『ストリートの思想』を読んだ。案の定ともいえるが、しかし少し期待していただけに、残念だった。
本書が取り扱う大半の記述が、「ストリートの思想」ではなくて、せいぜい「思想の、「ストリート」への仮託」に過ぎない。もともと「左翼的マインド」のようなものをもっている連中が始めた「ストリート」発の「新しい社会運動」のような対象を記述して、「ストリートの思想」もなにもないだろう。そのような言説は一種のマッチポンプに過ぎず、本書で批判されている「オタクの思想」よりもはるかにタチが悪い。本書では「オタクの思想」は、「ストリートの思想」と異なり、日常に根ざしていないと批判されるが、むしろ「オタクの思想」はコンテンツに根ざしており、それは本書のような「ストリートの思想」よりも彼らの日常に根ざしている。本書が掲げる「ストリートの思想」は、本来的なストリートに根ざした立場よりは、むしろ本書が批判するグローバリゼーション的、商業主義的な「ストリート的なもの」に近いのではないか。カルスタ的言説がなんでもかんでも「反権力」と結びつけたがるからといって、他の言説と比較して特権的な立場に立つことなどできるはずはない。
ところで、当初僕は本書に何を期待していたのだろうか? 本書からは全く伝わってこなかったが、ストリートに思想を見出すことは確かに可能なはずなのである。ただし、そのためには観察対象として、当人たちが政治的、特に左翼的意識ではなく、「日常」に根ざした活動の中からはじめたムーブメントが、社会的水準から見たときに結果的に政治的機能を果たしているような事例を取り扱う必要があるはずである。ジャパニーズ・ヒップホップ、スケートボード、ヤンキー、サーファー、日本のストリートやローカル・コミュニティに根ざした「カルチャー」は数多くある。権力性や反権力性を読み込む前に、そのようなコミュニティの丁寧な観察をする必要がある(例えば『ヤバい社会学』のように。)。少なくとも、僕はカルスタではなく、そうした記述を読みたい(いずれ、自分でもやろうと思っている)。

