先日、思想地図シンポジウムvol.3が東工大で行われた。
http://www.cswc.jp/lecture/lecture.php?id=60
vol.2に書かせて頂いたご縁で呼んでいただいたので、見に行ってきました。満席予想は出ていたけれども、1000人超えとかだったらしい。僕はあまりイベントに行っているわけではないけれど、しかし、こんなに人が集まってるイベントはちょっと記憶にない。
東さんが司会で、濱野さん、宇野さんのプレゼン、浅田さん、磯崎新さん、宮台真司先生が登壇。
既にいろんなところでレポがあがってるので、気になったこと、面白かったことだけをいくつかメモ。
■磯崎さんのパターン・ランゲージ批判とそれを受けての議論
・パターン・ランゲージに関する磯崎さんの発言。暗黙知を形式知化することは重要。しかし、形式知化されたものを物理的に実装するためには、やはり暗黙知が必要。この問題はPCを用いた建築が主流になってくるに従って、建築の世界では顕著になった。すなわち、物理的に実装困難な素材を平気で図面に入れてくるといったこと。
そこで、東さんの
・コンピュータの容量が大きくなるに従って、建築ではプロセスのログを全て残すことが可能になった。むしろパターン・ランゲージよりそちらのほうが有効では? ←先日の藤村龍至さん訪問@BUILDING K以来の議論。
http://www.round-about.org/2009/01/building_k_4.html
それに対して、宮台先生の
・全てのログを残したとしても、コンテクスト次第でログは多様に解釈できるわけで、実は暗黙知を形式知化することも、ログを残すこともコンテクストに支配される(多分、宮台先生はここまでは言い切ってはいない。)
■ 動物化とエリート論争
第2回のシンポジウムでもなされた「エリート」を重視する宮台先生と誰がエリートか不透明でjust for fun!が重要な意味を持つ時代にエリートたれということの有効性を疑問視する東さんの対立は今回も残っていた。
多分この対立は形式論理的には東さんが正しい。しかし、ここには宮台先生特有の動機づけの問題があるように思える。つまり、東さんの議論はどうしても現状肯定的になりがちだが、それに対して宮台先生の議論は、誤配も含めて読者(今回の場合は聞き手)を動機づける可能性がある。つまり、宮台先生の「エリート」概念は一言でまとめれば、「克己と反省のメンタリティを持つコミュニケーション能力の高い人材」のことだけれど、勘違いも含めて読者や聞き手をそうした学習やメンタリティに動機づけることがあるかもしれない(少なくとも僕は学部前半の頃、随分動機づけられた)。宮台先生の議論にはいつもそのようなある種の読み手の自己啓発を促す気配をいつも感じるのだが、そうだとすれば、宮台先生の発言は論理的な正しさよりも、倫理的要請として受け取るのが正しい。そうすると現状肯定的な東さんに対して、宮台先生が同じく現状を「しょうがない」と判断しているにも関わらずいらだつ理由も見えてこよう。
教訓: 人は論理的正しさによってのみ動員されるわけではない。

