりに売れているみたいなのだけど、なぜなのだろうか。僕はエスノグラファーではないけれど、フィールドワーカーとしてこの類いの本がそれなりに売れるという事実は大変興味深い。というのも、言葉使いこそブロークンになっているものの、この本はひたすらギャング・コミュニティの日常を描いている本だからだ。僕はコミュニティ分析に関心があるので、こうしたテーマに関心があるけれど、世間一般に読まれる理由というのは良く分からない。けれども、いくつか仮説を立てることはできる。

1. ギャング・コミュニティというテーマが刺激的だから。

一般に自分の生活する「社会」とは異なる「社会」に関心がある。国際情勢だとか宗教に関する本だとかが、世間には満ちあふれている。そうすると、「売れる」フィールドワーク本というのは刺激的なテーマを選択している本ということであり、僕を含めたわりと「ふつー」なテーマを扱うフィールドワーカーにとっては若干残念な結論に収まることになる。

2. ギャング・コミュニティを通して、個別の事態に対する最適化が全体最適性とは異なるという構図が面白いから。

この本では、ギャング・コミュニティが警察も来ない(来ても汚職警官!)、救急車もこないような土地で、住人が生き抜くためのある種の最適戦略として成立している様が描かれる。しかし、この戦略は表裏一体である。確かにこの土地ではこのようなコミュニティが形成されないと生存できないかもしれないが、ギャングにピンハネされ、売春やドラッグが蔓延している状態がベストな生存戦略とは思えない。もちろん逆に、ベストではないが、しかし、自然状態のような無秩序よりかはいくぶんまともな戦略であるとも言うことができる。つまり部分最適化と全体最適化の齟齬が描かれているのだが、これはコミュニティそれ自体の描写よりは広く示唆的である。もし、これが売れている原因だとすれば、フィールドワーカー(少なくとも僕)にとっては大変勇気づけられる。テーマとしては「ふつー」な事例を扱っていても、そこから得られるファインディングスが刺激的であればそれを抽出し記述すれば、学会のみならず市場競争力を持ちうる可能性がある、ということだからだ。

いずれにせよ、僕らはどういう理由で本が流行っているか、正確なところを知る術はもたないけれど、せめて『ヤバい経済学』といい『ヤバい社会学』といい翻訳で、刺激的な文体が使われていれば流行るとかいう悲しい理由でないことが望ましい。

先日、思想地図シンポジウムvol.3が東工大で行われた。

http://www.cswc.jp/lecture/lecture.php?id=60

vol.2に書かせて頂いたご縁で呼んでいただいたので、見に行ってきました。満席予想は出ていたけれども、1000人超えとかだったらしい。僕はあまりイベントに行っているわけではないけれど、しかし、こんなに人が集まってるイベントはちょっと記憶にない。

東さんが司会で、濱野さん、宇野さんのプレゼン、浅田さん、磯崎新さん、宮台真司先生が登壇。

既にいろんなところでレポがあがってるので、気になったこと、面白かったことだけをいくつかメモ。

■磯崎さんのパターン・ランゲージ批判とそれを受けての議論

・パターン・ランゲージに関する磯崎さんの発言。暗黙知を形式知化することは重要。しかし、形式知化されたものを物理的に実装するためには、やはり暗黙知が必要。この問題はPCを用いた建築が主流になってくるに従って、建築の世界では顕著になった。すなわち、物理的に実装困難な素材を平気で図面に入れてくるといったこと。

そこで、東さんの

・コンピュータの容量が大きくなるに従って、建築ではプロセスのログを全て残すことが可能になった。むしろパターン・ランゲージよりそちらのほうが有効では? ←先日の藤村龍至さん訪問@BUILDING K以来の議論。

http://www.round-about.org/2009/01/building_k_4.html

それに対して、宮台先生の

・全てのログを残したとしても、コンテクスト次第でログは多様に解釈できるわけで、実は暗黙知を形式知化することも、ログを残すこともコンテクストに支配される(多分、宮台先生はここまでは言い切ってはいない。)

■ 動物化とエリート論争

第2回のシンポジウムでもなされた「エリート」を重視する宮台先生と誰がエリートか不透明でjust for fun!が重要な意味を持つ時代にエリートたれということの有効性を疑問視する東さんの対立は今回も残っていた。

多分この対立は形式論理的には東さんが正しい。しかし、ここには宮台先生特有の動機づけの問題があるように思える。つまり、東さんの議論はどうしても現状肯定的になりがちだが、それに対して宮台先生の議論は、誤配も含めて読者(今回の場合は聞き手)を動機づける可能性がある。つまり、宮台先生の「エリート」概念は一言でまとめれば、「克己と反省のメンタリティを持つコミュニケーション能力の高い人材」のことだけれど、勘違いも含めて読者や聞き手をそうした学習やメンタリティに動機づけることがあるかもしれない(少なくとも僕は学部前半の頃、随分動機づけられた)。宮台先生の議論にはいつもそのようなある種の読み手の自己啓発を促す気配をいつも感じるのだが、そうだとすれば、宮台先生の発言は論理的な正しさよりも、倫理的要請として受け取るのが正しい。そうすると現状肯定的な東さんに対して、宮台先生が同じく現状を「しょうがない」と判断しているにも関わらずいらだつ理由も見えてこよう。

教訓: 人は論理的正しさによってのみ動員されるわけではない。

先日、『思想地図』vol.2絡みで、建築家の藤村龍至さんにご自身が手がけたBUILDING Kをご案内していただきました。

そのときの様子を藤村さんの事務所のブログにアップしていただいています。

藤村さんは実用としての建築/アートとしての建築という問題に関して独特の問題意識を持っておられ、また、一般に建築家の暗黙知となりがちな設計プロセスの「意図」を論理的に説明する独自の手法を取り入れらている方です。それらはBUILDING Kにも存分に発揮されていて、門外漢の僕たちにも理解できるように実物を見つつ図面等も用いて説明してくださいました。設計された方に実物を見ながら説明していただき議論するという大変贅沢な時間でした。藤村さんは執筆やアクティビティに関しても積極的に取り組んでおられます。分野こそ異なりますが、大変刺激を受けた一日でした。

ノロ

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あまりに体調が悪くて、さすがに病院に行ってきました。

ノロ認定されました。

ネットのノロ情報では、一日、二日で症状が改善する、とあったので、ノロではないと思っていたのですが、お医者さん曰く、全然そんなことはなくて、多様な症状があるとか。。

こんなことならもっと早い段階(もっと辛い段階)で病院に行くべきでした。まあ、とはいえ、ノロには対症療法しかないらしいですが。

病院に行ったのは一人暮らしをするようになって初めてのことで、病院に行ったのはおそらく10年ぶりくらいでした。なんだか混んでましたよ、病院というところは。

いずれにせよ早く元気になりたいと思う今日この頃です。

一昨日、批評家荻上チキさんにインタビューしていただきました。

かなり体調が優れなかったのですが、3時間近く僕の知的背景、「政治」のこと、同世代のこと等々多方面に渡って大変楽しくお話させていただきました。チキさんと話しているうちにアドレナリンが湧いてきて、少し元気になりました。

編集して(かなりのボリュームですので、少し時間がかかることが予想されます)チキさんの荻上式BLOGに掲載していただくことになっています。掲載の折には読んでいただけると嬉しく思います。



昨日から食あたり(か、お腹の風邪かそんなもの)で苦しんでいます。
全然デリケートなキャラではないのに。
久々にかなり辛い。。。

今日の19時30分から、EcoSurfer主催で、藤沢市辻堂南口の商店関係者の方を集めた辻堂駅南口エリアの地域活性化ミーティングが開催されます。僕も少しだけお話させていただく予定です。

EcoSurferのblogでも紹介されているように、この企画は辻堂駅北口の湘南C-X構想を念頭においたものです。「辻堂駅北口に集まってくるひとの流れをいかに南口にも流すか?」ということをテーマに、南口エリアの商店関係者の交流と企画立案に今後取り組んでいきます。

いわゆる「大規模商業施設進出反対」を呼びかけるような活動ではなく、いかに北口に集まってくる人を南口に流して南口も活性化させるかについて検討するポジティブなものになるでしょう。

共同通信社の方も取材に来てくださるとのことです。
楽しみですね。

若手の批評集団筑波批評社さんの「自己啓発トークラジオSURViVE第27回」を拝聴させていただきました。というのも、知人に、「『思想地図』vol.2の特集をやってるよ」と教えてもらったからです。

http://d.hatena.ne.jp/tsukubahihyou/20090117/1232176521


そもそも僕の力量不足か地域というテーマが一般的には地味だからか、それとも「思想」とはちょっと異なるテーマだったからは分かりませんが、『思想地図』vol.2についてのリアクションをあまり発見できずちょっと寂しかった矢先に、2時間にも渡って『思想地図』や僕の論考に言及していただき嬉しくなったので、こうしてリアクションしてみているわけです。

そういえば、筑波批評社の皆さんと直接の面識はないのですが、動画の中でも言及されているようにklov君とは昨年の宮台ゼミの忘年会で隣席になってお話したことがありました(klov君がいた時間帯はまだ比較的まともな話をしていたような朧げな記憶があります...)。

まず、率直な感想から言えば、筑波批評社さんたちのような僕と同じ、若しくは近い世代の読み手の方に、議論の大筋を理解しある程度は共感していただけるということを大変嬉しく思いました。僕は座談会でも言及したとおり、主体の意識の問題と<社会>水準の問題は別水準で議論する必要があるという(ある意味では至極オーソドックスな)立場ですが、どうもこのような立場は昨今のある種の論壇的な議論の主流を占める「物語」的な立場ではないこと、またある年代以上の「知識人」的な階層にも生理的に受け入れ難いものであることを感じていたからです。

さて、ちょっとだけ言い訳めいたこともしておくと、「SURViVE」の中で『思想地図』vol.2の僕の論考がフィールド研究の中でどのような位置づけなのかといった話題が出ていましたが、実際には半構造化インタビューという手法で質的データを収集しており、それらを集計した定量的なデータもちゃんと手元にあって、これから学会関連(いわゆる「学会誌」ってやつですね)にそうしたデータと理論を使ってがちがちの理論系の論文と事例研究系の論文を投稿したいと思っています。ですが、他方で『思想地図』は多くの人が目にする媒体なので、従って事例の詳細よりもそこから得られるある種のインプリケーションをまとめたわけです。だから、「研究」という意味では、インタヴューに行ったり、理論を参照したり、もしくは(「中範囲の理論」的な)理論構築を試みたりと結構「普通」なやり方で研究自体は進めています。

全体を通して社会批評や社会学的なものの議論についても議論されていましたが、文脈を共有しない同世代の方の問題意識のようなものの片鱗に触れたようで大変興味深く拝聴しました。とにかく筑波批評社の皆さんが、熱くなって楽しそうに議論されていたのがとても印象的で、機会があればどこかで直接お話してみたいと思いました。

最後に、「社会学の「流れ」を俯瞰できる本が良く分からない」という話題が出ていたので、そのような本を何冊か紹介しておきます。ただし、僕は社会学専攻ではないので、よくご存知のものを挙げていたら重複すいません。

『クロニクル社会学』は社会学の定番教科書で、まさに年代ごと人ごとに焦点をあててエピソード風になっていて、ざっと社会学史を概観できます。余談ですが、以前は小熊英二さんの社会学講義「現代と社会システム」の教科書にも指定されていました(今は分かりません)。

社会学の比較的新しい理論と方法を紹介している教科書。『クロニクル社会学』が社会学史を紹介するのに対して、対象読者層は同じだがこちらは現代社会学の理論と方法を俯瞰する、といった感じになっています。

『講座』シリーズの一冊目。これも社会学の比較的現代的様相を俯瞰したものだが、上2冊と比べるとちょっと難し目。

パーソンズが知識社会学中心に社会学の系譜を振り返っている。パーソンズの著作の中ではかなり薄い部類で読みやすい。

上記の本同様に、こちらはルーマンが社会学の理論構成を概観している。個人的には、ギデンズの『社会学』とかよりは勉強になった気がしているけど、最後2冊は個人的趣向に限りなく近いのでスルーしてください。

先日、平塚市の社会福祉法人工房絵を案内していただきました。

社会福祉法人は国からの助成金が年々削減され(聞いた話では将来的にはなくなる方針とか)、自主事業化が求められている厳しい環境にあるそうです。そのような中で、工房絵はデザイン事業などに取り組んでおり、新しい社会福祉法人のあり方を模索していることで有名な団体です。事業化で恊働できるのではないか、ということを模索するために今回案内していただきました。正直、僕も足を運んでみるまでは全く想像の及ばない世界だったのですが、世界の「ありそうもなさ」について想像させていただく貴重な機会になりました。

事業構築が何かの契機になればと思うので、真剣に検討したいと思っております。人ができることを持ち寄って絶えず社会を変化させていくことの正の側面に積極的に注目するのがweb2.0時代のリアリティであるとすれば、それはオフラインの制度設計についても示唆的なはずだ、というのが僕が関わる全ての地域関連のプロジェクトに通底する問題意識です。当然といえば当然ですが、僕は僕のできることしかできないので、僕にできることをやりたいと思っています。

そう、工房絵からの帰りに1人の青年が平塚駅まで送ってきてくれたのですが、その途中、平塚の町を案内してくれました。知らなかったのですが、播町皿屋敷物語のお菊は実は平塚出身で、お菊を弔ったお菊塚などがあるのでした。平塚の駅に降りたのは実は5,6度目に過ぎないのですが、なかなか興味深い町です。

ビーチマネーが、人力検索はてなで話題になっていました。

http://q.hatena.ne.jp/1229316507/196545/

このような多くの方の感想は、僕にとっても大変刺激になります。ふと気になって、いまGoogleで「エコサーファー」「EcoSurfer」と検索してみました。もちろんすべてが該当するわけではありませんが(特に後者は「eco」+「Surfer」での検索になってしまうので)、前者が35,6000件、後者が1,210,000件となっていて関心の高さを感じました。

ところで、EcoSurferと僕は環境貢献意識の啓蒙、環境貢献活動、社会企業(起業)、地域活性化、CSR、行政や企業、そしてNPOの恊働事業のデザイン等に関して、講演、セミナー、体験型ワークショップ等を企画立案から請け負っています。

EcoSurfer代表の堀さんは既に多くの場所でこれらの活動を行ってきた経験や豊富なメディアへの出演経験があり、僕にもいくつかのイベントに登壇してきた経験や著作があります。2人同時にということでは、昨年11月慶應義塾大学の井庭崇先生も交えて慶應義塾大学ORFで、約90分のトークセッション「創造力による新しい地域活性の構想:創発型地域活性へ」を行いました。

関心のある方はお気軽に、サイドバーの「about me」内の連絡先からご相談下さい。

EcoSurferのサイトで、代表の堀直也氏のご協力のもと昨年9月から取り組んでいるビーチマネーの使用状況についての中間報告書をアップしていただきました。

http://www.eco-surf.com/beachmoney/beachmoneymeeting.html

現在、ビーチマネーに参加しているお店のうち、57のお店にインタビューさせていただいた内容をもとに作成したものです。全てのお店を回った後に、最終報告という形で再度まとめさせていただきます。ご協力頂いたビーチマネーショップの皆様、堀さん、ありがとうございました。

このサイトには、堀さんに撮影していただいていたフィールドワーク中の懐かしい写真もいくつかアップされています。半構造化インタヴューなので、話がどんどん展開して気がつけば長時間話しこんでいることも多々ありました。

「現場」には、多くの暗黙知とソリューションが存在します。それを「発見」し、その「本質」を共有することはイノベーションのファーストステップだと言われています。

そして、僕にとっては「「地域」を研究のフィールドにする」からには、常にそうしたソーシャル・イノベーションに関連した実践的な水準でやりたいと思っています。傲慢かもしれませんが、少なくとも「ある「地域」の現場や現状はこうなっている、以上」という研究はやりたくない。そこには「コミットメント」の概念が抜け落ちているからです。コミットメントはある種の責任のようなものも伴うので大変なときもありますが、地域を「研究対象」にするからには倫理的に不可欠ではないかと個人的には思っています。

以下は、IDEOのイノベーション・メイキングの事例やプロセスを紹介しているイノベーションについての定番本。また、井庭研の定番の輪読書でもあります。

有名英語講師の横山雅彦先生が教養について論じている。なぜ「先生」か? それは、高校3年生のときに、東進ハイスクール奈良校(笑)とSPSで、横山先生の授業を受けていたからだ。最初衛星放送で衝撃を受け、その後どうしても生授業が受けたくて奈良からわざわざ梅田のSPSまで通ったのだ。横山先生の存在が、大学入学以降「教養」的なものにカブれるおおきなきっかけになったことは間違いない。当時を思い出しつつ、大変懐かしくページをめくった。

横山先生は大変「厳しい」先生だった。当時、既に新幹線で東京と大阪を往復するような超有名講師だったのだが、どこの予備校にでも普通に見られる夏期講習の際に予備校の階段にたむろしている連中に、「ここで頑張らないでどうする!」と激怒されていたことが記憶に残っている。あるいは、自身の「マラソンゼミ」という英文超多読講座で、予習をしてこない生徒に「君は何しに来てるの? 明日から来なくていいよ」とおっしゃっていたことも。さらに、教室で英訳を読み上げさせられるのだが、訳が間違っているとどんどん重ねて正しい訳を読まれていったこともあった。当時は大変怖かったが、今思えば怒るには多くのエネルギーがいる。生徒のことを思うがゆえの、厳しさだったのだろう。

しかも、ただ厳しいだけではなくて、講義のあとも遅くまで英作文や過去問の記述問題の添削に付き合ってくださったことも思い出す。先生はもう覚えてらっしゃらないだろうが、ずいぶん偏差値が不足していたにも関わらず、受験前に暖かい言葉をかけてくださったことも。そして、合格の報告に行ったら、握手して「ここからがスタートだから頑張りなさい」といった主旨の言葉をかけてくださったように記憶している。

ただの予備校講師ではなく、博士過程まで進んだ上で、職業としての「予備校講師」を選択された先生だけに、当時からすれば大変教養に富んだ話に聴こえた。確か空手に通じておられ、武道家のオーラルヒストリーにかんする著作を執筆されていたようにも記憶している。衛星授業でさえ話が脱線することも多く、とにかく「体温の高い」方だったが、この著作にもその本領が存分に発揮されている。今では議論の細部については異論があるものもあるが、しかし、それよりも遥かに大事なことは、受験生たちに「大学」には、何か「すごいもの」があると思わせられるある種の魅力があることだ。実存的感染を引き起こす、とでも言えようか。極論を言えば、それさえ伝えることができれば、勉強など自分で取り組むことができる。そうしたことを伝えられる先生は、今も昔も大変少ない。学校にも、予備校にもだ。幸運にも、その後も大学に限らず、そうした幾人かの「先生」方に出会うことができたが、そうした「先生」たちのことは会わなくなってからもずっと覚えている。例えば「予備校など受験テクニックを磨くだけの場所だから、長居をしてもしょうがない。本当の学問をするために早く大学に行きなさい。」とおっしゃる横山先生の真摯な言葉は、不思議と今も鮮明に蘇る。

大学に入ってから現在に至るまで、予備校講師や家庭教師なんかで、随分な数の小学生から高校生くらいの子供たちに勉強を教えるようになった。運が良ければ、将来的に大学でもそうしたポストを得ることができるかもしれない。横山先生の域には到底届かないけれども、そうした「体温の高さ」のようなものはいつまでも失わないようにしたい。

最後に付け加えとくと、この本は大学受験生だけじゃなくて、比較的高度な「一般教養」を頑張れば中高生でも読めるような大変平易な言葉で記述しているという意味で、シュウカツの人やこれから大学で勉強していく大学1年生なんかにもいいだろう。


メディアは必ず独自のコミュニケーションと形式、コードを持っている。そして、その形式とコードの背後には、なんらかの合理性が存在する(ということは、同時に非合理性も)。もし、内容的に同意できても、ある議論に違和感や既視感があるとすれば、内容ではなくその議論に使用しているメディアの耐久性に問題があるのかもしれない。実際、人文社会科学の理論的水準での到達点は、哲学も社会理論も形式は違えどかなり近い。

その観点から昨今の社会分析や社会批評を振り返ると、どうにも「善し悪し」や「是非」を判断するどうにも意味や価値観に基づく仕事が多いように感じる。本来、社会分析とは、「社会的事実をもののように見る」(デュルケム)ことではなかったか。

それに対するひとつのオルタナティブが『思想地図』vol.2(NHK出版)の「ソシオフィジクスは可能か」座談会の試みだったのかもしれない。「ソシオフィジクス」というのは、社会を意味するsocioと物理学を意味するphysicsを掛け合わせた造語だけれども、欧米ではphysics of societyやsocial physicsの伝統が今も生きていて著作も出版されている。こうした知的伝統は社会学の祖にあたる先のデュルケムやコント、ケトレーらに遡ることができる。そして、ネットワークやロングテールなどを介して主題レベルで人文・社会科学と自然科学が接近しつつある中で、改めてこうした議論が見直されているのが現状だ。

もちろんそうした「社会的事実をもののように見る」physics of societyや social physicsも独自のコミュニケーションや形式を持っており、それは価値観から脱することでを意味しない。「社会的事実をもののように見る」という態度は、「社会的事実をもののように見る」という価値観を帯びるし、批評性のなさは、「批評性のなさ」という批評性を必ず帯びる。社会学者ニクラス・ルーマンは、古典理論家の概念の使用とデータの陳述に終止し固有のコミュニケーションを確立できないという自身の社会学に対する問題意識から、オルタナティブとしてシステム理論の用語系という「新しい形式」の使用を試みた。ルーマンのシステム理論的記述が社会学に根付くには至らなかったが、このルーマンの試みは社会学のみならず注目に値する。

社会分析や批評に、閉塞感や既視感があるとすれば、内容ではなくそこで使用されている形式に問題があるのかもしれない。内容のみならず、その形式や方法を考えることに、もしかすると「ゼロ年代」の次があるのかもしれない。

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旧年中は格別のご厚情を賜り厚く御礼申し上げます。本年もどうぞよろしくお願いします。

31日はτにいて帰ったら寝てしまい、元日は一日ぼーっと本を読みつつ、DVDとニコ動を観てるとかいう正月で、今はまたτにいます。確か昨年は風がきつい正月だったように記憶していますが、今年は穏やかに晴れています。

今年は年明け早々大学院修了に向けて頑張らなければなりませんが、それが終わればいろいろとやりたいことがあります。昨年蒔いたいくつかの種も収穫したいですし。

ぜひ、2009年をいい年にしていきましょう。

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