そば飯と明石焼き。ボリュームはあるけど、あくまで上品な神戸仕様。


そば飯と明石焼き。ボリュームはあるけど、あくまで上品な神戸仕様。


少し時間が経ってしまったのだけど、石巻から帰ってきた翌々日からふたたび兵庫県に足を運ぶことになった。県庁と、阪神淡路大震災当時復興に携わり、東日本大震災の現場でも活躍されている、あるNGOのかたにヒアリングさせていただくためだ。
調査は滞りなく済んだ。その話はまたどこかで報告書や論文として公開することになるはずだからとりあえずおいておくとして、長田の商店街のはなしを書いておきたい。長田は神戸の中心地である三宮や元町からやや西に寄ったまちだ。
長田のまちは阪神淡路大震災以前には、ケミカルシューズを製造する中小企業が集まったまちとして知られていて、その商店街は阪神淡路大震災の復興の「失敗」として、ときおり文献のなかで描かれている。その商店街に足を運んでみたいと以前から思っていた。
実際訪ねてみて、息をのんだ。とにかく人がいない。復興のシンボルとしてよくしられている実物大鉄人28号がある商店街入り口近辺はまだいい。5分も歩くと人通りがまばらになり、シャッターを下ろした商店が増えてくる。地下にも店舗があるが、大半の店のシャッターがしまっている。もはや小売店の集積という商店街に不可欠な機能が事実として損なわれている。
シャターをおろした商店では、新たにコンテンツとして持ち込まれた三国志のモチーフをおき、おそらく大学等と協働しているのであろうコミュニティカフェがあり、補助金で設置されたのであろうデジタルサイネージが地元密着番組とおぼしき映像を流している。商店街活性化のセオリー通りである。結果はどうか。
とあるインタビュイーから、長田の商店街は、地元のひとたちのアイディアを汲むようにしつつ、中身はまるで違う行政主導のハコモノ優先のものになったときいた。詳しく調べたわけではないので、断言はできないが、すくなくとも事実として現在、商店街がその規模にみあった集積機能を発揮できていないことは間違いなさそうだ。
そこにはまだおいしい明石焼きとそば飯を出す店があり、モツ焼きを売っている店がある。けれども、事実としてすでに店舗間の距離はあき、集積の力が損なわれた場所で営業を続けなければならないという過酷な状況に追い込まれている。大きすぎる商店街を、小さくして、高度化していくという道筋は寡聞にしてしらないが、そうした道筋も考えなければならないように見える。
阪神淡路からおよそ16年がたったわけだが、こうした記憶は果たして東日本大震災の復興過程で活きることになるのか。都合のわるいものとして忘却されるのか。さまざまなかたちで「新たな東北象」が構想されてもいるさまが漏れ聞こえてくるが、外部からトップダウンにもちこまれる施策は、「そこではない、外部の場所での「成功例」」をもとに持ち込まれる。往々にして、その外部と、その土地の諸前提の共通性についてはなおざりなままで、だ。たとえば阪神淡路や中越、中越沖の記憶を思い出すことができるか否か、思い出したとして、どのように活かす回路をつくることができるかが問われていると思った。
『日本経済新聞』ウェブ版にて、編集委員 石鍋仁美の論考「震災ボランティア 20代が汗を流す3つの理由 」にて、東日本大震災と、ソーシャルメディアをはじめとするあたらしいネットメディアのうごきについて論じた「ソーシャルメディアは何ができたか? "危機"から立ち上がった『新たな縁』」『中央公論』2011年5月号に言及いただきました。
『中央公論』の原稿、ソーシャルメディア(Social Media)の普及と社会貢献(Social Contribution)という「ふたつのソーシャル」の関連について論じたものでした。
石鍋仁美「震災ボランティア 20代が汗を流す3つの理由 」
博報堂『広告』7月号「シェア」特集
「Lesson 2 社会学者 西田亮介さんに聞く シェア時代のお金がひらく、プライスレスなつながり方」http://www.kohkoku.jp/latest/index.html
鈴木謙介さん、荻上さん、佐藤尚之さんらが原稿書いてらっしゃる。津田大介さんも連載お持ちみたい。
マイクロファンドを手がけるミュージックセキュリティーズ社が支援する「みを木」さんに取材させていただきました。
JR石巻駅の売店でゲット。どちらもおいしそう。生産再開したのだろうか、それとも在庫なのかな・・・また月末or来月に伺うことになりそう。

先週末の6月11日、ごくごくわずかな時間だけれど、石巻を調査の仕事で訪問した。東北新幹線に乗ったのはずいぶん久しぶりのことなので、車窓を眺めていると、北上するにつれて、瓦がおちた屋根をビニールシートで、覆った家屋が目立ち始める。
郡山を過ぎ、福島を過ぎたあたりから、崩れた土手を抑えたり、いびつなかたちに捻れた歩道橋などが目立ち始める。福島を過ぎると再び日常的な光景が戻ってくる。仙台の町は一見相変わらずの活気を帯びている。節電で薄暗い首都圏の繁華街よりも、活気があるのかもしれない。
仙台で一泊して、翌朝高速バスの列に並ぶ。土曜日にもかかわらず、ボランティアが溢れているという様子はない。全員がボランティアというわけでもないが、高速バスの列に並んでいるのは比較的年配の方がおおかった。
バスにゆられること1時間半。JR石巻駅前につく。石巻はさらに遠方の、女川などにいくための中継地点にもなっている。百貨店が市役所として使われていることを除くと、石巻駅周辺には3ヶ月でおどろくほどふつうの地方都市の姿が戻っている。駅機能も一定程度回復しており、電車も走っている。この日は炊き出しもやっていなかったし、軽く小雨が降るような天気だからか、事前に聞いていた臭いや塵もさほど気にならない。
民間で、子どもの心と学びのケアを中心とする復興と雇用の創出に取り組むハタチ基金の事務局を務めているNPOカタリバ代表理事の今村久美さんと、地元で教員をつとめているA氏が石巻のまちをアテンドしつつ、状況をいろいろとおしえてくださった。
細かい調査の話はおいておくとして、メディアで繰り返しみたはずの被災地はやはり息を呑むものだった。筆舌に尽くしがたいまでに、徹底的に破壊され尽くしている。これでもこの3ヶ月でかなり片付いたという。自衛隊の姿が目立つ。A氏いわく、自衛隊の活躍と、徐々に地元に復興を委ねていく自衛隊の匙加減は巧みなものだという。
ところで、海岸線のエリアは、地元最大の雇用を持っていた日本製紙の向上含め、徹底的に壊れているが、車で数分走って川を挟むと、少なくとも見た目は生活を取り戻しつつある途方都市の姿に突然切り替わる。田んぼのなかに、突然姿をあらわす船や無残に壊れた姿を晒している自動車、つかない信号、アスファルトがはがれた道路などは残るが、海岸線との落差は、まさに天国と地獄だ。
確かに、過去の災害とはその範囲と種類が異なるが、こうした落差が産み出した弊害とそこへの対処はきっと阪神淡路の教訓が活きるのではないか。過去の災害の記憶と教訓を共有しつつ、復興に取り組むことが必要と思わされた。
ところで、過去の災害の記憶なのだが、これをどのように異なる組織間で共有し、協働していくかということが大きな課題として残っているように感じた。ひとつの組織のなかでも、その記憶の継承は難しい。行政は人事制度の関係で、人はつぎつぎとうつっていく。組織の記憶を残していくことも難しいし、たとえば、NPOやボランティアとその経験を共有し、協働するとなるとなおさらである。時系列で綴じられた行政文書しか残っていないとなると、至難の業である。
その点、石巻の翌々日に再び訪れた兵庫県は、やはり大規模災害の記憶を継承しなければならないという意識が強く、いろいろな取組を行っており、今回の大震災においても、むしろ兵庫県の側から「押しかけて」さまざまな提案を行っているという。こうした過去に被災の記憶と経験を持つ行政やボランタリー組織から、さまざまなメニューが「提案」され、それを地元が状況や特性に応じて取捨選択肢選び取っていくようなあり方がボトムアップでも、トップダウンでもない、そして、いま数々走っている「復興計画」からすっぽりと抜け落ちている復興のかたちではないかと感じさせられた。
ごくごく短時間の滞在だったが、石巻訪問はさまざまなことを考えさせられる経験となった。このような状況の中で、社会科学系のバックグラウンドを持つ研究者、もしくは物書きがなにができるのかということはよくわからないけれど、少なくともその意味を再考しなければいけないということは改めて強く感じた。そして、今回の災害がなければ、必ずしも足を運ぶことのなかった石巻に訪れたことが生む共感の萌芽をどのように育てていくのかを考えたいと思った一日だった。



仕事の調査で、新潟県に1泊2日でお邪魔した。以前まちづくりの仕事で、中山間地域にお邪魔したことはあったのだが、新潟市ははじめて。結論からいえば、とても快適な一夜だった。まず上越新幹線で都内から2時間。夏だったこともあるけれど、中山間地域を走っている時間は意外と短く、上野、高崎と都市を抜け、長岡あたりから新潟の都市部が再開する。そして、新潟の都市は広い。地元の人には失礼な言い方になってしまうけど、都市の風景が長い間とぎれず想像以上。方言も少なく、この首都圏からの距離感は、少なくともぼくにとっては大変親近感が湧いた。
水がおいしいからか、各種食べ物もおいしいし日本酒もうまい。普段遠縁に造り酒屋をもつにもかかわらず、日本酒はほとんど飲まないのだけど、勧められるままに日本海の幸とのっぺをあてについつい杯を重ねてしまった。くわえて牡蠣好きのぼくとしては、この季節に牡蠣が食べられたことが驚きだった。
今回、新潟県立大学の本間善夫先生と、サイエンスカフェのMさんが、いろいろとケアしてくださったおかげで大変快適だった。
本間先生が撮ってくださった、地元の方を交えての、プレまちづくり放談会(?)の風景
https://picasaweb.google.com/kknpp0707/Ngt110606?authkey=Gv1sRgCKLjtoanpMDO6gE#5615832389038510786
とまれ、こうして新潟の夜はふけていき、すっかり新潟に魅せられたのだった。
むろん、いくつかの課題にも気がついた。調査対象のひとつでもあった自治体の「固さ」や(他方それによって、強いボランタリーセクターが育っているのかもしれないけれど)、加工食品の少なさ、ストーリーの少なさであろうか。「素材のおいしさ」をウリだと考える地方の方はとても多いけれど、「素材」がおいしい地方はたくさんあり差異化が難しい。加工食品のほうがあっとうてきに、産業としての高付加価値やその製造過程でストーリーが生まれてくる。もし伝統的な加工や、ストーリーがなかったとしたら、これから育てていけばいい。とまれ、今回はまちづくりの仕事でいったわけではないので、ごくごく表面的なところしか見ていない。課題は潜在的な可能性ともいえる。またいつかじっくり時間をかけて訪れたいと思った、魅力的な土地だった。
さて、明日からは心機一転東北(石巻)へ。その翌日からは関西といったりきたり。政策系の研究者にできることはそれほど多くはない。しっかり目に焼き付けてこよう。



『ダ・ヴィンチ』7月号「涼宮ハルヒはなぜ世界に受け入れられたのか(精神科医:斉藤環氏、社会学者:西田亮介氏、SF評論家:藤田直哉氏)」
はじめてのコンテンツ批評(?)の仕事ではなかったかと思われます。依頼をいただいたときに「ライトノベル読んだことないんですけど・・・」とお伝えすると、『ダ・ヴィンチ』編集部さんがシリーズ全巻をどかっと送ってくださるという快挙にでられたわけです。ご笑覧いただければ。
こちらも参照のこと →
「文芸誌ダ・ヴィンチでハルヒ特集 「特集がガチ過ぎてビビったw」」『アキバBlog』
http://blog.livedoor.jp/geek/archives/51266029.html
こんな報告書を書きました。
『ITベンチャー企業の現在形(ITを介して生まれた新たな市場とその担い手たち)』
(リンク先PDF)
http://www.smrj.go.jp/keiei/dbps_data/_material_/b_0_keiei/chosa/pdf/itventure.pdf
ユニークなITベンチャー企業の事例集です。ご笑覧いただければ幸甚です。
「2011年5月31日 「新しい公共」推進会議非公式会合&第5回震災支援制度等ワーキング・グループ実況 #NP2011まとめ」
をまとめてみました。
しかし、パブリックコメントは、10日間で25件、その意見も「ギョーカイ」の人ばかりといった体・・・「新しい公共」といいながら、議論がすでに制度の細部に踏み込んでおり、ふつうの人には理解しづらくなっているところも問題かもしれない。また、個人的には既存制度との重複も気になった・・・
「新しい公共」は、どこへいくのだろうか・・・
