有名英語講師の横山雅彦先生が教養について論じている。なぜ「先生」か? それは、高校3年生のときに、東進ハイスクール奈良校(笑)とSPSで、横山先生の授業を受けていたからだ。最初衛星放送で衝撃を受け、その後どうしても生授業が受けたくて奈良からわざわざ梅田のSPSまで通ったのだ。横山先生の存在が、大学入学以降「教養」的なものにカブれるおおきなきっかけになったことは間違いない。当時を思い出しつつ、大変懐かしくページをめくった。
横山先生は大変「厳しい」先生だった。当時、既に新幹線で東京と大阪を往復するような超有名講師だったのだが、どこの予備校にでも普通に見られる夏期講習の際に予備校の階段にたむろしている連中に、「ここで頑張らないでどうする!」と激怒されていたことが記憶に残っている。あるいは、自身の「マラソンゼミ」という英文超多読講座で、予習をしてこない生徒に「君は何しに来てるの? 明日から来なくていいよ」とおっしゃっていたことも。さらに、教室で英訳を読み上げさせられるのだが、訳が間違っているとどんどん重ねて正しい訳を読まれていったこともあった。当時は大変怖かったが、今思えば怒るには多くのエネルギーがいる。生徒のことを思うがゆえの、厳しさだったのだろう。
しかも、ただ厳しいだけではなくて、講義のあとも遅くまで英作文や過去問の記述問題の添削に付き合ってくださったことも思い出す。先生はもう覚えてらっしゃらないだろうが、ずいぶん偏差値が不足していたにも関わらず、受験前に暖かい言葉をかけてくださったことも。そして、合格の報告に行ったら、握手して「ここからがスタートだから頑張りなさい」といった主旨の言葉をかけてくださったように記憶している。
ただの予備校講師ではなく、博士過程まで進んだ上で、職業としての「予備校講師」を選択された先生だけに、当時からすれば大変教養に富んだ話に聴こえた。確か空手に通じておられ、武道家のオーラルヒストリーにかんする著作を執筆されていたようにも記憶している。衛星授業でさえ話が脱線することも多く、とにかく「体温の高い」方だったが、この著作にもその本領が存分に発揮されている。今では議論の細部については異論があるものもあるが、しかし、それよりも遥かに大事なことは、受験生たちに「大学」には、何か「すごいもの」があると思わせられるある種の魅力があることだ。実存的感染を引き起こす、とでも言えようか。極論を言えば、それさえ伝えることができれば、勉強など自分で取り組むことができる。そうしたことを伝えられる先生は、今も昔も大変少ない。学校にも、予備校にもだ。幸運にも、その後も大学に限らず、そうした幾人かの「先生」方に出会うことができたが、そうした「先生」たちのことは会わなくなってからもずっと覚えている。例えば「予備校など受験テクニックを磨くだけの場所だから、長居をしてもしょうがない。本当の学問をするために早く大学に行きなさい。」とおっしゃる横山先生の真摯な言葉は、不思議と今も鮮明に蘇る。
大学に入ってから現在に至るまで、予備校講師や家庭教師なんかで、随分な数の小学生から高校生くらいの子供たちに勉強を教えるようになった。運が良ければ、将来的に大学でもそうしたポストを得ることができるかもしれない。横山先生の域には到底届かないけれども、そうした「体温の高さ」のようなものはいつまでも失わないようにしたい。
最後に付け加えとくと、この本は大学受験生だけじゃなくて、比較的高度な「一般教養」を頑張れば中高生でも読めるような大変平易な言葉で記述しているという意味で、シュウカツの人やこれから大学で勉強していく大学1年生なんかにもいいだろう。

