今発売されている、『週刊ダイヤモンド』「ニッポンの団地」特集がとても熱いのでピック。都市部における、戦後の住宅不足から始まる団地の歴史から、団地が抱える、高齢化や施設の老朽化と立て替えの問題、団地選びのコツまで実に多角的に「団地」の問題を扱っている。とても面白かった。
今発売されている、『週刊ダイヤモンド』「ニッポンの団地」特集がとても熱いのでピック。都市部における、戦後の住宅不足から始まる団地の歴史から、団地が抱える、高齢化や施設の老朽化と立て替えの問題、団地選びのコツまで実に多角的に「団地」の問題を扱っている。とても面白かった。
少し前に刊行された『一橋ビジネスレビュー』でソーシャル・イノベーションが特集されていた。
積ん読になっていたが、ようやく読了。
グラミン銀行のムハマド・ユヌスの論考やソーシャル・イノベーションについてのサーベイ論文、ルーム・トゥ・リードのジョン・ウッドのインタビューなどが納められていて、ソーシャル・イノベーション入門にも、社会起業を含めた最新の動向を知るためにも最適な一冊になっている。
本書はフローレンス代表の著作。79年生まれとあるから、かなり近い先輩筋に当たる人だ。残念ながら、在学時期は重なっていないが、この著作のある種の雰囲気から、入学した頃のSFCを懐かしく思い出した。
彼は「フローレンス」という有名なNPOの代表だが、しかし本書はNPO論ではなく、ワークライフバランス論である。ざっくりまとめると、1)がむしゃらに頑張ることは意外と効率が悪いことが多くて、2)自分の周りの環境(特に「個人の幸せ」のようなもの)を自ら悪化させている、3)そこで、見える化とか在宅勤務とかその他合理化の手法を使って生産性を向上させることで、4)多様な生き方を可能にすることで、業務効率の改善と個人の幸せの追求を両立させよう(viva! ワークライフバランス)、ということを、主に自身の経験をベースに語られている。
この「合理化によって、業務改善と個人の幸せを両立させよう」という発想などとても共感する(しかし、やけに最近多くの論者が「ワークライフバランス!」と言うことに、なにか違和感を覚える)。
ワークライフバランスは間違いなく重要である。が、その前提のもとで、ワークライフバランスを導入するためには、その前段階として(願わくば、取り返し可能な段階で)、1)、 2)を経験する必要があるのではないか。そうでなければ、ワークライフバランスの必要性を内面化して理解することはできないだろう。最初から徹底的に合理化された環境では、うまく説明しにくいが、人はキャパシティを拡張できないのではないか。不合理な環境で暗中模索した到着点として、合理的な環境が整備されることが必要ではないか(しかし、合理的な環境が整備できるとは限らないから、言っていて空恐ろしい。というのも、今、自分が1) 2)の状態にあるように思うからである(笑))。
ところで思い出したのが、charlieさんの『カーニヴァル化する社会』である。第3次ベンチャーブームの頃に、「カーニヴァル化」を内面化したごく一部の世代(というか、そういう島宇宙があった)がいる。僕もその末端にいるといえるかもしれない。こうした雰囲気を内面化した世代は、ともすればとどまることを知らない自己啓発のスパイラルに巻き込まれ、ある種の自己啓発中毒になることがある、というようなことがcharlieさんの約5年前の「予言」だった。そうした雰囲気はあっという間になくなってしまったが、ある意味ではカーニヴァル化の果てに辿り着いたところが「ワークライフバランス」なのかもしれない。
読売新聞北海道支社夕張支局の記者による財政再建団体となった北海道夕張市についてのルポルタージュ。
夕張市の事例は、国のエネルギー政策転換による「炭坑の町」の破綻後、「炭坑から観光へ」(!)を歌う「カリスマ」市長の登場と、彼とその周辺の地域利権に絡んだ周辺業者の独裁と暴走、不足する自治体の財源の一時借入金による補填が原因である。
「炭坑の町」という設定こそ特殊だが、その他の事例に関しては身に覚えのある地方自治体も少なくないはずだ。
「炭坑から観光へ」という箱モノ行政、「カリスマ」市長依存の自治体行政、長年の既得権益関係に依存した思考停止の癒着の構造、こうした事例は少なからず、どこの自治体にも存在する。
しかも、難しいのは、70年代に一早く「炭坑から観光へ」を歌った中田市長の方向性は先駆的だったとも言えることにある。
問題は、自治体にチェック体質と自律的に行政を運営していく力がなかったことだ。以前も書いたけれど、日本では地方自治体が自律して地域行政を主体的に行っていく、というのは、未曾有な事態なのだ。
それを支援する方法は、自治体職員に創造的な思考を促す発想支援ワークショップのようなものかもしれないし、もっと別の方法や発想もありうるかもしれない。
一つ言えることは、従来型の取り組みは粛々とやり続けるのもいいけれど、もっとラディカルな取り組みや方向性が試行錯誤されてもいいのではないだろうか。
今日は、商工会議所と産業振興課のミーティングに参加させていただいた。
地域にはいろんなアクターが参加していて、皆がメンツを保つのは難しいということが分かった。
また、「地域ブランドをつくる」というとき、「地域をブランディングする」ということと「地域で(地域の)ブランド品をつくる」という話が混合してしまっているので、議論が錯綜するようにも感じた。
両者は議論になると、一重に混合しやすい。地域ブランドの方向性はどこにあるのだろうか?
諸事情により、SFCの教員が書いている地域活性、政策形成本をまとめ読み。具体的には以下のようなもの。
特に面白かったのは、上山先生らの『ミュージアムが都市を再生する』と渡辺先生の『アメリカン・コミュニティ』。
前者は地域活性本にありがちな、ただの事例紹介ではなく、経営やマネジメントの観点から、ダイナミックにミュージアムの機能を評価している。後者はアメリカのいくつかのコミュニティのフィールドワークをもとに「いまのアメリカ」の空気感を良く伝える。この本は(というか渡辺先生の前著『アフター・アメリカ』もそうだけど)、事例の選定と、理論とフィールドの配分が絶妙で、事例研究としてのみならず、読み物としてとても面白い。
この2冊から得られる教訓は、地域研究は、ただの事例紹介ではその分野に関係ある人間以外の興味をひくことができない。その壁を打破するためには、専門分野からアプローチすることと歴史や文脈、理論を用いてスケール感を導入することが重要になってくるのではないか、と思った。
これでイギリスで読んだ日本の本すべて。
他に現地で3冊本を買ったのだけど、まだ全部は通読できていない。
「下流」を扱うブームに呼応してか、最近は「上流」の生態について扱う本が増えてきた。この本は、投資やベンチャーで財を成したアメリカのニューリッチたちの生態を記述している。特に、従来の富裕層、「オールドリッチ」と対比的な記述が興味深い。個人的にも、「下流」よりは「上流」のケーススタディのほうに興味がある。
この本は芹沢一也さんの前著『犯罪と凶器』『犯罪不安社会』の内容を総括し、自分たちと異なる人間を切り離し、エンターティメントとして防犯を扱うことの監視社会的な危険性をして「ホラーハウス社会」と命名している。新書ながら事例的にも、概念的にも詰まった、かつ非常に読みやすい一冊。
創造都市やクリエイティブシティの歴史や概念的バックグラウンドについて詳しい。ともすれば、ケースだらけになりがちな地域論や都市論の一分野に位置するクリエイティブシティを学術的に学ぶ上で重宝する。
イギリスでは久々にまとまった時間が取れたので結構本を読む時間があった。以下はその本達。London University近くの本屋が魅力的でイギリスでも本を買い込んでしまった。
日本の犯罪と権力についての芹沢一也さんの著書。日本の犯罪史と権力の関係を巡るフーコー的議論が魅力的。
日本の犯罪統計の変化と思想的背景、警察の権力について概説されている。おもしろい。凶悪犯罪に該当する犯罪の範囲を増やせば、グラフが右肩上がりになって犯罪が増加しているように誤解してしまうのは当然だ。警察統計の杜撰さの問題は権力の問題と直結しているだけに由々しき問題であるように思う。
複数の小説批評の理論的方法を、小説『フランケンシュタイン』を例題としつつ料理している。徹底して「批評の方法」を追求する英文学者の筆者の姿勢が好印象。批評や人文系では方法論を巡る議論は賛否が別れるところだが、新規参入や分野の存続のためにも方法論は不可欠だと思う。
おそらく日本社会学史学会のジャーナルだと思う。ジャーナルなのだが、一般に流通している珍しい形態を取っている。バウマン特集。バウマンの問題圏の概論が分かる。特にルーマンの翻訳でも有名な馬場靖雄先生のル−マンとバウマンをつなぐ論文が印象的。
マルクス主義の流れを汲む理論家ルカーチの著作。特に物象化論に焦点を充てるところがルカーチの特徴か。よく考えれば、マルクス主義は一種のネットワーク理論として読めないこともない。人間関係が存在し、人間は生産活動を行う。生産した商品は独自の商品間関係を形成する、と。
クリエイティブシティに関する最近の議論を、理論的視点と実践的視点からまとめてある。事例も豊富でいい。インターリアリティの土屋先生が執筆に参加していて驚いた。クリエイティブシティも研究されていたとは。
創造的都市の理論と特に関西の事例を集めている。本の見た目は地味だが、前半の理論編はなかなか興味深い。ただ、筆者が多く、話し言葉がまざるなど、決して「いい本」とは言い難い。
久々に小説も読んだ。結婚を前にした三人の女性の選択の物語。なかなかいい。
鎌倉の住民参加型街作りを取り仕切った人の著書。フィールドの距離が近くて、比較的新しい本だったので手に取った。都内の街作りの計画を比較しながら、主に「計画としての住民参加」の観点から鎌倉の街作りについて記述してある。景観法や地方分権推進法についても言及されるなど、制度の側面からの入門書。
従来、ビジネスの対象だったのは、ある程度の資金を持っている層だった。ところが近年、マイクロファンドや社会企業など、視点を変えたビジネスモデルを構築することで社会貢献に取り組む手法が脚光を浴びている。
社会貢献をビジネスにすることの一番のメリットは、運営者の負担軽減という点が大きい。僕もいくつか直接面識があるけれど、社会貢献をやろうとしている人たちの、特に資金的負担は大きい。多くの方が「これがやりたいことだから」とおっしゃるが、やはり人に過剰に負担がかかる方法は長続きしないし、その人が抜けてしまったあとの事業継続や、手法の移転の一般化が困難だ。社会貢献に取り組む人が適切な利益(もちろん、これも議論の対象だけれども)を上げることは当然である、というのが、近年の潮流だ(例えば、http://web.sfc.keio.ac.jp/~ryosuke/sociologs/2008/01/post-60.htmlや「社会企業」http://web.sfc.keio.ac.jp/~ryosuke/sociologs/2008/02/post-77.html)。
その意味で、社会貢献のビジネス化は、NPOから一歩「先へ進んだ」とも言えるのかもしれない。
『ネクスト・マーケット』は、ウォートン経営戦略シリーズの一冊であることからも分かるように、ビジネス・パーソンを主なターゲットとしている。所謂第三世界での社会貢献をビジネスモデル化する理論的背景と豊富な事例を紹介していて興味深い。脱貧困、社会貢献が過剰にビジネス化することにも問題があるが、個人的には、現状より一歩進んでみてもいいのではないかと思う。
