先日、以下のイベントに行ってた。
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『思想地図vol.3』(NHK出版)刊行記念
濱野智史×藤村龍至トークイベント
「設計/デザインを考える」
http://www.nhk-book.co.jp/books/nhk_books/shisou/info04.html
■2009年6月28日(日)19:00〜(開場18:30〜)
■会場:青山ブックセンター本店内・カルチャーサロン青山
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既に、BUILDING K日記をはじめ、各所でレポもあがっているみたいなので、気になった点についてのみ、いくつか言及する。
まず、藤村さんの超線形設計プロセスがウェブ的なのかということについて。
藤村さんは、
・ジャンプしない
・分岐しない
・後戻りしない
ということを、その重要な要素としてあげている(そして、後半の発言によれば、この三つの原則の絶対性自体は検討する必要があると理解してよい?)。
実にシンプルな、そして、厳密なルールから、あの複雑な建築が、関係諸アクターのさまざまな要望を飲み込んだ形で、創造され、さらに、それが方法論として教師の主観から離れた形で教育/評価可能であるという点は、既に周知の事実であるともいえるが、やはり押さえておくべきポイントだろう。
そのうえで、そうした本質とは別に、こうした方法論をウェブ的(ないしグーグル的)と形容するべきなのかどうかという問題が存在する。
なぜここに疑問を呈するかというと、ウェブ的なもの、特にウェブ2.0的なものをイメージしたとき(例えば、WikiやGoogle Docs )、それらの大半においては、分岐、枝分かれ、後戻り、全て可能なのである(おそらく、各所でなされている指摘なのではないかという気がするが、寡聞にして藤村さんがどのように回答されているかは知らない。)。
これは「ウェブ的」「グーグル的」なのだろうか?
こうしたことを念頭におくと、僕は、藤村さんの方法について、三つの客観的でシンプルなルールから、ある意味では偶有的に場所のそのときの環境(「いま、ここ」)に適合した取り替えが効かない建築物が「立上がってくる」ことこそが重要で、これはむしろ、ウェブ的というよりはシミュレーション的と呼ぶ方がふさわしいのではないかという感想を持った(しかし、語感として、「ウェブ的」のほうが時代に沿うということもよく理解できる)。
シミュレーションは、作動ルールの分からない対象のルールを仮定して、その動きをコンピューターで模倣してみて、結果的に対象を理解するための方法である。
例えば、良く知られている「ボイド」と呼ばれるシミュレーションでは、
・他のオブジェクトとある一定の距離を取る
・他のオブジェクトと概ね同じ方向に向かうよう速度と距離をあわせる
(・群れの中心方向に向かう)
というシンプルなルールから、「鳥の群れらしきもの」が再現される。
(ボイドについてのWikipediaは、こちら)
(ボイドのサンプルはこちら)
鳥の群れの形成原理が、本当にこのようになっているかということは分からないのだが、この原理によって極めて「鳥の群れ」に似た現象が再現されるのである。
その意味で、藤村さんの方法は、ウェブよりも、こうしたシミュレーション的世界観と親和性があるような気がした。なお、こうした世界観については、マーク・ブキャナンの『複雑な世界、単純な法則』や新刊『人は原子、世界は物理法則で動く』などが参考になるだろう(余談だが、後者は先日紹介したように、社会物理学についても言及していて面白い。)。
ただ、藤村さんが何度か繰り返した、「この手法を使うことで、最低限スペックを全て満たしたものは誰でも作れるようになる」という点は、「ウェブ的なもの」との親和性があるとも思う。
梅田望夫は、ネット対局の普及によって、将棋である一定のレベルに到達するまでの学習効率が著しく高まったことに、高速道路の比喩を用いて説明した。そして、梅田はその先のレベルに抜け出すところで「渋滞」が起きていると述べたのだが、そうした課題はこの超線形設計プロセスにも当てはまるように思う。つまり、超線形設計プロセスという方法で、最低限のスペックを兼ね揃えているといった水準までは、多くの人が脱落することなしに到達することができるのだが、そこから先、そうして作られた建築物のうちどれが、例えば芸術的建築物の域に達するのかというところはうまく説明できないように思えるのである。
ところで、このように、ウェブや建築の世界では「ミドルクラス」が増え、そこから先どこに行くのかという問題が浮上してきている。だが、僕が専門とする「地域」の問題に目を向けるとまだその水準にまで達していはいないように思える。
そこで、個人的には、濱野さん的に言えば、ウェブ的な要素を念頭においた手法を行政、民間、中間団体問わず、同時多発的に仕掛けることで、まず「ミドルクラス」を増やすという水準にしていきたいと考えている。ざっくりいえば、「社会制度のオープンソース化」とでも言うべきコンセプトになるだろうか。ちなみに、先日、ある研究会で2時間ほど漠然とそんな話をしてきて、現在それを興していただいているので、いずれ、そうした議論を提示することもあるかもしれない。
こうしたことを踏まえると、先日のイベントは、建徳とウェブという一見大きく離れたように見える領域を、抽象的な水準で行き来ししていく貴重な試みであり、今回の議論だけで十分であるとは言えないが、少なくともその端緒となる重要なものであったといえるのではないだろうか。


