ビジネスの最近のブログ記事

買おうと思ってて、買いそびれた『週刊ダイヤモンド』の「新宗教」特集号を遅ればせながらゲット。

かなり、おもしろい。

宗教法人の信者数ランキングや資産力、ビジネスモデル、写真付きのリスト、上祐史浩のインタビューなどなど、ちょっとした新書よりずっと濃密である。

これまで企画の面白さは、『週刊東洋経済』には一歩及ばないと思っていたが、先日もちょっと言及した「ニッポンの団地」特集号といい『週刊ダイヤモンド』もかなりいい。

しかし、僕はここ数ヶ月、雑誌といえば、この経済誌2誌しか購入した記憶がない。文化も、教育も社会も、経済観点からみるのが一番ホットというのは、どうも世相を繁栄しているようにも思えなくもない。

おそらく、経済誌が安泰なのは、基本の読者層がサラリーマンをふくめ、比較的年齢層が高くて、経済基盤が安定している人たちだというのが大きいだろう。広告を出すスポンサーだって、そういう人たちを相手にするのが一番安泰でもある。

こちらとしては、面白いコンテンツさえ提供してくれれば、経済誌でもなんでもいいわけだ。でも、なんだか一抹の寂しさを覚えなくもないね。

今発売されている、『週刊ダイヤモンド』「ニッポンの団地」特集がとても熱いのでピック。都市部における、戦後の住宅不足から始まる団地の歴史から、団地が抱える、高齢化や施設の老朽化と立て替えの問題、団地選びのコツまで実に多角的に「団地」の問題を扱っている。とても面白かった。


『ニューズウィーク 日本版』の7/15号で、「地球を救う? トンデモ科学」という特集が組まれている。

「トンデモ科学」というよりも、最先端の取り組みの事例が紹介されていて、それらがあまりにスケールが大きくて「トンデモ」に見えるといったところか。

例えば、地球温暖化対策として、地球工学なる分野の取り組みでは、宇宙に鏡を設置して太陽光線を遮るとか、SO2(二酸化硫黄)を散布し、太陽光を遮るなど、なかなかラディカルなものがある。

実現可能性というよりも、単純にスケールの大きさに驚かされる。あらゆる可能性が検討されてしかるべき分野だと思うので、面白かった。

他に「エコに懸ける地域経済学」という論考では、鉱物資源の採掘から自然エネルギーの開発に転換することで経済効果も得られるという、グリーン・ニューディールのコロラド州バージョンが紹介されている。ただし、環境産業への投資が雇用を生み出すということではなくて、非営利セクターやベンチャーという今までにはない分野への投資が、新しい雇用を生み出しているという側面に注目するのが正しいだろう。


『超・階級 スーパークラス』という、ちょっと怪しいタイトルに一瞬腰が引けるが、世界のエリートたちのコミュニティ内のつながりの関係とその構成と力学を記述していて、なかなか読み応えがあった。現代の世界では、おもしろいことに、反グローバリゼーションを唱える者たちさえグローバルにネットワークを形成しているように、あらゆるところにネットワークが存在している。

本書は、それらの各ネットワークについて、肯定するでも、否定するでもなく、それらの関係性と力学をひたすら記述していくのだが、複雑ネットワークの手法によってネットワークを抽出した後、どのように社会科学的な研究に落とし込んでいくのか、ということを考えるうえで一助となった。ただし、なかなか分厚いうえに、ちょっと冗長なので要注意。


大学生の質問に投資家ウォーレン・バフェットとMicrosotの創業者ビル・ゲイツが対談形式で答えていくイベントを収録したもの。

左側に英語があって、右側に日本語がある形式。平易な英語で、分量もさほど多くないため、英語の勉強にもちょうどいい。おそらく高校生でも読める。

特に、日本語訳は英語と比較すると、かなり内容が省かれているので、英語で読むのがおすすめ。


バフェットとゲイツによる「創造的資本主義」論については、以前紹介したこちらの本を。あわせて読むと、最近の資本主義を社会貢献に繋げていく潮流についてよいガイドとなる。

幻冬舎を設立した「名物」編集者の回顧伝。

尾崎豊や石原慎太郎、村上龍など大物の書き手とともに、ベストセラーを連発してきたある種の「秘訣」を書いている。「顰蹙は金を出してでも買え」などの台詞からも分かるように、全身全霊で書き手と作品にコミットしろというのがその「秘訣」のようだ。

全編こうしたアウトロー観で貫かれている。「アウトロー物語」は誰しも(?)一抹のあこがれがあるテーマだし、読み物としてはかなり楽しく読める。

一般的には関心があまりないことだろうが、個人的には方法論としての、「魂」や「全身全霊」の背後にある「具体的にどのように編集したのか?」について知りたかった。ざっと見た感じでは、具体的な編集技術に関しては、1箇所しか記述がなかったように見える。

やはり、個人の実存に密接に関係する小説などに限らず、構成やロジカルな組み立てについてのやり取りよりも「とりあえず書いてください。」と言われてしまう業界だけに、具体的な「方法」は決定的に個人の暗黙知に依存したものなのかもしれない。


マイクロソフトの創業者で現在は社会貢献活動を支援する財団を運営するビル・ゲイツと世界的な投資家ウォーレン・バフェットが「創造的資本主義」について講演、対談したうえで、アメリカの識者からの賛否両論が併記されている著作。

創造的資本主義とは、「利益と(引用者注: 社会的)評価という二つのインセンティブにより、自己の利益を追い求める力と他人を思いやる力とを同時に刺激するシステムである。」(p.28)

BOP(Bottom of Pyramid)を「救う」新しい方法(ソーシャル・イノベーション)の背景にある思想のひとつと言える。

注目に値するのは、ゴール設定が完璧ではない(≒理想状態ではない)が、しかし、企業にこうした問題を真剣に考えさせるだけのインセンティブ設計が「思想」に内包されていることだろう。

というのも、従来の理想状態を論じる、特に左派的な「対抗言説」なるものには、既得権益者を理想状態に促すインセンティブ設計に乏しい、ナイーブなものが多かった。

それに比べれば、ある種の理想としての「完成度」は低いかもしれないが(というよりも、議論の位相の水準の違いがあるように思える)、この創造的資本主義には、既得権益者に対してのそれなりに実効的な参加インセンティブを持っている。

「実効性」の観点からすれば、今後も彼らの思想の動向をウォッチする価値はあるだろう。

本書はフローレンス代表の著作。79年生まれとあるから、かなり近い先輩筋に当たる人だ。残念ながら、在学時期は重なっていないが、この著作のある種の雰囲気から、入学した頃のSFCを懐かしく思い出した。

彼は「フローレンス」という有名なNPOの代表だが、しかし本書はNPO論ではなく、ワークライフバランス論である。ざっくりまとめると、1)がむしゃらに頑張ることは意外と効率が悪いことが多くて、2)自分の周りの環境(特に「個人の幸せ」のようなもの)を自ら悪化させている、3)そこで、見える化とか在宅勤務とかその他合理化の手法を使って生産性を向上させることで、4)多様な生き方を可能にすることで、業務効率の改善と個人の幸せの追求を両立させよう(viva! ワークライフバランス)、ということを、主に自身の経験をベースに語られている。

この「合理化によって、業務改善と個人の幸せを両立させよう」という発想などとても共感する(しかし、やけに最近多くの論者が「ワークライフバランス!」と言うことに、なにか違和感を覚える)。

ワークライフバランスは間違いなく重要である。が、その前提のもとで、ワークライフバランスを導入するためには、その前段階として(願わくば、取り返し可能な段階で)、1)、 2)を経験する必要があるのではないか。そうでなければ、ワークライフバランスの必要性を内面化して理解することはできないだろう。最初から徹底的に合理化された環境では、うまく説明しにくいが、人はキャパシティを拡張できないのではないか。不合理な環境で暗中模索した到着点として、合理的な環境が整備されることが必要ではないか(しかし、合理的な環境が整備できるとは限らないから、言っていて空恐ろしい。というのも、今、自分が1) 2)の状態にあるように思うからである(笑))。

ところで思い出したのが、charlieさんの『カーニヴァル化する社会』である。第3次ベンチャーブームの頃に、「カーニヴァル化」を内面化したごく一部の世代(というか、そういう島宇宙があった)がいる。僕もその末端にいるといえるかもしれない。こうした雰囲気を内面化した世代は、ともすればとどまることを知らない自己啓発のスパイラルに巻き込まれ、ある種の自己啓発中毒になることがある、というようなことがcharlieさんの約5年前の「予言」だった。そうした雰囲気はあっという間になくなってしまったが、ある意味ではカーニヴァル化の果てに辿り着いたところが「ワークライフバランス」なのかもしれない。



TAをやらせていただいている土屋大洋先生の授業、「グローバルガバナンス(基礎)」で紹介されていた。この授業は、研究とは何か? どのように研究するか?、ということについてのGRプログラムの(主に学外から来た)M1向けの授業。

土屋先生は、かねがねSFCと「プロフェッショナル・スクール」について言及されている。つまり、大学は大別すると真理の探求に邁進する「アカデミック・スクール」と問題・発見解決を目指す「プロフェッショナル・スクール」に分けることができる。この区分は、例えば、ハーバード的なものとMIT的なものに区別できるということだそうだ。

言うまでもなく、SFCは後者を射程に置いている、ということで、とても共感できる。そして、問題発見・解決のためには、コンサルの論理的思考法は意外と使えるよ、という文脈で紹介されていたように記憶している。で、Amazonを即座にクリックしてみたのだった(笑)

若干、個人史と自己啓発的なものが、入ってきてそこら辺がひっかからなくもないが、「フレームワーク力」とか「論理的思考やリスクテイキングが重要だよ」的な勝間和代とかとほぼ同じようなことを言っている(歴史的にいえば、こっちが先だろう)」。さすがに、元マッキンゼーのボスだっただけのことはある。読みやすくて、大変分かりやすい。内容は「男版 勝間和代」と思っていい。勝間さんより自己啓発の色合いが濃いかもしれない。

しかし、ビジネス書の業界では、つまるところ、「すごいキャリア」の人が至極当然のことを自己啓発のスパイスで調理するという営為が代々受け継がれているように見える。なんだか、人は違えど、言っていることはだいたい同じに見えてきた。もちろん、これはそれなりにビジネス書に目を通すようになってきたから言えるわけで、ビジネス書が役に立たないと言っているわけではない。

そういえば、R.ライシュの『暴走する資本主義』の中でも大前研一が引用されていたような気がする。  


少し前に出た、今や超有名フリーマガジンになった『R25』事業のゼネラルマネージャーによる創業秘話というか楽屋物語。

『R25』はそれまで雑誌を買わないとされていたM1層をメインターゲットにして、大成功を納めた。特に印象的だったのは、M1層がマーケティングデータを見たときに市場として「空いていた」こと、M1層にインタヴューしていく中で「定型的な質問では、彼らの本音を見抜くことができていない」ということを見抜いた描写。

つまり、「M1層は活字を読まない」という固定概念にとらわれず定量データを見ながら市場の空白を探し出し、さらにグループインタヴューでさらに対象が表層的な答え方しかしていないことを見抜き、居酒屋でのインタヴューや肯定し徐々にラボール(≒信頼関係)を形成しながら徐々に彼らの語る表層的な「ウソ(というか見栄)」を見抜いている。それが今の『R25』の誕生につながっている。

...とこの辺りまで読んだときに、思い出したのが宮台先生の『制服少女たちの選択』。女子高生たちに対する表層的なインタヴューでは、彼女らは世間に期待される「女子高生」という期待像に沿った話し方をするのだが、いざ信頼関係ができたうえでインタヴューしていくと...というものであった。

思えば当時女子高生だった世代が、今のM1〜2、F1〜2層と重複する。本書のような記述を読むにつけても、「定量データをもとにしているからエビデンスがある!」というわけにはいかないということを強く意識させられる。ちょっとした社会調査やマーケティングを単に仕掛けることはネットの普及で簡単になったが、「本音」を見抜くのはずいぶんと難しい時代になったものである。


資料として購入。

ガラパゴス島は、南米の小さな島だが大陸と隔離されているため、そこではその土地の状況に合わせた独自の生態系が発展していることが知られている。誰しもウミイグアナの話などを一度はメディアで見聞きしたことがあるのではないだろうか。そこから転じて、日本のようにある程度の規模の国内市場が存在しその市場に特化していくことで、いわゆる「グローバルスタンダード」と異なるビジネスの生態系が構築されている様のことを表現するときに使用される。

さて、本書では「ガラパゴス化」の是非を直接論じるというよりは、主に東アジアの新興企業のグローバルスタンダードへの適応戦略を参照することで、日本企業のガラパゴス化に伴うグローバル化への対応の遅れの危機を指摘しているのだが、論理的には徹底的にガラパゴス化を促進して独自の市場に適応してやっていくという方向性もあるはずであるが、そちらにはあまり言及されていない。おそらく開きつつ、閉じるガラパゴス化が必要なのだろう。もちろん、「必要だろう」ということは簡単で、何を開いて、何を閉じるか、もしくはどのように開いて、どのように閉じるかが難しいのだが。



追記

ガラパゴス化については、しばらく前に出た「futurex」という雑誌の特集が詳しかった。ちょっとSFC贔屓すぎるのではないかという記述がなきにしもあらずなのだが、SFCと関係ある媒体なのだろうか。

『ワイアード』の創刊や(株)インフォバーンの設立を手がけてきた筆者がさまざまなデータに基づいて、既存メディア、特に雑誌メディアを中心に、「メッタ斬り」にした著書。出版業界を取り巻く周辺環境の変化や対応しようとしない(もしくは後手後手に回る)既存の大手企業について、気持ちいいくらいにやり玉にあげていく。

出版業界の企業の売り上げ額と企業数はロングテール的な様相をなしているのではないかと思われるが(注: 調べたことはない)、ヘッドに位置する大手企業が既得権益の重要な部分とその大くを握っているとき、そこが苦しくなった場合市場全体はどうなるのか、ということが、80年代〜90年代のIT業界の事例と比較すると特に興味深いかもしれない。

というのも、当時のIT業界でもヘッドに位置する企業とテールに位置する企業(=ベンチャー)の「交代」が起きたが、市場全体が拡大しているという今回のケースとの大きな違いが存在している。

しかも、IT業界では本当に「交代」が起きたのか、という問題も存在する。というのも、以前の大手企業も当時の勢いや覇権こそ失ったかもしれないが、IBMしかり、Dellしかり未だに大手企業として存在しているからである。

いずれにせよ、経営学的ケーススタディとしてはとてもinterestingなテーマだが、あまり傍観できる問題ではないということだけは確かなようである(なにかできることがあるかどうか、というのはまた別問題として)。

人間の意思決定は合理性のみに依存しているわけではないことは言うまでもないだろう。むしろ様々な非合理的な要素に、強い影響を受けている。そして、そのような人を惑わす非合理的な要素に存在する共通項を、優秀で安全運転に太鼓判が押されていたパイロットが引き起こした航空機事故のプロセスなどさまざまな事例を扱いながら論じていく。

本書は、最近流行りの人の合理性と非合理性を扱う本の一種といえよう。筆者は、オリ・ブラフマンとロム・ブラフマン。自律分散協調型の組織の強さをテーマにした『ヒトデはクモよりなぜ強い 21世紀はリーダーなき組織が勝つ』の筆者である。

非合理的な振る舞いは少なからず失敗や事故を引き起こす。だがこのご時世、非合理的な振る舞いが魅力的に見える瞬間が時折あるともいえるかもしれない。なにせ、非合理的な振る舞いは人間の特権なのだから。



『週刊ダイヤモンド』で社会起業家の特集をやっていて、思わず購入した。

現状から歴史、法制、多数の事例紹介もあり、日本における社会起業家についてざっくり分かるいい特集だった。この特集では、SFCが社会起業家育成に力をいれている大学ということでフィーチャーされていた。実際最近の社会起業家ブームの数年前から、ソーシャル・アントレプレナー教育に力を入れていたし、この4月から政策・メディア研究科(「SFCの大学院」という位置づけ)修士課程に社会イノベーターコースも新しくできたこともあり、先駆的な事例と言えよう。

しかし、『週刊ダイヤモンド』で言及されているような社会起業を実際に行う学生が増えたかどうかというのは良く分からない。例えば今回の特集でとりあげられていた社会企(起)業の事例は、社会起業関連の本ではおなじみの「いつもの事例」である。そうすると事態は、「社会起業家が増えた」ということではなく、「事業化に成功した社会企(起)業が増えた」ことであり、ボランティア、NPOに続く若い世代の社会貢献のスキームはこうなりそうだ、というコンセンサスが生まれつつあるという程度な気がする。

誤解を招きかねないが、社会起業に反対しているわけではない。個人的にはボランティアやNPOより、若い世代の感性にあったスキームだと思う。僕がコミットするEcoSurferも社会企業の一種といえよう。若い世代がさらに進出し、自由に試行錯誤と創意工夫を積み重ねる環境の整備が早急に必要であると言いたいだけである。その意味では、やはりSFCの取り組みは先駆的な事例と言えるのだろう。今回の特集に関して言えば、社会起業に実際に携わっている人と『週刊ダイヤモンド』を読んでいる人の間にギャップがあるような気がするのだけれど、実際に取り組んでいる人たちにもとっても今回の特集から学ぶことは大きい気がする。


コラボレーションを研究してる社会(社会心理?)学者Keith Sawyerのはじめての(多分)翻訳がでた。他にジャズバンドの研究からコラボレーションを論じるなど面白い研究をしていて、以前から英語でコツコツ本を読んでいた。

D. PinkとかR. Florida、ある意味ではE. Raymondなんかも入るだろうけどコラボレーションをテーマにした本が、最近(でもないか)日本でもいろいろと翻訳されてきている気がする。コラボレーションのみならず社会起業とか地域活性化にしても、面白いのはなぜか翻訳ばかり。日本のこうした本では事例ばかりで、演繹の作業が乏しい。その点、D. Pinkらの仕事は論理的に精緻な本というわけではないが、広義の社会論に仕上げがっていて、個別の事例に関心がなくても面白く読める仕事になっている。日本の事例でそんな仕事もしていきたいなあ。



これが原著 ↓

勝間和代の新刊『会社に人生を預けるな』を読んだ。副題の「リスク・リテラシーを磨く」に魅かれたからである。奇しくも、先日『週刊ビジスタニュース』に寄稿した「"起業ブーム"はどこへいったのか?」で、「リスクテイクしないことがリスクかもしれない」と述べたように、リスク(とリスクテイクの仕方)に関心があって、このタイトルは明らかにリスクテイクに照準を当てた本に思えたからである。

ざっくりまとめるとこの本の中で、勝間は

1.人材流動性の高まっていく時代(≒フリーエージェント化社会(by D.Pink))では、個人の能力ではなく会社に依存したライフスタイルはハイリスク。

2.身の回りのリスクに敏感になろう。

3.カリキュレイテッド・リスク(計算可能なリスク)をとることから始めよう

ということを言っている。

僕は『週刊ビジスタニュース』で大学生やベンチャー社長のヒアリングをもとに、主に1.に近いことに言及したわけだけど、本書ではさらに具体的な「どのようにリスクテイクするか」というテーマに踏み込んでいる。拙稿は現状記述を踏まえた原因に関心があり、『会社に人生を預けるな』は現状記述を踏まえたオルタナティブの提示に関心があったともいえよう。

ということは、現状記述の後に「なぜ〜」と「どのように〜」のどちらに焦点を当てるかが、社会分析や社会評論とビジネス書を分岐する大きなポイントになってくるといえる。

そうだとすると、実は両者の違いはそれほど大きくない。社会科学を専門にする自分としては両方を射程に納めることができれば、仕事の幅が広くなるなあと思ったw もしくは「ビジネス書の社会学」もできるww

いずれにせよ、勝間和代や梅田望夫の言説は1990年代後半〜2000年代前半の雰囲気に強い影響を受けた僕にとっては、論理的に納得するというよりもノスタルジー(というにはまだ早いか)も含めて大変親和的である。具体的には例えば、ただの「いい人」ではなく、ある意味では冷徹に現状を踏まえた上で、あえて「オプティミスティックな態度を取る」(特に梅田は各所でそう宣言している)という姿勢だろうか(そういえば、以前id:klov君が『思想地図』vol.2の僕の論考に関連して似たようなコメントをくれていた)。

このようなことを前提とすると、彼らの主たる読者層と、ネット起業ブームや不況などの影響で、比較的他の世代よりも会社依存のメンタリティが弱く、向上心・向学心の高い僕より少し上の世代(いわゆる「ロスト〜」と呼ばれる世代ででしょうか)が重なって見えた。




移動中に駅前の書店でたまたま電車内で読む何かを探していて、ふと目にとまりそのまま興味深く読んだ。梅田は「シリコンバレー精神」について次のように定義する。

「シリコンバレー精神」とは、人種や移民に対する底抜けのオープン性、競争社会の実力主義、アンチ・エスタブリッシュメント的気分、開拓者(フロンティア)精神、技術への信頼に根ざしたオプティミズム(楽天主義)、果敢な行動主義といった諸要素が交じり合った空気の中で、未来を創造するために執拗に何かをし続ける「狂気にも近い営み」を、面白がり楽しむ心の有り様のことである。
梅田望夫(2006)『シリコンバレー精神』筑摩書房p.276


本書を読んでいて、ふとSFCに入学したての頃を思い出した。SFCに入学したのは2002年。キャンパスができて約10年。いろいろなカリキュラムも固まってきてはいたが、同時にある種の硬直化も始まっていて、それを払拭するためSFC ver2.0というプログラムが走っていた。当時ネットバブルのピークは過ぎてはいたが、キャンパスにはその名残は残っていた。熱意と若さにあふれた人間が多数いて、至るところで異業種交流会や名刺交換会、勉強会と称したイベントが行われていた。

有名企業になった会社を生みだしたキャンパスということで、先輩たちにならって一旗揚げようと虎視眈々とねらっている熱気を持った人間が集まっていた。先にベンチャーを起こした先輩たちに企画書をプレゼンして、彼らのポケットマネーでイベントを打ったり、ベンチャーを起こす同級生や先輩も少なくなかった。もちろん、中には何年も留年してるような怪しげな連中もいて、それら全てがよかったのかどうかは分からない。しかし、SFC ver2.0の頃にはエネルギーがあった。少なくとも「SFCはただの高偏差値大学ではない」という共通了解が存在していたような気がする。

時は2009年。僕は未だに大学院生としてキャンパスにいるが、お世辞にももはやその熱気はない。昨年定期試験監督補助をした学部のベンチャー経営系の授業の人の少なさには、逆の意味で驚かされたものだ。もちろん、今でも面白いテーマで起業する人もいる。けれども、キャンパス全体を覆う熱気や怪しさは感じられない。別にそれがいいとか悪いとか、昔はよかったということではない。それはそれで一つの時代が終わったということなのだろう。そのようなことを、底抜けに明るい田舎町でありかつ競争社会でもあるシリコンバレーでの出来事を書き連ねた同書を読みながら思い出した。

既に個人的な感慨と錯綜しているが、特に気になった指摘をあげておくと梅田はリスクをとるためにこそ、セーフティネットが必要だ、と述べる。彼はシリコンバレーと日本の起業を比較して、前者は起業資金にベンチャー・キャピタルやエンジェルからの資金提供が中心になっていて、後者は個人資産を担保にした銀行等からの借金が中心になっていると指摘する。つまりシリコンバレーでは起業資金と個人資産が明確に区別されているからこそ、リスクをとることができるということである。起業が成功するまでに資金が尽きれば会社は解散するが、それは個人資産とは関係ない水準の話であるがゆえに一つの経験にすぎず、貴重な経験をしたとも言える。従って「失敗」によって、次の再チャレンジの動機が損なわれることはないというわけだ。他方で個人資産を担保に起業することの多い日本ではそうはいかない。失敗は事実上不可能であるがゆえに背水の陣で挑まざるをえず、リスクを取りに行き辛い。

この「リスクをとるためのセーフティネット」という発想は、あらゆる分野において日本で欠如している概念のように思う。起業に近いところで言えば、NPOや社会起業。はたまたこれから僕が進もうとしている学術の世界(というか日本における博士課程進学後の就職先の問題)も然り。

近日中にアップされるであろう先日の荻上チキさんによるインタビューの中でも、梅田望夫しかり、勝間和代しかり、ライフハック×自己啓発の文脈で日本を変えようとしているのだということが俎上に載せられた。本書からもそうした気配が多分に漂っている。だが、冒頭にも記したような文脈の中で大学生活を送った僕にとっては、その気配は決して忌むべきものではなく、むしろどこか懐かしく、心地良くさえあるのである。

EcoSurferのサイトで、代表の堀直也氏のご協力のもと昨年9月から取り組んでいるビーチマネーの使用状況についての中間報告書をアップしていただきました。

http://www.eco-surf.com/beachmoney/beachmoneymeeting.html

現在、ビーチマネーに参加しているお店のうち、57のお店にインタビューさせていただいた内容をもとに作成したものです。全てのお店を回った後に、最終報告という形で再度まとめさせていただきます。ご協力頂いたビーチマネーショップの皆様、堀さん、ありがとうございました。

このサイトには、堀さんに撮影していただいていたフィールドワーク中の懐かしい写真もいくつかアップされています。半構造化インタヴューなので、話がどんどん展開して気がつけば長時間話しこんでいることも多々ありました。

「現場」には、多くの暗黙知とソリューションが存在します。それを「発見」し、その「本質」を共有することはイノベーションのファーストステップだと言われています。

そして、僕にとっては「「地域」を研究のフィールドにする」からには、常にそうしたソーシャル・イノベーションに関連した実践的な水準でやりたいと思っています。傲慢かもしれませんが、少なくとも「ある「地域」の現場や現状はこうなっている、以上」という研究はやりたくない。そこには「コミットメント」の概念が抜け落ちているからです。コミットメントはある種の責任のようなものも伴うので大変なときもありますが、地域を「研究対象」にするからには倫理的に不可欠ではないかと個人的には思っています。

以下は、IDEOのイノベーション・メイキングの事例やプロセスを紹介しているイノベーションについての定番本。また、井庭研の定番の輪読書でもあります。

『なぜシリコンバレーではゴミを分別しないのか?』
実に刺激的なタイトルだ。一瞬、アンチ・エコ本かと思うが、そうではなくシリコンバレーの近況報告とエッセイ集。ジャーナリストである筆者のblogから本を作ったようだ。同名のタイトルのエッセイの内容は、要は資源ゴミを最初に細かい分別して収集するよりも、とにかく一緒くたに出させた後に自動分類装置と手作業で分類する方が効率的で、実際シリコンバレーではそうしている、ということのようだ。

なるほど。確かにエコは重要だ。でも、方法については、まだまだ思考の余地があるということのようだ。今、それが正しい、と一般的に思われていることも、実は合理的ではないことがある。それがセオリーだ、と思われていることほど、思考停止に陥ってはならない、と考えさせてくれた一冊。他のシリコンバレーの近況やエッセイも興味深い。


これまで何度か「『週刊東洋経済』が面白い」ということを書いた(例えばhttp://web.sfc.keio.ac.jp/~ryosuke/tippingpoint/2008/05/post-19.html)。

先週の2008年7/12号(目次はこちら→http://www.toyokeizai.co.jp/mag/toyo/2008/0712/index.html)も大変刺激的な内容だった。「地球はホントに危ないか? 経済で読む「温暖化の真相」」という特集でポスト京都議定書の検討や排出権取引、新しい環境ビジネスの取り組み等々大変刺激な内容だった。

環境対策ということで言えば、節約やLohasといった人の善意に期待する環境対策よりも、ビジネスや経済セクターを巻き込んで、イノベーションを活用する広義の制度としての環境対策に関心がある。節約やLohas的なライフスタイルによる環境対策は問題を先送りしているだけで根本的解決に結びつかないように思えるからだ。例えば、節約はごくわずかに石油の枯渇速度を抑えることに貢献するかもしれない。だが、そもそもエネルギー効率が他国と比べて非常に高い日本の現状を思い出せばその貢献度は極めて微々たるものだし、むしろ経済活動のシュリンクに結びつくのではなかろうか。経済活動の後退は、企業が社会貢献に投資できる余力を奪うことに繋がるかもしれない。

そして、人の善意に期待するタイプの環境対策は、「善意」というどこか得体の知れないひとつの概念に、人が集うなにかしらの気持ち悪さを拭い去ることができない。この手の方向性は、共感できない、共感はするが実行に移せる余力がない人間が多数を占める場合、その効果と実効性に疑問がある...等々の理由で個人的には、イノベーションと広義の制度の活用による環境対策にしかほとんど関心がない。

その意味で、大変興味深い特集だった。

そして、雑誌として『週刊東洋経済』の懐が広いな、と思うのは、以前も述べた通りこうしたアクチュアルな記事がいつも複数あることだ。例えば今回の号では、「経済を見る目」という連載の広井良典先生による「「いす取りゲーム」としての雇用」という論考も興味深い。日本において労働生産性の向上と労働時間の増大が掛け合わさることが、雇用のポスト減と過剰競争を招いているという議論だ。

「大学博物館という至福 静かに進む東大の試み」という大学に存在する活用されていない資料を活かすユニバーシティ・ミュージアムについての特集も、「イノベーションの担い手を育てる、という方向性をそろえる」という広告特集さえ面白かった。

若干ベタ褒め気味だが別に褒め殺しというわけではない。昨今、雑誌離れが加速している、と言われている。某論壇誌も近く休刊するとか。出版社や編集部にもいろいろ事情はあるのだろう。しかし、広告と企画広告だらけのコンテンツではなくて(特に同一の雑誌を、5年前の号と比べると広告の増加と内容が薄くなったことを実感するものが多い)、しっかり練られたクオリティのコンテンツを創っていれば、自然と活路は見出せるんじゃなかろうか(『週刊東洋経済』が売れているのかどうかは良く知らないけども...)。

これでイギリスで読んだ日本の本すべて。
他に現地で3冊本を買ったのだけど、まだ全部は通読できていない。

「下流」を扱うブームに呼応してか、最近は「上流」の生態について扱う本が増えてきた。この本は、投資やベンチャーで財を成したアメリカのニューリッチたちの生態を記述している。特に、従来の富裕層、「オールドリッチ」と対比的な記述が興味深い。個人的にも、「下流」よりは「上流」のケーススタディのほうに興味がある。


この本は芹沢一也さんの前著『犯罪と凶器』『犯罪不安社会』の内容を総括し、自分たちと異なる人間を切り離し、エンターティメントとして防犯を扱うことの監視社会的な危険性をして「ホラーハウス社会」と命名している。新書ながら事例的にも、概念的にも詰まった、かつ非常に読みやすい一冊。

創造都市やクリエイティブシティの歴史や概念的バックグラウンドについて詳しい。ともすれば、ケースだらけになりがちな地域論や都市論の一分野に位置するクリエイティブシティを学術的に学ぶ上で重宝する。

イギリスでは久々にまとまった時間が取れたので結構本を読む時間があった。以下はその本達。London University近くの本屋が魅力的でイギリスでも本を買い込んでしまった。

日本の犯罪と権力についての芹沢一也さんの著書。日本の犯罪史と権力の関係を巡るフーコー的議論が魅力的。

日本の犯罪統計の変化と思想的背景、警察の権力について概説されている。おもしろい。凶悪犯罪に該当する犯罪の範囲を増やせば、グラフが右肩上がりになって犯罪が増加しているように誤解してしまうのは当然だ。警察統計の杜撰さの問題は権力の問題と直結しているだけに由々しき問題であるように思う。

複数の小説批評の理論的方法を、小説『フランケンシュタイン』を例題としつつ料理している。徹底して「批評の方法」を追求する英文学者の筆者の姿勢が好印象。批評や人文系では方法論を巡る議論は賛否が別れるところだが、新規参入や分野の存続のためにも方法論は不可欠だと思う。

おそらく日本社会学史学会のジャーナルだと思う。ジャーナルなのだが、一般に流通している珍しい形態を取っている。バウマン特集。バウマンの問題圏の概論が分かる。特にルーマンの翻訳でも有名な馬場靖雄先生のル−マンとバウマンをつなぐ論文が印象的。

マルクス主義の流れを汲む理論家ルカーチの著作。特に物象化論に焦点を充てるところがルカーチの特徴か。よく考えれば、マルクス主義は一種のネットワーク理論として読めないこともない。人間関係が存在し、人間は生産活動を行う。生産した商品は独自の商品間関係を形成する、と。

クリエイティブシティに関する最近の議論を、理論的視点と実践的視点からまとめてある。事例も豊富でいい。インターリアリティの土屋先生が執筆に参加していて驚いた。クリエイティブシティも研究されていたとは。

創造的都市の理論と特に関西の事例を集めている。本の見た目は地味だが、前半の理論編はなかなか興味深い。ただ、筆者が多く、話し言葉がまざるなど、決して「いい本」とは言い難い。

久々に小説も読んだ。結婚を前にした三人の女性の選択の物語。なかなかいい。


先日出版された辻井喬と上野千鶴子の対談。残念ながら、タイトルの『ポスト消費社会のゆくえ』についてはあまり語っていないような気がするが、むしろ消費社会化の一翼を担ったセゾングループ総帥について詳しく語っていて日本の消費社会史を知るのにいい。

最近、今更ながらオープンソースについて関心を持っている。これは、有名なLinuxの開発を始めたリーナス・トーバルズとジャーナリストによる著書。普通、この手のカリスマ的な人物は我が強く、個性的といった固定観念があるけれども、少し違う感じの模様。穏やかで内向的という印象を受ける。ただ、自分が面白いと思うことを徹底するというのは、他のIT系のカリスマと共通する点か。

先日紹介した(「組織論の観点からみるオープンソース」)理論的なアプローチをする本とは異なり、比較的主観的な立ち位置だからこその面白さがある。コンセプトについて考える際の参考にもなるだろう。

井庭研究室の放出本の一番上にあったので、鍵を忘れて後輩を待っている間、ぱらぱらめくっていたら、意外と面白くて全部読んでしまった。

産業は重厚長大から軽薄短小へ、人材はフリーエージェント化が必要です、というIT革命の不可避性を指摘する今となっては特に目新しい議論ではないのだけど、書かれたのが2002年。時代はITバブル崩壊直後。その時期にあって、よくこれを言い続けられたな、というのが一番の関心。

日本経済の1940年システムについてもっと解説が欲しいところだけど、どうもそこは別冊に譲るということのよう。

文系の学問に評論家ではなく専門家がもっと必要という指摘には、現在でも共感するところが多い。

今日は先日の揺り戻しか体調が優れなかったが、用事があったので夕方外出した。その帰りの二子玉川のBook1stで電車対策として購入。

普段車で移動しているため、電車はヘッドホンと本がないと手持ち無沙汰でかなり辛い。で、そんなわけで、電車に乗る前にはだいたいなにか本を買う。二子玉川のBook1stは駅構内のとても小さい店なのに、意外と品揃えが良くてお気に入り。流行りモノだけじゃなくて、厳選されてる感じ。本屋では最近の流行りが分かったり、予想だにしていなかった本に出会えるので、amazonのリコメンドとは別の意味で重宝している。

で、梅田さんのこの本。私淑と私塾がテーマ。ネット時代において、私淑と私塾が動機付けやロールモデル、教育として重要になる、という感じ。完全に共感する。ネット時代でblog等の普及もあり、私淑することの物理的ハードルは下がっている(逆に心理的ハードルはどうか、という問題はあるけれども...)。

それはさておき、個人的な私淑の話をしよう。思えば、大学に入ってから、5年間指導して頂いている井庭先生やこの2年間プロジェクトで指導して頂いている熊坂先生、土屋先生の他にこれまで3人の先生に私淑してきた。世代も分野も異なる3人の先生たちだ。

一人は安全保障を専門にされているK先生。自衛隊を退職されて、特別招聘教授という肩書きでいらっしゃていたのだが、安全保障という日本でまだ学問分野として認知されていない分野を広める為に、自主ゼミを開いてくださっていた。当時、確か留年して2期目の大学2年生(!)で、それほど学問にも興味がなかったのだけど、たまたまとっていた「安全保障論」の授業で、サミュエル・ハンチントンの「文明の衝突」論の是非を巡ってディスカッションをする、ということになって、前で話す、という人間がたまたま全員肯定派で、それもつまらないので、手を上げて、ディスカッションに参加することに。具体的な内容はもうあまり覚えていないけど、400人教室の壇上で、3人の肯定派とディスカッションしたときのある種の緊張感と、終わった後に先生が自主ゼミに誘って下さったことはよく覚えている。

それから3年弱に渡ってK先生のゼミで、アメリカの核戦略を中心に勉強することになった。その過程で、厚木や横須賀の基地見学や防衛省の幹部や若手、広島の自衛隊学校の生徒達とディスカッションするような貴重な機会を与えて下さった。お酒や歌も好きで、よく人生論をお話されるオールド・スクールな先生で、ダブルの上着がよく似合っていた。こうした経験は、直接、今の専門の地域活性やネットワーク分析、ポリシー・メイキングとは関係しないけど、なにか重要なことを教わった気がする。少なくとも、あのとき声を掛けていただいていなければ、大学院に行って研究者になろうとは思っていなかったはずだ(もともとずっとコンサルに行こうと思っていた)。

M先生には現在もお世話になりつづけている。やはりお世話になって5年くらいか。社会学が専門の方だが、ちょうど安全保障関連の本を立て続けに出されていた時期で、その一歩踏み込んだ議論と砕けた口調が普通の安全保障専門家と一線を画していて、とても興味を持った。著書にメールアドレスが載っていて、メールをしてモグらせてもらった。それから三年半あまりに渡って、知らない、もしくは手を出さないことがSFCのある種の強さであり、弱点でもある「体系だった社会学」と「研究者としてのスタイル」を教わった。こういうスタイルもありだ、と。研究者も個人のネームで仕事をする職業である以上、スタイルは重要だ。そのM先生が先日、ある推薦書を書いて下さった。「申請者との関係」欄に一瞬手が止まった後、「非制度的教員」と書いて下さった。とても嬉しかったことを覚えている。

S先生も同じく現在もお世話になり続けている。10歳くらいしか離れてなくて、まだ、いわゆる若手だけど、なんというか勝手に思っている兄貴分だ。いつも、調子に乗っていると鼻を折ってくれて(大体調子がいいときは周りはちやほやする)、でも、なにかあるときは必ず声を掛けてくれる。自分ではとてもこうはできないけれど、先輩のロールモデルとして、こうありたいといつも思う。

別に細かい議論に同意する/しない、は、どうでもいい。それほど同意できない部分も少なくない。でも、彼らが言っているのなら、というところがある。それらはほとんど内容とは関係しない。それはそれでちょっと危ない思想といえば、危ないけれども。

あと足りないものは、何か? 同世代のライバルと「共闘できる仲間」だ。意外とここが難しい。出会いの問題もあるのだろうか。贅沢な悩みと言えば、贅沢な悩みかもしれない。

同期現象と呼ばれる現象がある。正確な定義ではないけれど、簡潔に言えば、意図せずに行っているミクロの現象をマクロレベルで見ると、そこにある種の調和や秩序が存在するかのように見える物理現象だ。蛍の発光から人間の生態などに同期現象がある、と言われる。ノイズからの秩序形成という意味で、この概念は社会システムや現代の市場の在り方と相性がいいと思っている。具体的なところにまでは、全然到達していないのだけれど。

スティーブン・ストロガッツの以下の入門書は、蔵本由紀さんの新書(http://web.sfc.keio.ac.jp/~ryosuke/sociologs/2007/12/post-41.html)と並んで最も読みやすい本だと思う。以前から研究室にあって、読みたいと思っていたのをようやく手に入れて読了した。科学読み物としても魅力的な文体だと思う。ところで、同期現象を扱う本には、このレベルと次のレベルの本の間に大きな開きがあってなかなか厳しい。


トム・ケリー、ダニエル・ホールピンク、ガイ・カワサキらのコンセプト・メイキングやマネジメントのTipsを集めた本。具体的に「〜の役に立つ」という本ではないけれど、疲れたときやモチベーションが下がったときの息抜きにいい。

経済雑誌に『週刊東洋経済』(http://www.toyokeizai.co.jp/)がある。以前もちょっと言及したことがあるけれど(「Appleの流通戦略」http://web.sfc.keio.ac.jp/~ryosuke/sociologs/2007/12/apple.html)、最近滅法面白い。

今週号は「こどもの格差」について特集が組まれている。親の収入や学歴と子供の収入や学歴の相関の話を切り口に、統計から海外ルポまで奥行きが深い。他方で、内閣府特命担当大臣のインタビューや小柴さんのインタビューが載っていたり、付け焼き刃的なスキル特集が目立つ経済雑誌の中で広がりと奥行きを感じる。

学会紀要から総合誌、サーフィン専門誌まで結構雑誌は読む方だと思うけれども、個人的に、今一番面白い雑誌だ。

最近、メジャーな雑誌の休刊が相次いでるけど是非頑張って欲しい。

コンセプト・メイキングの重要性は各所で言及される。その重要性の具体的なイメージを非常に分かりやすく説明する絵本だ。この絵本は先日紹介したSFCを作った井関先生の近著『創発するマーケティング』(http://web.sfc.keio.ac.jp/~ryosuke/sociologs/2008/04/post-109.html)でも引用されている。

「とってもおいしいストーンスープを作ろう」(ストーンスープってなに?!)という一言が高付加価値を生みだす。

魅力的なコンセプトが全てを決定する、と言ったら言い過ぎか。

企業競争力の強化と社員のモチベーションをともに拡大する方法はありうるか? というのが本書の問題意識のようだ。企業の目的とは今や単なる利益の拡大だけに留まらない。そもそも企業理念が社会貢献だという企業も少なくない。企業競争力を強くする為には、活力のある人が必要で、そのためには社員のモチベーションを高め、個々の高いパフォーマンスを引き出す。そして企業競争力が高まれば、また、それは社員に還元され結局会社/社員双方ともに利潤を受け取るというコンセプトが本書の狙いだ。ただし、本書はウォートン経営戦略シリーズの一冊であることからも分かるように、あくまで管理側orコンサル側の目線だ。実際にありうるのだろうか?

自身もアルファブロガーかつperlの開発者、ライブドア、その他もろもろで有名な小飼弾さんの対談集。perlの開発者のラリー・ウォールやはてなの近藤さんたちと。

さっき自分のmixiのところでもちょっと話題になったけれども、ホットなことをしている人たちがどんなことを考えているのか、どんな思考パターンをしてるのか、ということは、分野を問わず参考になります、多分。

先日、バズ・マーケティングやニッチ関連の書籍を紹介した。http://web.sfc.keio.ac.jp/~ryosuke/tippingpoint/2008/05/post-5.html

ネットワーク科学の観点から、噂や口コミの広がり方を扱ったのがこちら。

ひさびさにぺらぺらめくってみたけど、分かりやすいけど、要所要所に数式を使ったなかなか奥の深い入門書。

最近、ボトムアップ=市民主導の地域活性を扱っていることもあり(というか、あまり関係なく、間宮陽介先生の議論が好きだからかもしれないけれども)、これを読んだ。

丸山眞男の議論を丹念に追うというよりも、実存的な問題意識を探るという形式を取る。それによってこれまで見落とされてきた丸山眞男の議論の本質が浮かび上がるというのが本著の問題提起。いつもの間宮節によって、生き生きとした丸山像が浮かびあがる。魅力的な一冊。

よく、本を読んでいるね、と言われる。よく考えるとそうかもしれない。もともと読書好きということもあり、専門分野だのなんだのに捕われず読む。いろいろ追われたりしていないときは、一日一冊ということはないように思う。仮に一日一冊読んだとしても、年間300冊でしかない。それを考えると、まだまだ読みたい本は無数にあるのに!と思うことが多々ある。

別に読書のコツというようなものはないけれど、いつの間にか本を読むのが早くなったし、読むジャンルの本が増えた。最近は、ビジネス書やコンセプト・デザインなどの本も良く手に取る。以前は、そういったものは、アカデミックと関係ないよね、という気がして敬遠していたけれど(実際、院生らの間では敬遠されているような気配もある)、井庭先生の影響で手に取るようになったのだけれど、これがなかなか面白い。よく考えれば当然で、ビジネス書は現場の話だし、コンセプト・デザインは研究と重なる点も多々ある。ノウハウ物も読む。例えば、今日読んだのは次の2冊。



前者は研究者としてのノウハウ本。あんまり期待しないで手に取ったが滅法役に立ちそう。昔ながらの研究だけする研究者ではなく、研究費を獲得し、キャリア形成を念頭におきつつ、研究をマネジメントできる研究者になるために、各ステージでのノウハウが記述されている。自分はおそらく理系ではないけれども、成果の作り方や報告書の作り方など十分参考にできる本だ。

後者は、Macユーザーとして使うと便利な基本的なソフトについて紹介している。Latexを便利に使う方法やプレゼンのコツなどMacを使う身としては役に立ちそう。

だいたい読書の速度は、新書や文庫サイズで0.5〜1.5時間、やさし目の専門書で2時間、古典で3時間といったところか。例えば、今日の横浜の帰り道からの電車(約1時間程度)で読んだ本が先の2冊。

今、読まなければならない本や論文は数えきれない。もっと早く、大量に読みたい。きっと世の中の大学生、大学院生全員が思っていることですね。

宮台先生が若者の個別化と交流の断絶をして、島宇宙化と言ったのは90年代前半のことだが、最近マーケティングの分野でロングテール論や冪乗分布の議論で、ニッチとその担い手へのアプローチに関心が集まっている。

『下流社会』の三浦展監修のこんな本が出た。

ニッチなライフスタイルを送るターゲットには、潜在的なビジネスチャンスがあり、そこに対して、どのようにアプローチしうるか、というテーマで、具体的な事例を41紹介している(原著にはもっとたくさんあるが、その中から日本についても考えられるテーマをチョイスしたそう)。三浦さんのコラムも多数挿入されている。

事例としてはそれなりに、面白い。

口コミ創造とその方法論で、しばらく前に少し話題になったこちらもあわせて読むと、マイクロ・トレンドとその担い手へのアプローチを考えることができるかもしれない。

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