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マーク・ブキャナンの新刊が翻訳された。

マーク・ブキャナンは、『ネイチャー』誌等の編集も務めた、博士号を持つサイエンス・ライター。複雑ネットワークやベキ則についての一般書を数多く出している。

本書は、これまでの本と比べて特に新しい事例が増えたわけではないが、「社会物理学」にフィーチャーしている。本書では、「<社会>を物理学的手法でありのまま捉える」程度に使われているけれど、歴史的には社会物理学は、統計学者ケトレーらに遡ることができる、かなり長い知的伝統のある分野である。

また、以前のエントリーでも言及したことがあるけれども、「physics of society」や「social physics」は、欧米では比較的長い伝統をもっている。そして、僕の理解では、<社会>について考えていく方法として、今取り組むべき方向性のひとつだと思う。

そして、断絶しているように見えるかもしれないけれど、社会学を「社会的事実をもののように見る」(デュルケム)と捉えた社会学の始祖たちの取り組みの現代的理解のひとつとも言えるのではないだろうか。

以前に、『思想地図vol.2』(NHK出版)の中では、「人々が異なる動機を持ち、自由な振る舞いをしているにも関わらず、結果的に一定の秩序を持つ」事象に対する関心ということを書いたし、同書の座談会「ソシオフィジクスは可能か」でも同様のこと話した。「言うは易し、行うは難し」で、実際にどうすれば、研究として形にできるのか、という方法論的模索は今も続いている。そして分かったことのひとつは、ネットワークを可視化する、いくつかの指標を出す、程度を越えた高度な手法は、明らかに僕の手には余る。

地域活性化の分野では建築系の方とはいろいろご一緒させていただくことが増えたが、こちらの分野では、情報系の方とご一緒させてもらわないと厳しいだろう。情報系の人は、モデルを適用できる新しい対象(たとえば、社会的領域)を探しているはずだし、さらに言えば、可能ならば新しいモデルを作りたいと考えているはず。他方で、僕らは社会に対する「現場」の問題意識と知的伝統に対するストック、問題解決への志向がある。多分win-win関係を築くことができると思うのだけれど。






移動中に駅前の書店でたまたま電車内で読む何かを探していて、ふと目にとまりそのまま興味深く読んだ。梅田は「シリコンバレー精神」について次のように定義する。

「シリコンバレー精神」とは、人種や移民に対する底抜けのオープン性、競争社会の実力主義、アンチ・エスタブリッシュメント的気分、開拓者(フロンティア)精神、技術への信頼に根ざしたオプティミズム(楽天主義)、果敢な行動主義といった諸要素が交じり合った空気の中で、未来を創造するために執拗に何かをし続ける「狂気にも近い営み」を、面白がり楽しむ心の有り様のことである。
梅田望夫(2006)『シリコンバレー精神』筑摩書房p.276


本書を読んでいて、ふとSFCに入学したての頃を思い出した。SFCに入学したのは2002年。キャンパスができて約10年。いろいろなカリキュラムも固まってきてはいたが、同時にある種の硬直化も始まっていて、それを払拭するためSFC ver2.0というプログラムが走っていた。当時ネットバブルのピークは過ぎてはいたが、キャンパスにはその名残は残っていた。熱意と若さにあふれた人間が多数いて、至るところで異業種交流会や名刺交換会、勉強会と称したイベントが行われていた。

有名企業になった会社を生みだしたキャンパスということで、先輩たちにならって一旗揚げようと虎視眈々とねらっている熱気を持った人間が集まっていた。先にベンチャーを起こした先輩たちに企画書をプレゼンして、彼らのポケットマネーでイベントを打ったり、ベンチャーを起こす同級生や先輩も少なくなかった。もちろん、中には何年も留年してるような怪しげな連中もいて、それら全てがよかったのかどうかは分からない。しかし、SFC ver2.0の頃にはエネルギーがあった。少なくとも「SFCはただの高偏差値大学ではない」という共通了解が存在していたような気がする。

時は2009年。僕は未だに大学院生としてキャンパスにいるが、お世辞にももはやその熱気はない。昨年定期試験監督補助をした学部のベンチャー経営系の授業の人の少なさには、逆の意味で驚かされたものだ。もちろん、今でも面白いテーマで起業する人もいる。けれども、キャンパス全体を覆う熱気や怪しさは感じられない。別にそれがいいとか悪いとか、昔はよかったということではない。それはそれで一つの時代が終わったということなのだろう。そのようなことを、底抜けに明るい田舎町でありかつ競争社会でもあるシリコンバレーでの出来事を書き連ねた同書を読みながら思い出した。

既に個人的な感慨と錯綜しているが、特に気になった指摘をあげておくと梅田はリスクをとるためにこそ、セーフティネットが必要だ、と述べる。彼はシリコンバレーと日本の起業を比較して、前者は起業資金にベンチャー・キャピタルやエンジェルからの資金提供が中心になっていて、後者は個人資産を担保にした銀行等からの借金が中心になっていると指摘する。つまりシリコンバレーでは起業資金と個人資産が明確に区別されているからこそ、リスクをとることができるということである。起業が成功するまでに資金が尽きれば会社は解散するが、それは個人資産とは関係ない水準の話であるがゆえに一つの経験にすぎず、貴重な経験をしたとも言える。従って「失敗」によって、次の再チャレンジの動機が損なわれることはないというわけだ。他方で個人資産を担保に起業することの多い日本ではそうはいかない。失敗は事実上不可能であるがゆえに背水の陣で挑まざるをえず、リスクを取りに行き辛い。

この「リスクをとるためのセーフティネット」という発想は、あらゆる分野において日本で欠如している概念のように思う。起業に近いところで言えば、NPOや社会起業。はたまたこれから僕が進もうとしている学術の世界(というか日本における博士課程進学後の就職先の問題)も然り。

近日中にアップされるであろう先日の荻上チキさんによるインタビューの中でも、梅田望夫しかり、勝間和代しかり、ライフハック×自己啓発の文脈で日本を変えようとしているのだということが俎上に載せられた。本書からもそうした気配が多分に漂っている。だが、冒頭にも記したような文脈の中で大学生活を送った僕にとっては、その気配は決して忌むべきものではなく、むしろどこか懐かしく、心地良くさえあるのである。

『なぜシリコンバレーではゴミを分別しないのか?』
実に刺激的なタイトルだ。一瞬、アンチ・エコ本かと思うが、そうではなくシリコンバレーの近況報告とエッセイ集。ジャーナリストである筆者のblogから本を作ったようだ。同名のタイトルのエッセイの内容は、要は資源ゴミを最初に細かい分別して収集するよりも、とにかく一緒くたに出させた後に自動分類装置と手作業で分類する方が効率的で、実際シリコンバレーではそうしている、ということのようだ。

なるほど。確かにエコは重要だ。でも、方法については、まだまだ思考の余地があるということのようだ。今、それが正しい、と一般的に思われていることも、実は合理的ではないことがある。それがセオリーだ、と思われていることほど、思考停止に陥ってはならない、と考えさせてくれた一冊。他のシリコンバレーの近況やエッセイも興味深い。


イギリスでは久々にまとまった時間が取れたので結構本を読む時間があった。以下はその本達。London University近くの本屋が魅力的でイギリスでも本を買い込んでしまった。

日本の犯罪と権力についての芹沢一也さんの著書。日本の犯罪史と権力の関係を巡るフーコー的議論が魅力的。

日本の犯罪統計の変化と思想的背景、警察の権力について概説されている。おもしろい。凶悪犯罪に該当する犯罪の範囲を増やせば、グラフが右肩上がりになって犯罪が増加しているように誤解してしまうのは当然だ。警察統計の杜撰さの問題は権力の問題と直結しているだけに由々しき問題であるように思う。

複数の小説批評の理論的方法を、小説『フランケンシュタイン』を例題としつつ料理している。徹底して「批評の方法」を追求する英文学者の筆者の姿勢が好印象。批評や人文系では方法論を巡る議論は賛否が別れるところだが、新規参入や分野の存続のためにも方法論は不可欠だと思う。

おそらく日本社会学史学会のジャーナルだと思う。ジャーナルなのだが、一般に流通している珍しい形態を取っている。バウマン特集。バウマンの問題圏の概論が分かる。特にルーマンの翻訳でも有名な馬場靖雄先生のル−マンとバウマンをつなぐ論文が印象的。

マルクス主義の流れを汲む理論家ルカーチの著作。特に物象化論に焦点を充てるところがルカーチの特徴か。よく考えれば、マルクス主義は一種のネットワーク理論として読めないこともない。人間関係が存在し、人間は生産活動を行う。生産した商品は独自の商品間関係を形成する、と。

クリエイティブシティに関する最近の議論を、理論的視点と実践的視点からまとめてある。事例も豊富でいい。インターリアリティの土屋先生が執筆に参加していて驚いた。クリエイティブシティも研究されていたとは。

創造的都市の理論と特に関西の事例を集めている。本の見た目は地味だが、前半の理論編はなかなか興味深い。ただ、筆者が多く、話し言葉がまざるなど、決して「いい本」とは言い難い。

久々に小説も読んだ。結婚を前にした三人の女性の選択の物語。なかなかいい。


Linuxの開発などでもよく知られるオープンソースという在り方。これを政治学者がコミュニティ論とコミュニケーションの観点から検討した本。技術にもちゃんと通じつつ、社会科学的に分析する、という本はなかなかない。山形浩生訳もいいですね。

今日は先日の揺り戻しか体調が優れなかったが、用事があったので夕方外出した。その帰りの二子玉川のBook1stで電車対策として購入。

普段車で移動しているため、電車はヘッドホンと本がないと手持ち無沙汰でかなり辛い。で、そんなわけで、電車に乗る前にはだいたいなにか本を買う。二子玉川のBook1stは駅構内のとても小さい店なのに、意外と品揃えが良くてお気に入り。流行りモノだけじゃなくて、厳選されてる感じ。本屋では最近の流行りが分かったり、予想だにしていなかった本に出会えるので、amazonのリコメンドとは別の意味で重宝している。

で、梅田さんのこの本。私淑と私塾がテーマ。ネット時代において、私淑と私塾が動機付けやロールモデル、教育として重要になる、という感じ。完全に共感する。ネット時代でblog等の普及もあり、私淑することの物理的ハードルは下がっている(逆に心理的ハードルはどうか、という問題はあるけれども...)。

それはさておき、個人的な私淑の話をしよう。思えば、大学に入ってから、5年間指導して頂いている井庭先生やこの2年間プロジェクトで指導して頂いている熊坂先生、土屋先生の他にこれまで3人の先生に私淑してきた。世代も分野も異なる3人の先生たちだ。

一人は安全保障を専門にされているK先生。自衛隊を退職されて、特別招聘教授という肩書きでいらっしゃていたのだが、安全保障という日本でまだ学問分野として認知されていない分野を広める為に、自主ゼミを開いてくださっていた。当時、確か留年して2期目の大学2年生(!)で、それほど学問にも興味がなかったのだけど、たまたまとっていた「安全保障論」の授業で、サミュエル・ハンチントンの「文明の衝突」論の是非を巡ってディスカッションをする、ということになって、前で話す、という人間がたまたま全員肯定派で、それもつまらないので、手を上げて、ディスカッションに参加することに。具体的な内容はもうあまり覚えていないけど、400人教室の壇上で、3人の肯定派とディスカッションしたときのある種の緊張感と、終わった後に先生が自主ゼミに誘って下さったことはよく覚えている。

それから3年弱に渡ってK先生のゼミで、アメリカの核戦略を中心に勉強することになった。その過程で、厚木や横須賀の基地見学や防衛省の幹部や若手、広島の自衛隊学校の生徒達とディスカッションするような貴重な機会を与えて下さった。お酒や歌も好きで、よく人生論をお話されるオールド・スクールな先生で、ダブルの上着がよく似合っていた。こうした経験は、直接、今の専門の地域活性やネットワーク分析、ポリシー・メイキングとは関係しないけど、なにか重要なことを教わった気がする。少なくとも、あのとき声を掛けていただいていなければ、大学院に行って研究者になろうとは思っていなかったはずだ(もともとずっとコンサルに行こうと思っていた)。

M先生には現在もお世話になりつづけている。やはりお世話になって5年くらいか。社会学が専門の方だが、ちょうど安全保障関連の本を立て続けに出されていた時期で、その一歩踏み込んだ議論と砕けた口調が普通の安全保障専門家と一線を画していて、とても興味を持った。著書にメールアドレスが載っていて、メールをしてモグらせてもらった。それから三年半あまりに渡って、知らない、もしくは手を出さないことがSFCのある種の強さであり、弱点でもある「体系だった社会学」と「研究者としてのスタイル」を教わった。こういうスタイルもありだ、と。研究者も個人のネームで仕事をする職業である以上、スタイルは重要だ。そのM先生が先日、ある推薦書を書いて下さった。「申請者との関係」欄に一瞬手が止まった後、「非制度的教員」と書いて下さった。とても嬉しかったことを覚えている。

S先生も同じく現在もお世話になり続けている。10歳くらいしか離れてなくて、まだ、いわゆる若手だけど、なんというか勝手に思っている兄貴分だ。いつも、調子に乗っていると鼻を折ってくれて(大体調子がいいときは周りはちやほやする)、でも、なにかあるときは必ず声を掛けてくれる。自分ではとてもこうはできないけれど、先輩のロールモデルとして、こうありたいといつも思う。

別に細かい議論に同意する/しない、は、どうでもいい。それほど同意できない部分も少なくない。でも、彼らが言っているのなら、というところがある。それらはほとんど内容とは関係しない。それはそれでちょっと危ない思想といえば、危ないけれども。

あと足りないものは、何か? 同世代のライバルと「共闘できる仲間」だ。意外とここが難しい。出会いの問題もあるのだろうか。贅沢な悩みと言えば、贅沢な悩みかもしれない。

同期現象と呼ばれる現象がある。正確な定義ではないけれど、簡潔に言えば、意図せずに行っているミクロの現象をマクロレベルで見ると、そこにある種の調和や秩序が存在するかのように見える物理現象だ。蛍の発光から人間の生態などに同期現象がある、と言われる。ノイズからの秩序形成という意味で、この概念は社会システムや現代の市場の在り方と相性がいいと思っている。具体的なところにまでは、全然到達していないのだけれど。

スティーブン・ストロガッツの以下の入門書は、蔵本由紀さんの新書(http://web.sfc.keio.ac.jp/~ryosuke/sociologs/2007/12/post-41.html)と並んで最も読みやすい本だと思う。以前から研究室にあって、読みたいと思っていたのをようやく手に入れて読了した。科学読み物としても魅力的な文体だと思う。ところで、同期現象を扱う本には、このレベルと次のレベルの本の間に大きな開きがあってなかなか厳しい。


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