人文・社会科学の最近のブログ記事

最近のいただきものをご紹介。

『「情報社会」とは何か?』大黒岳彦(NTT出版)

ルーマン研究者としても知られる大黒氏の3冊目の単著。「情報社会とは何か」という問いに答えるために、理論的には社会学からメディア研究まで、事例的には、サブカルチャーからハイカルチャーまで、これでもかというほどに参照を行っていく。不勉強な僕にとっては、名前も知らない研究者、事例が多々あった。現代の情報社会を構成すると著者が考えるであろう数々の断片をもって、ブリコラージュ的にその像を描き出しているのかもしれない。だが、即物的な僕にとっては、そして、おそらく著者は一切意図していないであろうある種の読みやすさのような読者サービスの観点からいえば、端的に「情報社会とは何か」という問いに解答して欲しいようにも思える。もちろん、そのような期待がルーマンを含むメディア論を専門とする筆者に対する期待として、ミスリーディングなことは理解できる。それよりも、読後の、「この複雑さこそ、情報社会の複雑性を縮減しつつも、「反映」しているのではないか」という感想のほうが重要にも思えるからである。

『希望難民ご一行様』古市憲寿(光文社新書)

こちらは、85年生まれの筆者による、世界一周船ピースボートの参与観察と、それをもとにした若者論。バウマンの「リキッドモダニティ」概念や、ギデンズの再帰性など社会学の概念を参照しつつ、ピースボートに乗る若者たちの生態を読み解いていく。まず、驚異的な読みやすさと、捻りの聞いた文章表現に衝撃をうけた。悪筆で、書籍原稿に悪戦苦闘している身としては、分野は違えど、若き才能あふれる筆者から大いに刺激をうけたと言わざるをえない。1点気になったのは、ルポと分析は秀逸なのだが、第7章「だからあなたはあきらめて」と、それ以前の章の整合性である。ピースボートに乗っている若者が「ある、いくつかの属性」(具体的には本書をご一読いただきたい)を持つと分析するのは同意可能だが、ソリューション的なインプリケーションの間に若干の飛躍がある、もしくは、より精緻な属性の分類とインプリケーションの関係を記述する必要があるように思える。具体的には、ぜひ本書を手にとって考えてみてほしいのだが、ネタバレなしに少し言及しておけば、1.) ある若者たちにとって承認の共同体はひとつのセーフティネットとして必要ではないか。2.) また、ある若者たちは、わかったうえであえて「ムラムラ(村々)している」(筆者造語)可能性はないか。3.) あえて「ムラムラしている」のだとすれば、その「希望」をあきらめさせることは、大げさにいえば、彼らに残された数少ない生きる意味を奪ってしまうことに繋がりはしまいか。このとき、「社会」に「あきらめ」させる正当性があるのだろうか。いつか機会があれば、筆者と議論してみたい点だ。しかし、ともあれ、帯の筆者の近影もクールで、意識的な表現も多数。これからの若者論の主要論者となることが容易に想像できる。マーケターたちの「若者論」より、はるかに丁寧で誠実だ。いろいろな意味で、とても刺激をうけた一冊。

『国際貢献のウソ』伊勢崎賢治(ちくまプリマー新書)

国際貢献、国際NGOの「リアル」を、赤裸々に描き出す一冊。大学生からも、「国際的NGOで働きたい」といった話をしばしば聞く。そんな人には、ぜひこの1冊を手にとって欲しい。もちろん、僕にはそのリアルを検証する術はないのだが、メディアで耳にする国際貢献活動、あるいは国際NGOの「美談」の背後にあるシビアな側面があるのは事実だろう。それは、例えば、日本のNGOの現地での「無力さ」、大規模な国際NGOに見られるプロフェッショナルとして当然でもある競争を持ち込んだ人材管理や、強力な組織体制である。筆者は、そのような状況を良しとしているわけではなく、そこを出発点としておて、理想主義一辺倒の「ヌルさ」を徹底的に排そうとしているようだ。例えば、「NGOの経営学 商品は「貧困」」「国際協力ボランティアという隠れ蓑」という、おそらく意図的に挑戦的な目次からもそのような意図を読み取ることができる。当事者というよりも、NGOも含めた、非営利組織に関心をもつ人たちに手にとって欲しい1冊といえよう。

映画、小説ブログで有名な「空中キャンプ」こと、伊藤聡氏の新刊『生きる技術は名作に学べ』をご恵投いただきました。

同著は、いわゆる基礎教養として、若い時分に読んでいることが期待されていながらも、多くの人が意外と読んだことがない、いわゆる「名著」へのインデックスになっている。具体的には、以下の作品が取り上げられている。

     
  • カミュ『異邦人』
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  • ヘッセ『車輪の下で』
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  • トゥルゲーネフ『初恋』
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  • アンネ・フランク『アンネの日記』
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  • ヘミングウェイ『老人と海』
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  • モーム『月と六ペンス』
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  • マーク・トゥエイン『ハックルベリィ・フィンの冒険』
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  • スタンダール『赤と黒』
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  • ジョージ・オーウェル『一九八四年』
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  • トーマス・マン『魔の山』

本書では、まさに伊藤氏のブロガーとしての真骨頂でもある、ある種の軽やかさをもって、当該作品のみならず、関連コンテンツも含めて紹介されていく。その手つきは、例えていえば、原典の新訳復古版のようだ。本書は、「知的教養」として読んでおくことが、特に一世代上の世代から期待されながらも、難解な訳語や文体に阻まれ挫折しがちな古典の魅力を伝えるとともに、改めてそれらを手にとるきっかけを与えてくれることだろう。ちなみに、僕は未読のモーム『月と六ペンス』と、トーマス・マン『魔の山』を時間があるときに、読んでみたいと思った。

本書の構成は、まず話のストーリーを簡潔に紹介しつつ、話題を展開していくものになっている。しかし、それらはいわゆるネタバレにならない程度に抽象化されており、ほどよく紹介されているので、関心をそぐどころか、より一層紹介されている古典への興味を掻き立てている。

このような所作によって、思い起こされるのは、いわゆる「名著」もそれぞれの時代において最初から教養の代名詞であったわけではなく、しゃちほこばって気取ることのない「作品」であったということだ。僕らはいま、むしろ「名著」という固定観念を捨てて、これらの作品を手にとることができる稀有な時代を生きているのかもしれない。

また、巻末の「死について」では、伊藤氏がブロガーとなるきっかけを偲ばせる実存的文章が挿入されている。節としてはとても短く唐突で、確かに浮いて見えるのだが、切実に伊藤氏の実存が垣間見えて、有り体にいえば、本書のなかで最も感動した文章であった。

なお、伊藤氏は、次回1/24日深夜(25日早朝にかけて)TBS文化系トークラジオLife「いま、聞きたい名言」の回のゲストにも登場されることになっている。こちらも必聴!

TBS文化系トークラジオLife→
http://www.tbsradio.jp/life/index.html

空中キャンプ→
http://d.hatena.ne.jp/zoot32/

買おうと思ってて、買いそびれた『週刊ダイヤモンド』の「新宗教」特集号を遅ればせながらゲット。

かなり、おもしろい。

宗教法人の信者数ランキングや資産力、ビジネスモデル、写真付きのリスト、上祐史浩のインタビューなどなど、ちょっとした新書よりずっと濃密である。

これまで企画の面白さは、『週刊東洋経済』には一歩及ばないと思っていたが、先日もちょっと言及した「ニッポンの団地」特集号といい『週刊ダイヤモンド』もかなりいい。

しかし、僕はここ数ヶ月、雑誌といえば、この経済誌2誌しか購入した記憶がない。文化も、教育も社会も、経済観点からみるのが一番ホットというのは、どうも世相を繁栄しているようにも思えなくもない。

おそらく、経済誌が安泰なのは、基本の読者層がサラリーマンをふくめ、比較的年齢層が高くて、経済基盤が安定している人たちだというのが大きいだろう。広告を出すスポンサーだって、そういう人たちを相手にするのが一番安泰でもある。

こちらとしては、面白いコンテンツさえ提供してくれれば、経済誌でもなんでもいいわけだ。でも、なんだか一抹の寂しさを覚えなくもないね。

先日、社会学者高原基彰さんの新刊が出た。高原さんは、多くの資料をもとに、現代日本の抱える諸問題の起源を、正体がはっきり見えない「被害者意識」に見出す。また、日本においては、国民に共有された、ある種の理想像が「自由」と「安定」の間を行き来したことで、日本型「新自由主義」が他国とは異なる異形のものとなったことを指摘する。これらのテーマは、前著『不安型ナショナリズムの時代』やその他の論文で提出されてきた高原さんの問題意識がよりはっきりと結実したものともいえよう。中盤以降の80年代から現在に至るまでの社会の総括は、現代史の総論として読んでも面白く、勉強になるだろう。個人的には、後半の地域論とNPO論に刺激を受けた。批評家の仲俣暁生さんもご自身のブログで絶賛している。政権交代をはじめ、政策がごたごたする中、その背後にある現代の本質を考えるうえで必読の一冊ではないだろうか。なお、本書はNHK出版さんにご恵投いただいたことを付記しておく。



今発売されている、『週刊ダイヤモンド』「ニッポンの団地」特集がとても熱いのでピック。都市部における、戦後の住宅不足から始まる団地の歴史から、団地が抱える、高齢化や施設の老朽化と立て替えの問題、団地選びのコツまで実に多角的に「団地」の問題を扱っている。とても面白かった。


SYNODOSでもおなじみの、経済学者飯田泰之さんと作家雨宮処凛さんの対談。

冒頭に雨宮さんから飯田さんに対する疑問が提示され、対談の後、それらの疑問に対する回答が提示されるという形式。

飯田さんの「2%経済成長論」や「ベーシックインカム(風)」の貧困対策について、『経済成長って何で必要なんだろう?』よりも、より集中的に理解できる。(ロールプレイとして?)「素朴に」感情的疑問を抱く雨宮さんとの対比で、飯田さんの議論が鮮明になる。その意味では、『経済成長って何で必要なんだろう?』の飯田さんと、戦略的に感情論を仕掛けているようにみえる湯浅誠さんの対談とあわせて読んでも、反貧困論者のスタンスの違いが明らかになって興味深い。

飯田さんの議論を呼んでいると、なんとなく「問題解決のツールとしての経済学」とでも呼ぶべきスタンスが見えてくる。「if A then B」的なというか、「Aという条件を、「経済学理論という装置」に入力すると、その出力はB」的な、というか。そして、それゆえに、他の論壇経済学者の議論よりも信頼できる気がする。それは、経済学という比較的主流の理論についてコンセンサスのとれた、そして数学的に定式化されている(数少ない)社会科学のなせる技なのかもしれない。

その他の社会諸科学はやはり、もう少し価値判断的な、今風にいえば、人間学的なものと密接に関係しているような気がする。もちろん、それがいいのか、悪いのかは、純粋にはいえない。もちろん経済学だって「経済学的に考える」という時点でひとつの価値判断を行っているのだけれど。ただし、コンセンサスのとれた形で、主流派の議論が定式化されているがゆえに、経済学を道具として使うというスタンスについてコンセンサスが得やすい、というのは羨ましい点ではある。

ジャーナリストの手に寄る、アメリカの現代思想と思想家の解説。特にネオコンまわりの思想家と、アメリカにおける思想の捻れ、つまり、アメリカにおいては、「リベラル」思想はそれ自体がひとつの「保守」的思想となり、原理主義的保守主義者とは異なるのだが、そのあたりがとても分かりやすく解説されている。扱われている思想家は、カーク、ロールズ、ノージック、ニスベット、フクヤマ、ローティなど。ただし、本書はあくまで見取り図なので、もうすこし本格的なものとしては『集中講義! アメリカ現代思想』などが詳しい。



7月26日に『経済成長って何で必要なんだろう? (SYNODOS READINGS)』刊行記念イベント飯田泰之×荻上チキ「経済成長と寛容さの実現」に行ってきた。

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経済成長は人気がない。しかしエコノミストの飯田氏は「先進国では年2%の成長は当たり前だし、経済成長によって格差や貧困の問題を解決することができる」という。気鋭のエコノミストと批評家が、経済学にまつわる誤解と「経済学思考」の重要性について語り合う。
【出演者】
飯田泰之(エコノミスト) 荻上チキ(批評家)
■日時 7月26日(日) 16:00〜18:00(予定)/開場15:30
■会場 紀伊國屋書店新宿本店 9階特設会場
■定員 30名(入場無料、お申し込み先着順)
◎当日混雑する場合は立見になる可能性もございますので予めご了承ください。
■お申し込み先 7月11日(土)より
紀伊國屋書店新宿本店5階カウンター
またはお電話でお申し込みください。
代表|03-3354-0131(10:00〜21:00)

みなさま、ふるってご参加ください!

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イベントは、荻上チキさんが飯田泰之さんに問いかけていくような形で進行。

論点は、だいたい次のようなものだった。

1)従来の「論壇経済学」が、経済学業界における「スタンダードな経済学者」ではなく、マルクス経済学の影響を強く受けた議論が中心であったこと。その理由は、長らく日本の経済学界では、応用派が理論派の格下と見なされてきたがゆえに、応用派の人材が不足していることが一因。しかし、相手方の担当者がPh.Dを持っていることも少なくないグローバル・スタンダードに対応するために、霞ヶ関から応用派の需要が増してきたこともあり、昨今若手を中心に事情が変化しつつあるということ。

2)本来現代的な経済学は価値判断を行うものではなく、例えばケインズ派もハイエク派も分析手法はかなり共通しており、どちらかと言えば工学的な(おそらく、社会学的にはif-thenによって構成される条件プログラム的な)学問であるということ。

3)価値判断をめぐる問題は本来経済学では回答できないが、「論壇経済学」ではその線引き(ここまでが経済学的回答/ここから先は個人の価値判断)が明確に行われてこなかったこと。

4)経済学的手法で解決可能な問題が数多く存在すること。そして、経済学によって解決できない問題に対応するため、専門家の恊働とそれを支えるプラットフォームが必要なこと。

チキさんの巧みな司会もあって、非常にクリアな議論だった。

飯田さんがおっしゃる「約2%の経済成長が必要」ということの根拠について、あまり言及されなかったので質問させていただいたところ、ざっくりいえば、「歴史的にうまく回っている国の多くが2%程度の経済成長している」という発見的なものと効率化の度合いはならすと2%程度(≒これと同程度の経済成長がないと、余剰人員を回収できない)という論理的なものの2点を回答された。シンプルかつ、絶対的な「理論的根拠」などにもとづくものではないことが、逆に説得力を持っていたように感じた。

そして、飯田さんが掲げるような漸進的社会工学主義的な思考や立ち位置は、論壇的には機会主義的に見られがちなのかもしれないが、これまでの論壇内の論客と異なる、学問的に真摯な姿勢を感じた。

今回の対談を通じて、経済学に限らず社会科学のナレッジとリテラシー(ひっくるめると、ある種の「社会科学的作法」?)の中でも、比較的ドライな側面を啓蒙していくことが、実践的な処方箋についての議論を広めるためには必要だろうと思った。

「人文・社会科学」と一括りにされがちだが(いわゆる人文系の学会事情はよく知らないので、言及を避ける。)、少なくとも社会科学の世界では、経済学に限らず研究を論理的に組み立てる方法が広く議論されてきている(いずれも一般的に読みやすい本ではないが、例えば『社会科学のリサーチ・デザイン』や『政治学のリサーチ・メソッド』等参照。ちなみにSFCの政策系院生の多くが、修士のときにこの本を使ったコースを履修している)。ただ、社会学者の佐藤俊樹さんのようのような例外を除くと、そうしたタイプの社会科学社に論壇的なスポットライトがあまり当たってこなかっただけである。

これは『思想地図』vol.2の座談会でも少し述べたことだけれど、統計を使っている研究が優れた研究というわけではない。統計を使っているか否かが重要なのではなく、研究が論理的に正しく組み立てられているか否かが重要なのである。

イベント終了後、遅ればせながら即売会で『経済成長って何で必要なんだろう? (SYNODOS READINGS)』を購入、即読了した。個人的にお世話になっている云々と関係なく、僕が最近手にとった本の中で相当おもしろかった本のひとつといえる。目から鱗的な「経済学的思考のスタンダード」(多分...)が満載にも関わらず、対談企画がベースなのでとても読みやすい。間違いなく、「知の交流スペース」を標榜するSYNODOSの面目躍如といえる一冊。

ところで論壇の世代交代を考えるとき、現状、理論的、方法論的枠組はそのままに、対象をアップデートしていく路線と、枠組それ自体を書き換えるていこうとする路線の二つの路線が存在しているように思える(三つ目の路線は、枠組も対象も昔のままの路線。この路線はおそらくごく少数の人を除いて存続不可能)。ベストウェイはこれらのポリシー・ミックスなのではないかと思えなくもない。





浅田彰『構造と力』にはじまる80年代ポスト・モダンブームにはじまる論壇現代史のまとめ本。宮台真司、福田和也の90年代、そして、ゼロ年代東浩紀の「一人勝ち」の時代まで論壇のメインストリームを軽やかに、コンパクトにまとめている。

少なくとも宮台真司についての記述には、筆者も「良く分からない」と述べるように若干疑問が残るところもあるものの、ざっくりと論壇現代史を知ることができる。特定の世代や媒体とともに終焉を迎えつつあるようにも見える論壇史を学ぶことの現代的意味はいまいち良く分からないが、この本のように「正史」が記録され、それを参照しながら後続世代が執筆活動を展開していくとするならば「論壇」というある種のコミュニティ、ないしコミュニケーションは継続していくのかもしれない。その意味では、貴重な仕事である。

ところで、僕の見立てでは、今「ゼロ年代」ないし「ポストゼロ年代」などと呼ばれている若い書き手は自分も含めて、メンバーのほとんどが10年後には入れ替わっている、ないし淘汰されている可能性が高い。まだ世代的に若いがゆえに、実力を持っている人間が十分に発掘されていないことも一因である。いずれにせよ、先行世代や先行世代が同年齢だったときと比べて、力が足りないように思える。

さて、このような状況の中で、生き残りをかけてひたすら他人を倒していく、というやり方もある。しかし、一方できっちり力をつけていくことで生き残る、という道もある。僕は後者でいく。もちろん仕掛けられたら、いつだってガチで対応するけれど。


今、日本の海岸には多くのゴミが漂着する。
それらは日本で廃棄されたものもあれば、海外で廃棄されたとおぼしきものも少なくない。

湘南の海にも、特にオンショア(湘南の多くの場所では、南風)が吹いた後には、多くのゴミが流れ着く。例えば、そうした海岸の美化は、EcoSurferの主要なミッションのひとつでもある。

本書は、JEANというNGOの活動家らの17年にも及ぶ活動に基づいて、そのような海ゴミの成分や内訳、影響などについて、網羅的かつ比較的フェアに記述している。環境貢献活動について論ずる著作の中には、到底フェアとは思えない、若しくは科学的とは思えない著作も少なくない現状では貴重な一冊で、海岸美化に携わる者の必読の一冊と言えるだろう。

『超・階級 スーパークラス』という、ちょっと怪しいタイトルに一瞬腰が引けるが、世界のエリートたちのコミュニティ内のつながりの関係とその構成と力学を記述していて、なかなか読み応えがあった。現代の世界では、おもしろいことに、反グローバリゼーションを唱える者たちさえグローバルにネットワークを形成しているように、あらゆるところにネットワークが存在している。

本書は、それらの各ネットワークについて、肯定するでも、否定するでもなく、それらの関係性と力学をひたすら記述していくのだが、複雑ネットワークの手法によってネットワークを抽出した後、どのように社会科学的な研究に落とし込んでいくのか、ということを考えるうえで一助となった。ただし、なかなか分厚いうえに、ちょっと冗長なので要注意。


ソニーCSL(Computer Science Lab.)について書かれた本を読んだ。

昨年、設立20周年記念のシンポジウムに連れて行ってもらったことを思い出した。
クオリアの茂木さん、経済物理学の高安さん、システムバイオロジーの北野さん、など、CSLの研究者はみんなオリジナルの研究に取り組んでいる。

こうした本を手に取るのは、刺激を受けるためだ。社会科学の世界には、なぜか広く公開された「成功物語」が少ない。研究者の間でコンセンサスがとれた最先端が不明確な社会科学は、ある意味では、自然科学よりそうした物語が成立するのが難しいのかもしれない。

そろそろ、真剣に、どうやってこの業界で生き残っていくのか、を考えなければならない(直近では学位取得の方法もw)。どのようなコンセプトをつくって、どのような研究テーマを選び、具体的に何を対象とし、それを明らかにするためにどの手法を用い、さらにそれをどう評価し論文にしていくのかを考えなければならない。「普通の研究」は、最低どれか一つに新しいことがあればいいだろう。でも、「エクセレントな研究」はそれだけでは足りない。

もっと議論が必要だ。

大学生の質問に投資家ウォーレン・バフェットとMicrosotの創業者ビル・ゲイツが対談形式で答えていくイベントを収録したもの。

左側に英語があって、右側に日本語がある形式。平易な英語で、分量もさほど多くないため、英語の勉強にもちょうどいい。おそらく高校生でも読める。

特に、日本語訳は英語と比較すると、かなり内容が省かれているので、英語で読むのがおすすめ。


バフェットとゲイツによる「創造的資本主義」論については、以前紹介したこちらの本を。あわせて読むと、最近の資本主義を社会貢献に繋げていく潮流についてよいガイドとなる。

社会学者、評論家の芹沢一也さんと批評家荻上チキさんの編集による、飯田泰之さん、鈴木謙介さん、橋本努さん、本田由紀さん、吉田徹さんという日本の人文・社会科学系の中堅〜若手の書き手を一同に集めた豪勢な一冊(余談だけど、新書なのに装丁もかっこいい!)。

経済学、社会学、哲学、教育学、政治学という多岐にわたる各人の最新の知見を、SYNODOSセミナーでの講演をもとに、背景思想や比較的原理的な問題の所在も参照しながら、とても分かりやすい記述で収録している。

具体的なテーマは、「経済学的思考のすすめ」「日本における後期近代の近代性とはなにか?」「ネオリベラリズム再考」「格差論」「日本の民主主義」と言ったところか。

論壇誌が次々と廃刊された昨今、メールマガジン「α-SYNODOS」をはじめ、若者にあまり人気のない(とも思われる...)政治経済分野も含めて、次々と新しい議論のプラットフォームを立ち上げていく芹沢さんと荻上さんの試みは、いずれも極めて貴重かつ必見。

そういえば、本書は某アルファブロガーに「自然科学者を入れていない。人文科学者の研究に対する動機は非科学的。」と揶揄されていたが、これらの批判はナンセンス。まず、分断された社会科学を繋ごうとする新しい試みは、間違いなく評価されるべきである。そして、これは推測に過ぎないが、彼らの取り組みの理念に照らせば、将来的には自然科学者の参加も射程に入っているのではないか。次に、自然科学/社会科学に関わらず、一般に研究者が研究に取り組む動機と、その研究が科学的か否かは関係がない。なぜなら、研究が科学的か否かは、その研究のプロセスが反証可能か否かによって判断されるものだからである。こうしたオルタナティブの提示もなく、実践もしない批判は全く実りがない。

なお、本書は荻上チキさんにご恵投いただいたことを付記しておく。


幻冬舎を設立した「名物」編集者の回顧伝。

尾崎豊や石原慎太郎、村上龍など大物の書き手とともに、ベストセラーを連発してきたある種の「秘訣」を書いている。「顰蹙は金を出してでも買え」などの台詞からも分かるように、全身全霊で書き手と作品にコミットしろというのがその「秘訣」のようだ。

全編こうしたアウトロー観で貫かれている。「アウトロー物語」は誰しも(?)一抹のあこがれがあるテーマだし、読み物としてはかなり楽しく読める。

一般的には関心があまりないことだろうが、個人的には方法論としての、「魂」や「全身全霊」の背後にある「具体的にどのように編集したのか?」について知りたかった。ざっと見た感じでは、具体的な編集技術に関しては、1箇所しか記述がなかったように見える。

やはり、個人の実存に密接に関係する小説などに限らず、構成やロジカルな組み立てについてのやり取りよりも「とりあえず書いてください。」と言われてしまう業界だけに、具体的な「方法」は決定的に個人の暗黙知に依存したものなのかもしれない。


本書のコンセプトは、1968年当時の全共闘運動のある種の「エートス」を現代日本の諸問題の解決のために総括し、新しい思想的方向性を模索している、と言えるように思う。

「全共闘」や「革命」というタームだけで、拒否反応を起こす人も中にはいるだろうが(おそらく、僕も「そちら側」にかなり近い)、現代の社会問題に関心がある人には本書はかなり面白く読むことができるはずだ。

まず、冒頭の芹沢さんのイントロと橋本努さんの論考によってかなり詳しく準備されるため、前提知識はほとんど必要ない。必要なのは、むしろ、現代の諸問題とそのオルタナティブについて、歴史的に系統立てて捉えたいという動機だろう。

この本では、特に学生運動が取り上げられているが(特に橋本さんの論考では)、組織化された民青と自律分散的な(正確には、そのように再解釈可能な余地のある)全共闘のうち、特に後者にある種の「問題の起源」を見出している(前者の問題性は、ある意味では、例えば約10年前NAMによって、形を変えて再び繰り返されたともいえよう)。言い換えれば、現代的な諸問題が存在する資本主義システムの中で、どのように「生存の美学」を共存させていくのか、という問いを考えるためのひとつの起源である。

そして、charlieさんの「革命か、中流か」という論考は、本書の未来志向を端的に体現しているといえる。例えば、「中流崩壊が起きている」とされる現在、政府による社会福祉の充実を声高に叫ぶ左系の論者も少なくない。charlieさんの論考は、リソースの制約などを確認したうえで、そうした方向性の困難を指摘し、現在の左的な言説のある種の起源でもある68年的なアナーキズム的理想を再確認する。そのうえで、「新市場や新しいソリューションの創造による解決」というオルタナティブを提起している。

この他に、絓秀実さんの歴史を再確認する論考が収録され、それぞれの論考の後に複数の論者によるディスカッションがあり、さらにチキさんによる本書の全体像と背景を総括した論考と芹沢さんの「あとがき」によって本書は構成されている。

これまで、左翼的、新左翼的な言説に生産性や実効性を見出すことができず、あまりフォローしてこなかったのだが、このように現在進行形の問題系に接続されているととても面白く読むことができ、こうした言説ももう少しフォローしてもいいのかもしれない、という気もしなくもない。

また、このように的確に歴史に対して「現代的味付け」を加えてくれる書き手がいれば、歴史的、思想的営みは、現代においても極めて実践的なものになりうるのだということも認識した。

なお、本書は、SYNODOSなどでお世話になっている、芹沢一也さんにご恵投いただいた。


マイクロソフトの創業者で現在は社会貢献活動を支援する財団を運営するビル・ゲイツと世界的な投資家ウォーレン・バフェットが「創造的資本主義」について講演、対談したうえで、アメリカの識者からの賛否両論が併記されている著作。

創造的資本主義とは、「利益と(引用者注: 社会的)評価という二つのインセンティブにより、自己の利益を追い求める力と他人を思いやる力とを同時に刺激するシステムである。」(p.28)

BOP(Bottom of Pyramid)を「救う」新しい方法(ソーシャル・イノベーション)の背景にある思想のひとつと言える。

注目に値するのは、ゴール設定が完璧ではない(≒理想状態ではない)が、しかし、企業にこうした問題を真剣に考えさせるだけのインセンティブ設計が「思想」に内包されていることだろう。

というのも、従来の理想状態を論じる、特に左派的な「対抗言説」なるものには、既得権益者を理想状態に促すインセンティブ設計に乏しい、ナイーブなものが多かった。

それに比べれば、ある種の理想としての「完成度」は低いかもしれないが(というよりも、議論の位相の水準の違いがあるように思える)、この創造的資本主義には、既得権益者に対してのそれなりに実効的な参加インセンティブを持っている。

「実効性」の観点からすれば、今後も彼らの思想の動向をウォッチする価値はあるだろう。

TAをやらせていただいている土屋大洋先生の授業、「グローバルガバナンス(基礎)」で紹介されていた。この授業は、研究とは何か? どのように研究するか?、ということについてのGRプログラムの(主に学外から来た)M1向けの授業。

土屋先生は、かねがねSFCと「プロフェッショナル・スクール」について言及されている。つまり、大学は大別すると真理の探求に邁進する「アカデミック・スクール」と問題・発見解決を目指す「プロフェッショナル・スクール」に分けることができる。この区分は、例えば、ハーバード的なものとMIT的なものに区別できるということだそうだ。

言うまでもなく、SFCは後者を射程に置いている、ということで、とても共感できる。そして、問題発見・解決のためには、コンサルの論理的思考法は意外と使えるよ、という文脈で紹介されていたように記憶している。で、Amazonを即座にクリックしてみたのだった(笑)

若干、個人史と自己啓発的なものが、入ってきてそこら辺がひっかからなくもないが、「フレームワーク力」とか「論理的思考やリスクテイキングが重要だよ」的な勝間和代とかとほぼ同じようなことを言っている(歴史的にいえば、こっちが先だろう)」。さすがに、元マッキンゼーのボスだっただけのことはある。読みやすくて、大変分かりやすい。内容は「男版 勝間和代」と思っていい。勝間さんより自己啓発の色合いが濃いかもしれない。

しかし、ビジネス書の業界では、つまるところ、「すごいキャリア」の人が至極当然のことを自己啓発のスパイスで調理するという営為が代々受け継がれているように見える。なんだか、人は違えど、言っていることはだいたい同じに見えてきた。もちろん、これはそれなりにビジネス書に目を通すようになってきたから言えるわけで、ビジネス書が役に立たないと言っているわけではない。

そういえば、R.ライシュの『暴走する資本主義』の中でも大前研一が引用されていたような気がする。  


『思想地図』vol.3がAmazonに登場していました。

もうすぐ予約も可能になることでしょう。

先日、僕も読了しましたが、特にcharlieさんのモチベーションとアーキテクチャに関する論考、藤村さんの批判的工学主義、超線形プロセスの解題、東さん、北田さん、原武史さんによる『東京を考える』再考対談が印象に残っている。


公式サイト↓

http://www.nhk-book.co.jp/books/nhk_books/shisou/


社会起業論の仕事がいくつかあるので、シュンペーター関連の文献に目を通している。その中でも本書は、飛び抜けて魅力的かつ平易に、新結合の経済社会学者シュンペーターその人と仕事、歴史的背景を描いている。

特に道具としての経済学の定式化を目指したケインズと、実務経験を介して、経済学の限界を理解し科学としての経済学の定式化を目指したシュンペーターの仕事を比較しながら記述することで、格段に両者に対する理解を容易にしている。

根井先生といえば、各種の経済学解説書でも有名だが、これは比較的若い時の仕事のよう。そして、若いといえば、シュンペーター本人の処女作『理論経済学の本質と主要内容』を出版したのは、なんと彼が25歳のとき。

最近読んだ本で一番刺激を受けた。
もっと勉強しなければならない。


少し前に出た、今や超有名フリーマガジンになった『R25』事業のゼネラルマネージャーによる創業秘話というか楽屋物語。

『R25』はそれまで雑誌を買わないとされていたM1層をメインターゲットにして、大成功を納めた。特に印象的だったのは、M1層がマーケティングデータを見たときに市場として「空いていた」こと、M1層にインタヴューしていく中で「定型的な質問では、彼らの本音を見抜くことができていない」ということを見抜いた描写。

つまり、「M1層は活字を読まない」という固定概念にとらわれず定量データを見ながら市場の空白を探し出し、さらにグループインタヴューでさらに対象が表層的な答え方しかしていないことを見抜き、居酒屋でのインタヴューや肯定し徐々にラボール(≒信頼関係)を形成しながら徐々に彼らの語る表層的な「ウソ(というか見栄)」を見抜いている。それが今の『R25』の誕生につながっている。

...とこの辺りまで読んだときに、思い出したのが宮台先生の『制服少女たちの選択』。女子高生たちに対する表層的なインタヴューでは、彼女らは世間に期待される「女子高生」という期待像に沿った話し方をするのだが、いざ信頼関係ができたうえでインタヴューしていくと...というものであった。

思えば当時女子高生だった世代が、今のM1〜2、F1〜2層と重複する。本書のような記述を読むにつけても、「定量データをもとにしているからエビデンスがある!」というわけにはいかないということを強く意識させられる。ちょっとした社会調査やマーケティングを単に仕掛けることはネットの普及で簡単になったが、「本音」を見抜くのはずいぶんと難しい時代になったものである。


遊橋様献本御礼。

地域活性化を川崎フロンターレの事例や中心市街地活性化、そしてなんとビーチマネーの事例などを用いつつ、理論的に捉え直そうとする意欲作。

事例併記、もしくはひたすら事例の讃美が続く著作も少なくなく、辟易することもある地域論の分野の中で、社会ネットワークやシステム理論などの枠組を使いながら抽象化を試みている。

実は著編者の遊橋さんとは、去年イギリスで開催されたNetSci'08での学会発表から帰ってきた直後に知人を介してコンタクトいただき、ネットワーク・サイエンスの動向と僕のビーチマネーの研究を紹介させてもらって以来、やり取りをさせていただいている。本書でも先日の論文も引用していただき、『思想地図』Vol.2や論文などで述べてきた「しなやかな地域活性化」といった概念も取り上げていただいている。

全体を通して、地域活性化について単体のアクターの問題よりも様々なアクターの連携や恊働、コラボレーションを取り上げている点が印象的で、僕の問題意識とも広く通底する。とても参考になった1冊である。

ところで、去年から出版社の方とお仕事をご一緒させていただく機会が増えたからか、本をいただくことがとても増えた。自分の関心を越えて広く勉強になるし、なかなか直接関係しないテーマの本に手が出しにくい修行中の身にとってはとてもありがたいことである。

宮台真司先生のエントリーによると、新刊の『日本の難点』の売れ行きが好調だそうである。

先日拝読したのだが、個人的な感想は「宮台真司 is back!!」。

先日の『思想地図』のイベントについてのエントリーでちょっと触れたように、個人的に評論家に求めるものは1)インデックス機能と2)文脈接続機能なのだけれど、メディア論、教育論、幸福論、米国論、日本論を同時に扱った、ひさびさに宮台先生の真骨頂ともいえる情報量とスピード感に満ちた作品である。

最近の宮台先生には各論を扱った仕事が多かったように記憶しているが、思えばもう6,7年前初めて宮台先生の著作を手に取ったとき、この決定的な情報量とスピード感、文脈接続の手腕に圧倒され心酔したものである。実証性や論理的精緻さとは少し異なるが、時代の文脈を念頭においてもとても重要な仕事であることは間違いない。宮台先生以降、東さんやcharlie(鈴木謙介)さんたちがそうした仕事を担っているが、彼ら自身も時折言及するように特に政治分野からは撤退気味で、個人的にはそれ以下の世代の評論家になると、ネットと教育、政治などをさまざまな媒体で繋いでいく荻上チキさんの仕事のような例外を除いて、ただ個別のコンテンツや媒体が対象としている人たちだけが存在していて、文脈接続という観点はすっぽり抜け落ちてしまっているように見える。実際、宇野さんと濱野さんの仕事は理解できるのだが、正直福嶋さんや黒瀬君の仕事となると、もはやほとんど理解できない。もしこのままの状態でいきなり評論家の世代交代が起きたとすると、人間としては二人とも好きなのだけど、残念ながら内容が理解できないというただひとつの理由によって、少なくとも僕はその市場の消費者から撤退することになるだろう(もちろんそれは大勢とは関係がないことだけれども)。

東さんは最近「批評とはなにか」などでよく批評の批評性についてよく言及されているが、実は意外と答えはシンプルで、評論家という独自の立場を「確保」するためには関心がなくても他の分野に目配りしてやっていったほうがメリットがある、というある種の損得の問題に帰結するのではないかという気がするし、個人的には『思想地図』やゼロアカを主催する東さんの振る舞いはそのようにも見える。

僕は研究者と実務家を目指しているわけで評論家ではないが、メタ視点を取ってみることはあらゆる分野で重要なことだと思う。ただし、メタ視点をとったうえで、再度コミットすることが必要だとは思うけれど。

少し話がそれたが、『日本の難点』について、どうやら「僕たちの好きな宮台真司が帰ってきた」といえそうである。

大阪の下町から考える、というスタンスを徹底した、著名編集者の著作。内田樹さんの『街場の〜』シリーズの名付け親らしい。僕も18歳まで京都、大阪、奈良で育ったため、感情的には筆者の描写や考え方はとても親しみ深い。

本書ではグローバルなもの、新しいもの、ミーハーなもの、入れ替え可能なもの、に、ローカルなもの、古い町並み、イケてない(と思われる)もの、入れ替え不可能なものを対置してみせる。

いろいろなところで「僕はニュータウン的なものも結構好きです」というとちょっと驚かれることもあるけど、先の対立軸でいえば前者にあたるものは大好きである。普段から人と会う機会は比較的多いほうだと思うが、例えば休日には知り合いに誰にもあわず寝癖のままコンビニに行ってビールを買うとかそういうスタイルはよっぽど他人に気をつかわないで済む程ローカルな街に溶け込むか、匿名的な街でないと困る。特に幼稚園以後ニュータウンで育ったこともあり、どちらかというと後者のほうが性に合っている。

ただし重要な留保がある。そこにはいざというとき、接続可能なコミュニケーションが存在するか否かということである。伝統的なコミュニティの担った重要な機能のひとつに、接続可能なコミュニケーションを半強制的に担保するという面があった。その機能敵側面を改めて現代的に擁護するためには、コミュニティを方法論的に再解釈する必要があるように思う。『思想地図』vol.2でもこの問題に少し言及しているが、詳述はしなかったように記憶している。まだしばらくはかかりそうだが今準備している一連の仕事の中では、これらについても詳しく言及していく予定である。


若手建築家の藤村龍至氏と若手建築家を中心としたroundabout journalによるインタヴュー集。

大変興味深く拝読した。昔から建築家が社会的な議論を展開しているということは、認識していたのだが、あまり親しむ機会がなかった。藤村さんは『思想地図』関連で何度かお話させていただき、一度は東さんや濱野さんと一緒にBUILDING Kを案内していただいたこともある。

BUILDING M日記 「2009-01-24 東浩紀さん・思想地図ご一行様 来訪」

そのとき以来、藤村さんたちが展開する批判的工学主義という議論に関心を持つようになった。寡聞にして体系だって解題された文献を知らないのだけれど、批判的工学主義とは、僕の理解では、工学の限界を踏まえた上で、あえて工学的手法を使っていく、ということであり、その具体的な方法論としての超線形プロセスがあるということのように思う。

しかし、本書ではこうした藤村さんたちの思考の軌跡というよりは、若手建築家の同時代的で多様な問題意識を浮かび上がらせることに主な焦点があてられている。こちらはこちらで、実際のクリエイターの人たちがどういうことを考えているのかを、僕らのような門外漢も窺い知ることができる貴重な内容になっている。実際、建築家ではない人を対象に、建築家が考えていることを伝えたいという試みだったようである。ただし、そのためには前提としてもう少し詳しい前提の説明が欲しい。どうやら建築の世界では、修士課程を卒業すると「〜設計事務所」という個人事務所を持つのが通例のようなのだし、また、建築の世界の師弟関係なども少し他の学問分野と違うような印象もうけた。こうしたことの意味が説明されているともっと深く話の内容を理解出来るように思う。けれども、島宇宙について、島宇宙の外に伝えようとする試みがなされているということ自体が貴重な試みといえよう。

ところで、直接お話したときから思っていたのだが、おそらく抽象的には「コミュニティ」の限界を踏まえた上で、手法としてコミュニティを活かすという僕の問題意識と藤村さんの持つ問題意識はかなり近い。批判的工学主義は、おそらく漸進的社会工学的な思考と接続するはずだが、こうした議論はコミュニティについても適用可能だろう。
ちなみに、批判的工学主義など藤村さんたち自身の思考については、筑波批評社による藤村さんのインタビューが一番体系だって藤村さんの思考を知ることができたように思う。

本当はここら辺の体系だった藤村さんの見解が知りたかったのだけど、ここら辺についてはおそらく次の『思想地図』vol.3に掲載予定の論文で論じられることだろう。僕にとって、本書は『思想地図』vol.3藤村論文の前提となる建築家の言説の片鱗に触れるいいウォーミングアップとなった。


『週刊ダイヤモンド』で社会起業家の特集をやっていて、思わず購入した。

現状から歴史、法制、多数の事例紹介もあり、日本における社会起業家についてざっくり分かるいい特集だった。この特集では、SFCが社会起業家育成に力をいれている大学ということでフィーチャーされていた。実際最近の社会起業家ブームの数年前から、ソーシャル・アントレプレナー教育に力を入れていたし、この4月から政策・メディア研究科(「SFCの大学院」という位置づけ)修士課程に社会イノベーターコースも新しくできたこともあり、先駆的な事例と言えよう。

しかし、『週刊ダイヤモンド』で言及されているような社会起業を実際に行う学生が増えたかどうかというのは良く分からない。例えば今回の特集でとりあげられていた社会企(起)業の事例は、社会起業関連の本ではおなじみの「いつもの事例」である。そうすると事態は、「社会起業家が増えた」ということではなく、「事業化に成功した社会企(起)業が増えた」ことであり、ボランティア、NPOに続く若い世代の社会貢献のスキームはこうなりそうだ、というコンセンサスが生まれつつあるという程度な気がする。

誤解を招きかねないが、社会起業に反対しているわけではない。個人的にはボランティアやNPOより、若い世代の感性にあったスキームだと思う。僕がコミットするEcoSurferも社会企業の一種といえよう。若い世代がさらに進出し、自由に試行錯誤と創意工夫を積み重ねる環境の整備が早急に必要であると言いたいだけである。その意味では、やはりSFCの取り組みは先駆的な事例と言えるのだろう。今回の特集に関して言えば、社会起業に実際に携わっている人と『週刊ダイヤモンド』を読んでいる人の間にギャップがあるような気がするのだけれど、実際に取り組んでいる人たちにもとっても今回の特集から学ぶことは大きい気がする。


集合行動を対象に、文理双方の概念を紹介する著作。

昨年イギリスに行ったときに、同書の英国版(著者のPhilip Ballはイギリスのサイエンス・ライター)を手に取った。しかし、ホッブズのリバイアサン、理系では熱物理学の考え方から、コンピュータ・シミュレーション、ネットワーク、べき則まで論じる約600ページの分量に圧倒され、読み切るまでに随分時間がかかった。

知らない分野の話を、大量に英語で読むのはなかなか厳しい。歯ごたえがあるものを一冊一冊読破していくことが、院生という修行中の身にはふさわしいか。しかし、洋書にはときどきあるけど、日本の著作には、なかなか古典的な社会科学の議論から新しい科学の話までを対象とする著作は少ない(強いて著者をあげれば、松岡正剛とか茂木さんとかなのかな。)。

チキさんに収録してもらったインタビューでもちょっと話題にあがったけれど、日本では専門家は専門のことだけやってろという圧力が高いからだろうか。

ちなみに冒頭に比べて、結論が分量も少なく尻すぼみなことだけが残念。せっかく文理双方からいろんな概念を紹介したのだから、それらを総合して論じきってほしかった。だが、そこを差し引いても、最近流行ってる集合行動の前提の概念を知ることができるよい本だと思う。

コラボレーションを研究してる社会(社会心理?)学者Keith Sawyerのはじめての(多分)翻訳がでた。他にジャズバンドの研究からコラボレーションを論じるなど面白い研究をしていて、以前から英語でコツコツ本を読んでいた。

D. PinkとかR. Florida、ある意味ではE. Raymondなんかも入るだろうけどコラボレーションをテーマにした本が、最近(でもないか)日本でもいろいろと翻訳されてきている気がする。コラボレーションのみならず社会起業とか地域活性化にしても、面白いのはなぜか翻訳ばかり。日本のこうした本では事例ばかりで、演繹の作業が乏しい。その点、D. Pinkらの仕事は論理的に精緻な本というわけではないが、広義の社会論に仕上げがっていて、個別の事例に関心がなくても面白く読める仕事になっている。日本の事例でそんな仕事もしていきたいなあ。



これが原著 ↓

荻上チキさんも論じているように、同書はいわゆるエスノグラフィーという手法を用いてアメリカのギャング・コミュニティの秩序を描き出している。

この本、今日付けでamazonで182位とかでそれなりに売れているみたいなのだけど、なぜなのだろうか。僕はエスノグラファーではないけれど、フィールドワーカーとしてこの類いの本がそれなりに売れるという事実は大変興味深い。というのも、言葉使いこそブロークンになっているものの、この本はひたすらギャング・コミュニティの日常を描いている本だからだ。僕はコミュニティ分析に関心があるので、こうしたテーマに関心があるけれど、世間一般に読まれる理由というのは良く分からない。けれども、いくつか仮説を立てることはできる。

1. ギャング・コミュニティというテーマが刺激的だから。

一般に自分の生活する「社会」とは異なる「社会」に関心がある。国際情勢だとか宗教に関する本だとかが、世間には満ちあふれている。そうすると、「売れる」フィールドワーク本というのは刺激的なテーマを選択している本ということであり、僕を含めたわりと「ふつー」なテーマを扱うフィールドワーカーにとっては若干残念な結論に収まることになる。

2. ギャング・コミュニティを通して、個別の事態に対する最適化が全体最適性とは異なるという構図が面白いから。

この本では、ギャング・コミュニティが警察も来ない(来ても汚職警官!)、救急車もこないような土地で、住人が生き抜くためのある種の最適戦略として成立している様が描かれる。しかし、この戦略は表裏一体である。確かにこの土地ではこのようなコミュニティが形成されないと生存できないかもしれないが、ギャングにピンハネされ、売春やドラッグが蔓延している状態がベストな生存戦略とは思えない。もちろん逆に、ベストではないが、しかし、自然状態のような無秩序よりかはいくぶんまともな戦略であるとも言うことができる。つまり部分最適化と全体最適化の齟齬が描かれているのだが、これはコミュニティそれ自体の描写よりは広く示唆的である。もし、これが売れている原因だとすれば、フィールドワーカー(少なくとも僕)にとっては大変勇気づけられる。テーマとしては「ふつー」な事例を扱っていても、そこから得られるファインディングスが刺激的であればそれを抽出し記述すれば、学会のみならず市場競争力を持ちうる可能性がある、ということだからだ。

いずれにせよ、僕らはどういう理由で本が流行っているか、正確なところを知る術はもたないけれど、せめて『ヤバい経済学』といい『ヤバい社会学』といい翻訳で、刺激的な文体が使われていれば流行るとかいう悲しい理由でないことが望ましい。

社会学者charlieこと鈴木謙介さんの100問100答集。

しかし、前書きにも書かれている通り、「これが答えだ!」式に、べき論を断言するのではなく、「これは答えか?」という「ある種の悩み方」を提示するような構成になっている。

そのときに、外せないのが質問に対してcharlieさんが答えを提示していくのではなく、若手評論家の荻上チキさんとの対話形式になっている点だ。読者に分かりやすく議論をまとめたり、あえて文脈をずらしてみたり、時にまぜっかえしてみたり、ダイアローグによる「厚み」のようなものが出ている。

社会学者の問答集というと固い本ではないかと構えるかもしれないが、全くそんなことはない。おそらく<社会>に関心がある中学生ぐらいから読める平易な作品に仕上がっている。質問も、僕ら後輩をはじめ、幅広い年齢層の人たちから大量に収集したものの中からピックしたもので、想定問答集ではないリアルな質問だ。テーマもそれに付随して、政治、社会、経済から、学問、性愛(そして、charlieさん自身のことも!)まで、身の丈問題から広く世の中に関する議論を扱っている。<社会>について関心がある幅広い人なら、とりあえず手に取ってみる価値があるのではないか。

個人的には、少しずらしてみれば、ちょうど大学生のシュウカツの時期でもある。ざっと世の中の動向を概観し、かつ一歩深く知るためにも最適なのではないかとも思った。


先日、電車での移動時に、どうしても最寄り駅の本屋でいい本がみつからず、幸徳秋水の『帝国主義』を手に取った。特に期待していたわけではないけど、これがなかなか面白い。

一言でまとめると、「理性」が重要視されるようになった19世紀末〜20世紀初頭の日本社会で、愛国心にもとづく軍国主義を土着的で、野蛮なものである、と批判する。現代から捉え直すと、近代日本の思想家は皆、とても戦略的なスタンスをとっているように思えるが、その例にもれず、幸徳秋水もその一人だ。

思想史は専門ではないけれども、幸徳秋水は「動乱期の社会主義思想家」というレッテルを張られているけれども、読んでみると一概にそうは言えないように思えた。というのも、彼が擁護しようとしたものは、帝国主義や軍国主義からこぼれ落ちる「弱者」で、社会主義はそのための手段に過ぎないように読めるからだ。思想や「〜主義」は、実践を擁護する手段だ、ということを、改めて確認。

読売新聞北海道支社夕張支局の記者による財政再建団体となった北海道夕張市についてのルポルタージュ。

夕張市の事例は、国のエネルギー政策転換による「炭坑の町」の破綻後、「炭坑から観光へ」(!)を歌う「カリスマ」市長の登場と、彼とその周辺の地域利権に絡んだ周辺業者の独裁と暴走、不足する自治体の財源の一時借入金による補填が原因である。

「炭坑の町」という設定こそ特殊だが、その他の事例に関しては身に覚えのある地方自治体も少なくないはずだ。

「炭坑から観光へ」という箱モノ行政、「カリスマ」市長依存の自治体行政、長年の既得権益関係に依存した思考停止の癒着の構造、こうした事例は少なからず、どこの自治体にも存在する。

しかも、難しいのは、70年代に一早く「炭坑から観光へ」を歌った中田市長の方向性は先駆的だったとも言えることにある。

問題は、自治体にチェック体質と自律的に行政を運営していく力がなかったことだ。以前も書いたけれど、日本では地方自治体が自律して地域行政を主体的に行っていく、というのは、未曾有な事態なのだ。

それを支援する方法は、自治体職員に創造的な思考を促す発想支援ワークショップのようなものかもしれないし、もっと別の方法や発想もありうるかもしれない。

一つ言えることは、従来型の取り組みは粛々とやり続けるのもいいけれど、もっとラディカルな取り組みや方向性が試行錯誤されてもいいのではないだろうか。


諸事情により、SFCの教員が書いている地域活性、政策形成本をまとめ読み。具体的には以下のようなもの。

特に面白かったのは、上山先生らの『ミュージアムが都市を再生する』と渡辺先生の『アメリカン・コミュニティ』。

前者は地域活性本にありがちな、ただの事例紹介ではなく、経営やマネジメントの観点から、ダイナミックにミュージアムの機能を評価している。後者はアメリカのいくつかのコミュニティのフィールドワークをもとに「いまのアメリカ」の空気感を良く伝える。この本は(というか渡辺先生の前著『アフター・アメリカ』もそうだけど)、事例の選定と、理論とフィールドの配分が絶妙で、事例研究としてのみならず、読み物としてとても面白い。

この2冊から得られる教訓は、地域研究は、ただの事例紹介ではその分野に関係ある人間以外の興味をひくことができない。その壁を打破するためには、専門分野からアプローチすることと歴史や文脈、理論を用いてスケール感を導入することが重要になってくるのではないか、と思った。

これでイギリスで読んだ日本の本すべて。
他に現地で3冊本を買ったのだけど、まだ全部は通読できていない。

「下流」を扱うブームに呼応してか、最近は「上流」の生態について扱う本が増えてきた。この本は、投資やベンチャーで財を成したアメリカのニューリッチたちの生態を記述している。特に、従来の富裕層、「オールドリッチ」と対比的な記述が興味深い。個人的にも、「下流」よりは「上流」のケーススタディのほうに興味がある。


この本は芹沢一也さんの前著『犯罪と凶器』『犯罪不安社会』の内容を総括し、自分たちと異なる人間を切り離し、エンターティメントとして防犯を扱うことの監視社会的な危険性をして「ホラーハウス社会」と命名している。新書ながら事例的にも、概念的にも詰まった、かつ非常に読みやすい一冊。

創造都市やクリエイティブシティの歴史や概念的バックグラウンドについて詳しい。ともすれば、ケースだらけになりがちな地域論や都市論の一分野に位置するクリエイティブシティを学術的に学ぶ上で重宝する。

イギリスでは久々にまとまった時間が取れたので結構本を読む時間があった。以下はその本達。London University近くの本屋が魅力的でイギリスでも本を買い込んでしまった。

日本の犯罪と権力についての芹沢一也さんの著書。日本の犯罪史と権力の関係を巡るフーコー的議論が魅力的。

日本の犯罪統計の変化と思想的背景、警察の権力について概説されている。おもしろい。凶悪犯罪に該当する犯罪の範囲を増やせば、グラフが右肩上がりになって犯罪が増加しているように誤解してしまうのは当然だ。警察統計の杜撰さの問題は権力の問題と直結しているだけに由々しき問題であるように思う。

複数の小説批評の理論的方法を、小説『フランケンシュタイン』を例題としつつ料理している。徹底して「批評の方法」を追求する英文学者の筆者の姿勢が好印象。批評や人文系では方法論を巡る議論は賛否が別れるところだが、新規参入や分野の存続のためにも方法論は不可欠だと思う。

おそらく日本社会学史学会のジャーナルだと思う。ジャーナルなのだが、一般に流通している珍しい形態を取っている。バウマン特集。バウマンの問題圏の概論が分かる。特にルーマンの翻訳でも有名な馬場靖雄先生のル−マンとバウマンをつなぐ論文が印象的。

マルクス主義の流れを汲む理論家ルカーチの著作。特に物象化論に焦点を充てるところがルカーチの特徴か。よく考えれば、マルクス主義は一種のネットワーク理論として読めないこともない。人間関係が存在し、人間は生産活動を行う。生産した商品は独自の商品間関係を形成する、と。

クリエイティブシティに関する最近の議論を、理論的視点と実践的視点からまとめてある。事例も豊富でいい。インターリアリティの土屋先生が執筆に参加していて驚いた。クリエイティブシティも研究されていたとは。

創造的都市の理論と特に関西の事例を集めている。本の見た目は地味だが、前半の理論編はなかなか興味深い。ただ、筆者が多く、話し言葉がまざるなど、決して「いい本」とは言い難い。

久々に小説も読んだ。結婚を前にした三人の女性の選択の物語。なかなかいい。


先日出版された辻井喬と上野千鶴子の対談。残念ながら、タイトルの『ポスト消費社会のゆくえ』についてはあまり語っていないような気がするが、むしろ消費社会化の一翼を担ったセゾングループ総帥について詳しく語っていて日本の消費社会史を知るのにいい。

最近、内田樹先生の著作が気になって、1ヶ月ほど本屋や生協で目にするたびに読んでいる。その流れで読んだ一冊。思想が何を射程に入れるのか、ということは、それ1つで重要なテーマになるが、本書では「思想はツールである」という前提のもと、現代思想家たちを取り上げ、著作の解題と背景の説明を行った上で、この本では、ユニークなことに実際に「使って」みせるのである。個人的には、思想は人間の思考プロセスの蓄積と伝統的な善悪判断基準の体系であり、実践的な人間学でなければならないのではないか、と思う。それゆえ、その方向性がとても興味深い著作だった。日本にももっとこういうタイプの思想家がいてもいいように思うのだけれど。

最近、『論座』が面白い。イメージ的には左より、リベラルな雑誌かと思いきや、例えば、今月号の宮台先生の対談では、最近の新しい雑誌やインターネット媒体の出現に少し批判的な議論がなされているし、環境問題=CO2問題という図式に批判的な特集も組まれている。従来的な左ー右が固定された日本的な総合誌から批評誌へと変化しようとしているのかな、と期待させる。迷走ではなく戦略であって欲しい。

最近、今更ながらオープンソースについて関心を持っている。これは、有名なLinuxの開発を始めたリーナス・トーバルズとジャーナリストによる著書。普通、この手のカリスマ的な人物は我が強く、個性的といった固定観念があるけれども、少し違う感じの模様。穏やかで内向的という印象を受ける。ただ、自分が面白いと思うことを徹底するというのは、他のIT系のカリスマと共通する点か。

先日紹介した(「組織論の観点からみるオープンソース」)理論的なアプローチをする本とは異なり、比較的主観的な立ち位置だからこその面白さがある。コンセプトについて考える際の参考にもなるだろう。

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