終末期医療とDeath Education -主体的な「死」と教育を考える-
1. はじめに
近年、後期高齢者医療制度や年金問題をはじめ、少子高齢化という日本の社会構造に起因した問題が数多く表面化している。一般に、これらの問題は若年層にとっては煙たい問題だ。他に取り組むべき課題がたくさんあるようにも見える。だが、人は、いずれは必ず老い、必ず死ぬ。従って、これらの問題を忌避することは、問題を先送りにしているに過ぎない。
この小論では日本の終末期医療と主体的な死の在り方の問題を取り扱う。日本の終末期医療の現状は、主体的な医療参加に関する重要な問題を象徴的に示しているからだ。具体的には、自分の死について主体的に関与し決定する意思決定の問題だ。本稿では、現状を確認し、その上で初等中等教育におけるDeath Educationの必要性を述べる。Death Educationとは、自身の死についてロールプレイやワークショップを通して自身の死について主体的に考察することを促す教育だ。これらの議論を通して、これからの医療において重要となってくるであろう患者の主体的な医療参加を考察する契機としたい。
2. 日本の終末期医療
近年、日本では、少子高齢化が急速に進んでいる。このことは既に言い尽くされた、周知の事実だ。高齢化が進んだ社会では、特に死をどのように迎えるかが重要な問題となってくる。だが、奇妙なことに日本では死に関連したQOLを向上させる終末期緩和医療は驚く程普及していない。日本ホスピス緩和ケア協会の調査によれば、日本における緩和ケア病棟入院料の届出受理施設数は、2007年12月現在で全国に178施設、3417病床に過ぎない(日本ホスピス緩和ケア協会 http://www.hpcj.org/what/doc_h01.html ) 。他方で、日本対ガン協会によれば、2005年の日本人のガン死亡者数は、32,5941人で、日本人の三大死因のトップを占めている(日本対ガン協会 http://www.jcancer.jp/news/2006/1300.html) 。単純な比較は禁物だが、二つの数字にはあまりに大きな落差がある。これはどういうことだろうか?
多様な議論が可能だが、ここでは主体的な死の在り方という観点から議論を進めてみよう。現代社会では、死は高度に隠蔽されている。まるで触れてはいけないものであるかのように。かつては、多くの高齢者、重篤者は家庭で死を迎えたが、今では主に病院で死を迎える。死に直面することは、近親者に大きな衝撃を与える。だが、死のプロセスを直視する過程で、死について経験的に理解し主体的に考えることができた。現在では、死のプロセスは闇の中だ。高度な医療機器に接続され、意識を失っても「生き続けている」。そしてある瞬間を越えると死に至ったと認定される。その結果、周囲の人間には、体験的に「死」を理解しづらくなっている。また、現代社会において、子供は、まるで見てはならないものであるかのように、「死」から遠ざけられる。けれども、見方を変えればそのことは子供から主体的に死を考える貴重な機会を奪っている。このように死をタブ−視し、周囲の者を遠ざけることは、結果的に死を筆頭に医療全般に主体的に参加するために必要な前提を学ぶ機会を剥奪している。
3. Death Education
しかし、もはや現代社会では、死を直接的に曝すことは現実的とは言えない。それでは死を主体的に遂行するためにどのような解決策がありうるのだろうか? 例えば、Death Education(死についての準備教育)という概念がある。Death Educationは、1970年代頃から欧米を中心に盛んになってきた死に関して主体的に考える教育だ。少子高齢化やブラックボックス化しつつある死について主体的に捉え直すために、初等中等教育でワークショップやロールプレイを通して死について自らの問題として考えるための契機を提供する手法だ。死は絶対に直接体験できない出来事だ。その出来事を感受性豊かな初等中等教育の段階で座学のみならず、ワ−クショップやロールプレイを通じて、半経験的に学習することは意義深いように思う。
4. 終わりに-主体的な死、そして医療参加に向けて
高度にシステム化した現代社会では、死に対して実感を持つことは難しい。しかし、確実に人は死を迎えるという前提に立てば、事前準備なく自ら事態に直面して初めて主体的に死を扱うというのは極めて困難だ。人は環境や他のアクターと相互作用する中で状況に最適化しようとする複雑適応形のシステムだ。このことは、人が初めての事態に弱いことを示唆している。ますます高度化し、そのことでブラックボックス化するこれからの医療環境を考えると、ワークショップやロールプレイを通じた経験的なDeath Educationによる学習が必要だと私は考える。そのことが引いては、死のみならず高度化した医療を主体的に扱うための契機となるのではないだろうか。
5. 参考文献
副田 義也, (2001), 『死の社会学』, 岩波書店.
上原 善広, (2007), 『聖路加病院訪問看護科―11人のナースたち』, 新潮社.
日本ホスピス緩和ケア協会 http://www.hpcj.org/
日本対ガン協会 http://www.jcancer.jp/

