クラウド・コンピューティング時代のSFとはなにか。

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前から観たいと思っていた『イーグル・アイ』をようやく観た。メインフレーム・コンピュータの暴走と生活のあらゆる情報が記録される監視社会というテーマを、現代風に比較的コンパクトかつ早い展開でまとめた秀逸なエンターテイメントだ。しかし、集合知やクラウド・コンピューティングの可能性が問われている現代において、メインフレームの暴走という主題は、どうにも時代遅れ感が漂う。スピルバーグの過去の『マイノリティ・リポート』のプリコグもメインフレームに近い概念だが、今作もほとんど同様のコンピュータ概念のままでアップデートされていない。

近い将来(というか今でも)、日常を取り巻く危機はネットワークに接続されあらゆるログが記録される時代は到来するだろう。けれども、それらの情報をどのように利用するかという目的の選択は決定的に人間に残されたままである。コンピュータの情報処理速度はさらに高速になり、記憶容量と収集されるデータは増大し、データマイニングのアルゴリズムもさらに高度になることは自明だが、その結果得られるものもまた「情報」であり、それをいかに利用するかという選択は人の手に残されたままである。

例えば、amazonのリコメンド機能は、過去の個人の購買履歴からおすすめを提示するがそれを買うか買わないかという選択の決定権は、依然として私たちに残されているという例が挙げられる。「選択」の背後には当然さらに購買行動を決定する情報を与える所与の前提が存在するが、論理的にはそれらにも存在の所与の前提があり結果として無限背進するがゆえに、こうした所与の前提に人間の決定がコントロールされているという言明は現下の時代状況ではあまり有意味ではない。

幸か不幸か、人間がメインフレーム・コンピュータに支配される『マトリックス』的状況は、コンピュータの進化を考えても近い将来訪れるとは到底思えない。おそらく「選択」の決定権は人間に委ねられ続け、直観的にそのことが人間性や人間の意味を考えるうえでも重要な意味を持っている気がする。効用関数のような論理的な前提のみならず、気分や状況に多分に左右される恣意的な人間的選択を近い将来コンピュータが行うようになるとは考えにくい。それゆえ昔からよくテーマにされてきたわけだが、既に使い古されておりオルタナティブが欲しい。

これらの理由により『イーグル・アイ』のメインフレーム・コンピュータによる支配という使い古された主題は、少なくとも個人的には想像力が全く刺激されなかった。このつまらなさは、時代状況に物語の設定が決定的に負けていることに起因するように思われる。そのことで本作の舞台となっている、かなり近い将来の状況設定の説得力が失われている。寡聞にしてあまり知らないが、流行りどころでいえばクラウド・コンピューティングや集合知のそのはるか延長線上にある社会や時代状況を設定とした物語を消費したい。全くの余談だけれど、メインフレーム支配の話題に関連していえば、個人的には『ターミネーター4』の公開とテレビシリーズの『ターミネーター:サラ・コナー クロニクルズ』セカンド・シーズンのDVD発売(共に2009年の6月らしい)を今から心待ちにしている。


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