災害と東北関東大震災関連の最近のブログ記事

遠藤薫先生編著で、高原基彰さん、新雅史さん、関谷直也さんとの共著『大震災後の社会学』(講談社現代新書)の見本誌が到着。今週中には店頭に並ぶはずです。

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以下の共編著、共著が発売になります。
よろしくお願いいたします。

西田亮介・塚越健司編著『統治を創造する』(春秋社)
(目次、以下Amazonより転載)
序 章:統治を創造する時代へ......西田亮介

第1部:統治とは何か
第1章:eデモクラシー2.0......谷本晴樹
第2章:政府/情報が開かれる世界とは......塚越健司
第3章:「政治」概念はラディカルに変化するか......淵田仁
第4章:ハイエクの思想から読み解くオープンガバメント......吉野裕介

第2部:創造的統治の手法
第5章:ソーシャルメディア時代の新しい社会貢献......西田亮介
第6章:"3・11"にオープンガバメントはどう動いたか......藤沢烈
第7章:オープンガバメントと著作権......生貝直人
第8章:情報の「組み合わせ」がビジネスを生み出す......イケダハヤト

第3部:もう一度、統治を考える
第9章:悪しき統治を想像する......円堂都司昭

内容紹介
東浩紀(『一般意志2.0』):情報技術が政治を変える。――夢を「現実」に落とすための必携論文集。
佐藤尚之(コミュニケーション・ディレクター):日本を変えることを諦めたくないあなたに。
駒崎弘樹(NPO法人フローレンス代表):若者が描く新たな「政治と私たちのあり方」が、ここにはある。

多角的に情報が絡み合うことで「創造」が生まれる世界の根底には何が潜んでいるのか。これからを考える上で避けては通れない「プラットフォームとしての政府」とは何か。「オープンガバメント/Gov2.0」の流れを軸に解説。現行の統治(ガバナンス)における問題点を明らかにすると共に、「政治・経済・社会(思想)」の未来像を描く。

日本を揺るがした大震災。そこで人々をつなげたのは「Twitter」や「助けあいジャパン」などにおけるSNS(ソーシャルネットワーキングシステム)だった。またウィキリークスによる機密情報のリークやジャスミン革命における「Facebook」の活躍なども連日報告されてきた。これら「支援」から「革命」までを横断する、高度情報化社会における変革の背景には何が見えるのか。一人一人が世界を変えられる時代に必要なヴィジョンとは。

出版社からのコメント
震災&ウィキリークス以降の社会変化を読み解き、高度情報化社会において、どのように「政治・社会・ビジネス」に関わっていくべきかを提案する入門書です。

遠藤薫編著『大震災後の社会学』(講談社)
(目次等Amazonより転載)

序 章 東日本大震災と社会(遠藤薫)
第1章 大震災と社会変動(遠藤薫)
第2章 グローバル世界のなかの東日本大震災(遠藤薫)
第3章 東日本大震災にみる日本型システムの脆弱性(高原基影)
第4章 地域経済復興における「セーフティネット『選択と集中』の輻輳」(西田亮介)
第5章 災害ボランティア活動の「成熟」とは何か(新雅史)
第6章 日本の防災システムの陥穽(関谷直也)
第7章 震災とメディア(遠藤・西田・関谷)
終 章 日本の明日(遠藤薫)

内容説明
「未曾有」と形容される東日本大震災は、日本の社会がいままでつくりあげてきたシステムの問題を顕在化させることになった。これらの問題とは、震災によって新たに明らかになったというより、問題点が指摘されながらも、はっきりと誰にもわかる形で露呈したという性格が強い。
政治・国家の不在、防災システムの問題、先延ばしにしてきた地域振興の問題、メディアを巡る問題、私たちはこの震災を転機として、新たな社会をよりよいものとして、つくっていくことができるのか。
本書では、編著者のもと、西田亮介、高原基彰、関谷直也、新雅史といった期待の若手社会学者がそれぞれのフィールドで、震災と社会についてレポートする。
彼らのレポートから見えてくる日本社会のシステムの問題と解決へのヒント。

あとThink The Earthさん編集の共著も同時期に発売になると思います(正式な案内が出ましたらいずれ告知します)。



2年間委員を務めた神奈川県「協働の推進に関する調査研究会」の成果として『若者のボランタリー活動等への参加促進に関する調査報告書』と『東日本大震災に関連した大学生等のボランタリー活動に関する調査速報』が以下の神奈川県のウェブで公開されています。以前から県内や図書館では紙媒体で配布されていたようなのですが、ようやく電子媒体化されました。

大学ボランティアセンターへのアンケート&ヒアリング調査、神奈川県でボランタリー活動を主催/参加している人を、ボランティアやプロボノなどのカテゴリにわけて行った聞き取り調査などを総合したものです。リーダーの藤澤さんのご指名で、調査のデザインからかかわったこともあって、もちろん予算や人的資源、時間等の制約があったため、100点とはいえないものの、かなり思い入れのある成果です。

震災直後の7月に神奈川県内のボランティアセンター等に対して各大学の取組などについてアンケート調査を行ったのですが、わりと貴重な資料になっているのではないでしょうか。もちろん復興のフェーズは変化していくので、継続的に実施することが重要でしょう。かなり分厚い報告書ですが、関連分野の方にはぜひ手にとっていただきたいと思います。

http://www.pref.kanagawa.jp/cnt/f360624/

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『早稲田文学4』の目次が、早稲田文学さんのサイトで公開されました。

「震災に。」という特集が組まれており、西田亮介「東日本大震災からたどる特別な場所の、特別な記憶」という原稿を執筆しました。

東日本大震災後、調査研究の仕事でやはり復興関連の業務に就いており、短い期間に石巻を中心とする東北に限らず、阪神・淡路大震災を経験した兵庫県や中越地震、中越沖地震を経験した新潟県に足を運びました(そして、これを書いている今は女川町にいます。それについてもまた別途)。

不案内な過去の災害政策を読み込み、過去と現在の災害を経験した土地を(しかも直接復興に貢献するわけでもない用事で)めぐるという、どう考えても心踊らない経験です。それでも研究者の端くれですので、研究ノートを付けていました。

研究ノートは、論文や原稿を書く資料となるものですので、構造化されているわけでもなく、出来事とアイディアが感じたままに記述されているわけです。ふだん、そういったものを目にする機会は少ないと思いますが、原稿や論文といった「特定のアイディアの主張」を目的に構造化する以前の、「思考の迷い」のようなものを表現できないかという問題意識で手を加えながら書いてみたものです。いわゆる論文とも、エッセイとも違う、どこか半熟な、しかし未曾有な震災被害を前にしたときの「個人的ななにか」を表現できればと思った次第です。普段は具体的な制度や政策を相手にしていますが、想像力と主観に委ねた仕事はとても新鮮でした。ぼくのささやかな試みはどう受け取ってもらえるでしょうか。

著名な文学関係の方々も数多く執筆されているようです。手にとっていただければ幸いです。

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◆早稲田文学4もくじ

【グラビア】

篠山紀信 「ATOKATA」序章

▼特集 震災に。

【対談】

古川日出男+重松清 牛のように、馬のように――「始まりの言葉」としての『馬たちよ、それでも光は無垢で』をめぐって、そして「始まりの場所」としての福島/日本をめぐって、

【小説】

古川日出男 家系図その他の会話

重松清 また次の春へ――盂蘭盆会

阿部和重 RIDE ON TIME

川上未映子 三月の毛糸

松田青子 マーガレットは植える

牧田真有子 合図

【座談会】

阿部和重+川上未映子+斎藤環+辛島デイヴィッド+市川真人 震災と「フィクション(言葉・日常・物語...)」との「距離」

【論考】

十重田裕一 被災した作家の表現とメディア――新感覚派の関東大震災

西田亮介 東日本大震災からたどる特別な場所の、特別な記憶

武田徹 嘘が倫理を帯びる条件――『再臨界』を巡って

後藤繁雄 三・一一/写真/アート

【世界の被災地から】

松本妙子 先を歩む人々――チェルノブイリの生と死と愛

パブロ・ネルーダ  松本健二 訳・解説 天変地異

本浜秀彦 "集団自殺"するクジラと「鯰絵」的想像力

福島香織 四川大地震から生まれた文学――プロパガンダと哀悼

柏村彰夫 ただ悲嘆だけでなく――インドネシア短篇小説に描かれた被災者イメージの諸相

【インタヴュー】

川崎徹 江南亜美子 聞き手 記録、猫、小説

【小説】

神慶太 虹

▼シリーズ【日本"現代"文学の、標的=始まり】§1 出発点としての"大江健三郎"

【日本で読む大江】

安藤礼二 大いなる森の人――大江健三郎論

古谷利裕 極限で似るものたちがつくる場――「四万年前のタチアオイ」と「茱萸の木の教え・序」をめぐって

野崎歓 父と子――大江健三郎的小説の源泉

福嶋亮大 大江健三郎の神話装置――ホモエロティシズム・虚構・擬似私小説

武田将明 自分自身からの亡命者――『水死』と晩年性

芳川泰久 小説に現在おこっていること――大江健三郎の〈おかしな二人組〉へ/から

【世界が読むOE】

ノラ・ビーリッヒ 松永美穂 訳 鎖をつけて踊る――ある翻訳者の考察

久山宏一 本当のことを云おうか――ポーランドの大江健三郎/大江健三郎のポーランド

真島一郎 空白の地から――大江健三郎とアフリカ

アダマ・ソウ・ジェイ 真島一郎 訳 遠いセネガルの私――大江健三郎、あるいは人間の魅惑的な発見

アレクサンドル・チャンツェフ 貝澤哉 訳 叫びと応答の時代――ロシアにおける大江健三郎

徐恩恵 大江健三郎と私

閻連科 桑島道夫 訳 ポリフォニックな語り・重なり合いと照応その構造への鑑賞分析――『蟖たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ』を例として

桑島道夫 絶望に始まる希望と小暗い情念――中国における大江文学

柴門明子 大江健三郎をポルトガル語で読む

【連載評論】

大杉重男 「日本人」養成ギプス――日本人の条件(4)

石川義正 中原昌也の「熱気球」――小説空間のモダニティ(2)

▼小特集 the century of McLuhan: 1911-2011

服部桂 蘇るマクルーハンとこれからのメディア

エリック・マクルーハン 宮澤淳一 訳 日本の皆さんへ――父マーシャル・マクルーハンの百回目の誕生日に

宮澤淳一 マクルーハン早わかり――理解を拡張させる最小限の知識

中澤豊 メディアの法則――もう一つのマクルーハンの読み方

服部桂 あなたは何に気づいていないのか

大黒岳彦 マクルーハンにおける〈不可視なもの〉

山本貴光 物質と記憶の未来

【連載翻訳】

ウラジーミル・ソローキン 望月哲男・松下隆志 訳 青脂 III [完結]

松下隆志 脱構築から再(脱)構築へ――『青脂』後のソローキン

クロード・シモン 芳川泰久 訳 農耕詩 IV


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(『早稲田文学編集室 はてな出張所』http://d.hatena.ne.jp/wasebun/20110901/1314898815より)
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「東日本大震災の復興過程におけるソーシャルビジネスの創出促進及び既存ソーシャルビジネス事業者の活動基盤の整備に関する提案」公開されました(リンク先PDF)。

http://www.smrj.go.jp/keiei/dbps_data/_material_/b_0_keiei/chosa/pdf/fukkousocial.pdf

いくつか支援機関向けのセミナーも企画されています。また確定したら、お知らせします。

ちょっとまとまった分量かつ、しかし、早急にやらなければならない仕事で大変でした。いまの職場や、支援機関向けの提案になります。内部でもあり、外部の人なので、これでもいろいろと気を使いました(笑)

来月には、他にも震災関連の原稿も公開になるはずです。


神奈川県「東日本大震災に関連した大学生等のボランタリー活動に関する調査速報」が公開されました。

http://www.pref.kanagawa.jp/prs/p363162.html

県内の大学ボランティアセンター等に関する調査で、県内の大学が東日本大震災支援のためにどのような支援を行っているかを一覧した調査です。ちょっと回答率があまりよくないのが残念ですが、この規模で、一斉に行った調査は類を見ないのではないでしょうか。

単位認定といったものから、車椅子の修理イベントといった独自のものまでさまざまな取組が行われていることが分かります。大学関係者、自治体関係者の方には、ぜひご一読いただければと思います。

なお、この調査結果も含む「協働の推進に関する調査研究会」の報告書が8月(後半?)に公開される予定です。2年間かけて執り行なった調査です。公開になった暁にはぜひご一読いただければ幸いです。

早稲田文学さんの「Wasebun on Web」にて、西田亮介「ネットワークの記憶を紡ぐ」が公開されました(リンク先PDF)。

http://www.bungaku.net/wasebun/read/pdf/nishidaryosuke03.pdf

同世代のなかで、もっとも信頼する編集者のひとりK氏がアツい紹介を書いてくれていますので、ぜひ、そちらもご一読いただければと思います。

http://www.bungaku.net/wasebun/read/


早稲田文学さんは早くからなんどもぼくにすこし違ったかたちの仕事の場所を提供してくれました。それは最も想像力に身を委ねていい、自由だけれど、なかなか厳しく楽しい仕事です。お世辞にもうまくはないかもしれないけれど、ある意味ではもっとも生身のぼくに近い書きものになっているのかもしれない。ほかに、ぼく以外は小説か批評の書き手だけれど、多くの若い書き手に書く機会を提供してくれています。残念ながら、どうみてもウェブは過疎っているので、一度ご来訪いただければと思います。実はfacebookアカウントを持っていたり、攻めの姿勢を感じる文芸誌です。

早稲田文学さんのfacebookアカウント

http://www.facebook.com/pages/%E6%97%A9%E7%A8%B2%E7%94%B0%E6%96%87%E5%AD%A6-WASEDA-bungaku/182499148450691

実は3週間近く前、関西に帰ったおりに、ウメサオタダオ展の最終日を見に行ったことなど書きたいことはいろいろあるけれど、いろいろと追い込まれているのでまた近々書くことにします・・・

少し時間が経ってしまったのだけど、石巻から帰ってきた翌々日からふたたび兵庫県に足を運ぶことになった。県庁と、阪神淡路大震災当時復興に携わり、東日本大震災の現場でも活躍されている、あるNGOのかたにヒアリングさせていただくためだ。

調査は滞りなく済んだ。その話はまたどこかで報告書や論文として公開することになるはずだからとりあえずおいておくとして、長田の商店街のはなしを書いておきたい。長田は神戸の中心地である三宮や元町からやや西に寄ったまちだ。

長田のまちは阪神淡路大震災以前には、ケミカルシューズを製造する中小企業が集まったまちとして知られていて、その商店街は阪神淡路大震災の復興の「失敗」として、ときおり文献のなかで描かれている。その商店街に足を運んでみたいと以前から思っていた。

実際訪ねてみて、息をのんだ。とにかく人がいない。復興のシンボルとしてよくしられている実物大鉄人28号がある商店街入り口近辺はまだいい。5分も歩くと人通りがまばらになり、シャッターを下ろした商店が増えてくる。地下にも店舗があるが、大半の店のシャッターがしまっている。もはや小売店の集積という商店街に不可欠な機能が事実として損なわれている。

シャターをおろした商店では、新たにコンテンツとして持ち込まれた三国志のモチーフをおき、おそらく大学等と協働しているのであろうコミュニティカフェがあり、補助金で設置されたのであろうデジタルサイネージが地元密着番組とおぼしき映像を流している。商店街活性化のセオリー通りである。結果はどうか。

とあるインタビュイーから、長田の商店街は、地元のひとたちのアイディアを汲むようにしつつ、中身はまるで違う行政主導のハコモノ優先のものになったときいた。詳しく調べたわけではないので、断言はできないが、すくなくとも事実として現在、商店街がその規模にみあった集積機能を発揮できていないことは間違いなさそうだ。

そこにはまだおいしい明石焼きとそば飯を出す店があり、モツ焼きを売っている店がある。けれども、事実としてすでに店舗間の距離はあき、集積の力が損なわれた場所で営業を続けなければならないという過酷な状況に追い込まれている。大きすぎる商店街を、小さくして、高度化していくという道筋は寡聞にしてしらないが、そうした道筋も考えなければならないように見える。

阪神淡路からおよそ16年がたったわけだが、こうした記憶は果たして東日本大震災の復興過程で活きることになるのか。都合のわるいものとして忘却されるのか。さまざまなかたちで「新たな東北象」が構想されてもいるさまが漏れ聞こえてくるが、外部からトップダウンにもちこまれる施策は、「そこではない、外部の場所での「成功例」」をもとに持ち込まれる。往々にして、その外部と、その土地の諸前提の共通性についてはなおざりなままで、だ。たとえば阪神淡路や中越、中越沖の記憶を思い出すことができるか否か、思い出したとして、どのように活かす回路をつくることができるかが問われていると思った。

石巻

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先週末の6月11日、ごくごくわずかな時間だけれど、石巻を調査の仕事で訪問した。東北新幹線に乗ったのはずいぶん久しぶりのことなので、車窓を眺めていると、北上するにつれて、瓦がおちた屋根をビニールシートで、覆った家屋が目立ち始める。

郡山を過ぎ、福島を過ぎたあたりから、崩れた土手を抑えたり、いびつなかたちに捻れた歩道橋などが目立ち始める。福島を過ぎると再び日常的な光景が戻ってくる。仙台の町は一見相変わらずの活気を帯びている。節電で薄暗い首都圏の繁華街よりも、活気があるのかもしれない。

仙台で一泊して、翌朝高速バスの列に並ぶ。土曜日にもかかわらず、ボランティアが溢れているという様子はない。全員がボランティアというわけでもないが、高速バスの列に並んでいるのは比較的年配の方がおおかった。

バスにゆられること1時間半。JR石巻駅前につく。石巻はさらに遠方の、女川などにいくための中継地点にもなっている。百貨店が市役所として使われていることを除くと、石巻駅周辺には3ヶ月でおどろくほどふつうの地方都市の姿が戻っている。駅機能も一定程度回復しており、電車も走っている。この日は炊き出しもやっていなかったし、軽く小雨が降るような天気だからか、事前に聞いていた臭いや塵もさほど気にならない。

民間で、子どもの心と学びのケアを中心とする復興と雇用の創出に取り組むハタチ基金の事務局を務めているNPOカタリバ代表理事の今村久美さんと、地元で教員をつとめているA氏が石巻のまちをアテンドしつつ、状況をいろいろとおしえてくださった。

細かい調査の話はおいておくとして、メディアで繰り返しみたはずの被災地はやはり息を呑むものだった。筆舌に尽くしがたいまでに、徹底的に破壊され尽くしている。これでもこの3ヶ月でかなり片付いたという。自衛隊の姿が目立つ。A氏いわく、自衛隊の活躍と、徐々に地元に復興を委ねていく自衛隊の匙加減は巧みなものだという。

ところで、海岸線のエリアは、地元最大の雇用を持っていた日本製紙の向上含め、徹底的に壊れているが、車で数分走って川を挟むと、少なくとも見た目は生活を取り戻しつつある途方都市の姿に突然切り替わる。田んぼのなかに、突然姿をあらわす船や無残に壊れた姿を晒している自動車、つかない信号、アスファルトがはがれた道路などは残るが、海岸線との落差は、まさに天国と地獄だ。

確かに、過去の災害とはその範囲と種類が異なるが、こうした落差が産み出した弊害とそこへの対処はきっと阪神淡路の教訓が活きるのではないか。過去の災害の記憶と教訓を共有しつつ、復興に取り組むことが必要と思わされた。

ところで、過去の災害の記憶なのだが、これをどのように異なる組織間で共有し、協働していくかということが大きな課題として残っているように感じた。ひとつの組織のなかでも、その記憶の継承は難しい。行政は人事制度の関係で、人はつぎつぎとうつっていく。組織の記憶を残していくことも難しいし、たとえば、NPOやボランティアとその経験を共有し、協働するとなるとなおさらである。時系列で綴じられた行政文書しか残っていないとなると、至難の業である。

その点、石巻の翌々日に再び訪れた兵庫県は、やはり大規模災害の記憶を継承しなければならないという意識が強く、いろいろな取組を行っており、今回の大震災においても、むしろ兵庫県の側から「押しかけて」さまざまな提案を行っているという。こうした過去に被災の記憶と経験を持つ行政やボランタリー組織から、さまざまなメニューが「提案」され、それを地元が状況や特性に応じて取捨選択肢選び取っていくようなあり方がボトムアップでも、トップダウンでもない、そして、いま数々走っている「復興計画」からすっぽりと抜け落ちている復興のかたちではないかと感じさせられた。

ごくごく短時間の滞在だったが、石巻訪問はさまざまなことを考えさせられる経験となった。このような状況の中で、社会科学系のバックグラウンドを持つ研究者、もしくは物書きがなにができるのかということはよくわからないけれど、少なくともその意味を再考しなければいけないということは改めて強く感じた。そして、今回の災害がなければ、必ずしも足を運ぶことのなかった石巻に訪れたことが生む共感の萌芽をどのように育てていくのかを考えたいと思った一日だった。

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うまく書けるか分からないし自信もあまりないのだけど、こそっと(でも、むろんインターネットのうえで書いていることは承知のうえで)書いてみたい。

少し前に、震災(というより、原発関連)に関する報道について、首都圏の危険性を強く主張し、「疎開」をすすめたりする論者と、「(公式報道や幾人かの自然科学の研究者らの「首都圏は現状、安全」とする意見以上に)過度の不安を煽るな」という議論の「対立」があった。少なくとも、twitterをはじめとするソーシャルメディア界隈ではそんな意見の対立があった。

ごく大雑把な主観にもとづいていえば、前者を主張したのは主に一部の「知識人」(という言い方が適切ではないような気もするので、「論客」たちと書いてみよう)で、後者の立場をとったのが(「自分は情報感度に高い」と思ってそうな)一般の人たちだった。

この対立が「科学的にどちらが正確か」ということを根拠にもとづいて主張するだけの見識は残念ながら僕にはない。それでも、なんらかの判断を下さなければならず、僕と僕の家族にとっても重要な問題なのだけど、とりあえず現時点ではかなり消極的な選択として、首都圏に残って平静を装いながら「日常」を暮らしている。

可能であれば、せめて家族は「疎開」させたいと思いながら、現状で僕が認知可能なリスクでは首都圏にとどまらざるをえないと思う。おそらく多くの人たち(先ほどの言い方に倣えば、「後者の立場」にたった人たち)がそうなのではないか。

「論客」たちが入手していた情報が、後者の立場の人たちとそれほど変わるものだったとは思えない。また多くの「論客」たちも原子力について客観的に判断するだけの特別な専門知識を持っていたわけではない。というよりも、ある程度まともな判断力を持っていれば、今回の事態がこれまでとは違ったリスクをもつものであるということには、誰しもが気づくはずだ。

そうであるにもかかわらず、冒頭あげたような対立が起きたのは、「疎開」という処方箋があまりに説得力を欠いていたものだったことはその一因であろう。

「疎開」できるのは、フリーランスのような働き方や、資産を持っていたりするごく一部の人たちに限られる。日本的雇用システムに従事している大半の人たちは、今日出勤しなければ、このご時世職を失ってしまいかねない。どこに、いつまで疎開し続ければいいのかも分からない。「田舎」がない人だっている。

「命に比べれば」という考え方もあるけれど、数十年後に発がんリスクが増すことも怖いが、明日確実に仕事を失うことも怖い。低頻度高被害のリスクと、高頻度低被害のリスクは比較が難しい(行動経済学が専門の人ならきれいに説明してくれるかもしれない)。結論からいえば、「疎開」は、確かに選択肢のひとつとして確かに存在するけれど、多くの人にとっては事実上選択できない選択肢だったと思われる。それゆえに、多くの人たちは苛立ったのではないか。少なくとも僕はそう思ったし、結構苛立った。

結局、首都圏に暮らす多くの人は情報収集につとめつつ、危険性が「ある閾値」(人によって異なる)をこえるまで「日常」を取り繕って生きるしかないのだ。その「ある閾値」の位置を判断するためには、エビデンスに基づいた連続的な状況の把握が必要で(つまり、突出した数値の変化や、急激な数値の上昇)、従来の意味でいう論客たちの「情報発信」はその判断材料には全くならなかった。

彼らの言説は、電車の中吊り広告と似ているようにも思える。どちらも昭和的なものを象徴していて(かくいう、僕自身も昭和生まれだけれども)、「情報の寡占や言説に警鐘を鳴らす」という建前のもと、ただただ刺激的な言説を提供し続ける。でも、誰も真に受けない(たぶん)。そろそろ時代とメディア、そして言説は「平成」に変わってもいいのではないかとずっと思っていたけど、今回さらにそう思うようになった。

実際変化の兆しもある。僕が「ある閾値」を判断するうえで参考になったのは、震災直後から公式情報にもとづいた専門家たちの、ソーシャルメディアたちの分析と診断だった。東大物理学科長の早野龍五氏や、伊藤乾氏、東大病院放射線医療チームや、MITの原子力理工学部有志による「MIT NSE Nuclear Information Hub」、慶應義塾大学医学部助教の八代嘉美氏、あまたの文科省のデータを可視化した個人の方々の努力をあげることができる。

自然科学者だけではない。堀江貴文氏や津田大介氏は情報の拡散や集約につとめ、荻上チキ氏は自身のブログで、デマ情報(とおぼしき情報)の類型とサンプルを提示し続けた。

早野氏や東大病院のチームらには、あっという間に20万人近いフォロワーがついた。みな、こうしたエビデンスに基づいた言説を求めていたことがよくわかる。「安心・安全」言説を求めていたわけではなくて、先ほどのべた各自がもつ「ある閾値」を越えたか否かを判断する「素材」を求めていたということだろう。

専門家が一般向けに噛み砕いて話す言説が、通常のメディアではなく、ソーシャルメディアからはじまり、広範に伝わったわけだが、これはどうしても速報性に劣るがゆえに、解説やその他の付加価値で勝負する路線にシフトしなければならないはずの旧来型のメディアにとっては致命的と思われる。

ところで、東大に多額の経費が流れているから「御用学者」呼ばわりする論調もあったけれど、これは自然科学の世界ではごく当たり前のことなので、内実をきちんとみないと、本当に「御用学者」かどうかは分からない。たとえば、自動車会社も工学系の研究者に多額の資金提供を行っているが、自動車に欠陥がみつかったとしても、研究者が責められることはあまりない。

また自然科学系に限らず、国費を財源とする科研費やCOE、各省庁の助成金(いずれも額の小さなものから、億円の単位のものまでさまざまなものがある)の恩恵を受けている研究者は無数にいる。だからといって、こうした研究者を一律に「御用学者」とはいわない。基本的には、問題の構造は同じだ。

とはいえ同時に、アメリカのタバコ産業の不正と、その告発者たちの苦悩を描く、マイケル・マン監督、アル・パチーノ主演(ラッセル・クロウが渋い!)の90年代の名作『インサイダー』が描くような、産官学マスメディアを横断する巨大資本とネットワークと類似の構造を持っていることもまた事実。スポンサーの顔色に敏感で、「自粛」しがちなメディアへの影響力は少なからずあったのではないか。

急ぎ付け加えておくと、理系賞賛でも、ソーシャルメディア賞賛でもない。「ソーシャルメディアが役に立つ/立たない」という議論も最近よく目にするけど、これは「ソーシャルメディアが/いつ/どこで/誰の/どのような/役に立ったor立たないのか」という、せめて一部は限定した設定にしないと、両者の議論は平行線をたどったまま、という認識でいる。個人的には「ソーシャルメディアは、震災直後から/インターネット網が生きている、比較的被害が警備だった周辺部を中心に/安否確認や、情報交換、リアルタイムな情報共有/の新しい協働を迅速に実現する/ことには役立った」という認識(このあたりは来週頭発売の某経済誌や今月10日発売のとある論壇誌などに書いた&カタリバ大学のチャリティイベントでも話そうと思っているのでよければ手にとってください&出席してくださいね)。

思いつくままにつらつら書いたのでどうまとめていいかはちょっとよく分からないのだけれど、結局、僕らはそれぞれできることしかできず、大震災と原発事故という未曾有な状況のなかで、昭和的なメディアとそれに適応した言説、あるいは当時からカッコつきだったのではないかとも思うけど「前衛ー大衆」図式の限界は如実に明らかになったように、少なくとも僕は感じている。しかも、それらがわざわざこうしてブログに書くほどのことでさえなくて、実はみんなが当たり前のことのように認識しているのではないかとも・・・

・・・全然面白い結論にも、刺激的な結論にも到達せず、オチもないのだけど、メディアリテラシーは大学での担当講義でもあるので、持ち越しの課題とさせていただき、これからも考えていこうと思います。とりあえず、そろそろ出かけなければならないのでここらへんで。

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