『週刊SPA!』4/21号で、「[間違いだらけのエコ活動]が地球を壊す」という特集が組まれていた。市民団体などが「地球環境に貢献したい」という善意で取り組んでいる活動が、逆に環境負荷の高い結果を生み出している事態を取り上げている。取り上げられている事例は、「かつて鮭が生息したことのない川への鮭の稚魚の放流活動」、CO2吸収量が多いケナフの植栽活動、バイオエタノールの三つ。
個別の事例については、さほど詳しくないのでその賛否についてではなく、「地球環境に貢献したい」という善意で取り組んでいる活動が、逆に環境負荷の高い結果を生み出すということに関して言及してみる。
昨今空前のエコブームでなんでもかんでも「エコ〜」と名づけるのが、最近の流行りだが、ちょっと考えてみればエコとはなにかは良く分からない。大抵の「エコ」はおそらく英語のEcologyの略だが、Ecologyは「生態系」を意味するにすぎない。
僕も環境貢献活動にも携わっているのでいろいろとウォッチしているけれど、環境貢献活動に関わっている団体にはニューエイジ的な団体や70年代のヒッピームーブメントの名残も少なくなく、実証可能な根拠に乏しい活動も少なくない。その意味で、個人的には「エコ」というどこか曖昧模糊とした言葉は、あまり好きではない。ネーミングや語呂は悪くないけれど、だからこそ行政のウェブサイトや団体の活動報告書にまで、なんでもかんでもとりあえず「エコ」という言葉をつけるのは適切ではないだろう。
いずれどこかで詳しく述べたいとは思うけれど、社会問題としての環境問題(そもそも「問題」とされている時点で既に社会的な概念になっているのだけれど)と各種の環境の変化は別の水準の概念であるということだけは指摘しておく。例えば社会学者ニクラス・ルーマンはこの問題を『エコロジーのコミュニケーション』で詳しく説明している。社会学者のウルリッヒ・ベックの一連のリスク論も参考になるだろう。
また、同特集のコラムで環境ジャーナリストなる人物が「エコ3か条」として「大きなエコより小さなエコから」「いきなり始めるのではなく、徐々にはじめていくのがコツ」「エコは知ることから始めよう!」を掲げているが、これらは全く実効的な提案とは思えない。
それよりも環境問題に取り組むうえで重要なことは、
- 活動を外部から評価可能な形にしておくこと
- いろいろなアクターとコミュニケーションを取り続けること
- 活動について絶えずPDCAサイクルをまわし続けること
- 環境貢献活動の限界を踏まえた上で、それでもコミットし実践していくこと
である。日本の個々人の取り組みと現存の仕組みで地球環境の劣化の大局的な流れを変えることは、世界の人口分布や後発発展諸国の開発などの問題を念頭におくと、現時点では現実的とはいい難い。
しかし、このことは無駄だから何もするな、ということだけを意味するわけでは全くない。論理的に考えれば、現実を見極め(≒正しく評価し)、絶えず新しい効果的な仕組みや制度(=イノベーション)について、より実効的な方法を試行錯誤と創意工夫し、それらを広く周知し自分ができる範囲のことからコミットしていくということも帰結される。後者は、少なくとも僕の環境貢献活動についての信条である。
善意の市民活動を非難するわけではないが、その方法(How?)についてはまだまだ研究、改善の余地があることだけは間違いない。

