宮台真司先生のエントリーによると、新刊の『日本の難点』の売れ行きが好調だそうである。
先日拝読したのだが、個人的な感想は「宮台真司 is back!!」。
先日の『思想地図』のイベントについてのエントリーでちょっと触れたように、個人的に評論家に求めるものは1)インデックス機能と2)文脈接続機能なのだけれど、メディア論、教育論、幸福論、米国論、日本論を同時に扱った、ひさびさに宮台先生の真骨頂ともいえる情報量とスピード感に満ちた作品である。
最近の宮台先生には各論を扱った仕事が多かったように記憶しているが、思えばもう6,7年前初めて宮台先生の著作を手に取ったとき、この決定的な情報量とスピード感、文脈接続の手腕に圧倒され心酔したものである。実証性や論理的精緻さとは少し異なるが、時代の文脈を念頭においてもとても重要な仕事であることは間違いない。宮台先生以降、東さんやcharlie(鈴木謙介)さんたちがそうした仕事を担っているが、彼ら自身も時折言及するように特に政治分野からは撤退気味で、個人的にはそれ以下の世代の評論家になると、ネットと教育、政治などをさまざまな媒体で繋いでいく荻上チキさんの仕事のような例外を除いて、ただ個別のコンテンツや媒体が対象としている人たちだけが存在していて、文脈接続という観点はすっぽり抜け落ちてしまっているように見える。実際、宇野さんと濱野さんの仕事は理解できるのだが、正直福嶋さんや黒瀬君の仕事となると、もはやほとんど理解できない。もしこのままの状態でいきなり評論家の世代交代が起きたとすると、人間としては二人とも好きなのだけど、残念ながら内容が理解できないというただひとつの理由によって、少なくとも僕はその市場の消費者から撤退することになるだろう(もちろんそれは大勢とは関係がないことだけれども)。
東さんは最近「批評とはなにか」などでよく批評の批評性についてよく言及されているが、実は意外と答えはシンプルで、評論家という独自の立場を「確保」するためには関心がなくても他の分野に目配りしてやっていったほうがメリットがある、というある種の損得の問題に帰結するのではないかという気がするし、個人的には『思想地図』やゼロアカを主催する東さんの振る舞いはそのようにも見える。
僕は研究者と実務家を目指しているわけで評論家ではないが、メタ視点を取ってみることはあらゆる分野で重要なことだと思う。ただし、メタ視点をとったうえで、再度コミットすることが必要だとは思うけれど。
少し話がそれたが、『日本の難点』について、どうやら「僕たちの好きな宮台真司が帰ってきた」といえそうである。

